HOME > BOOK >

『医学者は公害事件で何をしてきたのか』

津田 敏秀 20040629 岩波書店,256p.

Tweet
last update:20180527

このHP経由で購入すると寄付されます


■津田 敏秀 20040629 『医学者は公害事件で何をしてきたのか』,岩波書店,256p. ISBN-10:4000221418 ISBN-13:9784000221412 2600+ [amazon][kinokuniya] ※ m34

『医学者は公害事件で何をしてきたのか』表紙

■内容

[amazon]より

内容紹介

「原因物質が究明されないかぎり対策を取ることはできない」「因果関係が科学的に証明されていない」「一定の症状がそろわない患者は認定できない」……。

水俣病をはじめとするさまざまな公害事件や薬害事件において、膨大な数の被害者たちは、一般の市民から見ても非常識としか言えない論理によって、理由も知らされぬまま切り捨てられてきました。この間、多額の研究費の支給を受けて国や加害企業などの側に立ってきた「権威ある」医学者たちの発言や行動を、多数の資料や記録をもとに気鋭の疫学者が克明に再現、検証し、このような言動を生んでいる学界構造と官僚機構にまで鋭く切り込みます。


著者からのコメント

行政を「学識経験者」がチェックするはずの審議会が、逆に行政によって選ばれた学者によって独占され、学者は行政の言いなりになって行政の思い通りに動かされています。そのエサは、研究費か学者の虚栄心かそれとも学者の老後のポストか・・・。行政のメンツのみが先行し、何のチェック機能も働かない構造では、学者は行政に取り入ることに熱心になり教育や研究をする暇もありません。公害問題や薬害問題の解決を遅らせ、被害を拡大させる構造がここにはあります。科学の進歩のためにあるはずの研究費が全く別の目的に使われていることにもなります。本書に登場する学者の先生方の惨憺たるありさまに、国民や民間企業で働く皆さんもあきれてしまうのではないかと思います。

この構造に、我が国の社会は、気づかないまま何のアプローチもされていません。次々と新しい意欲的な研究を展開する海外の研究者とそれを支援する海外の環境行政とのギャップは開くばかりです。

これらの基本構造を実例も交えて分かりやすく明らかにし、行政は国民の福祉や安全の向上に行われるべきであるという原則に今一度立ち返って考えていただくのが本書の目的です。本書で提起した問題は我が国の国民の誰にとっても他人事ではないと思います。無能な「有識者」で固められた国家は危険です。

津田敏秀(つだとしひで) 1958年兵庫県姫路市生まれ。1985年岡山大学医学部医学科卒業、1989年岡山大学医学部医学研究科修了。現在は岡山大学大学院医歯学総合研究科 社会環境生命科学専攻 長寿社会医学講座 医療経済学講座兼任講師。専攻は疫学、環境医学、医療経済学。著書に『市民のための疫学入門』(緑風出版)『医学大辞典』(医学書院、共著)『食中毒事件における調査手法』(中央法規、共著)『疫学マニュアル』(南山堂、共著)ほか


