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井形 昭弘

いがた・あきひろ
1928/09/16〜2016/08/12


 *以下は天田城介さん(熊本学園大学:当時)からお送りいただいたファイルにすこしだけ加えたものです。天田さんに感謝いたします。(2005)
肩書き:名古屋学芸大学長 あいち健康の森・健康科学総合センター名誉センター長
出身都道府県:静岡県
生年(西暦):1928年
現住所:愛知県
主な経歴:
1971年 鹿児島大学医学部教授
1987年 同 学長
1993年 国立中部病院長
1997年 あいち健康の森・健康科学総合センター長
2002年 名古屋学芸大学長
上記肩書き以外の「主な役職」:厚生労働省社会保障審議会委員 (財)屋久島環境文化財団理事長

http://www.nihon-taishomura.or.jp/ntm311/igata.html
http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/010.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/essei/igataakihirosennsei.htm

■2012

◆(社)日本尊厳死協会理事長 井形 昭弘 2012/04/24 「法律案に反対する団体の意見に対する(社)日本尊厳死協会の見解」
 於:自民党勉強会 [MS Word版]

■2009

◆2009/12/18 発言
 日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポジウム・「尊厳死法制化」の問題点を考える 於:東京・ホテルグランドヒル市ヶ谷
 cf.立岩の発言部分(井形氏への質問・応答が含まれています)

■尊厳死

日本尊厳死協会 理事長 井形昭弘
 http://www.songenshi-kyokai.com/
 http://www.songenshi-kyokai.com/dwd02.htm

◆2004 東京大学医学部 医の原点
 http://www.m.u-tokyo.ac.jp/inogenten2004/index.html
 http://www.m.u-tokyo.ac.jp/inogenten2004/2004.html

◆米尊厳死:シャイボさん問題 判決後も混乱
 毎日新聞 2005年3月31日 1時47分
 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050331k0000m040179000c.html
 「日本尊厳死協会の井形昭弘理事長は「米国の問題は本人の意思表示がないために起きた」とみる。同協会は本人の書面による生前の意思表示(リビング・ウイル)で尊厳死を求める運動を進め、11万人近くの会員がリビング・ウイルを示した。」

◆2005/04/16 集会「尊厳死っ、てなに?」に参加、発言
 ↓
 2005/05/30 「尊厳死っ、てなに? 尊厳死をめぐる論点が確認される」
 『医学界新聞』2635
 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2005dir/n2635dir/n2635_02.htm#00
 「[…]会場には井形昭弘氏(日本尊厳死協会理事長)も来場しており、その時点までの議論について反論した。井形氏はまず、薬物を投与するなど積極的関与によって死に至らしめる安楽死と異なり、尊厳死は、あくまで無理な延命処置を行わず自然死を尊重するものであると述べた、また、それは1人ひとり、本人の価値観に基づく決定として行われるべきものであるとして、法案の中でインフォームド・コンセントが重視されていることを紹介した。
 一方、中島氏が述べたQOLの負の側面については、「病気によって人間の尊厳が損なわれるとは限らないことはたしかだが、尊厳の有無については本人の判断に委ねるべきではないか」とし、それについての本人の意思を生前に明確にする「リビングウィル」の重要性を強調。また、そうした「生前のリビングウィル」に実効力を持たせるのが今回の法案の趣旨であり、社会保障費の削減といった医療経済の問題を背景としたものではないと述べた。
 これに対し、清水照美氏(作家・看護教育者)は、安楽死反対運動にたずさわってきた立場から発言。[…]」

◆井形 昭弘・山本 \子 20070720 「持続性植物状態(遷延性意識障害)」,日本尊厳死協会東海支部編[2007]*
◆井形 昭弘・山本 \子 20070720 「筋委縮性側索硬化症(ALS)」,日本尊厳死協会東海支部編[2007]*
*日本尊厳死協会東海支部 編 20070720 『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の具体的提案』 ,日本尊厳死協会,発売:中日新聞社,159p. ISBN-10: 4806205486 ISBN-13: 978-4806205487 1000 [amazon] ※

■難病

◆武田医学賞
 http://www.takeda-sci.or.jp/pages/igakusyo/igakumem.html
 1993 井形昭弘博士 HAMを中心とした各種神経疾患の研究 国立療養所中部病院院長

◆井形 昭弘(国立療養所中部病院院長・前鹿児島大学学長) 1993 「知本さんの戦友として」,知本[1993:3-7]*
知本 茂治 19930528 『九階東病棟にて――ねたきりおじさんのパソコン日記』,メディカ出版,340p. ISBN-10: 489573269X ISBN-13: 978-4895732697 \1835 [amazon][kinokuniya] ※ als c07 n02
 立岩『ALS――不動の身体と息する機械』における引用
 「【76】 九三年。《知本さんのかかっている筋萎縮性側索硬化症もこの難病の一つで、現在なお患者さんの期待を背に鋭意究明の努力が続けられ、今一歩で解決という段階に来ている。》(井形[1993:4]。井形は知本[42]の入院先の国立療養所中部病院の院長)」

◆病む人に学ぶ―難病医療・障害者福祉が結んだ縁
 福永 秀敏 独立行政法人国立病院機構 南九州病院 院長
 http://www.nissoken.com/book/966/
○「患者さん一人ひとりの思いを、実情を、ドラマをこれほどまでにいきいきと語れる医師が他にいるだろうか」(フリーライター 渡辺 一史)
○「院長としての経営哲学も未来志向型であり、本書は正に福永イズムの結晶ともいうべき名著」(名古屋学芸大学 学長 井形 昭弘)
○「医療者が経営を語ることを「医は算術」と揶揄する時代ははるかに過ぎ去った」(日総研グループ代表 岸田良平)

■臓器移植

トランスプラント・コミュニケーション(臓器移植の情報サイト)
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html
日本臓器移植ネットワーク準備委員会(井形昭弘委員長、前身は臓器移植ネットワークのあり方等に関する検討会)」の作業部会
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_2/2_1.html#TC_2_01

■再生医療

株式会社 ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング
http://www.jpte.co.jp/index2.html
J-TEC倫理委員会
http://www.jpte.co.jp/ethic_com.html

■代替医療について

(財)日本漢方医学研究所 役員 評議員
http://www.mmjp.or.jp/kampo-medicine/sub2.htm

http://www.alter-navi.jp/imunet/4kouza.sinpo/sinpo3.html
統合医療利用者ネットワーク イムネット
http://www.alter-navi.jp/imunet/

■水俣病

◆熊本日日新聞2001年6月30日朝刊
http://kumanichi.com/feature/minamata/igaku/igaku17.html

◆第6回中央公審対策審議会環境保健部会 水俣病問題専門委員会議事速記録 平成3年
http://www.jspn.or.jp/pdf/m_gijiroku06.pdf

◆「永木論文「水俣病患者の末梢神経――これまでの研究成果について」に寄せて」
 阪南中央病院  村田三郎
 http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/news_release/thesis20020610_1.html
 「永木論文、「水俣病患者の末梢神経」―これまでの研究成果について―を大変興味深く、そして非常な共感をもって、読ませて頂いた。まさに、溜飲を下げたという感がある。
 「水俣病患者に認められる感覚障害の責任病変部位が中枢神経系にあるのか、末梢神経にあるのか」は、関西訴訟において大きな争点になってきた。原告側が、感覚領野である後中心回の障害に起因するとする「中枢説」を主張して来たのに対して、被告側の井形昭弘証人や永松証人は、時には末梢性、また時には中枢性と主張して、末梢性と中枢性の両方が関与するという、証言をした。しかし、被告側の主張は、基本的には、従来言われてきたように「末梢説」に固執し、四肢末端に感覚障害がある多くの患者を切り捨てて来た。
 この、被告側の「あやふやで、無責任で、かつ実際の患者の訴えや現実の臨床的事実から目を逸らした」主張は、永木氏やLe Quesneらの過去の多くの末梢神経における電気生理学的研究の成果や死亡した有機水銀中毒患者の剖検・病理学的研究を元にした、原告側の反論・批判によって論破された。当然のことながら高裁「控訴審」判決においてさえも、見事に退けられた。しかるに、井形昭弘氏は、なおも「軽症の水俣病患者では、末梢神経が正常でもおかしくはない」というようなコメントを公然と行っている。
 永木氏は、このような井形氏の「反省の色のない、無責任な」態度に、研究者の良心から、我慢しきれなくなったのではないだろうか。永木論文はいう。「井形氏の、軽症の水俣病患者では、末梢神経が正常でもおかしくはないというコメントを、著者は重症者では末梢神経に異常がある筈だ、という意味に理解した」と。この文章が、永木氏の本当の気持ちだと思われる。医学・科学は、「...であるはずだ」ではなく、患者の訴えそのものであり、科学的な研究、知見でなければならない。
 […]
 永木氏は、これらの研究結果や多くの知見を元に、この度の論文で、「水俣病患者の感覚障害は、発症形式または重傷度にかかわらず、イラクにおけるメチル水銀中毒症と同じく、その責任病変部位は、末梢神経ではなく、中枢神経系に存在する」と結論づけた。
 この永木氏の「勇気」(敢えて勇気と言わせて頂く)そして、学術論文の上で、このように井形氏を批判できる、その科学的知見に対する確固たる信念と科学者としての良心に対して、敬意を表したい。
 さらに、この論文発表が、二点識別感覚障害などの中枢性複合感覚障害の意義をめぐる論争の決着と診断・認定条件の見直しに繋がることを期待している。」

