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さいしゅ・さとる 1936年生 ■著書 ◆19841105 『生あるものは皆この海に染まり』 新曜社,378p. 2200 ※/杉並378 ** ◆19880420 『明日もまた今日のごとく』 どうぶつ社,246p. 1800 ※/本郷S10-1313 http://www.geocities.jp/saishjuku/asumo.html ◆199109 『半生の思想』 河合文化教育研究所,河合ブックレット21,79p. ISBN: 4879999202 530 [boople]/[bk1] ※ ◇内容説明(bk1) 「現代の矛盾とねじれをどこまでも生き抜く方法としての“中途半端”の思想を通して、大学闘争、水俣、科学、自己、と近代の軸に関わる問題に生活の深みから迫ったユニークな思想論。」 半生の思想(異質な存在をくぐり抜けた平等 「自明な信頼、清潔な無関心」への願い 東大の慣行と造反――幻の23日 突破口としての60年安保闘争 民主主義からの距離 「知識人と大衆」のはざまで 『怠ける権利』がもつ射程 「広島・長崎」以後の自然科学 「水俣」から見た専門家の姿 大学聖域論を越 続きを見る ◆19910511 『水俣の海底から 「終われない水俣展」講演録』 京都・水俣病を告発する会, 69p. 500円 ◆19980530 『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』 世織書房,444p.,3600円+税 ※ ◇cf.立岩 真也 1999/01/15 「一九九八年読書アンケート」 『みすず』41-1(454)(1999-1):34 ◇cf.立岩 真也 2003/07/25「最首悟の本」(医療と社会ブックガイド・30),『看護教育』44-07(2003-07):(医学書院) ◆20011204 『お医者さんになろう医学部への小論文』 駿台文庫,202p. ISBN:4-7961-1571-4 1680 [boople]/[bk1] ※ ◆最首 悟・盛口 襄・山口幸夫 編 20011215 『理科を変える、学校が変わる』 七つ森書館, 261p. ISBN4-8228-0150-0 2000円+税 [amazon]/[kinokuniya] ※ ◆最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』,作品社,368p. ISBN-10: 4861821657 ISBN-13: 978-4861821653 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ b ◆2006/03/11 最首悟講演会 日時 3月11日(土) 15時〜18時(この後懇親会を予定しています) 場所 葉山 工房 杢ギャラリー JR逗子駅より「衣笠」行きバス乗車 「上山口小学校」下車 バス時刻表 逗子発 13時40分 14時11分 14時40分です。 間に合わない場合はご一報下さい。 会費 お志を 工房 杢連絡先 046-878-9153 出席される方は事前にご連絡ください。 ■1968〜 ◆掘米 庸三・菊地 昌典・最首 悟・藤沢 靖介・山本 義隆・岸本 誠・平山 基生 19681117 「座談会 研究・教育の場の疲弊と復興」 『朝日ジャーナル』(特集・大河内総長の辞任――“権威”の崩壊) 1968年11月17日:114〜121 ISSN:05712378 ◆19690119 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」 『朝日ジャーナル』(非常事態宣言下の東大・その2) 1969年1月19日:99-103 ISSN:05712378 ◆19690615 「自己否定のあとに来るもの」 『朝日ジャーナル』(造反教師その1) 1969年6月15日:6-11 ISSN 05712378 ◆最首 悟・遅塚 令二・上野 豪志・井上 望・安野 真幸・桜井 国俊 196903 「知性はわれわれに進撃を命ずる」 『現代の眼』(全特集・東京大学――炎と血の岐路) 