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難病


立岩 真也 2021  天田城介・樫田美雄編『社会学――医療・看護・介護・リハビリテーションを学ぶ人たちへ』(仮題),ミネルヴァ書房

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◆関連項目

名づけ認め分かり語る…
なおすこと

「難病」/◇「難病」:定義/◇「難病」:歴史
「難病」支援者と障害者運動・政策との接点のなさについて

 ※諸般鑑み以下しばらく掲載しておきますが本出たらおろします。本の情報出たらお知らせします。買ってください。

 ■薄幸の美少女がという難病もあるが
 ■難病という仕掛けの歴史
 ■それは困難をももたらした、そこで
 ■あらためて医学・医療の位置
 ■どのように認められないものを認めさせるか
 ■どんな民間の活動が何をできるか


薄幸の美少女がという難病もあるが
 難病はまず「やっかいな病」といったぐらいの日常語だ。すこし本を集めていくと、一九七〇年代、『父ちゃんのポーが聞こえる――則子・その愛と死』(ハンチントン病)『瞳に涙が光っていたら――クリーゼとたたかう青春の詩』(重症筋無力症)、『母さんより早く死にたい――愛の詩』(重症筋無力症)等々といった本が出ている(すぐ後で紹介する九五冊のリストにある最初の三冊)。これは本人や家族の手記ものだが、同時期、薄命の(美)少女の話が少女漫画等に、そしてテレビドラマや映画に描かれる。そういう難病のイメージがある。その伝統は今も続いてるだろう。
 最もやっかいな病は普通なら癌だろうし、実際、しぬほどたくさん出ている「難病を克服する」方法を説くたいがいは怪しげな本では癌は難病の中に入れられている。ただ、美少女もの〜難病という系列では、胃癌等だと普通な感じで、すこし違う。骨肉腫だの白血病ということになると難病っぽい感じがする。
 そして、これから書いていく制度の流れとたしかに関係して、難病には、聞いたことのない難しい名前のものを含め、数少ない人のかかる珍しい病というイメージもある。そのおのおののがどんなものであって、それがどんな生活上の困難その他をもたらしているのかということがある。これまで関心をもたれることが少なかったから、一つひとつもっとわかった方がよいということはあるだろう。そうした必要に沿うものとして『難病カルテ――患者たちのいま』(蒔田 2014)といった本もある。それを読むのもよいだろう。そして私は、筋ジストロフィーの人たちに関わる歴史を主に記述した『病者障害者の戦後』(立岩 2018b)で、その本の末尾にその人たちや関係者の本を九五冊列挙した。また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の本人が書いたたくさんの本を取り上げた『ALS』(立岩 2004)の後に出た本を三五冊、そしてそれ以外に七七冊の「難病本」をあげた。本は二〇一八年に出ているから、その後に出たものを別途知らせる必要もある。
 そして私たちのサイトには六九種類の「難病」の頁がある(http://www.arsvi.com/d/n02.htm)。そのサイトの表紙(http://www.arsvi.com/〜「生存学」で検索)にも「難病」という項目がある。「生存学 難病」で検索してもらってもよい。現在その更新の作業は停滞しているのだが、情報を提供してくれれば、それはほぼ必ず掲載していく。収集や整理の作業をやってみたいという人も歓迎だ。そのサイトを運営している研究所では、医学の専門書ではない様々な本や資料を集めて、書庫に並べて、同じHPにそのリストをいろいろと載せるということをずっとやってきている。今あげた約二〇〇冊もその一部だ。
 こうして、このような言葉の使い方の流れもあるとか、こんな病気・障害もあるとか、そんな話もできるかもしれないのだが、これから書くのは、それとは少し違う話だ。
 この言葉は、業界用語として、政治の言葉としてある。社会的支援がこれまでなされていなかったが、それをなさねばという気持ちのもとと、具体的に政府のお金を出させる対象として「難病」が現れた――以下面倒なので多くの場合「」を外す 。そして、それを主導した一つは医療の側であり、そのお金を出させる根拠を研究に置いた。それは、この国に特殊なことでもあるが、それだけとは言えない。医学・医療への偏りは、ある程度この近代の社会によくあることでもある。それに偶然的な要因も加わって、この国の今の状態を作ったのだ。そのように捉えられることを言う。そして、その結果よくないことも起こってきた。その事情がわかると、ではどうしたらよいかも言える。なのでそれを言う。以上を述べる。
 ただ、専門に研究しているわけではない私には確認できていない部分がある。おおまかな構図だけを示す。それでも、以下すこしややこしいことを書かざるをえないが、仕方がない。さきに記したサイトにこの章についての頁を作って、関心するページ(ファイル)をリンクさせておくから、分量の制約ゆえどうしても詳しくは書けない部分はそれで補っていただきたい。同じ理由で、不遜にもあげる文献はほぼ筆者のものだけになる。

