与えられる生死:1960年代

『しののめ』安楽死特集/重症心身障害児/あざらしっ子/「拝啓池田総理大臣殿」他

立岩 真也 編 2015/05/31-※
Kyoto Books 頒価:700円 gumroad経由

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Kyoto Booksから販売するものの売上げの全額を寄付することにしました(2022/12/24〜)→ 「寄付お願い・提案」。どうぞどうかよろしく。

『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/重症心身障害児/あざらしっ子/「拝啓池田総理大臣殿」他』表紙
■立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』,Kyoto Books 700

目次

文献表
索引
■紹介・言及
装丁:近藤 勇人


2017/03/29 Ver.1.5 発売!→https://gumroad.com/products/RaTK
700円 gumroad経由で販売→https://gumroad.com/products/RaTK
 以下に記載している全文を収録しています。約360K bytes(単純に文字数換算すると18万字、400字詰450枚弱)、たんにファイル名をクリックすれば、インターネットエクスプローラー等、お使いのブラウザー上で見ることができます。目次からジャンプできるようになどして読みやすくなるよう努めたつもりです。
 *値下げしました(2016.5)。値下げ前は1000円でした。

Kyoto Booksから販売される「電子書籍」(委託販売分除く)の売り上げは「自前」での研究−言論活動の仕組みを作るために使われます。
Kyoto Booksから販売するものの売上げの全額を寄付することにしました(2022/12/24〜)→「寄付お願い・提案」。どうぞどうかよろしく。
この本の紹介・この本への言及

■ver1.3を購入された方へ。もしかして開けなかったかもしれません(今はだいじょうぶです)。そういう方いらしたら立岩(tae01303@nifty.ne.jp)までお知らせください。最新版をお送りいたしす。

■増補

◆ver1.2: 2015/09/17
 花田 春兆 1974/08/05 『いくつになったら歩けるの』,ミネルヴァ書房,より『しののめ』47号特集についての記述を採録
 文献をいくつか、リンクをいくつか追加。ミス修正
 359.0kb→378.7kb
◆ver1.3: 2016/08/31
◆ver1.4: 2016/10/02 追加:「拝啓池田総理大臣殿」についての言説/荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹2015/09/26「横田弘 その思想と障害を巡って」(鼎談)より/立岩真也 2016/10/01「七・二六殺傷事件後に 2」より
 →429.7kb
◆ver1.5: 2017/03/29 表紙写真(へのリンク)追加。
 追加:2017/03/01 「施設/脱施設/病院/脱病院 生の現代のために・19 連載・131」,『現代思想』45-6(2017-3):16-27 より
 →441.6kb

※より古いものをご購入の方については無料で最新のものをお送りいたします。立岩(tae01303@nifty.ne.jp)までお知らせください。


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目次

序 立岩真也

■1961/07/13 「重身障者をもつ父として」,『朝日新聞』1961-7-13 東京夕刊: 2(投稿・「声」欄)
■松山 善三 1961/09 「小児マヒと闘う人々」『婦人公論』46-11:116-121
■1962/04/30 『しののめ』47 特輯・安楽死をめぐって
■1962/07/09 「私を殺してほしい」,『女性自身』5-27:41-44
■1962/07/10 「「女性自身」に抗議 西宮市肢体障害者協会"身障者をべっ視"」,『朝日新聞』1962-7-10大阪朝刊:11
■花田 春兆 1962/09 「ケンカする気じゃあないけれど」,『しののめ』48
■石川 達三・戸川 エマ・小林 提樹・水上 勉・仁木 悦子 1963/02 「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」,『婦人公論』48-2:124-131
■花田 春兆 1963/06 「切捨御免のヒューマニズム」,『しののめ』50
■水上 勉 1963/06 「拝啓池田総理大臣殿」,『中央公論』1963年6月号,pp.124-134
■黒金 泰美 1963/07 「拝復水上勉様――総理にかわり、『拝啓池田総理大臣殿』に応える」,中央公論』1963年7月号,pp.84-89
■水上 勉 1963/08 「島田療育園」を尋ねて――重症心身障害の子らに灯を」(特別ルポ),『婦人倶楽部』1963-8:198-202
■1963/08/03 「捜査は見合わせる 「女性自身」の福祉法違反問題 "雑誌類の扱"」,『朝日新聞』1963/08/03東京夕刊:7
■花田 春兆 1963/10 「お任せしましょう水上さん」,『しののめ』51
■花田 春兆 1965/11「うきしま」,『しののめ』57
■花田 春兆 1968/10/20 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7
■花田 春兆 1974/08/05 『いくつになったら歩けるの』,ミネルヴァ書房  ※『しののめ』47特集についての記述を採録

◆関連した文章
 ※以下は本ページ内にはリンクされていません。電子書籍に収録。

立岩 真也 2012/12/24 「『生死の語り行い・1』出てます――予告&補遺・6
立岩 真也 2012/12/27 「『生死の語り行い・1』出てます・続――予告&補遺・7」
立岩 真也 2015/06/03 「解説」(抄),横田弘『障害者殺しの思想 第2版』,現代書館(初版:1979,JCA出版)
荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹 2015/09/26 「横田弘 その思想と障害を巡って」(鼎談)より 第6回ヒューマンサービス研究会,於:神奈川県立保健福祉大学 [PDF]→2016 『ヒューマンサービス研究』
立岩 真也 2016/10/01 「七・二六殺傷事件後に 2」,『現代思想』44-19(2016-10):133-157 より
立岩 真也 2016/10/01 「七・二六殺傷事件後に 2」,『現代思想』44-19(2016-10):133-157 より
立岩 真也 2017/03/01 「施設/脱施設/病院/脱病院 生の現代のために・19 連載・131」,『現代思想』45-6(2017-3):16-27 より

文献表
索引


  2015年5月31日 第1版第1刷発行
  2015年7月17日 第1版第2刷発行
  2016年8月31日 第1版第3刷発行
  2016年10月1日 第1版第4刷発行
  2017年3月29日 第1版第5刷発行
  頒価:700円

  編者:立岩真也
  発行所:Kyoto Bookstae01303@nifty.ne.jp

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■序

 なぜ本書を作ったのかについては、以前書いた二つの文章とそして最近書いた文章の一部を末尾に置いた(→目次))。はじめの二つは『生死の語り行い・1』が二〇一二年に出たとき、その出版元である生活書院のHPに掲載された文章。一つめで日本の障害者の生死を巡る議論はすいぶん前からあることを書いた。二つめでもっと古くからあること(を長いこと忘れていたこと)、そのもと文献(一九六二年)を探して出して読まねばならないことを書いている。
 そしてその六二年の『しののめ』は国会図書館にあって、その全文をスキャンしてテキストデータにしてもらった。また私の方ではその号に掲載された花田春兆の文章から始まる花田の著書『障害者問題の出発』(六八年)から関係する文章を取り出してやはりスキャンしてデータにした。またこの前後、サリドマイド剤を飲んだ人から生まれた子たち――「あざらしっ子」とかあるいは「エンジェルベビー」とも呼ばれたことが以下に再録する文章に出てくる、また、ポリオの流行があった。ベルギーに起こったサリドマイド嬰児殺しに無罪判決がおり、それを巡る『婦人公論』誌上での議論その他がある。そこで国に子どもの生死を決める委員会を作ったらよいと発言している水上勉はその同じ年に、福祉業界では一定知られているはずの「拝啓池田総理大臣殿」という文章を『中央公論』に書いて、それが「重症心身障害児政策」に影響したともされる。本書に収録した花田の文章は、これらに反応して書かれてもいる。そして『婦人公論』には「重症心身障害児施設」の草分けとされる島田療育園の設立・運営に関わった小林提樹も参加しており、そしてその小林と花田の間では安楽死を巡る往復書簡があり、それがさきの『しののめ』誌上に掲載されるといった具合になっている。そしてその重症心身障害児施設には、当初は、脳性まひの子も、サリドマイドの子――その子は他の子たちよりも可愛いので「エンジェルベビー」と呼ばれようだ――もいた。こうしたことはかなり長くその場で働いてきた人でもないと知らないことのはずだ。そんなことが六〇年年代の数年の間に起こっている。
 とにかく、これらを残して読める状態にすることが必要だと考えた。書き手の了解を得てのものではない。それには『しののめ』の特集号が出てから五三年が経つ今、事実上不可能だろうと思えたことが一つある。もう一つ、『しののめ』は同人誌とはいえ、国会図書館に送られ、より広範な読者に読まれることを想定していたと判断した。その上で、誰もがアクセスし読めるかたちでなく、メールアドレスを把握できる経路で購入してもらう――その売り上げはさらなる資料収集・整理・公刊のために使う――かたちをとった。どうかご理解をたまわりますよう、伏してお願いもうしあげます。
 そして七〇年代になる。この時期についても資料のデータ化をすこしずつ始めている。これも公刊する予定だ。そして、今年、偶然といえば偶然だが、この六〇年代を生き、本書に登場する人たちや『しののめ』との関わりあった横田弘の『障害者殺しの思想』の再刊にあたっての「解説」を書かせていただいた(立岩[2015])。それが最近書いたとさきに記した文章で、その一部(七〇年代に入る手前まで)を本書末尾に収録した。そして横田の生前、二度ほどインタビューというか対談というかさせていただいたその記録を含む本も、横田と親交のあった臼井正樹の企画・執筆で出版されることになっている。その同輩でも後輩でもあった(といっても横田は三三年生まれ、その二年後の三五年生まれだから二歳の違いということになる)横塚晃一の『母よ!殺すな』の解説も書かせていただいているのだが(立岩[2007])、その横塚についての文章を書かねばならないことになっている(立岩[2015])。こうして続くこともある。
 この人たち、その七〇年はたしかに大切な年であり、私もそのことを幾度か書いてきた(立岩[1998]等)。ただそれを、それ以後のことを捉え考えるためにも、その数年前のできごとを、誰がどのような語り口で何を語ったのかを知る意味があると思う。
 本書は窪田好恵、中村亮太、安田智博の3氏の協力・貢献があってることができた。また厚生労働科学研究費補助金(中島孝代表)を使わせていただいた。感謝いたします。