1969年3月号Vol.10, No.3:86〜99 ISSN:0435219X ◆19700426 「一般教育・その二重の幻」 『朝日ジャーナル』(特集・混沌のうちの’70年新学期・その3) 1970年4月26日:17-22 ◆高 史朗・最首 悟 197402 「≪党≫の神話と差別・抑圧――人間の復元力とは何か」 『情況』1974年2月号:26-36 ◆19800925 「地域と障害者」 『季刊福祉労働』08:155-164 ※ ◆19830310 「不知火海沿海漁業の移り変わり――芦北郡女島の巾着網漁について」(リンク先は校正前原稿) 『水俣の啓示 不知火海総合調査報告(上)』(色川大吉編・筑摩書房1983年) ◆19830310 「市井論文への反論」 『水俣の啓示 不知火海総合調査報告(上)』(色川大吉編・筑摩書房1983年) ◆19830503 「平等と画一の違いを教えたい」 『朝日新聞』 1983年5月3日掲載 ◆最首 悟・平井 玄 19840203 「対談 持続する「何のために」の問いかけと志」 『朝日ジャーナル』(いま「安田砦」を掘り起こす――東大闘争から15年――)1984年2月3日号 VOL.26 NO.5:10-14 ◆198402 「ぼくが自己否定のビラを書くまで」 『ペンギン・クエスチョン』(特集 60年代を知らずして・・・・・・) 1984年2月号:17-19 ※ ◆19850925 「なぜ、今の学校をこばむのか」 (古川清治氏の「対話と討論」に応えて・第2回) 『季刊福祉労働』28:103-107 ※ ◆19860126 「少数者見つめる社会を」 『朝日新聞』オピニオン欄 1986年1月26日朝刊:4 ◆19860430 「責任と償い」 『水俣MINAMATA 終わりなき30年――原点への転生へ』[写真集](桑原史成・径書房1986年:170-173) ◆19860530 「家族のきずな――障害児の親の立場から」 芹沢他[1986:123-162] ◆最首 悟・竹田 青嗣・加藤 典洋 198608 「座談会「漂私」の共同体」 『文藝』(特集さまざまな在日)1986年8月号25(3):289-311 ◆廣松 渉・最首 悟・今村 仁司 19880610 「座談会=パリ五月革命から20年 転換への太い流れの始まりかあるいは結局は「ゼロ」なのか」 『朝日ジャーナル』1988年6月10日号:74-78 ISSN:05712378 ◆新井 素子・最首 悟 1987 「生物一般」 『新井素子の?教室』(聞き手 新井素子・徳間書店1987年) ◆19880624 「「技術=科学」を盲信する学者の姿勢と資格をまず疑ってみよう」 『朝日ジャーナル』1988年6月24日号(多角分析 「東大問題」の処方箋 第四回):84-87 ◆19920120 「水俣の傷み」 『人間の痛み』(山田宗睦ほか共著・風人社1992年 ISBN4-938643-05-7:207-228) http://www.geocities.jp/saishjuku/0125_t.html ◆19930905-9, 11 「最首悟さん:1-6 (それから)」 『朝日新聞』1993年9月5-9日、11日朝刊 →*最首悟インタビュー連載。下記[引用]欄、呉智英『危険な思想家』参照 ◆199310 「書評『アイデンティティと共生の哲学』(花崎皐平著・筑摩書房1993年/平凡社ライブラリー2001年)」 『情況』1993.10月号 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/8570/archive0112.html ◆199402 「権利は天然自然のものか」 『愛育』1994年2月号→「義務と権利」,最首[1998] http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/8570/archive0101.html ◆19940825 「連帯を求めて一人であることを」 『全共闘白書』(全共闘白書編集委員会編・1994年:445) ◆19961011 「私たちの病い、水俣病」 『アサヒグラフ』(特集――水俣40年) 1996年10・11月号:24-25 ◆19980925 「私にとってのパラダイム・チェンジ」 『全共闘三〇年 