オピオイド処方の危険は、エピデミック初期に比べれば、医師たちによりよく理解されていて、処方率は2012年で頭打ちになった。だが2017年になってもまだアメリカ人100人につき58通のオピオイド処方箋が書かれていて、この割合は1999年の3倍、1通の処方箋の平均はオピオイド18日分だった。(270-271)
彼女は、ワクチンが承認された直後にそのワクチン接種を受けたことを語る女性の話を聞いた。女性がワクチン接種を受けるたびに起きる反応のことを語ると、ケーシャの心臓は止まりそうになった。それは自分自身の物語ーー同じ時系列で、同じ症状を聞いているような気がした。その瞬間、ケーシャは足をすくわれるような驚きを感じた。結局、この何年間か、なぜ自分がこんな病気になったのか疑問に思っていたことを、いまここでまったく別の女性が同じ物語として語って いるのだ。
彼女はそれを信じることができなかった。ワクチンが安全であることが「証明」されていたのなら、なぜこんなことが起きるのだろうか。 彼女が試験担当看護師に自分の症状について話すたびに、看護師はそれらの症状がワクチンとは無関係であると保証した。彼女は怒りと動揺を覚える一方、他方では、自分が体験してきたことを理解してくれる誰かが他にいること、そして助けてもらえるかもしれない可能性に安堵した。その夜、彼女はほとんど一睡もできなかった。翌日、インターネットで答えを探し始めた。彼女はデンマークのワクチン被害者支援グループと連絡をとり、サラと話をすることができ、結局は親しい友人になったのであった。二人は長い間話し合い、そしてサラは理解してくれた。彼女は以前にも同じ話を聞いたことが あった。一方、ケーシャにとっては、自分が正気であるとはじめて感じた時間であった。この一三年間というもの、痛みともに生き、医師たちからはことごとくそれを否定されるのを聞き続けてきたのだから。 (27)
痛みは日常診療で頻繁に遭遇する症状のひとつであり,2010年の日本の疫学調査では,18歳以上の男女における慢性疼痛の有病率は15.4%と報告されている。慢性疼痛の定義が報告によって異なるため数字に若干の違いはあるが,欧州では19%,米国でも30.7%と,いずれも高い有病率が報告されており,最近のメタアナリシスでは,成人の約10人に1人が広範な慢性疼痛を有することが報告されている。 (184)
痛みは様々な要因によって惹き起こされるが,生理解剖学的な原因論の視点では,「侵害受容性疼痛」と「神経障害性疼痛」の2つが身体器質的な原因を持つ痛みとして挙げられる。しかし,そのどちらでもない第3のグループともいうべき痛みが存在するのは確かであり,日本ではそのような痛みを総称して「心因性疼痛」と呼ぶことが多い。心因性疼痛は身体器質的な原因を定義した他の2つの痛みとは異なる病態であるが,その明確な定義のコンセンサスは国際的にも確立されているとは言えず,医療従事者間でもその認識は統一されていない。そのため,検査では身体器質的な異常が認められず原因のよく分からない痛みが,全て心因性疼痛という名称で片付けられてしまっている傾向にある (184)
また,心因性疼痛という用語自体が実態を正しく表現しているかどうか,今一度振り返って検討する必要があると思われる。なぜならば「心因性」という用語が,心の病というネガティブな印象を患者に与え,患者と医療従事者との信頼関係を損なう一因となり,治療成績の悪化に繋がる可能性があるからである。実際,そのような懸念から,患者への説明の際に心因性という用語を用いないとする医療従事者もいる。従って,心因性疼痛の定義と用語を整理するにあたっては,治療の妨げになるものや実臨床で使いづらい用語では意味がなく,ネガティブな響きを持たない代替語の可能性を探ることが必要である。 (185)