                         2015年5月 立岩真也

 ※ △033 などとあるのはその部分までが原文の33頁にあることを示す。
 ※ ざまざまな誤りがあるものと思う。立岩(tae01303@nifty.ne.jp)までお知らせいただければありがたくぞんじます。


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■言及・紹介

◆立岩 真也 October 02, 2016 12:07 PM
  [Jsds:1446]Ver1.4リリース:『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』

2016/10/02 追加
◇「拝啓池田総理大臣殿」についての言説
(横田弘/重心親の会会長/国立療養所経営者達…)
◇荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹2015/09/26「横田弘 その思想と障害を巡って」(鼎談)より…1960年代(初頭)についての私の発言部分から
◇立岩真也 2016/10/01「七・二六殺傷事件後に 2」より
…1960年代(初頭)についての記述の部分

→429.7kb・700円
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm

「電子書籍」の売り上げを研究言論(の組織的)活動の自活のためにと思ってます。まだまだとてもなかなかですがよろしくお願いです。
http://www.arsvi.com/ts/sale.htm
そんなようなことを
http://www.arsvi.com/ts/20162221.htm
にも書きました。

http://twitter.com//ShinyaTateiwa
でもお知らせしています。立岩
http://www.arsvi.com/ts/0.htm

◆2016/08/06 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/761805828575797248
 「極悪人だけが障害者殺しを言っているのではなく、1960年代日本、福祉を推進したとされる人たちも他方では殺すこと言っていること知られてない→で作った『与えられる生死:1960年代』発売中→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm http://www.arsvi.com/ts/20150113.htm

◆2016/07/27 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/758111774780514304
 「「障害者殺し」頁、なんだか、という思いはあれど、作成 http://www.arsvi.com/d/d00k.htm 昨日の事件、ナチ政権下での障害者殺害、横塚晃一『母よ!殺すな』、横田弘『増補新装版 障害者殺しの思想』、立岩編『与えられる生死:1960年代』等の頁にリンク」

◆2016/04/26 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/724839799086026752
 「70年、連続性もありながら、断裂が起こる。60年代初頭はどうだったか→『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重症心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm 原一男企画もありみてもらえたらと宣伝しときます。」

◆2015/11/12 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/664601005342875648
 「立岩真也?@ShinyaTateiwa 石川達三・水上勉他1963「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」『婦人公論』同時期『しののめ』安楽死特集、他収録『与えられる生死』→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm  殺害と自死は区別され、同じ言葉を使うべきでないとは言えようが、その差はときにそれほど極端に大きくはない」

◆「花田春兆の74年の本より62年の『しののめ』に関わる部分引用→本に増補」
『いくつになったら歩けるの』
http://www.arsvi.com/b1900/7408hs.htm
そこに(いまは載せている)『しののめ』の安楽死の特集号に関わる記述全体を引用し
註をつけました。そしてそれを
『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』
http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm
に加えてver1.2としました。
記してありますが、5月末に出たものをお持ちで本日増補したものをご希望の方には無料で送りいたしますので立岩まで連絡ください。
https://gumroad.com/l/RaTK
からとても簡単に購入できますが、クレジットカードが不便あるいはきらいな方も直接連絡ください。
なかなか(とても)数は出ないのですが、私としては入手する価値のあるものだと思っています。
&今月26日、神奈川保健福祉大学で、上記の本にも幾度も出てくる荒井裕樹さんもお呼びする(最初の講演は長瀬修さん)企画(荒井さんと私と臼井正樹さんが長瀬さんの講演の後鼎談)があるそうです。臼井さんこのMLに入っておられたらお知らせいただければと(なければ数日後に私の方で)。ポスターのファイルはもらっています。
http://www.arsvi.com/2010/20150926.pdf

◆2015/09/17 gumroad広告
 「19620430『しののめ』47特輯・安楽死をめぐって/石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子196302「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」/花田春兆196306「切捨御免のヒューマニズム」/水上勉196306「拝啓池田総理大臣殿」/水上勉196308「島田療育園」を尋ねて――重症心身障害の子らに灯を」他全文収録 詳細は→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm をご覧ください。→2015/09/17 ver1.2発売(ver1.1をお持ちの方には無償でお送りします。)」

◆2015/08/06
 「『与えられる生死:1960年代』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm 1961/07/13「重身障者をもつ父として」『朝日新聞』・松山善三1961/09「小児マヒと闘う人々」『婦人公論』・1962/04/30『しののめ』47特輯・安楽死をめぐって→脳性まひ者たちによる最初の論集」

◆2015/07/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/622328382294855684
 「前便誤字訂正→荒井裕樹 乞御容赦 『障害と文学』http://www.arsvi.com/b2010/1102ay.htm 絶賛?発売中資料集は『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm」

◆2015/07/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/622327168593334272
 「『障害者殺しの思想』・10+花田春兆」https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1625777534355894 …「六二年六月『しののめ』四七号の特集が「安楽死をめぐって」[…]荒井[2011]にかなり詳細に紹介されている(加えてこの号の全体を資料集に収録した→※)」荒井=荒井祐樹 ※は絶賛?発売中の資料集」

◆2015/06/27
 「その前(↓)1960年代初頭はさらに素直。大きな雑誌で「肩から指の生えたアザラシ奇形児」「世間に対してプラスにならないナマコみたいな不具廃疾の人」「生きた屍」とか。それら収録→『与えられる生死:1960年代』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm &『現代思想』7月号でも」

◆2015/06/04
 「『与えられる生死』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm 1000円発送 水上勉「病院でそういう子〔所謂サリドマイド児〕が生れた場合に、白いシーツに包んでその子をすぐきれいな花園に持っていってくれればいい」(1963)同年、同じ人により「拝啓池田総理大臣殿」。全文収録」

◆2015/06/03
 「石川達三「薬がこれだけ発達し、原子力だなんだというものが実用化されて[…]もっと冷たくわりきった、はっきりしたヒューマニズムというものが一般の道徳の規準になっていかないと、やりきれないのじゃないか。」『与えられる生死』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm 1000円発送」

◆2015/06/03
 「石川達三「強度の身体障害の人たちをどうするかという問題をも含め[…]新しい別のヒューマニズムを考えなければ、とてもやりきれなくなってくるのじゃないか。[…]一方では文化程度が進んでくるにしたがって奇形児がふえてくる。」『与えられる生死』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm」

