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最首 悟

さいしゅ・さとる

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最首塾


・1936年生
・東京大学助手→

■新着

◆2014/01/30 「東大紛争 45年目の真実」
 『クローズアップ現代』,NHK総合 19:30〜 (01/31) 0:10〜
 http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/#3461

◆最首 悟 20100303 『「痞」という病いからの―水俣誌々パート2』,どうぶつ社,341p. ISBN-10: 4886223435 ISBN-13: 978-4886223432 2200+ [amazon][kinokuniya] ※ m34.



◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

 第1章「前史・既に言われたこと」第6節「分の悪い人たちのこと」
 「そして、大学闘争の前の世代であったり、大学闘争に関わったりしつつ、後には大学にも学会にもさして関わらないところにいた人たちがいる。例えば毛利子来(一九二九〜)、最首悟(一九三六〜)、山田真(一九四一〜)、石川憲彦(一九四六〜)、といった人たちがいる。石川は東大の病院で長く働いていたが、毛利はかつては今とは違って貧乏な人たちが多かったという原宿で診療所をやっており、山田は(徳洲会病院の院長に誘われたことがあったことを聞いたことがあるが)東京都八王子市で診療所をやっている。その人たちは「一般人」向けの本を書いたり雑誌に関わったりしている。それらは石井らの本にはほとんど現れてこない。同じ時代に、似たようでもあるが――しかしそこには理由もあって――交わらなかった部分もまたあったということだ。そうした差異やずれに着目して、この分野・業界の現代史を見ておく必要がいくらかはあると考えて本書を書いている☆25。」(立岩[2013:58])

 「☆25 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」(最首[1969])という気負った文章があり、同年の雑誌『現代の眼』(三月号)での座談会(最首他[1969])での発言が吉本隆明に批判されて最首はへこんだりする。
 「私は、一九六九年に、当時教祖的存在だった吉本隆明から「この東大助手には、〈思想〉も〈実践〉も判っちゃいないのです」〔吉本隆明「情況への発言」、『試行』二七号、一九六九年三月、一〇頁〕というご託宣を受け、落ち込みましたし、考え込みました。「わかっちゃいない」と言われれば、「わかりたい」と思います。しかし「わからない」まま時間は過ぎてゆく。努力していないと言われるとそれまでです。しかし、密かに大きくなっていった意識は、「思想も実践もわかったらどうするのだ」ということでした。」(最首[2013:287]、その文章は吉本の同じ題の本(吉本[1968])には、それは六八年に出されたのだから当然だが、収録されておらず、吉本[2008]に収録されている、そしてその同じ「ご託宣」のことは『図書新聞』の吉本追悼特集に最首が寄せた文章(最首[2012])でも言及されている。)」(立岩[2013:368-369])

◆立岩 真也 2013/11/18 「『私的所有論』の登場人物5(最首悟・続)――連載:予告&補遺・25」
 生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html

◆立岩 真也 2013/11/11 「『私的所有論』の登場人物4(最首悟)――連載:予告&補遺・24」
 生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html

◆立岩 真也 20130520 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版,973p. ISBN-10: 4865000062 ISBN-13: 978-4865000061 1800+ [amazon][kinokuniya] ※

◆最首 悟 20130222 「「いのち」から医学・医療を考える」,高草木光一編[2013:235-315]
*高草木 光一 編 20130222  『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』 ,岩波書店,400p. ISBN-10: 4000258788 ISBN-13: 978-4000258784 4000+ [amazon][kinokuniya] ※

◆最首 悟 2011/10/01 「技術労働についてのまったくの序」,『現代思想』39-14(2011-10):108-113

■著書

◆19841105 『生あるものは皆この海に染まり』
,新曜社,378p. ASIN: B000J71NW8 2200 [amazon] ※/杉並378 m34. e19.
◆19880420 『明日もまた今日のごとく』,どうぶつ社,246p. ISBN-10: 4886222412 ISBN-13: 978-4886222411 1800 [amazon][kinokuniya] ※/本郷S10-1313 m34. e19.
◆19910905  『半生の思想』,河合文化教育研究所,河合ブックレット21,79p. ISBN-10: 4879999202 ISBN-13: 978-4879999207 530 [amazon][kinokuniya][kinokuniya][bk1] ※
◆19910511 『水俣の海底から 「終われない水俣展」講演録』
 京都・水俣病を告発する会, 69p. 500円
◆19980530 『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』,世織書房,444p. ISBN-10: 4906388655 ISBN-13: 978-490638865 3780 [amazon][kinokuniya] ※ e19.
◆20011204 『お医者さんになろう医学部への小論文』
 駿台文庫,202p. ISBN:4-7961-1571-4 1680 [amazon][kinokuniya][kinokuniya][bk1] ※
◆最首 悟・盛口 襄・山口幸夫 編 20011215 『理科を変える、学校が変わる』
 七つ森書館, 261p. ISBN4-8228-0150-0 2000円+税 [amazon][kinokuniya] ※
◆最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』,作品社,368p. ISBN-10: 4861821657 ISBN-13: 978-4861821653 2940 [amazon][kinokuniya] ※ m34.


