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電子書籍 1994

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■新聞記事



『朝日』1994年01月04日
朝刊
未来の情報社会への模索 多彩な利用方法 マルチメディアの夢と現実
 コンピューターが文字や数字だけでなく、情報量の多い音声や映像までも処理し、さらに通信回線を通して、いつでも自由にデータをやり取りする。こうした技術の発達によって、コンピューター、テレビ、電話など複数(マルチ)の媒体(メディア)が融合し始めた。本格的な「マルチメディア」時代が到来すると、家庭や職場はどんなふうに変わっていくのだろうか。新しい生活や産業の発展に期待がふくらむ一方、実現するまでには様々な障害がある、とも指摘されている。マルチメディアの「夢と現実」を探ってみた。

 お父さんは「電子新聞」、お母さんは「映像ショッピング」、自然が好きなら山小屋に引っ込んで、通信網を使って仕事――こんな生活が、二十一世紀には、多くの家庭で見られるようになるという。
 NTTが打ち出している計画だと、二〇一五年ごろに、光ファイバーを通じて文字、音声だけでなく、映像まで双方向にやりとりできる時代になる。関西文化学術研究都市で準備を進めている広帯域総合デジタル通信網(B―ISDN)の利用実験や、NTTの神奈川県横須賀市の実験ハウスの研究をもとに、近未来の生活を描いてみると――。
 二階の書斎では、お父さんが電子新聞を読んでいた。読みたい新聞の読みたい面が原寸大で映し出せる。ひいきのプロ野球チームの記事を次々に読み比べているらしい。
 鮮明度が高いハイビジョンテレビの、さらに約四倍の情報量という超高精細画像の伝送表示システムを使っているため、文字、写真ともにくっきりしている。
 記事の一部を電子ペンで触れると拡大される。写真を選ぶと、映像に切り替わって動き出す。忙しい時には、音声で読み上げさせることも可能だ。
 一階の居間で、お母さんがゆったりとソファに腰かけ、縦一メートル、横二メートルの大型スクリーンでCATV(有線テレビ)を見ていた。「映画、スポーツなど六十チャンネルもあるのよ」と、手元のリモコンを操作して十二チャンネルずつ、次々にメニュー画面を見る。
 「もうすぐ、千チャンネルまで見られるようになるんだって。そんなにあっても使い切れないわ」と、お母さんは戸惑っている。
 花子ちゃんは部屋で、電子ピアノを練習していた。前面の画面には、やはり電子ピアノの前に座った先生の姿が映っている。先生の手先を見ると同時に、ヘッドホンを通して模範演奏を聞き、マイクを通じて会話をする。「二人で連弾もできるのよ」と得意げだ。
 東京の建設会社に勤める叔父さんは最近、趣味のスキー場に近い福島市郊外に引っ越した。一時間の電車通勤だったが、通信網の発達で月に一回の出社ですむようになったからだ。
 仕事はオフィスビルの設計が中心。自宅にはワークステーションが置いてあり、会社のコンピューターと直結している。過去の設計図を呼び出しながら、設計していく。画面は鮮明な立体画像だ。上司の自宅に通信網を通じて送り、五人の作業グループのメンバーが、自宅で参加するテレビ会議で最後の詰めをして完成、発注先にも通信網を通じて送る。問題点があれば、テレビ電話で発注者の顔を見ながら直していく。
 おばあさんは、毎日、体温や血圧のデータを掛かり付けの医者に送り、健康のチェックをしている。かぜをひいた時には、顔色もよくわかるテレビ電話で診断を受ける。
 ◇  ◇  ◇
 実験を見て想像できるのは、こんな生活だ。
 しかし、技術的にいろいろなサービスが可能になっても、それを便利と思い、生活に取り入れていく人が増えるかどうかは、採算と使い勝手しだいだ。
 利用者が増えれば、機器は大量に生産され、加速度的に値が下がる可能性がある。そして料金が下がり、さらに普及するという好循環になるかどうかがポイントだ。
 (山本晴美 長谷川智)

 ●マルチメディア関連の主な技術・製品
 <CD−ROMプレーヤー>
 CD−ROM(コンパクトディスクを使った読み出し専用メモリー)ソフトを使って音や映像を引き出す機器。
 <LD−ROMプレーヤー>
 CD−ROMソフトも使えるが、より大量の映像情報を収録できるLD(レーザーディスク)−ROMソフトを使うため、映画を背景にしたコンピューターゲームなども楽しめる。
 <マルチメディアパソコン>
 CD−ROM駆動装置、カラー画面、マイクなどを搭載し、音と画像を扱えるようにしたパソコン。
 <携帯情報端末>
 ペン入力式のパソコン、電子手帳、携帯電話、ファクスを一つにまとめ、手のひらサイズにした機器。一定の判断能力を持つものもあり、通信機能を備えている。
 <ISDNカラオケ>
 ISDN(総合デジタル通信網)を使い、飲食店やカラオケボックスに、リクエスト曲と歌詞テロップ情報を送るサービス。店舗に通信カラオケ装置を設置、業者のホストコンピューターと接続すれば、膨大な曲目から好きな曲を呼び出すことができる。
 <電子書籍>
 手のひらサイズの液晶画面に、小説や漫画を呼び出して読書できる機器。フロッピーディスクなどに収録したソフトを使う。
 <光ファイバー>
 太さ0.1mmほどのガラスの繊維。光ファイバーを使った通信ケーブルは、これまでの銅線ケーブルに比べて、情報伝達量が約1000倍もあり、細くて軽く、雷などの妨害を受けないことから伝送損失も少ない。
 <テレビ電話>
 ISDNやふつうの電話回線を使い、カラーの動画を送りながら会話できる電話。お互いの顔を見ることがきる。
 <ATM交換機>
 ISDNで使う最新鋭のデジタル交換機。音声や映像、データなど、種類が違う大量の情報を瞬時に交換できる。
 <バーチャルリアリティー>
 コンピューターがつくった仮想空間を、現実世界と同じように体験することのできる技術。コンピューターに連動した特殊なめがねと手袋を身につければ、人工空間を歩き回ったり、触る感覚をつかんだりできる。

 

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『朝日新聞』1994年01月08日
夕刊
手軽に多彩に画面で「読書」 電子ブック最新事情(スペクトル)
 コンピューターのディスプレーで電子テキストの小説やエッセーを読む行為が、日常的なものになりそうだ。電子ブックといえば今まで大容量のCD―ROMによるミニ・データベース的な内容が多かったが、最近は手軽なフロッピーディスク・ベースのものが目立ち、中身も多彩になってきた。マルチメディアとしての性格も強まりつつある。
 昨年、邦訳が出たトマス・ピンチョンの大作『重力の虹』などは、特定人物の登場場面を自由自在に追跡できる電子テキストでぜひ読みたい作品だ。登場人物が多く、常識を覆すストーリー展開が随所にあり、従来の直線的な読書スタイルでは読みにくい。作家の伊井直行さんは五百以上の見出しからなる「アイウエオ順人物紹介」を作ってやっと読破したという(「早稲田文学」昨年十二月号)。
 新潮社が、フロッピーの中から見つかった安部公房の絶筆『飛ぶ男』を単行本より二カ月早く「デジタルブック」として刊行したのは、電子本の時代を象徴する出来事だろう。デジタルブックのプレーヤーは昨年十一月、NECから発売された。フロッピーに入った小説などの文字情報を転送すると、モノクロ液晶表示の画面に一度に約二百字分が表示される。ページめくりや検索、切り抜き、文字の拡大、印付けなどの機能がある。
 『飛ぶ男』の定価は二千二百円で単行本より六百円高い。これから「新潮日本古典集成」の『方丈記』や、有名ブランドに関する注記を最新データに改めた田中康夫『なんとなく、クリスタル 1994』などが出る。早川書房は英文と翻訳を収めた『ザ・ベスト・オヴ・シャーロック・ホームズ』を出した。デジタルブックの総タイトルは二月には百点を超えそうだ。
 新潮社メディア室長の西村洋三さんは「電子出版に関心を持つ若手作家に書き下ろしも頼みたい。本離れの時代にあって、本を残す一つの道になるのではないか。絶版本を再刊するにはまとまった部数の製本が必要だが、フロッピーで電子テキストを提供すれば一部売りも可能で、名著復刻の手だてにもなる」と話す。
 近い将来、パソコン通信で電話回線を通じて電子本を買えるようになるかも知れない。現に、福岡市の「タンゴ・コミュニケーションズ」が発行する「Tango(タンゴ)」のように、パソコン通信を介して無料で流通する隔月刊の電子マガジンもすでにある。
 一方、米国の出版社ボイジャーが開発した「エキスパンド・ブック」は、文字どおり拡張された本という意味。アップル社のコンピューター、マッキントッシュで読む。ビデオや写真、音楽といった文字以外の情報を注釈という形で本文に張りつけ、自由に呼び出せるなど、マルチメディアの性格が強い。ディスプレー上でページの端を折ったりクリップをはさんだり、余白に書き込んだりでき、紙の本の機能を忠実に再現する。
 国内では、ボイジャー・ジャパンから稲垣足穂の作品集『タルホ・フューチュリカ』、リクルートからノンフィクション『マリリン・モンロー 検屍台の女神』などが出ている。定価は三千円台。ボイジャー・ジャパンは近く詩集や哲学書も刊行する。
 米国ではランダムハウス社のモダンライブラリーなどがエキスパンド・ブック化されている。『罪と罰』『失われた時を求めて』『白鯨』などの古典から、最近の『マルコムX自伝』やウィリアム・ギブソン作品集に至るまで、内容は多彩だ。レディー・ムラサキ(紫式部)の『源氏物語』もある。新刊の『だれがアメリカをつくったか』は、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけての歴史書だが、電子出版の水準の高さをうかがわせる。二分冊の原本がエキスパンド・ブック形式でCD―ROMに収められ、無声映画のビデオや政治家による演説の肉声、カラー写真などデータが豊富で、付加価値の高さは紙の本では及びもつかない。
 エキスパンド・ブック作成のための編集用ソフトも公開されている。ボイジャー・ジャパン代表の萩野正昭さんは「フロッピーによる電子出版は一冊数百円のコストで済み、従来は金と手間のかかった出版がだれにでも手軽に行えるようになる。出版文化に与える影響は大きい」とみる。
 紙の本の場合、活字の組み方や余白の取り方など、何百年もかかって蓄積された高度な製本のノウハウがある。それに比べると電子本は、心地よく読書できるという域にはまだまだ達していない。
 「ハードメーカーもソフトメーカーも、本を読む行為自体をもっと研究してほしい。電子本で紙の本を模倣しても完全な再現は難しい。むしろ付加価値を期待したい。例えば蔵書を電子テキストとして保存できれば、紙の本ほど場所をとらない利点がある」と、評論家で『本とコンピューター』の著者の津野海太郎さんはいう。
 「人類の歴史と文化の総体は紙の本の中になみなみと注がれており、それをすべてデジタル情報に移し替えるのは当分不可能でしょう。紙の本と電子本を対立的にとらえても意味はなく、一つの新しいメディアが出来つつあることを素直に面白がっていたい」

 

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『読売新聞』1994.01.12
海外旅行に便利な電子ブック発売へ/ソニー
東京朝刊
 ソニーは、海外旅行に役立つ英会話が聞ける電子ブックプレーヤー「PelaPela(ぺらぺら)DD―22」を2月1日、発売する。専用電子ブック「JTBの海外旅行英会話」1枚を添付。3037文例が収録され、空港、観光など17の場面の中からボタンで選択する。
 和訳と英文を画面で確認できるうえ、ネイティブスピーカーの発音が聞ける。市販の「広辞苑」などの再生も可能。3万9800円。(電)03・5448・3311

 

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『朝日新聞』1994年01月20日
朝刊
海外旅行に便利な電子ブックプレーヤー(情報ファイル・商品)
 ソニーが2月1日に発売する「ペラペラDD22」=写真=は、「JTB(日本交通公社)の海外旅行英会話」と題したCD−ROM(コンパクトディスクを使った読み出し専用メモリー)をかけて使う。
 よく使う英会話の文例を画面上で英文、和訳で確認できるほか、合成音ではない外国人の発音で読み上げさせることができる。文例は3037種類。3万9800円。

 

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『朝日新聞』1994年01月22日
朝刊
電子ブック版「朝日新聞一面記事」を発売<社告>
 朝日新聞朝夕刊の一面に掲載された記事を電子ブック一枚に収めた「朝日新聞―一面記事」が二月初め発売されます。
 八九年一月から九三年九月までの期間で、ちょうど昭和の終わりから平成のスタート、東西冷戦の終結、ドイツ統一、湾岸戦争、ソ連解体、バブル経済の崩壊、五五年体制の終結など内外にわたって大事件が相次いだ約五年間の記事三万件を収録しています。
 テーマやキーワード、掲載日付などで自在に検索できるほか、トップ記事や連載記事をまとめて一覧できます。また重大記事については紙面レイアウトを画像で表示して、新聞の具体的イメージを確認できます。
 定価は一枚一万九千八百円(税込み)。主な書店、電器店でお求めください。ソニー製など電子ブック専用のドライブでご覧になれます。
 お問い合わせは、朝日新聞社ニューメディア本部(03・5541・8689)または<株>紀伊国屋書店(03・3439・0123)、日外アソシエーツ<株>(03・3763・5241)まで。

 