また,心因性疼痛という用語自体が実態を正しく表現しているかどうか,今一度振り返って検討する必要があると思われる。なぜならば「心因性」という用語が,心の病というネガティブな印象を患者に与え,患者と医療従事者との信頼関係を損なう一因となり,治療成績の悪化に繋がる可能性があるからである。実際,そのような懸念から,患者への説明の際に心因性という用語を用いないとする医療従事者もいる。従って,心因性疼痛の定義と用語を整理するにあたっては,治療の妨げになるものや実臨床で使いづらい用語では意味がなく,ネガティブな響きを持たない代替語の可能性を探ることが必要である。 (185)
痛みを3つのグループに大別すること自体は国際的にも異論のないところであるが,その定義については様々な議論が為されており,その名称についてもコンセンサスを得るには至っていない。このグループに属すると考えられる痛みは,sensory hypersensitivity,dysfunctional pain,psychogenic painなど,様々な用語で説明されることがあるが,日本では「心因性疼痛」と呼ばれることが多い。
このグループに属する痛みについては,現在の医学知識ではまだ分かっていないことも多く,その原因や病態は多岐にわたると考えられるが,例えば,アルコール性脳症や全身性エリテマトーデスによる中枢性ループスに観察される精神症状,または統合失調症やうつ病などの精神疾患が原因で生じる痛みがこのグループに含まれる。また,現在の医学では未だ原因が明らかにされていない線維筋痛症もこのグループに含むとされることが多い。 (186)
ところが,心理社会的なストレスによって脳機能に何らかの異常が生じると,この下行性疼痛抑制系が適切に機能せず,痛みが増強されると考えられる。 (186-187)
第3の疼痛に含まれる痛みの病態に関しては,現在の医学では残念ながら検査等では身体器質的変化を客観的に捉えられていない部分も多く,病理的に細かく分類することが難しいのが現状である (189)
[……] 医学的には,身体認知失調性疼痛あるいは精神機能失調性疼痛の方が,概念の表現としては適当であるように思われる。しかし,患者の視点で考えてみると,「身体」という語からは身体器質的な問題が想起されると思われるし,「精神機能失調」という言葉を投げかけられた患者は,やはり「頭がおかしい」と言われているように感じてしまうはずである。 (189)
[……] DSM–5では,苦痛を伴う,または日常生活に意味のある混乱を引き起こす身体症状を認め,それに伴う健康への懸念に関連した過度な思考,感情,または行動が見られ,痛みが身体症状の主症状の場合,「痛みが主症状の身体症状症」と説明されている3)。従来のDSM–IVで「疼痛性障害」とされていたものである。 (189)
第3の疼痛に属する痛みは,つまりは脳のオーバーアクティビティ(過剰な神経興奮)やハイパーセンシティビティ(痛みに対する過剰な感受性の亢進)の結果として痛みを知覚しているという病態であり,「脳内で痛みが生じ,その痛みを過剰かつ過敏に認知するようになってしまった認知性疼痛」と考えれば,理解しやすい。 (190)
認知性疼痛とは,脳に何らかの機能的あるいは器質的な変化(異常)が生じ,下行性疼痛抑制系が破綻したりするなど,脳や神経系のネットワーク異常が生じることにより発現していると考えられる痛みを指す。これは,神経生理解剖学的な観点から区別するとすれば,神経機能的な要因によるものと,神経系の器質的な要因によるものとに分けられる。ただし,神経系の器質的な変化があれば,機能的な変化も当然伴うであろうし,可逆的な機能的異常が継続することにより脳の器質的な変化が起こることも考えられる。両者の区別は難しいが,重要なのは,認知性疼痛が生じているということは,何らかの変化(異常)が脳に生じている可能性があるということである。現在の医学では依然として,検査では神経系の器質的な異常が発見できないことがあるが,そのような場合でも,痛みを持つ患者に対し,原因が無く痛みを感じている訳ではなく,脳に何らかの変化が起きている可能性があるということを伝えるだけでも,「自分の頭や心がおかしい訳ではない」と救われる患者は多いはずである。 (190)
