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横田弘 その思想と生涯を巡って

荒井 裕樹立岩 真也臼井 正樹 2016/**/**

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□立岩真也 立命館大学大学院/荒井裕樹 二松学舎大学/臼井正樹 神奈川県立保健福祉大学

■荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹 2015/09/26 「横田弘 その思想と障害を巡って」(鼎談),第6回ヒューマンサービス研究会,於:神奈川県立保健福祉大学
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■荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹 2016/12/20 「横田弘 その思想と障害を巡って」,『ヒューマンサービス研究』6:22-53


◆立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books

◆横田 弘・立岩 真也・臼井 正樹 2016 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院

横田弘・立岩真也・>臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』表紙

■立岩の発言部分(未定稿) 文献

※この発言部分については、以下の「電子書籍」に、文献等にリンクさせたものを収録しています。その書籍があといくつか売れたら、承諾は得ているので、鼎談の全体を掲載するつもりです。

立岩真也『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』表紙
立岩 真也 2016/04/29 『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』Kyoto Books \700 gumroad経由

目次
文献表
紹介・言及

装丁:近藤 勇人

2017/03/29ver.1.3刊行! 444.6kb リンク数:1301 表紙掲載・リンク 総合文献表増補



◆立岩:こんにちは。初めましての人が多いと思います。立岩と申します。京都から、朝早く出てまいりました。
 僕は3つの話をします。1つは純然たる広告です。まず、それからいきますけれども、ただ、それは2つめ3つめの、もう少しまじめな話にも関係なくはないんです。
 今回私が用意したのは資料でもなんでもなくてチラシです。荒井さんは、まじめにちゃんとしたのをつくってくれましたけれども、僕のは、このヒューマンサービス研究会という冊子だと、途中ぐらいの「立岩真也資料」というものです。
 ここのところ私、もう世の中から消えかかっているものも含めて、1960〜1970年代に、どういう人が何を言ってきたのかみたいなことを集めています。ただ、これを活字の本にしたときに、買うのは誰だろうと考えたときに、僕と荒井さんぐらいかもしれないみたいな気がして、とっても1000部とか売れるものじゃないと思ったんですね。それなので、今はPCの時代なわけだから、電子媒体だったらいいかもと思って、今はそんな形で資料集など作っています。
 それで今回は新たに作った資料集(立岩編[2015]他)、そして前に書いたものあるだけディスクに詰めて一枚に入れてみようと。昨日、僕は、1人孤独にこのディスクを焼いていたんですけれども。こういうのに入れて見てもらおうということを、今、企んでいるわけです。それで、そういうもののリストを今日、持ってまいりました。〔http://www.arsvi.com/ts/20150923。そのディスク販売は当日限りだった。〕
 中には本としていったん出たものもあります。『自由の平等』(立岩[2004])は、かつて岩波で出て、今は品切れになっているようです。それから、『唯の生』(立岩[2008])は、筑摩書房から出て、やっぱり品切れになっているものです。「でも、いいや。著作権者は俺だ」ということで、本屋はもう売ってくんないんだったらと思って、「もう電子媒体で値段安くして売ろう」っていうことで、売っているんです。このサイトで〔http://www.arsvi.com/ts/sale:立岩真也で検索→「販売します」〕。ただ売れないんですね。なんでなんだか、よくわからないんですけれども。本って、紙でないとまだいけないのかなって、みんな思っているのかもしれない、という様子なんです。
 じゃあ、どこまで値段下げたら売れるだろうというふうに思って、ちょっと試してみようと思いました。これはディスクA。ディスクBもあって、その2つを持ってきました。帰りに買っていってください。電子版の値段は活字版の3分の1ぐらいにしてるんですけれど、それでもあわせると、3500〜4000円するんです。それを、なんと1000円で売ろうということをやってみます。これで売れなかったら、僕はどうすればいいんだろうということになるわけですけれども。とにかくそういうことをしていますので。安楽死、尊厳死に関わるものであったり、その他、いくつかの主題について書いたものがあります。
 それ以外に、ディスクAとディスクB両方に、今年は、僕は昔話をしなきゃいけない年みたいになっているらしくて、さっき紹介にあった、横田さんの本が再刊されたときの解説(立岩[2015a])が入っています。
 それから横塚晃一さんという、横田さんと一緒に仕事して、僕なんかよりずっと若くて43歳かな、78年に亡くなった横塚晃一さん、my favoriteの1人なんですけれども、彼について書いています。彼の『母よ!殺すな』(横塚[1975][1981][2007][2009])という本の解説(立岩[2007])です。2007年に出たものです。
