Kleinman, Arthur
アーサー・クラインマン
■著作
◇Kleinman, Arthur 1980 Patients and Healers in the Context of Culture,University of California Press(=1992, 大橋英寿・遠山宜哉・作道信介・川村邦光 訳『臨床人類学――文化のなかの病者と治療者』弘文堂).
◇Kleinman, Arthur 1986 Social origins of distress and disease : depression, neurasthenia, and pain in modern China,Yale University Press.
◇Kleinman, Arthur 1988 The Illness Narratives : Suffering, Healing, and the Human Condition,Basic Books(=19960425, 江口重幸・五木田紳・上野豪 訳『病いの語り――慢性の病いをめぐる臨床人類学』誠信書房).
◇Becker, Joseph and Kleinman, Arthur 1991 PSYCHOSOCIAL ASPECTS OF DEPRESSION,L. Erlbaum Associates.
◇Arthur Kleinman, Veena Das, Margaret M. Lock eds. 1997 Social Suffering, Berkeley: University of California Press ISBN-10: 0520209958 ISBN-13: 978-0520209954 [amazon] ※
◇Nie, Jing-Bao and Kleinman, Arthur 2005 Behind the silence : Chinese voices on abortion,Rowman & Littlefield Publishers.
◇Biehl, Joao, Guilherme and Good, Byron and Kleinman, Arthur 2007 Subjectivity : ethnographic investigations,University of California Press.
■言及
◆Foster, George M & Barbara G Anderson, 1978, Medical Anthropology, New York: John Wiley & Sons Inc(=19870120, 中川米造監訳『医療人類学』リブロポート).
(2) クレインマンは最近民間療法の有効性を評価する、より精確な方法を要求している。「今までのところ、医療人類学の研究はこの質問に体系的に答えることなしに、土着の癒しの体系は効果があると仮定してきた。臨床主導型の研究が示すように、『どのシンボルが癒すのか』といった質問からはこれから先、ほとんど何も得られないだろうし、治療行為の精神的、社会身体的な特定のメカニズムを調べ、適当な対照群を用いる研究が本質的になるであろう」(Kleinman 1977 : 13)。
◆Frank, Arthur W., 1995, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, Chicago: University of Chicago Press(=2002, 鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』ゆみる出版).
(pp49-51)
身体が生み落とす言葉の中に身体を聴き取ることは決して容易な課題ではない。近年、身体はさかんに社会科学の主題として取り上げられるようになってきたが、身体を記述された物へと還元することを回避しうるような、満足のいく方策が見いだされてきたわけではない。アーサー・クラインマンとジョアン・クラインマンは、社会科学が「身体の文化的形式が何を意味しているのか、そしてなぜその表象は時代ごと民族ごとに異なるのか」という点に関心を限定してきたことに批判を加えている。身体はさまざまな文化の中に存在する研究対象となり、そのひとつひとつについて新しい文化的構成物が記述されていく。こうした記述は、身体と文化との複雑な相互的関係、クラインマンが折り込み(infolding)と送りだし(outfolding)と呼ぶものを見落としてしまう(*1)。