◆朝日新聞 2002年7月18日 「水俣病 国、申請封じ図る 91年の中公審 地域指定解除を提案」
 「91年に水俣病の総合対策を講じた中央公害対策審議会・水俣病問題専門委員会(井形昭弘委員長、14人)が、公害健康被害補償法の指定地域となっている熊本県水俣市など不知火海東岸の指定解除を、国の提案で極秘に検討していたことが当時の議事録から分かった。答申には盛り込まれなかったが、国は水俣病の可能性がある申請者を無視し、幕引きを図ろうとしたとみられる。
 情報公開法に基づき、朝日新聞記者が議事録の公開を求め、開示された。従来、国は「感覚障害だけでは水俣病と判断がつかない」とし、認定審査会は視野の狭まりなど、ほかの症状との組み合わせを基本に判断してきた。
 議事録によると、判断条件作りにかかわった鹿児島大学長(当時)の井形委員長が「(感覚障害のみの水俣病は)私はあり得ると思う」 「堂々と(裁判の)書面で主張したことを、うそだったとも言いにくい」と、国の主張の不備を認めた。
 当時、熊本、鹿児島両県で感覚障害などを訴える2900人の申請者の扱いに困っていた環境庁は、再申請も含めたすべての申請を禁じるため、指定解除の必要性を強調した。指定解除されれば、新たな認定申請はできない。
 結局、答申には盛り込まれず、同庁は認定申請を取り下げることを条件にした新対策を始めることを決断。92年から熊本、鹿児島県などが感覚障害のある未認定患者に療養手当などを支給する事業を開始した。」

◆2003/12/25 大阪地検、井形昭弘(元鹿児島大学学長、元熊本県・鹿児島県水俣病認定審査会委員)の偽証罪での告発を不起訴とする。

◆検察審査会に不服申立書を提出
http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/news_release/fufukumoushitate2.html
 「大阪検察審査会 御中 審査申立理由補充意見書
  告発人 鎌田 学 被疑者 井形 昭弘 罪名 偽証罪

 告発人は、本日、上記事件についての大阪地方検察庁の平成15年12月25日付不起訴処分(以下 本件処分と略称する)に対して不服であるので審査申立を行うこととする。
  以下、不服理由を補充する。[…]」

◆熊本日日新聞2004年1月14日朝刊
http://kumanichi.com/feature/minamata/kiji/20040114.1.html

◆「井形・元中公審専門委員長 メチル水銀中毒、「水俣病でない」は詭弁」
 熊本日日新聞2004年12月1日朝刊
 http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kiji/20041201.1.html
民主党のヒアリングに答える井形昭弘氏=東京・永田町の衆院第一議員会館
 現行の水俣病認定基準の策定にかかわった井形昭弘・元中央公害対策審議会・水俣病問題専門委員会委員長(名古屋学芸大学長)は三十日、東京・永田町であった民主党の水俣病対策ワーキングチーム(松野信夫座長)の会合に出席。関西訴訟の最高裁判決が「メチル水銀中毒症」と認めた原告を、環境省が「水俣病」と認めないことについて「メチル水銀中毒は水俣病。詭(き)弁だ」と述べ、同省の姿勢を批判した。
 同判決が追認した大阪高裁判決は原告らの被害を「メチル水銀中毒症」として認定。これに対し同省は「公害健康被害補償法(公健法)に基づく水俣病とは認められない」としている。
 最高裁判決で、複数の症状の組み合わせを求める現行基準より、緩やかな基準で水俣病と認める司法判断が確定したが、同氏は、認定基準の見直しについては「従来の認定業務や(一九九五年の政府解決策による)政治決着を根本からご破算にするものだ」と難色を示した。
 しかし「このままでは医師の協力は難しく、認定審査会の委員委嘱も厳しい」と述べ、対応策が不可避との考えを示した。
 井形氏は長年、鹿児島大医学部教授として水俣病の認定審査にあたり、同制度を維持する立場をとってきた。同制度について「汚染様式がまちまちの水俣病は非常に診断が難しく、一定の線引きで棄却された人の中に(水俣病は)十分あり得ると思う」と制度の限界を示唆。「だからこそ感覚障害のみのボーダーライン層を設定し、医療事業や政府解決策で救済した」と語った。
 その上で「日本こそが世界でモデルを示さないと、今後起き得る大掛かりな地域汚染に対処しにくい。万人が納得できる方法で解決を」と新たな方策を求めた。」
 熊本日日新聞2004年12月1日朝刊

◆井形・元中公審専門委員長 「判断条件拡大なら新たな争いの恐れ」
 http://www.kumanichi.co.jp/minamata/kiji/20041201.2.html

 「民主党が三十日開いた会合で、井形昭弘・元中央公害対策審議会・水俣病問題専門委員会委員長が認定制度問題に関して発言した。議員団との主なやりとりは次の通り。
 ●認定基準は「厳格に失する」(一九八五年、水俣病二次訴訟福岡高裁判決・確定)などと司法で批判されてきた。医学的観点に基づいていないのではないか。
 <井形> 重症から軽症までが連続的に存在する水俣病の場合、結局、問題は判断基準というより、どこで切るかという線引きになる。環境省は『医学専門家会議が(妥当と)判断した』(同判決を受けて開かれた会議、同氏も参加)と明言しているが、私にはそれだけの自信はない。
 だからこそ、当初から水俣病の判断がつかないボーダーライン層の存在を主張してきた。実際、メチル水銀の影響が否定できないとして水俣病と認められないまま救済された政治決着の対象者にも当然、水俣病はあり得る。有機水銀と無関係ならば国が金を出す意味はない。
 ●ボーダー層を広く救済するためにも、判断条件を変えて対策をとるべきでは。
 <井形> (複数症状の組み合わせを求めた)判断条件の見直しは、すべてを壊すことになる。医学的検証は必要だが、社会的問題が噴出している最中に学問的に改編することには慎重であるべきだ。
 新たな療養費支給を柱とする熊本県の対策案は積極的に行政で救済を図ろうというもので、結構なこと。しかし、対象者がすべて水俣病かと聞かれれば、医学者として言い切れない。仮に判断条件を広げれば、その水準で水俣病かどうかの新たな争いが生じる。感覚障害のみで条件を広げることが解決にはならないと思う。 」熊本日日新聞2004年12月1日朝刊

◆チッソ水俣病関西訴訟を支える会
http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/index-j.html

◆国・熊本県が最高裁に提出した
 http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/news_release/appeal2_9.html
 「たとえば、井形委員長自身が、「最近の知見によって、四肢末梢の感覚障害というのは、中枢性の障害であって、末梢神経はやられてないというのが通説になってきて」(第5回)、「そうクリアカットに、すべて医学がオールマイティで、医学が言ったこと以外は絶対に違う、したがって、審査会が落としたものは絶対水俣病でないという主張については、医者たるもの、多少じくじたる思いを持っております。」「診断基準を採用したから、より正確な診断を期すということは表現は間違っておると思います。より均一なというか、同じスタンダードの診断になると思います。」(第6回)、「私は(メチル水銀の影響で四肢の感覚障害のみを有することは)あり得ると思うのですが、今までの裁判での主張は、あり得ないと。」(第7回)など、原審における証言の際には決して聞くことのできなかった、むしろ医学者としては極めて控えめとも受け取れる発言に終始していることが印象的である。水俣病訴訟の一面は、これら国側の医師の権威との闘いでもあったことを思うと、国及び国側の医師らの責任は重大である。

井形氏によるPlenary Lecture I.に対する抗議
津田敏秀
http://www.southwave.co.jp/swave/8_cover/2002/mercury/tsuda.htm

■薬害エイズ

第136回国会 厚生委員会薬害エイズ問題に関する小委員会第3号 平成8年6月
参考人 国立療養所中部病院・長寿医療研究センター院 井形昭弘
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/136/1212/13606031212003c.html

■老年学/老年医学

日本老年学会会長 井形昭弘
http://www.congre.co.jp/rounen2003/html/aisatu01.html
http://www.congre.co.jp/rounen2003/
2003年6月19日(木)
日本老年社会科学会日本老年学会合同プログラム(6月19日)
会長講演 6月19日(木) 13:30〜14:00 センチュリーホール
「夢の長寿社会;長寿科学の果たす役割」
 司会:折茂 肇(健康科学大学)
「夢の長寿社会;長寿科学の果たす役割」井形昭弘(名古屋学芸大学)
http://www.yume-net.ne.jp/dome/rounenshakai/11program/45_taikai_program.htm

第47回 日本老年医学会学術集会 2005年6月15日〜17日
http://www.coac.co.jp/jgs47/
パネルディスカッション 6月16日(木)G409 9:00〜11:00
I. 高齢者の医療・介護保険制度を考える
 司会:名古屋学芸大学 井形昭弘
     東京都多摩老人医療センター 井藤英喜
1. 日本の超高齢社会と社会保障 厚生労働省大臣官房審議官 中島正治
2. 都の立場から 東京都福祉保健局高齢社会対策部 野村 寛
3. 医師会の立場から 日本医師会 野中 博
4. 医療経済・政策学の視点から 日本福祉大学 二木 立

日本抗加齢医学会
http://www.anti-aging.gr.jp/
日本抗加齢医学会 顧問
http://www.anti-aging.gr.jp/about/adviser.html

第5回国際ジェロンテクノロジー組織委員会 顧問
http://www2.convention.co.jp/5isg/japanese/commite.html

日本脳卒中学会
http://www.jsts.gr.jp/
日本脳卒中学会 評議員
http://www.jsts.gr.jp/jss03.html

国際長寿センター
http://www.ilcjapan.org/index.html
学識経験者理事
http://www.ilcjapan.org/ILC-Japan2.html

ドクターズマガジン 編著
日本の名医 30人の肖像
http://www.hankyu-com.co.jp/books/_ISBNfolder/ISBN_03200/03223_30Doctors/30Doctors.html

■認知症

認知症(痴呆)高齢者ケアマネジメント推進モデル事業 中央検討委員会委員名簿
http://www.itsu-doko.net/model/20040805.html

