「「障害」をインペアメントとディスアビリティという2つの次元に分けて考えて,社会的に形成されるディスアビリティについて社会的責任を追及していくというイギリス障害学の社会モデルの考え方は,もともと1970年代に「隔離に反対する身体障害者連盟」Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)3)によって採用された障害の定義を基盤として発展したものである.その意味でイギリスの社会モデルは,障害者運動実践のなかで形成された概念であり,その主旨は,障害者個人に問題の責任を帰するのではなく,障害がもたらすさまざまな問題を社会の問題として社会的解決を模索する方向に,障害者の意識と健常者社会全体の意識を転換させていくことだった.」(杉野[2007:117]*)
「3) 1960年代後半,イギリスの障害者施設のなかでも「進歩的」と目されていた「チェシャーホーム」の一施設である「ル・コート」において,施設入居者による自治活動が施設批判へと展開し,ついには入居者による施設の「自主管理」という「異常事態」へと発展する.この運動の中心となったのが入所者のポール・ハントだった.その後チェシャーホームの経営側による「正常化」によって,ハントは施設を退去する.そして彼は1972年に,全国紙『ガーディアン』の投稿欄にて施設批判を展開し,施設入所している障害者たちに対して利用者主権運動の結成を呼びかけた.このハントによる呼びかけに呼応した人々によって結成されたのが「隔離に反対する身体障害者連盟」Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)である(杉野昭博 2002a).」(杉野[2007:155]*)
「4) UPIASが1976年に発表した歴史的文書Fundamental Principles of Disability(『障害の基本原理』)は、オリバーによって編集されたバージョンではあるが,Oliver(1996a:21-28)に一部が再録されている.フルテキストは,リーズ大学のCentre for Disability Studiesのホームページからダウンロードできる.」(杉野[2007:155]*)
「5)アメリカの自立生活運動においても,イギリス障害学の個人モデルと社会モデルとよく似た,「リハビリテーション・パラダイム」と「自立生活パラダイム」という二元的な分類がおこなわれている.2つのパラダイムの相違は,問題の所在を障害者個人に求めるのか,環境要因に求めるのかという違いにあることが強調されている(DeJong 1983:20-25).また,日本においては,こうした自立生活パラダイムが1980年代に輸入されるなかで,「変わるべきは個人でなく社会である」(ibid. :21-22)といった主張が広がったのだが,それに先行する1970年代における「青い芝の会」などによる障害者解放運動と,その「健全者文明」批判が,障害問題の社会的責任追及の先駆となっていた.」(杉野[2007:155]*)
*Davis, Lennard J. ed. 2010 The Disability Studies Reader, Third Edition, Routledge, 672p. ISBN-10: 0415873762 ISBN-13: 978-0415873765 [amazon]/[kinokuniya] ※ ds.
*Oliver, Michael 1983 Social Work with Disabled People, London : Macmillan.
*Oliver, Michael 1996a Understanding Disability : From Theory to Practice, London : Macmillan
*杉野 昭博 20070620 『障害学――理論形成と射程』,東京大学出版会,294p. ISBN-10: 4130511270 ISBN-13: 978-4130511278 3990 [amazon]/[kinokuniya] ※ ds
*Shakespeare, Tom 2010 "The Social Model of Disability", Davis ed.[2010:266-273]
◆Oliver, Michael 1990 The Politics of Disablement, Macmillan, 152p. ASIN: 0312046588 [amazon]=20060605 三島亜紀子・山岸倫子・山森亮・横須賀俊司訳,
『障害の政治――イギリス障害学の原点』
,明石書店,276p. ASIN: 4750323381 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ ds
◆Morris, Jenny, 1992, "Personal and Political: a Feminist Perspective on Researching Physical Disability," Disability, Handicap and Society, 7(2): 157-66.(星加[2007:27, 63]で言及)