海外では,侵害受容性疼痛でも神経障害性疼痛でもない第3のグループに属する痛みをsensory hypersensitivityと説明することがあるが,認知性疼痛にはこの概念も含まれる。また,末梢神経障害性疼痛が契機となっていたとしても,長期間に渡る痛みの経験により下行性疼痛抑制系に変化が起こって全身の痛みを訴えるようになったものなどを,centralized painあるいはsomatosensory hypersensitivity syndromeと呼ぶことがあるが,これらも認知性疼痛に含まれる。 (190)
[……] 第3の疼痛とする認知性疼痛の中でも,痛みの要因や発生のメカニズム等による更なる細分化は可能であり,その精度は今後の医学の進歩により更に高まるものと思われる。残念ながら現在の医学では困難な部分も多いが,少なくとも治療にあたる医療従事者は,認知性疼痛の要因には神経機能的なものと神経系の器質的なものがあること,精神疾患が原因で痛みが生じている本来の心因性疼痛があることなど,下位分類についても理解しておく必要がある。 (190-191)
Pain Visionを用いて測定することにより,詐病を見つけることができる可能性がある.通常の測定では最小感知電流値のばらつきは5%以内であり,痛み対応電流値の測定のばらつきも同様に5%以内である.これらを大きく外れた場合は,測定方法を十分に理解していないか,詐病などの可能性が考えられる.認知症などを疑われるときや検者の説明を十分に聞かないで判断してしまうようなケース以外は,痛みを偽っているかどうかなども考慮しないといけない.その場合は十分に問診・診察をおこなってみると意外な事実が判明するかもしれない. (460)
慢性の痛みには、世界中の人間の病いの経験でもっともありふれたひとつの過程が含まれている。私はその過程をあまり優雅とはいえないが事態を明らかにする、 (somatization) という名前で呼ぼうと思う。身体化とは、個人的問題や対人関係の問題を、苦悩の身体的慣用表現や、医療による援助を強く求める行動様式によって伝えるコミュニケーションである。身体化は、社会・生理学的な経験の連続したものである。一方の極には、身体の病理学的過程が認められなくても身体的不調を訴える事例があり、これには、意識的な行為(詐病、これはあまり見られないが簡単に見抜ける)と、無意識的に人生の問題を表現しているもの(いわゆる転換症状、これはより普通に見られる)とがある。もう一方の極には、身体医学的ないしは精神医学的な疾患による生理的機能の障害を経験し、説明可能なレベルを越えて症状やその症状が創り出す機能障害を増幅させながら、たいていの場合、その悪化に患者自身気づいていないという事例がある。 断然多数を占めている後者のカテゴリーの患者では、三つのタイプの力が影響して、彼らの病いの経験を増強し、ヘルスケア・サービスを過剰に利用するように促している。一つは、苦悩の表現を助長する社会的環境(特に家庭環境や職場環境)であり、二番目は、身体的訴えという言語を使って個人的問題や対人関係上の問題を表現する不幸の文化的慣用表現であり、そして三番目は、個人の心理的特徴(たいていは、不安障害、抑うつ障害、あるいは人格障害)である。 (72-73)
しかしながら、より広範な社会的解釈を適用すると、ウィンスロップ・コーエンの場合もそうですが、痛み、抑うつ、疲労、あるいはその他の慢性的な症状がもたらす身体の体験は別の形態の批判や抗議ではないか、そしてジェイミソン牧師の場合で言えば、自身の体験世界を新たな道徳状況へと作り変えて社会に影響を与えようとする行動ではないか、そう疑問に思わざるを得ません。
