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病者障害者運動史研究 > 2017年度科学研究費(基盤B)科研協力研究者

杉野 昭博

すぎの・あきひろ
http://tmudsw.html.xdomain.jp/
杉野昭博 :韓国語頁

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last update: 20170727

・関西大学→関西学院大学→首都大学東京都市教養学部人文・社会系
https://www.tmu.ac.jp/stafflist/data/sa/6148.html

・障害を研究テーマにして大学院進学を考えている人へ
http://tmudsw.html.xdomain.jp/message.htm

障害学会

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■著書

◆20070620 『障害学――理論形成と射程』,東京大学出版会,294p. ISBN-10: 4130511270 ISBN-13: 978-4130511278 3990 [amazon][kinokuniya] ※ ds

■訳書

◆Barnes, Colin ; Mercer, Geoffrey ; Shakespeare, Tom 1999 Exploring Disability : A Sociological Introduction, Polity Press [amazon][kinokuniya]=20040331 杉野 昭博松波 めぐみ山下 幸子 訳,『ディスアビリティ・スタディーズ――イギリス障害学概論』,明石書店,349p. ISBN:4-7503-1882-5 3800+税 [amazon][kinokuniya]

■論文等

◆2004 「福祉政策論の日本的展開 ――「普遍主義」の日英比較を手がかりに」『福祉社会学研究』1(東信堂) →選別主義・普遍主義
◆20010922 「ブレア政権の障害者政策と「第三の道」」
 障害学研究会関西部会第12回研究会
 質疑応答の記録(↓)
◆20010901 「ADAとDDA――雇用問題を中心に」
 障害者総合情報ネットワーク
 cf.ADA(障害をもつアメリカ人法)障害者と労働
◆20010609 「障害の文化――盲人文化を中心として」(講演記録 文責・松波めぐみ)
 リバティセミナー「障害学の現在」 第2回
◆200103 「大学における福祉専門職教育――迷走する資格制度と養成課程」
 『関西大学社会学部紀要』32巻3号 pp.299-315
◆20000715 「今『障害』をどうとらえるか?――研究・政策・運動の動向の中で」
 SPSN研究会 於:東大本郷
◆20001120 「リハビリテーション再考――「障害の社会モデル」とICIDH-2」
 『社会政策研究』01:140-161
 1 国際障害分類改訂作業とその背景
 2 オリバーの「障害の社会モデル」
 3 「障害」の定義をめぐる乖離と理論的課題
 4 リハビリテーション再考

 「医療モデルをベースにしたリハビリテーション・パラダイムの限界は病院や訓練施設と外部社会との境界線に存在していると言える。にもかかわらず、「リハビリテーション」の守備範囲を、本来は医療モデルが通用しないはずの病院外の領域へと拡張しながら、理論的には医療モデルのパラダイムをそのままひきずっていくという矛盾を今日のリハビリテーション学は犯している。個別的アプローチという方法論に固執しながら、「障害」と「社会」との関連を論じたり、両者の接点にかかわることがらを調査研究すること自体が、「障害」をめぐる権力の磁場を隠蔽し、本来「政治的選択」に属すべきことがらを非政治化する役割を果たすことがあるということを充分意識する必要があるだろう。」

◆20010609 「障害の文化-盲文化を例として-」
 リバティおおさか(大阪人権博物館)主催・リバティセミナー「障害学の現在」

◆199003 「障害の文化分析~日本文化における『盲目のパラドクス』」
 『民族学研究』54巻4号 pp.439-463 1990.3
◆199210 「『ノーマライゼーション』の初期概念とその変容」
 『社会福祉学』33巻2号 pp.187-203 1992.10
◆199406 「社会福祉と社会統制~アメリカ州立精神病院の『脱施設化』をめぐって」
 『社会学評論』45巻1号 pp.16-30 1994.6
◆199502 「ピーター・タウンゼンド~人類学と福祉学からの点検」
 社会保障研究所編『社会保障論の新潮流』有斐閣 pp.179-195 1995.2
◆199510 「福祉の思想と文化」
 古川孝順・松原一郎・社本修編『社会福祉概論』有斐閣 pp.187-200 1995.10
◆199511 「『ボランティア』の比較文化論」
 『月刊福祉』11月12月号に分載 pp.66-71, pp.68-73 1995.11/12
◆199512 「福祉のポストモダン~80年代福祉改革の底流」
 『関西大学社会学部紀要』27巻2号 pp.61-69 1995.12
◆199703 「『障害の文化』と『共生』の課題」
 青木保ほか編『岩波講座文化人類学第8巻 異文化の共存』岩波書店 pp.247-274
◆19981018 「M. Oliverの「障害の社会的生成」論をめぐって」
 日本社会福祉学会大会 於:明治学院大学
◆19981122 「政策モデル分析の陥穽:障害者の権利保障政策を題材として」
 日本社会学会大会・社会政策研究のフロンティア
◆1998 「機会平等法の国際的展開~オーストラリアとイギリスの機会平等法」
 河野正輝・関川芳孝編『障害をもつ人の人権と権利擁護』公刊予定、
 有斐閣、所収。
◆199901 「障害者福祉改革と権利保障」
 『社会福祉学』39巻2号 pp.1-14
◆19990331 「障害者運動の組織とネットワーク――日本における障害当事者団体の歴史と展望」
 関西大学経済・政治研究所『研究双書 第112冊 組織とネットワークの研究』pp.87-105(第3章)