「ヒューズとパターソンは、「社会モデルにおいては、身体はインペアメントないし身体的機能不全と同義である。それは、少なくとも含意としては、純粋に生物学的に定義されるのだ。身体は非歴史的である。それは本質的で、時間を持たず、存在論的な基礎である。したがって、インペアメントはディスアビリティと対極的な性質を持つことになる」(Hughes and Paterson 1997: 328-9)と述べ、「社会モデル」によってディスアビリティには社会的排除が、インペアメントには生物学的機能不全が割り当てられ、インペアメントが本質化されたと主張する。その上で彼らはインペアメントが本質的に定義されることを拒絶し、インペアメントの社会的構築性を指摘するのだが、社会的文脈においてインペアメントとディスアビリティとがどのように関連しているのかについての理論的探求はなされていない。」
障害の社会モデルに向けて
1970年代、1980年代の間、障害の個人・医学モデルに対する障害者活動家や障害当事者組織からの批判の声はますます高まってきた。障害の社会的アプローチとして知られるようになったものの発展に際して、イギリスの障害者は、インペアメントのある人々を無力化するのは社会であり、それゆえ何らかの意味のある解決方法は、個人の適応やリハビリテーションというよりは、むしろ社会的な変化へと向けられるべきだということを主張した。個人的・医学的アプローチに対する社会モデルのしっぺ返しは、「ディスアビリティは麻疹ではない」(Rioux & Bach, 1994)ということである。
隔離に反対する身体障害者連盟Union of the Physically Impaired Against Segre-gation(UPIAS)は、障害の新たなモデルを要求する人々の先頭に立った。UPIASの声明書である『ディスアビリティの基本原理』Fundamental Prin-ciples of Disability(UPIAS, 1976)において、UPIASはディスアビリティの責任を、直接に社会の失敗においた。「私たちの考えでは、身体的にインペアメントのある人々を無力化するのは社会なのである。社会から不必要に孤立させられ、社会への完全参加が阻まれることによって、私たちはインペアメントに加えてディスアビリティを課されている。したがって障害者とは、社会のなかで抑圧された集団なのである」(UPIAS, 1976: 14)。
インペアメント、ディスアビリティ、ハンディキャップという三つの密接な関係は、UPIASが提示するモデルにおいては否定される。社会モデルはインペアメントについての医学的定義をほぼ受け入れる一方で、ディスアビリティの意味を次のように示した。
「障害の社会モデル(social model of disability)は、医学モデルが心身の機能的問題の側面を重視することを問題にしている。このモデルは「社会参加の機会が平等で、差別がないかどうか」という見方を基礎にすることで、「社会」そのものを見る対象とし、不平等で差別的な社会の構造や制度、人々の態度を障害と捉え、不平等な社会(障害のある社会)を平等な社会(障害のない社会)へとすることを目標とする。
社会モデルは、障害を「心身機能に障害をもつ人のことをまったくまたはほとんど考慮せず、したがって社会活動の主流から彼らを排除している今日の社会組織によって生み出された不利益または活動の制約」と定義する。つまり、障害とは個人の機能・能力障害ではなく、人々の社会参加を阻害する社会の障壁なのである」(p.72)
「個人モデル」から「社会モデル」へ
障害学の大きな成果の一つに、「ディスアビリティの社会モデルsocial model of disability」(以下、「社会モデル」)の提起がある。あえて強調するなら、この「社会モデル」の認識枠組みを共有しているかどうかが、それまでの(あるいはその後も存在し続けているその他の)障害研究と障害学との分岐点であるといっても過言ではない【注1】。
この「社会モデル」は、障害の問題とはまず障害者が経験する社会的不利のことなのでありその原因は社会にあるとする、障害者解放の理論的枠組みであり、従来の「ディスアビリティの個人モデルindividual model of disability」(以下、「個人モデル」【注2】)において、障害の身体的・知的・精神的機能不全の位相がことさらに取り出され、その克服が障害者個人に帰責されてきたことに対する、当事者からの問いなおしの主張を反映したものである(Oliver 1990=2006, 1996a; 長瀬 1999; 倉本 2002)。この障害をめぐるパラダイムシフトによって、従来個人の機能的特質に起因する「個人的 individual」な問題として扱われてきた障害者問題は、社会的な解決が進んでいないことのみならずその発生が社会に源泉を持つという意味で、きわめて「社会的 social」なものとしてクローズアップされてきたのである。ここでは、「社会モデル」の提起によって駆動された障害認識の転換の要点を確認しよう。
「個人モデル」から「社会モデル」へのパラダイムシフトの意義を端的に述べれば、それは障害問題の焦点をインペアメントからディスアビリティに移行させたことにあると言える。従来ディスアビリティの原因は身体的・知的・精神的機能不全であり、個人に内属するものとして捉えられてきた。手足が動かないこと、目が見えないこと、耳が聞こえないこと等々から直接不利益が生まれているというわけだ。したがって、ディスアビリティの問題とはそのままインペアメントの問題であり、これらへの対処策は、まず第一義的には、そうした機能不全を「治療」し、少しでもその機能を高めることであり、それが難しい場合には、そうした機能を補うための技法や振舞を障害者本人が身につけることであった【注3】(Oliver 1990=2006)。こうしたディスアビリティへの対処は、主に医療や教育の場でなされるものとされ、障害研究もこれらの領域の中でのみ行われることとなった。