◆2006/03/11 最首悟講演会

日時 3月11日(土) 15時〜18時(この後懇親会を予定しています)
場所 葉山 工房 杢ギャラリー
    JR逗子駅より「衣笠」行きバス乗車 「上山口小学校」下車
    バス時刻表 逗子発 13時40分 14時11分 14時40分です。
    間に合わない場合はご一報下さい。
    会費 お志を
    工房 杢連絡先 046-878-9153
    出席される方は事前にご連絡ください。

■1962〜

◆1962   「それでも壁をたたきつづけねばならぬ 山崎修太君推薦のことばとして」
 1962年、駒場自治会委員長に立候補した山崎修太氏(大正行動隊に参加)を推薦する選挙ビラ。
◆掘米 庸三・菊地 昌典・最首 悟・藤沢 靖介・山本 義隆・岸本 誠・平山 基生 19681117 「座談会 研究・教育の場の疲弊と復興」
 『朝日ジャーナル』(特集・大河内総長の辞任――“権威”の崩壊) 1968年11月17日:114〜121 ISSN:05712378
◆19690119 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」
 『朝日ジャーナル』(非常事態宣言下の東大・その2) 1969年1月19日:99-103 ISSN:05712378
◆19690615 「自己否定のあとに来るもの」
 『朝日ジャーナル』(造反教師その1) 1969年6月15日:6-11 ISSN 05712378
◆最首 悟・遅塚 令二・上野 豪志・井上 望・安野 真幸・桜井 国俊 196903 「知性はわれわれに進撃を命ずる」
 『現代の眼』(全特集・東京大学――炎と血の岐路) 1969年3月号Vol.10, No.3:86〜99 ISSN:0435219X
◆19700426 「一般教育・その二重の幻」
 『朝日ジャーナル』(特集・混沌のうちの’70年新学期・その3) 1970年4月26日:17-22
◆高 史朗・最首 悟 197402 「≪党≫の神話と差別・抑圧――人間の復元力とは何か」
 『情況』1974年2月号:26-36
◆198003  「不知火海へ――調査行の私的起点――」
 『現代の眼』1980年3月号
◆19800925 「地域と障害者」
 『季刊福祉労働』08:155-164 ※
◆19830310 「不知火海沿海漁業の移り変わり――芦北郡女島の巾着網漁について」,『水俣の啓示 不知火海総合調査報告(上)』(色川大吉編・筑摩書房1983年)
◆19830310 「市井論文への反論」
 『水俣の啓示 不知火海総合調査報告(上)』(色川大吉編・筑摩書房1983年)
 http://www.geocities.jp/saishjuku/ichii.html
◆19830503 「平等と画一の違いを教えたい」
 『朝日新聞』 1983年5月3日掲載
◆最首 悟・平井 玄 19840203 「対談 持続する「何のために」の問いかけと志」
 『朝日ジャーナル』(いま「安田砦」を掘り起こす――東大闘争から15年――)1984年2月3日号 VOL.26 NO.5:10-14
◆198402  「ぼくが自己否定のビラを書くまで」
 『ペンギン・クエスチョン』(特集 60年代を知らずして・・・・・・) 1984年2月号:17-19 ※
◆19850925 「なぜ、今の学校をこばむのか」
 (古川清治氏の「対話と討論」に応えて・第2回)
 『季刊福祉労働』28:103-107 ※
◆19860126 「少数者見つめる社会を」
 『朝日新聞』オピニオン欄 1986年1月26日朝刊:4
◆19860430 「責任と償い」
 『水俣MINAMATA 終わりなき30年――原点への転生へ』[写真集](桑原史成・径書房1986年:170-173)
◆19860530 「家族のきずな――障害児の親の立場から」
 芹沢他[1986:123-162]
◆最首 悟・竹田 青嗣・加藤 典洋 198608 「座談会「漂私」の共同体」
 『文藝』(特集さまざまな在日)1986年8月号25(3):289-311
廣松 渉・最首 悟・今村 仁司 19880610 「座談会=パリ五月革命から20年 転換への太い流れの始まりかあるいは結局は「ゼロ」なのか」
 『朝日ジャーナル』1988年6月10日号:74-78 ISSN:05712378
◆新井 素子・最首 悟 1987 「生物一般」
 『新井素子の?教室』(聞き手 新井素子・徳間書店1987年)
◆19880624 「「技術=科学」を盲信する学者の姿勢と資格をまず疑ってみよう」
 『朝日ジャーナル』1988年6月24日号(多角分析 「東大問題」の処方箋 第四回):84-87