[上記以外の専門領域活動及びその他の活動]

1.調査報告(資料)「盲学校卒業生の生活実態および職業意識に関する調査の単純集計結果」
 『関西大学社会学部紀要』26巻1号 pp.133-142 1994.9
2.共同調査報告『視覚障害者の職場定着に関する調査研究』
 日本障害者雇用促進協会 1994.12
3.口頭発表 「流行の社会学~三つの『文化市場』」
 『関西大学経済・政治研究所産業セミナー年報』1995 pp.69-102 1995.12
4.口頭発表 「英国における障害者差別禁止法の意義と課題」
 大阪市立早川福祉会館『ピア大阪機会平等研究会』 1998.3


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◆20012019 みなさま

くさやまたろう@大体大短大部、です。

9月22日に行われた障害学研究会関西部会の記録です。
遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

第12回障害学研究会関西部会
2001年9月22日
報告者:杉野昭博
「ブレア政権の障害者政策と「第三の道」~ マクロ社会政策と「障害者」」
(於 関西大学 14:00~17:00)
司会:倉本智明

報告に関してはレジュメをご覧ください。

(以下、質疑応答の記録です)


A:杉野先生は報告の最後の方で、この前福祉モデルから権利モデルへという話をした時に福祉も悪くないという話をしたら袋叩きにあった、福祉という言葉は評判が悪いので権利というのをキーワードにしたほうがやりやすいということをおっしゃってました。日本の標準的な社会福祉のテキストには福祉は権利であると書かれているのに、なぜ日本の障害者運動をしている人たちはそういう発想になっていないのか?

B:いまの質問に関連して、その話を聞いて社会権を核にしたモデルから自由権モデルへ、つまり権利モデルというのはいわゆる自由権モデルかなと思ったがそういうことではないのか。

杉野:これまでの日本の社会福祉制度は、生存権保障を基本にして社会福祉が構成されるという体系になっている。たとえば、措置制度とは憲法で保障された生存権を実際に保障するためのサービスを供給するという建前になっているが、その一方で、生存権を保障されるべき福祉施設の中で虐待が起こったりしているなど、利用者の主観からは権利が保障されているというものからは程遠いという実態があった。つまり、福祉は建前では権利といっても権利として認識されていないという実態がある。そこに社会福祉学者は目をつむってきた。社会権中心のシステムから自由権中心への転換だと読みかえるのは間違いではないと思うけど、それでいいのかなと思う。

C:日本の社会福祉は家族主義型の残余的福祉モデルであり、福祉制度利用にはスティグマが付与されていると思う。障害者がそれを否定したのはそういう側面なのではないか。いまでも福祉は権利として保障されていないと思う。ところで、今日の杉野先生の報告を聞いていて、女性や家族のことを含めないとさまざまな国の福祉制度の違いの意味が明確に位置づけられないのではないかと感じた。北欧型とアングロサクソン型というのはそこが全然違うと思うが、レジュメをみるとそこがあまり評価されていない。障害者の権利の問題もあるが、そこに女性の社会参加の権利保障などの問題も絡んでいると思う。こういうことをどう考えるのか。ギデンズは脱近代家族のことを言っていると思う。つまり、性別役割分担にもとづく家族からの解放。その意味で多様な家族と言っているように思う。ブレア政権になってむしろ人権のグローバリゼーションとかかわりが大きくなってきているように思う。

B:「福祉モデルから権利モデルへ」という主張には、アイデンティティの政治のにおいがする。再分配の問題とアイデンティティ・ポリティクスの問題は、わけて考えるべきでは?