 今年は、やはり戦後70年ということなんでしょうか、岩波から「ひとびとの精神史」というシリーズが10巻もので出始めています。年内にその第5巻というのが出て、それが『万博と沖縄返還』(吉見編[2015])で、たしかにそんなことあったな、それは俺も覚えているよなという感じです。このシリーズは一冊につき10人ずつぐらい取り上げてというような、いかにも岩波っぽいシリーズ本なんですが、そこの中で横塚さんについて書くことになって、今は初校の段階です。その草稿が入っています(→立岩[2015b])。うそ書いているかもしれないので、これを読んで、うそ書いているんだったら言ってください。そうしたら直します。というようなものも入れてしまいました。
 これを読んだら、本を買いたくなるだろうと僕は思っているんですね。『母よ!殺すな』も買わなきゃいけない、『障害者殺しの思想』(横田[1979][2015])も買わなきゃいけない。きっとみんな、そう思うに違いないと思うので、それを入れましたので、まずこれを買って、そういうモチベーションを高めて、それから『障害者殺しの思想』と『母よ!殺すな』を、うちへ帰って買ってください。それから、『障害者殺しの思想』は、京都からなんと2冊持ってきましたので、この会場で2冊限定で買えます。というようなことをやっていて、コマーシャリズム全面です。
 ただ、この辺から2つめ。横田さん、そしてその前に何があったのかということ。
 資料7枚の2を見てもらうと、これ(立岩編[2015])は僕が今年の初めに少し熱中して作っていたものです。
 横田さんが60年代、自らをつくり上げていった、一つの大きななんというかな、バックじゃないですね、横田さんは真ん中にいたわけだから、そこに先ほど荒井さんから紹介があった『しののめ』っていう雑誌があった。彼は学校へ行けなかった、行かなかった人で、『しののめ』なんかで育っていくわけです。
 60年代の『しののめ』というのは結構面白いんです。花田春兆というじいさんが――今はじいさんで、昔はじいさんじゃなかったと思いますけれども――主催していた雑誌で、これ(立岩編[2015])の目次では、62年の4月30日、そのときの『しののめ』、特集は「安楽死をめぐって」で、その全文をスキャンしてこの資料集に入れました。たぶん、障害者、殺される側の人たちが、この主題について活字という媒体で議論する、もしかしたら、これは世界で初めてだったかもしれないと、僕は思っています。63年ですから、もうずいぶんな前ですけれども、そういう特集がある。
 そして、実は、この時期、いろいろな出来事が起こった。例えば、サリドマイド児が出てきた、その時期でもあるわけです。それからポリオの流行、ちょうどこの頃に、日本で最後の流行があります。そういった時期、直接的には、ベルギーでサリドマイドの子が生まれたときに親が子どもを殺した事件があって、それに対して、どう考えるのかというようなことがあったりして座談会が『婦人公論』で企画されて掲載されます(石川他[1963])。
 その中で、例えばここに出てくる石川達三って、ご存知ですか。もうとっくに亡くなってますけれども、たぶん第1回の芥川賞の受賞作家だったと思います。それから水上勉さんは、自身の娘さんに二分脊椎の子がいらっしゃる方でもあります。推理小説とか、時代小説とか書かれた方です。こういった人たちが、『中央公論』とか、『婦人公論』とか、そういう媒体で、「こういう子たちが出てきたらどうしよう」なんていう話をまじめにしているわけです。水上さんは『中央公論』のほうでは、これだけはちょっと有名なんてすが「拝啓池田総理大臣殿」といういわゆる重症心身障害児のための施設への公的支援を求める文章といった文章を書きつつ(水上[1963a]、他に水上[1963c])、『婦人公論』の座談会の方では、「政府が、そういう子どもが生まれたら、生かすか殺すか決める審議会をつくったらいいんじゃないか」みたいなことを言っている。それから石川達三は、「今まで、子どもたちを助けるなんていう甘ったるいヒューマニズムを俺たち言ってきたけど。それじゃ、世の中、立ちいかないわけで、これからは、もっと割り切った、冷めたヒューマニズムでいかなきゃいけない」みたいなことを言っているわけです。それに対して、花田さんが『しののめ』で憤っている。憤ってはいるけれども、いろんな迷いもあるわけです(花田[1963a][1963b]等)。
 こうして60年代が推移している中に、横田さんがいました。そして今日は、あとで話が出たらしますけれども、マハラバ村というところにしばらく行っていたりして、そんなことがあって、その60年代を引き継ぎながら、そこから断絶するような形で、70年代の活動が始められる。そういった流れはやはりきちんと知らなければいけないことだと私は思うんです。そういうこともあって、こういった資料集をねちねちと今つくっているのです。ですので、こういうものを原資にして、この次の仕事をやっていきたいなということもあったりして、「今は、そんなことをやってるよ」という、やはり広告でした。
 けどもう一つ広告の続きをします。さっき臼井さんが紹介してくれたんだすが、僕は荒井さんみたく横田さんのところに日参して話をするということはなくて、むしろ横田さんのほうが声をかけてくださって、3回話だけしたんです。その2回目のやつが、さっき紹介された、『否定されるいのちからの問い』(横田[2004])に入っています。この本は今、品切れです。一時期、アマゾンのマーケットプレイスで18000円ぐらいしたんですけれども、今ちょっと値段が下がって4000円ぐらいです。でも、やはり定価の2倍ぐらいです。本は買っとかないとそうなるということです。
 『否定されるいのちからの問い』にあるのは、2回目に僕が対談したやつ(横田・立岩[2004])なんですね。2002年の1回目は、横田さんが「これは駄目だ」と言って、僕叱られて、お蔵入りになったんです。その1回目を僕は気に入っているんです。何が気に入っているかというと、さっき荒井さんが言ったこと、つまり、横田のじいさんが、その頃は若者だったんだけれども、その横田さんが、いとこの女の子の名前を騙って『少女倶楽部』に投稿して入選したことで詩を書き始めた、なんていう恥ずかしい過去を語らせているわけです。私は、非常にそれに満足しているんですね。
