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横田弘

よこた・ひろし
1933/05/15〜2013/06/03

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 横浜市磯子区 CP 1933年5月15日 鶴見に生まれる 不就学
 『しののめ』43,46,48,49,51〜 青い芝の会 『青い芝2周年記念号』『3』『4』 1964マハラバ村 1966結婚 1967長男生まれる 1968春マハラバ村を出る 1968青い芝神奈川県連合会に参加, 1973同会長 1977青い芝全国総連合会会長代行→会長・『炎群』1974, 『ころび草』1975, 『あし舟の声』1976, 『障害者殺しの思想』1979他

◆立岩 真也 2016/04/29 『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』Kyoto Books 327.4kb \700
 ※2016/09/17:ver1.2 released.総合?文献表追加
◆横田 弘・立岩 真也・臼井 正樹 2016/03/25 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』,生活書院,235+xip. 2200+ ※ cp. o/a01.
◆横田 弘 20150603 『増補新装版 障害者殺しの思想』,現代書館,254p. ISBN-10: 4768435424 ISBN-13: 978-4768435427 2200+ [amazon][kinokuniya] ※ cp. be. o/a01

◆2013/06/03逝去

 訃報
 *PDFファイル(地図が付されています)

「青い芝の会の会」神奈川県連合会会長、横田弘さんが、平成25年6月3日(月)深夜に 亡くなられました。5月15日に80歳の誕生日を迎えられ、6月5日に、皆でお祝いの宴を催すはずの直前のことでした。
 この10年は、体調がすぐれない中でも、障害者運動への情熱を失うことなく、生涯現役を貫かれたお姿をこれからは見ることができないと、落涙の思いは絶えることがありません。ここに、謹んでご報告申し上げます。

 なお、通夜・葬儀の日程につきましては、次のとおりとなっております。

・通夜 平成25年6月8日(土) 18時〜19時
・葬儀 平成25年6月9日(日) 10時〜11時30分
・喪主 横田 覚 様(ご長男)
・場所 新横浜総合斎場(横浜市港北区新横浜1−7−5)
     電話 045−472−5550
 ○電車利用の場合   JR東海道新幹線・横浜線 新横浜駅 篠原口より徒歩約3分
 ○地下鉄利用の場合 市営地下鉄 新横浜駅より徒歩約7分
 ○車利用の場合    首都高速三ツ沢線 三ツ沢出口より約15分
               第三京浜 港北ICより約15分
  http://www.kurashinotomo.jp/sougi/saijou/shinnyokohama.html

 生花・供物のお問い合わせは、新横浜総合斎場(横浜儀典センター)にお願いします。
 電話 045−472−5550 FAX 045−472−5578

                 文責:神奈川県障害者自立生活支援センター

■著作・他

◆20150603 『増補新装版 障害者殺しの思想』,現代書館,254p. ISBN-10: 4768435424 ISBN-13: 978-4768435427 2200+ [amazon][kinokuniya] ※ cp. be. o/a01

◆20040125 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』,現代書館,262p. ISBN:4-7684-3437-1 2200+税 [amazon][kinokuniya] ※ ds

◆横田 弘・三澤了(対談) 20060811 「障害者は当たり前に生きていってはいけないのかという、それだけですよ。」
 『DPI われら自身の声』22-2 :06-15
cdxc
◆20010501 「やっぱり障害者が生きていることは当たり前じゃない」
 全国自立生活センター協議会編[2001:271-279]*
*全国自立生活センター協議会 編 20010501
 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』
 発行:全国自立生活センター協議会,:発売:現代書館,480p.

◆19980801 98全障連全国集会〜どうする差別撤廃と権利確立
 シンポジウム 戦後障害者施策と障害者運動
 シンポジスト=楠敏雄(全障連)
        横田弘(日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会)
        斉藤懸三(わっぱの会/共同連)
 コーディネーター=杉本章(順正短期大学教員)

◆19981015木 「共に生きる明日――ありのままに生きたい・横田弘」
 NHK教育テレビ

◆坂井 律子 19990610 『ルポルタージュ出生前診断――生命誕生の現場に何が起きているのか?』,日本放送出版協会,294p. 1500
 (横田に対するインタヴューを含む)

■著作

 *以下,立岩の,更新を怠っているデータベースにあったものだけ

◆19740115 『炎群――障害者殺しの思想』
 しののめ発行所,しののめ叢書13,177p. 850 ※r:[椎木章氏蔵書]/東社3639..27
◆19750810 『ころび草 脳性麻痺者のある共同生活の生成と崩壊』
 自立社,発売:化面社,255p. 1300 ※COPY/立川64/横浜
◆19761013 『あし舟の声――胎児チェックに反対する「青い芝」神奈川県連合会の斗い』
 「青い芝」神奈川県連合会叢書No.2,154p. 1000 横浜A27-60
◆19790120 『障害者殺しの思想』(↓)
 JCA出版,219p. 1600 ※/東社369.27
◆19790625 「障害者運動とその思想」
 『季刊福祉労働』03:034-043 ※COPY
◆全国青い芝の会総連合会会長代行・横田 弘 19790625 「全障連に対する声明書」
 『全障連』007:20
◇198009  『障害者殺しの思想』
 JCA出版,障害者と人権叢書 1,219p. 1600

