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最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 作品社,368p. ■最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』,作品社,368p. ISBN-10: 4861821657 ISBN-13: 978-4861821653 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ b ■内容紹介 水俣病公式認定からすでに五〇年…… 水俣病。それは「環境問題」の原点。 日本が高度成長を遂げたその裏で、豊饒な不知火は「死」の海となった。悲しみの海底から、私たちは、いま、何を学ぶのか? 最首悟、石牟礼道子、加藤登紀子、川田龍平、花崎皋平、原田正純、そしていまだ苦しみ続ける患者ら28名が自然と人間の関係を語り、〈いのち〉の倫理を考える。 【ひとり芝居脚本『天の魚』(石牟礼道子原作)完全収録!】 ■編者 最首悟[サイシュサトル] 1936年福島県に生まれ、千葉県に育つ。東京大学理学部動物学科博士課程中退後、1967年同大学教養学部助手になる。1994年退職。恵泉女子大学を経て、2003年より和光大学人間関係学部人間関係学科教授。現在、和光大学名誉教授、予備校講師。この間、1968年東京大学全学共闘会議助手共闘に参加。1977年第一次不知火海総合学術調査団に参加、1981年より第二次調査団団長 丹波博紀[タンバヒロキ] 1979年千葉県に生まれ育つ。筑波大学地域研究研究科修士課程修了後、現在、東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻研究生。2004年、最首悟に引率される和光大学「水俣フィールドワーク」に同行したことを機縁として、水俣をめぐり人の生き方を問い始めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) ■目次 序章 水俣病と現代社会を考える―水俣の五〇年 最首悟 第1章 水俣のひろがり ひろがる「水俣」 私の水俣病事件 私と水俣病―大村トミエさんに聞く ほか 第2章 経験としての水俣 「つづく」という意志 水俣と抵抗の原理としての環境倫理学 水俣大学構想の現在 ほか 第3章 病む時代の「希望」 「つづく」は「いのち」 水俣からピープルの思想へ いのちざわめく場所から ほか 終章 水俣病公式発見から五〇年――宝子を想う 水俣病と現代社会を考える 最首悟 7-25 ひろがる「水俣」 最首悟 28-30 私の水俣病事件 おしたようこ 31-36 私と水俣病 大村トミエ 37-59 産業廃棄物と現代 藤本寿子 60-69 「鏡」としての水俣病 丸山徳次 70-94 水俣病「第二世代」への試練 永野いつ香 95-112 シンポジウム 1 専門家社会を問う 山田真 ほか述 113-126 「つづく」という意志 最首悟 著 128-130 水俣と抵抗の原理としての環境倫理学 鬼頭秀一 131-146 水俣大学構想の現在 竹村洋介 147-163 支援の思想、支援者の生き方 稲垣聖子 164-181 私の支援者論 坂西卓郎 182-200 水俣へ 丹波博紀 201-207 フィールドとしての『水俣・和光大学展』 今関惇 208-214 シンポジウム 2 循環型社会へのまなざし 山口幸夫 ほか述 215-230 「つづく」は「いのち」 最首悟 232-234 水俣からピープルの思想へ 花崎皋平 235-247 いのちざわめく場所から 高石伸人 248-262 いのち華やぐ 石牟礼道子 263-272 あふれるいのちを 加藤登紀子 273-285 砂田明という役者がいた 星埜守之 286-298 妣たちにつながる根 川島宏知 299-309 霧が光る 最首悟 310-313 ひとり芝居「天の魚」 石牟礼道子 作 314-334 水俣病公式発見から五〇年 原田正純 335-353 ■引用 ◆序章 水俣病と現代社会を考える――水俣の五〇年 最首悟 「朝日新聞社が情報公開法に基づいて請求した環境庁(当時)召集の医学者たちの議事録があります。冒頭の環境庁の挨拶、先生方に医学基準じゃないんだけれども、医学基準としてお願いし[ママ]、それを引き受けていただいたと言っている。医学者たちが真面目であることを前提にして、どうして引き受けるか、一つには国を憂える。一つには人々を信じられないことがあります。東大医学部から新潟大に行った椿忠雄は、新潟水俣病の発見者でクリスチャンですが、あるとき態度が変わる。水俣病診断基準を厳しくする当事者になり、以後水俣病認定が激減する。それを踏襲してその後権威になるのが、東大医学部から鹿児島大学に行った井形昭弘で、今は尊厳死法の立役者です。」([18]) ◆原田 正純 20071215 「水俣病公式発見から五〇年――宝子を想う」,最首・丹波編[2007:335-353] 宝子 348-350 「水俣高校で社会科の先生がユージンの智子の写真を見せて「環境を汚染するとこのような子どもが生まれる」と解説した。在校していた妹は手を挙げて「それは姉です。姉をそんな風に言わないでください」と涙ながらに抗議した。この教諭はその後、教育について深く考えさせられ、反省し真剣に障害と差別や人権と取り組むようになったと告白している。 また、過剰なマスコミの取材の中、母親は東京交渉から帰ってきて智子を抱きしめながら「この子を見た多くの日本の人たちが、ああ、やっぱり、環境は汚してならない。怖いことが起こると、思ってくれたと思う。それで日本の環境が少しでもよくなって、会社や工場や政府の偉か人が、今から気をつけてくれるようになるなら、このような子ですけど、少しは世の中のお役にたったことになります。東京に行ってよかったと思います。やはり、この子は宝子ですたい」といかにもさらっと言った。いのちに”生きるべきいのち”と”生きる価値のないいのち”などあろうはずがない。 この母親の言葉はとくに医療、福祉、教育の原点、いのちの価値を考えさせられるものでこれこそ、水俣からのメッセージである。」(原田[2007:350]) 「水俣病事件は一〇〇年も二〇〇年も研究しても、し尽くされることはないほど膨大な問題がある。被害民がわずかに癒されるのはその教訓が後世に活かされる時である。その意味において水俣病事件は人類にとって宝の山(負の遺産)である。にもかかわらず、水俣病は過去のものとして忘却されそうな状況へと誘導されつつある。それに対する危機感が水俣学の提唱の一つの理由でもある。水俣病では被害者の苦痛と痛みが余りにも大きかった。その苦痛と体験を後世に残すために、水俣病事件の中から模索しながらも、敢えて水俣学などと提唱した。」(原田[2007:350]) ■言及 ◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表 UP:20080118 REV:20080202 ◇環境倫理/環境思想 ◇最首 悟 ◇身体×世界:関連書籍 ◇BOOK |