◆19920120 「水俣の傷み」
 『人間の痛み』(山田宗睦ほか共著・風人社1992年 ISBN4-938643-05-7:207-228)
 http://www.geocities.jp/saishjuku/0125_t.html
◆19930905-9, 11 「最首悟さん:1-6 (それから)」
 『朝日新聞』1993年9月5-9日、11日朝刊
 →*最首悟インタビュー連載。下記[引用]欄、呉智英『危険な思想家』参照
◆19931001 「書評『アイデンティティと共生の哲学』(花崎皐平著・筑摩書房1993年/平凡社ライブラリー2001年)」,『情況』1993.10月号
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/8570/archive0112.html
◆199402  「権利は天然自然のものか」
 『愛育』1994年2月号→「義務と権利」,最首[1998]
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/8570/archive0101.html
◆19940825 「連帯を求めて一人であることを」
 『全共闘白書』(全共闘白書編集委員会編・1994年:445)
◆19961011 「私たちの病い、水俣病」
 『アサヒグラフ』(特集――水俣40年) 1996年10・11月号:24-25
◆19980925 「私にとってのパラダイム・チェンジ」
 『全共闘三〇年 時代に反逆した者たちの証言』(インタビュー 実践社・1998年:222-238)
◆19990807 「科学する」
 『駿台フォーラム』第17号:17-36 ISSN 0289-5579
◆秋山 仁・大島 保彦・奥井 潔・最首 悟 19990807 「特別座談会 教養教育のゆくえ」
 『駿台フォーラム』第17号:59-79 ISSN 0289-5579
◆最首 悟・牧野 剛・酒井 敏行・仲正 昌樹(司会) 200104 「座談会 学生(がくしょう)の共同体を求めて モラルの可能性」
 『情況』2001年4月号:36-54
◆20010501 「『教養』のゆくえ」
 『教育の可能性を読む』(インタビュー 情況出版2001年:303-309)
◆20011120 「そばに居ることから」
 『人権読本』(鎌田慧編著・岩波ジュニア新書2001年 ISBN4-00-500386-9:45-54)
小松 美彦・最首 悟 20021118 「「死の義務」と「内発的義務」」
 『対論 人は死んではならない』(小松美彦著・春秋社2002年 ISBN4-393-33215-6 : 231-274)
◆20021215 「講演会 水俣の課題」
 『恵泉アカデミア』第7号:16-36
◆20030520 「いのちとしか言えないようなものが這い上がっていく」
 『ガンのある日常――体験者18人のいのちの力』(影山和子編・NTT出版2003年) ※
◆20050825 「ケアの淵源」
 『ケアの社会倫理学――医療・看護・介護・教育をつなぐ』(川本隆史編・有斐閣選書2005年)
◆20060210 「石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』」
 『戦後思想の名著50』(岩崎稔,上野千鶴子,成田龍一編・平凡社2006年):375-384
◆20060320 「<最終講義>問学のあり方―ゾーンに生きる」
 『現代社会関係研究2006』第11号第1分冊:83-95 ISSN 1342-8896
◆最首 悟・篠原 睦治・堂前 雅史 20060320 「<鼎談>『現代社会と生命観』、最後の授業」
 『現代社会関係研究2006』第11号第1分冊:96-107 ISSN 1342-8896
◆20060404 「STUDENT REVOLUTION IN 1969 最首悟インタビュー」
 『SIGHT』(インタビュアー洪弘基) 2006年4月増刊号 VOL.27 SPRING 2006 : 14-21
◆「やましさと利己からのケア・介護」
 『月刊ブリコラージュ』2006年5月号 VOL.147:8-18
◆20061201 「情況への発言 水俣・和光大学展によせて」
 『情況』2006年11・12月号:41-46
◆20061209 「たゆみない活動は巨人というほかない 有用にかけてゆるぎない自負」
 『図書新聞』(追悼 宇井純) 2006年12月9日掲載 →宇井純
◆20070616 「包摂としての《?》」
 リンク先は滝沢克己協会総会・講演会(2007年度)での講演に最首悟が加筆修正したもの
◆20070722 「「公害に第三者なし」の厳しいテーゼ」
 『公明新聞』[日曜版](没後半年、「宇井純を学ぶ」会を終えて) 2007年7月22日掲載
◆20070801 「最首悟さんの講演会〜星子をかばって生きる」
 “JANJANニュース” 2007年8月1日掲載
◆200709  「あねさん、あねさん」
 月刊PR誌『未来』2007年9月号 No.492
◆20070906 「問われた個人の倫理 大量生産、大量消費の果てに」
 『毎日新聞』[文化 批評と表現]欄(40年前<政治の季節>を再考する) 2007年9月6日掲載
◆最首 悟・古賀 暹 20080401 「最首悟対談シリーズ@ 見えなくなった壁の時代――60年安保闘争から大管法闘争へ」
 『情況』2008年3・4月号:34-48
◆20080614 「みんな一緒に」
 『実践障害児教育』2008年7月号:1
◆20080711 「追悼土本典昭 自らを未党派と名付ける」
 『週刊読書人』2008年7月11日号 通巻・第2746号:8面
◆最首 悟・佐藤 靜・丹波博紀 20080801 「鼎談 内発的義務の淵源――本能・どうしようもなさ・やましさ」
 『情況』2008年8月号:26-47
◆20080801 「資料 不知火海へ――調査行の私的起点(解説付き)」
 『情況』2008年8月号:48-58 ←1980年初出、1984年『生ある』に所収
◆最首 悟・三上 治 20080801 「最首悟対談シリーズA 新しい系譜の運動を目指して――「SECT6」から学館闘争まで」
 『情況』2008年8月号:186-200
◆20080815 「『関係の絶対性』についての「もう(*)」想」(*)言+罔
 『現代思想』(総特集 吉本隆明――肯定の思想)2008年8月臨時増刊号 Vol.36, No.11:76-82
◆20090612 「「いのち」の軽さ」
 高草木編[2009:199-215]*
◆最首 悟・立岩 真也 2009/06/12 「対論」

