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七・二六殺傷事件後に 2

立岩 真也 2016/10/01 『現代思想』44-19(2016-10):133-157
『現代思想』連載(2005〜)

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『現代思想』2016年10月号 緊急特集:相模原障害者殺傷事件・表紙
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目次  1&  関連項目・人  あまり  文献表 

*以下の本に収録されました。
◆立岩 真也・杉田 俊介 2017/01/05 『相模原障碍者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社 ISBN-10: 4791769651 ISBN-13: 978-4791769650 [amazon][kinokuniya] ※
立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』カバー

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■目次

 ■はじめに
 ■一九六二年・『しののめ』安楽死特集
 ■一九六三年・『婦人公論』紙上裁判
 ■一九七〇年・横浜での事件
 ■一九八一年・『典子は、今』他
 ■一九八二年・島田療育園からの脱走事件他
 ■ナチによる「安楽死」
 ■二〇〇四年・もう一つの相模原事件
 ■これから


 
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■1&

◆立岩 真也 2016/09/01 「七・二六殺傷事件後に」,『現代思想』44-(2016-09):

◆立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books
◆立岩 真也 2016/04/29 『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』Kyoto Books 327.4kb \700

 
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■関連項目・人

障害者殺し
7.26障害者殺傷事件
7.26障害者殺傷事件・報道
ナチ政権下での障害者殺害
重症心身障害児施設
びわこ学園

井形 昭弘
糸賀一雄
太田 典礼
大仏 空
折本 昭子
小池 文英
宇井 純
最首 悟
仁木 悦子
花田 春兆
二日市 安
福永 秀敏
松田 道雄
水上 勉

『そよ風のように街に出よう』


 
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■あまり
 ※分量が思いのほか増えてしまったためにかなりの部分を外すことになりました。まだ未整理ですがその部分を以下に。

★ 青い芝の会の発起人は金沢英児・山北厚・高山久子。青い芝の会の初期の活動について廣野[2007]。廣野が記すように、長く青い芝の会の会長を務めた山北は一九六〇年代以降の「政治化」については批判的・抑制的であり、そこに事務局長が関わった会の会計問題も加わり、七〇年の殺害事件とそれを問題にした「マハ・ラバ村」からの下山者たちを中心とした人たちが中心を担うことになる(cf.立岩[1990→2012:267-270])。

◆「この記事を読んだ西宮市肢体障害者協会は、「手記というたくみな方法で、身障者を見苦しい者として△136 扱っており、編集者の良識を疑う」「このような暗い内容のものを載せることが、障害者にどのようなショックを与えるかを考えるのが、編集者の良識といえるのではないだろうか」と批判」(荒井[2011:136-137])

★□ 障害者の太平洋戦争を記録する会編[1981])。夫は翻訳家で……の二日市安(後藤安彦、一九二九〜二〇〇八、著書に二日市[1979]他)。
★15 太田典礼は、例えばやはり「阻止する会」の発起人でもあった松田道雄らに対してはその「変節」を残念がりまた愚かなことだと述べるが、障害者運動と青医連(青年医師連合)の抗議には強い苛立ちと敵意を隠せないでいる。この辺りについての唯一といってよい研究論文として大谷[2005]。

★11 一九七三年頃までそれなりに「大手」のメディアで取り上げられていることは[2015/11/25]でも述べた。「それには「川崎バスジャック」[…]のような「過激」な運動のためにという理由も言われる。世界中でそうやって闘われてきたのだし、そのぐらいのことはしてよかったのだとは思うが、実際にはそれも理由ではあったかもしれない。ただそれよりも、とくに養護学校義務化反対を巡ってそれに賛成した側との対立が大きかっただろうと私は考える。福祉の業界や学界では今以上に共産党を支持する勢力は強かった。」(横田・立岩[→121-122(注23)]、)「全障研」◇。上田敏◇。『そよ風』