 もうこれでいいじゃないかと思ったんだけれども、横田さんは、恥ずかしかったのもあるんでしょうかね、「俺は、そんな昔話をしたいわけじゃねえんだ。お前と話しをしたいんだ」というようなことになって、同じ年の2回目が本になった。だけれども、1回目は1回目で、僕は貴重だと思うんです。
 それから、臼井さんの仲介があって、2008年にもう1回やった。それと、臼井さんが横田さんとの親交というか、関わりを含めて書いた原稿が合わさったものが、たぶん今年中に出ます。それは生活書院という本屋さんから出ます(→横田・立岩・臼井[2016])ので、それ読んでください。それもきっと面白いと思います。ということで以上です。
 ですけれども、その話も実は関係して、では、その横田弘というのはなんだったのか。それから横塚、神奈川青い芝というのはなんだったのか。それは、「本を読め、終わり!」ということではあるのですけれども、もしかすると、世界で初めて重度の障害者が声をあげたのだと言えるかもしれません。
 それは少し言いすぎかもしれないですが、確かに1960年代末から70年というのは、世界中で大学紛争があり、あるいはベトナム反戦、そういった社会運動が世界的に起こった時期でした。そういった社会運動は、例えばアメリカであれば公民権運動、その流れを継いでいるわけですね。そういった中で、アメリカでも、やはり70年代初めぐらいに障害者の運動は起こります。イギリスは、ちょっと遅れますけど74〜75年ぐらいに、今の障害学というものにつながるようなことが起こります。そういう意味で言えば、ほぼ同じ時期です。
 ただ、まったく同じだったら、そして英語で書いてあるもののほうが流通性はいいわけですから、同じこと言っているんだったら、別に日本のことを改めて学ぶ必要はないわけです。だけれども、アメリカとかイギリスの障害者たちが言っていたことに比べても、この人たちが言っているほうがいけているという感じが、僕はしたんです。それはたぶん、いろいろな事情があるんだと思います。そういう話ができれば、しますけれども、ここでは短くしておきます。1点確かなことは、ちゃんとしゃべれないというか、ぺらぺらしゃべれる、そして大学なんか出ちゃったというタイプの障害者ではない人たちが、しゃべり出したわけです。
 アメリカだと、それはポリオの人たちです。マイケル・ウィンターというのは、一時期鉄の肺というのに入っていた確かに重度の障害者ではありました。あ、エド・ロバーツです。ごめんなさい。混同しました。一番詳しい長瀬さんから間違いの指摘がありました。その人は頭脳明晰、弁の立つ人でした。
 それからイギリスの場合は、脊損の人たちですね。腰から下は動かないけれども、言葉はちゃんとしゃべれるという人たちが、運動をけん引する。そして、障害学という学問を立ち上げるわけです。
 日本の場合、それが脳性麻痺の、それもかなり重い、なんとかしゃべっても、言語障害があってよくわからない、動けない。それから、体がそっくり返ったり、ひん曲がったりしていて、なんか変、みたいな人たちが、つまり障害というものの属性みたいなものを一番多く引き受けている人たちが、このときにしゃべり出した。それっていうのは、「こういうことさえできれば、自分たちも健常者と同じぐらいできるんだぜ」という乗りの運動とはまた違った質というものを持っていたと思うんです。
 そういった中で障害者の運動が始まり、なんやかんやいって継続しているっていうことがあります。それを、アメリカでもほぼ同時期、イギリスでもちょっと遅れて同じものがあるから、それでいいや、それで間に合うという、そういう話ではないんだということがあります。だからこそ、我々の国にあった、そして神奈川にあった出来事というものを学ぶことの意味があるんだろうというふうに私は思います。これが2つ目の話です。とにかく短くします。
 3つ目の話は、これは1番目の広告の話と関係することなのですけれど、とにかく我々は、知らないってことです。神奈川県で起こったことなのに、日本で起こったことなのに、知らない。もちろん、この中には、生前、横田さんなりと親交があって、ご存知の方もいるかもしれない。けれども、少なくとも多くの人たち、ほとんどの人たちは知らないわけです。それでは、なんで記録というか、記憶とか言論というものが断絶したのか。それは、いろんな理由があります。詳しく語れば、いろいろ語れる。さっき言った岩波のシリーズの中でも書いています。
 一つ簡単に言えば、嫌われたからです。70年代に言い始めたのですが、実はこれはちょっと複雑で、70年代の初めに青い芝の連中がものを言ったとき、世間全体が動乱の時期にあったということもあって、意外と大きなメディアが取り上げたのです。これは、わりと知られてないことなので言っておくと、NHK、朝日新聞社、それから『ジュリスト』、有斐閣から出ている法律の専門誌。横塚晃一の文章(横塚[1974])が『ジュリスト』に載っているって、変なわけです。変ですよ、明らかに。でも載っています。『あゆみ』という神奈川の青い芝の会報に載った文章と、『青い芝』という全国青い芝の機関誌に載った文章を、そのままくっつけて一つにしたような文章が載っているんです。
 そういう意味で言うと、実は72年〜73年においては――今の朝日新聞社は、私は、だらしない新聞社だと思っていますけれども――朝日新聞社はそれなりに元気だったんですね。シリーズ7巻本で『日本の医療を告発する』、そういうシリーズ本を、朝日新聞社編という形で朝日新聞社から出しています。その本の中の1冊(朝日新聞社編[1973])に、横塚さんが書いた文章(横塚[1973])があるわけです。それからNHKのドキュメンタリーで取り上げられている。そういう意味で言えば、少なくとも70〜73年の間の青い芝というのは、それなりに世間の注目を集めたというか、少なくともメディアの人たちが、この人たちが言っていることは大切だというふうに思って、それをそういう媒体に積極的に載せようようとした時期があったということなんです。
