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『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の具体的提案』

日本尊厳死協会東海支部編・日本尊厳死協会発行 20070720 中日新聞社,159p.


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■日本尊厳死協会東海支部 編 20070720 『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の具体的提案』,日本尊厳死協会,発売:中日新聞社,159p. ISBN-10: 4806205486 ISBN-13: 978-4806205487 1000 [amazon] ※

■出版社/著者からの内容紹介
人生の最期を考える!
こんな重大なことが意外にわかっていない「尊厳ある生」を望むあなたに。
人間として生き、人間として死に至る。延命治療の技術的進歩は多くの命を永らえる一方、回復不能の場合はかえって本人に苦痛を強制し、尊厳なる生を冒している場合もある。「人生の最期は自然の摂理に任せたい」と願う尊厳死を「ガン」「高齢者」「持続的植物状態」など6病態の現状と末期、苦痛除去や延命措置などについてまとめた、必読の書。
http://www.chunichi.co.jp/nbook/shoseki/chu2007073101.html

■目次

はじめに――本報告書の目的
総論 井形昭弘
各論
 持続性植物状態(遷延性意識障害) 井形昭弘・山本\子
 がん 渡邊正
 高齢者 井戸豊彦・益田雄一郎
 筋委縮性側索硬化症(ALS) 井形昭弘・山本\子
 呼吸不全・心不全・腎不全 荒川迪生
 救急医療 宮治眞

■紹介・引用

◆「筋委縮性側索硬化症(ALS)」 井形昭弘・山本\子 →ALS

 「本症にかかっても、生きる意思を持って病気に負けずに頑張っている患者は多く、それを支援する団体も活発に活動してその訴えは真剣です。可能な限りの方策をもって尊い命を支え、生きていてよかった、といえるような環境を整備することは不可欠でしょう。このように前向きに生きていこうとする患者を支えていくことは意義ある活動であり、賛意を表したいと思います。
 しかし、それはあくまで苦痛に耐えても生きる意思を持った患者に対してであり、もし、延命治療を苦痛と感じ、それから逃れたい、と真剣に考えている患者にとっては、本人の苦しみを知らない第三者の生命観、価値観を強制し、苦痛を長期に強いる結果としかならず、尊厳ある生を冒す可能性があることを知るべきでしょう。
 自然の摂理の観点からは、飲み込めない、呼吸が苦しい、との段階で延命措置なしには生存できない状況と判断され、この状態を患者がどう評価するかが問題になります。この状態は患者のみが知っており主治医、家族、介護者はすべて第三者で、正常な評価は困難である、という観点は重要です」(pp.129-130)

「本人が苦痛と感じて拒否している人工呼吸器を無限に続けることは、尊厳死ないし自然死の理念に反し、患者の人権にも触れる問題と考えます。自発呼吸がなく、人工呼吸器でしか生存できない状態は臨死期といってよく、患者から再三の要求がある場合は、その中止ないし取り外しが許されるでしょう。この際、患者に長期の苦痛を強制する現実にも思いをいたすと、家族も主治医も人工呼吸器の取り外しという厳しい選択をする精神的苦痛を乗り越えねばなりません」(p.131)


◆「高齢者」 井戸豊彦・益田雄一郎(日本尊厳死協会東海支部編 2007:61-91)