杉野:Bさんの言った意味がわかりにくい。

B:障害者が権利モデルを評価するのは、ひとつには、一人前の市民として扱われたいから。これは、アイデンティティ政治の問題である。それとマテリアルな分配の話とは、とりあえず分けて判断する必要がある。もちろん、どこかでつながってはいると思うが、分析の過程ではいったん分けて考えないといけないと思う。
杉野:障害者運動をやっている人がみんながそういう意見だと言うことではなくて、福祉モデルから権利モデルにかわることによってマテリアルな部分でのこれまで受けてきたものが削減されるのじゃないかと心配している人たちもいる。たとえば、差別禁止法と雇用促進法は、法律学的な視点からいうとまったく異質なものだから両立しないのではと心配している人もいる。一方で、福祉の対象にされるのは我慢ならんというのもある。ただ、雇用促進法の範囲のなかで個々の職場における差別的な処遇とかを防ぐということはできるだろうが、あまりその方向では考えられていない。それは、障害者運動を進める人たちが福祉モデルより権利モデルを選んでいるというのではなく、むしろ世の中の流れが差別禁止法のほうに行ってる。いま、その立法化がいわれているが、当事者運動からでてきたわけではない。ギデンズの民主的家族の概念はそのとおりだと思う。イギリスは男性優位で女性の視点がもともとない。北欧の制度を評価していないわけではなく、日本の場合はあまりにも北欧の評判がいいので。
C:それは最近のことではないのか。

杉野:福祉の世界では80年代からモデルになっていると思うが。

C:しかし、その割にはほとんど影響力がないし、論文などもほとんど目に触れない。1970年代以降、家族政策がどんどん変化したことから、あらためて注目されてきたのかもしれない。逆に、北欧は自殺率が高いというネガティブメッセージのほうが強かったように思う。それは、北欧が重要視されてきた反動かもしれないが。
杉野:日本の社会福祉学において北欧を最初にとりあげたのは一番ケ瀬先生だと思う。だいたい70年代の終わりから。

C:かつて11pmという番組があったが、そこで北欧は高所得者にも福祉サービスが与えられている、と紹介されていた。それが60年代終わりごろ。それからぱたっとなくなって、私が福祉に関心をもちだしたころに少しずつ注目されてきたという感じがする。だから、そんなに主流にはなっていなかったと思うが、福祉では主流なのか。

杉野:人によって見方は違うと思うが、日本の社会福祉学の中でスウエーデンモデルを最初に普及させたのは一番ケ瀬先生だと思っている。70年代後半から80年代にかけて一番ケ瀬社会福祉学は大きなひとつのパラダイムになったと思う。

B:ぼくは1982年に社会福祉系の大学に入学したがスウエーデン一色だった。ただ、日本の社会福祉学の中でスウエーデンというのはポリシーというレヴェルよりも老人ホームでのケアというミクロな部分、実践面が中心だったと思う。

C:社会学から社会福祉領域に入った者からすると、「福祉」という言葉にかかわる非常に特殊な使い方がわかりづらくさせている。それが福祉改革でも大きな障害になっていると思う。

杉野:ぼくも外から入ってきた時に、独学で日本の社会福祉学を読んでみたがさっぱりわからなかった。社会学は概念やモデルから出発している。建前上は、概念を学んだら現象が説明できる仕組みになっている。社会福祉学は逆のような感じ。概念を学んでも現象は説明できない。やっている人だけがわかるっていうのは、学問からすればいったい何なんだという話になる。社会福祉学の課題は、自分たちの扱っている事象や現象をどうやって概念化して他の人にもわかるように説明するかということ。あと、学問と行政が互いの縄張りを侵さない関係にあることも問題だと思う。社会福祉学は現場の実態に関係なく勝手に福祉を概念化している。一方、行政は、人員配置と施設設置の基準だけ示して、実際の福祉の中味については各社会福祉法人の解釈にまかしてる。ただ、北欧の制度については、男女の平等という指標においては世界的にも高いレベルにあるが、それは社会福祉学のなかではほとんど触れられていない。在宅福祉とかノーマライゼーションとかばかりがスウエーデンモデルとして語られてるが、実際は北欧の巨大施設に対する反動で在宅福祉がでてきている。そういうことが社会福祉学ではなかったことにされている。そういうことがあるので、北欧というと何か言いたくなる。北欧は女性に関してはよくできていて、イギリスのほうが差別的。なぜ、北欧で女性の地位がそれだけあがったかというと、職業的な地位ということが先にあると思う。

