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『科学としてのリハビリテーション医学』

上田 敏 20010615 『科学としてのリハビリテーション医学』,医学書院,223p.


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上田 敏 20010615 『科学としてのリハビリテーション医学』,医学書院,223p. ISBN-10: 4260243993 ISBN-13: 978-4260243995 2400+ [amazon][kinokuniya] ※ r02.

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日経BP企画
科学としてのリハビリテーション医学
わが,日本のリハビリテーション医学のパイオニアである著者が,リハビリの技術と考え方について論じた一冊。リハビリテーション医学とは,人間らしく生きる権利の回復を目指す学問であり,そこには臨床現場に根ざしたユニークな科学性があると指摘する。
―執筆のきっかけは?
上田 リハビリテーションという言葉は現在,医学の世界だけでなく広く一般的にも使われるようになっています。しかし,単に“訓練”という意味でとらえられていることも多いと言えます。
 リハビリとは決してつらく苦しいものではありません。リハビリテーション医学は,科学性に裏付けられた学問であるからこそ効果が上がるのであり,われわれスタッフが正しいアプローチを心掛ければ,楽しみながら自活的に取り組んでくれるものとなります。
 リハビリに携わる多くの関係者にリハビリテーション医学の魅力と正しいアプローチ法を知ってほしいという思いから,本書の執筆を決意しました。
―リハビリテーション医学の科学性とは?
上田 リハビリテーション医学は,臨床医学の中でも,患者さんの身体面のほか,精神面やライフスタイル,社会性などを重視する学問です。例えば,障害の程度がほぼ同じであったとしても,各人のライフスタイルに応じてリハビリのプログラムは大きく変わってきます。
 しかし,だからといって科学性が無いかというと決してそうではありません。ケースを積み重ねれば,必ず何らかの法則が見えてくる。つまり,経験から出発して科学へと発展を遂げているのです。
 もちろん内科学など医学の他の分野でもこうした過程をとるのですが,リハビリテーション医学の持つだいご味は,取り扱う領域が実に幅広い点にあります。しかも,われわれには,障害の軽減といったマイナス面の減少を図るのはもちろんのこと,人生の質を向上させるというプラス面を増大させることも求められています。新しい法則を見付ける可能性も,その分多いと言えるわけです。
―本書では,科学性と同時にリハビリの倫理にもこだわっていますが?
上田 全4章のうち,1〜3章で主にリハビリの科学について,そして4章目でリハビリの倫理について論じているのですが,それは,科学を支えるのは倫理であるという考えからです。
 現在,医学のあらゆる面で「根拠に基づく医療」(EBM)が強調されており,EBMを実践することこそがまさしく医の倫理となっています。ということはすなわち,倫理を追い求めれば,科学的なアプローチへと向かわざるを得ないといった逆説も成り立つのであって,私自身はそれこそが真実だと思います。
 リハビリの倫理とは,患者にとっての最善の利益を実現させることにほかなりません。リハビリテーション医学の科学性がまだ十分に確立していないのも事実ですから,リハビリ関係者には,常に倫理面を意識しつつ,科学性を探求する努力を払ってもらいたいと願っています。
(日経メディカル 2001/08/01 Copyrightc2001 日経BP企画..All rights reserved.)

内容(「BOOK」データベースより)
本書は、リハビリテーション医学・医療のユニークな科学性を、それに携わる専門職者が行う診療・研究・教育という「三位一体」的な活動として、またそのような人間的な活動を支える倫理とエトスとして描き出した。
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■目次

序章 自立した学問を求めて
第1章 科学としてのリハビリテーション医療―経験から科学へ
第2章 リハビリテーション医学研究の論理
第3章 リハビリテーション医学の教育・研修を考える
第4章 科学としての倫理
終章 二十一世紀のリハビリテーション医学を展望する