◆2015/06/02
 「196302「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」『婦人公論』「睡眠薬サリドマイドによる[…]肩から指の生えたアザラシ奇形児を[…]殺害した事件が起きた。[…]ベルギーの世論調査は母親の態度を一万六千七百対九百で支持していた。」『与えられる生死』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm」

◆2015/06/02
 「書名間違い→正しくは横田弘『増補新装版 障害者殺しの思想』。別書http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm より。松山 善三1961/09「小児マヒと闘う人々」「昨年の夏、北海道に集団発生した小児マヒは、今年は九州の熊本にとび、日本全国の子を持つ母親たちを恐怖のどん底におとし入れた。」

◆2015/06/01
 「もうすぐ横田弘『増補新版 障害者殺しの思想』(現在書館)が本屋に出るそうです。「解説」書かせてもらってます。うまく書けませんでした。この本読む「前に」『与えられる生死:1960年代』http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm 読んでください。たった8年の間に何が起こったのか?」

◆2015/06/01
 「頒布開始!1000円:1962『しののめ』47安楽死をめぐって/石川達三・小林提樹・水上勉・他1963「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」/花田春兆1963「切捨御免のヒューマニズム」/水上勉1963「拝啓池田総理大臣殿」他全文収録→http://www.arsvi.com/ts/2015b1.htm」


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立岩 真也 2012/12/24 「『生死の語り行い・1』出てます――予告&補遺・6」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa06.html

 *以下は、(いつ出るかわからないけれども、毎年は出ている)万人のための雑誌、『そよ風のように街に出よう』に書かせてもらっている、やはり連載の体をなしていない連載の、そのうち出るであろう号の一部ほぼそのまんまです。なお次回は、もうすぐ発売の『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』について書くつもりです。

『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』
 安楽死・尊厳死に関わる本を出してもらった(有馬斉との共著、生活書院、2012、詳細はHP――と書く場合はたいがい「生存学」で検索すると出てくるhttp://www.arsvi.com/)を指します→「arsvi.com 内を検索」で検索してください)。私にはすでにこの主題について『良い死』(2008)、『唯の生』(2009、ともに筑摩書房)という本があって、そこに書くべきことはだいたい書いた。また『ALS――不動の身体と息する機械』(2004、医学書院)でもこの主題にふれている。基本的なことについて加えて書くべきことはない(と私は思っている)。
 にもかかわらず、もう一冊出してもらってしまった。第1章には私の短文と韓国の国会議員会館で二〇〇九年に開催された「安楽死問題韓日国際セミナー」での講演原稿を再録し、第2章には今記した法案やらそれに対する意見やらを年代別に列挙した。第3章では哲学・倫理学を専攻する有馬が倫理学の一つの立場である「功利主義」の立場からの安楽死肯定論を紹介している。第4章では日本で出版された外国や日本の事情についての本やこの件に関わってきた人たちの本を紹介している。当初意図していたもの――ブックガイドのようなものを考えていた――は第4章だけで、そして全体として変わった作りの本になっている。それはわざとのことではある。
 一つ、今年になって、「尊厳死法制化を考える議員連盟」により「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」が示され、法案提出の可能性が出てきた。結局、二〇一二年にそれはなかったのだが、この法制化を積極的に進めてきた日本尊厳死協会は、理事長が井形昭弘氏(この方については前述のHPにかなり情報あり)から元厚生労働省医政局長の岩尾總一郎氏に代わり、このたび(二〇一二年十二月)の選挙絡みでもこのことにかかわる(積極的な)発言がときに見受けられたりし、以前にまして「あり」な話になりつつある。
 この法案が出された時、それに対して、様々な組織・人から意見が出された。そして、法制化の動きは今回を含め過去に三度あった。一九七〇年代後半に一度。私は高校生だったはずだが、まったくなんの記憶もない。そして二〇〇四年前後に一度。そして今度。それらの各々の法案――あまりかわりばえがしない――や、その時々に出された意見を収録した。その多くはこちらのHPにも掲載はしている。ただ、そこにあるからと読んだ気になる(なって終わり)ということがけっこうある。それをまとめて順番に、あるいは行ったり来たりしながら、読んでもらえたらよいと思ったのだ。
 一つ、昨年(二〇一二年)の十月、「日本生命倫理学会」の大会というのが私の勤め先の立命館大学であった。私は、まったくなにもしなかった(できなかった)のだが、だからまったく名ばかりの、「大会長」というものをつとめることになった。「生命倫理学」といってもいろいろなのだが、英米流の――というのもずいぶんおおざっぱな括りだが――それ(バイオエシックス)の大きな部分は、いわゆる(死ぬために注射したりすること等の)「積極的安楽死」「医師による自殺幇助」も含め、肯定的な立場をとる。
 第2章に収録した中の反対論・慎重論と、第3章で紹介されている議論とは、同じ主題についてであるはずなのだが、それぞれなんだか別の世界の話をしているようで、ずいぶん言うことが違う。まずそのことを知ってほしいと思った。その学会の大会で――新聞などでごく短く伝えられることはあるが、それ以上であることはまずない――違う意見の人たちが(「学会」なるものにはあまり縁がないにせよ)いることを知らせることには一定の意義があると考えた。そんなことがあって、大会にまにあうよう、かなり急ぎで、本にしてもらった。
 実は、「欧米」の状況はもっと「進んでいる」。つまり、積極的安楽死を認める国・(米国では)州は多くはないが、それを認めさせようという裁判やら立法の動きやら、たくさんある。その「先進国」の実情については児玉真美が『SYNODOS JOURNAL』に書いた「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること」(これもウェブ上で読むことができる、こちらからもリンクさせている)を読んでもらいたい。そして、加えて一つ、それらの国々で反対論を積極的に展開している部分の大きな一つが、どこでも障害者たち、その組織であることは意外と知られていないかもしれない。今度の本でもそのことはいくらか記すことはしたし、HPにもいくらか情報がある。「障害学」の英語のほうのメーリング・リストなどにもこの話題はしばしば登場し、オンラインでのアンケートというか投票というかへの(合法化反対の)反対票を、といった投稿がなされる。今日もこの原稿を書いている最中にカナダの「Euthanasia Prevention Coalition(安楽死阻止同盟)」のニューズレターが転送されてきた。
 そしてそうした国々では、「バイオエシックス」対「障害者運動・学」という構図に、おおざっぱには――というのも、前者にも反対派・慎重派はいるし、後者にも「よいではないか」という人たちもいるからだ――なっている。そのことも、たぶん日本ではあまり知られていない。第3章と第2章は、第3章は英語圏での議論の紹介、第2章は日本のでのこと(批判・慎重論を多く集めた)の紹介と、その対立に対応している。そして、とくにそこまで話が進んでしまっている――めでたいことだと私は思わない――国々でもないと、たぶん双方の言い分を互いに知らない。繰り返すが、読んでもらうとわかると思うのだが、同じことについて言ったり書いたりしているはずなのに、まるで違った世界にいるように感じられるはずだ。それはいったんなんだということになる。考えてみたい人は考えてください。慎重派・批判派も、賛成派の理論――中でも「ラディカル」なもの――について、どうしても知らねばならないとまでは言わないが、いくらかでも理屈っぽい話に耐えられる人なら、読んでもらいたいと思う。私も、書けたら、この本を出す直前に数回生活書院のサイト上でこの本の準備・広告のためにさせてもらった連載の続きでその「ずれ」がどこから発しているのか、書いてみる、かもしれない。

□じつは日本の障害者はかなり早く問題にし、そしてまた動き出している
 日本では、このテーマについて障害者運動の側はどうだったのか。一九七〇年代後半の時には、松田道雄――彼が後に立場を変えることについても今度の本に記した――他「有名人」たちによる反対声明が出された。それを支えたのが看護師・看護学の教員を長く務め、『生体実験――小児科看護婦の手記』(一九六四年、三一新書)、『増補 生体実験――安楽死法制化の危険』(一九七九、三一新書)他の著作のある清水昭美だった(その著作もこんどの本で紹介している)。医師、看護師、作家(野間宏・水上勉)といった人たちが反対を言っている。それに対して、調べが足りないからかもしれないのだが、そしてその(当時は「日本尊厳死協会」と改称する前の「日本安楽死協会」の法制化の動きとそれがいったん消える――「リビング・ウィル」を普及する活動の方に力を注いでいく――までの間が短かったせいかもしれないのだが、障害者側からの動きがあったという情報は得ていない。