時代に反逆した者たちの証言』(インタビュー 実践社・1998年:222-238) ◆19990807 「科学する」 『駿台フォーラム』第17号:17-36 ISSN 0289-5579 ◆秋山 仁・大島 保彦・奥井 潔・最首 悟 19990807 「特別座談会 教養教育のゆくえ」 『駿台フォーラム』第17号:59-79 ISSN 0289-5579 ◆最首 悟・牧野 剛・酒井 敏行・仲正 昌樹(司会) 200104 「座談会 学生(がくしょう)の共同体を求めて モラルの可能性」 『情況』2001年4月号:36-54 ◆20010501 「『教養』のゆくえ」 『教育の可能性を読む』(インタビュー 情況出版2001年:303-309) ◆小松 美彦・最首 悟 20021118 「「死の義務」と「内発的義務」」 『対論 人は死んではならない』(小松美彦著・春秋社2002年 ISBN4-393-33215-6 : 231-274) ◆20021215 「講演会 水俣の課題」 『恵泉アカデミア』第7号:16-36 ◆20030520 「いのちとしか言えないようなものが這い上がっていく」 『ガンのある日常――体験者18人のいのちの力』(影山和子編・NTT出版2003年) ※ ◆20050825 「ケアの淵源」 『ケアの社会倫理学――医療・看護・介護・教育をつなぐ』(川本隆史編・有斐閣選書2005年) ◆20060320 「<最終講義>問学のあり方―ゾーンに生きる」 『現代社会関係研究2006』第11号第1分冊:83-95 ISSN 1342-8896 ◆最首 悟・篠原 睦治・堂前 雅史 20060320 「<鼎談>『現代社会と生命観』、最後の授業」 『現代社会関係研究2006』第11号第1分冊:96-107 ISSN 1342-8896 ◆20060404 「STUDENT REVOLUTION IN 1969 最首悟インタビュー」 『SIGHT』(インタビュアー洪弘基) 2006年4月増刊号 VOL.27 SPRING 2006 : 14-21 ◆「やましさと利己からのケア・介護」 『月刊ブリコラージュ』2006年5月号 VOL.147:8-18 ◆20061201 「情況への発言 水俣・和光大学展によせて」 『情況』2006年11・12月号:41-46 ◆20061209 「たゆみない活動は巨人というほかない 有用にかけてゆるぎない自負」 『図書新聞』(追悼 宇井純) 2006年12月9日掲載 →宇井純 ◆20070722 「「公害に第三者なし」の厳しいテーゼ」 『公明新聞』[日曜版](没後半年、「宇井純を学ぶ」会を終えて) 2007年7月22日掲載 ◆20070801 「最首悟さんの講演会〜星子をかばって生きる」 “JANJANニュース” 2007年8月1日掲載 ◆20070906 「問われた個人の倫理 大量生産、大量消費の果てに」 『毎日新聞』[文化 批評と表現]欄(40年前<政治の季節>を再考する) 2007年9月6日掲載 >TOP ■引用 ◆1970 「責任性存在としての人間」 『思想の科学』1970年5月号→最首[19841105:29-46](「もう一つの価値について」に改題) 「全共闘のバリケードは、内部崩壊したといわれる。日がたつにつれて、それは怠惰の砦と化し、頽廃したといわれた。しかしそれは全共闘内外を問わず、主義を問わず、生産性信仰者がいったことである。バリケード内は、何も生みださず、何もしなくてよいから、真にたのしかったのである。そしてたのしいから焦燥にみちていたのだ。 バリケードの外で、食うだけの金は、仕方がないからかせいだ、しかしあとは何もしない、勉強などくそくらえ! という快哉を否定しようとしながら、否定できないのである。山谷のある労働者グループからでたビラに刷りこまれた「怠惰の自由を!」というスローガンも同じことを意味しているはずだ。」(p.40) ◆1980 「かけがいのない関係を求めて」 『子どもの館』1980年5月号,福音館書店→最首[19841105:222-253] 「慣れとは、大方は、感覚の鈍磨という、障害者にとってはまた堪えがたい意味をもっているのであるが、しかし良い、悪いの意味をこめない尺度の移行は、慣れによって生じることは事実である。