 はじめに

 科学者は「真理」を追究することに生涯を捧げ、科学研究費は「真理」の追究のために使われ、そのような追究に励む科学者に対して、行政や企業は科学研究費を支給しているはず、と読者の皆さんほ考えておられるだろう。しかし、科学研究費というお金や、研究者としての地位、学内・学外政治、学閥というものが現実的に存在している以上、一般社会と変わらぬ生々しい側面も持っているということを、支払い側である国民としては自覚しておくべきであろう。さらに、コスト競争を強いられるめにエネルギーが外に向かう一般企業とは異なり、学者社会では生活の保障はあるものの、公的研究費というパイが限られているために、生々しいエネルギーは一層内向きに、また強烈になる傾向があることも知っておくべきだろう。その生々しさは公開されていないがゆえに暴走してゆく。
 本書は、その生々しい側面が明らかになった例を挙げ、科学研究というものに監視とシステムの改革が必要であるということを訴えることを目的としている。そして、そのような監視の役割をわが国厚生行政が果たしておらず、逆に科学研究を誤った方向に導きかねない構造を持っていることを指摘することもまた本書の目的である。科学者の監視は、税金の無駄遣いを防ぐためのみならず、この国でひとたび薬害や公害・食中毒の被害者となった場合には、監視システムがないために誤った判断が下され、とてつもない理不尽を被ることを覚悟しなければならないという現実を打破するためにも > v > 必要なのだ。これは誰にとっても他人ごとではない。
 薬害事件等が起こる度に、学者は沈黙し、行政は反省の言葉を発する。しかし、このような構造を放置しておく限り、同じように事件が繰り返され、その度に、事件に対して実質的な反省(即ち有効な対策)は行われず、「失敗の本質」はもみ消され、そして事件は繰り返されるだろう。通常の犯罪とは異なり、当事者たち(学者と行政)に一見、「罪の意識」がないように見えることも問題である。中央政府の官僚は、被害者の非難の声を何とかやり過ごし、時が過ぎるのを待つのが自らの本職であると勘違いしているのではないかと感じることすらある。そして全力を挙げて、あらゆる公的資金を投入し、学者を利用し、議論の焦点を曖昧にしようと努力してくるのだ。
 本書ではまず、「疫学」という、わが国ではあまり知られていないが、公害事件や薬害事件等を処理する際に不可欠な方法論の概要を説明する。そして学者の負の側面が最も特徴的に現れ、その証拠も出そろった感がある水俣病事件の事の顧末を記す。次に、水俣病以外の他の事件に関してもその問題点に限って簡略に解説する。そして私なりの提言と共に、当事者たちの心理と失敗の本質を分析し、日本の偏った科学観を指摘する。本書は旧日本軍の作戦や組織上の問題点を分析した防衛大学校教官らによる『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか、中公文庫)旧大蔵省の問題点を指摘した元大蔵省職員による『官僚は失敗に気づかない』(平野拓也、ちくま新書)のような書物の旧環境庁、旧労働省、旧厚生省版であるとも言えよう。これらの構造は平成一三年(二〇〇一年)の省庁再編の後にも大きな変化はないと思われる。ただ本書では、官僚よりも、官僚の判断を誤らせ問題をこじらせる学者の方に重心を置いている。 > vi >
 なお、本書では「学者」という表現をしばしば用いている。学者以外には、研究者、科学者、医師どの言葉を用いているが、「学者」とそれ以外の表現とは、区別していることにご注意いただきたい。「御用学者」という比較的ありふれた用語を用いた方がよいとアドバイスしてくださった方もいるが、このような表現が不適切と主張される方もいるし、ある意味で私自身が価値判断をしてしまっていると思われるので、単に「学者」という表現を選んだ。「学者」に、さまざまな形容詞をお付けになるのは、読者の皆さんにお任せしたい。
 そして、「よくある公害問題に関する本がまた出たか」と思わないでいただきたい。むしろ、水俣病問題等の公害問題に関する本を多く読んだ人ほど、本書では全く異なったふうに事件を見ることができる事に気づかれるのではないかと思う。これは、これまでほとんどの場合、臨床医かジャーナリスト、非医学系研究者によって、水俣病問題が描かれてきたためだ。つまり通常、公害問題や食中毒事件を担当する公衆衛生学・疫学の研究者が水俣病問題を描くことがほとんど無かったことに由来する。しかし、私が描く水俣病問題の見方の方が、実はオーソドックスな公害問題や食中毒事件の見方であることを認識していただきたい。私はまず、水俣病事件の原因がメチル水銀であると固く信じて疑わない読者諸氏の「洗脳」を解くことからはじめようと思う。
 本書の読者としては、公害問題・環境問題・薬害問題に関心がある方やその当事者だけでなく、マスコミ関係者、法学司法関係者、公衆衛生関係者、あるいはもっと広く科学に関心のある方々、関係領域で大学教育を受けている方々なども想定している。将来、行政を担い、公的な判断をしなければならない方々の参考書にもなれば幸いである。