★  「障害者自身が「安楽死」を否定できずにいる心境を擁護し、むしろ積極的にそのような声を社△137 会へ発信する一方、水上や石川らのような発言には厳しく反論する花田の複雑な主張には、概ね次の二点にその真意があったように思われる。「一つは、障害者への「安楽死」の是非を議論する以前に、その議論する言葉自体を障害者自身のもとに取り戻すことであり、もう一つは、時に誤解を呼びかねない極端な表現を用いようとも、現実に障害者たちが死を意識した日常を送らねばならない状況にあることを一般に知らしめることである。/[…]七〇年代になると、「しののめ」同人たちの多くは「安楽死」や障害者殺しに対して明確な反対意見を表明するようになるのだが、六〇年代の段階では、まだ障害者自身が「安楽死」について語る声を獲得すること、そして、その声を社会に届けることが優先されていたのだと思われる。」(荒井[2011:135-138])

★  飯田進
 「臼井:「サリドマイドの薬害の中心人物だった人が、飯田進という人です。飯田進は、薬害の賠償で出てきたお金を使いながら財団法人をつくって、その財団法人が、たぶん日本で初めて子どもの療育の概念、障害がある人たちの早期療育ということをうたった法人として活躍しました。今は社会福祉法人にかわっています。東神奈川駅のそばで、今でも小児療育相談センターという組織が運営されています。/[…]飯田さんの本を読むと、神奈川県立こども医療センターは、飯田さんたちが、障害のあるお子さんの早期の療育を実現するために、神奈川県と交渉してつくった、子どものための専門病院だというふうにいわれています。少なくとも飯田さんは本の中でそう書いています。(荒井・立岩・臼井[2015→2016]、臼井の発言)

 飯田進「大正12年生まれ。1960年、息子がサリドマイド禍による障害児として出生した。まもなく、障害児の親の会「財団法人子どもたちの未来をひらく父母の会」を創設。子ども専門病院の建設運動やサリドマイド禍の因果関係を争う集団訴訟の準備などにたずさわる。現在、(財)神奈川県児童医療福祉財団、及び社会福祉法人・青い鳥の理事長など福祉事業に従事」

 その後、谷口は大学の社会福祉の教員になる。「この事件をとおして、横田は谷口と知り合い、のちに一緒にカナダへ障害者福祉に関する研修旅行に行っている。二人の交流は、その後、折に触れてあり、谷口は横田の喜寿のお祝い会や通夜にも参加している。谷口は、この事件を契機として、横浜市の福祉施策、特に障害者福祉に関し積極的にかかわり、障害当事者のサイドに立った政策形成に努めた。△073」(臼井[2016:73])。臼井[2002]では「矛盾・葛藤モデル」を唱導している社会福祉学者として谷口への言及があり、著作に谷口編[2000]等があげられている。荒井・立岩・臼井[2015→2016]

★14 「小児療育相談センターは、一九五〇年代後半に日本で起きた代表的な薬害事件である「サリドマイド事件」を受けて、厚生省や製薬会社を相手に裁判を起こしていた原告団の中心にいた飯田進が、障害のある子どもへの早期療育と親へのサポートが必要と考えて立ち上げた民間の療育機関である。」(臼井[◆46])

★□ 「第五のカテゴリーとして、いわゆる「不任意の安楽死」がある。これまで述べた安楽死の場合には、患者の方も死にたいと希望する場合があるけれども、そうでなく、希望しないものを殺してしまうという行為が、場合によっては不当にも安楽死という名前で呼ばれることがある。ナチスの時代に行なわれた「安楽死」がそれである。」(平野[◆])

 「[…]ここではその批判がどこまで当たっているのかについては判断しないとしよう。ただ私は、いつものように、尊厳死を推進する動きに存在する無神経さというのか、あるいは大らかさというのか、懐の深さというのか、そのようなものをここでも感じる。その人たちは、一部から批判が出ているらしいが、そんなことはあまり気にしなくてもよいと思っているようなのだ。もちろんたんに知らないということもあろう。しかしそれは知ろうと思えば簡単に知ることのできることでもある。知る必要のないことだと思っているらしいということだ。」([2009:232-233])