 だが、ああこの人たちはこのことにも目を向けているんだなと思ったのは、それよりもっと前の時期に出されたしののめ編集部編『強いられる安楽死』(しののめ発行所、一九七三年、五三頁、二〇〇円)という冊子によってだった。次に紹介する『生の技法』を書くために、東京の山手線の田町駅からしばらくのところにある「東京都身体障害者福祉会館」の資料室――これが閉鎖されそうになって花田春兆さんらが反対の運動をしたことがあったのだが、その後どうなったのだろう?――に雑然と並べられたり積まれたりしてあった本・資料をあさっていた時、偶然見つけた。(コピーはとってある。こういう今はほとんどどこにも残っていないだろう冊子等をディジタル・データで保存・公開しようという案がある。すでに一部については『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(生活書院、二〇一〇)の著者定藤邦子『関西青い芝連合』創刊号『がしんたれ』創刊号他を全文入力したものを掲載している。そういうことをどこまでやるか。(『そよ風』創刊〇号も、コピーだが、ある。他は、誰盗んでいってないのなら、全部現物があるはず。)定藤さんはボランティアでやってくださったのだが、費用のこともさることながら、書き手や組織(もうなくなっているものも多い)の了承をもらうか、としてそれが可能か、等々をどう考えようか、ただいま思案中。)
 その冊子は、「安楽死の行なわれている事実」(山北厚)、「歴史の流れの中で」(花田春兆)、「安楽死”をさせられる立場から」(山北厚)、「福祉・社会・人間」(花田春兆)という構成になっている。そこではまず「自己決定」としての安楽死というより、殺人、例えばナチス政権下のドイツで行なわれた安楽死、というよりたんなるそして大規模な障害者・病者の虐殺がとりあげられている。そしてそのことは最初のページに明記されてもいる。

 「ここでとりあげるのは、厳密な意味での安楽死ではありません。
 それは、確実な死が眼前に迫っているわけでも、耐えがたい肉体的苦痛が身をさいなんでいるわけでも、本人の死を希望する意志が確かめられたわけでもないからです。安楽死を肯定しようとする人々でも、正常な神経の持ち主ならば、当然数えあげる筈の最低の条件を満たしていないことになります。
 ですから、それは、安楽死という名をかりた殺人に違いないのです。」(一頁、「出版にあたって」)

 ただ、その殺人・虐殺をとりあげつつ、今でいう(「自己決定」としてなされる)安楽死・尊厳死も問題にする。例えば、花田は次のようにも記している。

 「昨秋、いわゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき、安楽死を法的に認めさせようとし、日本安楽死協会の設立を目指した動きが、クローズアップされたことがありました。ことさらに法的に認めさせようとする動きの底に、権力と結びついて、生産力となり得ないものを抹殺しようとする暗い圧力、となりかねない力を感じないわけにはいかないのです。たしかに、それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし、それが杞憂に終るのだ、という保証はどこにもないのです。」

 だから何もなかったわけではなく、すでにこの時期、問題にする声はあったということだ。もう一つ、(どうやら私と「同郷」の人らしいのだが)本間康二が出していた個人誌といってよいだろう『月刊障害者問題』(これも「レアもの」で、私のところにも何号分かのコピーがあるだけだと思う)で一九七六年、七九年とカレン事件のことが書かれている。カレン・クインランは、米国・ニュージャージー州の人で、七五年に意識を失い(失ったと判断され)、親が同年、「延命」の停止→死を求める裁判を起こし、二つの裁判所の審理・判決を経て、七六年には呼吸器が外され――こんなに早くものごとが動いたのだと今さらながら思う――すぐに死ぬかと思われたがそのあと十年生きた女性だった(この事件をとりあげた本も今度の本で紹介した)。その事件はさきほどの「生命倫理学」にも大きな影響を与えたとされる。
 もっとないか、調べなおししたらよいだろうと思いつつ、手をつけられないでいる。(なにかご存知の方は教えてください。)私がしたのは、しかし誰か読んで記憶に留めていくれているのかな?と思うのは、私の最初の本(単著)『私的所有論』(一九九七、勁草書房、二〇一三、生活書院から文庫半で第二版刊行予定)の序(の注)でこの冊子にふれたことだけだった。以下の文の「人達だった」のところに注が付いていて、その注にその冊子が紹介されている。

 「例えば、死に対する自己決定として主張される「安楽死」「尊厳死」に対して早くから疑念を発してきたのも障害を持つ人達だった。ここには矛盾があるように見える。私自身、かなりの部分は「自由主義者」だと思う。生命に対する自己決定が肯定されるべきだと思う。ここからは、ほとんど全てが許容されることになるのだが、ではそれに全面的に賛成かというとそうでもない。ここにも矛盾がある。少なくともあるように思える。これは場合によって言うことをたがえる虫のよい御都合主義ではないか。しかし、私は肯定と疑問のどちらも本当のことだと感じている。引き裂かれているように思われる(とりあえず私の)立場は、実は一貫しているはずだと感じる。両方を成り立せるような感覚があるはずである。」

 ではどのように一貫しているのか。それを考えて書くのが私の仕事ということになった。それをその本やその後の本に書いた。
 その中身を(いつもそうだが)一切省き、その後のことを記すと、二〇〇四年前後の第二次の法制化の動きの時にも「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会 」が立ち上がった。それを実質きりもりしたのも、その間は二五年ほども空いているのだが、清水さんだった。代表は、先日、二〇一二年六月十二日に亡くなられた、水俣病に関わる研究・医療…の活動で有名な(と今どきは説明を補わねばならない)原田正純さんに(清水さんが)お願いした。私もその会に名を連ねてはいるが、したのはいくつかの会での話や司会であったにすぎない。司会をいつのまにかすることになったしまった二〇〇五年六月二五日、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」発足集会でお会いしたのが、私が原田さんに直接お会いする最初で最後の機会だった。
 障害者団体も、この第二次のときには動きを見せた。「DPI日本会議」の総会(大阪・二〇〇六年六月)でこの主題がとりあげられ、私も呼ばれて話をさせていただいたことがある(私が送った原稿――他に書いたものの使い回しだが――とプログラムもHPからご覧になれる)。またその機関誌『DPI われら自身の声』二二巻二号(二〇〇六年八月)の特集が「障害者の「生」と「尊厳死」――尊厳死って?」だった。(私は「わからないから教えてくれと聞いてまわるのがよいと思う。」という文章を書いている。また、同じ号で、さきのシンポジウムにも招かれた森岡正博は、米国の障害者たちが米国の生命倫理学会に乗り込み、ひとしきり言うことを言い、学者たちは排除したりはせず、しかし、その連中が去っていくといつもの学会・学会の世界に戻っていきましたとさ、という話、「米国の障害者運動の現在」を書いている。)
 そしてこのたび、第三次法制化運動にあたっては、障害者団体、全国組織では、そして古い(古くからの)ところでは「青い芝の会」、そして「DPI日本会議」、また「人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)」――本誌編集部の河野秀忠さんがこの会に関わっていることを、私は東京であった二〇周年記念の集会の時にお会いするまで知らなかった――等々、が意見を表明している。それには、ALSの人たち(「さくら会」の橋本操――「さんづけ」あるなしが入り乱れてますが乞御容赦)は第二次の時の「阻止する会」のよびかけ人の一人でもあった)や「バクバクの会」の人たちやなど「難病」――これは日常語であるとともに日本独自の行政用語のような言葉でもある――という肩書ももちつつ、(最)重度の障害者たちが声をあげていることが大きい。長いこと、「病人」でもありながら「障害者」でもある人たちの多くは、たしかに医療者・医療機関とのつきあいが長いこともあり、病人としての意識の方が強く、障害者の組織や運動とつながりをもつことがなかった。それがこの十年ほど、そのつながりができてきている。そして実際、その「最重度」の人たちにとって尊厳死はまったく(他)人ごとではない。そしてそうした人たちとのつながりをもった(普通の?)障害者たちも、これが自分たちのことであることを実感し――先述したように、以前からなくはなかったのだが、より多く――発言するようになっている。二〇一二年に立ち上がったのは「尊厳死の法制化を認めない市民の会」(呼びかけ文を本に収録)と「尊厳死法制化に反対する会」――とくに主張に違いがあるから二つあるわけでもないようだ。後者のよびかけ人には中西正司(肩書は「DPI日本会議理事」)・川口有美子(肩書は「難病患者会」になっている)が入っている。
 私は、「優生思想との対決」ということを最もはっきり言ったのは日本の障害者運動(の一部)だったと考えている。優生保護法「改悪」反対が主張され、それがながいことかかっていちおう「撤廃」にも行ったことは知られている(と思う)。ただ、私は同じくあるいはそれ以上に――という比較が可能なのかわからないのだが――「死の決定」のことは重要であり、楽しくはないでしょうが、もっと気にしてほしいと考える。そこで今度の本を作ってもらった。(見えない人は聞くこともできる)電子書籍版も用意した。どうぞよろしく。