 (津田:v-vii 「はじめに」より)

■目次

はじめに
 T 疫学とはどういう学問か 1   
    なぜ疫学か?
    疫学とは科学的方法論である
    疫学における定量的表現
    食中毒事件として処理されなかった水俣病
    発がん分類と疫学の応用範囲
    病因物質と原因食品、原因施設
    定量的表現と2かけ2表
    感度と特異度(診断学の基礎)
    曝露有症者と食中毒患者数
    病因論的病名(病因基準)と症候論的病名(外徴基準)
    診断と原因検証の取り違え
    「他要因の影響はどうするんだ」「バイアスはどうするんだ」にお答えして
    要素還元主義
    変わらない「学問が邪魔をする」現状
    研究テーマと研究方法論――縦の糸と横の糸
    
 U 疫学から考える水俣病――なぜ悲劇は拡大したのか―― 49   
   1 食中毒事件処理をせず 46    
    水俣病の発生時期
    調査が行われないまま現在に至る
    水俣病の原因
    食品衛生における「原因」
    病因物質は対策を取る際の必要条件ではない
    感染症から食中毒症へ
    食中毒事件としてしっかりと認識されていたという証拠
    食品衛生法を適用しないことが決定
    食品衛生法を適用していれば
    原因物質」が分からなかった
    平成二年の政府見解
  2 認定問題と昭和五二年判断条件 73    
    水俣病の認定
    認定の範囲
    認定作業の具体的検証(宮井正彌論文)
    昭和四六年判断条件と昭和五二年判断条件
    高度の学識と豊富な経験――水俣病の専門家の誕生
    井形氏、水俣病問題を神経内科医の問題とする
  3 昭和六〇年医学専門家会議 96
     昭和五二年判断条件に対する批判
    『日本医事新報』の座談会と『ジュリスト』の鼎談
  4 平成三年中公審答申と和解 115    
    平成三年中央公害対策審議会環境保健部会水俣病問題専門委員会議事速記録
    「政治解決」とはどういうものだったのか
    平成三年水俣病問題専門委員会における医学的基礎
    井形氏の「ボーダーライン」
    法学者たち
    野村好弘氏の因果関係論
  5 国の代弁をする学者による学説を検証する 148
    水俣病の政治解決の根拠となった二論文
    衛藤・岡嶋論文
    衛藤光明(国立水俣病研究センター長)氏の検証
    近藤喜代太郎論文の検証
    秋葉論文と公開検討会
    重松委員会
    一定の操作が加えられたデータ
    裏でこっそりお見せします
    重松逸造氏の発言
  6 繰り返される悲劇 182    
    イタイイタイ病事件
    土呂久鉱毒事件
    カネミ油症事件
    じん肺・肺がん事件
    中条町ヒ素中毒事件
    杉並病事件
    タバコ事件と大気汚染問題
    サリドマイド事件
    フェニルプロパノールアミン(PPA)事件
    薬害エイズ事件
   
  V 必要な制度の見直し 195   
  1 政策と学者 196    
    なぜこんな事態になってしまったのだろうか
    誰も教えてくれない
    審議会はいらない
    EUでの会議
    審議会を廃止したとすれば
    アウトブレイク対応について
    2 学者製造機構としての医局 211    
    医局というところ
    医局のデメリット
    実質権限と幻想の権限
    教授の権限と責任
    高慢が学者を名乗り官僚に接触したがる
  3 学者と官僚    
    医学研究者としての「業績」
    報告書を予定通りに出してくれる研究者のありがたさ
    官僚と国家賠償訴訟
    厚生労働大臣の答弁
    裁判・法曹
  4 ささやかな対策 241    
    学者のウォッチ
    学会と倫理委員会
    医学会の機能
    医学界の「大物」

    おわりに 249
    参考文献

 

■引用

 「水俣における水俣病患者の発見から1年足らずで、疾患の要因となる海中生物の有毒化までが明らかとなった。この時点で食品衛生法の適応により、魚介類の採取の禁止をすれば被害の拡大を防ぐことが出来たにもかかわらず、熊本県および厚生省はこれを行わなかった」(津田2004:46‐71)。