 それが70年代末から80年代にかけて、消えていくんです。それは、端的に言えば、彼らが言ったことが、とりわけ福祉業界の人たちにとって耳障りなものであったということが、一つの大きな理由だと思います。
 私は90年に本(安積他[1990]、増補改訂版[1995]、第3版[2012])を書いたときに、70年代、80年代に書かれた社会福祉、障害者福祉の本を、たぶん全部読んだと思います。ちょっと大げさですけれども、全部読んだに近いと思います。ほとんどどこにも、青い芝の痕跡もないわけです。それは、端的に言えば、彼らが言ったことというのが社会福祉業界にとって耳障りな出来事であって、それに対して反論するというのではなくて、黙殺するという形で対応した。その結果、あったことがなかったようになって、20年ぐらいが過ぎたんです。
 それを、再発見と言うとおこがましいけれど、僕は80年代の終わりぐらいに知りました。言っていることは正しいし、面白いと思った。賛成でも反対でも構わないけど、それは「知れよ」みたいな感じで、『生の技法』という本を書いたんですね。ということがあって、そういうことがあって、それから二十何年も経っているわけだけれども、それなりに、こういうムーブメント、思想っていうものがあったんだってことは、知られるようになったとは言えると思います。
 ただ、それはいいことなのかっていうと、ここも結構微妙なとこがある。要するに、横田さんは、もう死んでしまったし、死んでしまったやつは怖くないわけですよ。もう襲いかかってきたりしない。そういうことがあったりして、もうほとぼり冷めちゃって、言ってもいいやみたいなところが、なきにしもあらずだと思います。70年代が今再現されたら、もうやってられないですよ。たとえば役所とか、大学とか、そういう意味でいうと、ほとぼり冷めてしまった。だから、もう語れるんだということもあるんだろう、それはいいことなんだろうか、そうでもないかもということです。
 そういった言論が浮いたり沈んだりするということも含めて、そのためには、どういう言論がいつあったのかというのを探さなきゃいけないし、知らなきゃいけない。「そういうことをやらなきゃいけないよね」っていう話を、今日のこのフォーラムというか、シンポジウムの打ち合わせとか全然しないで、さっきから荒井さんと僕にしか伝わんないみたいな、すごくオタクな話を30分ぐらいずっと控室でしていたんです。でも、二人だけじゃなくて、少なくとも10人とか、100人とか、知らなきゃいけないんじゃないかなというふうに思います。
 そして、それは、今じゃなきゃいけないっていうことを、ずっとこの頃言っています。10年ぐらい言っているんで、10年ぐらい経ってしまったんです。たとえば、横田さんは2013年に亡くなっています。2013年を過ぎてから、横田さんの声はもう聞けなくなっているわけですね。
 そして今日、1000円で売る予定のディスクの中にも入っている楠敏雄についての資料集(立岩編[2014])があり、楠敏雄という人は、関西の雄と言っていいと思いますけれども、視覚障害で、全障連という組織を率いた人です。彼も2014年に亡くなりました。僕らの大学院で、やっぱり視覚障害を持っている院生〔岸田典子〕が「楠さんのことで博論を書きたい」と言って始めたんだけれども、2年目ぐらいのときに、「大将、死んじゃった。どうしましょう」ということになった。でも、とは言っても2013年、2012年に聞き取りした記録があったので、それでなんとか論文を書けているわけです。そういうことがあったりする。
 それから、これも来年本にするつもりですけれども、実は日本で、精神障害者の運動というのも意外と早くから始まっているんですね。世界に先駆けてということがそんなに自慢になるかどうかは別として、1970年代の真ん中ぐらいに、それに関わった、これは名古屋の人ですけれども、大野萌子さんという人がいます。この方も2013年に亡くなっています。僕はこの2013年に、精神医療に関する造反というか、解放というか、反抗というか、そういうことについて本を書きました(立岩[2013b])。けれどもその中に出てくる、主にお医者さんたちですけれども、2011年、2012年、2013年、2014年と、年に2〜3人ずつ、僕が本の中に取り上げた重要な人物たちが亡くなっています。その人たちはもう黙して語ることはできない。そういったことが今、いろんなところで起こっている。〔大野[2014]・山本[2014]という2つのインタビューにいくらかを加えて作ろうとしている本は、2016年8月、まだできていない。〕
 荒井さんは他方でというか、一方でというか、ハンセン病に関わることを調べておられるんですけれども(荒井[2011a])で、今ハンセン病に新たにかかる人は、少なくとも日本ではいませんから、そういった中で、療養所で過ごしてきた人たちが、80とか90とかになる。確実に、あと20年も経ったら、誰もいなくなるわけです。こういったことの中で、あの人たちが戦後それこそ70年、あるいは、それより前から、何を思い、何をやってきたのかっていうことは、完全に溶解して、消えてなくなりつつあるんです。
 そういった意味で、今、横田さんについては、僕は本当に幸運なことに、生前3度もということでしょう、お話しをする機会をいただけたわけだけれども、そんなことのほうが珍しいわけです。とにかく今、過去のことを覚えているし、何かを知っている人に、自身がもちろん、何かを書く、自分で語るっていうこともあっていいだろうし。あるいは僕らのような、それのあとに続く世代が聞いて回るということも必要なんだろう、そしてそれを文字化していくっていうことが必要なんだろうと思う。
 今、僕は、大学院に勤めていて、大学院生たちとそういう仕事をしています。そういったことを僕自身も、いくらかやっていきたいと思いますし、ここにおられる方々で、そういったねたを持っているというか、そういう気持ちを持っているというか、そういう方がいらっしゃるのであれば、そういったことに力を貸していただきたい。そういうふうに思う次第です。
 たぶん時間オーバーしていますね。この辺でいったん終わらせていただきます。ありがとうございました。