大事なことは、慣れとは、関係の取り結びだということであろう。障害者本人と、あるいは障害者とかけがえのない関係を結んでいる者との関係を、取り結べたとき、障害者に対する異和感は消失するし、想像、類推の力によって、ほかの障害者への異和感を軽減させることはできるのである。そして慣れの深さによっては、差異の事実はかえってはっきりと残され、ときにはそれをあげつらうこともできるようになる。 たとえば……」(p.234-235) 「障害者を、仮の異常さとしてはではなく、異常さとして作品に取り上げ、仮の正常さを体現する人間が、「いのち」を媒介として、異常さを受け入れてゆく、という作品が、読むに堪えないものになるのは、異常さを受容することによって、仮の正常さが正常に転化するという安易な思いこみや、そのような思いこみこそ、現実での障害者差別を、さらに上塗りする、もっとも度しがたい要因となっているという理由ばかりによるのではない。それは、第一に「いのち」や死に意味を付与することにこそ、文学の無限の営為性があるという根本命題の転倒がおこっているからであり、第二に、人間は、真に異常なるものを受容できるかというおそれが、欠けているからである。」(p.242) ◆1993 「私たちは義務というと、他から押しつけられる、上から押しつけられるものと、反射的に反応してしまうので、よい感じはもっていないけれど、行動原理の根底は内発的義務であり、その内容は「かばう」とか「共に」とか、「世話する」とか、「元気づける」であって、それを果たすとき、心は無意識のうちに充たされるのかもしれない。/そのような内発的義務の発露が双方向的であるとき、はじめて人は尊ばれているという実感をお互いにもつことができ、それが「人が尊ばれる」というふうに定式化したとき、権利という考えが社会的に発生するのだろう。」(最首[1993→1998:131]) ◆1994 「権利とは「この人、あの人はこう手当されてあたりまえ」という社会的通念です。それを「この人、あの人」が自分に引き取って、「私はこういう手当をされて当然」とすぐに言うことはできません。内発的な義務の発露を他者に投げかける、自分の選択を見つめる人たちがいっぱいいて、その人たちが社会という場をつくるときに、この場に権利という考えが発生するのです。」(最首[1994→1998:391]) 「私たちにもともとあるのは、天から降ってきたような権利とかじゃなくて、すくなくとも生まれてきたからには生を全うするという、ほとんどそれだけのことです。そしてそれはほとんど義務ではないでしょうか。」(最首[1998:430]) 「……権利の行使というのは、誰かに権利があると思ったこの私が行使するような概念なんですね。そういう意味では権利というのは客体概念であり、現実的である。ところが義務主体というのは、生を全うするという抽象性のゆえに永遠性を帯びてこざるを得ません。この考えが出てくると、常に自分の権利が守られているかどうか、他人がそれを尊重してくれるかどうかを見張っているような心的構造から抜け出すことができる。」(最首[1998:430],川本隆史[1998:168]に引用) (1970年代のはじめ)「必然的に書く言葉がなくなった。……そこへ星子がやってきた。そのことをめぐって私はふたたび書くことを始めたのだが、そして以後書くものはすべて星子をめぐってのことであり、そうなってしまうのはある種の喜びからで、呉智英氏はその事態をさして、智恵遅れの子をもって喜んでいる戦後もっとも気色の悪い病的な知識人と評した。……本質というか根本というか、奥深いところで、星子のような存在はマイナスなのだ、マイナスはマイナスとしなければ欺瞞はとどめなく広がる、という、いわゆる硬派の批判なのだと思う。……」(最首「地球二〇公転目の星子」『増刊・人権と教育』26」,199705→最首[1998:369-370](「星子、二〇歳」、『星子が居る』pp.363-385),立岩「他者がいることについての本」、『障害学の主張』所収の「ないにこしたことはない、か・1」に引用) 「社長に対して「水銀飲め」、「お前もこのからだになってみろ」、「私を嫁にもらってみろ」とせまって(p.322)いくけれども、そういうことが全部実現されたからといって、どうなるもんじゃあない。