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鶴見 和子
つるみ・かずこ
1918/06/10〜2006/07/31
last update: 20100607
◆? 「回生 鶴見和子の遺言 2/2 KazukoTurumi」
https://www.youtube.com/watch?v=Qx8xeVnSz64
◆鶴見 和子・大川 弥生・上田 敏 19980520
『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って』
,三輪書店,237p. ISBN-10: 4895900800 ISBN-13: 978-4895900805
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※ r02.
◆鶴見 和子 19980815
『脳卒中で倒れてから――よく生き よく死ぬために』
,婦人生活社,190p. ISBN-10: 4574701188 ISBN-13: 978-4574701181 1680
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※ r02.
◆鶴見 和子 20010620
『歌集 回生』
,藤原書店,113p. ISBN-10: 4894342391 ISBN-13: 978-4894342392
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※ r02.
◆多田 富雄・鶴見 和子 20030615
『邂逅』
,藤原書店,231p. ASIN: 4894343401 2310
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※ r02.
◆鶴見 和子・上田 敏 200307
『患者学のすすめ――“内発的”リハビリテーション 鶴見和子・対話まんだら 上田敏の巻』
,藤原書店,238p. ISBN-10: 4894343428 ISBN-13: 978-4894343429 2310
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※ r02.
◆鶴見 和子 20070130
『遺言―――斃れてのち元まる』
,藤原書店,222p. ISBN-10: 4894345560 ISBN-13: 978-4894345560 2310
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※ r02.
◆鶴見 和子・大川 弥生・上田 敏 20070801
『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って 増補版』
,三輪書店,319p. ISBN-10: 489590279X ISBN-13: 978-4895902793 2100
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※ r02.
■
◆1995年12月24日 脳内出血で倒れる。片麻痺に。
鶴見の父の鶴見裕輔は一九五九年に倒れ、右手足が不自由になり、失語症になる。東京大学附属病院に入院。上田が、入院中、退院してからも関わり、その時に和子・俊輔を知る。一九九六年に鶴見が歌集『回生』(鶴見[2001])を贈る(鶴見・大川・上田[2007:18-24]。
◆1997
◇「回生」 鶴見和子 多田・鶴見[2003:34-47]
「一九九七年元旦に、日本のリハビリテーションのくさわけの上田敏先生から、速達をいただきました。「一度、診察してあげたい」と申し出てくださったのです。これは天の恵みでした。わたしはすぐにお電話をして、「ご指定の病院にうかがいます」と申し上げました。上田先生は、茨城県守谷町の会田記念病院をご指定くださいました。
一月十五日に入院しました。」(鶴見[2003:35]*)
*多田 富雄・鶴見 和子 20030615
『邂逅』
,藤原書店,231p. ASIN: 4894343401 2310
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※ r02.
◇鶴見 和子・大川 弥生・上田 敏 199805
『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って』
,三輪書店,237p. ISBN-10: 4895900800 ISBN-13: 978-4895900805
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◇鶴見 和子・大川 弥生・上田 敏 20070801
『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って 増補版』
,三輪書店,319p. ISBN-10: 489590279X ISBN-13: 978-4895902793 2100
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※ r02.
序章 不思議なご縁――三十八年ぶりの出会い 鶴見 和子・上田 敏 17-28
「上田 […]実は昨年(一九九六年)の末、三十数年ぶりに鶴見さんから突然『回生』という歌集を贈っていただきました。鶴見さんのような有名な方から本を贈っていただくというのは大変光栄なことだと思ったんたですが、しかし一体何の関係があるんだろうと思って読み出したら、ああ、脳卒中をなさったのかと。それでみんな私も知っている病院ですから、あの病院に入ったのか、この病院に行ったのかと。そのうちに、かなり後のほうですけれども、私の名前が突然出てきましてね、なんだこれが関係があるのか、それで私にまで贈っていただいたのかということがわかりました。
鶴見 私『回生』という歌集を出しましたけれど、あれは全人間的な「回生」ではないんです。つまり命をとりまとめた、一度死んで生き返ったという、それだけのことなんです。私の全人間的な回生は今年が「回生元年」なんです。一九九五年の元旦に上田先生から速達をいただいたんです。先生が「一度診てあげたい」とおっしゃってくださった。もうこんなに素晴らしいことはなかったんです。それでご指定の病<0023<院に伺いますといって、入院させていただいて、それから歩けるようになったんです。
人間は歩かなきゃ「人間」じゃないと思うんです註4)。この回生第一歩というのは、上田先生との再びの出会いで始まったんです。だから今年が「回生元年」で、歌集『回生』は「回生前期」なんですよ。」(鶴見・上田[1998→2007:23-24])
「註4 「歩かなきゃ『人間』じゃない」というのは文字どおりにとれば問題発言である。歩けない人でも立派に人間であることはいうまでもない。ただ鶴見さんにとっては「本当のリハビリテーション」によって新しい人生が開けたこと全体の一つのシンボルとしての発言と理解したい。なお鶴見・上田「患者学のすすめ」藤原書店、六三−六六ページ参照。」(鶴見・上田[1998→2007:28])
◇「1995年12月24日、社会学者・鶴見和子は脳内出血で倒れ、片麻痺となった。いくつかの病院を経て、最後はリハビリテーション専門病院で数か月の訓練を受けたが、歩くことはできなかった。入院中に詠んだ歌集『回生』が縁でリハビリテーション医・上田敏と38年ぶりに再会。1997年1月に会田記念病院に入院し、積極的リハビリテーション・プログラムによって杖をついて歩けるまでに回復。回生前期に受けたリハビリテーションから全人間的回生の花道に至る全プロセスを、社会学者と2人のリハビリテーション医が火花を散らして語り合ったありのままの記録を全公開。」(広告)*
*
鶴見 和子
・大川 弥生・
上田 敏
20070801 『回生を生きる――本当のリハビリテーションに出会って 増補版』,三輪書店,319p. ISBN-10: 489590279X ISBN-13: 978-4895902793 2100
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※ r02.