国際アルツハイマー病協会第20回国際会議・京都・2004
名古屋会場 平成14年10月14日(月)体育の日
基調講演「痴ほう症をより理解してもらうために必要なことは」
井形 昭弘氏(名古屋学芸大学学長/愛知県健康科学総合センター長)
http://www.e-65.net/forum/forum_past1.html

■介護保険制度

井形昭弘 公開講座「夢の長寿社会−介護保険を起点として」
http://www.kaigo.gr.jp/teach/igata.htm

中国新聞社
http://www.chugoku-np.co.jp/
中国新聞社 1999年12月14日
「健やかな高齢者増え 未来は明るい」厚生省審議会部長 井形昭弘さんに聞く
http://www.chugoku-np.co.jp/kaigo/siren/kaigo1214.html

月刊介護保険 平成11年10月号
http://www.sociohealth.co.jp/magazine/kaigo/index.cfm?y=1999&m=10
(インタビュー)P.10
走りながらより良き認定システムを確立
−井形昭弘氏(医療保険福祉審議会老人保健福祉部会長)に聞く−
 10月から全国の市町村で要介護認定事務がスタートする。医療保険福祉審議会の老人保健福祉部会長を務める井形昭弘氏(あいち健康の森健康科学総合センター長)は、4年ほど前から要介護認定の仕組みづくりに深く関わっており、現在も要介護認定モデル事業の内容等を検討する、厚生省の高齢者介護サービス体制整備検討委員会の委員長を務めている。井形氏は、要介護認定システムについて、「平成8年度から要介護認定のモデル事業に取り組み、修正しながら今の仕組みが出来上がった。要介護度を6段階ときめ細かくしたことと、一次判定にコンピュータを導入したことは国民の納得を得るうえで大きな力になる」と語った。


介護の社会化を進める1万人市民委員会(代表樋口恵子・堀田力)による申し入れ書 1999年3月29日
医療保険福祉審議会 老人保健福祉部会長 井形昭弘
http://www.kaigo.or.jp/moushiire.html

身体拘束ゼロシンポジウム 平成13年3月27日(火) 午後1〜5時
厚生労働省身体拘束ゼロ作戦 推進会議の審議状況について
 井形昭弘 (推進会議座長)
 山崎麻耶 (マニュアル分科会座長)
 斉藤正男 (ハード改善分科会座長)
http://www.wao.or.jp/yamanoi/osusume/01/010327.htm

■医療制度改革

医療保険福祉審議会老人保健福祉部会 井形昭弘・部会長
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/ansin/an032801.htm

医療保健福祉審議会委員名簿
http://www1.mhlw.go.jp/shingi/roujin.html#iryo-hoken H11.6.14

医療保険福祉審議会委員名簿
制度企画部会
http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s1028-4.html

日医ニュース 第1047号(平成17年4月20日)
社会保障審議会介護給付費分科会
介護報酬改定の議論始まる
http://www.med.or.jp/nichinews/n170420d.html

■ケアマネジメント

日本ケアマネジメント学会
http://www.jscm.jp/index.asp
http://www.jscm.jp/intro/rijicho.html


■医学書院

◆『週刊医学界新聞』第2321号 1999年1月11日
1・9・9・9  新春随想
未来の医療制度 井形昭弘(あいち健康の森・健康科学総合センター長)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1999dir/n2321dir/n2321_02.htm

◆『週刊医学界新聞』第2334号 1999年4月12日
メインテーマ“21世紀への飛翔−共生のための科学と文化を求めて”
第36回日本リハビリテーション医学会  〔5月20-22日鹿児島市〕開催に際して
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1999dir/n2334dir/n2334_03.htm

■その他

◆中部日本放送番組審議会委員長
 http://hicbc.com/whatscbc/press/050409-banshin/
 2005年度

◆(財)医療情報システム開発センター評議員
 http://www.medis.or.jp/1_somu/index.html

◆財団法人日本国際医学協会 顧問
 http://www.imsj.or.jp/aboutus.html

◆中央環境審議会環境保健部会長

平成9年12月16日 中央環境審議会総会結果 環境保健部会長 井形昭弘
http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=2289

◇PRTR法で対象物質専門委を設置
パイロット事業等ベースに―中環審環境保健部会
中央環境審議会環境保健部会(井形昭弘部会長)は7月30日、特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律(7月7日可決・7月13日公布)の指定化学物質の選定などを検討するPRTR法対象物質専門委員会(鈴木継美委員長)を設置した。厚生省の生活環境審議会、通産省の化学品審議会が設置する委員会と合同で9月には第1回会合を開く。
http://www.nippo.co.jp/jk/wt9908.htm

◆財・国際看護交流協会評議員(平成13年10月1日現在)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/shocho/koeki/koku_kango/yakuin.html


 

 ※以下は立岩が自分のためにつくったメモです。

◆1977

◇矢吹 紀人 200510 『水俣病の真実――被害の実態を明らかにした藤野糺医師の記録』,大月書店,221p. ISBN-10: 4272330446 ISBN-13: 978-4272330447 欠品 [amazon][kinokuniya] ※ hsm, ms, m34

 「昭和五二年判断条件作成の中心となり、数多くの患者を棄却してきた鹿児島県認定審査会会長の井形昭弘鹿児島大学教授(当時)は、行政不服審査請求の参考人として陳述している。その発言のなかで、「認定問題」について問われたなかで次のように答えている。△180

 井形参考人 実際に、たとえば水俣病の患者さんを見た場合に、私たちは非常に心を痛める問題、その人が水俣病であろうとなかろうと、その人の負っているハンディキャップは同じなのです、社会では。だから、理想的な社会ならば、そういうハンディキャップを負った人は、水俣病どうかということに目くじらを立ててどうするというよりも、まずはすべての人を救済することが望ましい。そしてまた、たとえばチッソの責任は責任で別の次元で追及する――これは哲学ですから、今の問題に余り関係ありませんけれども、私自身はそう思っております。……
 審査請求代理人 そうすると、どこで線を引くのかの役割は、これは行政がやることだというお考えですね。
 井形参考人 そうです。おっしゃるとおりです。

 水俣病かどうかによらず、社会的弱者を救済すべきだと唱えるのなら、井形教授はなぜその水俣病患者を否定し、切り捨てるような行政の政策に加担してきたのだろうか。
 「線を引くのは行政」だと責任逃れとも受け取れる発言をしているが、行政が水俣病患者を切り捨てるような線を引くことができたのは、井形教授たち医学者が背景にいたからではないのか。
 行政不服審査請求の場で発言したような医学者としての真摯な思いがほんとうにあるのなら、医学としての「認定」の立場をどこまでも貫くべきだったのではないのだろうか。」(矢吹[2005:176-181])

◆19851011 「水俣病の判断条件に関する医学的専門家会議」

◇矢吹 紀人 200510 『水俣病の真実――被害の実態を明らかにした藤野糺医師の記録』,大月書店,221p. ISBN-10: 4272330446 ISBN-13: 978-4272330447 欠品 [amazon][kinokuniya] ※ hsm, ms, m34

 「動かす力と動かぬ力と
 水俣病第二次訴訟の控訴審判決が確定する直前の一九八五(昭和六〇)年一〇月一一日。環境庁において、「水俣病の判断条件に関する医学的専門家会議」と名づけられたひとつの会議が開かれた。
 この会議は、何を目的としたものだったのだろうか。初日からわずか四日後に出された会議の「意見」序文に、その目的とするところが次のように記されている。
 「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議は、昭和六〇年八月一六日熊本水俣病第二次訴訟控訴審判決が福岡高等裁判所から出されたことを契機とし、現時点における水俣病の病理及び環境庁が示している後天性水俣病の判断条件が医学的に見て妥当なものであるかどうかについて環境庁の諮問を受け、病理学、精神医学、耳鼻咽喉科学、眼科学の専門家の意見も踏まえ、医学的立場から総合的に検討を行った。」
 つまり、水俣病第二次訴訟控訴審判決で、チッソが敗訴しただけでなく昭和五二年判断条件までが「厳しすぎる」と断定されたので、学者や専門家がほんとうにそうかどうかを検討するというものだった。
 会議のメンバーは、椿忠雄東京都立神経病院長、井形昭弘鹿児島大学医学部教授、荒木淑郎熊本大△176 学医学部教授など八名だった。このうち、座長の祖父江逸郎国立療養所中部病院長をはじめとする三名の医学者は、水俣病患者を診察した経験のない医師だった。それ以外の五名の学者は、昭和五二年判断条件を作成した検討会のメンバーだった。
 このような学者たちによる会議で、何が話し合われたのだろうか。一〇月一一日の初日会議は午後六時に開会し、午後九時に閉会している。翌一二日の目曜日には二回目の会合がもたれ、午援五時に開会、午後九時閉会となっている。これが、話し合われた会議のすべての時間だった。
 休憩時間などを含めた二日間すべての時間を合計しても、たった六時間半の話し合いしか行なわれなかったことになる。この短時間の「会合」によって、「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見」は出されている。
 焦点となっている「判断条件」についてはわずか一二行の記述があるだけだが、次のような結論をはっきりと打ち出している。
 「一症候のみの例があるとしても、このような例の存在は臨床病理学的には実証されておらず、現在得られている医学的知見を踏まえると、一症候のみの場合は水俣病としての蓋然性は低く、現時点では現行の判断条件により判断するのが妥当である。……」
 判決を受けて専門家が議論をしたという体裁は聞こえかよいが、実質的な議論などほとんどできないほどの短時間で出された結論が、これまでどおり環境庁の政策を支持するものだという。逆に考えれば、判決にあわてた環境庁が、あらかじめ用意した結論を「専門家」が議論したかのように装って△177 形をつくろった会議だったと指摘されても否定できないようなものでしかなかった。
 しかし、この意見書に書かれている「このような例の存在は臨床病理学的には実証されておらず」といった言葉の内実は、どのようにして検証されているのか。誰が何をどのように調べた結果、こういった結論が出されているのか。この意見書からはまったく判断できない。
 「専門家」の井形昭弘鹿児島大学教授は、八八(昭和六三)年七月二三日発行の専門誌『日本医事新法』で「水俣病の医学」という論文を発表し、「判断条件は医学酌」だと主張する。さらに、八八(昭和六三)年八月一三日発行の同誌においては、荒木淑郎熊本大学教授、岡島透大分医科大学教授といった八五(昭和六〇)年医学専門家会議のメンバーも加えた五人の学者による「水俣病」という座談会を行ない、自分たちの判断の正しさを繰りかえしている。
 座談会で井形教授は、「判断条件に誤りがありますかと聞かれれば、誤りはないと言うべきでしょう」と発言している。しかし、八五(昭和六〇)年医学専門家会議と同様、どのような根拠にもとづいて井形氏がそう断言しているのか、まったく理由は示されていない。自分たちでつくった判断条件を、根拠も示さず自分で「間違いがない」と強調しているだけなのだ。
 環境庁はこの八五(昭和六〇)年医学専門家会議の意見書を受けて、「専門家のお墨付き」をいただいたかのように、強硬に昭和五二年判断条件を固執する態度をとりつづけていく。」(矢吹[2005:176-178])