★□ 椿忠雄◇について。井形について原田正純◇、津田敏秀◇、最首悟◇。
 井形は種々の大学、学会、政府の審議会等の役職を歴任した(→HP)。津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(津田[2004:73-136]◆)、原田[1989:81-83]◆等にある。
 「東大医学部から新潟大に行った椿忠雄は、新潟水俣病の発見者でクリスチャンですが、あるとき態度が変わる。水俣病診断基準を厳しくする当事者になり、以後水俣病認定が激減する。それを踏襲してその後権威になるのが、東大医学部から鹿児島大学に行った井形昭弘で、今は尊厳死法の立役者です。」(最首[2007:18])

◆「「経済」がここに絡んでしまっていること。尊厳死協会の前理事長である井形明弘氏は、日本宗教連盟主催のシンポジウム(二〇一〇年)で、医療や福祉のお金を削るために(膨張を抑制するために)法を作ろうなどと毛頭思っていないとおっしゃった。そのようにたしかに信じておられるとして、しかし、お金(と人手)の事情があって少なからぬ人々が死を選んでいることは、「つもり」がどうであろうと、「事実」である→拙著『ALS』(立岩[2004])。そして今度新たに理事長になられた方は、ことが「医療経済」の問題で(も)あることを、すっきりと認めているとも聞く。「話は生きられる社会にしてからだ」という多くの人々の主張はもっともである。」([2012/08/24])
 種々の大学、学会、政府の審議会等の役職を歴任した(→HP)。津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(津田[2004:73-136]◆)、原田[1989:81-83]◆等にある。

 「東大医学部から新潟大に行った椿忠雄は、新潟水俣病の発見者でクリスチャンですが、あるとき態度が変わる。水俣病診断基準を厳しくする当事者になり、以後水俣病認定が激減する。それを踏襲してその後権威になるのが、東大医学部から鹿児島大学に行った井形昭弘で、今は尊厳死法の立役者です。」(最首[2007:18])


 
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■文献(◆:→53→60→81→90→101→116→110)
 ※はこの文献表の頁からリンクされており、ウェブ上で全文を読める