C:北欧も女性差別撤廃条約を推進していった大きなひとつの核だが、あそこは理念を実践していくような国。かつてはそうではなかった。女性が一番よく働いているのは公的部門。それは何かというと福祉サービス部門。働いているからそうなったのではなく政策が先だったと思う。政策が変わるというのはとても大きな意味がある。だからこそ大切にしないといけない。日本の場合、外から見ると社会福祉学と社会政策学との関係がよくわからない。断絶した関係になっていることこそ、日本の悲劇があるのではないか。

杉野:いままでの社会福祉学は実践論中心で、制度政策というのはまた別。制度政策なしの実践はあり得ないし、それを知らずに実践研究するのも不可能。逆に、実践を知らずに制度政策もできない。そこがイギリスなどでは相互作用がうまく行っている。日本は、制度政策は経済学、実践は社会福祉学というタテ割りで、触れあわないところがある。

D:日本の社会政策学の場合、経済学者中心だったためか、あるいは研究者は男性が多いということもあるのか分からないが、労働政策中心だった。これまで杉野さんが言われた政策というのは社会政策学会ではほとんどなかった。

E:インクルージョンとイクスクルージョンだが、ブレア政権の基本施策の背景として、レジュメにア.英米特殊教育における「インクルージョン」というのとイ.EU社会政策における「社会的排除」問題の2つがあると書いてあるが、イ.はフランスの社会保障論からでてきたものだと思う。この2つの背景は噛みあいにくいという印象を受けた。「社会的排除」論はあいまいな概念であるという指摘が多い。それを言う人、国によって内容が少しずつ違っていると言われている。イギリスの場合は、社会的排除を貧困、ポバティと同じような意味で使っている傾向があるという指摘がある。もうひとつは、イギリスの排除から統合への施策をみていると労働市場中心だとする批判がある。他の国ではあいまいな言い方だが市民社会への参入させる、例えばレジャーへの参加だとかというものも含めて考えるということも言っている。ブレア政権の社会的排除ということで、今回の障害者の雇用という見方がされているのかなと思った。

杉野:もともと新労働党はEUとの協調を意識していた。その経緯から言うと、EUの社会的排除問題から来ていると考えるのが当然だと思う。英米特殊教育と書いたが、教育全般だと思う。教育改革でのインクルージョンという言葉は、イギリスでも90年代の中ごろから入ってきた。言葉のイメージからいうとインクルージョンという言葉自体は、ブレア政権の前からイギリスで流行していた。だから、全然関係ないことはないと思う。この問題は基本的には社会解体の問題だと思う。グローバリズムによる社会解体というのがEU諸国で問題になっていて、イギリスの場合は若者の長期の失業問題などを政府は心配している。そういう問題を解決というのをインクルージョンだと考えると、社会的排除というのはポバティになるのだと思う。昔の労働党の平等化をインクルージョンと置き換えているが、ポバティも含めないと旧労働党の支持層もとりこめない。そういう側面もある。失業は恥ずかしくない、アンペイドワークも大事なんだという考えが、フランスなどにはあるけどイギリスにはあまりない。ギデンズはヨーロッパ的な発想をアクティブ・シティズンシップとしてイギリスで評価しようとしているように思える。ギデンズはインクルージョンはシティズンシップの実現だといういい方をしている。シティズンシップとは社会権。だから、むしろ社会権モデルから自由権モデルへというよりも、生存権モデルから自由権モデルまたは社会権モデルといういい方のほうがいいのではと思う。

B:第2経済的なものというのはどういうものをイメージしているのか。グローバリズム自体の結果として生まれてくるものなのか、オルタナティブなものとして立ち上がってくるものなのか。

杉野:グローバリズム結果として必然的に第2経済が生まれることはない。政府が意図的にグローバル市場とは別の地域的な経済をシステムとしてつくっていかなければならないだろう。

B:ということは、反グローバリズムとしてではなく、システムの一部というかそれを補完するものとしてか。
杉野:ギデンズが言ってるのはそういうことだと思う。

E:第2経済の担い手というのが、低賃金で不安定な雇用関係という第2労働市場的なものをイメージしてしまうが。

杉野:不安定という意味では第1労働市場も同じ。福祉に依存しながら、たとえば、イギリスでは生活保護を受けながら白タクやっている人がたくさんいる。そういうのと、一般の労働市場に参加して賃金を受けるのとでは白タクやっているほうが収入が高くなる。アンダーグラウンドな話だが。どちらかというとそういうイメージ。グローバル化というのは本格的にすすむと一般の労働がそれぐらい低賃金になってしまう。