◇井形昭弘 19880723 「水俣病の医学」,『日本医事新法』 ◇井形昭弘・荒木淑郎(熊本大学教授)・岡島透(大分医科大学教授)他 19880813 「水俣病」(座談会),『日本医事新法』
 「判断条件に誤りがありますかと聞かれれば、誤りはないと言うべきでしょう」(井形)


◇津田 敏秀 20140516 『医学者は公害問題で何をしてきたのか』,岩波書店,344p. ISBN-10:4006003110 ISBN-13:9784006003111 1300+ [amazon][kinokuniya] ※ m34

 「要するに科学的根拠や理屈の話ではないのである。医学者先生たちは、これらのことが判明したあとは沈黙を守り通した。井形昭弘氏は、水俣病問題のおかげで医道審議会会長まで登り詰め、水俣病関西訴訟控訴審での偽証に関して告発され一年で退いたものの、功成り名を遂げ、ニ〇〇九年の六月から七月にかけて、読売新聞の『時代の証言者』に「医の心」と題し、三五回にわたって話っている。しかしそこには井形氏をのし上げてくれ巨額の公的研究費をもたらそてくれた水俣病事件に関する語りは一切ない。
 井形氏が水俣病で用いた医学の話は、基礎的な知識があれば簡単に反論でき、笑い話になるものばかりである。やっていることは残虐でもかわいらしさすら感じる「医学者先生」の滑稽な振る舞いと主張や、学会発表もしない彼らの医学的誤りを分析し指摘してあげる人は誰もいなかったのである。こういう医学者たちによってニ〇世紀後半、日本では被害が拡大し、裁判の山が築かれてきた。彼らは、研究者としての能力に欠ける一方プライドはめっぽう高いので、「私は分かりません」と正直に言うこともできずに都合が悪い二転して沈黙を守る。医師や研究者として自己を発揮できず、このような手段でしか社会でのし上がれない哀れな先生方である。△330
 本書に収録した先生が「津田光生は、あんな本(本書のこと)を書いて私を批判するが、教授の命令であれば助教授は言うことを聞かないといけないというのは、医学者出身の津田教授ならよくご存じのはずだ」と言っておられたとか、あるいは本書には収録していないが国の委員を喜々として務めておられ、論文盗作まがいのことまでされた別の医学者先生からは「津田くんらは、論文書いているから良いが、私がのし上がるには、こうするしかなかった」というやや悲しい告白も伝え聞いている。本来、私たちは「のし上がる」ために論文を書いているのではないし、ある個人が「のし上がるため」に研究者という職業を社会が用意しているのでもない。そもそも衣食住が足りている状態で、収入がさほど増えるわけでもないのに、のし上がることが良いこととも追求する意味のあることとも思えない。しかし、このような手段で国の研究費や補助金を得て、国の後援を得て国際学会の会長にでもなると、彼らにとつては自分の人生に一花咲かせたことになるようなのである。そもそも、国際学会を開くのは、自宅を抵当にして銀行からお金を借りた正直な先生もおられるぐらいお金がかかるらしいのだ。
 この間、放送局、新聞社、日本精神神経学会などを通じて、何度も公開討論会が企画されたが、いつも学者先生たちの拒否にあって一度も開かれなかった。水俣病事件は、熊本県や国によって法律が守られず、その一方、学会やメデイアを通じた公開討論も行われな△331 い中で、裁判を続けるしか水俣病患者には選択肢がなかったのである。恐ろしいほどの科学的・社会的・精神的な後進性を引きずる国に我々は住んでいることを自覚する必要がある。多くの先進国では、科学的根拠に基づいた政策立案という方法論が学問上も実際上も進んでいる。その一方、井戸端会議によって決定した科学的には誤った政策が、無謬性ゆえに公的研究費を用いて医学者先生たちを動員して堂々と維持され、いつまでも変えられずにうやむやにされようとする国に私たちは住んでいるのである。」(津田[2014:330-332])


■訃報

◆2016/08/12 「訃報 井形昭弘さん87歳=名古屋学芸大学長」
 http://mainichi.jp/articles/20160814/k00/00m/060/084000c
 毎日新聞2016年8月13日 23時40分(最終更新 8月13日 23時50分)
 写真:名古屋学芸大の井形昭弘学長=梶原遊撮影

 「井形昭弘さん87歳(いがた・あきひろ=名古屋学芸大学長)12日、急性心不全のため死去。葬儀は近親者のみで営み、後日、大学葬を開く。
 浜松市生まれ。鹿児島大医学部教授時代から水俣病問題に関わり、現行の水俣病認定基準策定(1977年)に携わった。後に国の中央公害対策審議会水俣病問題専門委員長も務めた。鹿児島大学長、国立療養所中部病院長などを経て、2002年4月から現職。」

◆2016/08/15 「前理事長、井形昭弘氏逝去――医学者としてリビングウイル普及に尽くす」
 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/topics/970.html

 「日本尊厳死協会名誉会長で医師の井形昭弘氏が8月12日、急性心不全のため死去した。87歳。2002年から10年間、協会理事長を務め、「自己決定が優先される社会を」を掲げてリビングウイルの普及に尽力した。
 静岡県浜松市出身。東京大学医学部を卒業して神経難病研究の道に進み、スモン病の研究などで知られる。鹿児島大学医学部教授、同大学学長を経てふるさとに戻り、あいち健康の森総合センター長として高齢者医療、長寿の研究にも。現在、名古屋学芸大学学長。
 日本尊厳死協会の運動には1994年から加わり、東海支部長のあと2002年5月から2012年6月まで5代目理事長に。この間、尊厳死法制化運動に取り組んだほか、長年、協会の念願だった法人化を実現させた。「怒りのDNAを持たない人」と新聞に評されたほど温厚な人柄で知られた。最近も協会のLW研究会に上京したり、東海支部の法理研究会に出席したりして意見を交わすなど元気な姿を見せていた。」

◆2016/08/14 長尾和宏「井形昭弘先生の訃報」
 『Dr.和の町医者日記』
 http://blog.drnagao.com/2016/08/post-5353.html

「尊厳死協会の前理事長である井形昭弘先生が急逝された。
12日に亡くなられて13日が通夜で今日の葬儀に参列した。
名古屋学芸大学の学長として、大活躍の最中であった。

満87歳で急性心不全。
突然の訃報だった。→こちら

尊厳死だった。
ピンピンコロリそもものだった。

井形先生は、鹿児島大学の神経内科教授として、HAMという病態を
解明したり、医学研究の分野でもたくさんの功績を残された。

また大学の学長としても、子供たちの指導も直接されていた。
大学の経営にもしっかり参画されていた。

日本尊厳死協会へも理事長を降りられた後もずっと来られていた。
私もいつも優しく声をかけて頂いたり、満面の笑顔で接して頂いた。

どんなに批難されようが、正しいと思うことは悠々と実行される。
威張ることも、驕ることも、怒ることも無い、実に穏やかなお人柄だった。

一番の思い出は、3年前の全日本宗教連盟が主催する尊厳死の講演会。
前年の記録を読むと、あの井形先生を仏教、神道、キリスト教が一致団結して攻撃した。

その翌年の餌食として私が名指しで呼ばれたので井形先生のかたき討ちのつもりで
意気込んで行ったが、案の定、宗教界全体で私をナチスドイツと呼び猛攻撃に会った。

多くのテレビ局も来ていたが、とても酷い内容だったので一社も放映しなかった。
朝日新聞だけが少し時間がたってからまた私の悪口を書いた程度だった。

井形先生に宗教界からの理不尽な攻撃について話したが笑っておられた。
井形先生は自分が正しいと思うことには、立場も関係なく怯まない勇気ある人だった。

医学界で尊敬する人は多くないが、自分が尊敬する医師の筆頭が井形先生であった。
それだけに精神的支柱を失ったようでとてもショックであるが、仕方がないことだ。

桶狭間の戦いでで有名な場所にある式場には遠方からも
井形先生との別れを惜しむたくさんの人が集まった。

医学界に限らず井形先生のお人柄に元気をもらった人は数知れずだろう。
高齢になられても人望がある、医学界の宝のような医師だった。

穏やかなお顔を眺めながら、これまでかけて頂いた言葉を思い出していた。
井形先生、ありがとうございました!