 「今まで「末期医療」で議論されてきたのは、主に65歳未満の若年者の悪性腫瘍j(ルビ:しゅよう)患者(以下、悪性腫瘍は「がん」と表記)を対象としたものが多かったと思います。高齢者もがんで死亡する場合が少なくないのですが、やはり若年者と異なった病態・経過・転帰(行き着く先)を示す例が多く、また高齢者の場合、がん以外の疾患で死亡する患者も少なくありません。やはり、高齢者の「末期医療」は、若年者の末期医療と比較して相違点が存在するのです。
 この章では、高齢者の末期を考えるにあたり、対象となる疾患に「脳血管障害」「パーキンソン病」そして「認知症」の中のアルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)を選択しました。
 認知症全体をとり上げずアルツハイマー病と限定したのは、脳血管性認知症の場合は、脳血管障害と内容が重複すること、また他の神経編成疾患は比較的まれえだること、さらには全身性疾患によるものは早期の診断で治癒するものがほとんどであること、を考慮したからです。
 認知症そのものでの死亡はありませんが、アルツハイマー病を高齢者に特有な疾患として、議論の対象としました。
 「老衰」については不治とか末期といった項目は設けず、一部言及するにとどめました。その理由は「老衰」が疾患概念を意味する言葉ではないこと、かつては「老衰」を死因としてきましたが、近時は死因とはできないとする意見のあることを考慮したからです。
 脳血管障害の不治、末期とは、様々な機能障害を引き起こし、すでに全面介助状態となった人が、合併症として肺炎や心不全、あるいは褥瘡(ルビ:じょくそう)(床ずれ)から敗血症などの感染症を引き起こし、それ<63<らの合併症が治癒せず不治、末期となった状態に陥ったときです。
 一般的にいえば合併症の多くは治癒が可能です。しかし高齢者の場合、治療を実施に行なってもその効果はなく、末期の状態に陥ることが少なくありません。
 一方、合併症がなく、比較的全身状態がよい状態であれば、嚥下(ルビ:えんげ)機能(飲み込むこと)が傷害され、食事がとれなくても、また意思疎通の能力を喪失して会話が全くできなくても、いわゆる不治、末期とはいえないと思います。
 パーキンソン病やアルツハイマー病については、病態が進行し全身状態が悪化してくると、薬物療法の効果も限定的となり、いわゆる寝たきりとなります。その際、嚥下機能や意思疎通能力も喪失することがほとんどです。そしてその末期ですが、肺炎や心不全、敗血症などの感染症に侵され、それらの合併症の治癒が見込めないときに、不治、末期である、といえます。
 これらの経過とは別に、全体としてみれば特定の疾患や臓器不全によるものというより、個体全体の「老化」の結果というべきものである場合も多いと思います。老化によって寝たきりや全面介助状態に至ることも少なくありません。いわゆる「老衰」ですが、この状態に陥った場合も、「末期」と考慮すべきです。(筆者注は略)<64<」(日本尊厳死協会東海支部編 2007:63-64)

「老衰による死について
 高齢者の病態を全体としてみれば、特定の疾患や臓器不全によるものというより、個体全体の「老化」の結果というべきものである場合があります。寝たきり、全面介助状態に至ったときのことです<65<<66は表1のみ掲載<が、この状態をわれわれは老衰といい、「末期」に準じて考えるべきだ、と思います。
 この場合、寝たきり、全面介助状態は6ヶ月を超えることが少なくありません。老衰の過程で生じる「摂食不能」を放置すれば死に至りますが、この老衰死は主に脱水死であり、通常、苦しみは少なく、死亡までの期間も短く、治療による苦痛もない、ある意味で受け入れやすい死に方といえます。
 一部のヨーロッパ諸国では、このような場合に人工栄養を施さないで安らかに「死を迎えさせること」が社会的合意となっているようです。しかしながら、わが国ではこのような場合に、補液などどの医療措置を施さない例はあまり多くないと思います。それは、ひとつにはこの場合の摂食不能が「不可逆的」であると判断することが困難だからです。老衰の経過中に生じる摂食不能は肺炎などの急性疾患が原因のことが多く、これを治療すれば摂食可能となる場合が少なくないからです。
 もう一つ大事な点は、一部のヨーロッパ諸国と異なり、日本ではこのような場合の医療措置に対する国民的合意が成立していないことです。一般国民を対象にしたアンケートによれば「たとえ持続的植物状態に陥ったとしても、人工栄養などの医療措置を希望する」が少数ながら存在し、しかも高齢者ほどその比率が増加します。医療における「自己決定権」の行使が、慣習としても制度としても成熟しているとはいえない日本社会では「老衰の過程においては医療措置を施さない」という社会的合意の形成は容易でない背景があります。<67<」」(日本尊厳死協会東海支部編 2007:65-67)

 「末期を定義するにあたっては、生命予後を目安に定義していく考え方があります。生命予後6ヶ月以内の状態を「末期」と定義する場合がその例です。しかしながら死亡期間を正しく予測できないことは既に指摘されています。
 清水哲郎は末期医療を考える際に予後の長さが本質的要素ではないとし、末期の基準を「治療方針を決める際に、患者がそう遠くない時期」に死に至るであろうことに配慮するかどうかにある」と考えるのが適当としています(文献)。高齢者の場合は具体的定義がさらに困難と思われます。その理由は病態の多様性が背景にあるからです。」(日本尊厳死協会東海支部編 2007:73)

■言及

◆立岩 真也 2008 『…』,筑摩書房 文献表


UP:20071114 REV:20071224
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