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『朝日新聞』1994年01月24日
朝刊
21世紀−電子新聞誕生(朝日新聞創刊115周年記念特集:上)
 ●パソコンに紙面を表示
 二〇××年一月、朝日太郎(五二)は午前七時に起きて、居間にあるパソコンのボタンを押した。すると、テレビ画面に「朝日新聞」の紙面が映しだされた。朝日新聞本社で作製された紙面が衛星回線や地上回線で直接家庭に届く、記念すべき初日である。
 紙に印刷された新聞もきちんと配達されている。しかし、新しもの好きでパソコンに強い太郎は、サービスが始まると同時に電子新聞の通信網に加入した。
 一面トップは、国会議員の実力者が大手建設会社の幹部から十億円のわいろを受けた容疑で逮捕された事件を報じている。「何年たっても変わらんなあ」。太郎はため息をつきながら、画面に軽く指で触れた。過去に政治家が逮捕された事件のあらましが一覧表になって出てきた。「よっしゃ、よっしゃの元首相は五億円だったのか」
 太郎は次に一面の中央の記事を呼び出した。サッカーのワールドカップ・アジア地区予選で日本が韓国を破ったニュースだ。短い記事にカラー写真がついている。写真に指を触れると、画面が動き、約三十秒間、日本が決勝点を挙げたシーンが再現された。
 ●写真記者はビデオ必修
 これより少し前、中東のカタールで、朝日新聞運動部の山田知恵蔵(三五)と写真部のジョン・ウイリアムズ(二八)が、暑さのなか奮戦していた。日本と韓国の対戦にはらはらしながら、知恵蔵は試合の経過を次々に原稿にして電子手帳に書き込み、携帯電話につないで東京の本社に送った。
 ウイリアムズは小型のビデオカメラで試合を撮影し、映像を電話回線で本社へ。動画を茶の間に届けられるようになったので、写真部員はビデオが使えないと務まらない。アメリカの大学で映像学を学んだウイリアムズにとって、ビデオはお手のものだ。
 W杯予選は、あとひとつ勝てば本大会への出場が決まる。最終戦の相手はイラクだ。知恵蔵が「ジョン、次の試合も頼むよ」と声をかけると、ウイリアムズは笑顔でこたえた。
 ●広告の商品を画面で注文
 テレビ画面で新聞を読んでいた太郎は、出勤時間に気づき、画面を携帯用の小さな端末機に入力した。続きは満員電車の中で読む。
 太郎が出掛けたあと、今度は妻の花子(四七)が新聞を読みはじめた。画面の右側の「広告」と書いてあるところを指で触れ、この日の広告のメニューを呼び出した。その中から靴の項目を指定し、多彩なサンプルをじっくり吟味。はき心地も画面のシミュレーター(模擬装置)で試して、ようやく気にいった靴を決め、画面で注文した。代金は、へそくり用の銀行口座から引き落とされる。

 ○「夢」実現へ実験進む米 読者と編集部、双方向通信
 新聞情報を電子メディアを通じて送り届ける電子新聞の研究が、アメリカで広がっている。音声、画像、文字情報をデジタル化し、情報の送り手と受け手が双方向のやり取りをするマルチメディア技術の進歩で、研究にはずみがついた。
 カリフォルニア州の有力紙「サンノゼ・マーキュリー・ニューズ」が始めたのは、パソコン通信を使った方式。読者がパソコン画面で「ニュース」の項目を引くと、朝刊の見出しが表示され、そこから自分の読みたい記事を選ぶ。
 記事にはコード番号がついており、この番号をたたくと記事の関連情報を取り出すことができる。「チャット・ルーム」と呼ばれるコーナーでは、編集部の人間と対話もできる。同様のサービスは「ニューヨーク・タイムズ」「ロサンゼルス・タイムズ」なども近く始める予定だ。「ワシントン・ポスト」はレイアウトされた紙面を画面に映し出すサービスを計画している。
 サンノゼ紙の親会社であるナイト・リッダーが作った研究所「インフォメーション・デザイン・ラボラトリー」(IDL)では、さらに本格的な研究が進んでいる。ロジャー・フィドラー所長らが構想しているのは、電子新聞に記事や写真だけでなく動画や音声を入れることだ。画像が動くのはもちろん、パソコンに命令を与えれば、記事を読み上げてくれる。
 日本でも、書籍の分野ではNEC、富士通などのコンピューターメーカーが、手のひらサイズの液晶画面に小説や漫画を呼び出して読書できる電子書籍を実用化した。

 ○技術革新が支えるスピードと正確さ 朝日新聞社の現在
 情報を早く、正確に、きれいに、安く。この目標を実現するために朝日新聞社は新聞製作技術の革新に取り組んできた。そこで導入した新技術の中には、その後、社会に普及していったものも少なくない。
               *
 いまや家庭にまで入りこんだファクシミリを本格的に新聞製作に採り入れたのは朝日新聞だ。一九五九年六月、東京で作製した紙面を一ページ大のままそっくり電送し、札幌で印刷を始めた。日刊紙でファクシミリを実用化したのは朝日新聞が世界で初めてだった。
 それまで北海道の読者には、東京で印刷した新聞を列車で一日以上かけて運んで届けていた。二日遅れ、三日遅れの記事が届くこともしばしばだったが、これでその日のニュースが翌日には届くようになった。
 鉛の活字を使った大組み作業をより早く、楽にするために、新聞をコンピューターで製作するCTS方式の導入にも朝日新聞は先陣を切って取り組み、七二年一月、コンピューター組みの紙面を作った。日本経済新聞とほぼ同時だった。
 新聞記事がコンピューターに蓄積されたため、記事データベースで過去の記事の検索も簡単にできるようになった。八六年四月からは外部への提供が始まり、報道機関や官公庁、大学などで利用されている。
 新聞写真をより早く送るための技術開発は、次世代のカメラを生み出している。八四年のロサンゼルス五輪では、フィルムのいらない電子カメラが実用化された。
 九二年のアルベールビル五輪ではさらに進んで、画像をデジタル処理して電送するカメラが使われた。フランスでカメラのシャッターを押してから東京本社の輪転機が回り出すまで、たった六十一分。日本時間の午前一時に始まった開会式のカラー写真がその朝には家庭に届いた。今年二月のリレハンメル五輪では、さらに速くなりそうだ。

 

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『読売新聞』1994.02.21
東京国際ブックフェア94 ビジネス重視へ上々のスタート 著作権で活発な商談
東京朝刊
 ◆アジア出版交流も進む
 日本書籍出版協会など七団体で主催する「東京国際ブックフェア’94」が先月末、千葉市の幕張メッセで開かれた。八四年に「日本の本展」として隔年開催でスタート以来六回目で名称も「東京ブックフェア」そして前回からは「国際」を冠してきた。しかし単なるお祭りだけでなく、出版交流を通じた商談が重視され、アジア・太平洋地域の十三の国・地域の出版協会が参加する「アジア・太平洋出版連合(APPA)」が設立されるなど、アジアにおける本格的な国際フェアは今回から。今回以降は毎年開催の計画で、今年は「東京国際ブックフェア」元年といえそうだ
 今回のフェアにはアジア・欧米・オセアニアの三十一の国・地域から八百四十三社・団体が参加、二十万冊の本が集められた。
 会期は四日間だったが、前半二日間は出版関係者だけが対象。世界最大規模の国際書籍見本市、フランクフルト・ブックフェアをはじめ各国際ブックフェアのように著作権ビジネスの色彩を打ち出したためだ。この二日間だけで海外からの千二百七十八人を含む一万百六十四人が入場した。
 十のブースを使って取り組んだ小学館はこの二日間で今後の商談の端緒ができたほか、コミック、児童書、一般書籍の引き合いがあった。
 「一回だけの交渉で商談が成立するわけではなく、フランクフルトや他のブックフェアで顔見知りになり、事前にエージェントを通して交渉したり、ファクシミリでやりとりして契約にこぎつけるというのが普通のケース。今回から東京のブックフェアがビジネスフェアとして力を入れたことは、こうしたチャンスが増えることになり大歓迎」という。
 ドイツの最大手の出版社、ベルテレスマン社は講談社が発刊している「20世紀全記録クロニック」に大変な興味を寄せ、次のクロニックの企画に関して共同でやりたいとの意向を示したほか、香港の出版社が同社の児童物シリーズの翻訳を打診してきた。
 「アジア諸国の出版社がビジネスを目的に予想以上に来場し、各分野で商談が活発に展開したことは大変な収穫」と講談社。次回以降への期待が強まっている。
 また、著作権ビジネスの仲介をしたトーハンの海外事業部によると、台湾、香港の出版社から健康、スポーツ、婦人関連の実用書に注文があり、かなりの商談が成立した。「生活の向上にともなって、生活スタイルも日本・欧米型を意識してきているためではないか」と見ており、アジアの出版ビジネスの場としての国際ブックフェアへの一ステップになったとみてよさそうだ。
 後半の二日間は「見たこともない本にきっと出会える」をテーマに一般公開されたが、前夜から東京地方に大雪が降るというアクシデントがあったものの一万六千四百人が入場。各出版社が趣向を凝らしたブースを訪れ、ふだん本屋では手にできない書籍に見入っていた。
 今回とくに目立ったのは、電子ブック、デジタルブック、CD―ROMなどの電子出版物の出展。トーハンがマルチメディアコーナーを設けてデモンストレーションするなど、電子書籍の時代の到来も思わせた。
 一方、設立されたAPPAの目的はアジア・太平洋沿岸地域内の出版事業の推進と開発、出版交流。同時に著作権の保護、識字率の向上、出版技術の研修をすすめ、写真集、画集などの共同出版を推進し、優秀な共同出版物には賞を出すことになった。
 主催団体の一つ日本書籍出版協会の五味俊和専務理事は「商談と本のPRの併存という形になったが、実態としては第一回の東京国際ブックフェアになった。総じて好評で出展国も好意的だった。アジアにおける東京という場、日本の特性を生かし、国際ブックフェアとして定着させたい。APPAも押し付けではない途上国の出版活動の援助をする組織として活用したい」という。

 

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『朝日新聞』1994年03月30日
朝刊
松下が2代目の電子ブックを発売(情報ファイル・商品)
 松下電器産業は、電子ブックプレーヤー「KX−EBP2 データプレス」=写真左=を発売した。厚さ3cm、550gで、持ち運びに便利。音声データや英会話が聞けるスピーカーを内蔵している。連続6時間使用できる。英和・和英・国語の各辞典と英会話の入ったソフト=写真右=がついている。3万9800円。電子ブックプレーヤーは松下とソニーだけが商品化しており、松下製は2代目になる。現在、互換性のソフトが辞書類など約200本出ている。

 

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『読売新聞』1994.03.30
[出版最前線](10)インタビュー 三省堂書店社長・亀井辰朗氏(連載)
東京朝刊
 ◆書店も積極的に提案を
 全国で一日二百点もの新刊書が刊行される。電子書籍など旧来の本の概念を変えるメディアも登場した。多様な本の流通の先端、最も読者に近い場所にいる書店は、出版界の現状をどう考えているのか。本の街、東京・神田神保町に明治時代から店を構える「三省堂書店」の亀井辰朗社長にきいた。
 ◆活発に独自フェア 難しいコンビニとの共存 社会人の割合増える
 ――三、四月は書店のかきいれ時、お客の動きは?
 お陰さまで不況の影響はさほど受けていない。神保町は学生の街なので新学期は確かに忙しいが、昔ほどではない。現在うちのお客さまの約三五%が学生さんだが、十年前に比べて一〇ポイントほど下がった。
 これは若者の本離れというより、こういう見通しの悪い時代になって、社会人がよく本を読み、勉強するようになったからだと見ている。
 ――書店の立場から、出版界に望むことは。
 最近はビジネス書コーナーの本がよく動く。厳しい時代の中で、速くて的確な経済・社会情報が求められているのだろう。出版社は文芸書や専門書だけでなく、人間生活万般にわたる情報を踏まえて幅広い本作りをしてほしい。
 われわれ本屋も、流れてくる本をそのまま並べていてはだめだ。出版社が時代の要請を踏まえて本作りをするのだから、本屋もお客のニーズをつかんで商品構成と展示、セールスをするように努めている。
 ◆苦戦が続く小規模店
 ――地方の中小書店の廃業が相次ぎ、一方で郊外書店やコンビニでの販売が好調だ。書店の形態も変わりつつあるのだろうか。
 後継者不足、人件費の高騰、新刊点数が増えて一冊の本を長く店頭に置けない反面、地方の書店では新刊書が手に入りにくいなど、難問が山積している。
 コンビニは雑誌と文庫だけしか扱っていないが、今後、単行本も扱う可能性がある。われわれにはやはり脅威。とりわけ雑誌売り上げの比率が高い小規模書店は苦しんでいる。
 たとえば五千店のチェーンを持つセブンイレブンで、ある本を一店が三冊売ると計一万五千部。まとまった数が売れるから出版社にとっては魅力だろう。どう共存していくか、これも難しい問題だ。
 ――盛んにブックフェアを企画し、本をテーマごとに売っているが、読者の反応は?
 社員には世の中の動きに敏感であれと常々言っている。社会の関心事を知ることが、読者のニーズにこたえることだから。フェアの七割は店独自の企画、残りは出版社からの持ち込みだ。複数の出版社の合同フェアもある。今やっている「脳を考える」フェアには二十社ほどが参加し、読者の反応もいい。こういう営業努力で書店の独自性を出している。
 ――CD―ROMや電子ブックなど新しい形態の“本”にどう対応するか
 出版物全体のなかでは、まだ小さいし、今後どうなるか予想がつかない。しかし、電子機器を扱い慣れた世代が社会の中枢を占めはじめていること、電子出版の秘める可能性などを考えると、とりあえず辞書、辞典類や資料的なものを中心にかなり普及するだろう。うちでも数年前からデジタルブックのコーナーを設けているが、いまのところお客の反応はもう一つだ。
 本を読み考える機会を提供し、お手伝いするのが書店の役目。電子ブックも含めて、本という情報を提供することの多様な在り方を、出版社と組んで積極的に提案していきたい。
 (文化部・長山八紘記者)
 かめい・たつお 1917年東京生まれ。兵役の後、株式会社三省堂専務を経て、60年から三省堂書店社長。日本書店組合連合会理事などを歴任。同書店は、祖父・忠一氏が1881年(明治14年)に現在地で創業した。