荒井裕樹 2011 『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』、現代書館
◆荒井裕樹・立岩真也・臼井正樹 2015 「横田弘 その思想と障害を巡って」(鼎談)、第6回ヒューマンサービス研究会、於:神奈川県立保健福祉大学→2016 『ヒューマンサービス研究』
◆朝日新聞社 編 1973a 『医学は人を救っているか』、朝日新聞社、朝日市民教室・日本の医療2
◆―――― 1973b 『立ちあがった群像』、朝日新聞社、朝日市民教室・日本の医療6
◆安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店
◆―――― 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』、藤原書店
◆―――― 2012 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』、生活書院・文庫版
◆Bernadac, Christian 1967 Les Medicins: Les experiences medaicals humaines dans les camps de concentrations, Editions France-Empire=1968 野口雄司訳『呪われた医師たち――ナチ強制収容所における生体実験』、早川書房
◆Binding, Karl.;Hoche, Alfred 1920 Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens: Ihr mass und ihre form, Felix Meiner, Leipzig=2001 森下直貴・佐野誠訳『「生きるに値しない命」とは誰のことか――ナチス安楽死思想の原典を読む』、窓社
◆Chambliss, Daniel F. 1996 Beyond Caring: Hospitals, Nurses, and the Social Oranization of Ethics, The University of Chicago Press=2002 浅野祐子訳『ケアの向こう側――看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾』、日本看護協会出版会
◆Dingley, Walter 1955 "Why I Support Mercy Killing"  ◆Frercks, Rudolf 1938 Deutche Rassenpolitik, Leipzig, Reclam Verlag=1942 橋本文夫訳『ナチスの優生政策』、理想社(附: アードルフ・ヒットラーの優生政策観)
◆Gallagher, Hugh G. 1995 By Trust Betrayed: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich, Vandamere Press=1996 長瀬修訳、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』、現代書館
◆花田春兆 1962/04 「現代のヒルコ達――小林提樹先生へ」、『しののめ』47→立岩編[2015]
◆―――― 1962/09 「ケンカする気じゃあないけれど」、『しののめ』48→立岩編[2015]
◆―――― 1963/06 「切捨御免のヒューマニズム」、『しののめ』50→立岩編[2015]
◆―――― 1963/10 「お任せしましょう水上さん」、『しののめ』51立岩編[2015]
◆―――― 1974 『いくつになったら歩けるの』、ミネルヴァ書房→2004 日本図書センター
◆―――― 2008 『1981年の黒船――JDと障害者運動の四半世紀』、現代書館
平野龍一 1966 「生命と刑法――とくに安楽死について」、『刑法の基礎』、東京大学出版会:155-182→町野朔他編[1997:46-51](抄)
◆石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子 1963 「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」、『婦人公論』48-2:124-131→立岩編[2015]
◆井形昭弘 2012/04/24 「法律案に反対する団体の意見に対する(社)日本尊厳死協会の見解」、於:自民党勉強会→立岩・有馬[2012]
◆飯田進  2003 『青い鳥はいなかった――薬害をめぐる一人の親のモノローグ』、不二出版
◆石井登喜男 1961「重身障者をもつ父として」、『朝日新聞』1961-7-13 東京夕刊: 2(投稿・「声」欄)
◆神奈川県社協情報センター 1986 『そして闇へ!――新聞にみる障害者殺し』
◆河口栄二 1982 『我が子、葦船に乗せて』,新潮社,215p.
◆北杜夫  1960 『夜と霧の隅で』、新潮社
◆Klee, Ernst 1993 >>Euthanasie<< im NS-Staat, Fisher, Frankfurt am Main=1999 松下正明訳、『第三帝国と安楽死――生きるに値しない生命の抹殺』、批評社
小林提樹 1962 返信、『しののめ』47:7-10→立岩編[2015]
◆―――― 1983 「障害者に愛と医療を捧げて」、八幡・小林・田中・市川[1983:53-120]
◆黒金泰美 1963 「拝復水上勉様――総理にかわり、『拝啓池田総理大臣殿』に応える」、『中央公論』1963-7:84-89→立岩編[2015]
◆町野朔・西村秀二・山本輝之・秋葉悦子・丸山雅夫・安村勉・清水一成・臼木豊編 1997 『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法II』、信山社