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立岩 真也  2012/12/27 『生死の語り行い・1』出てます・続――連載:予告&補遺・7

 前回は、『そよ風のように街に出よう』のそのうち出る号掲載の連載?の前半に書いた『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』の紹介を(かなり)水増しものだった。今回は、もうすぐ発売の『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』について書くつもりだったが、書店で買えるようになるまですこしかかりそうなので、その『生死の語り行い・1』の補足の補足のようなことを。
 前回、「じつは日本の障害者はかなり早く問題にし、そしてまた動き出している」という節?で、しののめ編集部編『強いられる安楽死』(しののめ発行所、1973年、53頁、200円)という冊子のことを紹介したのだが、昨日、ぜんぜん別のことでこちらのHPを検索していて、今記した冊子にも関係している花田春兆さんのページに行き着き、見たら、もっと前にあったことを発見した。というか、前回に紹介したのと同様、「東京都身体障害者福祉会館」の資料室で発見し、そのメモをとったのは明らかに私なのだが、忘れていた。
 花田春兆 19681020 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7,163p.,350円
 この本のコピー、(たぶん)手元にない――どなたか本なりコピーなりお持ち出したら、お貸しください→責任をもって拙著のなにかとともにお返しいたします※。太田典礼らが「安楽死協会」を設立したのが1968年1月(同年6月「日本安楽死協会」と改称)。この年の10月に出されたということである。
 私がとったメモによれば、「序・友人として」が松田道雄による文章。松田は、今度の本の第4章で取り上げた人でもあり、1970年代末の第一次の法制化運動の時には「阻止する会」の発起人の一人でもあった(が、かなり以前から、その態度には微妙なところがあり、晩年には賛成の立場の著作を書いていることは本で紹介した)。
 そしてこの本は、基本的には『しののめ』に掲載された文章の再録という形のもので、最初に置かれる文章が1962年4月※、『しののめ』47号、特集:安楽死をめぐって、に掲載された「現代のヒルコ達」。これは、かなり(とても)早い。私は――『しののめ』に「青い芝の会」の主要な人物が関わったこと、その雑誌(に集った人たち)がもとになって会が作られていったことは知りつつ――どうも文芸誌というものが苦手で、というか、それ以前に(たしか当時)入手できなかったこともあって、この雑誌はほぼまったくみていない。と書いて、荒井裕樹『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(2011、現代書館)があったではないかと思い出し、目次を見ると第2部が「いのち」の価値の語り方」で、そこに「安楽死」を語るのは誰の言葉か」、「文芸同人誌『しののめ』に見る生命観の変遷」という章がある。書いてないはずはないのだが、やはり手元にない(こちらは、買ってあるのだが、私が買った本はすべて「生存学研究センター」の書庫にあり、今そこにいないというだけの意味でない、ということ)。別に紹介することにしよう。
 そして(やはりメモだけによれば)次が、「切捨御免のヒューマニズム」(『しののめ』50号、1963年6月)で、『婦人公論』1963年2月号の座談会「奇形児は殺されるべきか」が取り上げられている。座談しているのは石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子。
 作家の水上勉(「みなかみ」と読みたくなるが、「みずかみ」が正しいらしい)はやはり1978年の「阻止する会」の声明の発起人の一人だが、この座談会では「審議会を作って適正な判断を下し適正を処置をして生死を分けて了う」といったことも述べている。そしてその人は、こちらは教科書の類にも書いてあるかもしれないのだが、自身障害児の親であり、1963年の『中央公論』に「拝啓池田総理大臣殿」を発表した人でもあり(それが再録されているらしい『日本の壁』という本の古本がアマゾンのマーケットプレイスに1冊だけあったので、ちょっと高かったが、いま注文した)、それが重症障害児への施策(具体的には民営でほそぼそと数少なくあった施設に対する公的な支援、そして施設の設立)につながっていったとされる。
 また仁木悦子(1928〜1986)は推理小説家として知られた人だが、脊椎カリエスの障害のある人でもあった。ついでに、二日市安(〜2008、翻訳家、脳性まひ、「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」等で活動)は、その人の夫だった。(私は、1980年代後半、二日市さんの世田谷の自宅で行なわれていた「「障害者の10年」研究会」というのに、幾度か、参加というか見学というか、させていただいたことがある――今度の『生の技法 第3版』にもちらっと書いたような気がする。お宅には仁木さんの写真があって、亡くなられたことは聞いたが、それがうかがっていたまだ数年前のことであることは今日まで気がつかなかった。『生の技法』のためのHP上のページを作るにあたって、今回過去に書いたものとか、整理かたがた見てみたら、私がその1993年に研究会に提出したメモがあり、前からHPに掲載されているのに気がついた。1990年代にも続いていたということだ。どうもこのへんからして記憶が怪しい。)ついでに、石川達三も作家。中学か高校の時に読書感想文の課題図書というやつで読まされて、くだらないと思ったので、そう書いた記憶しかない。
 そして小林提樹(ていじゅ、1907〜1993)は島田療護園(1992年に島田療育センターと改称)を1961年に設立した人として、そちらの業界ではたいへん有名な人であるはずだ。
 次は『しののめ』48号(1962年9月)掲載の「休暇村より生活村を」。『女性自身』の7月9日号に「私を殺してほしい」 という記事が載り、それに関西のある肢体不自由者協会会長が抗議したこと、その報道があったこと――「「女性自身」に抗議。身障者をべつ視」『朝日新聞』 (大阪本社版,7月10日)が紹介されている。
 しばらく飛ばすと『しののめ』51号(1963年10月)の「お任せしましょう水上さん」。水上が島田療護園を訪れた記事 (『婦人倶楽部』)が紹介され、さらに、女性雑誌『J』にサリドマイド剤を服用して奇形児の可能性の確率を確かめようとし、胎児を堕した父母の手記が載って、それに対する抗議があったことが記される。
 といった具合(のよう)だ。今度の私たちの本の第4章でとりあげたのは、米国やオランダ事情を紹介した本の他は、清水昭美松田道雄斎藤義彦向井承子香川知晶といった人たち。前回も紹介したように清水は、大学務めもしたが、「学術論文」というのとは別の媒体でものを書き、「阻止する」側の裏方を担った人。松田は膨大な数の「一般読者」向けの本を書いた「市井の」小児科医。斎藤は新聞記者(毎日新聞社)。向井はノンフィクション・ライター。著書『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(2006、勁草書房)を紹介した香川知晶だけが普通の意味での学者ということになる。だから学者の言う(書く)ことだけ知るだけでは「偏り」が出てしまう。(『生の技法』にも書いたことだが)実際に既にあったことが、後に輸入されたものであるかのようにされてしまう。それはまず、よくない。そしてもちろん問題はその「中身」だ。こんどの本(もう一度繰り返すと、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』)の第2章(のいくつかの文書で言われていること)と、第3章で有馬が紹介している議論とはどういう関係になっているのか。記せる機会があったら記すことにしよう。以下に記す3冊の本の2冊の著者でもある児玉真美が本書にふれた文章も読んでおいてもらいたいと思う。→http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/archive/2012/12/14