 

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『読売新聞』1994.03.31
[出版最前線](11)インタビュー 東京造形大学教授・柏木博氏(連載)
東京朝刊
 かしわぎ・ひろし 1946年兵庫県生まれ。評論家・東京造形大学教授(近代デザイン史)・映像学会理事。著書に「近代日本の産業デザイン思想」「肖像のなかの権力」「ユートピアの夢」など。
                    ◇
 ◆本なら手軽に「検索」 読みたい部分アクセス速い
 テレビ番組を活字化した、いわゆるテレビ本の出版が盛んだ。かつては活字の原作を映像化するのが普通だったが、それが逆転しつつある。映画の小説化から始まり、最近はテレビドラマ、クイズ、ドキュメンタリー、自然科学番組などにも広がった。放送・出版のメディアミックス路線の中、映像と活字の共生の可能性について柏木博・東京造形大学教授にきいた。
 ◆テレビ本の興隆は続く 放映前に出版も
 ――テレビ映像の活字化は今後も増えるだろうか。
 しばらくは増えていくと思う。それはテレビ番組の質の問題とも関連している。八〇年代半ばから、笑いを売りにしたバラエティー番組が全盛だった。しかし最近は報道、特集、自然科学など比較的硬派の番組が多くなった。内容的にしっかりしたものも多い。つまり番組自体が、本にしても耐えられる内実を持ち始めたという側面もある。
 もう一つ、テレビの影響力に乗って本を売る戦略を、放送、出版各社が積極的に採用している。放映が終わってからではなく、放映中あるいは放映前に本を出版するケースもあるらしい。そうなると、テレビ番組を制作する際どこかで活字化を意識しながら、ということにもなるでしょう。その意識が、逆に番組の密度を濃くするといった面があるかもしれない。
 ――ビデオがこれだけ普及したのに、なぜ番組を活字化する必要があるのか。
 テレビ映像はビデオで残せばいいようなものだが、わざわざ本にするのは、映像を見ることと本を読むことが、そもそも違う体験だからではないか。ブラウン管での情報は、記憶したり確認したりするには不安定だが、印刷された映像や文字は納得いくまで手元で確かめられる。
 体験的に言っても、録画したビデオはあまり見ないものだ。「検索」という点で本の形態は意外に優れている。自分の読みたい部分へのアクセスが速いし、何回でも手軽に見直せる。
 ◆伝統的な形は残る
 ――最近話題の電子出版も含め、映像の側から活字文化への攻勢が目立つが。
 電子出版は新しいメディアとしての可能性を秘めていて、とても関心を持っている。たとえば、画面で文字を読みながら必要なときに映像も呼び出せるボイジャー社の「エキスパンド・ブック」など実際に使ってみて、ある感慨があった。こういう新しい形の“本”が普及すると、読者の読み方自体が変わるだろう
 十五世紀にグーテンベルクが活字を発明してしばらくは、人々は声を出して活字を読んだ。黙読はエリートの読み方だったらしい。それが十九世紀には黙読が普通になる。
 電子ブックというのはページをめくる感覚にスピード感があり、瞬時にそのページの内容を読み取らないとスピードに取り残されそうな感じがある。将来、速読がごく普通の読み方になるかも知れない。黙読が現代では当たり前の読書法になったように。
 メディアミックスとの関連で言えば、画像をふんだんに組み込める電子ブックは、テレビ番組の“本”化には都合がよいのではないか。しかし、そういう時代が来ても、伝統的な本の形態は残ると思う
 ――それはなぜか。
 電子ブックのように装置がいらないこと。本には電子ブックに比べて嵩(かさ)があること。本が嵩を持つことは、弱点であると同時に強みでもある。
 本が多くなれば本棚が必要になり、さらに増えれば図書館が建てられる。それは本という形式に付きまとう空間、いわば知の空間だった。そのぬくもりのある知の空間に身を置くことへの快楽はなかなか捨てきれないのではないか。(文化部・長山八紘記者)

 

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『読売新聞』1994.04.07
社説の日英対訳風デジタルブック用ソフト発行/読売新聞社
東京朝刊
 読売新聞社は6日、NECデジタルブック用ソフト「よく分かる時事英語――社説・日英読み比べ」を発行した。このソフトは、昨年7月から12月までに読売新聞に掲載され、英字日刊紙ザ・デイリー・ヨミウリに翻訳された社説のうち、とくに重要な記事74本を選んで、日英対訳風に編集し、フロッピーディスクに記録した電子書籍。「政界再編」「贈収賄罪」「偏差値」などのキーワードについての英語的な表現や、その背景についても英語で解説しており、時事英語の勉強の最適な教科書。
 値段は2300円(税込み価格)。デジタルブック・プレーヤーかNECのパソコン98シリーズで読める。(電)03・3217・8217

 

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『読売新聞』1994.05.02
[ベストセラー]〈電子ブック〉ニューメディア紀伊国屋調べ 広辞苑が1位
東京朝刊
 ◇東京都新宿区新宿
 ◆4月17日〜23日
〈1〉広辞苑第四版(岩波書店)
〈2〉平凡社電子ブック版百科事典 マイペディア(平凡社)
〈3〉リーダーズ英和辞典     (研究社)
〈4〉研究社新英和 和英中辞典  (研究社)
〈5〉漢字源 〈全漢字拡大版〉   (学研)
〈6〉ザ・ファイブスターストーリーズ「クロニクル2」(トイズプレス)
〈7〉クラウン仏和辞典      (三省堂)
〈8〉模範六法1994平成6年版 (三省堂)
〈9〉季刊 競馬盤’94保存版春号vol8(ユーマックス
〈10〉ニューホライズン イングリッシュコース中学1年(東京書籍)

 

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『朝日新聞』1994年05月10日
朝刊
電子ブック「知恵蔵」1994 17日発売 <社告>
 現代を知る用語事典として好評の『知恵蔵1994』の電子ブック版です。本体に加え、関連する新聞記事一千四百本を収録、絶滅の危機にある日本の野生動物の図版や話題の人の写真などグラフィックデータも入れ、また検索項目から関連する他の項目にジャンプができるなど機能も強化しました。
 国会議員、県会議員、市長、芸能人など各界で活躍する現代人一万三千人、ここ五年間の物故者三千人、六千の団体など名簿も完備。外来語・略語、世界都市ガイド300、日本の科学技術百年のあゆみ(年表)など、多種多様な内容を収録し、いっそう便利になりました。
 定価五千二百円(税込み)。書店、電器店、ASA(朝日新聞販売所)でお求め下さい。

 

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『朝日新聞』1994年05月10日
夕刊
デジタルブック続々 “加工”できぬ難点
 フロッピーディスクで読む本「デジタルブック」が刊行されて半年。百点余のタイトルが出そろった。軽いノリの企画が目立つ中、売れ行きは地味でも、安部公房、筒井康隆氏らの作品集など十三点をそろえた新潮社の文学路線が光る。ディスプレーで小説やエッセーを読む新しい読書スタイルの提示だが、使い勝手の悪さがネックとなっている。
 デジタルブックは専用プレーヤーかパソコンで起動して読む。問題は文字データがいわば暗号化され、しかもコピーできないように「プロテクト」がかけられていること。このためテキストファイルとしてワープロ画面に読み込み、必要部分を切り抜いて印刷するなど、本来なら電子テキストの特性と言える自在な加工処理ができない。著作権侵害防止のためとはいえ、電子ブックの可能性が狭められてしまう。
 例えば『方丈記』=写真=は「新潮日本古典集成」を底本に、本文と約六百の注釈が一枚のフロッピーに収められた。これが電子テキストとして制約なしに利用できれば、専門家に限らず、一般の読書人にも多様な読み方が可能となるだろう。
 やはり文学路線を行く米国の電子ブック規格「エキスパンド・ブック」の場合、プロテクトはなく、簡単にコピーできる。それが近々パソコン通信で電話回線を通じて購入できるようになる。購入者が違法コピーをばらまくと、それを別の人が起動するたびに、違法コピーした最初の人のパソコン通信用ID番号が表示される。いわば道義的に自制を求めるわけだ。
 新潮社の西村洋三メディア室長は「悩ましい問題です。売り上げ部数が増えれば、コピーする気も起きないほど安くできて、プロテクトの必要はなくなるのだが」と話す。これも新メディア誕生に伴う産みの苦しみなのかも知れない。

 

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『朝日新聞』1994年05月12日
夕刊
本も“脱印刷”時代へ CD−ROMなどハイテク出版物が増
 出版社の少なくとも約二割が、コンパクトディスクを記憶媒体に使ったCD―ROMやフロッピーディスクなど、紙を使わない電子出版物に取り組んでいることが、主要な出版社でつくる日本書籍出版協会(東京都新宿区)の調査でわかった。文字入力から組み版に至る全過程をコンピューター化したCTSを、何らかの形で採用した出版社は九割に達しており、協会では「文字入力の電子化がさらに電子出版物を加速する」と分析している。
 この調査は昨年、協会の生産委員会が会員の五百一社を対象に行い、このうち五六・一%にあたる二百八十一社から回答が寄せられた。印刷以外の出版物について複数回答可で尋ねたところ、フロッピーディスクと答えた社が一九・〇%、CD―ROMが八・五%、プラスチック基板に集積回路を埋め込んだICカードが二・〇%あった。
 電子出版物については、小型のCD―ROMを専用プレーヤーで読みとる「電子ブック」や、フロッピーディスクを利用した「デジタルブック」がかなりの速度で普及。コンピューター用のCD―ROMソフトも辞書や百科事典など、参考図書を中心に充実してきており、協会では調査結果はこのような動きを反映したとみている。

 