◆19810325 「渡部昇一氏の「神聖な義務」との闘い」 cf.血友病
  『季刊福祉労働』10:126-140 ※
◆19810925 「セックス・愛・結婚への試論」
  『季刊福祉労働』12:045-051 ※
◆19831225 「産む・産まない権利とは」
  『季刊福祉労働』21:022-025 ※
◆19850706 『海の鳴る日』
  しののめ発行所,しののめ叢書19,68p. 1500 横浜A272.1-87 一部COPY
◆19860325 「””当たり前””に生きること」(古川清治氏の「対話と討論」に応えて 3)
  『季刊福祉労働』30:104-108 ※
◆19890925 「放蕩息子と付き合う方法」
  『季刊福祉労働』44:060-067 ※
◆19900925 「白馬と乳母車――天皇制のなかの障害者(わたし)」
  『季刊福祉労働』48:024-031 ※
◆19910925 「密室(やみ)から闇へ(二)――神奈川県の優生保護審査会と情報公開制度の閉鎖性」
  『季刊福祉労働』52:149-162 ※

◆後藤 安彦  19860325 「横田弘著『詩集 海の鳴る日』」(書評)
 『季刊福祉労働』30:099
◆(署名なし) 19840925 「書評:横田弘『障害者殺しの思想』」
 『季刊福祉労働』24:099-100

◆19790120 『障害者殺しの思想』,JCA出版,219p. 1600 ※copy/東社369.27

 ※は生存学資料室にあり



◆2002
◆2002
◆2008

■言及

◆立岩 真也 2015/11/25 「横塚晃一――障害者は主張する」
 吉見俊哉編『万博と沖縄返還――一九七〇前後』(ひとびとの精神史・5),岩波書店,pp.257-283

 「□敵とつきあわざるをえないということ
 戦後のでも二〇世紀のでもよいのだが、その時期の三人をと問われたら、私は、横田晃一(一九三五〜一九七八)、高橋修(一九四八〜一九九九)、吉田おさみ(一九三一〜一九八四)になる。横塚晃一より前に生まれ、共に「青い芝の会」で活動し、彼よりはずっと長く八〇歳まで生きた横田弘(一九三三〜二〇一三)の再刊された本『障害者殺しの思想』(二〇一五年、現代書館。初版は一九七八年、JCA出版)の「解説」にそう記した。その本の帯に森岡正博は横田晃一、横田弘、田中美津の三人を記している。私の三人は若くして亡くなったことにおいて共通している。横塚は四二歳、高橋は五〇歳、吉田は五二歳で亡くなった。レーニンやガンジーやマンデラは知られているだろう。ここであげた人は、田中美津は知っている人は知っていようが、他はそうでもないだろう。」

◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』 ,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※

◇第7章 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」  立岩真也(1990)

 「各自は様々な糧を与えられるが、途上に生じるこれらの問題のために下山す<176<る者が続き、六九年に最終的に崩壊する。茨城に残って生活、活動を続ける者もいるが、小山正義、後に横田弘、横塚晃一、矢田竜司らは神奈川に戻ってくる。彼らの参加によって青い芝の運動は新しい局面を迎えることになった。七二年にはたてなおし総会で「親睦派」が後退し、会長に横塚(七〇年から副会長)が選出される。運動の転回点となったのは、七〇年五月横浜で起きた、母親による二歳になる障害児の殺害事件だった。事件後、町内会、神奈川県心身障害児父母の会による母親に対する減刑嘆願運動が始まる。また父母の会は「施設もなく家庭に対する療育指導もない、生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは止むを得ざる成り行きである」という抗議文を横浜市長に提出する。これらのことはみな初めてのことではなかった。だが、「青い芝」神奈川県連合会は、それを批判する運動を展開したのである。」(立岩[1990:176-177→2013:269])
 ※

 「八一年三月、広島の会員が、電動車椅子でふみきりを横断中動けなくなって、電車にひかれ死亡するという事故がおこり、それをきっかけに兵庫・広島・福岡の青い芝の会が、電動車椅子は本質的には介助者の手を抜く健常者の御都合主義だと主張して、電動車椅子を否定する方針を八一年三月の第五回全国代表者大会に議案書修正案として提案し、受け入れられる。この大会ではこの問題の他、二つの主題について論争が行われた。あと二つは年金と作業所である。年金の要求は健常者社会への迎合を帰結するというのが批判者の主張である。また作業所は、生産主義に追随するものとして批判される。年金<213<問題などで厚生省とも関係を作ってきた白石が退き、再建委員会が設立される前に会長代行だった横田が会長に選出され、優生思想との対決が再度正面に出る。この方針は、現在も基本的に維持されている(82)。」(立岩[1990:213-214→2013:314-315])