ここでわたしが言いたいのは、いかなる生物的・心理的な理由があろうと、ひとたびそのような症状が慢性化すれば、それは社会からの疎外感や夫婦関係に関する批判、上司や同僚に対する批判、あるいはより一般的な経済や政治の現状に対する抗議といったことをも表現し得る、ということです。慢性の痛みは、アメリカの障害制度の主要な申請項目です。障害給付金受給者の多くが、労働者階級に属する人びとや貧しい人びとであることから、この制度は、階級間で資源を再分配する他の手段に乏しく、社会的・経済的格差が拡大しつつある社会のなかで機能している間接的な富の再分配手段と見なされる場合があります。この点で、慢性の痛みは弱者の武器、つまり経済的・社会的な状況を改善する手段として見ることができるのです。 (157-158)
其三十七疼痛「ペイン」★cf. Thomas Hawkes Tanner(外部リンク=Wikipedia)
[詐僞(偽)法]神經(神経)痛、僂麻質(リウマチ)痛及他ノ疼痛ヲ詐稱(詐称)スル者(者)鮮少(せんしょう=非常に少ないこと。※『大デジタル辞林』)ナラス而シテ其ノ●(※判別できず。以下判別できない文字は●)察ハ甚タ困難ナルモノナリ●ニ出奇(人物・風景・性質・程度などが)特別である、格別である、珍しい。※白水社『中国語辞典』)ノ一例アリ曾テ(かつて)一●(丐?)婦切ニ乳房ノ疼痛ヲ訴エテ以テ之カ切斷(断)ヲ乞ヒ其施術ヲ受ケシ後更ニ他ノ乳房ヲ截斷(截断=切断)センヿ(こと)ヲ請フテ止マス因テ(よって)又之ヲ切去セシニ婦又其一手ヲ截除( 切除。※日中韓辭典研究所『日中中日専門用語辞典』)センヿヲ請求セリ是ニ於テ始メテソノ詐僞ナルヲ了知セリト云フ又「ゼ、ゴールド、ヘデット、ケーン」ト題セル一書中ニ齒(歯)痛ヲ假裝(仮装)セシ抱腹ノ一奇談ヲ載スルアリ曰ク一日(ある日)彿國(仏国)ノ皇子其近臣ト對(対)話シ談偶マ(たまたま)俄羅欺(オロシア)ノ事ニ及ヒシトキ(※原文は合字)皇太子曰ク彼ノ國ニ一人ノ侫人(ねいじん=口先巧みにへつらう、心のよこしまな人。※『大デジタル辞林』)アリ我將バイロンノ凌辱ヲ受ルニ及ヒ彼●(罵?)テ曰ク咄爾(おれ=二人称の人代名詞。相手を卑しめていう。貴様。おのれ。※『大デジタル辞林』)ハ吾二齒ヲ損失セシ原因ナリト傍人其義如何ト問フ彼答テ曰ク曾テバイロンノ愛顧セル牙醫(歯科医。※日中韓辭典研究所『日中中日専門用語辞典』)ノ我國ニ來(来)リシトキ(※原文ハ合字)吾バイロンニ諂媚(てんび=こびへつらうこと。※『大デジタル辞林』)センカ爲メ(ため)故ラニ(ことさらに)齒痛ヲ稱シ之ヲ拔除(抜除)スルニ託シテソノ牙醫ヲ招待セリト
[診斷法]此患者ニ於テハ剴切(がいせつ=非常によく当てはまること。また、そのさま。※『大デジタル辞林』)ニ其演述ヲ聽(聴)キ細愼(慎)ニ其訴フル患部ヲ撿シ(けんする=とりしらべる。あらためる。※小学館『漢字辞典』)且陽ニ(ように=うわべでは。※『大デジタル辞林』)信憑シテ着實(実)ニ診察スヘシ如此ナルトキ(※原文ハ合字)ハ其言フ所縱令(たとい)不條理(不条理)ナルモ彼必ス或症候ノ現存スルヲ告クヘシ但眞實(真実)判然タラサル者ハ眞ノ疼痛トシテ之カ處(処)置を施スヘシ若シ疼痛劇甚(激甚)ニシテ且延滯(延滞)スル者ニ在テハ或重病ヲ搜索(捜索)シ得ヘシ凡テ(全て)劇甚ノ疼痛ヲ帶(帯)フル患者ハ健食熟睡スル能ハスシテ肌肉多少脫耗(脱耗。※中国語)セサルハナシ (四十一〜四十三) ※カッコ内補足は中井
第五 詐病に惡(悪)用せらるゝ(るる)病名及び症狀★cf. 器質性精神障害(外部リンク=脳科学辞典)=◆上田 敬太・村井 俊哉 20130524 「器質性精神障害」,『脳科学辞典』. DOI:10.14931/bsd.3716