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『読売新聞』1994.05.16
進化する携帯情報家電 手軽で便利と大人気 情報端末へ脱皮間近=特集
東京朝刊
 家電不況の中で、コンピューター関連の商品は順調な売れ行きという。特に最近、注目を集めているのが片手で持てる携帯型(ハンドヘルド)の情報家電。これに、CD―ROM(コンパクトディスクを使った記憶媒体)やフロッピーディスク、名刺大のメモリーカードなどを差し込めば、液晶画面で百科事典、辞書、文芸書などの電子書籍が読めたり、電子手帳がワープロに変わったりする。手軽さと便利さが受けて、発売六か月で二十万台を売ったヒット商品もある。しかしメーカーがそれぞれ独自の技術で進出してきたため、市場はいささか混戦状態。生まれたての携帯型情報家電はこれからどう進化していくのだろうか。(情報調査部)
 ◆理想のパソコン目標
 アメリカの天才コンピューター学者アラン・ケイは、一九七二年に理想のパソコンとして「ダイナブック」の考え方を発表した。それは大判のノートほどの大きさで片手で持て、しかもグラフィック機能や通信機能を持つ革新的なコンピューターだった。文字情報だけでなく、画像や音声を作り出したり通信でやり取りできるコンピューター。パソコンはこの理想を目指して発展してきた。
 それから二十年余。いま理想的なパソコンは「マルチメディア」と呼ばれ、日米欧の電機メーカーが開発にしのぎを削っている。携帯型情報家電は、その進化途上の商品といえそうだ。
 シャープの「ザウルス」はその人気商品の一つ。同社の電子手帳は有名だが、ザウルスは従来のスケジュール管理や名簿管理などの電子手帳機能から大きく脱皮して、議事録や日報を手書きの文字や絵で作成できる機能も持っている。特殊なペンで画面に字や絵をかくとそのまま電子化され、プリンターにつなげば印刷もできる。ワープロやパソコンともつながり、必要な情報を簡単に出し入れできるのも特徴の一つ。
 東京・秋葉原の電気街にある家電量販店の大手、ヤマギワOA部の富岡茂部長は「とにかくよく売れている。これに携帯電話をつないで本社の営業情報を取り込めるようになれば、セールスマンが顧客との商談を出先で決められるようになるでしょうね」と話す。
マルチメディア入門
 秋葉原電気街のラオックス「コンピュータ館」の近くに「電子文具館」ができた。店先をのぞくと、いろいろな電子書籍のハードとソフトが並んでいる。
 ソニーが一九九〇年夏に売り出した電子ブック「データディスクマン」は、主に百科事典や辞書などの検索に適した機器。直径八センチのCD―ROMから、文字だけでなく絵や音の情報も引き出せるマルチメディア情報家電。これも携帯型だ。
 電子ブックは、紙に印刷された本では絶対できない機能をいくつか持っている。例えば「カオス」という言葉の意味もスペルも分からない場合、カタカナで「カオス」と入力して英語辞書を引くと、スペルの「chaos」、意味の「混とん」を表示するだけでなく、「ケイオス」という発音もネーティブスピーカーの声で教えてくれる。
 ソニーは電子ブックの仕様を公開し、他の電機メーカーにも生産を呼びかけた。これに応じて松下電器産業、シャープなどが電子ブック互換機を生産。ソフトも現在約百八十タイトルを数え、どのメーカーの機器でも使える。「専用の検索ソフトを使えば、パソコンでも見たり聞いたり読んだりできる。メディアにCD―ROMを選んだお陰で、マルチメディアの入門機となった」と、ソニー・データディスクマン担当の宇喜田義敬部長はいう。
 ◆電子書籍は機能も充実
 NECは昨年十一月、もっと手軽な電子書籍機器「デジタルブック」を発売した。片手で持てる情報家電としては液晶画面が大きく、文字も鮮明で読みやすい。
 使用するメディアは三・五インチのフロッピー。これを読み込み装置に差し込んで使う。収納できる情報量はCD―ROMの数百分の一だが、文庫本三冊分の文字を詰め込める。通勤電車の中でも気軽に読書ができるというのがうたい文句。
 ただ“ページ”をめくるだけでなく、日英対訳ソフトでは日本語から対応する英語へ簡単なキー操作でジャンプできたり、用語の意味や「注」をウインドーを開いて参照する、とい電子書籍ならではの機能を持っている。また囲碁・将棋ソフトは、ビッグタイトルの棋譜を盤面上に次々表示できる。
 今月末には電池寿命の長い新機種が発売され、使いやすくなる。「デジタルブックは情報消費の機器。情報を作ったり発信する機械ではない。自分のライフスタイルに合った情報を取り込み、読み捨てる道具としてさらに発展させたい」と、NECの高山由取締役はいう。
 富士通もデジタルブックとよく似た「携帯ビューア」(仮称)を近く発売する予定。記憶メディアにはメモリーカードを使う。フロッピーよりは多くの情報量を収納できるが、カードの値段が高いのが難点だ。
 情報書籍、情報家電の現状について、岩波書店ニューメディア開発室の合庭惇室長は「紙の本ではできない機能を持った電子出版はこれからの文化だが、問題はメーカーごとに別々の仕様で機器を開発し、互換性がないこと。ソフトを供給する出版社や新聞社はいつもこの問題に振り回される。各メーカーが電子文化の意義を十分認識して、ソフトがどの機械でも読んだり見たりできるようにしてほしい」と話している。
 ◆開発競争も本格化へ
 米パソコンメーカーの大手、アップル社は昨年夏、通信機能を持った本格的な情報端末「ニュートン」を発売した。アメリカでは今、モバイル・コンピューティング(通信を使ってどこでも使える携帯型コンピューター)が流行で、次々と携帯情報端末が生まれている。近く日本でも日本語版の「ニュートン」が発売される予定だ。
 「日本ではまだ、携帯電話に接続できるような情報端末は出ていない。今後は情報家電から情報端末へ進化した形での競争が本格化するだろう」と指摘するのは、パソコンソフト流通の大手、ソフトバンクの孫正義社長。
 日本電子出版協会副会長の堀内道夫・新学社常務も「情報家電が、携帯電話や既存の電話回線網と接続されれば、オンラインでデータベースにアクセスでき、モバイル・コンピューティングが実現する。将来は携帯情報端末をマルチメディア化しようという考えもあるが、カラーも音声も、となるとどうしても機器が重くなる。携帯型を無理にマルチメディア化する必要はないのではないか」と、モバイル・コンピューティングの機能性を強調する。
 情報家電がユーザーにとって、より使いやすい携帯型情報端末に生まれ変わる日も遠くなさそうだ。
 ◆「紙」を超える電子書籍
 電子書籍づくりに携わると、だれもが紙が重宝で安価な、非常に優れた情報媒体だと、いや応なく気付かされる。新メディアはこの紙をしのぐような特徴を持たせることが勝負どころ。デジタルブック用ソフト三点の制作を試みた読売新聞社が駆使した機能を紹介すると――。
◇ワンタッチ
 〈飛ぶ〉
 「よく分かる時事英語――社説・日英読み比べ」(二千三百円)は、読売新聞の社説と、英語圏出身の外国人が訳に磨きをかけているザ・デイリー・ヨミウリ用翻訳を対訳風に編集したもの。その時読んでいる日本語の個所から、該当する英語の個所へ(その逆も)、ワンタッチのキー操作で飛び移れる機能が軸になっている。
 頭をひねるような言葉の場合は特別の仕掛けを施した。例えば「連立政権」なら「coalition government」へとズバリ“着地”する
◇窓から解説
 〈開く〉
 「総会屋」とか「偏差値」などとなると、日本独特の社会背景から生まれている言葉だけに、その英語表現は一筋縄ではいかない。
 しかし、そこはコンピューターだ。読んでいるページの中にもう一つ小型のページ(ウインドー)を開いて、これらキーワードの英語的表現や、英語付きの解説を読むことができる。
 総会屋は、「sokaiya racketeers。総会屋と企業との癒着(corruption‐prone ties)を絶つため、82年の商法改正で……」といった具合だ。
◇棋譜一手ごと
 〈動く〉
 「第六期竜王決定七番勝負・激闘譜」や「第十八期棋聖決定七番勝負・激闘譜」(いずれも二千七百円)といった将棋、囲碁ソフトには、棋譜、観戦記、解説をセットで収録した。棋譜が一手ごとに画面表示される効果が抜群。ページをめくる簡単なキー操作だけで、動く盤面に変わり、流れが読み取れる。また、局面変化のつど、画面下に解説が入る。
 差し掛け図や指了図とにらめっこしながら、指し手や打ち手を読むわずらわしさから解放される意味は大きい。神経を局面の状況や先を読むことに集中できるわけで、棋書の壁を超えた“電子将棋盤”“電子碁盤”として、楽しみながら棋力アップが期待でき
 なお「棋聖戦」ソフトは今月末に発売される。
   ◇
 デジタルブックはNEC専用機のほか、PC98シリーズ(PC―98HA/LTを除くUV以降の機種、フロッピーは3・5インチ)でも読める。問い合わせは(電)03・3217・8280=情報調査部へ。注文も受け付けている。
 ◆実力養成にも役立つ/佐藤康光竜王
 「プロ将棋の世界もコンピューター化されてきて、私もパソコンで棋譜データベースを利用して研究しています。将棋の情報が新しいメディアで扱われるのはいいことで、今回の竜王戦の電子出版を歓迎しています。フロッピー1枚に多くの対局の棋譜が収められていて、とても便利。観戦記に書かれた局面がすぐに見られるなど、電子出版ならではの工夫もあります。
 すべての局面が画面に出てきますから、次の一手を考えながら読むと、実力養成にも役立つはずです。私が心血を注いだ戦いを新メディアで鑑賞してください」
 ◆進行、観戦記と同時に/趙治勲棋聖
 「碁の勉強にはプロの棋譜を並べるのがよいと言われていますが、なかなか時間が取れない人も多いようです。その点、電子本は一手一手の進行が画面で見られるだけでなく、観戦記と同時進行ですから、世の中便利になったものです。
 今回の棋聖戦は私にとって思い出深い勝負でした。すべてが満足できる内容とは言えませんが、一局一局を精魂込めて打ちました。七番勝負を通して、少しでも多くのファンに囲碁の面白さを味わっていただければ、プロ棋士としてこんな幸せなことはありません」

 

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『朝日新聞』1994年06月01日
夕刊
データノベルス 「万能図書館」へ小さな一歩(単眼複眼)
 過去、現在、未来にわたって書かれ得る限りの書物を収める「万能図書館」とは? 今世紀の初め、同名のSFで奇想天外な発想を展開したのは、ドイツの哲学者クルト・ラスヴィッツだった。
 「データノベルス」という電子ブックのシリーズを創刊した「コンピューター出版」の山口正司さんの話を聞きながら、この「万能図書館」のことを思い出した。
 過去の主要な書物五十万点を電子テキストの形で蓄積し、通信回線を介して提供する巨大なデータベースの構築を山口さんは夢想する。大ざっぱな試算だが、入力の費用から著作権料に至るまで経費は一千億円ほどかかるそうだ。
 データノベルスの第一作は漱石の「坊っちゃん」(千八百円)=写真。キーボードと画像読みとり装置で入力した。次作は「学問のすゝめ」だという。
 このシリーズの特徴はテキストファイルにコピー防止のためのプロテクトがかかっておらず、自由に加工処理できること。電子ブックの主要規格「デジタルブック」では、著作権保護のためとはいえ、プロテクトの存在が電子テキストの可能性を狭めている。
 汎用(はんよう)性の高い電子テキストの普及は特に視覚障害者にとって朗報となる、と山口さんは考える。電子テキストを音声で読み上げるシステムはすでにあるし、点字の形で印刷するソフトも開発されている。こうした用途が電子テキスト普及の活路になるかも知れない。
 山口さんにとってデータノベルスは現代版「万能図書館」への小さな一歩なのだろう。同様に地道な試みだが、パソコン通信ネット「NIFTY―Serve(ニフティサーブ)」の「英会話フォーラム」では、有志が入力した電子テキストが無料で利用できる。
 シェークスピアの戯曲など文学作品だけで六十点余にのぼり、トルストイの『戦争と平和』もフロッピーディスク三枚に収まってしまう。
 過去の出版物をすべて電子情報に変換するには、日本の全人口の一割が百年間、入力作業に携わる必要がある――紙メディアの未来に関するフォーラムで、そんな試算を耳にしたことがある。夢のまた夢のような話だが、ここには人類の知をかけたロマンがある。
    ◇
 コンピューター出版は、〒154東京都世田谷区駒沢一の四の六の二〇三(電話〇三―五四八六―九四八一)。(白)

 