◆松山善三 1961 「小児マヒと闘う人々」、『婦人公論』46-11(1961-9):116-121→立岩編[2015]
◆松山善三・高峰秀子 1981 『典子は、今』、潮出版社
水上勉  1963/06 「拝啓池田総理大臣殿」、『中央公論』1963-6:124-1341→立岩編[2015]
◆―――― 1963/06 『日本の壁』、光風社
◆―――― 1963/08 「島田療育園」を尋ねて――重症心身障害の子らに灯を」(特別ルポ)、『婦人倶楽部』1963-8:198-202→立岩編[2015]
◆―――― 1980 『生きる日々――障害の子と父の断章』、ぶとう社
◆長尾和宏 2016/08/14 「井形昭弘先生の訃報」、『Dr.和の町医者日記』
中川米造 1973 「医学とは」、朝日新聞社編[1973a:187-251]
◆日本心身障害児協会島田療育センター編 2003 『愛はすべてをおおう――小林提樹と島田療育園の誕生』、中央法規出版
◆日本宗教連盟シンポジウム実行委員会編 2010 『「尊厳死法制化」の問題点を考える――日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポジウム報告書』
◆野崎浩一 1962 「人間は生きねばならぬ」、『しののめ』47→立岩編[2015]
◆岡村青  1988 『脳性マヒ者と生きる――大仏空の生涯』、三一書房
◆大熊一夫 1973 『ルポ・精神病棟』、朝日新聞社→1981 朝日文庫
◆折本昭子・大仏空 1962 「安楽死賛成論(往復書簡)」、『しののめ』→立岩編[2015]
◆大谷いづみ 2005a 「太田典礼小論――安楽死思想の彼岸と此岸」、『死生学研究』5:99-122 
◆―――― 2005b 「1960-70年代の「安楽死」論と反対論が示唆するもの――「しののめ」誌と「青い芝の会」による障害者からの異議申し立てを中心に」、第2回障害学会大会報告 
◆小沢浩 2011 『愛することからはじめよう――小林提樹と島田療護園の歩み』、大月書店
◆小澤勲 1974 『反精神医学への道標』、めるくまーる社
◆さくら会 2012/05/25 「平成24年4月24日の日本尊厳死協会理事長、井形昭弘氏の見解は事実誤認」→立岩・有馬[2012] ※
島成郎 1980 「「保安処分」に思う」、『精神医療』臨時増刊号・特集:保安処分新設阻止のために→島[1997:289-304]
◆―――― 1997 『精神医療のひとつの試み 増補新装版』、批評社
◆白井のり子 2006 『典子44歳 いま伝えたい――「典子は、今」あれから25年』、光文社
◆しののめ編集部編 1973 『強いられる安楽死』、しののめ発行所
◆荘田智彦 1983 『同行者たち――「重症児施設」島田療育園の二十年』、千書房
◆Stephens, Trent & Brynner, Rock 2001 Dark Remedy: The Impact of Thalidomide and its Revival as a Vital Medicine, Perseus Publishing=2001 本間徳子訳『神と悪魔の薬サリドマイド』、日経BP社
◆Sudnow, David 1967 The Social Organzation of Dying, Prentice-Hall=1992 岩田啓靖・志村哲郎・山田富秋訳『病院でつくられる死――「死」と「死につつあること」の社会学』、せりか書房
◆菅井正彦 1973 「ある脳性マヒ者集団〔青い芝の会〕の問い続けるもの」(ルポルタージュ)、『社会福祉研究』12:95-98
高杉 晋吾 1971 「安楽死と強制収容所」、『朝日ジャーナル』1972-2-5→高杉[1972:112-125]
◆―――― 1972 『差別構造の解体へ――保安処分とファシズム「医」思想』、三一書房
◆立岩真也 1990 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」、安積他[1990:165-226→1995:165-226→2012:258-353]
◆―――― 1997 『私的所有論』、勁草書房
◆―――― 1998 「一九七〇年」、『現代思想』26-2(1998-2):216-233→立岩[2000:87-118]
◆―――― 2000 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』、青土社
◆―――― 2004 『ALS――不動の身体と息する機械』、医学書院
◆―――― 2007 「解説」、横塚[2007:391-428→2010:427-461]/立岩[2016/04/29]
◆―――― 2007-2017 「もらったものについて」、『そよ風のように街に出よう 1〜17』75:32-3〜91
◆―――― 2008 『良い死』、筑摩書房
◆―――― 2009/03/25 『唯の生』、筑摩書房
◆―――― 2009/12/18 「良い死?/唯の生!」日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポジウム・「尊厳死法制化」の問題点を考える 於:東京
◆―――― 2010/03/00 「良い死?/唯の生!」、日本宗教連盟シンポジウム実行委員会 編[2010:21-43]
◆―――― 2012/08/24 「私には「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」はわからない」、『SYNODOS JOURNAL』→立岩・有馬[2012:]
◆―――― 2013/05/20 『私的所有論 第2版』、生活書院
◆―――― 2013/12/10 『造反有理――精神医療現へ』、青土社