 高草木編[2009:225-231]*
*高草木 光一 編 20090612  『連続講義「いのち」から現代世界を考える』 ,岩波書店,307p. ISBN-10: 400022171X ISBN-13: 978-4000221719 2400+ [amazon][kinokuniya] ※


 
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■引用

◆19690119 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」
 『朝日ジャーナル』(非常事態宣言下の東大・その2) 1969年1月19日:99-103 ISSN:05712378

 「「東大の学生であることは何を意味するだろうか」「大学院や助手にとっては研究者とは何を意味するか」「青医連にとっては医者になるとは何を意味するだろうか」。  このような問いは少なくとも六〇年安保関争においては発せられなかった。もう少し正確にいえば、学生にとって将来を展望した上での学生とは何かという問いがなかったといってもよい。
 六〇年当時、学生は、若き研究者は、理念として、観念として、自分の外にある問題にぶつかった。ぶつかったかぎりにおいて勇敢であったし、それは学生しかできない行動でもあった。しかしそのとき、大学は帰るべきところとしてあった。」(最首[1969:101-102])
 「医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか
 では医者になることを拒否するのかといえば、そういう形で問題は立てられない。いわば否定の否定として二転三転して医者になろうとする。しかし同時に受身的な医者になることを拒否して闘争を続けたときに、結果として医者になれないかもしれない。<101<
 自分は医者になってもならなくてもよい。けれど、闘争はまさに続くんだ。その闘争は医療の分野でだ。そこから自分が抜けたら、だれがやるのか。自分たちこそ医者になるんだ。このようなねばりつく運動形態が、どんなにラジカルであろうと、それは革命的敗北主義からも玉砕主義からも抜け出た運動であることは自明なのだ。」(最首[1969:101-102])
 「理系闘争委員会は、現代社会において科学は、それが平和のためであれ、戦争のためであれ、すべて資本家の財産、私有物として存在していると考える。そして科学は一面、労働者人民を抑圧するとともに、他方において労働者人民が自己を含めた社会の矛盾を解明する武器となる両刃の剣であるといういわゆる「科学の二面性論」は、科学者が発明した論理にすぎないと、はげしく攻撃する。」(最首[1969:102])

・この文章の引用・言及
◇立岩 真也 2010/08/01 「「社会モデル」・序――連載 57」,『現代思想』38-10(2010-8): 資料

◆1970 「責任性存在としての人間」
 『思想の科学』1970年5月号→最首[19841105:29-46](「もう一つの価値について」に改題)

 「全共闘のバリケードは、内部崩壊したといわれる。日がたつにつれて、それは怠惰の砦と化し、頽廃したといわれた。しかしそれは全共闘内外を問わず、主義を問わず、生産性信仰者がいったことである。バリケード内は、何も生みださず、何もしなくてよいから、真にたのしかったのである。そしてたのしいから焦燥にみちていたのだ。
 バリケードの外で、食うだけの金は、仕方がないからかせいだ、しかしあとは何もしない、勉強などくそくらえ! という快哉を否定しようとしながら、否定できないのである。山谷のある労働者グループからでたビラに刷りこまれた「怠惰の自由を!」というスローガンも同じことを意味しているはずだ。」(p.40)