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『読売新聞』1994.06.20
出版業界受難の時代 「不況に強い」神話も崩壊!?
東京朝刊
 ◆総売り上げは今年ついに頭打ち 書籍ジリ貧、雑誌も息切れ
 「不況に強い出版業界」という“神話”が崩れかけている。長期化する不況にもかかわらず、昨年は約六%の成長をした販売総額も、今年に入ってからはさすがに頭打ち状態に陥っている。広告収入の減少にも回復の兆しは見えない。業界では「ついに景気低迷のあおりが及んできた」と危機感を強めている
(徳島博史、重田育哉、新井庸夫)
 九三年の出版物(書籍・雑誌)の総販売金額は二兆四千九百億円(前年比五・七%増)だった。六〇年以降ずっと二ケタ成長を続けてきたが、第一次石油ショック後の七六年から一ケタ成長に転じてはいる。しかし、長引く平成不況の中で、多くの企業がマイナス成長を余儀なくされているにもかかわらず、出版業界は市場規模を拡大し続ける数少ない業界の一つだ。
 この意味からは「不況に強い出版」という神話を、とりあえずは立証する形となった。
 しかし今年に入ってからは様子が一変してきた。一―三月累計の販売金額は、前年同期比一%増という微増にとどまり、「頭打ちの状況になってきた」(出版科学研究所)という。「これまで市場をリードしてきた雑誌が、長期不況でとうとう息切れしてきた」ためだ。
 ◆広告費7.4%減 前年割れが続く
 九三年の販売金額の内訳は書籍(一兆三十四億円、同四・一%増)、雑誌(一兆四千八百六十六億円、同六・八%増、コミック等も含む)で、六割近くは雑誌が稼ぎ出している。
 一方、販売部数は全体で四十七億八千百万部(前年比二・九%増)。うち書籍は八億七千七百十五万部(同〇・六%減)、雑誌は三十九億三百八十五万部(同三・八%増)だった。書籍の販売部数はすでに八九年から五年連続前年を下回っており、単価引き上げと雑誌の伸びにようやく支えられてきた市場だった。
 それが、今年一―三月は雑誌の販売金額の伸びは前年同期比〇・六%増にとどまった。しかも、景気低迷で広告費や宣伝費を抑える企業が目立ち、バブル期に広告の受け皿として雑誌を次々と創刊してきた出版社は、さらに苦しい経営状態に陥っている。
 電通の調査によると、九三年の日本の雑誌広告費は三千四百十七億円(同七・四%減)で、「四七年の調査開始以来初めて」(電通)という二年連続の前年割れとなった。
 全国約四千三百の出版社のうち、九三年に倒産に追い込まれたのは、帝国データバンク調べによると四十一社(負債総額一千万円以上)に上った。「年々増加傾向を示し、負債総額も急増している」という。資本金一千万円以上の出版社は全国で約千社に過ぎず、全体の半数の約二千社は従業員数十人以下の零細企業だ。このため「実際に倒産した社数はもっと多い」との見方が強い。
 出版業界がこうした厳しい環境下に置かれるなか、業界のけん引役を果たしているのが、コミックとムック(写真やイラストを多用した、雑誌と書籍の中間に位置する不定期出版物)だ。活字離れの進行とともに、年々出版物に占める割合を伸ばしている。今年は大手の出版社がコミック市場に進出する動きも出ている。コミックやムックはもともと広告依存度が低く、収益力も高いことから、今後社運をかけて乗り出す出版社も増えそうだ。
 一方、販売部数が減り続けている書籍の新刊点数は、九三年には約四万五千八百点、前年比八・四%増で、一見活発に見える。だが、これも「商品寿命の短命化」や、「既刊本の伸び悩みをカバーするための新刊ラッシュ」が実態で、逆に業績悪化を証明しているとも言えそうだ。
 「出版業界は本来、書籍がメーンだ。そのためには書店売りだけではなく、通信販売や宅配での売り上げを増やすようにすべきだ」(ダイヤモンド社)との指摘もある。
 さらに、出版各社が電機メーカーと組んで開発しているのが電子出版。マルチメディア時代に対応するためにコンパクトディスク、CD―ROM(コンパクトディスクを使った読み出し専用記憶装置)、フロッピーディスクなどを使うことによって、大容量、保存性、機能性などを追求した出版を目指している。
 通産省の試算では、二〇一五年には電子出版の市場規模は三兆円になるとみられており、九三年の出版物販売額を上回る見通しだ。
 八七年秋に岩波書店が発売した「CD―ROM版広辞苑」は、これまでに約九万枚が売れているという。だが、ソフトを作る出版社とハードを作る電機メーカーの関係や価格面、販売ルートなどで問題も山積しており、転機を迎えた出版業界の模索は今後も続きそうだ。
 ◆変化へ明確な視点ない業界 流通経路、大きく様変わりへ
 ◇植田 康夫・上智大学教授
 昔から出版業界は不況に強いと言われている。しかし、これは井戸水のようなもので、世間の景気が良い時にもさほど収益が上がるわけでもなく、逆に景気が悪い時には、相対的に落ち込みが少ないだけであって、基本的に体質の強い産業ではない。
 経済全体の今回の不況は、産業構造が変わってきたことによるものだ。これまでの不況は「物を作り過ぎた」ことから起きたもので、量的な調整で解決が出来るものだった。ところが今回は質的な変化を伴っている。出版業界はこの構造変化に対する明確な視座を持っていない。
 活版印刷が発明された当時と現在とでは、人間の能力には変わりはないが、メディアは質量ともに大きく変わっている。必然的に、かつてのように出版物をゆっくり読む時間は取りにくくなった。特に近年、ビデオを始めとする視聴覚メディアのコストが安くなり、身近になっている。
 最近の新しい動きとして、マルチメディアとのドッキングが挙げられる。電子書籍なども市民権を得つつあり、紙を主体とした出版から、ペーパーレス出版へという流れが台頭している。フロッピーディスクやCD―ROMなど電子媒体を大量生産できるようになれば、紙の出版よりも安く販売出来るようになるだろう。
 さらに、パソコン通信などを通じて、消費者が欲しいテキストだけを取り込む、オンライン方式の出版を手掛ける出版社も現れてきた。この方式が一般化すると、絶版がなくなり、良い物が長くもつという利点がある。
 流通経路も変わらざるを得ない。書籍の市中在庫は膨大な種類におよび、どんな大書店でもすべてを置けるスペースはない。また、硬い本は地方では現物を目にすることも難しいのが現状だ。これからは宅配便とリンクした、カタログ販売のような形が一般化していくと思う。現物を書店で見てから買うというのは、いずれは昔話になるだろう。
 出版業界は今、大きな曲がり角に来ている。ハード面でも、ソフト面でも“時代の節目”を感じる
 ◆電子出版と活字、補完的に 深い思考に活字は不可欠
 ◇安江 良介・岩波書店社長
 出版は景気に影響されないと言われるが、出版が従来の“文化産業”のイメージから最近は“サービス産業”化してきたため、経済の動向に左右されやすい体質になっている。カンフル剤として写真集やコミックに頼ったり、全体として易(やす)きに流れる傾向があるが、岩波は正攻法で攻めた
 その一つが電子出版だ。古い文化の価値を保つには、時代に合わせ新しいスタイルの出版物を作るべきだ。五年後には二十歳以下の若い人たちのほとんどがパソコンを使いこなせると見られる中、出版の電子化は自然な動きだ。
 しかし、活字文化は思考力、特に深くモノを考える時には必要で、永遠になくならない。活字と電子出版は需要を奪い合うものでなく、相乗効果で伸ばし合う関係が望ましい。
 一冊の本に書ける量は限度があるが、電子出版ならCD―ROMの容量が膨大なため、十分な量を盛り込める。ただ、これまでの活字文化を、どんどん電子化していけばいいというものでもない。電子出版ならではの特色を生かすことが大事だ。
 例えば、「二十世紀人名辞典」を出そうとする場合、本なら何十冊もの膨大な量になる。その点、CD―ROMなら一枚でも十分収納できるし、それを整理して、後で活字化することも可能だ。
 電子出版の課題は、従来協力関係になかった電機メーカー・流通とのかかわりあいだ。ともすれば出版社に比べて強大な資本力を持つメーカー側に都合の良い商品が出来てしまう恐れがある。
 本がコンビニエンスストアで売れるのは結構だが、コンビニで売ることを目的に本を作ることは、「出版が文化をつくる」という点からは健全とはいえない。電子出版にもそんな心配がある。
 価格形成にも懸念がある。東京・秋葉原の電気街で電子出版を売るのは構わないが、ダンピング(不当廉売)をしたら手を引く。モノの「価格破壊」が進み、書籍も再販価格見直しが叫ばれているが、文化を支える出版物は工業製品と同基準で論じられないからだ。
      《過去20年の年間ベストセラー》   
 年       書 名            著(編)者
74  かもめのジョナサン           リチャード・バック
75  播磨灘物語               司馬遼太郎
76  限りなく透明に近いブルー        村上  龍
77  間違いだらけのクルマ選び        徳大寺有恒
78  人間革命・第10巻           池田 大作
79  算命占星学入門             和泉 宗章
80  蒼い時                 山口 百恵
81  窓ぎわのトットちゃん          黒柳 徹子
82  プロ野球を10倍楽しく見る方法     江本 孟紀
83  気くばりのすすめ            鈴木 健二
84  プロ野球知らなきゃ損する        板東 英二
85  スーパーマリオブラザーズ     ファミリーコンピュータ
86  完全攻略本               マガジン編集部編
87  サラダ記念日              俵  万智
88  こんなにヤセていいかしら        川津 祐介
89  TUGUMI              吉本ばなな
90  愛される理由              二谷友里恵
91  Santa Fe(宮沢りえ)     篠山紀信撮影
92  それいけ×ココロジー          それいけココロジー編
93  人間革命・第12巻           池田 大作
  出版科学研究所「1994出版指標年報」より      

 

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『朝日新聞』1994年07月09日
夕刊
電子本は現代のガリ版になるか 作製ソフト登場で自費出版に新たな道
 パソコンを使った電子本の自費出版が増えている。フロッピーで店頭販売したり、パソコン通信に乗せたり、手軽に出版できるのが特徴。文章や画像を、本らしくレイアウトできるソフトも発売され始めた。現代の“ガリ版”として注目されているが、パソコンの画面が読書になじむかどうかなどの問題も残されている
 東京都渋谷区のボイジャー・ジャパン社の場合、今年四月以来寄せられた自費出版の電子本は、約二十作品にのぼる。いずれも同社が発売したアップル社のパソコン・マッキントッシュ用の電子本作製ソフト「エキスパンド・ブック・ツールキット」を使い作った電子本で、ほとんどが無名の人が書いた。医学書から小説まで多彩で、ポルノやヨガの本もある。パソコンショップのハイパークラフトが全国十二店で、五百円から二千円で販売している。
 エキスパンド・ブックを使い、医学書「マックで治すアトピー性皮膚炎」を出版した岡山県津山市の開業医・水島圭一さん(三八)は「手軽に出版できることもあるが、紙の本に比べて、データの改訂が簡単にできることが魅力」。これまでに約百五十部が売れたという。
 同社の北村礼明さんは「自分の表現したいことを簡単に公にできるのが魅力。学術書や自叙伝など部数の出ない本でも一枚百円程度のフロッピー代だけで、何部でも作ることができる」。文芸作品を中心に電子本「デジタルブック」を出している新潮社の西村洋三メディア室長は「新たな作家の発掘につながる可能性がある」と話す。
 書店などを通じた通常のルートのほかに、パソコン通信を通じた流通ルートがあるのも魅力。人気作家S・キングは昨年九月、世界最大のパソコンネットワーク、インターネットを通じて、未発表の短編を無料で全世界に流し、話題になった。
 こうした中、新たなソフトも出始めた。パソコン業界最大手の日本電気(NEC)は五月末、自社の「PC98」シリーズ用ソフト「デジタルブック編集ツールキット」(三万九千八百円)を発売した。西田克彦メディア開発専任部長は「デジタル文化に慣れた高校生以下の世代の創造力に期待している」という。
 しかし、問題は、本をコンピューター画面で読まなければならない点。パソコンは高価なうえ、文庫本のようには気軽に持ち運べないからだ。メーカー間に互換性がないことも電子本の普及を疑問視する一因となっている。
 ○検索性生かし辞書など発売
 二社の電子本編集ソフトは基本的に使い方は同じ。あらかじめパソコンに打ちこんだ文章、画像などをソフトのひな型に当てはめると、画面が本のように扱える。これまで難しかったレイアウトなども簡単にできる。完成品もパソコンや専用の読み取り機で読む。ボタン操作で、実際の本と同じように一ページごとに画面が変わる。紙の本に比べ、検索性に優れているなどの長所がある。
 一般の書店で流通している電子本は、大手出版社がベストセラー作品や検索機能を生かした辞書類を出すケースが多い。デジタルブックは文学、ビジネス書など様々なジャンルで百点程度を発売している。しかし、売れている作品でも二千部程度で、NECは「専用読み取り機が一万台強しか出てないうえ、パソコンでも読めることを積極的にアピールしなかったため」と説明している。
 また、電子本に先べんをつけたソニーの「電子ブック」は、電子本編集ソフトは発売されていない。こちらは辞書類を中心に約二百タイトルを発売しており、最も人気のある「広辞苑」(岩波書店)は七万部以上が売れている。
 ○発信地として自覚持つ必要
 マルチメディアにくわしい浜野保樹・放送教育開発センター助教授の話 個人電子出版の意義は、マスメディアに握られていた出版流通を、書き手の立場からコントロールできる点。時間や場所の制約がなくなるうえ、コストも安い。読みやすさでは紙にかなわないが、パソコン通信で入手したデータはディスプレーで読みにくければ、プリンターで打ち出せばいい。大事なのは情報に対して受け身になっている個人が、情報の発信地としての自覚を持つことでしょう。

 

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『朝日新聞』1994年07月09日
夕刊
電子図書館実現へ着々 世界中の本、すぐ画面に
 中島敦の短編「文字禍」に登場する古代アッシリアの老博士は、自宅の書庫で粘土板の本に押しつぶされた。丸山薫も詩「灰燼(かいじん)」で、万巻の書籍が戦災により灰と化す学者の悲哀をうたった。どちらも、物としての本の文化がもたらす悲劇だが、電子ブックに見るように、本は今いわば質量から解放されつつある。情報のデジタル化の流れの中で本格化してきた「電子図書館」構想の動きを紹介する。(白石明彦)
 ○「知」のネットワーク
 古代エジプトのアレクサンドリア図書館以来、膨大な知識の集積は人類の願望の一つだった。電子図書館も、紙の本の内容を電子情報に移し替えて蓄積する点では変わらない。旧来の図書館との決定的な違いは、その情報を通信網に乗せ、世界各地に分散する知的資産の共有化をめざす点にある。スタンド・アロンからネットワークへ――情報化社会の潮流は図書館のあり方を変えようとしている。
 研究は米国で最も進んでいる。企業や学校、家庭などを高速通信網で結び、高度な情報流通をめざすゴア副大統領提唱の「情報スーパーハイウエー」構想の中にも、デジタル・ライブラリーがある。
 国内では、国とソフトウエア開発の大手アスキーなどの民間企業が出資したテレマティーク国際研究所での取り組みが先駆的だった。八九年にそこで「孫悟空」を見たことがある。世界の図書館を瞬時に駆けめぐるイメージから、こんな愛称がついた電子図書館のデモ実験だった。ディスプレー画面に精細なコンピューター・グラフィックスで描かれた図書館に入り、書棚の源氏物語絵巻を開く。仮想現実感(バーチャル・リアリティー)の先取りでもあった。
 この研究は九一年に終わっている。アスキーの大友健司OAシステム部長は「『孫悟空』のようにビジュアルなシステムは近未来の話だが、基礎技術は獲得できた」と話す。アスキーが独自に試作したメニュー形式の電子図書検索システムもある。画面に著者名などの書誌情報が表示され、利用者は好きな本を呼び出して読む。図書館の中身として、三十万冊の本の内容をハードディスク(大容量の記憶装置)に収める想定だった。
 進行中の研究では、平成五年度の第三次補正予算でモデル電子図書館事業費十七億五千万円がついた通産省のプロジェクトがある。六年度中に慶応大学藤沢キャンパス内に実験施設を設け、国立国会図書館所蔵の明治期の本や憲政資料、著作権者らの了解が得られた雑誌をデータベースに収める。
 電子図書館の意味を同省の堀口光・情報処理システム開発課長補佐は「自宅にいながら例えば米国スミソニアン博物館所蔵の資料が読めるように、個人と世界の知的資産を結びつける」と説明する。
 京都府精華町の関西文化学術研究都市にある新世代通信網実験協議会では、昨年から電子図書館の開発が始まった。通信網に重点を置く郵政省サイドの構想で、東芝など五社が参加し、大量の情報が送れる広帯域総合デジタル通信網を使ったシステム作りをめざす。未来の図書館像を探るシンポジウムも十月七日に同町の「けいはんなプラザ住友ホール」で開く。
 大学の共同利用機関である学術情報センターでも電子図書館の研究は進んでいる。
 こうした研究成果が最初に生かされる場は、国会図書館が来世紀初め関西文化学術研究都市内に建設をめざす関西館(仮称)になりそうだ。基本構想の中に、雑誌約四千種の本文を電子情報として蓄積し、オンラインで提供する電子文献提供サービスがある。
 「当然のことながら、紙の本をすべてデジタル化できるわけではない」と内海啓也・国会図書館総務部企画課長補佐。「メディア変換の優先候補には貴重な古書籍や傷みやすい雑誌が挙げられる。ネットワークの時代に対応した資料形態を模索していく」という。
 ○簡単に複製、著作権は?
 図書館の実情に詳しい学者らによる「電子化図書館研究会」もある。そのリポート「電子化図書館の未来の姿」(九二年)には、外国の本に関する書誌情報を機械翻訳で提供するなど、利用者の便を図るアイデアが盛り込まれている。
 メンバーの一人で図書館情報大学教授の原田勝さんはこう見る。
 「電子図書館はマルチメディアやバーチャル・リアリティー、ネットワークなどの先端技術を総合的に収れんさせる場となる。近くに図書館がない研究者のハンディを解消し、専門家と素人の情報格差を縮めるなど、大きな影響力をもつだろう。CTS(電算写植組み版システム)が主流の出版業界では、出版の段階で大半の本の内容はデジタル化されている。それを数十年間蓄積すれば必要とされる本のほとんどはカバーできる」
 紙の本をコピー機で複写するのと違って、デジタル情報は全く同じものを簡単に複製できるから、電子情報の著作権保護は緊急の課題となっている。文化庁もマルチメディアの時代に向けて、著作権制度を見直す構想を六月にまとめた。日本文芸家協会の六月理事会では、著作権委員長の作家高井有一さんが「我々の著作権の範囲を狭める方向に進まぬよう事態を見守る」と発言する場面があった。
 著作権問題に加えて、情報通信の分野で競合する通産、郵政両省の協力体制も不可欠だろう。