この認識枠組みは、WHO(World Health Organization、世界保健機関)が一九八〇年に示したICIDH(International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps、国際障害分類)にも基本的に引き継がれている。以下の定義を参照されたい。
原因帰属をめぐる認識論的転換
前項で、従来のディスアビリティ理解において、ディスアビリティを不利益の集合として捉える認識が共有されていることを述べた。では、「社会モデル」はそうしたディスアビリティ理解の中で、どのような水準における理論的貢献を行ったことになるのか。ここでは、オリバーの議論を手がかりにこの点について検討しよう。
オリバーはディスアビリティ理論の射程を存在論的レベル、認識論的レベル、経験的レベルの三つに分割し、それぞれの主要な問いは、ディスアビリティの本質natureとは何か、その原因は何か、それはいかに経験されるのか、であると論じている(Oliver 1996a)。オリバーによれば、これら三つのレベルは相互に影響関係を持ちながら、ディスアビリティの全体性totalityないしヘゲモニーを形作ることになる。資本主義社会における経済的・社会的排除の結果として、「ディスアビリティは、医療的処置を必要とする個人的な問題という特定の形式において生産されている」(ibid.: 127)のだが、この生産の形式は三つのレベルの想定や解釈と深く結び付いているという。たとえば近代資本主義社会においては、「病理学的で問題指向的」(ibid.: 129)であるという存在論的な想定は、介入や治療や処置を要するものを諸個人の中に見出そうとする認識論的関心と直接結び付き、そしてこれらの結果、健常者も障害者も「個人がおかしい」という形でディスアビリティを経験するようになるのである。これに対して近年では、存在論的レベルにおいて「ディスアビリティの問題指向的な本質を否定しはしないが、病理という想定を否定し」(ibid.: 129)、認識論的レベルにおいて「ディスエイブリングな障壁と社会的制約の除去に関する社会の失敗」(ibid.: 129)に原因を求める転換が生じ、経験的レベルでも「社会がおかしい」ものとしてディスアビリティを捉えるようになったとされる。つまり、三つのレベルそれぞれにおいてディスアビリティ理解の転換が起こったということなのだ。
この主張の意義を了解した上で、「ディスアビリティの社会モデル」の提起がどのレベルにおいて最も大きなインパクトを与えたのかといえば、それは原因帰属をめぐる認識論のレベルにおいてであると理解するのが適切だろう。このことをオリバー理論の検討を通じて明らかにする。以下は、オリバーが一九八〇年代に行われたOPCS(Office of Population Censuses and Surveys、国勢調査局。一九九七年よりOffice for National Statistics、国民統計局)の調査項目に対して「社会モデル」の立場から示した対案のリストの一部である。それぞれの項目における対比が、「個人モデル」と「社会モデル」との基本的認識の差異を示すものとして提示されている。
「個人的な経験」としてのインペアメントが、障害の問題の中心的な位置を占めるものとして社会的なアリーナにおいて主題化されなければ、その否定性は「個人的非難や責任」として経験されることになるのだという。ここには、ディスアビリティ経験と同様にインペアメント経験についても社会的な位置付けがなされることを求める理論的動機が伺われる。この種の議論には、「社会モデル」のインペアメントへの拡張を図ろうとする議論【注15】(Hughes and Paterson 1997)への志向性を読み取ることもできる。
こうした批判に対する「社会モデル」の論者たちの応答は、次のようなものである。オリバーは、自らの理論に主観的・個人的次元が欠けているという批判に関して応答を試みる中で、「社会モデル」の意義を、「医療的あるいは他の専門的な処置によってではなく集合的行為によって変化させうるようなイシューを、同定し提示するプラグマティックな試み」(Oliver 1996a: 38)である点に求め、依然としてディスアビリティを個別的でindividual個人的なpersonal問題と捉えている今日の社会においては「政治的であることの代わりに個人的であることを強調するのは危険なのだ」(ibid.: 3)と主張する。さらに、「社会モデル」が多様な背景を持つ障害者が直面する多様な抑圧経験を問題にし得ていない点への批判(Morris 1991; Hill 1992; Hearn 1991)については、そうした批判の妥当性を認めた上で、ディスアビリティ理論はいまだ発展途上なのだという消極的な弁明を行っている【注16】(Oliver 1996a: 39)。また、ラエは、「社会モデル」はインペアメントのためにすべての障害者が関わることになる不正義を示すものであって、障害者はそれによって社会変革のための闘いの道具を手にするとともに、特定<0064<のインペアメントに関わる個人的なニーズはその中で満たされることになるのだと主張する。彼女によれば、「社会モデル」はモリスがいうように「個人的な経験」についての議論を封じているわけではなく、それが公的な領域の外部でなされることを求めているのだということになる(Rae 1996)。