今朝は、とても若い人の在宅看取りがあった。
余命1ケ月宣告が、在宅医療に移行して半年延びた。

いい時に抗がん剤をやめたからこそ半年も生き延びることができた。
昨日も家族や看護師に冗談を言っていたくらい穏やかな最期だった。

今日は私の年の半分くらいの人の旅立ちと
自分の親と同じ歳の人の旅立ちがあった日。

蒸し暑い、お盆である。」

◇(財)日本宗教連盟シンポジウム実行委員会編 2010/03/00 『「尊厳死法制化」の問題点を考える』,日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポジウム報告書
◇立岩真也 2010/03/00 「良い死?/唯の生!」
,日本宗教連盟シンポジウム実行委員会編[2010:21-43]

◆井形昭弘先生の死を悼んて?
 http://www.ncgg.go.jp/hospital/news/20160824.html

 「井形昭弘先生のご訃報に接し、大変に驚き、心より悲しんでおります。ご高齢ではありましたが、実にお元気で名古屋学芸大学学長を務められ、秋には米寿をお祝いする会の企画も進んでいたところでした。本当に残念でなりません。
 井形先生は、鹿児島大学の神経内科教授としてHAMの病態解明などの目覚ましいご業績をあげられ、鹿児島大学長までお務めになられた後、平成5年2月に国立療養所中部病院院長に着任されました。当時、祖父江逸郎院長時代から病院が担う政策医療として長寿医療を選び、あいち健康の森と連動して整備計画が進む中で、国立長寿医療センター設立の準備が進められていましたが、井形先生は院長に着任されると同時に、国立長寿医療センター創設準備室参与となられ、長寿医療センター創立に向けて全力を尽くされました。
 研究所に関しては、その陣容を整えられ、平成7年7月長寿医療研究センターオープンを成功に導かれ、長寿研の名前が全国に知れ渡るようになりました。一方、病院に関しては、改組、改装を進められ、平成8年に建築開始の我が国で初めての高齢者包括医療病棟は、現在のもの忘れセンターに発展しています。先生は、平成9年3月に退職されるまでの間、獅子奮迅の働きとモットーとされた人の和の両方で、国立長寿センターへの道を切り開いて下さいました。
 病院の一医長に過ぎなかった私にまで、先生から直接、間接の暖かいご指導をいただいてどれほど励まされたか分かりません。井形先生が気にしておられた病院の新築もようやく今年から始まり、来年度にはお見せできるものと思っておりましたが、それも叶わぬ事となりました。
  このように、国立研究開発法人国立長寿医療研究センターの一同は、井形先生からお受けした大恩を絶対に忘れることはありません。感謝の念を捧げるとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 平成28年8月17日
 国立研究開発法人国立長寿医療研究センター病院長 原田敦」


■言及

◆福永 秀敏 19990810 『難病と生きる』,春苑堂出版,227p. ISBN-10:4915093638 ISBN-13:978-4915093630 [amazon][kinokuniya] ※ n02. md.
 「この病気〔スモン〕が最初に学会に報告されたのは昭和三十三年であるが、社会的に大きな閏心が持たれるようになったのは昭和三十九年である。世は東京オリンピックを前に興奮のさなか、ボート会場に予定されていた戸田市付近でスモンが集団発生した。このほかにも岡山県をはじめ全国各地で集団発生したのである。そのため一部の学者から、原因としてウイルスなどの伝染説が発表されたため、患者や家族は社会から白い目でみられたり、悲観して自殺する人も出たりして、大きな社会問題となった。
 昭和四十四年には「全国スモンの会」も結成され、このような患者を救済し、原因の究明を早急に図るべきだとの世論の後押しもあって、同年、▽023 全国の研究者を集めた「スモン調査研究協議会」が組織され研究も本格的に開始された。昭和四十五年、新潟大学の椿忠雄教授や東京大学の井形先生(当時)など多くの研究者の共同研究により患者の胃腸症状に使用されていた整腸剤のキノホルムによる薬物中毒であることが判明した。厚生省の指導により販売を即刻中止した結果、以降患者は激減してスモンの原因解明は終結した。
 原因解明は終結した。この教訓をもとに、国は後遺症に悩む患者の救済と、スモン以外の他の難病に対する研究組織を▽024 推進していくことになった。
 井形先生は昭和四十六年に鹿児島大学に新設された第三内科(神経内科)の教授に招聘され、その後の活躍は鹿児島県民のよく知るところである。私も昭和四十八年に第三内科に入局し、難病とともに歩むことになった。」(福永[1999:22-24])
 →◇薬害スモン

◆立岩 真也 2016/10/01 「七・二六殺傷事件後に 2」,『現代思想』44-(2016-10):196-213

◆立岩 真也・杉田 俊介 2016/12 『相模原障碍者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社 ISBN-10: 4791769651 ISBN-13: 978-4791769650 [amazon][kinokuniya] ※

 「二〇〇四年・もう一つの相模原事件★20
 殺害はずっと繰り返され、多くは家庭の中で起こってきた。今度の事件と別に、少数の人が「相模原事件」として記憶しているのは相模原市で起こった殺害事件だった(こちらのサイト内を「相模原事件」◇で検索)。二〇〇四年八月、ALSの長男(当時四〇歳)を母親が殺したというものだった。長男の将来を悲観し、人工呼吸器を停止させて殺害したとして、殺人罪に問われた。判決は二〇〇五年二月横浜地裁。「長男の日ごろの懇願を受け入れて呼吸器を停止させた」として、被告側の主張通り嘱託殺人罪を適用。求刑は懲役五年だったが、懲役三年、執行猶予五年。その後、母親は精神を病み、二〇〇九年一〇月、死にたいというその人を夫が刺殺する。夫は自殺を図るが、死ねず自首するという事件がそれに続く。
 井形昭弘◇が本年八月一二日に亡くなった。新聞等の訃報では紹介されなかったが日本尊厳死協会の理事長も務めた。その人は、殺した人も殺された後、二〇一二年の自由民主党の勉強会で報告している。立岩・有馬[2012]に全文を収録している。その終わりの方。

 「人工呼吸器装着を選択した息子が、その後人工呼吸器装着を悔やみ、母親に取り外しを懇願し、母親が人工呼吸器のスイッチを切るという事件が発生しました。息子は死亡し母親は殺人罪に問△078 われましたが、裁判所は息子の懇願事実を認定し、嘱託殺人罪で執行猶予付きの懲役判決を下しました。法廷にはALS患者が大勢傍聴しておられました。残念なことに、この法廷では尊厳死について弁護人から主張された形跡はありません。」(井形[2012/04/25])

 それに対して抗議があった。それは井形に対してということでもあったが、次に引用する部分の後にも書かれているように、その事件の後、この悲劇を語り、そしてそれはこの国が「取り外し」を認めていないからだと、例えば日本の難病の分野の医療者を代表・代理するような姿で語ることが、多くなされたことによる。

 「我々は、この公判のすべてを傍聴し、事件の関係者への聞き取りもしました。/当時、ALSの息子は全身性の麻痺のため意思伝達機能が低下し、母親が意思を読み取るのはままならない状態でした。神経内科医である主治医は、かかりつけ医に指示し、訪問看護師(透明文字盤を使って息子の意思の読み取りができた)を派遣し、患者から「呼吸器を外して死にたい」という意思確認をもって、患者の「死ぬ権利」として訴訟に持ち込もうとしました。しかし、患者は看護師の読みとる文字盤に「呼吸器は苦しくてもそのままでよい。」と伝えました(裁判記録に明示)。すなわち、患者は最終段階で意思を覆し、呼吸器の取り外しはしないと意思表示しました。しかしながら、判決では嘱託殺人となったため、患者が直前に意思を覆した事実は伏せられ、日△079 本神経学会やALSの国際学会等で、日本の法の不備により治療停止ができないために起きた事件として報告されてきました。このことは、患者が意思を変えても家族や医師は聞き入れないこと、意思の表現が難しい者の意思は他者により曲解され、都合よく扱われる事例を提示しています。」(さくら会[2012/05/25])

 事実はその通りなので、ここではこれ以上立ち入らない。議論されるべき点はいくつもある。一つ、その人たちは自らが肯定し主張するのは安楽死ではなく尊厳死であると言い続けてきたのだが、外すという行いは積極的な行為であると言えないか。むろんさらにそれに反論はできる。けれどもすくなくとも考えていくと境界がはっきりしなくなることは明らかである。そして一つ、尊厳死(安楽死も)を言う人は本人が望んでいることを言ってきた。そのことにおいてナチによる殺害は安楽死でも尊厳死でもないということになる。それはそうだ。その上で、この事件では、その本人の意図が言われていたのと異なるという抗議がさきになされた。翻意や本人の中での相反する思い、そんなことも多々あって、そのことも大切だ。そして問題は、本人にきちんとした意識があるか、それを周囲が正確に理解しているかということだけでもない。こうして考えていく必要が――ただ「殺すな」というだけではどうもすまないようだとなれば――あるのだが、各論点については既に[2008]等々で考えてきたし、ここで言うのはこのことではない。
 私は井形と二度同じ場にいたことがある。二〇〇四年の集まりでは司会として井形の発言を受△080 けた(→[2009/03/25:230-233])。二〇〇九年は日本宗教連盟主催のシンポジウム。他には加藤眞三、光石忠敬◇、コーディネーターが島薗進◇。それは報告書に記録されており、私の発言部分はHPに掲載している。例えば以下。

 「第二に、安楽死と尊厳死は区別できるというお話を伺いました。しかしこれはそう簡単ではありません。[…]/次に、第三に、なぜ死を迎えたくなるのかということについて幾つかの話が出されました。これは漠然と話していても埒の明かない話です。一つ一つ考え、一つ一つ検討していかなければいけないと思います。話を伺っていて、少なくとも五つぐらいはあるように思いました。[…]」([2009/12/18→2010])

