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『難病と生きる』
福永 秀敏 19990810 春苑堂出版,227p.
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last update:20160116
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■福永 秀敏 19990810 『難病と生きる』,春苑堂出版,227p. ISBN-10:4915093638 ISBN-13:978-4915093630 欠品
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※ ms. n02
■目次
はじめに
健康と病気
難病の歴史
難病各論
特定疾患等
思い出の患者さん
強く生きる
難病対策
国の難病対策
鹿児島県の難病対策
鹿児島ALS医療福祉ネットワーク
難病とホームヘルパー・ボランティア
難病と介護保険
難病と地域ケアシステム
難病に対する公的システム
資料
■引用
「この病気〔スモン〕が最初に学会に報告されたのは昭和三十三年であるが、社会的に大きな閏心が持たれるようになったのは昭和三十九年である。世は東京オリンピックを前に興奮のさなか、ボート会場に予定されていた戸田市付近でスモンが集団発生した。このほかにも岡山県をはじめ全国各地で集団発生したのである。そのため一部の学者から、原因としてウイルスなどの伝染説が発表されたため、患者や家族は社会から白い目でみられたり、悲観して自殺する人も出たりして、大きな社会問題となった。
昭和四十四年には「全国スモンの会」も結成され、このような患者を救済し、原因の究明を早急に図るべきだとの世論の後押しもあって、同年、▽023 全国の研究者を集めた「スモン調査研究協議会」が組織され研究も本格的に開始された。昭和四十五年、新潟大学の椿忠雄教授や東京大学の井形先生(当時)など多くの研究者の共同研究により患者の胃腸症状に使用されていた整腸剤のキノホルムによる薬物中毒であることが判明した。厚生省の指導により販売を即刻中止した結果、以降患者は激減してスモンの原因解明は終結した。
原因解明は終結した。この教訓をもとに、国は後遺症に悩む患者の救済と、スモン以外の他の難病に対する研究組織を▽024 推進していくことになった。
井形先生は昭和四十六年に鹿児島大学に新設された第三内科(神経内科)の教授に招跨され、その後の活躍は鹿児島県民のよく知るところである。私も昭和四十八年に第三内科に入局し、難病とともに歩むことになった。」(福永[1999:22-23])
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薬害スモン
「筋ジストロフイー
概要
身体を構成する主要な組織の一つである筋肉が、何らかの原因により筋萎縮や筋力低下をきたすときミオパチー(筋肉病)と呼ぶ。その中で、遺伝性で進行性に筋力低下を認める病気が、進行性筋ジストロフイーである。
筋ジストロフイーと呼ばれる病気にも、臨床像解シストロフイーと呼はれる病気にも、臨床像や遺伝形式などによりさまざまなタイプ(病型)がある。このなかで患者数が多く、また最も重症であるのがデュシャェンヌ型筋ジストロフイーである。デュシェンヌ型は幼少時に発病後、全身の筋力は進行性に低下し、約十歳で車椅子の生活となり、十五歳で電動車椅子に移行、二十歳をまたずして呼吸不全で死亡することが多かった。
呼吸が苦しくなり、食べ物がうまく喫を通りにくくなった二十三歳のある生年は、「このまま進行が止まってくれたら」と、どこまでも進行していく病気への思いを、悲痛な表情で表現している。
ところが昭和六十年以降、人工呼吸器が装着でき▽101 るようになり、その生命予後には格段の進歩が見られ、今では三十歳をこえる例もめずらしくない。人工呼吸器を装着するかどうかについては賛否両論があった。「呼吸器を着けての延命は幸福といえるか」ということであったが、「二十歳で死ぬのはどう考えても早すぎる、健常者の論理だけで患者さんの幸不幸を付度していいものか」との思いで当病院(国立療養所南九州病院)では呼吸器使用を決意した。そして十数年が経過するが、彼らは見事にその解答をだしている。二十歳を過ぎ、終日呼吸器を着けての生活の中で、多くの患者が感動的を歌を詠み、詩を書き、自分史を綴っているのである。」(福永[1999:100-101])
■言及
◆立岩真也 2014- 「身体の現代のために・9〜」,『現代思想』
文献表
◆立岩 真也 2018/08/01
「七〇年体制へ・下――連載・148」
,『現代思想』46-(2018-08):-
↓
◆立岩 真也 2018
『病者障害者の戦後――生政治史点描』
,青土社
*作成:
安田 智博
UP:20160116 REV:20160202
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「難病」
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病者障害者運動史研究
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