 […]

◆立岩:じゃあ、少し話を続けます。僕は、けっこう年寄りを怒らせるのが得意でして、怒らせる相手の中には嫌う人もいるわけで、つまり、年寄りに嫌われるのが得意なんです。横田さんもけっこう怒っていたんですけど、でも横田さんに嫌われはしなかったかなって感じです。僕がしどもどしている様子は今度出る本に採録されているので、楽しんでください。
 ただ僕は、横田さんがしゃべってくれたっていうことでも基本的にそれを違うって思ったら言いかえすということは大切だと思っている。特に福祉の業界って、当事者が言うことは聞かなきゃいけないみたいにこの頃なっている。もちろん聞かなきゃいけないですよ。聞かなきゃいけないんだけれども、聞いた上で違うと思ったら違うって言うみたいな、そういう意味での対等な対論っていうか、そういう喧嘩っていうか、それはすごく大切だと僕は思っている。僕は、運動仲間とか、先輩とかに対しても、そういうふうにしてこようと思ってきたし、それは横田さんに対してもそうだったと思います。それはたぶん、生意気なやつだって思われながらも、横田さんがそうやって話してくれたっていうことにも関係するのかなというのが1つです。
 もう1つ、すこし広い話をすると、横塚、横田たちが70年ぐらいに言った話というのは、僕にとっては出発点なんです。だから、それは今の話に関係するんだけれども、それをそのまま引き継いで、その通りだっていうふうに僕は生きていけるのか、ものを考えられたかっていうと、そうは思えなかったんです、学生のときから。
 たとえば出生前診断なら出生前診断に関して、どう考えたらいいのかっていったときに、そんなにすっきりズバッと全部駄目って言えない自分がいるわけです。でもいいのかっていうと、そうとも思えない。そこをどういうふうに言うのかっていったときに、それは、青い芝みたいに、すっきりはっきり駄目なものは駄目って言いたいのもある。そして、それは必要です、常に。ぶれないっていうか、そういう軸っていうのは必ず必要で、「おお、あの人たち、何十年同じこと言ってんだ」って、あきれるほどですけれども、おんなじこと言っています、45年ぐらいね。だけど、最近、「ああ、そういうことも必要なのかな」と思っているんです。
 だから、そういう軸をきちっとして100年経ってもおんなじことを言っているみたいな人も必要だと思う。だけれども、それと同時に、でも、そこまで言い切れるのかなっていうところの「きわ」みたいなことを考えるっていうのが、たぶん僕の仕事だと思う。そういうふうに言えば、『私的所有論』(立岩[1997]、第2版[2013a]、英語版[2016])っていう、一見、障害者運動とはあんまり関係なさそうなものも、そこから始まっている。つまり、あの人たちが70年に言ったことを、どう次の世代が引き継ぐのかっていう問題意識で僕は考えてきたと思うんです。それが二つ目です。
 それに関係して言うと、今日、荒井さんがつくってくれたものの中に、あるいは僕がつくったものの中にも、そういうことを考えたくなるねたっていうか、ポイントがいくつもあります。これは先ほど、打ち合わせのときも少し話を出たんだけれども、たとえば、この荒井さんの資料を、よく見てみましょう。
 4ページの5、「人間についての考え方」の上です。ここに何が書いてあるかというと、『さようならCP』という映画が最初に上映されたのは、どうやら東大の「公開自主講座 公害原論」の中で72年12月10日だということです。これは宇井純、この方も亡くなりましたけれども、宇井純たちが始めた自主講座です。その当時、水俣も含めて公害が大問題でしたから、そういう時代だった、そのときです。これは一つの事件として、事実としてそうなんだけれども、そこで何が起こっているかということなんです。
 そこを読んで、ここで水俣の闘争を担い、障害者運動を担った人っていうのは、かなり重なっていることがわかります。たとえば私が直接知っている人でいえば、最首悟です。最首悟はこのとき東大の駒場にいて、この自主講座に関係した張本人でもあります。自身の子どもさんが重度のダウン症であるっていう意味でも重なっています。
 ただ、その中で、公害病の被害者と脳性マヒの障害者は一緒かというと、そうじゃないってことがここに書いてあるわけです。つまり、水俣で身体を駄目にされた、それからヒ素ミルクで身体を駄目にされたっていう発言に対して、それでいいのかっていう問いかけがここにあるんです。だから、これは大きい問いです。言われたら、そんな気もしてこないでもないわけです。でもなんかちょっと違うんじゃないかなって気もする。そうしたらチッソも免罪するのか、原発つくっていいのかっていう話になってくるわけですね。
 そういう考えるべきことが、すでに72年のこの時点で、そして、たんにそういうことが起こったというだけではなくて、そのときの発言において、すでに論点を示されているということなんです。たとえば、そういうことを考えるとき、すでにそのときより前に、こういうことを言った人がいるんだぜっていうこと。これは、たどってくと、もう何十年も前からあります、このあともあるでしょう。チェルノブイリがあったときも、同様の論争みたいなことが一瞬起こりましたし、もっと近いところでいえば、福島のときの環境などの問題、そういうことは今に引き継がれている。
 そういった意味で、過去に提起されたことには大きな論点が示されている。ただ、僕は今日、荒井さんの資料が出るまで、『さようならCP』の上映が最初にどこでやられたのか、気づいていませんでした。横塚さんの『母よ!殺すな』に『さようならCP』の上映記録がいくつか出てきます。ただ、これは明らかに全国で行われた上映記録の中のごく一部です。なぜだかわかりませんけれども、山口県と九州の記録が載っています。でも、ほかでも上映している、というようなことも含めて、押さえておく必要がある。
 それから、私の広告でしかない資料でいえば、さっき、出生前診断っていうやっかいな問題だけれども、だけど、県がやるとか県の機関がやるっていうことと、そうじゃないところがやるというのではやっぱ違うぜっていうのは――私、フーコー業者をしばらくやっていたことがあるので、フーコーの解釈については言いたいことがなくはないんですが、それはパスして――私の資料の7分の4っていうとこ、一番上のところです。