 例えばこのように私(たち)は懇切丁寧に話をした。例えば井形(たち)は医療費の膨張を防ぐために尊厳死を進めよう(勧めよう)などというつもりは毛頭ありませんと言う。そのつもりがないことはわかった、しかし死を選んでいる人が負担のことを気にしているのは事実であると事実を述べた。そうした指摘がどう受け止められたか。右記した本や報告書に記録がある。どのようにも受け止められていない([2012/08/24])。それが、例えば協会の副理事長を務めた人の井形を追悼する文章によって次のように振り返られる。△081

 「一番の思い出は、三年前の全日本宗教連盟が主催する尊厳死の講演会。前年〔二〇〇九年〕の記録を読むと、あの井形先生を仏教、神道、キリスト教が一致団結して攻撃した。
 その翌年の餌食として私が名指しで呼ばれたので井形先生のかたき討ちのつもりで意気込んで行ったが、案の定、宗教界全体で私をナチスドイツと呼び猛攻撃に会った。
 多くのテレビ局も来ていたが、とても酷い内容だったので一社も放映しなかった。朝日新聞だけが少し時間がたってからまた私の悪口を書いた程度だった。」(長尾[2016]◇)

 こうして書いたり言ったりしているものを見ると、その人は、中立的な言葉で言えば、過度に単純である。戦術的にではなく、どうやら根っからそのようだ。そしてその記述は誤っている。その言論の水準について、にもかかわらちず悪口を書かれたという会社の媒体に文章を書けていることついて、ここでこれ以上言うことはしない。いやこのことにも関わり、例えば井形という人がどのようなことをどのように言ってきたのか、その仲間の人たちも知ったり考えたりすることがない。まったく知らないか、知っていても無視してよいことであると考えているのか。
 井形は、「生の現代のために・15」([2014-(15),2016-8,126])でもその心温まる著作を紹介した福永秀敏◇が慕う人でもある。たしかに少なからぬ時、少なからぬ人々に対してよい人であったことを疑う必要はない。ただまず単純に業績を知っておいてよい。井形は、やはり連載でふれたスモンの原因究明に関わった人である。そして九州の国立療養所の病院【×】、鹿児島大学(その学長も務△082 めた)でALSや筋ジストロフィー等「難病」の人に関わった(福永はその南九州病院の後継の病院長、だからスモン、難病に関わる部分についての福永による紹介はある)。そして水俣病の認定にも関わった★21。例えばそれに対して批判がある。その批判が当たっていないと主張するのはかまわない。したらよい。問題は、それ以前に、このことが知られていないか、無視されていることだ。無関係だからか。そんなことはないと私は考える。すくなくとも関係の有無が議論になってよい。それがそのままだ。いくらかのことをなし遂げ、そのまま亡くなって、終わりになる。そうしたことがよくないと思うからこの文章も書いている。以前も同じことを述べた([2009/03/25:232-233])からこの人に即して述べるのは二度目になる。追悼文に面倒なことが載ることはない。それはよい。しかし別の場では言論や行動を検討し評定する必要がある。それがなされない。このようにして様々が通り過ぎられ、同じことが新しいことのように繰り返される。
 ここまでは言論(人)の水準、程度の話だということもできる。だがそれだけではない。二〇〇〇年を超えて、事態は変わったのか。野蛮さはすこし少なくなっているように思われる。だが、すくなくともこの事件は悲惨だ。そしてその悲惨は、殺してあげることを認めなかったことに発するとされてしまっている。判決も、ただの殺人ではなく嘱託殺人になり、やはり執行猶予がついた。それ以前にこれは、息ができなくさせて死なせたというできごとだ。
 そうした行ないを支持する言論は怪物を殺せといったものではなくなる。しかし今懸念されているのは明らかに認知症である。ここにも異なることに対する羞恥、嫌悪がある。もちろんそれに対△083 して「呆け」の状態を肯定する優しい言説はある。これも、重症心身障害児が否定された後に肯定されるのと似ている。それはかなりもっともであり、かなり効くが、そんなに効かないこともある。
 経済の関わり方は変わらない。違うのはかつて語られたのは人口爆発による危機だったが、今は少子化が語られることだ。しかしその解決法は同じところに求められる。社会は五五年の間に豊かになったはずだが、漠然とした危機感は広まっている。六〇年代、生産は人々を束縛し、生産しない人できない人に対する脅威となったが、そうした強迫も含め成長に向かう力は強く、いささかの計算違いも加わって福祉の拡大は実現した。それよりさらに豊かになり楽になったにもかかわらず、現在危機感は大きくなっている。少なくとも広がっている。今は小学生でも少子高齢化という語を知り、それを憂いている。たぶん一九六〇年代の小学生はそうでなかったはずだ。」

 「★21 批判しているのは原田正純◇、津田敏秀◇、最首悟◇、等。スモン、神経難病と水俣病に関わったという点では共通している椿忠雄への批判は宇井純◇、最首◇。『ALS』で少しふれ([2004/11/15:321])、さらに『流儀』収録の山田真との対談に付した長い註の一つでもこれらの人たち、これらの人たちが椿・井形らについて述べたことをすこし紹介している(山田・立岩[2008:185-193])。」

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/** 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院

□立岩真也 2012/08/24 「私には「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」はわからない」,『SYNODOS JOURNAL』→立岩・有馬[2012]

 「4このように逐条的にみていくと、まだいろいろとあるが、それはここではよすことにする。二〇〇四年からしばらく同様の法案が上程されようとした時(この時のことについては前掲の拙著『唯の生』の第2章・第4章)以来、私は文章を書き(文章はそれ以前から書いてきた)、そして多くの場に呼び出されて、自らも話し、また直接にこうした法案の作成・法の制定をしようとしている方々に質問をしてきたが、ともかく、一度も、理解することのできる回答をいただいたことがない。最低、この小学生にもわかる問いに、小学生でもわかる答をもらいたい。でないと議論にもならない。
 私だけでない。多くの人が様々な懸念を呈してきた。例えば「経済」がここに絡んでしまっていること。尊厳死協会の前理事長である井形明弘氏は、日本宗教連盟主催のシンポジウム(二〇一〇年)で、医療や福祉のお金を削るために(膨張を抑制するために)法を作ろうなどと毛頭思っていないとおっしゃった。そのようにたしかに信じておられるとして、しかし、お金(と人手)の事情があって少なからぬ人々が死を選んでいることは、「つもり」がどうであろうと、「事実」である→拙著『ALS』(立岩[2004])。そして今度新たに理事長になられた方は、ことが「医療経済」の問題で(も)あることを、すっきりと認めているとも聞く。「話は生きられる社会にしてからだ」という多くの人々の主張はもっともである。」

□第U章  引用集――法案・意見

 前文より
「* 例えば、法案に規定されている「末期」と、尊厳死協会――協会は議員連盟に謝意を示す文書を送っている(HPに掲載している)――の理事長(その後退任)の井形氏がその文書に示されている事例(末期の状態にあったとは言えないはずだ)――が整合していない等、様々言えることはあるが、第T章で法案についての文章を再録したこともあり、ここではこれ以上述べない。それ以前の歴史については「序」に記したように、『唯の生』を参照のこと。」

□法律案に反対する団体の意見に対する(社)日本尊厳死協会の見解
 (社)日本尊厳死協会理事長 井形 昭弘 2012/04/24 於:自民党勉強会

□平成二四年四月二四日の日本尊厳死協会理事長、井形昭弘氏の見解は事実誤認 2012/05/25
 NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会 橋本 操

□尊厳死法制化反対の意見書 2012/07/12
 TIL(東京都自立生活センター協議会)ベンチレーターネットワーク 呼ネット 代表 小田 政利
尊厳死法制化を考える議員連盟にご参加の議員の皆様

 「日本尊厳死協会の前理事長である井形昭弘氏(医師)は、「医師の仕事は命を助けることだから、救急医療は行なう。」と言っていますが、もし救急で運ばれた患者の意識がなく、リビングウィルにより延命治療を望んでいないことが分かった場合、本当に救急医療を行なうでしょうか?事故により、生死をさ迷うような大きな怪我をした人も、人工呼吸器などの医療的処置を受けることで、障害は残っても地域生活を取り戻しているケースはたくさんあります。」

◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360 [amazon][kinokuniya] ※ et. English

▽225 第4章 現在まで
1 二〇〇五年春・夏[2005.11]
 2 四月の集会

 もともとかなりややこしい話であり、講演した二人は急ぎながらもそこをていねいに話したから、聞いた人は勉強になり、ためになりつつ、これは複雑で込み入った主題だと思っただろう。むしろ、その後に、問題の構造がはっきりと現われたように思う。会場には尊厳死協会の会長を務めておられる井形昭弘さんがいて、発言した。『医学界新聞』の記事によればその発言は以下のようだった。

 「会場には井形昭弘氏(日本尊厳死協会理事長)も来場しており、その時点までの議論について反論した。井形氏はまず、薬物を投与するなど積極的関与によって死に至らしめる安楽死と異なり、尊厳死は、あくまで無理な延命処置を行わず自然死を尊重するものであると述べた、また、それは一人ひとり、本人の価値観に基づく決定として行われるべきものであるとして、法案の中でインフォームド・コンセントが重視されていることを紹介した。[…]また[…]社会保障費の削減といった医療経済の問題を背景としたものではないと述べた。」