自らの研究領域に言及しながら、クラインマンたちは、身体の研究者が何を心得ておかなければならないのかを述べている。「文化がいかに身体へと折り込まれているのか(かつ、反対に身体過程がいかに社会空間へと送りだされているのか)を検討することのできない、もしくは検討する気のない医療人類学には、病いの社会政治的起源や癒しの文化的資源の概念化や経験的研究において、あまり大したことを望めそうにない(訳注1)」と。
この問題に対して、クラインマンたちが自ら示した回答は、医学的諸症状を言語として呼び起こすことであった。彼らは現代中国における経験的分析の中でさまざまな症状を取り上げ、第二次大戦以前の度重なる革命から天安門事件にいたるまでの半世紀にわたる外傷の影響を、身体がいかに記録してきたのかを読み取っていく。彼らは書いている。「社会的な苦しみの諸症状[=徴候]、そしてそれらの被った変容は、それ自体生きられた経験の文化的諸形態なのである。それらは生きられた記憶である。(諸症状は)社会制度と身体―自己(body-self)を架橋するものである」。身体的諸症状は、文化的外傷の身体への折り込みである。その身体が生き続け、歴史を作り続けることによって、それらの症状は歴史の社会空間へと送りだされていく。クラインマンたちは、身体と文化と生活の絡まり合いについて最も洗練された分析例のひとつを示している。そして、身体の語りを聴き取ろうとする彼らの努力の限界は、私自身のそれをも含めて、この種の試みが個々に格闘しなければならないジレンマの所在を示している。
身体の話す言葉を聴き取るために、クラインマンたちは、症状という言語の中に身体を表出させねばならなかった。しかし、身体の記述媒体として見た時、症状という言語は平易なものではない。第一章で示したように、その言語は身体に対して、それ自身の「一般的で統一的な視点」を押しつける。しかし、この言語は他の言語と対等のものでしかない。身体が生み落とす言葉は、常にそれ自らを身体の上に押しつける。したがって、その物語を通して「身体過程がいかに送りだされるか」、さらにはその物語の中でいかに「文化が身体に折り込まれるか」を示すために、私が今いかなる言語を病む身体に押しつけようとしているのかが問われなければならない。
私は、クラインマンたちが「身体―自己」と呼ぶ身体化された存在として、私たちがいかに行為しうるのかに関して、いくつかの基本的な問いを立てるところから始めようと思う。病いを患っている間、それまでも常に身体であった人々は、さらに身体であり続けるという課題、とりわけそれまでと同じ種類の身体であり続けるという特別な課題を担うことになる。病いを患うことによって、身体にはまったく新しい課題が課せられるわけではない。身体であるということは、常に何らかの問題を伴うものであるからだ。しかし病いは、その一般的な問題に、新たな、より自覚的な解決を要求する。既出の論考の中で、私は身体に関する四つの一般的問題を提示したことがある。統制(control)、身体とのかかわり(body-relatedness)、他者とのかかわり(other-relatedness)、および欲望(desire)がそれである(*2)。これらの問題は、本章の残りの部分で細かく検討するが、あくまでも一般的な身体問題である。誰もが、それぞれのやり方で、それぞれの生活の中で、これらの問題を解決しようと―最終的には「解消」しきれないのだとしても―してきたのである。
(*1)Arthur Kleinman and Joan Kleinman, "How Bodies Remember: Social Memory and Bodily Experience of Criticism, Resistance, and Delegitimation Following China's Cultural Revolution," New Literary History 25 (1994): 710-11.
(pp232-233)
キャッセルの示した苦しみの三つの条件に、第四、第五の条件をつけ加えることができる。抵抗が、その第四の条件である。クラインマンは、苦しみとは「生きられた経験の流れに対する(日常的もしくは急変的な)抵抗の過程の帰結である」と書く。苦しむためには、人は脅威を認知するだけでなく、その脅威に抵抗しなければならない。脅威の認知は、それだけでも生きられた経験の流れを遮ってしまうのであるから、すでに弱い形での抵抗となっている。しかし、クラインマンによる抵抗の強調は、キャッセルが示した以上の積極的抵抗について問いを投げかける。物語を語ることは抵抗の一形態である。物語の中で、経験の流れについて反省が加えられ、その新たな方向づけがなされていく。自己物語を通じての抵抗は、身体―自己の再生へとつながるのである。