 これは松永真純さんといって、大阪人権博物館という、こういうところがちゃんとものを残さなきゃいけない、そこが橋下行革で潰されたというか、潰れてはいないんだけれども、そこを辞めざるをえなかったその松永さんが書いている論文(松永[2001])で描かれているんですが、「兵庫県の不幸な子どもの生まれない運動」というのが1970年代初めに起こります。神奈川でも同時期に同じようなことが起こります。「不幸な子どもの生まれない運動」とまではっきり言われると、さすがにむっとくるというか、なんか問題ありそうだなと思うわけです。しかし、これに関して言えば、兵庫の青い芝の連中であるとか大阪の連中が言わない限り、そのまま、すーっと行っていたかもしれないんです。だけれども、このときに、一騒動起こるわけです。たとえば、そういうことがあります。
 「不幸な子どもの生まれない運動」について、松永さんの書いたものには出ています。これが貴重な論文としてあります。その数十年後、兵庫県の大谷という産婦人科医が出生前診断を始めていっとき話題になったんですが、たとえばそのときに、30年前、40年前に、実は同じ兵庫でこういうことがあったんだっていうことを、新聞記者も誰も知らないんです。それはやばいのです。その40年前に、すでに兵庫で、これはきちんと議論になっているわけです。
 それから次に、来年か再来年か、つくろうと思ってるのですが、和歌山も一騒動あったんです。細かい話をしませんけれども、和歌山では「黒潮の子運動」っていうのがあって。「黒潮の子かよ?!」みたいな。そこまで露骨に言われると、やっぱりむっとくるわけですけども、そういうことが、実は70年代にいくつか起こってるわけです。
 神奈川は横田さんが『障害者殺しの思想』の中で書いてくれているんで、そういうことが起こったってことは、我々はわかる。兵庫に関してもぎりぎり、松永さんが、自分が人権博物館の仕事をする中で、この記録を残してくれているんで、ある程度わかる。けれども、たとえば和歌山の「黒潮の子運動」ってことになってくると、これはほとんど資料がありません。そのときに、これはどうなんだっていうことは問われているわけです。そして、もう少し時間を十年ぐらい遡ると、事態はもっと、ある意味シンプルです。殺すしかない、といった言葉が『中央公論』といった雑誌に載っている。
 先ほど少し紹介しかけた60年代の頭のぐらいのことですけれども、これ(立岩編[2015])は、やはり全部読んでもらうとよいです、ほんとに。61年、62年、63年ぐらいのものが出てきて、それに対する花田さんの反応なんか出てくるわけです。露骨です、言っていることが。「生ける屍」とか、これは殺すのに反対の立場の小林提樹の言葉ですが、今だったら言わないなって、まず思います。だけど、今だったら言わないってことはどういうことだろう、とも考えてしまう。それは我々が、何か進化しているということなのか、それとも、こういう言葉を使うとやばいぞっていうことで使わなくなったということなのか、どっちなんだろう。あるいは両方なんだろうか。そういうことを考えさせられてしまう。
 それから、これも荒井さんの本(荒井[2011b])で初めて知ったんだけれども、「私を殺してほしい!」っていう『女性自身』に載った手記(1962、立岩[2015]に再録)は実は花田春兆さんが書いた文章だそうです。横田さんが女性を騙って書いた詩と、『しののめ』の書き手は少なくとも2回、女性を騙って文章を書いたってことですね。
 また、松山善三っていう映画監督がいます。高峰秀子が妻だったんですけれども、彼女も関わって1981年に『典子は、今』っていう映画を撮っています。皆さん知っていますか。サリドマイドで生まれた熊本の人が旅に出るみたいな内容です。ノンフィクションではないんだけれども、サリドマイドの本人が出ている映画で、当時、皇太子殿下も見に行ったという、何百万人を動員したっていう映画です。この松山善三が61年に「小児マヒと闘う人々」(松山[1961]、立岩編[2015]に再録)で書いている話っていうのは、やっぱり小児マヒがいかに悲惨であって、ポリオがいかに悲惨であって、それからCPはもっと悲惨であって、それをいかに医療者たちが、一生懸命治そうと努力しているか、その涙ぐましい姿を見よ、みたいな、そういう話なんです。そういう話がこの中であって、なおかつ、それから8年という短い時間の間に、1970年っていう時が訪れる。これは一体なんだろかっていうことです。
 しかも、話はもっと複雑でもあるかもしれず、これもさっき荒井さんと雑談したんだけれども、たとえば横塚晃一は、整肢療護園っていう、日本でいえばリハビリテーションっていうか、医療的リハビリテーションっていったらいいんですか、そういったものの先駆みたいなところに入っていた人間でもあって、そこの自治会の会長なんかしたのかな、そういった人間でもある。脳性マヒを治すってことに一生懸命で、少なくともその時期一番先駆的であったところに、少なくとも彼は何年かいたりしたわけです。
 そうすると、障害を治すというようなこと、あるいは、障害を否定するとか肯定するっていうのは一体どういうことなのかということを、我々は否応なく考えざるを得ないことにもなるわけです。しかし、否応なく考えるためには、そういった非常に素朴な否定といったものがあった時期、そしてそれが、そのまま通った時期、そしてそれが、7年、8年と経った時期に、一転してそれに対する強力なカウンターが出ている。そのとき、それから、その後ですね、72〜73年と、その後になります。たった10年でも15年でもいいわけですけど、その間に何が起こったのかっていうことを、やはり我々は拾い上げて、そしてそれをもとにして考えていくということが必要だろう。横田さんなら、横田さんっていう人もそういうところにいた。
 僕は、さっき言いましたように、じいさんたちに嫌われながら、でも、横田さんみたいなじいさんには付き合ってもらえた。結局、「お前たちで終わったわけじゃないんだよ」っていうことを僕は言いたいんだと思います。お前たちで問いは終わってないし、答も終わってないんだ。それを我々がどうやって継ぐのかっていうことが、やっぱり、今のところ、まだ生きている人たちが、すでにもういなくなった人たちに対してできる仕事、引き継ぎ方なんじゃないかということを、僕は横田さんと話しているときも思いましたし、もっと前に学生やっているときに、この人たちが言っていることを、どう私は受けたらいいのかっていうことを考えたときに思った次第です。めちゃくちゃ長くなりましたけれども、これで終わりにしときます。