「(9) 水上勉が『中央公論』六三年六月号に「拝啓・池田総理大臣殿」(水上[86]に再録)と題する公開書簡を発表し反響を呼ぶ(これは障害者に必ずしも肯定的に受け止められなかった。横田[74→79A:59-60]、また岡村[88:125-126]を参照)。」(立岩[1990→2013:333])

「(15) 主な会員の多くは、文芸誌『しののめ』同人の会「しののめ会」の会員でもあった。この会は、四七年、花田春兆(現在、国際障害者年日本推進協議会副代表)ら、当時全国で唯一の公立肢体不自由児学校だった光明養護学校(三一年に光明学校として設立)の卒業生によって始められた。紙面の多くは俳句・短歌・小説など文芸作品と随筆で占められているが、自らの社会的な位置を問う特集もみられ、またしののめ叢書として会員の執筆になる多くの著作を出版している。ここに初期の青い芝の会長だった山北厚(現在「しののめ」編集者)の他、国立身体障害者センターで以下に記す闘争を経験し、後に障害連(→注(66))の事務局長(現在顧問)となる二日市安、神奈川での青い芝の新しい運動を導く一人となる横田弘らも属した(この会の活動を中心とする障害者運動の戦後史としてしののめ結集部編[78]、他に花田[87]、二日市[86:24-25]等)。」(立岩[1990→2013:334-335])

「(21) 茨城県石岡市郊外の閑居山願成寺。「マハ・ラバ」はサンスクリット語で「大きな叫び」を意味する。大仏は、様々な職業・活動を経たあと、生家の寺の住職となったが、青い芝の会との繋がりがあり、会員の小山との話し合いの中からこの共同体が生まれる。ここでの生活について、参加者によるものとして横塚[74:213-214→81:93-99]、横田[75]、小山[81]。また、大仏(八四年死去)との対話を含む寺ノ門[73]、大仏の生涯を記したものとして岡村[88]、他に川口[82:142-154]。」(立岩[1990→2013:334-335])

「(22) 「…マスコミ・キャンペーン、それに追随する障害者をもつ親兄弟の動き、そしてまた、これらに雷同する形で現われる無責任な同情論はこの種の事件が起きるたびに繰り返されるものであるが、これらは全て殺した親の側に立つものであり、「悲劇」という場合も殺した親、すなわち「健全者」にとっての悲劇なのであって、この場合一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちているのである。このような事件が繰り返されるたびに、我々障害者は言い知れぬ憤りと危機態を抱かざるを得ない。」(横塚[74:209-210→81:80]、他に、神奈川連合会の機関紙『あゆみ』、横田[74][75]、等を参照)。このことは、固有に親に帰せられるものではないが、親との閉じられた相互作用の中で、より深刻なかたちで現れる。第3章を参照。青い芝の主張にも触れつつ障害児の殺害事件を取材したものとして河口[82]、新聞記事を集めたものとして神奈川県社協情報センター[86]。」(立岩[1990→2013:336])

「(23) 第一四条「…医師会の指定する医師……は、左……に該当するものに対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行なうことができる。……四、その胎児が重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病または欠陥を有しているおそれが著しいと認められるもの」。法案は、七四年五月、審議未了廃案となった。『青い芝』、『あゆみ』(特に反対集会の記録として19号付録(73年))の他、横田[74][79]等を参照。」(立岩[1990→2013:337])

「(25) 胎内の羊水を採取することにより胎児の障害を出産前に知り、障害の早期発見を行うことだが、それが妊娠中絶の前提となり、障害を理由とした生命の抹殺に繋がるとして反対運動がなされた(横田[76]、他)。」(立岩[1990→2013:337])

「(28) これまで幾度も引用されてきた、彼らの「綱領」は次のようなものである。
 「一、われらは自らがCP者であることを自覚する。/われらは、現代社会にあって『本来あってはならない存在』とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。
 一、われらは強烈な自己主張を行なう。/われらがCP者であることを自覚したとき、そこに起こるのは自らを守ろうとする意志である。われらは強烈な自己主張こそそれを成しうる唯一の路であると信じ、且つ行動する。
 一、われらは愛と正義を否定する。/われらは愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
 一、われらは問題解決の道を選ばない。/われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥笹への出発であるか、身をもって知ってきた。われらは、次々と問題提起を行うことのみわれらの行いうる運動であると信じ、且つ行動する。」
 この綱領は、神奈川県連合会の会報『あゆみ』11号(70年)に当時編集を担当していた横田が独断で執筆・掲載したもので、強い批判を受けたが、次第に会全体の中に位置づけられていく(横田[79:114-123]、岡村[88:208-210]、等)。」(立岩[1990→2013:338])