苦しみの五つ目の条件は、その社会的性格にある。これまでの4点はすべて、苦しみを個人的なもの、身体―自己の内側で生じるものとして描いてきた。しかし、クラインマンはさらに、苦しみとは、「人間の条件の実存的普遍であると同時に生活の中での実践の一形態であり、したがってそれぞれに個別的な世界(distinctive local worlds)の中で多分に文化的に作りこまれていく新たな経験でもある」のだと論じる(*2)。私が本書の第一章で述べたように、人々はただ個人的な物語を語るばかりなのであるが、それらの物語を自分一人で作り上げていくわけではないし、それを自分一人に向けて語るわけでもない。クラインマンの表現によれば、身体と自己は文化的に練り上げられていくのである。
(p234)
苦しみの物語は二つの側面を持つ。そのひとつの面は、キャッセルの強調するように、崩壊の脅威を表現するものである。混沌の語りはこの脅威によって圧倒されている。崩壊が語り手をとりまく現実そのものとなる。もうひとつの側面は、クラインマンが抵抗を強調したところに現われているように、身体―自己の新たな統合を追求するものである。探求の語りは、かつての無傷の状態が、新しい何かを準備するために奪い取られねばならないことを認めている。探求の物語は、苦しみの中からやがて現われてくるであろうものへの信頼を映しだしている。
(*2)Arthur Kleinman, "Pain and Resistance: The Delegitimation and Relegitimation of Local Worlds," in Good et al., eds., Pain as Human Experience, 174 (第五章、原注14参照)。
◆鈴木智之, 20020215, 「訳注」Frank, Arthur W., 1995, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, Chicago: University of Chicago Press(=20020215, 鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』ゆみる出版).
(p256)
(訳注1)A・クラインマン&J・クラインマン
infoldingとは、文字通り外的=社会的なるものを身体が「折り込む」ようにして内在化させていくこと。逆にoutfoldingは、その折りたたまれたものを「外に開いて」送りだしていくことであろう。A・クラインマンとJ・クラインマンによれば、社会的な経験のプロセスとは、もとより社会制度と身体 自己とをつなぐ相互作用の媒体である。したがって身体は、単純に社会・政治的な出来事の影響を受けるばかりでなく、その出来事を構築するひとつの基軸をなし、その出来事を記憶するとともに、過ぎ去った経験の意味を再度賦活させて、社会空間に送り返す働きをする。その際、社会と身体との結節点をなすものが、もろもろの「症状」である。例えば、1980年代にクラインマンらが中国で行った調査においては、慢性の痛み、不眠、疲労、目まいなどの身体症状や、悲嘆、不安、怒りといった精神状態を伴う「神経衰弱」の物語の語り直しが、「社会的な記憶を呼び起こし」、その症状の起源と見なされる「文化大革命やより広い政治過程」に対する間接的な批判として機能する。政治的な状況が心身の不調の原因となるばかりでなく、それらの症状は、その出来事の身体化された記憶として現在も生き直されているのである。(A. Kleinman & J. Kleinman, How Bodies Remember: Social Memory and Bodily Experience of Criticism, Resistance, and Delegitimation Following China's Cultural Revolution, New Literary History, 1994)
◆池田光穂, 19991030, 「世界医療システム」進藤雄三・黒田浩一郎編《医療社会学を学ぶ人のために》世界思想社:237-257.