 […]

◆立岩:僕は、権利って言葉は便利だったら使えっていう、そういう立場ですけれども、その話はおきます。
 2つあって、1つは、でかい話はでかい話として、明日生きてくために、今日生きてくために、何をどうやって取っていくのかっていうことを僕は大切だと思うということです。それは本当にそう思って、どっちかって言うと僕、この20年、25年、30年っていうのは、悪い言葉として物取り主義って言いますけれども、僕、物取り主義、大切だと思っている。そうやって物を取るのに人生かけてきたみたいな人たちの側について一緒にやってきたところがあるので、そういったところから言うと、実態で言えば、比較的運動が早く起こった千葉とか、特に神奈川というのは、言ってしまえば、取れる物を取れてこなかった地域です。それはなんでなのか、これからどうしてくのかっていうことは、まさに今日・明日の問題として考えるべきことだなと思います。
 これはかなり複雑だと思っています。これ以上は話しませんけども、とにかく「これが必要だ。ただ生きてくことが必要だ」っていうときに、何を取るのか、どうやって取るのかっていうところの戦術みたいなものって言うのは、とても大切で、僕は繰り返しになりますけど、命かけてきた人たちの側についてやってきましたんで、そういったところから見ると、やっぱり違ったものが見えてくるというのが1点です。
 もう1つは、もっとでかい話で、さっき荒井さんが憲法の話をしていたけれども、要するに彼らが問題にしたのは、憲法なんかよりでかいことなんです。だから、憲法におさまらないんです。この国の憲法は、今出されているもっと悪くする案に比べればよいものっていうのは当たり前ですけれども、まあよいものだとは思っています。とはいえ、いわゆる近代社会の中に、基本的には、納まるぎりぎりくらいの感じかな、というものだと思うんですよね。
 それに対して横田さんたちの運動っていうのは、基本的には、本当はもうそのままこれがひっくり返っちゃったっていいんだっていうくらいの話なんですよね。そういう意味で言えば、捉えているものの大きさっていうのが違うんで、憲法よりでかいぞっていうことになったら、そういう道具立てを使わなくても言えるっていうか、使うと小さくなるよみたいな感じがあったのかもしれないなって気が、私はします。
 ただ、一方でそういうでかい話をしながら、でも今日・明日をどうやって生きていくかっていうところが厄介なところです。それは永遠に厄介だと思いますけれども、そこのところの折り合いっていうのを、どうつけていくかっていうことの中に、青い芝なら青い芝の提起っていうものを、今日から次に向けて、どうやって受け継ぐのかっていうのか、ヒントでもあり、あるいはそういう先人の辿ってきたものを、決してそれを模倣するっていうだけじゃなくて、新たに一歩展開し直すっていうか、道があるのかなっていうふうに、私は今日お二方のお話を聞いて思った次第です。
 すでにもう長くなっているそうですから、この辺でやめましょう。最後に、とにかく私は荷物を軽くして京都に帰りたいので、これが終わったら後ろのほうで売り子をしておりますので、僕の荷物を軽くしてください。以上です。ありがとうございます。