 「っ、て何?」という基本的には懐疑的なムードの場で、はきはきと肯定論を述べてくださった井形さんには感謝しつつ、疑問はすぐに浮かぶ。例えば「経済」の問題とは関係ない、と井形さんは言い、あのはっきりした語り口を聞くと、本心そのように思われているように思える。しかし、これは次の六月の集会でも参加者が言及したことだが、前の年に尊厳死協会は国際会議を開催し、ここには経団連の人も招かれて話をしている。私は、商売を商売としてきちんとしている人たちを尊敬するが、その人たちが、様々な場で商売以外のことについて発言するのは妙なことだと思うことがある。あの場への登壇が妙ではないというのなら、やはり経済・経営と安楽死・尊厳死との関わりがある、またあるべきだと考えているということではないか。また、経済とか国家財政と大きく捉えないと▽231 しても、個々の人が、家族の負担や費用を慮って、それで自分で決めたと言う時、それは経済の問題とは別のことなのか、また、それを本人自身の価値観による決定と言えるのか。私も最後の五分ほど、司会によるまとめといった時間に、そんなことも述べたのだが、それより、井形さんのすぐ後に発言した清水昭美さん◆3の発言が、井形さんとの発言との対比で、争点をはっきりと示したと思う。
 そのお二人の発言をさらに簡単にすると、争点は少なくとも三つはあった。一つ、一方は(過去の)安楽死の主張と(現在の)尊厳死の主張とは別のものだと言い、他方は、連続したものとしてあるではないかと指摘する。二つ、一方は自分で決めることだと言い、他方は、それに対して、決めさせられると言った方がよい場合が多々あることを指摘する。三つ、一方は経済、負担の問題は関係ないというが、他方はそうではないと述べる。
 第二部で司会のようなことをしていた私は、清水さんの発言にさらに反論はあるかと井形さんにうかがってみたが、水かけ論になるからもうよいですという答だった。
 話を聞きながら私は、その井形という、なかなか人のよさそうな、そして明解で単純な話をする、神経内科が専門であるという人の名を知っているはずだと思った。そういえばと思って確認したら、やはり拙著『ALS』([2004f])で文章を引いている。知本茂治さんが書いた『九階東病棟にて――ねたきりおじさんのパソコン日記』(知本[1993])という本がある。井形さんは知本さんが入院していた病院の院長としてその本のはじめの部分に「知本さんの戦友として」という文章を寄せている。記されている肩書は国立療養所中部病院長・前鹿児島大学学長。引用をさらに短く引用すると以下。

「現在なお患者さんの期待を背に鋭意究明の努力が続けられ、今一歩で解決という段階に来ている。」(井形[1993])

 ▽232 治療法の開発について楽観的であること自体が問題だと思わない。将来への希望がよい作用をもらたすことがあることも認めるから、非難しようとはまったく思わない。ただ、私の本では、このようなことがずっと言われてきたことを指摘する中で、その一つの例として引いただけである。
 こうして井形さんは、私がまったく知らない人ではなかったのだが、この人がどのような人であるのかはわかっていなかった。尊厳死協会の理事長がその人であることもその時まで知らなかった。その後、五月に熊本で日本保健医療社会学会の大会があった◆4。一日目にはシンポジウム「水俣病問題からの問い」があった。そこではじめて原田正純さん〔『良い死』第2章でその活動・著作にいくらか言及している〕の実物を見た。そして質疑の時だったと思うが、井形さんの名前が出て、「おお」、と思い、終わってから会場にいた熊本学園大学の花田昌宣さんに、何を読んだらよいのかとうかがったら、津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(津田[2004])に書いてあるという。この本はもっていて、いくらか読んでいたはずなのだが、この固有名詞が頭に入っていなかったのだ。あらためて読んでみると、たしかにこの人が厳しく批判されている◆5。
 誰が理事長をしているといったことにそう大きな意味があるとは思わない。ただ、いくらか象徴的ではある。まず、この運動がまったく主流派のものになったということだ。前回〔第2章2節〕紹介したのは、この組織を始めた太田典礼という「反骨の医師」だったが、いまの理事長は、国のさまざまな審議会の長であるとか、大学の学長であるとか、学会の会長であるとかを歴任されてきた方で、そのような意味において、申し分のない方である。熊本学園大学教員〔現在は立命館大学教員〕の天田城介さんからファイルを送っていただいて、自分でもわずかを足して、「井形昭弘」というファイルを〔HPに〕作ったからそれをご覧いただいたらよい。
 それとともに、医学の出であるのは二人とも同じで、井形さんは水俣病に関わった人物であり、ある人たちは彼▽233 を厳しく批判している。ここではその批判がどこまで当たっているのかについては判断しないとしよう。ただ私は、いつものように、尊厳死を推進する動きに存在する無神経さというのか、あるいは大らかさというのか、懐の深さというのか、そのようなものをここでも感じる。その人たちは、一部から批判が出ているらしいが、そんなことはあまり気にしなくてもよいと思っているようなのだ。もちろんたんに知らないということもあろう。しかしそれは知ろうと思えば簡単に知ることのできることでもある。知る必要のないことだと思っているらしいということだ。

(5)津田[2004 : 73-136]に詳細な記述・批判がある。その批判は妥当なものだと思える。他に、ごくごく短い言及だが、最首[2007 : 18]。

最首 悟 2007 「水俣病と現代社会を考える――水俣の五〇年」,最首・丹波編[2007]〈U:277〉
最首 悟・丹波 博紀 編 2007 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』,作品社
齋藤 純一 2005 『自由』,岩波書店〈T:179〉
津田 敏秀 2004 『医学者は公害事件で何をしてきたのか』,岩波書店〈T:219,U:232,277〉

2 二〇〇六年三月[2006.3]
 1 集会と事件

 ▽238 そして、私がみた「識者」のコメントは、本人の同意を得ていない以上、これは安楽死でも尊厳死でもないといったものだった(水野肇氏◆9、『毎日新聞』)。病院長他の記者会見でも、記者は安楽死か尊厳死かといったことを問い、院長も――そんなことを聞かれても困るだろうと思うのだが――それに答えるしかないから、答えている。日本尊厳死協会理事長の井形昭弘氏も同じような、これは尊厳死ではないといったコメントを出している。私はEメイルでもらった情報で知った。すこし探したら、毎日新聞社のサイトにそうした発言が載っていた。(「尊厳死疑惑:「同意」「死期」が焦点に」三月二六日、七時四九分◆10。二六日、二七日の大阪本社版の紙面には見当たらなかった。また、『読売新聞』二六日朝刊にも、井形氏のコメントが、私のとともに、出ていると知らせていただいた。)もちろん、それは――言葉の定義の問題だが、普通になされる定義に従えば――そのとおりである。本人の意志によってなされることが前提にされる。それなくして行なわれることは殺人であるとなる。(ただ実際には、本人の意志による死でない場合にも「安楽死」といった語は使われることはある。二五日の午後記者からもらった『読売新聞』の見出しにも「安楽死」の語があった。いまみた『北海道新聞』の見出しも「高齢患者七人「安楽死」か」で「 」を付けながら安楽死の語は使われている。たしかに足を折った馬を注射で殺すことがあり、そんなときには「安楽死」と言われるから、そのような意味でこの言葉を使うなら、それはそれで間違っていないとも言える。まただからこそ、いまどきの日本では、自らの意志による死を肯定する人たちも安楽死という言葉を避けようとしているのでもある。なお『毎日新聞』の幾つかの記事の見出しでは、医師が「尊厳死」と主張していることを受けてということか、「尊厳死疑惑」が使われている。)

 ただ、このそのとおりの指摘は、このたびのように曖昧なかたちでことがなされるのはよくないから、きちんと本人の意志を確認してから行なうベきであるという話につながり、そして、だから尊厳死法が必要であるという話につながることもある。とりわけ、法律化を推進しようと思う人たちはそう思うし、言うだろう。と、記事にあたってみると、日本尊厳死協会の井形氏はまったくその通りのことを述べておられる。先にも紹介した毎日新聞社の▽239 サイトに載った記事では「医療現場が混乱しないように一刻も早く法制化によって明確な基準を作ってほしい」と話したことになっている。『朝日新聞』の二六日朝刊の第三面では、日本尊厳死協会の人が同様のことを語っているのだそうだ。そういう話にならなければならないわけではないことを、記事を読む人も書く人もわかってくれていればよいのだが、そのことがやはり気になる。

(10)「また、日本尊厳死協会(井形昭弘理事長)は〇五年六月、国民が尊厳死を選ぶ権利や延命治療を中止した医師の刑事責任を問わないことなどを法制化するよう求める請願書を一四万人分の署名とともに議員連盟に提出した。一方、法制化に反対する学者や難病患者は「安易に死を選ぶ風潮をつくりかねない」と批判している。
  井形理事長は「今回のケースは薬物を注入するなど積極的な行為をする『安楽死』とは異なり、尊厳死に当たるかどうかが問題だろう。しかし、家族からの伝聞だけでは、本人の意思を確認したとはいえず、尊厳死にも当たらない。医療現場が混乱しないように一刻も早く法制化によって明確な基準を作ってほしい」と話す。」

井形 昭弘 1993 「知本さんの戦友として」,知本[1993:3-7]〈T:169,U:231〉
井形 昭弘・山本 \子 2007 「筋委縮性側索硬化症(ALS)」,日本尊厳死協会東海支部編[2007]〈T:219〉

◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,

 「次の本『唯の生』に記したのだが、二〇〇五年、原田正純が「安楽死法制化を阻止する会」の発足集会で講演をして、ついでに代表にさせられてしまった。他方、日本尊厳死協会の理事長の井形昭弘は、水俣病への対応については強く批判されることのある方でもあるが、鹿児島大学にいた時(この大学の学長を経て、その次は国立療養所中部病院院長)にさきにその文章を引用した知本茂治に関わり、知本の著書に一文(井形[1993])を寄せている医師でもあり、そして近頃は、ALSの人たちの人工呼吸器の取り外しについて肯定的な発言をなさっている◆17。協会が作成した法案では、意識があり末期でなく強い身体的苦痛に苛まれているのでもない人たちは入っていなかったが、ALSの人たちについても認めるとなると、これまで尊厳死の主題=対象として想定されてきたほぼすべての人について尊厳死が是認されるべきだと主張しているということになる。また、その手段にしても、呼吸器を外すことは「積極的な行ない」でないという主張は普通に考えれば通らないから、ただ治療を行なわないというだけでない、より積極的な手段が用いられてよいと言っているということにもなる。
 あまり対照的に象徴的に人物を配するのはわざとらしくはある。それでも、これはこれとして事実である。この差異はまったく偶然のものだろうか。そうであってもまったくかまわないのだが、それはなにかしらのものを示しているのかもしれない。突然代表を頼まれ、代表とかそういうものはとにかく勘弁、と言ってはみたものの、結局押し切られてしまったというだけのことではあっても、水俣病の人たちにずっと関わってきた人が、自然(な死)を大切にしようという動きに――何をしたらよいのかなにも定まってはいないのだが――異を唱えようという集まりの代表になってしまったのではある。
 そして、その主張の辻褄があっているのだろうかと思う。このことはすこし気になってきた。そしてそのことが実際に言われた。」