◇第10章 「多様で複雑でもあるが基本は単純であること」  立岩真也

 「まず、運動に関わってきた人中心にではあるが、多様性を示す各人・各組織の様子は『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』(全国自立生活センター協議会編[01])にある。そして、府中療育センターでの抗議運動(272頁)から始まり、東京都国立市に住むことになった三井絹子(一九四五〜)の『抵抗の証 私は人形じゃない』(三井[06])、その兄でもありやはり同じセンターから北区に移り、介助保障要求の運動他を率いた一人である新田勲(一九四〇〜)の『足文字は叫ぶ!――全身性障害のいのちの保障を』(新田編[09])、そして『愛雪――ある全身性重度障害者のいのちの物語』(新田[12])が刊行された――新田たちと「全国公的介護保障要求者組合」(379頁)については深田[09][12]。また、神奈川の青い芝の会の横田弘(一九三三〜)の対談集『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて』(横田他[04])、小山正義(一九五九〜)の『マイトレァ・カルナ――ある脳性マヒ者の軌跡』(小山[05])が刊行された。なにより長く入手することのできなかった 横塚晃一(一九三五〜一九七八)の名著『母よ!殺すな』(一九七五年初版)が大幅に増補され、新版として再刊された(横塚[07])。」(立岩[2012:501-502])

◆立岩 真也 2009/**/** 「もらったものについて・4」『そよ風のように街に出よう』78:,

 「そしてこの時期(以降)のことついて加えれば、やはりその本で山田さんが、上にいる人たちにでも誰にでも文句を言ってもよいのだという気持ちがあったことが大きかったと述べている。このことは、横田弘さんの対談集『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』(現代書館、二〇〇四年)のために横田さんと対談した時、横田さんが私に話してくれたことでもある。横田さんが属していた(今も属している)当時の「青い芝の会神奈川県連合会」の活動と、学生運動との直接の関係はない。また横田さんは学校に行っていない(行けなかった)。ただ、その対談の中で、当時の「学生さん」たちの反抗が自分たちを勇気づけることはあったといったことを話している。もちろん反体制運動というものはもっと前からあったのだが、そこで想定されている敵は、国家とか、資本家とか、強大ではあるが比較的に狭い範囲のものだった。医者であるとか学者であるとか、そうした人たちが責められることはなかった。だが、この時、否定してはならないとされているもの、良いとされているものも疑ってよく、偉いとされているものにも反抗してよいのだということになった。」

◆立岩 真也 2012/01/25 「もらったものについて・8」『そよ風のように街に出よう』82:36-40

 「それはまず、「今までだまらせられた人たちも何か言ってよいのだ」、「偉いとか立派だと思われているものを信用しなくてもよいのだ」という気分を与えた。当時、日本の障害者の多くは学校に行けてないわけで、「学生さん」たちと直接の関係はない。けれども、そういう気持ちを得たと青い芝の会で活動してきた横田弘さん(一九三五年生)が語ったことがあることを以前に紹介した。そして私は、そういうことがとても大切だと思う。当時「理論」として示され主張されことがどれほどのことであったかと言われると、しょうしょう心許ないものがある。ただ、そういうこと以前のこととして、「造反有理」的気分は大きなものをもたらした。そしてそれは、二〇一〇年に出て、その出版社がつぶれて――というのは正確ではないのだが――今年、イースト・プレスから再度刊行された『人間の条件――そんなものない』でも書いたことだが、別に言葉でなくてもよく、例えば音楽であってもよい。政治だとか思想だとかに疎かった私もそうだった。
  そしてそんな気分というものは――その時が最初なわけでもないと思うのだが――一度生じてしまうと、起こってしまうと、基本的には、なくなるものではないと私は思う。文句を言う人が少なくなって困ると古い人はよく言うが、もし世の中が実際にうまくいっているなら、それはそれでよいことだろう。そして、結局実際にそううまくは行っていないのだから、一度、言うべきは言ってよい、言いたいことは言ってよいということが体感的にわかり、それが完全に忘れられてしまうのでなければ、言われるべきことは必ず言われる。行動は起こる。それはそういうものだと思う。」


REV:....20040127, 0330 20060920, 20091105, 20120213, 20130606, 07, 20141219, 20150120, 0607, 20160424, 0904
青い芝の会  ◇脳性麻痺 (Cerebral Palsy)  ◇障害  ◇病者障害者運動史研究  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇身体×世界:関連書籍  ◇WHO 
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