◆1980 「汝以後、思いわずらうことなかるべし」,『障害者教育ジャーナル』6(現代ジャーナリズム研究会)→最首悟[1984:80])

 「わたしは心身共に健康な子を生みたいという願いを自然なものとして肯定します。しかし、そうは思わない不自然さも、人間的自然として認める余地はないのだろうか。」(最首悟[1980→1984:80])  →立岩真也『私的所有論』第9章冒頭で引用

 「公害反対運動と、障害者運動はどこで共通の根をもちうるか…。誤解をおそれずにいえば、公害反対運動は、心身共に健康な人間像を前提にしています。五体満足でありたい、いやあったはずだという思いが、公害反対闘争を根底で支えています。これにたいして、障害者運動は、障害者は人間であることを主張する運動です。」(最首悟[1980→1984:75])  →立岩真也『私的所有論』第9章注20で引用

◆1980 「かけがいのない関係を求めて」
 『子どもの館』1980年5月号,福音館書店→最首[19841105:222-253]

 「慣れとは、大方は、感覚の鈍磨という、障害者にとってはまた堪えがたい意味をもっているのであるが、しかし良い、悪いの意味をこめない尺度の移行は、慣れによって生じることは事実である。大事なことは、慣れとは、関係の取り結びだということであろう。障害者本人と、あるいは障害者とかけがえのない関係を結んでいる者との関係を、取り結べたとき、障害者に対する異和感は消失するし、想像、類推の力によって、ほかの障害者への異和感を軽減させることはできるのである。そして慣れの深さによっては、差異の事実はかえってはっきりと残され、ときにはそれをあげつらうこともできるようになる。
 たとえば……」(p.234-235)

 「障害者を、仮の異常さとしてはではなく、異常さとして作品に取り上げ、仮の正常さを体現する人間が、「いのち」を媒介として、異常さを受け入れてゆく、という作品が、読むに堪えないものになるのは、異常さを受容することによって、仮の正常さが正常に転化するという安易な思いこみや、そのような思いこみこそ、現実での障害者差別を、さらに上塗りする、もっとも度しがたい要因となっているという理由ばかりによるのではない。それは、第一に「いのち」や死に意味を付与することにこそ、文学の無限の営為性があるという根本命題の転倒がおこっているからであり、第二に、人間は、真に異常なるものを受容できるかというおそれが、欠けているからである。」(p.242)

◆1993

 「私たちは義務というと、他から押しつけられる、上から押しつけられるものと、反射的に反応してしまうので、よい感じはもっていないけれど、行動原理の根底は内発的義務であり、その内容は「かばう」とか「共に」とか、「世話する」とか、「元気づける」であって、それを果たすとき、心は無意識のうちに充たされるのかもしれない。/そのような内発的義務の発露が双方向的であるとき、はじめて人は尊ばれているという実感をお互いにもつことができ、それが「人が尊ばれる」というふうに定式化したとき、権利という考えが社会的に発生するのだろう。」(最首[1993→1998:131])

◆1994

 「権利とは「この人、あの人はこう手当されてあたりまえ」という社会的通念です。それを「この人、あの人」が自分に引き取って、「私はこういう手当をされて当然」とすぐに言うことはできません。内発的な義務の発露を他者に投げかける、自分の選択を見つめる人たちがいっぱいいて、その人たちが社会という場をつくるときに、この場に権利という考えが発生するのです。」(最首[1994→1998:391])

 「私たちにもともとあるのは、天から降ってきたような権利とかじゃなくて、すくなくとも生まれてきたからには生を全うするという、ほとんどそれだけのことです。そしてそれはほとんど義務ではないでしょうか。」(最首[1998:430])

 「……権利の行使というのは、誰かに権利があると思ったこの私が行使するような概念なんですね。そういう意味では権利というのは客体概念であり、現実的である。ところが義務主体というのは、生を全うするという抽象性のゆえに永遠性を帯びてこざるを得ません。この考えが出てくると、常に自分の権利が守られているかどうか、他人がそれを尊重してくれるかどうかを見張っているような心的構造から抜け出すことができる。」(最首[1998:430],川本隆史[1998:168]に引用)

 (1970年代のはじめ)「必然的に書く言葉がなくなった。……そこへ星子がやってきた。そのことをめぐって私はふたたび書くことを始めたのだが、そして以後書くものはすべて星子をめぐってのことであり、そうなってしまうのはある種の喜びからで、呉智英氏はその事態をさして、智恵遅れの子をもって喜んでいる戦後もっとも気色の悪い病的な知識人と評した。……本質というか根本というか、奥深いところで、星子のような存在はマイナスなのだ、マイナスはマイナスとしなければ欺瞞はとどめなく広がる、という、いわゆる硬派の批判なのだと思う。……」(最首「地球二〇公転目の星子」『増刊・人権と教育』26」,199705→最首[1998:369-370](「星子、二〇歳」、『星子が居る』pp.363-385),立岩「他者がいることについての本」『障害学の主張』所収の「ないにこしたことはない、か・1」に引用)