 ※『身障問題の出発』では「現代のヒルコ達」の初出は1962年6月となっているが、その号の『しののめ』は4月発行となっておりそちらを採用した(生活書院のHP掲載の文章は4月のままになっている。)
 ※コピー入手しました→本書に収録。


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■立岩真也 2015/06/03 「再刊にあたって 解説」(抄),横田弘『増補新装版 障害者殺しの思想』,現代書館(初版:1979,JCA出版)

■ここに書けないこと/書くこと
 横田弘は二〇一三年六月三日に亡くなった。一九三三年五月一五日生、享年八〇歳。横田のことについて最も詳しいのは荒井裕樹の『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(荒井[2011])だから、まずそれを読んでもらいたい。不親切かもしれないが、以下それと重複する部分はあまり記さないようにする。とはいえ最低限のことを。
 本書『障害者殺しの思想』は一九七九年にJCA出版から出版された。一月二〇日の発行日になっている。他の著書として、多くは書店で売られたというものではないが、六九年『花芯』(しののめ叢書九)、七四年『炎群――障害者殺しの思想』(しののめ叢書一三)、七五年『ころび草――脳性麻痺者のある共同生活の生成と崩壊』(自立社)、七六年『あし舟の声――胎児チェックに反対する「青い芝」神奈川県連合会の斗い』(「青い芝」神奈川県連合会叢書二)、八五年『海の鳴る日』(しののめ叢書一九)、そして二〇〇四年『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』(現代書館)がある(→文献表、他の文章の一部については「横田弘」で検索→arsvi.com内のページ)。
 『炎群』が大幅に加筆されて『障害者殺しの思想』となった。その横田――本書の再刊がなされた現代書館の編集者である小林律子さんは学生の頃横田の介助者をしていたことあって、それで「この道」に入ったと誰かから聞いたことがある――の人生がどんなであったかについては、さきの荒井の本と、私の横田へのインタビュー/との対談で本人がいくらかを語っており、それを一部に含む本が出る(横田・臼井・立岩[2015])★01。本書でもいくらか語られている。それ以上のことを知らない。略させてもらう。
 さらに、その本書の中身については解説するまでもないと思う。言われていることはまったくもってはっきりしている。そして、詩人横田弘という像がまずある人にとってはいくらか意外にも思われるかもしれない★02。本書のかなり大きな部分では、蒼い芝の会の行動し主張したそのときどきの要求書・要望書等をそのまま引用し、障害者殺しに関わる報道が列挙される。この本に限っていえば、運動の指導者でありすぐれた実践家であった横塚の短文――そのいくつかは私的な書簡の形をとったものだ――を集めた本より、その時期の出来事をそのまま詳細に伝える本である。
 事実が記され、そして主張がなされる。そのうえで、例えば私にとっては、その主張をそのまま受け入れるのかそうでないのか、ここで糾弾されている「出生前診断」や「分離教育」のことをどう考えるかといったことがこの人たちから考えることを迫られたことであり、それを考えるのが仕事であってきた。その中身は書いたものを読んでもらえたらよい★03。
 ここでは本書がある文脈というか背景というかについていくつかのことを示し、さらに横田(たち)の「思想」ついてすこし考えてみたことを記す。一九七〇年以降については書かれたものがいくつか出ているが、六〇年代から見る必要がある。私が思うのは、その前とこの時との連続と差異である。二つのことを確認して三つめにつなぐ。一つ、七〇年に動くそのほんのすこし前、「障害者殺し」が堂々と語られている。一つ、それに障害の側は無反応ではけっしてなかった。そして一つ、そうした下地があったうえで、むしろあったうえではあるが、横田たちがさらにそこから突出したということだ。いま私は、横田が本書で言及しているものも含めいくつかそうした歴史にかかわる文書を集め、冊子・報告書を続けて出していこうとしている★04。実際に当時の文章の全文を読まないとそのときの「感じ」はわからないところがあると思う。読んでいただければと思う(その媒体で全文を読めるようにしたものについては※を付した)。そして先記した荒井の本にもかなり詳しく書かれている。ここでは簡単にする。

□六〇年代・1――可哀そうに思った人たち
 ここで言いたいことは七〇年のほんの数年前、事態はもっと混沌としていた、あるいはむしろ素直に野蛮であった、あるいは素直な憐みがありそれと隣り合わせに割り切りがあったいうことである。本書に出てくる人でいくらか知られている人として太田典礼(一九〇〇〜一九八五)がいる。

 「太田典礼なる人物がいる。執念のように「日本安楽死協会」をつくり上げ、安楽死の法制化を目論んでいる男だ。
 彼のことばを借りれば、社会の中で生きて行く「資格」がある者は社会の「発展」に「貢献」できる者であり、社会の「進歩」に役立たない者、社会に負担をかける者、つまり無用な者の存在を許すことは人間にとって有害だというのである。」【7】(【】内は本書の頁数)

 「「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から『われわれを大事にしろ』などといわれては、たまったものではない。」
 これは、週刊朝日七二年
一〇月二七日号「安楽死させられる側の声にならない声」という記事にある元国会議員で、「日本安楽死協会」なる物を作ろうとしている太田典礼の言葉だ。私たち重度脳性マヒ者に取って絶対に許せない、又、絶対に許してはならないこの言葉こそ、実は脳性マヒ者(以下CP者と云う)殺し、経済審議会が二月八日に答申した新経済五ケ年計画のなかでうたっている重度心身障害者全員の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である事を、私はまず一点押えて置かなければならない。」【27】

 前者の記述は『炎群』にはない。後者は『炎群』冒頭の章「障害者殺しの思想」――『障害者殺しの思想』では第一章「障害者殺しの事実」第二章「障害者殺しの思想」となっており大幅に書き加えられている――の二頁目に出てくる。
 後者で言及されている記事は、長くすると――週刊誌や新聞の記事はどこからが題でどこからか副題か区別されていないことが一般だ――「『ぼくはききたい ぼくはにんげんなのか』――身障者殺人事件 安楽死させられる側の“声にならない声”」※というもので、太田典礼、花田春兆、植松正、那須宗一らの発言を紹介している。そしてこの部分は横塚晃一の『母よ殺すな』★05の本田勝一による序文(cf.立岩[2007→2010:459])にも、『炎群』(横田[1974:6])からとして、引用されている。
 太田については書かれたものがいくつかあり、私も言及しているし、それはすこしも楽しいことではないので、ここでは解説しない★06。言われている通りの人である。
 ただ本書初版が七九年一月に出版されたその前、七六年一月に日本に安楽死協会は理事長を太田典礼として既に設立されている。そして本書刊行の直前ということで間に合わなかったのかもしれないが、七八年十一月「末期医療の特別措置法案」が発表されている。その設立や活動に対する言及がないことをどう解するか、そして横田個人というより、七〇年代末のこの法制化運動の時、障害者の側にあまり大きな動きがあったように見えない、だとしたらそれはなぜかという疑問が残る★07。
 もう一人、作家の水上勉(一九一九〜二〇〇四)が出てくる。彼に対しても横田ははっきりとしたことを述べている――以下は『炎群』にも同じ文章がある(横田[1974:36-38])。

 「一九六〇年、日本の人民がある程度目を開こうとした安保改定阻止の運動を恐れた国家は、所得倍増計画なる幻想を人民にふりまき、その幻想だけを追い求めていった人々は、自分の周囲から幻想に追いつけないものを排除しようとし始める。作家の水上勉氏が当時の首相に宛てた「拝啓総理大臣殿」という一文こそ形は違え、ナチス・ドイツに障害者抹殺の口実を与えた父親の運動と全く一致するものなのである。これを受けた国家は一九六五年社会開発懇談会が、
 ・心身障害者は近時その数を増加しており、障害者は多く貧困に属しているので、リハビリテーションを早期におこなって社会復帰を促進せよ。
 ・社会で暮すことのむずかしい精薄については、コロニーに隔離せよ。
 と答申し、これを基として全国コロニー網の拡充、徹底した社会からの隔離政策・肉体的抹殺へと方向づけていった。」【59】★08