どうなるもんじゃあないというところの、その這いずりまわり方の中で水俣病の人たちがそれぞれの人生をおくり、その中から水俣病になってよかったという言葉も出てきた。深い言葉です。 障害というのは、私はすべて一大事だといいましたけども、それはそういうもんなんです。どのようなことが、いろんなことが実現したとしても、障害自体どうなるもんじゃあない。そのことによって人生どうなるもんじゃあない。そのところのすれ違いが大きいのです。つまり、障害をもっていない人や行政的な立場の人の方が、あるいは一般的に物事を考える人の方は、どういうことをすれば障害をもつ人の環境が楽になって、そして、障害をもつ人の気持も少しゆるやかになるか、家族も少し気持がほぐれるのか、と考えたりパパッと言ってしまう。生活が楽になるのはいいです。ひとまずいいことです。けれど、その先は、言っちゃあいけない。というか、言うこと自体が間違っている。障害をもって明るく生きようというようなことはないです。宗教的な透明な明るさというようなものはある。筋ジストロフィーの青年たちに見られるような、私の出合った市川正一君もそうでしたが、その明るさというのは、もう、世を越えての明るさです。でも、普通私たちが言える明るさというのはそういうのじゃあない。にもかかわらずそういうことを無神経に言われたら、障害をもつ人とか、障害をもつ家族はがっくりするわけです。」 「私たちは何をめざすのか」『平成六年度障害福祉関係者研修報告書』障害福祉報告書通算第5集、三重県飯南多気福祉事務所、1995年→「星子と場」(『星子が居る』pp.301-343)pp.322-323) ◆1990 「私たちにいま改めて投げかけられている問題は、「人間の私的所有のどのレベルを人間は廃絶しなければならぬのか、あるいはどのレベルを廃絶できるのか」であると思います。」(『星子が居る』p.398) ◆1992 「体験的にいうと、論点を次第にしぼってついにこれ以上はしぼれない一点があるはずだという考え方が真綿の壁に遮られるみたいに学生に入っていかない。」(『星子が居る』p.384) ◆1997 「生きがいというものが静かに居すわる不幸ということを軸にしているのではないか、そして、そして静かな不幸と密接不可分な、畏れの気持ちもまた生きがいを構成していているのてではないかと考える。そのような軌跡として、この本を読んでもらえたらと願っている。」(『星子が居る』p.439) >TOP ■言及 ◆高橋 晄正 19690228 『社会のなかの医学』,東京大学出版会(UP選書),301p. ASIN: B000JA14RO ISBN:9784130050258 [amazon]/[boople] ※ b d07 「はからずも、東大闘争のなかで一人の若い生物学者がおこなった厳しい解析のなかに、わたしたちは医療矛盾の鋭い集約をみる。 「医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか」(最首悟氏) この問いにたいして、わたくしたちはいま、誠実に答えなければならない。 目を広く社会に向けて見ひらくとき、わが国はほんとうに国民の生命を守ることのできるような近代的な医療制度を持っていないことに気づかなければならない。医療が自由業であり、営利業である状況のもとでは、国民はサイエンティフィック・ミニマムの医療さえ保障されえないのだ。医療の倫理性も、それに科学性さえも、医療の営利性の前には影をひそめざるをえないのである。 いま、医学生や青年医師たちは、わが国の医療矛盾の実態を厳しく見つめ、その本質を鋭く突きはじめている。それらを医療技術の問題に解消することは、もはや許されないだろう。それらは、 ◆高橋 晄正 19730815 「こんな教育がつくるこんな医師」,朝日新聞社編[19730815:167-220]* *朝日新聞社 編 19730815 『医療を支える人びと』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療3,257p. ASIN: B000J9NO00 500 [amazon] ※ b 「6医療の社会性と人間の生存基盤 胸につきつけられるメス 臨床医としての私の狭隘な視野を社会に向けて切り開いてくれたのは、東大闘争のなかで一つの生物学者が『朝日ジャーナル』誌のなかで投じた次の一石であった。