(pp246-247)
医療社会学者は病人の個々人の体験がどのような形で社会的なものになるのかについて細心の注意を払ってきた。それが、文化や社会集団の差異にもとづく可能性があるものであれば、その研究テーマは、社会科学の問題構成において共通点を持ちうる重要な課題となる。それらの分析のためにいくつかの概念区分を設けてきた。たとえば、個人ないしはその文化に属する人びとが感じる「病い」(illness)と、近代医療が定義する「疾患」(disease)の区分がそれである。
病いと疾患の二分法が認識論的に問題をはらんだ用法であることは、その提唱当時から指摘されてきた(A. Young,“The Anthropology of Illness and Sickness,”Annual Review of Anthropology, Vol. 12, 1982)。しかし、ここでは、それがもたらした社会的効果のほうに注目しよう。二つの疾病の概念が相互に独立なものとして、病気の社会的・文化的定義と臨床的定義の二種類に分類が固定されて、その間の相互関係についての考察が省みられなかったことである。
医療人類学者は、研究対象とする人たちが持つ病いの文化的パターンを強調し、それを特権化しようとする傾向が強い(A. Kleinman, Writing at the Margin, University of California Press, 1995, pp.100-101)。このような研究傾向はなにを生んだのだろうか。その答えは、疾患の専門家としての医療者と病いの専門家としての社会学(人類学者)の間の分業を生み、そして、両者を架橋する研究の不在を生んだということだ。この境界ゆえに、医療社会学者は「医療における社会学」(Sociology in Medicine)と「医療を対象とする社会学」(Sociology of Medicine)の区別をわざわざ断らねばならない。
◆額賀淑郎, 200703, 「新遺伝学・生命倫理・実証的アプローチ」山中浩司・額賀淑郎編《遺伝子研究と社会――生命倫理の実証的アプローチ》昭和堂.
(pp.x-x)
(「2 生命倫理の実証的アプローチ」
1990年代後半になると、歴史学や社会学の立場から、生命倫理を実証的に分析する単行本が出版された。1998年に、生命倫理学者のアルバート・ジョンセンは『生命倫理の誕生』を出版し、自己の経験に踏まえた生命倫理の歴史を分析した。その中で、学問体系としての生命倫理は、一貫した理論と方法論を必要とするが、依然として方法論は十分に確立していないことを指摘した。また、『生命倫理と社会』(DeVries and Subedi eds. 1998)において、社会学者たちは、生命倫理と社会学の関係を議論した論文を集めた。たとえば、チャールズ・ボスクとジョエル・フレイダーは、倫理コンサルテーションをブラックボックスとみなし、倫理コンサルテーションに関する社会学的な研究の必要性を示した(Bosk and Frader 1998)。レイモンド・ディブリス と ピーター・コンラッド(DeVries and Conrad 1998)は、生命倫理に「社会学的想像」(Mills 1959)を導入する必要性を論じた。また、同時期に、医療倫理学などの学術誌においても、実証的研究が増え始めた。たとえば、医療倫理学誌(Journal of Medical Ethics)において、実証的研究による投稿論文のためのガイドラインが作成されたことは大きな変化といえるだろう。さらに、米国のデダルス誌(Daedalus)において、生命倫理と社会科学の関係に関する特集が組まれた。その中で、医療人類学者のアーサー・クラインマン(1998)は、エスノグラフィーという方法論の限界を指摘しつつも、生活世界の道徳性を記述できる利点を示した。
(pp.x-x)
(「3 実証的アプローチの方向性」、「文化的生命倫理(cultural bioethics)」)
文化的生命倫理とは、比較文化の視点に基づく生命倫理のアプローチを意味する。このアプローチは、先に指摘したように、フォックスらにより始まったものだが、1990年代には、医療人類学者が多元的な文化論の立場から論じるようになった。たとえば、クラインマンは、「生命倫理の人類学(anthropology of bioethics)」を提唱し(Kleinman 1995)、批判的な立場で文化的多様性を考察することの重要性を指摘した。また、バーバラ・ケーニグらが人類学的な手法を生命倫理の実証的なアプローチとして導入してきた(Koenig and Marshall 2003)。文化的生命倫理が発達してきた背景には、世界的なグローバリゼーションと同時に、EUのような地域統合の動きがあげられる。今後、米国中心の生命倫理だけでなく、欧州生命倫理やアジア生命倫理(Macer ed. 2004)などがおきる可能性を示唆している。
Kleinman, A., 1995, “Anthropology of Bioethics,” Reich, W. ed., Encyclopedia of Bioethics, 2nd edition, New York: Macmillan Reference.
Kleinman, A., 1998, “Moral Experience and Ethical Reflection: Can Ethnography Reconcile Them? A Quandary for ‘The New Bioethicsユ,” Daedalus, 126(4): 69-97.