 「社長に対して「水銀飲め」、「お前もこのからだになってみろ」、「私を嫁にもらってみろ」とせまって(p.322)いくけれども、そういうことが全部実現されたからといって、どうなるもんじゃあない。どうなるもんじゃあないというところの、その這いずりまわり方の中で水俣病の人たちがそれぞれの人生をおくり、その中から水俣病になってよかったという言葉も出てきた。深い言葉です。
 障害というのは、私はすべて一大事だといいましたけども、それはそういうもんなんです。どのようなことが、いろんなことが実現したとしても、障害自体どうなるもんじゃあない。そのことによって人生どうなるもんじゃあない。そのところのすれ違いが大きいのです。つまり、障害をもっていない人や行政的な立場の人の方が、あるいは一般的に物事を考える人の方は、どういうことをすれば障害をもつ人の環境が楽になって、そして、障害をもつ人の気持も少しゆるやかになるか、家族も少し気持がほぐれるのか、と考えたりパパッと言ってしまう。生活が楽になるのはいいです。ひとまずいいことです。けれど、その先は、言っちゃあいけない。というか、言うこと自体が間違っている。障害をもって明るく生きようというようなことはないです。宗教的な透明な明るさというようなものはある。筋ジストロフィーの青年たちに見られるような、私の出合った石川正一君もそうでしたが、その明るさというのは、もう、世を越えての明るさです。でも、普通私たちが言える明るさというのはそういうのじゃあない。にもかかわらずそういうことを無神経に言われたら、障害をもつ人とか、障害をもつ家族はがっくりするわけです。」
「私たちは何をめざすのか」『平成六年度障害福祉関係者研修報告書』障害福祉報告書通算第5集、三重県飯南多気福祉事務所、1995年→「星子と場」(『星子が居る』pp.301-343)pp.322-323)

◆1990

 「私たちにいま改めて投げかけられている問題は、「人間の私的所有のどのレベルを人間は廃絶しなければならぬのか、あるいはどのレベルを廃絶できるのか」であると思います。」(『星子が居る』p.398)

◆1992

 「体験的にいうと、論点を次第にしぼってついにこれ以上はしぼれない一点があるはずだという考え方が真綿の壁に遮られるみたいに学生に入っていかない。」(『星子が居る』p.384)

◆1997

 「生きがいというものが静かに居すわる不幸ということを軸にしているのではないか、そして、そして静かな不幸と密接不可分な、畏れの気持ちもまた生きがいを構成していているのてではないかと考える。そのような軌跡として、この本を読んでもらえたらと願っている。」(『星子が居る』p.439)


 
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■言及

◆立岩 真也 2013/11/** 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社

……

高橋 晄正 19690228 『社会のなかの医学』,東京大学出版会(UP選書),301p. ASIN: B000JA14RO ISBN:9784130050258 [amazon] ※ d07.
 「はからずも、東大闘争のなかで一人の若い生物学者がおこなった厳しい解析のなかに、わたしたちは医療矛盾の鋭い集約をみる。
 「医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか」(最首悟氏)
 この問いにたいして、わたくしたちはいま、誠実に答えなければならない。
 目を広く社会に向けて見ひらくとき、わが国はほんとうに国民の生命を守ることのできるような近代的な医療制度を持っていないことに気づかなければならない。医療が自由業であり、営利業である状況のもとでは、国民はサイエンティフィック・ミニマムの医療さえ保障されえないのだ。医療の倫理性も、それに科学性さえも、医療の営利性の前には影をひそめざるをえないのである。
 いま、医学生や青年医師たちは、わが国の医療矛盾の実態を厳しく見つめ、その本質を鋭く突きはじめている。それらを医療技術の問題に解消することは、もはや許されないだろう。それらは、<00ii<わが国の社会の体質そのものの反映として、捉えられなければならないものであるのだ。」(高橋[1969:ii-iii])