<0198< ――医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか――(最首悟 私はこの短い文章を前にして必死に抵抗しようと試みている自分を意識した。出欠多量で死に瀕している何人かの人びとを私は助けたことがあったはずだ。だから、医師は決して資本主義の矛盾の隠蔽だけをしているのではない、といま一人の自分は反論する。それにもかかわらず、助かった患者たちは助けた私に感謝するだけで、自分たちを傷つけた社会矛盾の摘発にのり出さないとしたら、最首氏の批判はやはり真実性をもつといわなければならない……。」(高橋[19730815:198-199]) ◆高橋 晄正・中川 米造・大熊 由紀子 19731215 「医療の質をどうよくするか」,朝日新聞社編[19731215:133-188] 「高橋 板倉さんの治療学のあり方からいえば、医者は看護学の訓練をうけるとともに、牧師としての修練も積まなければならない。しかし、それは病人を前にしての話であって、病気の発生源の<0181<社会性、病気を治りにくくしている社会的条件を考えるなら、”牧師性”は”革命性”へと止揚されなければならないという問題も、その延長上にあるわけです。 これは、東大闘争の中で最首悟氏が、”医者は病院の窓口で患者を待ちかまえているだけでいいのか”という問いかけをしたことのなかに激しく表れているといえましょう。」(高橋・中川・大熊[1973:181-182]) ◆呉 智英 1998/04/05 『危険な思想家』, 発行メディアワークス/発売主婦の友社, 243. ISBN4-07-3-8318-X 103-105p. ◆立岩 真也 1999/01/15 「一九九八年読書アンケート」 『みすず』41-1(454)(1999-1):34 ◆立岩 真也 1999/10/25 「他者がいることについての本」 『デジタル月刊百科』1999-11(日立デジタル平凡社) ◆川本 隆史 2000/02/05 「自己決定権と内発的義務――<生命圏の政治学>の手前で」 『思想』908(2000-02):015-033 ◆立岩 真也 2001/08/05「自由の平等・3」 『思想』927(2001-8):98-125 *資料 ◆立岩 真也 2002/10/31「ないにこしたことはない、か・1」 石川准・倉本智明・長瀬修編『障害学の主張』,明石書店,pp.47-87 ◆立岩 真也 2003/07/25「最首悟の本」(医療と社会ブックガイド・30) 『看護教育』44-07(2003-07):(医学書院) ◆堀切 和雄 2006/06/04「歩くように 話すように 響くように ミトコンドリア病の娘と」60回, 東京新聞, 夕刊 「最首悟氏は理科系の学者だが、その人間や社会についての思惟から、大学での学問の主流のありようを否定する行動を重ねてきた人。第四子の星子さんは、症状の重いダウン症で、十歳の時には失明もした。言葉はなく、ただ音楽に聴き入る。かけてあげる音楽が好みと違うと、激しい拒否反応が起こって血飛沫が飛ぶ有様となる。しかし彼女が黙して居る「場」に立ち会い続けて、最首氏は結局はそこに安らぐことになる。」 >TOP ◆信州大学医療技術短期大学部 小論文 平成十四年度 推薦入試選抜検査 問題 次の文章を読み、筆者の述べていることをふまえた上で、「できる」ようになるよう「はげます(励ます)」ことや「促す」ことについて、あなたが考えたことを一〇〇〇字以内で書いてください。 だれもがちがっているその差異を、質的に量的に分類し、序列化してゆく力の存在、また「かくあるべき人間像」に向かう努力の強制といったことに、子どもたちは、おいおいと否応なく気づいてゆく。そして優越感と劣等感にゆれうごく自分を発見してゆくだろう。その枠外に身を置くことはできない。でも、相対的に身を離して、そのような自分をみつめ、そのような力、強制に対抗してゆくことはできる。そしてそのことを可能にするのは、各人各様であることの認識がどれだけしっかりしているかにかかっていることを、子どもたちにできるだけ早くわからせたいのだ。