 「もう一つ根拠らしい論文が見つかった。近藤喜代太郎北海道大学医学部教授による「阿賀野川流域 > 0150 > における水俣病の発生動態――曝露の実態と患者の認定」(『日本衛生学雑誌』一九九六、五一、五九九 ― 六一一)である。この研究は本人も『THIS IS 読売』という雑誌で自慢しているから、少しは自信があったのだろう。この論文の間違いを指摘するには少し時間がかかった。この論文を読まれた人が誰しも感じるように、何が書いてあるのかを理解するのに一苦労するからである。従って、近藤論文の誤りを指摘した私たちの論文は、近藤論文のちょうど良い解説書にもなっている。なぜ分かりにくいかというと、近藤氏は疫学分析の基礎を全く身につけておらず、我流の解析をやっているからだ。
 なお、衛藤・岡嶋論文も近藤論文も環境庁の研究費を用いて行われている。このようなお粗末な研究にどの程度の研究費が使われたのかは不明である。

 衛藤・岡嶋論文
 まず衛藤・岡嶋論文の骨子について簡単に説明する。病理学を中心とする医学用語が入っているので、読みにくいかもしれないが、後に説明するように、誤りのポイントは表の縦と横の読み間違えという単純なものなので、適当に読み飛ばしていただきたい。
 衛藤・岡嶋論文の研究対象は、熊本県公害健康被害認定審査会に水俣病の認定申請をし、一旦棄却された後に再申請していた者で、死後、昭和五〇年一二月から平成三年一一月までに熊本大学医学部病理学教室または京都府立医科大学病理学教室において剖検された一〇一例のうち、四肢末梢優位の感覚障害のみを呈したニ一例(男一七例、女四例)である。なお衛藤・岡嶋論文で言う「感覚障害」とは、四肢末梢優位に触痛覚が共に低下した者を指し、両者間に乖離があるもの、および常に全身性の > 0151 > 感覚障害を示す者は除外してある。メチル水銀に対する曝露歴については、認定審査会において全例その存在が認められていると記載されている。つまり、研究対象者全員が「疫学とはどういう学問か」で説明した曝露有症者である。
 このニ一例のうち、大脳、小脳及び末梢神経にメチル水銀による一定の障害パターン(鳥距野、中心後回、中心前回、横側頭回の選択的神経細胞脱落、深部小脳顆粒細胞脱乳脊髄知覚神経優位変性性病変)を示したのはニ一例中二例のみであったとのことである。さらにこの二例についても、「しかもこの二例のうち一例における感覚障害は、昭和四七年七月には両下肢のみであったが、五二年、五四年と動揺を示しながら範囲が拡大していた。他の一例でも昭和四九年には感覚障害は認められなかったが五二年二月には手足に認められ、五四年四月には更に拡大していた。しかし不知火海沿岸地域において、本症が発生する可能性のあるほど高濃度のメチル水銀汚染があった時期は遅くとも昭和四三年までで、それ以後は高レべルの持続的メチル水銀曝露は存在しないと言われている。従って、ここに述べたニ例のように五二年以降に出現あるいは進行する感覚障害がメチル水銀によるかどうかはきわめて重要な問題である」と述べ、曝露時期や遅発性という観点から「感覚障害をメチル水銀中毒によるとすることは困難であった」と結論づけている。また、この研究は、症候の組み合わせによる診断(五二年判断条件を意識していると思われるが)の正当性を裏づける結果となったと述べている。その根拠として「メチル水銀に対する曝露歴があり、感覚障害のみの症例をすべて水俣病とすると、実に多くの偽陽性例をその範疇に取り込むことになり、診断の特異度は著しく減少し、これをもって水俣病の医学的診断とすることは客観的事実を無視するものと言って差し支えない」と述べている。 > 0152 > 
 そして、この衛藤・岡嶋論文は、本書冒頭の「疫学とはどういう学問か」で説明した、「1マイナス陽性反応的中率」と「偽陽性率(1マイナス特異度)」を取り違えている。一般の読者は馴染みの薄い一見難解な医学用語に惑わされるが、構造は実に簡単である。表2-3, 2-4 のように2かけ2表に示せば簡単に理解できる。つまり「偽陽性率」というのは病気でない者のうち陽性と診断された者の割合であるのに、この論文では知覚障害による診断で陽性と診断された者二一人中のうちで部検所見から水俣病患者とみなされない一九人の割合をもって「偽陽性率九割」としているのである。そして、これは全く初歩的な誤りである。さらに、衛藤・岡嶋論文は不適切なデータの集め方をしているので、偽陽性のみを述べるだけで偽陰性については何らコメントできていない。この論文には他にもさまざまな問題点があるが(詳細は津田らが書いた「水俣病40年目の「解決」に根拠を与えた2論文」『環境と公害』一九九七、二六、四八 ― 五五ページ参照)、この単純な誤りで結論のすべてが無意味になってしまう。あまりにも単純でありふれた誤りなので、恐らく本人達もしくは第三者が故意に作りあげたものではないかと私は想像している。まさか、こんな単純な間違いを年配の医学者が犯して、それが国の大きな政治決断 > 0153 > の根拠となるのかと驚かれる読者もあろうかと思うが、これがわが国の環境行政の現実である。
 そもそも二〇年近くにわたってもめててきた問題を、地域データも用いずにわずか二一例の病理解剖で解決しようなどという考えが安易である。しかし、この指摘に関して反論の場を与えられた岡嶋氏と衛藤氏は、『日本精神神経学雑誌』(一九九九年、一〇一巻、六号、五〇九 ― 五一三)において次のように反論を試みている。> 0154 >