 「先にあげた作家の水上勉氏が次のような言葉を語っているのを私たちは注目しなければならない。
 「今の日本では、奇形児が生まれた場合、病院は白シーツに包んでその子をすぐ、きれいな花園に持って行ってくれればいい。その奇形の児を太陽に向ける施設があればいいがそんなものは日本にない。いまの日本では生かしておいたら辛い。親も子も……」
 「私は、生命審議会を作ってもらって、そこへ相談に行けば、子どもの実状や家庭の事情を審査し、生死を決定するという風にしてほしいのです。」
 「白いシーツに包んで花園へ」なんという恐しい言葉だろう。白いシーツに包むということは。花園へ運ぶということは。身体障害者は生きるな、生きてはいけない、という健全者の論理を見事に美化したものなのである。私たちは白いシーツという言葉の意味を確認し、それを根底からくつがえさなければならない。」【60】

 こうしてはっきりと激しく批判・非難されている水上が「奇形児が…」という発言をしたのは、一九六三年、『婦人公論』の二月号で、石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」という座談会(石川他[1963]※)である。その座談会の前文は次のようだ。

 「ベルギーに起こったサリドマイド嬰児殺しの無罪の判決をめぐって、賛否両論がうずまいているが、ここに日本の現実と照らし合わせて、肢体不自由者の立場から二木氏、父親の立場から水上氏、医者として小林氏、世論の代表としての石川氏、戸川氏の五氏に、おのおのの立場からの意見を聞く
 〔この記事を読まれる方に〕「睡眠薬サリドマイドによる奇形児の出生が世界の話題となっているが、昨年ベルギーのリエージュにおいては、肩から指の生えたアザラシ奇形児を母親を中心として医師・家族が加わって殺害した事件が起きた。加害者は逮捕され裁判になったのは当然だが、ベルギーの世論調査は母親の態度を一万六千七百対九百で支持していた。この事実を裏書きするように陪審員の答申は、全員無罪であったが、奇形児とはいえ人命を奪った罪が無罪であった点に疑問が残されている。」(石川他[1963:124])

 各自が何を言っているかは荒井の本でもかなり詳しく記されているし、先記した資料集(立岩編[2015])に全文を載せている。その中で、水上はたしかに引用されたことを言い、石川も「なんか新しい別のヒューマニズム」を言い、「今までのようなムード的な要素の強いヒューマニズムじゃ、もう駄目だ。もっと冷たくわりきった、はっきりしたヒューマニズムというものが一般の道徳の規準になっていかないと、やりきれないのじゃないか」と言う。後者は次のような発言に続いている。

 「僕はいつも言っているのですが、人口過剰は限界にきつつある。これから先日本の人口がふえたらどうするのか、誰も対策をもっていない。今までの五十年前、百年前のヒューマニズムの考え方で、命あるものはすべてこれを生かしていかなければならない生まれてくる子どもは生むのが親の義務だということを言っていたら、みんなが死んじゃう。健康な人間まであと五十年もたったら駄目になってしまう。強度の身体障害の人たちをどうするかという問題をも含めて、なんか新しい別のヒューマニズムを考えなければ、とてもやりきれなくなってくるのじゃないか。」(石川他[1963:131])

 そうしてこの石川の発言でこの座談会は終わっている。石川達三(一九〇五〜一九八五)と水上勉(一九一九〜二〇〇四)は作家で、水上には二分脊椎の娘がいる。それと別の意見を言うのは残りの三人で、小林提樹(一九〇八〜一九九三)は重症心身障害児施設の先駆である島田療育園の創始に中心的にかかわった医師、二日市安(後藤安彦、一九二九〜二〇〇八)の妻でもあった推理小説家仁木(一九二八〜一九八六)と江川の発言の数は少なく、小林ははっきりと殺すべきでないという主張を幾度かしている。ただ小林も水上の「レントゲンでそういう奇形児が歴然としているなら流産を奨励したいですね。」との発言に「そのときはやるべきだと思います。」と記している。つまり、本書において批判されている出生前診断・選択的中絶については否定していない。
 そしてその同じ水上が、こうした発言をした後、同じ年の六月号の『中央公論』に「拝啓池田総理大臣殿」(水上[1963a]※)という文章を書いている――それが一つめに引用した横田の文章で言及されている。これは(重症)心身障害児の福祉を前進させた一つのきっかけとなったものとしてわりあいよく知られていて、社会福祉の教科書の類にも載っていることがある(ただその全文を読んだ人は多くないだろうと思って前記した資料集に収録した)。私も「はやく・ゆっくり」の注に記した★09。
 水上は長い貧乏生活の末現在は高額納税者であることを述べた後、というかその繰り言を幾度も繰り返しながら、小林らが設立した重症心身障害児施設、島田療育園にかけられている公金がきわめて僅かであることを指摘し、もっと金をかけるように言う。それに対して翌月号の『中央公論』に黒金泰美の「拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える」(黒金[1963]※)が掲載される。いろいろと言い訳を言いつつ、「善処」しようとはしている。そして実際、配分される予算はいくらか増えることになり、施設ができていくことにもなる★10
 他にもいくつか関連する文章があるのだがあとはさきの資料集を見てもらうことにする。たしかなことは死なせるようにした方がよいと述べた人が、同じ年に福祉の充実を訴えているということである。
 そして、その水上は、それからだいぶ後にはなるが、一九七八年十一月、さきの太田典礼らが安楽死合法化法案を作成しのに対抗して発足し、同月、法案を批判する声明を出す「安楽死法制化を阻止する会」の発起人の一人でもにもなる――発起人は武谷三男・那須宗一・野間宏・松田道雄・水上勉。
 まずこういういささか複雑なというか、あるいは不可解にも思われる過程がある。あるいは、そうわかりにくはないとも言える。まず太田典礼はわかりやすすぎるほどわかりやすい。水上はそうでもない。ただ、とにかく本人は哀れであり、家族は悲惨であって、ときに死なせることをときに救うことを言っている。同じく発起人の一人である松田道雄(一九〇八〜一九九八)もその生涯において主張を幾度か変えている(立岩[2012:194-198])。彼は死のうとするその事情を考えるなら自死をそのまま肯定できないとしつつ、自己決定を大切にする人でもあり、とりわけ老いた自分のこととなれば安楽死が認められてよいと晩年に言った。太田、松田、小林は医師であり、小林は(小児科の)医師であるがゆえに子を殺すことはできないと言う。松田も、市井の、とても優れた小児科医だった。ただつまり、医師であったり親であったりし、そして右記した発起人たちも含めみなその仕事によって知られて人たちである。今風に言うと「当事者」ではない。だからだ、と言えばまずは言える。ただそれほど単純でもない。

□六〇年代・2――反発したのではあるが、の人たち
 障害者の側はどうだったのか。奥付の横田の著者略歴には一九六一年に同人になったと記されている『しののめ』が反応している。この雑誌の特集があり、光明学校の卒業生として、「特異な俳人として俳壇の中堅の位置を占め[…]日本で初めての身体障害者による同人誌「しののめ」の創刊から今日に至る迄名編集長として気を吐いている」【159】と横田によって紹介されている花田春兆(一九二五〜)の文章がいくつかある。
 まず、六二年六月『しののめ』四七号の特集が「安楽死をめぐって」だった。その号に掲載された文章については荒井[2011]にかなり詳細に紹介されている(加えてこの号の全体を資料集に収録した→※)★11。一番簡単にまとめると賛成・反対の両論がある。
 そして、さきの水上らの発言があった六三年の前後、『しののめ』に花田が書いたいくつかの文章は、六八年にまとめられた『身障問題の出発』(花田[1968]、しののめ叢書七)に収録されている。
 まず六三年二月に「現代のヒルコ達――小林提樹先生へ」(花田[1963a]※ )がある。(ヒルコ=水蛭子が横塚の文章にも横田の文章【92】にも出てるのはこのあたりが発祥なのかもしれない。)この文章の中で「「欧米ではこんな子供は生後すぐに処置して了うわけですがね」とか、いまでも痛烈に鮮明に残っている医者の言葉の数々」といった記述に続き、「処置することを認めようとする僕の合理性(?)」とも書き、「もう一方の負けん気の僕の天邪鬼な感情は」とも書く。
 また同年六月の『しののめ』掲載の「切捨御免のヒューマニズム」(花田[1963b]※)では六三年二月の座談会における水上、そしてとくに石川達三の発言を批判している。
 そして水上の「拝啓」が同年の六月に出ると、その十月、「お任せしましょう水上さん」花田[1963c]※)を掲載する。ここで花田は「拝啓」において「鮮やかに転進(?)」した水上にあきれている。そしてその二年後「うきしま」(花田1965」※)では「厚生省の重度身障害者(児)用のコロニー建設計画なるもの」に対する懸念を示している。
 それらに何が書かれているか、それをこれ以上詳細に紹介することはここではできないが、かなりの論点は出ている。そしてそれは同人誌であるかゆえにまったく無視されたというわけでもない。一つひとつの花田の文章がそれほど読まれたとは思われないが、最初の『しののめ』の安楽死の特集号は新聞等で反響を呼んだという(荒木[2011:135])。まったく知られなかったわけではない。ただ、そこには両論が並んでいる。俳人である花田の文章ではときに架空対談のような形式がとられる。こうも言えるがああも言えるというふうに進んでいく。