◆―――― 2015/06/03 「再刊にあたって 解説」、横田[2015:223-249]/立岩[2016/04/29]
◆―――― 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』、青土社
◆―――― 2015/11/25 「横塚晃一――障害者は主張する」、吉見編[2015:223-249]/立岩[2016/04/29]
◆―――― 2015/12/01 「病者障害者運動研究――生の現代のために・8 連載 118」『現代思想』43-18(2015-12):16-29
◆―――― 2016/04/29 『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』Kyoto Books
◆―――― 2016/08/02 「七・二六殺傷事件後に」、共同通信配信
◆―――― 2016/08/07 「七・二六殺傷事件後に」、NHK・Eテレ『バリバラ』緊急企画「障害者殺傷事件を考える」
◆―――― 2016/09/01 「七・二六殺傷事件後に」、『現代思想』44-17(2016-09):196-213
◆―――― 2016/09/21 On Private Property, English versionKyoto Books
◆―――― 2016/10/10 「国家・権力を素朴に考える」、『精神医療』84
◆立岩真也・有馬斉 2012 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』、生活書院
◆立岩真也・市野川容孝 1998 「障害者運動に賭けられたもの」、『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000]
◆立岩真也編 2014 『身体の現代(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books
◆―――― 2015 『与えられる生死:1960年代――身体の現代・記録:『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』、Kyoto Books
◆土屋秋子 1962 「私を殺してほしい!」(特別手記)、『週刊女性自身』5-27(1962-7-9):41-44→立岩編[2015] (仮名、実際の筆者は花田春兆)
◆臼井正樹 2002 「福祉コミュニティ形成における文化概念の役割――福祉文化概念に関する再考察」 
◆―――― 2016 「横田弘の生涯」、
横田・立岩・臼井[2016:31-73]
◆八幡一郎・小林提樹・田中文雄・市川浩之助 1983 『来し方の記 6』、信濃毎日新聞社 ※
◆八木下浩一 1980 『街に生きる――ある脳性マヒ者の半生』、現代書館
◆―――― 1981 『障害者殺しの現在』、JCA出版
◆横田弘  1974 『炎群――障害者殺しの思想』、しののめ発行所、しののめ叢書
◆―――― 1979 『障害者殺しの思想』、JCA出版
◆―――― 2004 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』、現代書館
◆―――― 2015 『増補新装版 障害者殺しの思想』、現代書館
◆横田弘・立岩真也 2002/07/28 対談→2016 「対談1 二〇〇二・七・二八」、横田・立岩・臼井[2016:74-128]
◆―――― 2002/11/12 対談→2004 横田[2004:5-33]→立岩[2016/04/29]
◆横田弘・立岩真也・臼井正樹 2008/01/22 鼎談→2016 「対談2 二〇〇八・一・二二」→横田・立岩・臼井[2016:178-213]
◆―――― 2016/03/25 『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』、生活書院
◆横塚晃一 1972 「母親の殺意にこそ――重症児殺害事件の判決を終って」、北里大・文化祭シンポジウム草稿→横塚[1975→2010:38-45]
◆―――― 1973 「CP――障害者として生きる」、朝日新聞社編[1973b:116-125]
◆―――― 1974 「ある障害者運動の目指すもの」、『ジュリスト』572(臨時増刊 特集 福祉問題の焦点):209-214→横塚[1975][2010:93-150]
◆―――― 1975 『母よ!殺すな』、すずさわ書店
◆―――― 1981 『母よ!殺すな 増補版』、すずさわ書店
◆―――― 2007 『母よ!殺すな 新版』、生活書院
◆―――― 2010 『母よ!殺すな 新版第2版』、生活書院
◆吉見俊哉編 2015 『万博と沖縄返還――一九七〇前後』(ひとびとの精神史・5)、岩波書店

 ※分量の関係で文献表に入れられなかったもの
◎二日市安 1979 『私的障害者運動史』、たいまつ社
廣野俊輔 2007 「「青い芝の会」の発足と初期の活動に関する検討――特に背景との関連に注目して」、『同志社社会福祉学』21:37-48
◎障害者の太平洋戦争を記録する会(代表:仁木悦子)編 1981 『もうひとつの太平洋戦争』、立風書房
◎谷口政隆編 2000 『新しい世紀の自立生活をめざして』、横浜市在宅障害者援護協会
◎立岩真也 2014 『自閉症連続体の時代』、みすず書房
■言及

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社


UP:2016 REV:20160814, 27, 28 ... 0908, 09, 10, 24, 25, 20170106
障害者殺し  ◇7.26障害者殺傷事件  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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