 

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『朝日新聞』1994年09月05日
朝刊
進むマルチメディア 新たな教育の世界へ CAIシンポジウム特集
 コンピューター利用による教育の可能性を追求する朝日CAIシンポジウム(朝日新聞社主催、NECグループ協賛)が八月二十二日、東京・有楽町朝日ホールで開かれた。十回目の今回は、「教育が変わる―マルチメディア社会は学校教育に何をもたらすか」をテーマに、基調講演と特別報告、を進めた。マルチメディア元年といわれる中で、従来のCAIの枠組みを超えたコンピューター教育の方向性など、マルチメディア時代の学校教育が話し合われた。

 □基調講演 授業が具体的に、生徒の進度に合わせ
                    月尾嘉男さん(東大工学部教授)
 マルチメディアというのは大変なブームになっており、中央官庁の中にマルチメディアとつくセクションが随分たくさんできた。
 このブームに対して、二つの意見がある。「これは本当にすごいことになる」という意見と、もう一つは「昔もこういう話はいっぱいあった。今回も線香花火のように終わってしまう」という意見だ。
 私はどちらかというと、「これは本物だ」と思っている。マルチメディアといわれる技術の中には、従来とは様相を一変するような大きな技術革新が含まれているからだ。
 一番目はデジタルウエーブ。もちろんこれまでもコンピューターはデジタル技術の固まりだったし、デジタル技術を応用したものもたくさんあったけれども、これからあらわれるマルチメディアに関連する技術はすべて情報をデジタル情報として扱うという特徴がある。
 手で書く文字も、しゃべる声も、写した写真も、ビデオカメラで写した動画も、すべて0、1という簡単な記号に置きかえてしまう技術が出現する。
 そうなると、新しいマルチメディア技術においては、家庭でも、学校でも、職場でも、一台の端末装置で、従来の電話、ファクス、テレビ、コンピューター通信の役割もするという時代が来るだろうということだ。
 二番目は、インタラクティブウエーブといわれる新しい波が襲うだろうということだ。インタラクティブというのは日本語では双方向と訳される。
 これまでの情報に関する技術は、大体、一方的に送ったり受けたりというものが多かったが、これからのマルチメディア社会は、あらゆる家庭、あらゆる職場が、相互につながれて、自由に情報のやりとりができる時代が来るといわれている。
 三番目は、ちょっとわかりにくい言葉を使わせていただくと、ギガウエーブといわれるような大きな波が来るのではないか。科学技術分野ではある基本的な単位の千倍のことをキロという。もう千倍となったときは、メガを使う。
 コンピューターの能力などは一九七〇年代の終わりごろから八〇年代にかけては大体、キロという単位で表現できた。八〇年代の終わりごろから九〇年代に入ると、メガといわれるものがいろいろ出てきた。例えばコンピューターの少し高級なワークステーションといわれるようなものは、記憶装置は何メガバイトというような単位だ。
 もう十年したらさらに千倍になるのではないかということで、それをギガといっている。
 ギガになると、テレビの画面に出てくるような動く絵が自由に使える。立体的に見える絵が使える。さらにその先へ行くと、バーチャルリアリティーといって、本当にそこに三次元の物体があると錯覚するような情報が送られてくる。
 教育への影響はどうか。一つは従来のかなり抽象的な概念を中心として教える教育だけでなく、非常に具象的な形でいろいろなものを教えることのできる教育が本格的に始まるだろう。
 例えば、物理の教育で摩擦のない状態ではどういうことが起こるかということを、すべてコンピューターがその場で計算して、摩擦のないところへ物を転がすとどこまでも転がっていくことを示せる。
 二番目は画一的な教育から、全く個別に進める教育に変わる。家庭でも学校でもマルチメディアの端末と教育用のソフトウエアとの間で、自分の理解の進度に合わせた教育を受けることができる。
 だが、問題もある。具象的な教育が普及すると、抽象的な概念を扱うことが少なくなる。
 さまざまな仮想的な概念を駆使することによって、現実社会と乖離(かいり)していく可能性もある。
 また非常に個別的になるということの中で、人間が社会的生物といわれるような、お互いに共感するとか、共鳴し合うとか、感情が通じ合うというような部分の教育をどのようにうまく組み合わせていくかということも重要な課題になるのではないか。

 □特別報告 用途は学校の全活動の中に 坂元昂さん(東工大名誉教授)
 この十年の流れを、教育の中でのコンピューター利用という立場からお話ししたい。
 一九八五年がコンピューター教育元年。今、マルチメディア元年。マルチメディア教育元年がいつになるか。五年先なのか。十年先なのか。
 ハードウエアはかなり整備された。ソフトウエアに関しては、八五年のころは、一生懸命努力し、自分で勉強した先生がこつこつと自作のソフトを開発した。今はそれが逆転して、いい市販のソフトが出てきた。
 使い方も変わってきた。自己表現の道具になった。メールで自分の意思を相手に伝えるとか、絵をかいて自分の思想を表現するとか、表をつくるとか、グラフを描くとか。
 それから問題解決の道具になった。データベースの中から情報を取り出して、自分なりに問題解決をする。百科事典や資料から情報を引っ張り出して、組み合わせて考える。
 次の特色は、単一機能から複合機能へ。動画も静止画も文字も、いろんなものが一緒になって、一つのシステムでできるようになってきたというのがマルチメディアで、これからも広がっていくだろう。
 また、コンピューターの前で勉強だけするんじゃなくて、「実験してみよう。資料を集めてこよう。ちょっと書いてみよう。相談してみよう」と、学校の勉強の中でもコンピューターを自在に、全活動の中に位置づけて、使うようになってきた。
 今後の展開というのはどうか。
 マルチメディア時代では、コンピューターを駆使して、コミュニケーションをし、創造的に子供たちを指導することができる人、こういう方々が大事だ。
 このような動きを統合すると、マルチメディア、教科書、実験道具などを一体として、先生が主体となって、子供たちを自在にその世界で遊ばせるというか勉強させるような世界を構築していく必要があるんじゃないか。
 一方で、現実の体験とバーチャルな世界との連携が非常に大事になる。バーチャルな世界で体験したことは、できるだけ現実の世界でも体験をする。
 バーチャルの世界で具象化して勉強したことは、それを公式化し、言語化し、論理化していく。その両方の世界へ手足を伸ばすことがとても大事になる。

 □パネルディスカッション
 <出席者>
 ◇パネリスト
 大岩元さん  慶大環境情報学部教授
 阪田史郎さん NEC C&C研究所ターミナルシステム研究部長
 坂本伸之さん フリージャーナリスト
 千葉麗子さん タレント
 ◇コーディネーター
 朝日新聞編集委員 原淳二郎

 ●ネットワーク参加
 原 マルチメディアとは、概念自体、まだはっきりしていない。マルチメディアとは何かなんて難しいことは考えずに、現在使われているパソコンが進化した形のものだというぐらいに理解していただきながら話を進めたい。
 大岩 慶大湘南藤沢キャンパスでは、コンピューターネットワークを使って情報教育をしている。
 情報処理教育の目的は三つある。まず、コンピューターを電子文房具として使いこなす。続いて、プログラミングの概念と技法を知り、自分の目的のためにコンピューターを利用できるようにする。第三は以上のようなことを通じて、コンピューターの可能性と限界を知る。
 文房具としては学生たちはコンピューターを電子メールとリポートの作成に使う。学校へ来るとまずコンピューターに向かって電子メールを見る。
 それに対して、プログラミングの概念については、半分を超す学生ができるようになっているが、全員の学生がこの理念を実現するところまでは至っていない。
 コンピューターを使いこなすというのは、与えられたものからさらに自分の工夫によって新しい使い方、ないし使用環境を自分でつくれるということ。そこにコンピューターの本質がある。同時にどこに限界があるかを理解してもらう。そういう本質の理解のためには、コンピューターとは何かということを理解してもらう必要があり、そのためには、コンピューターに関するプログラミングをやらないといけない。
 マルチメディアはメディアの後ろにコンピューターがあるものだ。だからメディアとコンピューターの両方をうまく使いこなせて初めてマルチメディアが使いこなせる。
 阪田 マルチメディアとネットワークという技術を使って、私どもで研究開発し、実際に製品として広く利用いただいているMermaidというシステムは、文字や図形、写真、絵画、手書き、さらに動画や音声といったすべてのメディアを、ネットワークを介して遠く離れたところにいる人と、しかも何人とでも同時に、交信しながらいろんな作業ができる。最も多い利用は遠隔教育で、すでに三十以上の大学で導入されている。
 ネットワークの構成としては、インターネットをそのまま使っており、インターネットのさまざまな機能がこのシステムでも同時に利用できる。
 マルチメディアネットワークのインフラ(基盤)の整備については、教育分野では、学校、図書館といった公共施設にまず光ファイバーを、それからさらに一般家庭にまでということが計画されている。
 マルチメディアとネットワークを駆使した教育の未来像については次のように考えている。
 最初に教材作成の効率化。マルチメディアを活用した、ビジュアルでわかりやすい教材がどんどん出てくる。電子教材、電子書籍、図鑑、辞典といった方にどんどん展開されていく。
 双方向通信では、リアルタイムに人と人とのコミュニケーションを直接支援する。
 さらにさまざまなレベルでのコミュニケーション、相互啓発が出てくる。これまでは先生が生徒に知識を一方的に伝達するということが中心だったが、生徒と生徒の間での共同学習とか、先生と先生の間でも相互啓発が促進されるのではないか。
 きょうの主題は学校教育が中心だが、これからは家庭教育、生涯教育、ビジネス教育とかで、教材の内容は違うけれども、共通的に使えるものがどんどん出てくる。知識の流通が進展する。
 二〇一〇年ごろには、大学、専門学校、予備校、図書館、高校、中学、一般家庭などが光ファイバーでつながれることによって、いつでも一般家庭から図書館に電子的にアクセスできる。
 マルチメディアの端末を持っていて情報にアクセスしたり、あるいは高校や中学とも通信をしたりできる。どの通信が主流になるかわからないけれども、こういった通信がかなり自由にできるようになると考えている。
 最後に、マルチメディアとかネットワークとかいっても、しょせんは道具。少なくとも、この中に知識とか知性とか、抽象的な概念をうまく理解、支援するような部分が出てこないと、単なる道具でしかない。これを生かすも殺すも人間だ。

 ●足もとから
 原 次いで、学校の現場、コンピューターを利用した教育現場をたくさん取材してこられた坂本さんに、現場リポート的な話を。
 坂本 二つの事例をご紹介したい。
 双方向通信を利用した医療サービスが行われているというので、岩手県の釜石に取材に行った。大きな病院があり、ケーブルテレビを使った医療サービスをしている。
 たまに病院に通えばいいという程度の高血圧の患者さんとか、心臓病がちょっと気になる患者さんのお宅に、簡単な血圧計と心電計が一緒になったような機械を置いている。お年寄りでも簡単に操作ができる装置で、データが病院の方に吸い上げられて、それを病院の先生が画面で見る。どうもデータがよくないという人だけに、「病院に近いうちにいらしてください」と伝える。
 もう一つは、学校現場でのマルチメディアの事例で、大阪の高校に行った。ここはインターネットという、地球上のいろんな国々と簡単につながる、パソコン通信のもう一つ大きな電子メール機能を使って、生徒たちが生き生きと授業を受けていた。
 この高校には、学習困難な生徒がたくさんいる。この生徒たちに、授業の方に振り向いてほしいと、英語の先生が、自分の好きなことを日本語文に書いてみなさい、それを先生が英文にしてインターネットに乗せてあげようとのアイデアを生徒たちにぶつけた。
 ところが、生徒たちは好きなことといわれても何を書いていいか、思いつかない。先生は、それならば、自分が不満に思っていることとか、今の若者言葉でいうと、むかつくことを日本語で書いてこいと言った。
 こういう、むかつく話については、ツッパリの生徒たちも題材には事欠かない。
 先生はそれを英文にして、インターネットに乗せて世界に発信した。返事がアメリカとポーランドからすぐに返ってきた。
 アメリカの高校生からは、日本は単一民族国家であると習っていたけれども、そうではない世界もあるんだ、これは知らなかったというメールが返ってきた。
 いろんなやりとりがあった後に、この学校の生徒たちは、現地に行ってみたいといって、アメリカのいろんなマイノリティー社会の人たちを訪問して、自分たちの人権教育や多文化国家のいろんな問題についてディスカッションして帰ってくるという実際のアクションに結びついた。
 マルチメディアというのは非常に先進的なぴかぴかの部分での結びつきもこれからいろいろ出てくるだろうけれども、僕はむしろ不便で、不満で、不平等という「不」のつく世界に非常にマッチングしていくんじゃないかと思う。