「(17)幾つかの大学の学長、病院の院長、日本老年学会会長、日本抗加齢医学会顧問、中央公害対策審議会水俣病問題専門委員会委員長、中央環境審議会環境保健部会長、医療保険福祉審議会老人保健福祉部会長、等々を歴任。水俣病の対応についての批判は、津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(津田[2004 : 73-136])、原田[1989 : 81-83]等にある。
  『唯の生』でもさらにいくらか紹介するが、例えばALSについては以下。
  「本人が苦痛と感じて拒否している人工呼吸器を無限に続けることは、尊厳死ないし自然死の理念に反し、患者の人権にも触れる問題と考えます。自発呼吸がなく、人工呼吸器でしか生存できない状態は臨死期といってよく、患者から再三の要求がある場合は、その中止ないし取り外しが許されるでしょう。この際、患者に長期の苦痛を強制する現実にも思いをいたすと、家族も主治医も人工呼吸器の取り外しという厳しい選択をする精神的苦痛を乗り越えねばなりません」(井形・山本[2007 : 131])」

井形 昭弘 1993「知本さんの戦友として」,知本[1993:3-7]〈169〉 井形 昭弘・山本 \子 2007 「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」,日本尊厳死協会東海支部編[2007]〈219〉
http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/010.htmlより

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/** 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院

◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表

◆立岩 真也 2005/08/** 「良い死・3」
 『Webちくま』[了:20050724]

◆立岩 真也 2009/03/10 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] d01.et.,

 2 四月の集会
 〔二〇〇五年〕四月と六月に東京で集会があった。四月一六日の集会は「尊厳死っ、てなに?」というものだった。〔そのときに作成した冊子が立岩編[2005]。希望される方にはお送りできる。〕そもそもは一月に新聞報道で心配になった人が、何かしなければということになって、それで企画したものだ。心配になった人たちは、まずALS(筋萎縮性側索硬化症)の人、その関係者たちだった。私も集会の呼びかけ人の一人ということにはなったが、私がしたのは、集会の名称の「っ」と「て」の間に点(、)を入れるという案を言って、受け入れてもらったことだけである。
 その人たちが熱心に広告したということもあるだろう。二五七人、とてもたくさんの人が参加した。第一部で講演してもらったのは、中島孝さん◆01と伊藤道哉さん◆02――以下直接会った人を呼び捨てるのはためらわれるので、さんづけになる。休憩をはさみ、第二部でまず清水哲郎さんにコメントしてもらった。その後会場から質問や意見を出してもらった。この集会はNHKのニュース等で報道されたが、『医学界新聞』二六三五号(五月三〇日、医学書院)にかなり長い記事が掲載され、ホームページにも掲載された。よくまとめられた丁寧な記事だから、読んでい▽230 ただけたらと思う。
 もともとかなりややこしい話であり、講演した二人は急ぎながらもそこをていねいに話したから、聞いた人は勉強になり、ためになりつつ、これは複雑で込み入った主題だと思っただろう。むしろ、その後に、問題の構造がはっきりと現われたように思う。会場には尊厳死協会の会長を務めておられる井形昭弘さんがいて、発言した。『医学界新聞』の記事によればその発言は以下のようだった。

 「会場には井形昭弘氏(日本尊厳死協会理事長)も来場しており、その時点までの議論について反論した。井形氏はまず、薬物を投与するなど積極的関与によって死に至らしめる安楽死と異なり、尊厳死は、あくまで無理な延命処置を行わず自然死を尊重するものであると述べた、また、それは一人ひとり、本人の価値観に基づく決定として行われるべきものであるとして、法案の中でインフォームド・コンセントが重視されていることを紹介した。[…]また[…]社会保障費の削減といった医療経済の問題を背景としたものではないと述べた。」

 「っ、て何?」という基本的には懐疑的なムードの場で、はきはきと肯定論を述べてくださった井形さんには感謝しつつ、疑問はすぐに浮かぶ。例えば「経済」の問題とは関係ない、と井形さんは言い、あのはっきりした語り口を聞くと、本心そのように思われているように思える。しかし、これは次の六月の集会でも参加者が言及したことだが、前の年に尊厳死協会は国際会議を開催し、ここには経団連の人も招かれて話をしている。私は、商売を商売としてきちんとしている人たちを尊敬するが、その人たちが、様々な場で商売以外のことについて発言するのは妙なことだと思うことがある。あの場への登壇が妙ではないというのなら、やはり経済・経営と安楽死・尊厳死との関わりがある、またあるべきだと考えているということではないか。また、経済とか国家財政と大きく捉えないと▽231 しても、個々の人が、家族の負担や費用を慮って、それで自分で決めたと言う時、それは経済の問題とは別のことなのか、また、それを本人自身の価値観による決定と言えるのか。私も最後の五分ほど、司会によるまとめといった時間に、そんなことも述べたのだが、それより、井形さんのすぐ後に発言した清水昭美さん◆03の発言が、井形さんとの発言との対比で、争点をはっきりと示したと思う。
 そのお二人の発言をさらに簡単にすると、争点は少なくとも三つはあった。一つ、一方は(過去の)安楽死の主張と(現在の)尊厳死の主張とは別のものだと言い、他方は、連続したものとしてあるではないかと指摘する。二つ、一方は自分で決めることだと言い、他方は、それに対して、決めさせられると言った方がよい場合が多々あることを指摘する。三つ、一方は経済、負担の問題は関係ないというが、他方はそうではないと述べる。
 第二部で司会のようなことをしていた私は、清水さんの発言にさらに反論はあるかと井形さんにうかがってみたが、水かけ論になるからもうよいですという答だった。
 話を聞きながら私は、その井形という、なかなか人のよさそうな、そして明解で単純な話をする、神経内科が専門であるという人の名を知っているはずだと思った。そういえばと思って確認したら、やはり拙著『ALS』([2004f])で文章を引いている。知本茂治さんが書いた『九階東病棟にて――ねたきりおじさんのパソコン日記』(知本[1993])という本がある。井形さんは知本さんが入院していた病院の院長としてその本のはじめの部分に「知本さんの戦友として」という文章を寄せている。記されている肩書は国立療養所中部病院長・前鹿児島大学学長。引用をさらに短く引用すると以下。

 「現在なお患者さんの期待を背に鋭意究明の努力が続けられ、今一歩で解決という段階に来ている。」(井形[1993])

 ▽232 治療法の開発について楽観的であること自体が問題だと思わない。将来への希望がよい作用をもらたすことがあることも認めるから、非難しようとはまったく思わない。ただ、私の本では、このようなことがずっと言われてきたことを指摘する中で、その一つの例として引いただけである。
 こうして井形さんは、私がまったく知らない人ではなかったのだが、この人がどのような人であるのかはわかっていなかった。尊厳死協会の理事長がその人であることもその時まで知らなかった。その後、五月に熊本で日本保健医療社会学会の大会があった◆04。一日目にはシンポジウム「水俣病問題からの問い」があった。そこではじめて原田正純さん〔『良い死』第2章でその活動・著作にいくらか言及している〕の実物を見た。そして質疑の時だったと思うが、井形さんの名前が出て、「おお」、と思い、終わってから会場にいた熊本学園大学の花田昌宣さんに、何を読んだらよいのかとうかがったら、津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(津田[2004])に書いてあるという。この本はもっていて、いくらか読んでいたはずなのだが、この固有名詞が頭に入っていなかったのだ。あらためて読んでみると、たしかにこの人が厳しく批判されている◆05
 誰が理事長をしているといったことにそう大きな意味があるとは思わない。ただ、いくらか象徴的ではある。まず、この運動がまったく主流派のものになったということだ。前回〔第2章2節〕紹介したのは、この組織を始めた太田典礼という「反骨の医師」だったが、いまの理事長は、国のさまざまな審議会の長であるとか、大学の学長であるとか、学会の会長であるとかを歴任されてきた方で、そのような意味において、申し分のない方である。熊本学園大学教員〔現在は立命館大学教員〕〈→中央大学教員〉の天田城介さんからファイルを送っていただいて、自分でもわずかを足して、「井形昭弘」というファイルを〔HPに〕作ったからそれをご覧いただいたらよい。
 それとともに、医学の出であるのは二人とも同じで、井形さんは水俣病に関わった人物であり、ある人たちは彼▽233 を厳しく批判している。ここではその批判がどこまで当たっているのかについては判断しないとしよう。ただ私は、いつものように、尊厳死を推進する動きに存在する無神経さというのか、あるいは大らかさというのか、懐の深さというのか、そのようなものをここでも感じる。その人たちは、一部から批判が出ているらしいが、そんなことはあまり気にしなくてもよいと思っているようなのだ。もちろんたんに知らないということもあろう。しかしそれは知ろうと思えば簡単に知ることのできることでもある。知る必要のないことだと思っているらしいということだ。

◆立岩 真也 2018/08/01 「七〇年体制へ・下――連載・148」,『現代思想』46-(2018-08):-

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社


作成:天田城介・立岩真也
UP:20050718 REV:0721 20071224, 20091126, 20120521, 20120921, 20180528, 20210501
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