病氣(気)の中には詐病に利用され易いものと、利用され難いものとがある。昔は醫學(医学)的智識が淺く(浅)、醫家と稱(称)せられた者(者)でも其診斷(断)が明確で無く、殊に科學的鑑定などと云ふことが絕(絶)無であつたから、詐病に用ひらるる病名及び症狀なども好い加減のものであつた。故に昔の記載を見ても癪(しゃく=胸や腹が急に痙攣 (けいれん) を起こして痛むこと。さしこみ ※デジタル大辞泉)だとか、 疝氣(せんき=漢方で、下腹部や睾丸 (こうがん) がはれて痛む病気の総称 ※デジタル大辞泉)だとか、風だとか、所勞(労)だとか、不快だとか云つたものが多い。或は單(単)に作病を構へたとか、虛(虚)病を使つたとか、云ふ樣(様)に槪(概)念的に書いて病名の無いものも多い。此間に於て割合に多いのは佯(よう=いつわる)病である。 作り阿呆、似せ氣違ひ、うつけ病、佯盲、僞(偽)唖、僞聾、作りどもり、僞せ馬鹿等々の名が往々にして散見される。
近來(来)は醫學の進步が著しく、病氣の數(数)も昔よりは多くなった。從つて(したがって)、詐病者に利用される病氣も廣(広)汎多數になつて來たが、其診斷鑑定が又明確になつて來たから之が發(発)見も中々多い。然しながら詐病者も科學的に硏究して詐病する樣になつて來たから、迂闊にして居ると容易に欺かれるものである。近代の作病者が好んで詐病に惡用する病名は、何れ本書の各論に於て簡單に略記するから、玆(ここ)には症狀の詐病に就て一言して置かう。
症狀の詐病
疾病の症狀としては單に自覺(覚)的のものと、他覺的變(変)化を伴ふものとがある。其の何れもが詐病せらるゝものであるが、殊に他覺的變化を伴はない自覺症狀は好んで詐病者から慣用される。醫家としては之が診斷は困難である。此の困難が詐病者の乘(乗)ずる所の附け目である。それだけ詐病するには好都(都)合であるわけである。
(一) 自覺的症狀の詐病
損傷治癒後に於ける該部の頭痛、異常感・牽引感・重壓(圧)感等々は往々訴へらるゝ所であり、頭部損傷後に於ける頭痛・眩暈・不眠・壓迫感・記憶力減退等々も詐病者の云い募る症狀である★。挫傷又は打撲後の不定痛・關節(関節)痛・瘢痕痛・神經(神経)痛又は僂麻質(リウマチ)性疼痛等も亦屢々(しばしば)訴へられる。最初は誇大的に大袈裟に訴へるが、云い分が通つて相當(当)の補償又は手當金が獲得さるれば直に治癒するを常とする。若し此の不純な目的が貫徹されない間は、何時までも其症狀の苦痛は永續(続)する。此の點(点)はよく慾望性神經痛と稱せられてゐる外傷性神經症に類似してゐる。又實(実)際外傷性神經症に於けるが如く、最初は不純な動機から誇大的に云つたのが、遂には固定觀念となり、實際病症の存續するやうに想像し、或は然う(そう)であると自信するやうなことがある。然うなると意志の力も弱り、判斷の力も鈍り、而も(しかも)甚だしく過敏性となり、輕(軽)易の業務にも從事不可能と思ひ込むやうになる。 (二四〜二五) ※カッコ内補足は中井
現在の分類の問題点は、認知症性疾患などを除いて、器質性精神障害は、内因性精神障害の分類に基づいて分類されていることにあるといえるだろう。つまり、明らかに脳に障害を生じている一群の疾患が、原因不明の精神障害に基づいて分類されているということである。このことは、一つには精神医学という医学の分野から、原因がはっきりするたびにそういった疾患が取り除かれてきた過程を思い出させて、興味深い。
(ほ) 自覺症狀(自覚症状)の確認★cf. アロディニア(外部リンク=脳科学辞典)=◆津田 誠・井上 和秀 20210623 「アロディニア」,『脳科学辞典』. DOI:10.14931/bsd.3875