 ●高校時代の体験
 原 次は千葉麗子さん。生徒に最も近い若手です。今はパソコンのオタクなので、若い人から今の学校のコンピューター教育を見たらどういうふうに見えるのでしょうか。
 千葉 高校のときに情報基礎という科目があったので、その話をしたい。
 私の通った高校は、地方の県立。その高校を選んだのは普通科がなかったからです。情報会計科とか、国際文化科とか、国際化社会に向けてつくっていた。そこに、パソコンを使った情報基礎という授業があった。その情報基礎は、とってもつまらない授業だった。おもしろみもないし、先生もむかつくし、コンピューターに興味を持たせるという授業では全然なかった。
 パソコンを置いてある部屋には先生がかぎをかけていた。私たちがパソコンを一生懸命やりたいと思って、パソコンというのはどういうものなのか見たくても、入れない。
 小学校、中学校、高校では、コンピューターがどういうものなのか、コンピューターに興味を持たせるだけでいいと思う。その先、専門学校や大学で、自分にとって必要だと思う人が学べばいいだけで、クラス全員が実践的なことを学ばなくてもいいんじゃないかな。
 コンピューター教育では、子供たちにクラス全員の住所録をつくったり、子供たちが楽しいと思うことをさせてあげたりすれば、パソコンの授業も楽しくなるんじゃないかと思う。
 原 学校にもパソコンが普及してきたとはいわれるけれども、実際、学校現場を歩いてきた坂本さん、どうですか。
 坂本 パソコン通信をする場合に、電話線をどうやって教室まで持ってくるかということがある。学校にはそんなに電話回線がない。何とか工夫をして持ってきている先進的な学校でも、使えば使うほど使用料金が高くなってしまうわけで、予算に乗せにくい。
 先ほど話した大阪の高校の先生は、インターネットへの接続は自腹を切ってやっている。その学校の場合は、先生が自宅に帰って子供たちの作文を英訳して、それをインターネットに入れて、返事が世界から返ってきたものをプリントアウトして、そのプリントアウトを持っていって授業で見せている。
 原 先ほど千葉さんから、自由に遊ばせてほしい、いつでもさわりたい、との話があった。それに比べて慶大湘南藤沢キャンパスの場合は、自由にだれでも使える。どうしてそんなことが可能になったのか。
 大岩 大学の場合は、先生がそういうことに対してどういうポリシーを持つかという問題で済む。中学、高校は、教育委員会が上にあって、そこが管理の基準を決めている。
 原 阪田さん、コンピューターがもっと安ければ、壊れてもすぐ買いかえることができる。もうちょっと安い学校用のコンピューターはできないものでしょうか。
 阪田 確かに、まだ一般の家庭、先生、生徒の皆さんのところに十万円そこそこで、いろいろ機能が使えるパソコンが買えるという段階にはなっていない。
 確かに、ハードウエアが壊れにくくて、安くて、ということはメーカーの責任としてあるが、本当に重要なのは、楽しくなるとか、使ってみて心地よくなるといったようなことではないか。従来の技術は、どっちかというと、高機能、デラックス版、研究志向というもので来た。大学は研究志向だろうが、高校、中学、小学校では、娯楽性や楽しさも重要になる。
 原 どのようにして、コンピューターになれ親しませるか、そこが最大の問題ではないでしょうか。
 大岩 なれ親しませることについては、子供の場合はほとんど心配していない。ほっといても、触れるようにしておいてあげれば、喜んで使う。これは聞いた話だけど、どんな荒れた学校でも、コンピューターだけは絶対に壊さないそうだ。おもしろいから子供たちが大事にする。
 問題はむしろ、教師や親にある。コンピューター教育をすると、あっという間に子供の方が教師よりも腕が上がる。今までの教育においては、多分なかったことなんだ。それは今までの教育での教師と生徒の関係とは全く変わってくる。そういう状況の中で、教育をどういうふうに進めていくかということに対する教師側の戸惑いがあるんじゃないかと思う。
 千葉 先生はあんまりわからないくせに、教科書を見て、ちょっといい気になって教えている、そんな感じだった。やることといったら、最初の授業では、電源を入れて消して、入れて消してってことだった。そんなこと、幼稚園児だってできる。そういうことから始まったから、ますます嫌になっちゃった。
 原 先進的な先生もたくさんいらゃっしゃるだろうと思うんですが。
 坂本 先生の授業後というのは忙しい。テストが近づけばその準備をしなくちゃいけないし、PTAからいろいろ折衝があったりする。それでも何とか時間を割いて自分の教育に新しい風を吹き込もうという前向きの先生も多い。そういう先生たちというのは、教育の中で、ある意味でフロンティアだなと思う。
 原 電子メールの利用、あるいは通信によるデータベースの利用などで、コンピューター教育は変わり得るでしょうか。
 大岩 学生が初めてコンピューターはすごいと思うのはやっぱりメール。メールは安くて、しかも非常に実用価値がある。
 重要な情報を受けたり、ディシジョンメーキングをしたりということを、みんなコンピューターの前でしなきゃいけなくなる。しかも、ディシジョンメーキングは、受けるだけじゃなくて、決めて、自分の意見を主張しなきゃいけないから、そういうことを全部文字で書くということが非常に大事になる。

 ●何を教育するのか
 原 コンピューターで何を教育するか、の問題に入りたい。
 大岩 マルチメディア化するのはいい。しかし、集めることだけをやって自分で発信しなくなると、困る。発信するためには自分で何かを考えなきゃいけないわけで、そういうことをどうするかが大事じゃないか。
 坂本 コンピューターで何を教育するかというのは非常に難しい問題だ。ほっておいても勉強する優秀な学生というのは、気にしなくてもいいと思う。すそ野の部分の子供たちへの刺激ということにポイントを置くべきだなと思う。だから、表現すべきものを発見させるということが非常に大切だ。
 原 最後に学校におけるコンピューター教育はどうあってほしいのかをお伺いしたい。
 千葉 コンピューターを学校に導入する場合、単一の種類のマシンしか置いてないところが多い。もっと多くのマシンを置いたらいい。学校でこの一つのマシンをやっていたからって、就職したときに学校と同じものがあるかといったら、そううまくはいかない。
 坂本 いろんな種類の世界のいろんなところの音や映像が教室の中にやってくるような世界、時代が来ればと思う。
 阪田 従来の、先生が生徒に一方的に教える形、先生があって生徒があるという階層的な関係から、平等型、参加型の相互啓発ができるように、マルチメディアネットワークを活用していただきたいと思う。
 大岩 コンピューターの専門家と教育の専門家は、お互いに協力し、足りないものをお互いに提供し合うという関係になるべきだ。教育の人がコンピューターはわからんから教えてもらうというようなものではなく、自信を持ってコンピューターの世界に注文をつけていただいたらいいんじゃないか。そのかわり、先生の持っている財産をコンピューター業界に提供していただきたいというのが私のお願いです。

 <CAI> Computer−assisted instructionの略で、コンピューター利用教育の意味。

 

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『読売新聞』1994.09.05
「ライティングスペース」ジェイ・D・ボルター著 包括的ハイパーテキスト論
東京朝刊
 これまでの書籍とは、著者がみずからの声でみずからの一貫した主張を語るものだった。ふつうそれは最初のページから最後のページまで通して読まれることを想定しているから「線状テキスト」なのである。ところがフロッピーディスクに収められた最近の電子書籍には、必ずしもこの原則があてはまらない。読者はどこから読んでもよいし、他の書籍からの引用を織りまぜて読むこともできる。これまでの書籍にも「注」という形でのテキスト連結はあったが、電子書籍ではこの自由度がはるかに大きいのである。とりわけ、読者が自分の意見を追加しながらテキストを編集できるという違いは無視できない。そこではテキストの不可侵性にささえられた著者の権威は存在しない。もはや書籍は自足した静的なものではなく、様々なテキストが結びつけられつつ不断に成長する非線状なテキスト・ネットワーク、いわゆる「ハイパーテキスト」の一要素となってしまうのだ……。
 本書はハイパーテキストについて論じ、これによってわれわれの思考や文化が大きく変わると予測する。なかなかの博識家である著者のカバーする範囲はまことに広い。専門の古典学から、バルト、ヴィトゲンシュタイン、デリダ、スターン、ボルヘス、ジョイス、パース、さらには人工知能にまで及ぶ。これほど包括的なハイパーテキスト論は珍しい。コンピュータに興味のある人文学研究者にとって一読の価値は十分あるだろう。
 ただ、ひとつ気づいたのは、大部の力作のわりにはどうも読後の印象が薄いことだ。つまり著者の息づかいや肉声が聞こえてこないので、個々の議論はそれなりに妥当でも説得力に欠けるのである。多数の他人の議論を手際よくまとめたような感じがする。もしかしたら、その原因は、この本じたいが「ハイパーテキスト」だからなのだろうか……? 黒崎政男、下野正俊、伊古田理訳。(産業図書、四六三五円)
      (西垣 通)
 ◇ジェイ・デイヴィッド・ボルター 一九五一年生まれ。ノースカロライナ大古典学科で教鞭(きょうべん)をとる。著書に「チューリング・マン」(未訳)。

 

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『読売新聞』1994.09.07
パソコン通信に電子書籍を接続 NECがソフト発売へ
東京朝刊
 NEC(日本電気)は六日、昨年十一月に発売した電子書籍「デジタルブック」プレーヤーに通信機能を加え、同社のパソコン通信「PC―VAN」に接続できる専用ソフトを今月十四日発売すると発表した。
 通信モデムを介して電話回線に接続すればパソコン通信の簡易端末として、デジタル公衆電話からでも、電子メールのやりとりやPC―VAN上の各種情報を入手できる。価格はフロッピーディスク一枚と専用ケーブルで六千円。デジタルブックは、フロッピーディスクに収録された出版ソフトを液晶画面で読める。ソフト数は百三十九になったが、累計販売台数はまだ一万台強にとどまっている。

 