またバーンズは、「社会モデル」がインペアメントを包摂する枠組みたり得ていないこと等に向けられた批判に対して、それらの多くが誤解に基づいた「神話」であるとして再反論を試みている。彼によれば、「社会モデル」の焦点は「障害者を社会のメインストリームから排除している環境的・社会的障壁」であり、「社会による障害者のニーズへの対応の失敗」について問題にしているのであって、障壁の除去によってインペアメントにまつわる問題がすべて解消されるなどと言っているわけではない。また、インペアメントの経験は固有で多様なものであることから、インペアメントを「社会モデル」的に考察することが困難であることが指摘される(Barnes 1996)。さらに、シェイクスピアは次のように論じている。
[…](Shakespeare 1992: 40、引用済)<0065<
すなわち、オリバーと同様、理論の持つ実践的でパフォーマティヴな効果を考慮して、インペアメントへの言及を戦略的に回避すべきであると主張するのである。個人的な身体との結び付きを持たないものとしての社会的要因を「ディスアビリティの真の原因」であると捉える認識枠組みを維持しつつ、「身体的な制約」としてのインペアメントとディスアビリティが認識論的に結び付きうるのかどうかという論点はあえて主題化せず、「個人モデル」的な認識枠組みへの回帰の危険性を回避するという実践的な動機に、ディスアビリティの認識論を従属させていると言えよう【注17】。また、「社会モデル」の評価をめぐる障害者内部の対立は相対的にはマイナーな点に過ぎず、それよりもディスアビリティについての社会的分析を促進することにプライオリティを置くべきであるとも主張される(Shakespeare and Watson 1997)。
このように、「社会モデル」の側からの応答は主に、インペアメントの存在を否定しないがそれは理論の射程ではない、というものであって、インペアメント経験を含む個人的で個別的な経験がディスアビリティとどのように関係しうるのかについて、踏み込んで論じるものはない。両者の関係が主題化される場合であっても、たとえば以下のように、相互の独立性を強調するに留まっていると言っていいだろう。
社会モデルほど,日本において安易に消化され,使い捨てられようとしている障害理論はないだろう。2005年に至るまでゾラの著作もオリバーの著作もいずれも翻訳されていなかったし,その理論を紹介したものもけっして多くはない。にもかかわらず,誰もが社会モデルを知っているような前提で議論がなされている。その理由は,先に述べたように,「変わるべきは障害者ではなく社会である」という主張自体は,すでに日本においても1970年代から主張され始め,1980年代には共生やノーマライゼーション,あるいは「障害個性論」といった理念とともに広く普及していたからである。しかし,これら1980年代以降の「新しい障害者福祉理念」と,障害学の社会モデルとが決定的に異なる点は,それらが援助実践における目標理念にすぎず,その前提となる「障害」とは何かという認識論的課題に踏み込んでいなかった点である。すなわち「障害は個性だ」と主張した障害個性論にしても,ノーマライゼーションにしても,共生論にしても,「障害」を個人のインペアメントとしてとらえており,それを社会の差別や障壁といったディスアビリティとしてはとらえていない。このように,「障害」をインペアメントという個人レベルでとらえるだけで,その社会的次元をとらえなければ,「障害者をありのままで受け入れる」ことの社会的責任が曖昧となり,結果的に受け入れ努力は努力目標に終わってしまう。たしかに,障害者個人の適応努力のみを求めた旧来のリハビリテーションや障害者福祉に比べると,1980年代以降の「新しい障害者福祉理念」は,社会の側の受け入れ努力を謳っている点が「新しい」のかもしれないが,社会的責任の根拠が曖昧で,それを義務づける仕組みが担保されていなければ絵に描いた餅に終わってしまう。結局,「新しい障害者福祉理念」は,障害者が苦労しているのは社会のせいであり,悪いのは社会なのだということをはっきりと明言できなかったのであり,そこにこそ限界があった。これに対して,イギリス障害学の社会モデルは,「障害」をインペアメントという個人的次元とディスアビリティという社会的次元に切り離すことによって,社会的責任の範囲を明示した点にその真価がある。
「障害」をインペアメントとディスアビリティという2つの次元に分けて考えて,社会的に形成されるディスアビリティについて社会的責任を追及していくというイギリス障害学の社会モデルの考え方は,もともと1970年代に「隔離に反対する身体障害者連盟」Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)3)によって採用された障害の定義を基盤として発展したものである。その意味でイギリスの社会モデルは,障害者運動実践のなかで形成された概念であり,その主旨は,障害者個人に問題の責任を帰するのではなく,障害がもたらすさまざまな問題を社会の問題として社会的解決を模索する方向に,障害者の意識と健常者社会全体の意識を転換させていくことだった。