自覺症狀の診斷(断)の際には、患者(者)の訴へが大きければ大きいだけ、虛僞(虚偽)若くは詐病の潛(潜)在することが多いものである。故に醫(医)家としては、『どんな仕事も出來(来)ないか』、『仕事によっては出來るか』を確めるの必要な事がある。尙ほ(なお)患者が自發(発)痛若くは壓(圧)痛を訴へるならば『此の如き微細な外傷で果して斯程(かほど)まで痛いものか』、『他覺的變化(変化)が聊(いささ)かも無くしてどうしてこれ程痛がるのか』等の點(点)を精(精)査しなければならぬ。
自發痛の診斷 、、、、、、 患者が自發痛のみを訴へ、他覺症狀の全く缺(欠)如して居る際には、能く受傷當(当)時の外力の働き具合、其の際に於ける患者の位置等を確かめ、更に脫(脱)衣させたり、着衣させたり、立たせたり、座らせたり、かゞませたり、握らせたり、種々の動作をさせて見て、其の疼痛の模樣(様)を銳敏(鋭敏)に監視(視)し、觀(観)察する。次に二ー三日臥床を命じ、次で步行させたり、或は輕(軽)易の仕事をさせたりする。其間監視の眼を放つてゐると、患者が油斷して詐病を暴露することがある。或は麻醉劑(麻酔剤)を注射したり、蒸留水を注射したり、兩(両)者を交互に注射したりして共反應(応)に注意すると、患者は容易に化けの皮を現はすこともある。
壓痛の診斷 、、、、、 他覺的變化が極徵であるか、或は絕(絶)無であるに關(関)せず、壓痛を訴ふる患者があつたら時を違へ、場所を違へ、又其强(強)さを違へて屢々(しばしば)壓迫を試みる。或は患者の注意力を他方に傾けさせつゝ之を檢(検)査して見る。若し壓痛部に觸(触)れぬうちに之を撥ねのけやうとしたり、單(単)に皮膚に觸れたのみであるのに、痛さうな樣子をするのは詐病である★。一體(体)に輕微な外傷後に、診察せんとする醤師の手を撥ねのけやうとするのは、多くの詐病者の慣用手段だと云はれてゐる。醫師の最初の診斷を困難にさせ、其思想を多少混亂(乱)させて、醫師をして『重い外傷だ』と思ひ込ませるためである。 不馴れの醫師は之により欺かれるが、經驗(経験)ある醫師は容易に其の手に乘(乗)らないものである。私が後に記述󠄁(※原文は旧字)するヨセフ・プツチヤーと云ふ保險魔は、此のトリックを用いて曾て(かつて)一度も受傷部に醫師の手を觸れさせずに、脊柱骨折の診斷の下に入院治療を長く續(続)けてゐたのであった。 (一二二〜一二四) ※カッコ内補足は中井
通常では痛みを引き起こさないような非侵害刺激(接触や軽度の圧迫、非侵害的な温冷刺激など)で痛みを生じてしまう感覚異常のこと。
……痛みについてはまだほとんどわかっていないにもかかわらず、病気を認定する人としての医師が登場してからは、このようなもっとも根元的な感覚までも、医師の許しがなければ感じてはならないものになってしまった。痛みを感じるためには、医師の許可が必要なのである。
許されない痛みでは、私自身長い間、苦労してきたが、そのような闘病生活の中でおもしろい経験をした。開腹手術をすると、当然、からだの中に空気が入る。切開した部分を縫合すると、普通の人では、からだの中の空気は皮膚を通してひと晩で外へ出てしまうから問題ないが、一〇〇人にひとりくらいの割で、空気の出の悪い人がいるという。
たまたま私はその一〇〇人にひとりの例外にあたる。開腹手術をすると、一週間くらい空気 が体内にとどまってからだの中を駆けめぐるので、からだを起こすと空気がいろいろなところを突き上げてたいへん痛む。 最初に手術を受けて起きられるようになったときに、医師に痛みを訴えると、すぐにレントゲン写真を取って、空気がたくさん残っているので、無理に起きなくてもよいといわれた。
ところが、別の病院で開腹手術を受けたときには、おなじことを訴えても、「そんなはずはありません」のひと言でかたずけられてしまった。明らかに、担当の医師と看護婦の知識不足で あると思われるが、この病院では、それは「許されない痛み」なのであった。 (39-40)