C:それはネットワーカーなど、地域福祉で語られることでは。

杉野:広い意味では地域福祉という概念のなかの話だと思うが、これを地域福祉の問題ととらえる柔軟性はいまの日本の社会福祉学のなかにはない。

F:イギリスにいた経験があるが、メイジャーからブレアに変わるとき、労働党なのだから現場のソーシャルワーカーは自分たちの地位があがるのではとかもっと予算が増額されるのではと期待したが、目立った変化はなかった。メイジャー時代は働かなくても生活できるというところに限界があったが、それを労働市場を創出することによって働くようにしていったところにブレアの力強さを感じる。G:基本的な質問だが、インクルージョンとは結局どういうことなのか。インクルージョンを、障害児も健常児も場は同じだが個別の援助は自分で解決しなさいということへの反発として、一人一人個別のニーズに対して援助をする、援助付きの共生に重きを置くという、特殊教育における意味で理解していたので、整理がつかない。もう少し詳しく説明して欲しい。

杉野:日本の社会福祉の中ではインクルージョンという言葉は知的障害児の教育、知的障害者の福祉として入ってきている。どうやって援助つきで統合していくのか等統合教育の積み残してきた課題のために。だが、イギリスとかアメリカでは、落合さんによると、知的障害児の教育の問題からでてきているのではなく、日本で言う学級崩壊問題に対する対応策としてでてきた。だから、そういう意味ではEU政策の社会的排除が国家の分裂の危機に際して国家統合を強めていこうというのと学級崩壊に対して学級統合をしていこうというのは、かなりマクロとミクロの差はあるがパラレルな部分はある。EUではインクルージョンという言葉は使っていない。

E:フランスではインサーションいう言葉を使ってると思う。EUはイクスクルージョンとインサーションを対にしている。
杉野:そうならば、ブレア政権の場合、特殊教育における「インクルージョン」についてはあまり関係ないかもしれないが、個人的にはもう少し後者について調べてみたい。

C:インクルージョンとイクスクルージョンは対概念。「排除(イクスクルージョン)」は「差別」に近いと思う。人権の保障がインクルージョンではないかと思う。

D:いままで労働党が平等不平等といってたのをインクルージョン、イクスクルージョンと言い換えた。言い替えで何が出てくるのかというと、不平等の中に許されない不平等と許される不平等があるということが、この裏にはあるように感じる。これまでは表面上許されなかった不平等の何が許されるようになったのか、ということに関心がある。ブレアの障害者施策を障害者がどう見ているのかという話を聞かせて欲しい。レジュメの悲観的見方、楽観的見方ということに関わると思うのだが。

杉野:ブレア政権が考えている「許されない不平等」は「機会不平等」で、「許される不平等」は「結果不平等」だと思う。だからこそブレア政権は「平等化=インクルージョン政策」として教育政策にもっとも力をいれているわけで、そこに私が英米教育における「インクルージョン」と新労働党政策のインクルージョンとの関連にこだわる理由がある。ブレア政権に対する障害当事者のスタンスについては、メイジャー政権最後の1995年にDDAが成立。障害者運動家は成立のためにデモンストレーションをかなり行った。このDDAは労働党の市民権法案と保守党の2つの法案が競いあったが、オリバーなどの障害学者は前者をおしていた。市民権法案は雇用率制度と差別禁止法を両立させようとしていた。保守党の方はアクセス権の重視が特徴だが古い車両等には適用しないとしていたため、100年以上走っている地下鉄とかをみても長い年月がかかることがわかる。そのため、障害者団体は保守党のDDAには失望した。このように、DDAはアクセス権では空振りに終わっている。ブレア政権は、当初、障害者の市民権を認知して差別禁止法も強制力の強いものとすることを障害者に約束していたが、政権発足後は障害年金削減案が出たり、DDAの改正も遅々として進まないことに、政権への不信感を強めている状況だと思う。
(以上)


*増補:北村 健太郎
REV:...20040415, 20070627, 20100510, 20170727
病者障害者運動史研究 ◇「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」
障害者と政策  ◇社会モデル  ◇社会政策  ◇障害学  ◇WHO  WHO 
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