高橋 晄正 19730815 「こんな教育がつくるこんな医師」,朝日新聞社編[19730815:167-220]*
*朝日新聞社 編 19730815 『医療を支える人びと』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療3,257p. ASIN: B000J9NO00 500 [amazon] ※ b
 「6医療の社会性と人間の生存基盤
   胸につきつけられるメス
 臨床医としての私の狭隘な視野を社会に向けて切り開いてくれたのは、東大闘争のなかで一つの生物学者が『朝日ジャーナル』誌のなかで投じた次の一石であった。<0198<
 ――医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか――(最首悟
 私はこの短い文章を前にして必死に抵抗しようと試みている自分を意識した。出欠多量で死に瀕している何人かの人びとを私は助けたことがあったはずだ。だから、医師は決して資本主義の矛盾の隠蔽だけをしているのではない、といま一人の自分は反論する。それにもかかわらず、助かった患者たちは助けた私に感謝するだけで、自分たちを傷つけた社会矛盾の摘発にのり出さないとしたら、最首氏の批判はやはり真実性をもつといわなければならない……。」(高橋[19730815:198-199])

高橋 晄正中川 米造大熊 由紀子 19731215 「医療の質をどうよくするか」,朝日新聞社編[19731215:133-188]*
*朝日新聞社 編 19731215 『どう医療をよくするか』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療7,252p. ASIN: B000J9NNYW 500 [amazon] ※
 「高橋 板倉さんの治療学のあり方からいえば、医者は看護学の訓練をうけるとともに、牧師としての修練も積まなければならない。しかし、それは病人を前にしての話であって、病気の発生源の<0181<社会性、病気を治りにくくしている社会的条件を考えるなら、”牧師性”は”革命性”へと止揚されなければならないという問題も、その延長上にあるわけです。
 これは、東大闘争の中で最首悟氏が、”医者は病院の窓口で患者を待ちかまえているだけでいいのか”という問いかけをしたことのなかに激しく表れているといえましょう。」(高橋・中川・大熊[1973:181-182])

◆呉 智英 1998/04/05 『危険な思想家』, 発行メディアワークス/発売主婦の友社, 243. ISBN4-07-3-8318-X 103-105p.

◆立岩 真也 1999/01/15 「一九九八年読書アンケート」,『みすず』41-1(454)(1999-1):34

◆立岩 真也 1999/10/25 「他者がいることについての本」,『デジタル月刊百科』1999-11(日立デジタル平凡社)

川本 隆史 2000/02/05 「自己決定権と内発的義務――<生命圏の政治学>の手前で」,『思想』908(2000-02):015-033 

◆立岩 真也 2001/08/05「自由の平等・3」,『思想』927(2001-8):98-125 

◆立岩 真也 2002/10/31「ないにこしたことはない、か・1」,石川准・倉本智明・長瀬修編『障害学の主張』,明石書店,pp.47-87

◆立岩 真也 2003/07/25「最首悟の本」(医療と社会ブックガイド・30),『看護教育』44-07(2003-07):(医学書院)

◆堀切 和雄 2006/06/04「歩くように 話すように 響くように ミトコンドリア病の娘と」60回, 東京新聞, 夕刊
 「最首悟氏は理科系の学者だが、その人間や社会についての思惟から、大学での学問の主流のありようを否定する行動を重ねてきた人。第四子の星子さんは、症状の重いダウン症で、十歳の時には失明もした。言葉はなく、ただ音楽に聴き入る。かけてあげる音楽が好みと違うと、激しい拒否反応が起こって血飛沫が飛ぶ有様となる。しかし彼女が黙して居る「場」に立ち会い続けて、最首氏は結局はそこに安らぐことになる。」

◆立岩 真也 2008/08/01 「再掲・引用――最首悟とその時代から貰えるものを貰う」,『情況』第3期9-9(2008-8):59-76
「つまり私は、最首(たち)が言ったり書いたりしたことについて考えた方がよいと思って、考えて書いてきた。さきの最首の本の紹介の記事の終わりにも書いたことを繰り返すことになるが、第一に、その人たちから基本的な立場をもらったと私は思う。すくなくとも、その人たちの書いたものその他から私が思うようでよいはずだと思えた。第ニに、しかしその後、その人たちはさぼってしまったり、わざと脇道に行くことにしたと思った。第三に、それで、仕方がないから自分で考えることにした。
  簡単にいうとこういうことになる。すると最首はどこにいるの<0067<だろう。」(立岩[2008/08/01:67-68])

◆立岩 真也 2011/01/01 「人間の特別?・2――唯の生の辺りに・9」,『月刊福祉』2011-1

 
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◆信州大学医療技術短期大学部
 小論文 平成十四年度 推薦入試選抜検査

問題 次の文章を読み、筆者の述べていることをふまえた上で、「できる」ようになるよう「はげます(励ます)」ことや「促す」ことについて、あなたが考えたことを一〇〇〇字以内で書いてください。