  我々が述べた九・五パーセントという数値は「感覚障害を呈する二一例」に対する「病理学的にメチル 水銀中毒としての一定のパターンを有するもの二例」の比率でその母数は「感覚障害を有する全例数」である。もし、感覚障害例の全てを水俣病と診断すると、残りの一九例も全て水俣病ということになる。そしてその時にこれらの一九例は偽陽性例ということになるのである。そもそも偽陽性例とは「水俣病でない者」(水俣病の病理所見のない者)の中で「誤って水俣病とされるもの」の比率を言うのであり、母数 は「水俣病でない者の数」である。衛藤論文においてはこの「偽陽性率」に関しては全く言及しておらず、何をもって「取り違え」としているか不可解である。

 これは、診断学の基本的知識である感度や特異度の知識を持たないかの如く装った居直りだ。すでに紹介したように衛藤氏も共著者である『水俣病の医学――病像に関するQ&A』の一二二ぺージには、「一方、例えば、感覚障害のみを呈する者を水俣病と診断すると、偽陰性率は低くなり、見逃しは減少しますが、偽陽性率が著しく高くなり(衛藤らの研究によれば九割以上)、医学的な診断の信頼度は低くなります」(傍線筆者)とはっきり書いてある。これは右の反論に書いてあることと全く矛盾する。また、右の反論では「水俣病の所見のないもの」が分母とされているはずなのに、実際の論文では「診断陽性」を分母にしてしまってこの「九割」という数字を出しているのだ。さらに衛藤・岡嶋論文の別の箇所には、特異度という表現も用いられている。特異度は、「1マイナス偽陽性率」のこ > 0155 > となので、今さら「言及していない」と知らぬふりは許されない。ただ、「何を持って取り違えとしているか不可解」というのが本当だとしたら、診断学の基礎の基礎であり医師国家試験の最も簡単な問題である感度、特異度に関する理論を、衛藤氏と岡嶋氏は全く知らないということになるので、医師・医学者として失格である。私たちの『環境と公害』における指摘から、『日本精神神経学雑誌』における岡嶋氏、衛藤氏の反論までにはかなりの時間があり(少なくとも二年あまり)、単純なミスとして済ませるわけにはいかない。このような人物が、国立水俣病研究センターの所長や、熊本保健科学大学の学長をしていることを読者は留意してほしい。かたや、国の機関であり、かたや熊本県肝煎りの大学である。
 さらに章の冒頭に示した「近藤氏の論文はさておき、我々の論文が水俣病解決に役立ったとすればそれはそれで結構なことであるが、そのような事実があったとは聞いたことがない」(岡嶋透、衛藤光明「『水俣病の感覚障害に関する研究』について――津田論文および中島見解に対する反論」)という記述は、『水俣病の医学――病像に関するQ&A』の記述と大きく異なる。自らも名を連ねた著書において、再三根拠として取り上げながら、学問論争として成り立たないと見るやこのように逃げを打っていることになる。恐らく、係争中の水俣病関西訴訟で岡嶋・衛藤論文が根拠となったことが判明すると不利に働くと孝えた国・環境庁の指示があったのではないかと思われる。一連の論文が、衛藤・岡嶋氏の環境庁・熊本県関連の昇進にもつながったとしたら、それも大きな問題である。」(津田[2004:150-156])