◆2006
◇「リハビリ制限は、平和な社会の否定である」(多田[200612→2007:111-124])
『世界』二〇〇六年一二月号
「社会科学者の鶴見和子さんは、一一年前〔注=一九九五年〕に脳出血で左半身麻痺となった。一〇年以上もリハビリテーション(リハビリ)の訓練をたゆまず行い、精力的に著作活動を続けていたが、今年になって、理学療法士を派遣していた二ヶ所の整形外科病院から、いままで月二回受けていたリハビリをまず一回だけに制限され、その後は打ち切りになると宣言された。医師からは、この措置は小泉さんの政策ですと告げられた。
その後間もなくベッドから起き上がれなくなってしまい、二ヶ月のうちに、前からあった大腸癌が悪化して、去る七月三〇日に他界された。直接の死因は癌であっても、リハビリの制限が、死を早めたことは間違いない。<0111<
その証拠に、藤原書店刊『環』に掲載された短歌に、
政人[まつりごとびと]いざ事問わん老人[おいびと]われ生きぬく道のありやなしやと
寝たきりの予兆なるかなベッドより
おきあがることできずなりたり
とある。同じ号の、「老人リハビリの意味」という最後のエッセイでも、「これは、費用を節約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないかだろうか。(中略)この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている」と述べている(『環』二六号、藤原書店)。
私は、この痛ましい事件の発端となった、リハビリ診療報酬改定の流れをもう一度振り返って、問題点を見直してみたい。」(多田[200612→2007:111-112]、[]内は本ではルビ)
◇石牟礼 道子・多田 富雄 20080630
『言魂』
,藤原書店,216p. ISBN-10: 489434632X ISBN-13: 978-4894346321 2310
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※
「[…]鶴見和子さんの訃報が届きました。往復書簡集『邂逅』で、一年余りテープでの謦咳に接してきました。私は声を忍ん<0043<で泣きました。心の心棒が一本外れてしまったような気がしたからです。
その鶴見さんの死が、何と私がいま戦っているリハビリテーション(リハビリ)の日数制限の、最初の犠牲者であったことが、私の胸に突き刺さりました。
鶴見さんは、十一年前に脳出血で左半身麻痺となったのですが、精力的にはリハビリ治療をうけながら、著作活動を続けました。往復書簡でも、毎回私に新しい観点を教えてくれました。私には、日本のエコロジーの精霊「山姥」の化身に見えました。十年以上も苦しいリハビリの訓練に耐え、力強く私たちを叱咤してくれていました。しかし今年になって、理学療法士を派遣していた整形外科病院から、いままで月二回受けていたリハビリを、まず一回だけに制限され、その後は、打ち切りになると宣言されたそうです。医師からは、この措置は小泉さんの政策ですと告げられました。
その後、間もなくベッドから起き上がれなくなってしまい、二カ月ばか<0044<りのうちに、前からあった大腸癌が悪化して、去る七月三十一日に他界されたのです。直接の死因は癌であっても、リハビリの制限が、死を早めたことは間違いありません。
藤原書店刊の本誌『環』(二六号)に掲載された短歌にも[…]」(多田、石牟礼・多田[2008:44-45])
■言及
◆立岩 真也 20100701 「……」,『現代思想』38-9(2010-7):
資料
UP:20100605 REV:20100607, 20220912
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リハビリテーション
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生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
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