 だれもがちがっているその差異を、質的に量的に分類し、序列化してゆく力の存在、また「かくあるべき人間像」に向かう努力の強制といったことに、子どもたちは、おいおいと否応なく気づいてゆく。そして優越感と劣等感にゆれうごく自分を発見してゆくだろう。その枠外に身を置くことはできない。でも、相対的に身を離して、そのような自分をみつめ、そのような力、強制に対抗してゆくことはできる。そしてそのことを可能にするのは、各人各様であることの認識がどれだけしっかりしているかにかかっていることを、子どもたちにできるだけ早くわからせたいのだ。子どもが自分で育てたさまざまな夢を、自分で一つ一つ消してゆくときに、そのたびごとに諦めや恨みや被害者意識が澱(★おり)となって堆積してゆかないように、わたしは心を配りたいのである。
 心配らない例として、わたしは神宮輝夫が訳した、ガーナーの『ふくろう模様の皿』(評論社、一九七二年)の訳者「あとがき」を腹立たしく思いだす。児童小説読書会の、ある回の対象作品になったため、読了する義務をおわされて読みすすむうちに、その乱暴かつ粗雑な、下請けとしか思えないような訳に辟易(★へきえき)して、「あとがき」にともかくたどりついたら、「翻訳はだれでもできるのです」と書いてあった。人にすぐあげてしまったから、正確な引用ではないが、怒りが頭のてっぺんから飛びだしそうになった。だれにでもできる例として、この訳文が提示されているとしたら、子どもを見下すにもほどがあるというものだ。それは措くとしても、「だれにでもできる」という呼びかけは、はたして「はげまし」なのだろうか。わたしには、「まどわし」とか「ごまかし」にしか思えない。私は死ぬ気になっても、人様に聴かせるような音楽を弾くことも、つくることもできない。同じように、翻訳に必要な技術と感性ももちあわせていない。それでも聴いたり読んだりして、たのしんだり感心したり、くさしたりすることができる。とはいってもそうしたいわば成れのはて人間の結果から、子供を推しはかれないことはたしかである。
 子どもがどう変容してゆくのかだれにもわからない。しかし「子どもには無限の可能性がある」と謳(★うた)いあげられると、どうもうさんくさい気がする。このメッセージが、経験にこりかたまった大人に向かって発せられる意義は十分にあるにしても、子どもに直接投げかけられると、子どもはそこに一種の威圧、精神主義を感じとらないわけにはいかないのである。それはちょうど、「この子はわたしの生きがいだ」と内心親が思っていることの、親子関係に与えるポジティブな意義と、「おまえだけがわたしの生きがいなのに、そんなことをしてどうするのよ」と、子どもを叱る関係破壊にどこか似ている。
 自分は何にでもなれる可能性があるのに、自分は何にもなれそうもないのは努力が足りないからだろうか、やっぱり「死ぬ気」になってがんばらないとだめなのかなあなどという脅迫観念を抱かせないように、子どもに無用の「はげまし」を与えたくない。むしろ、ものにはできない相談があるというに、ごくあたり前のこととして、注意を向けさせたいのである。そして一方では、そのような自然の流れが、「分をわきまえろ」とか「身のほどを知れ」というような人工奔流にまきこまれないように、見張っていたいのだ。
                          (最首悟の文章による)

★はルビをふるところ。

……以下(出題する部分の前の部分)は使わなかった……

 「要するにわたしは、父親として子どもたちに地球上には四〇億もの人がいて、どんな人をとってもその人はほかのだれともちがっていること、お前たちきょうだい四人がもうちがうように、一人として同じ者がいないことを伝えたいのである。当面はそのことにしぼって、そして遊びのなかで、あるいは飯どきに、そのことをどうやって伝えようかと頭をしぼるのだ。ほとんどは、声になってでてゆかない仮想の呼びかけにしても。むろん切実な願望がわたしにはある。一番下のダウン症の妹にたいして、うえの子たちが、「星子は同じ人間なのに、どうしてぼくたちとちがうの」という見方をしてほしくないのである。先走っていえば、「星子はぼくとちがうけれど、ぼくとかわりないといってほしいのだ。つまり、自分は他人とちがう、そして他人の目からすれば、そう思う自分が、他人として自分とはちがうとみられていることに得心がゆけば、そこではじめて、自分は他人とちがうということを、だれでもが思っている、その思っていることは同じではないか、さしあたりその点のみについて、自分と他人はかわりないじゃないか、というごくあたり前なことを、次の段階で伝えたいのである。というより、差異という土壌がしっかり養われるなら、共通性はそこから自然に育つだろう。」
 *下線のあるところは原文では傍点のあった箇所

 ※のある本は生存学研究センター資料室所蔵


*作成:丹波 博紀/立岩 真也
REV:....20060307 20080118,19 0310,11,20 20080830, 1119, 20090615, 20100713, 1106, 20110929, 20130307, 22, 0904 
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