□七〇年――争うことにしたこと
 そして青い芝の会が障害児殺し事件の後に起こった減刑嘆願運動を批判する運動――横田の提起が最初にあったという――を始めるのが七〇年だ。まず単純に驚くのは、『中央公論』の座談会があった時から七年しか経っていないということ、そして『しののめ』の特集からも八年しか経っていないということである。
 横田(たち)の文章に書かれていること一つひとつがまったく新しいわけではない。たとえばさきに文献の名前だけあげた花田の文章のところどころに対応する箇所はある。だから、変化だけをいうのも違うようには思えるが、しかしやはりここに変化は起こっている。[…以下略…]」

□それがまるで無視されたわけではない環境[…]
□現在に[…]



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■文献(著者名50音順)
 ◆のあるものは本書収録。※は生存学研究センター収蔵

◇安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店→1995 増補改訂版,藤原書店 ※
◇―――― 19950515 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店,366p.,ISBN:489434016X 2900+ [amazon][kinokuniya] ds. ※
◇―――― 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※
荒井 裕樹 2008 「「安楽死」を語るのは誰の言葉か――六〇年代における在宅障害者の〈生命〉観」,『死生学研究』9:121- ※
◇―――― 20110210 『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』,現代書館,253p. ISBN-10: 4768435114 ISBN-13: 978-4768435113 2200+ [amazon][kinokuniya] /a01. ※
◆石川 達三・戸川 エマ・小林 提樹水上 勉仁木 悦子 196302 「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」,『婦人公論』48-2:124-131 ※
◇稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 20081130 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2310 [amazon][kinokuniya] ※
大谷いづみ 2005/03/25 「太田典礼小論――安楽死思想の彼岸と此岸」,『死生学研究』5:99-122 ※ [HTML] ※
◇―――― 2005/09/18 「1960-70年代の「安楽死」論と反対論が示唆するもの――しののめ」誌と「青い芝の会」による障害者からの異議申し立てを中心に」,第2回障害学会 於:関西大学千里山キャンパス MS WORD ※
◇折本昭子・大空仏 1962 「安楽死賛成論(往復書簡)」、『しののめ』47:31-
◇窪田好恵 201403 「重症心身障害児施設の黎明期――島田療育園の創設と法制化」,『Core Ethics』10:73-83 ※  href="http://www.r-gscefs.jp/pdf/ce10/ky01.pdf">[PDF] ※
◇―――― 2015 「全国重症心身障害児(者)を守る会」の発足と活動の背景,『Core Ethics』11:59-70 ※  href="http://www.r-gscefs.jp/wp-content/uploads/2015/04/%E3%82%B3%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B911%E5%8F%B7_06%E3%80%90%E8%AB%96%E6%96%87%E3%80%91%E7%AA%AA%E7%94%B0%E5%A5%BD%E6%81%B5.pdf">[PDF]
◆黒金 泰美 1963/07 「拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える」,『中央公論』1963年7月号,pp.84-89 ※
◇しののめ編集部編 19730315 『強いられる安楽死』
◇立岩 真也 1998 「一九七〇年――闘争×遡行の始点」,『現代思想』26-2(1998-2):216-233→立岩[2000:87-118] ※
◇―――― 20001023 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社,357+25p. ISBN:4791758528 2940 [amazon][kinokuniya] ※
◇―――― 2007 「解説」,横塚[2007:391-428→2010:427-461] ※
◇―――― 2007- 「もらったものについて・1〜」,
『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜 ※
◇―――― 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et. ※
◇―――― 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360 [amazon][kinokuniya] ※ et. English ※
◇―――― 2012- 「予告&補遺」(連載),生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa.html
◇立岩 真也・有馬斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.
◇―――― 2015 「横塚晃一――障害者は主張する」(編集部による仮題),吉見編[2015]
◇立岩 真也 編 2014/12/31 『身体の現代(準)―試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books ※
◇―――― 2014/15/31 『『しののめ』安楽死特集/重度心身障害児/あざらしっ子/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books(本書) ※
花田 春兆 1962 「現代のヒルコ達――小林提樹先生へ」、『しののめ』47→花田[1968:1-13] →花田[1968:1-13]  ※
◆―――― 1962/09 「ケンカする気じゃあないけれど」,『しののめ』48
◆―――― 1963a 「切捨御免のヒューマニズム」、『しののめ』50→花田[1968:14-23] ※
◆―――― 1963b(1963/10 「お任せしましょう水上さん」、『しののめ』51→花田[1968:78-85]
◆―――― 1965/10 「うきしま」,『しののめ』57→19681020 『身障問題の出発』,pp.33-44 ※
◇―――― 19681020 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7,163p. 350 ※/東京都障害者福祉会館403
◆松山 善三 1961/09 「小児マヒと闘う人々」『婦人公論』46-11:116-121
水上 勉 1963/06 「拝啓池田総理大臣殿」,『中央公論』1963年6月号,pp.124-134 ※
◆―――― 1963/08 「島田療育園」を尋ねて――重症心身障害の子らに灯を」(特別ルポ),『婦人倶楽部』1963-8:198-202 ※
◇―――― 1963 『日本の壁』、光風社 ※
◇―――― 1980 『生きる日々――障害の子と父の断章』、ぶとう社 ※
◇山田 真・立岩 真也 2008 「告発の流儀」,稲場・山田・立岩[2008:150-267] ※
横田弘 1969 『花芯』、しののめ発行所、しののめ叢書九
◇―――― 1974 『炎群――障害者殺しの思想』、しののめ発行所、しののめ叢書
◇―――― 1975 『ころび草――脳性麻痺者のある共同生活の生成と崩壊』、自立社、発売:化面社
◇―――― 1976 『あし舟の声――胎児チェックに反対する「青い芝」神奈川県連合会の斗い』、青い芝」神奈川県連合会叢書二
◇―――― 19790120 『障害・者殺しの思想』,JCA出版,219p. 1600 ※/東社369.27
◇―――― 1985 『海の鳴る日』、しののめ叢書一九
◇―――― 2004 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』,現代書館,262p. ISBN:4-7684-3437-1 2200+税 [amazon][kinokuniya] ※ ds
◇―――― 20015/06/03 『増補装版 障害者殺しの思想』,現代書館 ※
◇横田弘・臼井正樹・立岩真也 2015 『(題名未定)』、生活書院 ※
横塚晃一 1973 「CP――障害者として生きる」,朝日新聞社編[1973:] ※
◇―――― 1975 『母よ!殺すな』、すずさわ書店
◇―――― 1981 『母よ!殺すな 増補版』、すずさわ書店 ※
◇―――― 20070910 『母よ!殺すな 第3版』,生活書院,432p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon][kinokuniya] ※ dh
◇―――― 20100110 『母よ!殺すな 第4版』,生活書院,466p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon][kinokuniya] ※ dh
◇吉見俊哉編 2015 「万博と沖縄返還――一九七〇前後」,岩波書店,ひとびとの精神史5 ※

◆1962/04/30 『しののめ』47 特輯・安楽死をめぐって(特集部分)


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病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也