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◆立岩:臼井さんが今度出す本(横田・立岩・臼井[2016])は、僕の名前で検索してもらえると、いち早くどういう本が出るのかわかると思うので、よろしくお願いします。

 
■文献(41)

荒井 裕樹 2011a 『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』,現代書館
◆―――― 2011b 『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』,書肆アルス
◆朝日新聞社 編 1973 『立ちあがった群像』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療6
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店→1995 増補改訂版,藤原書店
◆―――― 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店
◆―――― 2012 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版
花田 春兆 1963a 「切捨御免のヒューマニズム」,『しののめ』50→花田[1968],立岩編[2015]
◆―――― 1963b 「お任せしましょう水上さん」,『しののめ』51→花田[1968],立岩編[2015]
◆―――― 1968 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7
◆石川 達三・戸川 エマ・小林 提樹・水上 勉・仁木 悦子 1963 「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」,『婦人公論』48-2:124-131→立岩編[2015]
◆松永 真純 2001 「兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」と障害者の生」,『大阪人権博物館紀要』5:109-126→立岩・定藤編[2004:3-15]
◆松山 善三 1961/09 「小児マヒと闘う人々」,『婦人公論』46-11:116-121→立岩編[2015]
水上 勉 1963a 「拝啓池田総理大臣殿」,『中央公論』1963-6:124-134→池田[1963],池田[1980],立岩編[2015]
◆―――― 1963b『日本の壁』,光風社
◆―――― 1963c 「「島田療育園」を尋ねて――重症心身障害の子らに灯を」(特別ルポ),『婦人倶楽部』1963-8:198-202→立岩編[2015]
◆―――― 1980 『生きる日々――障害の子と父の断章』,ぶとう社
大野萌子/聞き手:立岩真也・桐原尚之・安原荘一 2014 「私の筋が通らない,それはやらないと。――精神障害者運動の黎明を生きて」(インタビュー),『現代思想』42-8(2014-5):192-206
◆疾走プロダクション 1972 『さようならCP――シナリオ』→横塚[2007][2010:377-412]
『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店
◆―――― 2007 「解説」,横塚[2007:391-428→2010:427-461]
◆―――― 2008 『良い死』,筑摩書房
◆―――― 2013a 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版
◆―――― 2013b 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社
◆―――― 2015a 「再刊にあたって 解説」,横田[2015]
◆―――― 2015b 「横塚晃一――障害者は主張する」,吉見編[2015]
◆―――― 2016 On Private Property, English VersionKyoto Books
◆立岩真也 編 2014 『身体の現代・記録(準)――被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』,Kyoto Books 
◆―――― 2015 『与えられる生死:1960年代――身体の現代・記録:『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books
◆立岩 真也・定藤 邦子 編 2005 『闘争と遡行・1――於:関西+』,Kyoto Books
山本眞理 2014 「「精神病」者集団,差別に抗する現代史」(インタビュー,聞き手:立岩真也),『現代思想』42-8(2014-5):30-49
横田 弘 1979 『障害者殺しの思想』,JCA出版
◆―――― 2004 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』,現代書館
◆―――― 2015 『増補新装版 障害者殺しの思想』,現代書館
◆横田 弘・立岩 真也 2004 「差別に対する障害者の自己主張をめぐって」(対談),横田[2004:5-33]
◆横田 弘・立岩 真也・臼井 正樹 2016 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院
横塚 晃一 1973 「CP――障害者として生きる」,朝日新聞社編[1973]
◆―――― 1974 「ある障害者運動の目指すもの」,『ジュリスト』572(臨時増刊 特集 福祉問題の焦点):209-214→横塚[1975][2010:93-150]
◆―――― 1975 『母よ!殺すな』,すずさわ書店
◆―――― 1981 『母よ!殺すな 増補版』,すずさわ書店
◆―――― 2007 『母よ!殺すな 第3版』,生活書院
◆―――― 2010 『母よ!殺すな 第4版』,生活書院
◆吉見 俊哉 編 2015 『万博と沖縄返還――一九七〇前後』,岩波書店,ひとびとの精神史5


UP:20160820 REV:20160821
病者障害者運動史研究  ◇横田 弘  ◇荒井 裕樹  ◇臼井 正樹  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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