 近藤喜代太郎論文の検証
 一九九六年五月末の北海道大学での日本衛生学学会における、「昭和五二年判断条件が医学的に誤った判断条件である」と筆者(津田)が発表した分科会の席上で、近藤喜代太郎氏はおおむね次のようのに主張してきた。

  近藤 私は、昭和五二年判断条件を作成した椿忠雄教授の下で、議論に加わっていた者です。あなた[津田のこと]は、昭和五二年判断条件が医学的に誤っていると言うが、あれは、元々医学的 > 0163 > な基準でも何でもなく、誰に優先して補償するかを決めるための基準ですよ。
  津田 先生、環境庁はそのようには言わずに、昭和五二年判断条件があくまでも医学的判断条件と言ってますよ。
  近藤 あれは環境庁が勝手に言っているだけだ。
  津田 それをご存じなら、なぜそのことを公にしないのですか。なぜなら、水俣病のこの二〇年間は、昭和五二判断条件が医学的な判断条件か、そうでないかを争ってきたんですよ。みんな、この問題に振り回されてきたのですよ

 近藤氏は私に対して「水俣病の判断条件(昭和五二年判断条件)が医学的に誤っていることを、津田は熱心に日本衛生学会で発表している。しかし昭和五二年判断条件が医学的な判断条件でないことは、椿忠雄氏の周辺にいた人たちなら皆知っていることで、別にここで熱心に発表するほどのことではない」とでも言いたかったようである。しかし、近藤氏がここで言っていることは、そのまま患者側の主張であり、そのことを、椿忠雄氏を含めて国・熊本県・新潟県が認めないから、数多くの水俣病裁判が継続していたと言っても過言ではない。私は、唖然とした。学者は当事者でありながら、当事者意識が全くないのだ。「環境庁が勝手に言っている」ことが誤っているのを知りながら、それを決して公にはしなかったのだから。」(津田[2004:162-163])

■書評・紹介

◇日経BP企画
医学者は公害事件で何をしてきたのか 
 情報公開法により2001年に公開された政府の審議会資料を検証し、水俣病問題を詳細に分析した本。発生直後の対策の遅れから患者認定、1995年の政治解決に至るまでの過程を批判している。水俣病が発生した時、医師や研究者は発症メカニズムの科学的な解明に力を注ぎ、議論もこの点に集中した。このために汚染された魚介類の摂取禁止という、食中毒事件としての対策の遅れが隠蔽されてしまったと著者は主張している。もし食中毒事件として水俣病に対処していれば、患者数が数千人というアウトブレイクは避けられた可能性があるという。
 議事録の引用が多いため読みづらい個所もあるが、水俣病を「食中毒」として疫学的な視点からとらえた分析は興味深い。食の安全が重視される中、過去の事例の学習に適した本となっている。

(日経バイオビジネス 2004/09/01 Copyrightc2001 日経BP企画..All rights reserved.)

■言及

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社



*作成:森下 直紀
UP: 20100905 REV:20180527(岩ア 弘泰)
水俣病  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)