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『読売新聞』1994.10.27
[出版最前線](番外編)シンポジウム「出版文化の今後を見つめる」(連載)
東京朝刊
 ◆マルチメディア時代にらみ急速に多様化する出版文化
 読売新聞創刊百二十周年を記念した「シンポジウム出版最前線」(読売新聞社主催、社団法人読書推進運動協議会、日本書店商業組合連合会後援)が読書週間を前にした十三日、東京・内幸町のプレスセンターホールで開かれた。テーマは「出版文化の今後を見つめる」。若者の読書量がどんどん少なくなるなど「活字離れ」が心配される一方、出版物の売り上げは雑誌、漫画を筆頭に伸び続け、マルチメディアブームを背景にフロッピーブックやCD―ROMも急成長するなど、出版を取り巻く状況は複雑さを増すばかり。シンポジウムでは、この現状を踏まえて養老孟司・東大教授が基調講演を行い、続くパネルディスカッションでは、本作りの現場にいる編集者、流通にかかわる書店代表、さらに作家らがそれぞれの立場から出版の将来展望を語り、約四百人の聴衆が熱心に耳をかたむけた。
(略)
[パネリスト](敬称略50音順)
 井上 夢人 作家
 大原まり子 作家
 津野海太郎 評論家
 浜口 裕彦 青山ブックセンター常務取締役
 浜野 保樹 放送教育開発センター助教授
 (司会は中田浩二本社 編集局次長・文化部長)
 ◇つの・かいたろう 1938年生まれ。早稲田大卒。雑誌・書籍の編集のかたわら黒テント、六月劇場を拠点に演劇評論。晶文社取締役。著書に「悲劇の批判」「ペストと劇場」「小さなメディアの必要」など。
 ◇はまの・やすき 1951年兵庫県生まれ。国際基督教大卒。ハーバード大客員研究員として渡米。現在、郵政省の「マルチメディア委員会」委員長も務める。著書に「ハイパーメディア・ギャラクシー」など。
 ◇おおはら・まりこ 1959年大阪府生まれ。聖心女子大卒。80年「一人で歩いていった猫」でデビュー。以来、スケールの大きいモダン・スペース・オペラの旗手として活躍。著書に「ハイブリッド・チャイルド」など。
 ◇はまぐち・ひろひこ 1930年東京都生まれ。慶応大卒、エッソ石油に入社。79年株式会社ボード書店事業部設立にともない常務として入社。時代の最先端をいく書店として注目される。その総責任者。
 ◇いのうえ・ゆめひと 1950年福岡県生まれ。多摩芸術学園映画科中退。“岡嶋二人”の共作名でミステリー作家としてデビュー、「焦茶色のパステル」が第28江戸川乱歩賞を受賞。88年コンビを解消。
 ◆編集と印刷徐々に融合/津野 図書館から「情報館」へ/浜野    
 ――「出版界の未来を展望する――つくり手と送り手の立場から」をテーマに、さらに深く議論していただきたいと思います。
津野 出版社で三十数年間、編集の仕事をやってきました。一読者としては、読むための道具としてのコンピューターにはまだ十分に信頼が置けないし、あまり期待もできないというのが正直なところですが、編集者としてはなかなかそうも言っていられません。これから十年、二十年先に本を作る場所がどう変わるかというと、一番大きいのは編集の仕事と印刷という仕事とが融合してくると思います。日本でも五年ぐらい前から始まったDTP(デスクトップ・パブリッシング)という手法が出版社に採用され始めています。それで果ては、自動製本の機械までつないでしまい、自分のコンピューターで作ったものがそのまま向こうから本になって出てくる段階に多分いくんじゃないかと思います。
 現にかなり堅い本、あるいは非常に傾向の強い本を出している小さい出版社がともかくコストを下げなくちゃいけないということでDTPの技術に一番早くに飛びつき、既にかなりそれでやっている。DTPはコンピューターの画面でやっているわけですから、それは基本的には必ずしも本の形にならなくていいわけです。マルチメディア的な仕方でどんどん処理して、それをフロッピーディスクに入れれば、それでできてしまう。そうすると、今の出版といわれている部分の、相当の部分は本じゃない形のところにいくだろうという気がします。
 浜口 出版は過去二十年間、売り上げが前年対比を一回も割ったことがない非常に珍しい産業なんです。しかし、非常に堅い本が売れにくくなっているというのは現実にあります。とくに人文科学のジャンルの売り上げが非常に減っています。
 それでは、どういうところが増えているかというと、やっぱり雑誌、漫画、ビジュアルな写真集。もう一つは、実用書が非常に増えているんです。料理書であるとか、旅行書であるとか、いわゆる読者の情報の多様化がそのまま出版物に反映していると考えております。
 先ほどの本という形態が変わるというお話ですが、これは既に現実に起こっておりまして、まずは実用書の場合はビデオソフトがブックの一つになっている。それからCDブック。それから、CD―ROMが、これはまだ始まったばかりですが増えている。それに関連してコンピューター関係の本が非常に伸びているんです。
 じゃ、堅い本は全然売れないのかということは私はないと思います。これはやはり情報が不足しているのではないか。つまり出版物が非常に多過ぎて、それが的確に読者の情報として伝わっていない。これはいろんな流通システムの問題もありますけれども、読者の多様化しているニーズにこたえられる書店が的確な情報を提供して売るということになれば、違ってくるんだろうと思います。
 最近、新宿に店を一つ開いたんですが、若者が多いので、二十代前後の品ぞろえが多分いいだろうということで、それを主体の商品構成をしたんです。ところが、今の若者は非常にクレバーで、非常に簡単な情報は立ち読みで済ませてしまうわけです。それで、そういう人たちが買わないと思った専門書が売れる、それから文芸書が売れる。文芸書の棚が売れる。それから文庫の中でも、非常にいいと思われるものが売れるわけです。つまり本をわざわざ買ってうちへ帰って読むためにちゃんと選択をしているわけです。
 浜野 マルチメディアの技術によって、いろんな製作のプロセスが出版社に戻ってきますが、さらにもう一つステップが戻って作家のところ、情報を生むところにその本をつくる機能が近づいてきています。
 例えば現在、ホワイトハウスは白書とか報告書を全部インターネットというコンピューター通信で流しているわけですが、毎日一万四千人がアクセスしている。それに影響を受け、現在神戸市が同じようにインターネットで観光情報を流しているんですが、一日に六百件海外からアクセスがあるそうです。
 今アメリカでは、ライブラリアン(図書館司書)という言葉自体が消えてしまって、ライブラリーではなくてメディアセンターという言葉にどんどん書き直しが始まっています。それに影響を受けたのが大分県の別府市で、今新たな図書館を建て直しているんですが、図書館という名前でなくて、「情報館」というんですね。
 アメリカの去年発売された百科事典の総冊数をごらんになるとわかりますが、九三年にCD―ROMのほうが冊子体の数を抜いたんです。そういった大きな転換が今、現実にだんだん起こっていると思います。
 ◆読者と作者近づけたい/井上 気がかりな著作権問題/大原 
 ――大原さんは自分で書いたものをすべてパソコン通信で送信しているそうですが。
 大原 作家になって十二、三年なんですが、まず留守番電話が入り、ファックスが入り、ワープロに移行して、それから四年ぐらい前にパソコンを導入して、それでパソコン通信を始めて、こんなに便利なものがあったのかしらというぐらい大変な技術革新の十年でした。ファックスで一本四百枚の長編を送ろうとすると何時間もかかるんですけれど、通信ですと数分で出版社までじかに、とにかく端末のあるところでしたら何か所でもいっぺんに送れてしまう。それで、ほんとうに自分の売っているものはデータなんだなということを切に感じるのと同時に、著作権の問題とかコピーの問題とか、少し頭に引っかかっています。
 ――井上さんも八ヶ岳のふもとに書斎を構えて、ほとんど東京に出ずに作品をパソコンで送っているそうですが。
 井上 出版社の編集部が技術革新にまだ遠い存在というのが、かなり現実問題としてありまして、例えば僕はパソコンの中にワープロソフトを入れて原稿を書いていますが、フロッピーあるいはファイルに落としたものをパソコン通信で送れば、十分それで仕事ができるはずなのに、編集部はそれに対応できていないんです。やっぱり紙にプリントアウトしたものをくださいとか、あるいはファックスで送っていただきたいとかいうような希望が非常に多いわけです。
 でも、僕は編集者の若い人であればパソコン通信に“改宗”させて、なるべく通信で原稿を送れるように周囲を変えようとはしていますけれども
 夢物語みたいなことで一つ考えているのは、フリーソフトウエアやシェアソフトウエアといった動きが今、非常に活発になっていますが、例えば小説なんかでもそういうシェアウエア的なものは考えられないんだろうかと。出版社が何社か集まって、今月の三十冊とか今月の五十冊とかの小説をCD―ROM一枚の中に焼いてしまって、それぞれ最初の第一章だけを自由に読めるというような形に作っておいて、読者がこれはおもしろいから続きも読みたいとなったら、お金を払ってプロテクトを外せばあとのほうも読めるようにするのはどうか。
 書き手側としては、例えばパソコン通信内で小説が書かれたり、そういうことによって読者と作者の距離がもっとずっと近寄ってくれば、内容面に関してもかなり影響を受けて、作品の考え方、小説の書き方自体に新しい方向というのが出てくる可能性も広がってくると思います。
 ――そういった場合に編集者とか出版社の役割というのは今後どうなっていきますか。
 津野 すべての人が、浜野さんがおっしゃったみたいな仕方で自分で本をつくるというのは多分なかなか難しいでしょう。だけど、可能性としては明らかにそこまで開かれた状態の中で、要するに選択の幅が広がってくるだろうと思うんです。編集者の立場で言うと、やっぱり物を書く方というのは、なかなか一人だけで書くのは実際には難しいんです。今は紙の本ですから、紙の本という一つの完結した形に向かって、著者と編集者が協力して、人前に出しても恥ずかしくないものにするための努力のし合いをしながらやっていくわけです。
 ですから、そのプロセスを全部抜きにして、著者の場所だけでそれができるかというと、これはなかなか著者に負担がかかり過ぎて難しいだろうと思います。
 ――マルチメディアでいろんな夢が描かれますが、活字文化と電子文化の今後の併存、並立はできますか。
 浜口 今、コンピューター関係の書籍とそれに関するCD―ROMが約一千億円近くの売り上げと考えられています。これはほとんど書店ではなくて、いわゆる家電の量販店で売られているんです。本の場合は定価がありますが、量販店では価格競争で定価がないですから、どんどん値段が下がってしまい、いいソフトが出なくなる可能性があるんじゃないかと思います。そういう問題が解決されないと困る。
 もう一つは、やはり書店は本にこだわっているわけです。私がさっき申し上げたように、書店の形態が変わらなきゃいけない。やはりCD―ROMを売るだけではなくて、きちんとハードも備えて、それでテストして買っていくのでなければビジネス化できないわけです。
 ですから、やはり流通のシステムが情報の非常に大きな分野だという認識がないままに、本の外で問題を考えるとなかなか解決ができないんじゃないかと思います。
 ――ただ、最近書店の大型化、集約化という問題があって、町の小さな本屋さんがどんどん少なくなっていく。
 浜口 書店が非常に大型化されているのは事実ですね。しかし問題点は、実は書店業界はオートメーション化されていないわけです。したがって、たくさんの本がそろっているにもかかわらず、在庫管理とか、出版社との間のいろんな情報の検索も必ずしもオンラインでできていませんから、大型店化することが即情報の提供に役に立っているかというと、私は疑問です。
 やっぱり大型化は今後、必然の過程になると思いますけれども、大型化することによってきちんとした情報提供ができる、これはマルチメディアではなく、既にほかの業界では当然のことになっている単品管理ができることのほうがむしろ重要であって、それが読者に非常に役に立つんじゃないかと思います。探しても本がないとか、わからないという書店が多いですから。そういうことがちゃんとできれば、出版文化を支える非常に大きな貢献になると思いますね。
 浜野 私も多様な表現があっていいと思うんですが、だれにでも出版のチャンスを与えることによって、逆に文字とか文学が復権すると思うんです。
 例えばグーテンベルクが活版印刷を発明した十五世紀のなかば、ヨーロッパ全体でも読み書きできる人は数千人しかいなかったそうです。グーテンベルクの活版印刷の一番大きな革命というのは多くの読み手を作ったことじゃなくて、やっぱり書き手を生んだということだと思うんです。それが今、百部でも、十部でもいいから出版という形態を取れて、人にそこそこのスタイルで見せられるフォーマットを持ったことによって、ほんとうに今たくさんの人が文字による表現を始めていると思います。
 大原 パソコン通信をやっていると、だれでも文章を書けて、だれでもオンラインにアップできて、だれでも小説のようなものを山ほど書いているというのは、やっぱりすごい。
 井上 ワープロを使い始めたときに、小説が変わらないか、文章が変わらないか、書き方自体を変えなければ書けないんじゃないかと盛んに質問を受けた。でも大事なのは、ワープロで書いたらもっと違うことができると考えられるかどうか。僕はミステリーを書いているので六法全書を引かなければならないことがあるが、法律の勉強を一切したことがないので、引き方がよくわからなかった。それがCD―ROMになり、単語の検索ができるようになって初めて六法全書を使うことができました。
 ◆各社の在庫集約を計画/浜口 
 ――最後に今後の出版文化について一言ずつ。
 浜口 出版の未来は、多様化する中で相当いろんなことができると思う。ただし、書店の立場からいうと流通の問題がきちっと解決されないとせっかくのそういう動きがきちんと伝わらない。それが書店の今後の大きな課題になると思います。
 浜野 文字表現というのは音楽とか映像に比べて非常に洗練された高級な表現ですから、文字表現の価値自体は新しいメディアで復権していくと思う。ただ、今のデジタルの革命というのはグーテンベルクの革命以上の革命ですから未来が予想できない。ただ、特に製作と流通のところで考えられなかったようなダウンサイジングとかメディア機能の分散みたいなことがかなり急速に起こるだろうと思います。
 津野 本を作る側としては、まだそういう技術を主体的に取り込んでいく姿勢がなく、あせりが先に立つ。ただ技術の流れに追われるだけになってしまったら、やっぱりまた今までどおりの貧しい対応しかできないんじゃないかというような気がします。
 大原 私はすごく自分で本をつくりたくなってきちゃいまして、せめて数百万円ぐらいまでにマシンの価格が落ちてくれれば、自分でほんとうに刷っちゃって、一冊三万円にして五十人が買ってくれればいいというような本を作りたい。やはり紙の本がいいです。
 井上 例えば現実に、たくさん本が出過ぎて何を読んだらいいかわからないという問題があるわけで、本屋に行くことができない人のためにパソコン通信で読みたいもの、知りたいことが検索できれば、それはもっといい意味での多様化になりうる。
 浜口 今、出版共同VANという計画があって、出版社の在庫を全部そこに入れて、各書店とオンラインでつなごうという計画がある。これがきちんとできれば、今みたいに書店に行っても、その本があるかどうかもわからないという問題はなくなる。
 浜野 アメリカでは著作権の切れた文学作品を全部デジタル化して、利用者がただで入手できる「グーテンベルク・プロジェクト」が一九七一年にスタートしました。
 津野 そういう動きが民間の、普通の人たちから出てくるあたりがアメリカのすごさですね。
 《メモ》
 ◇書籍 93年一年間に出版された新刊四万八千五十三点。対前年比五・四%増。これを十年前と比べると五割増という状態。また旧刊も含めた推定発行総部数は十四億四百九十八万冊。売上総額は九千九百十六億八千二百三十七万円で対前年比三・五%増。「出版は不況に強い」という印象を裏付けたが、これは定価が上昇したため。
 ◇雑誌 93年の売上金額は一兆五千六億一千九百五十六万円で対前年比五・二%増。推定発行部数は四十九億四千五百八十八万冊に及び、“雑高書低”状況は相変わらず。一年間に百四十四点が創刊された一方、百五十二点が休刊あるいは廃刊に追い込まれ、激しい盛衰模様を見せている
 ◇非活字出版 「電子ブック(EB)」「CD―ROM」「デジタルブック」などマルチメディア出版物がこの数年間に登場、市場拡大をうかがっている。このうちもっとも普及率の高いEBはソフトタイトル百四十二点が出版された。デジタルブックも書籍並みの価格、NEC98シリーズへの汎用(はんよう)性などから拡大の期待がかけられている。
 ◇出版社・書店 93年末の出版社は四千三百二十四社。明治以前の創業百四社、第二次大戦以前が四百三十一社。規模別には従業員千一人以上が三十二社、二百一―千人が百十八社、百一―二百人が百十二社、五十一―百人が百八十三社、十一―五十人が九百八十社、十人以下が二千五十四社。
 一方書店は全国に一万千五百十一店。漸減傾向にあり、とくに町の小さな書店は転廃業に追いやられ、郊外への大型店出店が目立っている。

 

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『読売新聞』1994.11.15
「辞書は電子出版で」増加 出版文化産業振興財団が調査
東京朝刊
 小説や読み物は従来の紙の出版物で、辞書や百科事典はCD―ROMなどで――出版文化産業振興財団(東京都千代田区)が九月から十月にかけて、四十七都道府県の書店の店先で行った聞き取り調査でこんな結果が出た。
 有効回答は三千四百八十六人(男千五百三十二人、女千九百五十四人)。電子出版など新しい形の書籍や注文方法の認知度を尋ねると、手のひらサイズの電子ブック類は四九%、パソコン通信ネットで作品を発表するオンライン出版は一八%が知っていた。「パソコン通信を使った本の宅配注文」も二三%が知っていた。
 小説や読み物は八七%が印刷物で読みたいと回答。辞書や百科事典は「印刷物」が四五%、「CD―ROMやパソコン通信を使ってオンラインで読みたい」という人が三七%と差が縮まっている。辞書類は印刷物だと重くてかさばるのに対し、検索する時間がかなり速く、軽いCD―ROMなどの利点が知られてきているようだ。


*作成:植村 要
UP: 20100706  REV:
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