■引用

 「「地域におけるリハビリテーションの組織化」を考える場合に欠かすことのできないものに、もう一つ自立生活を含む障害者の自助(セルフヘルプ)運動の問題がある。
 今述べた介護とリハビリテーションとの統合が唐突にひびくとしたら、自立生活・自助運動とリハビリテーションの統合というのはそれ以上に唐突で、ほとんど考えられないようにひびくかもしれない。というのは、障害者の自助運動はわが国では全国コロニーの運動や小規模作業所の運動(いずれも障害者の働く場作り)として、早くからリハビリテーション医学とは深い関係なし(精神障害者のリハビリテーションとの関係はより密接であったが)進められてきたし、障害者の自立生活(Independent living, IL)運動は一九七〇年代のアメリカで当時のアメリカのリハビリテーション医学・医療が障害者の自立を狭くADL自立に限定し、しかも病院・施設ケア中心で、地域ケアに関心をもたず、障害者への自己決定権を尊重していないなどの批判から出発した運動であり、その流れを汲んだ日本のIL運動も同様の医療批判、リハビリテーション批判への傾斜をもっているいることは確かであるからである。
 しかし、一九七七年にアメリカの第五十六回リハビリテーション医学会(American Congress of Re-<0215  また国際舞台では筆者が長年ナショナル・セクレタリー(日本事務局長)をつとめるリハビリテーション・インターナショナル(RI、旧国際障害者リハビリテーション協会)という広いリハビリテーション関連専門家の組織は、二十一世紀初頭の最大の課題として国連で「障害者権利条約」を制定することを提案し、障害者インターナショナル(DPI)その他の国際的な障害者組織(世界盲人連合、世界ろう連盟、インクルージョン・インターナショナルなど)と協力して運動を進めている。
 このように、かつてはむしろ対立が目立った障害者運動とリハビリテーション専門家との関係に、最近は相互理解と協力の動きが目立つようになってきている。また働く脳性麻痺者の「二次障害」の予防の問題のように、小規模作業所(共同作業所)運動の中からリハビリテーション医学に課題が提起されたというような例もある。
 リハビリテーション医療の側がパターナリズムを脱してインフォームド・コーペレーションを実<0216<践し、入院期間はできるかぎり短くして早期に自宅に復帰し、自宅でのQOLの高い生活・人生を外来リハビリテーションで支えるという活動を基本として、それに加えて種々の形で地域でのシステム作り(それは障害者の自立生活・自助運動を支えるものでもある)に貢献すべきことは本書で筆者が一貫して主張してきたことである。
 またIL運動が専門家によるリハビリテーションにあきたらず、それよりも有意義なものとして実践している「ピアカウンセリング」(障害者自身による相互援助・指導活動)にしても、リハビリテーションとは相互に対立するよりはむしろ相互に補完的な役割を演じうるものと考えられる。
 アメリカでは障害者団体の役員がリハビリテーションチームの一員として働いている例は決して希ではない。
 さらに自立生活と介護との関係も意外に重要である。それは自立生活は重度障害者の地域社会の中での自立の運動として出発しており、介護者の存在は当初から不可欠の要素となっているからである。ただ現在の姿の介護については、その中にひそむパターナリズムと、介護保険が若い障害者を対象としていないことなどから、障害者の側からの反発があるのも事実であり、解決のための努力が必要である。
 このように多くの問題があるのは事実であるが、遅くとも二十一世紀の第一四半期のうちには障害者の自立生活運動・自助運動、介護、そしてリハビリテーションの三者が手を結んで、互いに他の独自性を尊重しながらも開かれた心で協力すべきところは進んで協力するという「大連合」が作られることを期待したい。なぜならばこの三者が手を結んで、互いに他の独自性を尊重しながらも開かれた心で協力すべきところは進んで協力するという「大連合」が作られることを期待したい。なぜならばこの三者は障害のある人が自立した個人として地域社会の中でQOLの高い人生をと送るためにいずれも不可欠のサービスであり運動であるからである。これを抜きにしては「地域に<0217<おけるリハビリテーションの組織化」は語られないのである。」(上田[2001:215-218])


UP:20101106 REV:
上田 敏  ◇リハビリテーション  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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