子どもが自分で育てたさまざまな夢を、自分で一つ一つ消してゆくときに、そのたびごとに諦めや恨みや被害者意識が澱(★おり)となって堆積してゆかないように、わたしは心を配りたいのである。 心配らない例として、わたしは神宮輝夫が訳した、ガーナーの『ふくろう模様の皿』(評論社、一九七二年)の訳者「あとがき」を腹立たしく思いだす。児童小説読書会の、ある回の対象作品になったため、読了する義務をおわされて読みすすむうちに、その乱暴かつ粗雑な、下請けとしか思えないような訳に辟易(★へきえき)して、「あとがき」にともかくたどりついたら、「翻訳はだれでもできるのです」と書いてあった。人にすぐあげてしまったから、正確な引用ではないが、怒りが頭のてっぺんから飛びだしそうになった。だれにでもできる例として、この訳文が提示されているとしたら、子どもを見下すにもほどがあるというものだ。それは措くとしても、「だれにでもできる」という呼びかけは、はたして「はげまし」なのだろうか。わたしには、「まどわし」とか「ごまかし」にしか思えない。私は死ぬ気になっても、人様に聴かせるような音楽を弾くことも、つくることもできない。同じように、翻訳に必要な技術と感性ももちあわせていない。それでも聴いたり読んだりして、たのしんだり感心したり、くさしたりすることができる。とはいってもそうしたいわば成れのはて人間の結果から、子供を推しはかれないことはたしかである。 子どもがどう変容してゆくのかだれにもわからない。しかし「子どもには無限の可能性がある」と謳(★うた)いあげられると、どうもうさんくさい気がする。このメッセージが、経験にこりかたまった大人に向かって発せられる意義は十分にあるにしても、子どもに直接投げかけられると、子どもはそこに一種の威圧、精神主義を感じとらないわけにはいかないのである。それはちょうど、「この子はわたしの生きがいだ」と内心親が思っていることの、親子関係に与えるポジティブな意義と、「おまえだけがわたしの生きがいなのに、そんなことをしてどうするのよ」と、子どもを叱る関係破壊にどこか似ている。 自分は何にでもなれる可能性があるのに、自分は何にもなれそうもないのは努力が足りないからだろうか、やっぱり「死ぬ気」になってがんばらないとだめなのかなあなどという脅迫観念を抱かせないように、子どもに無用の「はげまし」を与えたくない。むしろ、ものにはできない相談があるというに、ごくあたり前のこととして、注意を向けさせたいのである。そして一方では、そのような自然の流れが、「分をわきまえろ」とか「身のほどを知れ」というような人工奔流にまきこまれないように、見張っていたいのだ。 (最首悟の文章による) ★はルビをふるところ。 ……以下(出題する部分の前の部分)は使わなかった…… 「要するにわたしは、父親として子どもたちに地球上には四〇億もの人がいて、どんな人をとってもその人はほかのだれともちがっていること、お前たちきょうだい四人がもうちがうように、一人として同じ者がいないことを伝えたいのである。当面はそのことにしぼって、そして遊びのなかで、あるいは飯どきに、そのことをどうやって伝えようかと頭をしぼるのだ。ほとんどは、声になってでてゆかない仮想の呼びかけにしても。むろん切実な願望がわたしにはある。一番下のダウン症の妹にたいして、うえの子たちが、「星子は同じ人間なのに、どうしてぼくたちとちがうの」という見方をしてほしくないのである。先走っていえば、「星子はぼくとちがうけれど、ぼくとかわりないといってほしいのだ。つまり、自分は他人とちがう、そして他人の目からすれば、そう思う自分が、他人として自分とはちがうとみられていることに得心がゆけば、そこではじめて、自分は他人とちがうということを、だれでもが思っている、その思っていることは同じではないか、さしあたりその点のみについて、自分と他人はかわりないじゃないか、というごくあたり前なことを、次の段階で伝えたいのである。というより、差異という土壌がしっかり養われるなら、共通性はそこから自然に育つだろう。」 *下線のあるところは原文では傍点のあった箇所 ※のある本は生存学研究センター資料室所蔵 作成:丹波 博紀/立岩 真也 REV:....20060307 20080118,19 0310,11,20 ◇最首塾 ◇WHO |