難病という仕掛けの歴史
 難病が制度のなかに登場するのは一九七〇年代の初めだが、話はそれよりは前から、一九六〇年代の半ばには始まっている。身体の状態に関わり、そのときどきの制度では対応できず、なんとかしてほしいと思う人たちがいる。それは本人だったり家族だったりする。そして、社会問題に関心のある人たち、この時期には医療者たちが、その困難な人たちに目を向け、支援し、なんとかしてくれと政治に訴えた。
 私が調べて書いたのは、筋ジストロフィーのことだ。一九六〇年代前半、子と自らの窮状を訴える親たちの組織ができ、それに同情した医療者たちもいた。親たちは国会に陳情に行き、新聞が報道し、政治家が約束し、一九六五年に政策対応が始まる。結核の人たちをたくさん受け入れ、その人たちの入居が減っていった国立療養所が受け入れた。そこは病院であり、その長は医師・医学者だった。受け入れの理由も研究と治療ということであり、その医師たちが研究班を作り、厚生省(現在は厚生労働省)がその研究班に研究費を支給するという仕組みができた。私は、これが一九七〇年代以降の日本の「難病体制」の「型」を作ったのではないかと思う。医療者主導の研究・治療という枠組みが作られ、お金が施設収容の費用に行くという部分は後の他のものと同じではないが、その枠組みのもとでのいくらかの生活援助という仕組みの原型がここに現れた。ちなみに筋ジストロフィーは、後の基準からは、また私たちの語感からも難病ということになるだろうが、この時に制度が作られたから、七〇年代の難病には入っていない。こんな具合に言葉は使われてきた。もう現役の官僚などはそうしたいきさつをほぼ知らないはずだ。
 そして、その少し後、大きな役割を果たした一つは「薬害スモン」だった。これはキノホルムという薬品による健康被害だったのだが、しばらくは原因がわからなかった。生活の困難があり、「奇病」とされ、伝染病であるとの説もあり差別もあった。薬害にも今は難病というイメージはないかもしれないが、難病看護の創始者の一人である川村佐和子はスモンについて難病という語を意識的に使い始めたのが六九年だったと後で述べている。次に記す七二年の制度のもとでの難病に薬害スモンは入っている。一つの挿話として、難病の原因究明を求める集会が開催されたのはキノホルム説が現れたの七〇年八月の直前で、まだ原因不明だったその時機ゆえその集会が盛り上がったということもあったようだ。
 そして薬害スモンは「神経」に作用しているというということで、医学者では神経内科の人たちが研究し発言した。薬害スモン(と新潟水俣病)の原因を発見したのは椿忠雄という人だったが、この人はまた日本ALS協会の立ち上げにも関わり、長く「恩人」のように扱われる人だった。こうして「神経難病」という範疇が前面に出て、研究施設・病院、そこを拠点にした医師や看護師たちがいて、そこから「難病看護学会」といった学会も生まれ、そしてその学会は続いている。そこに関わっている直系の弟子たちは川村らその創始者たちから、創成期の苦難と栄光について聞いたことはあるにしても、社会のなかでの「位置」についてあまり考えることはないのではないか。そういうことを調べたり考えたりする意味はあって、そんな仕事をする(はずである)ところに社会学の意義もある。
 以上とどこまで直接的な関係があるのか私にはよくわからないのだが、「ベーチェット病患者を救う医師の会」が「「難病対策救済基本法」試案」を作成し、それが一九七一年二月二〇日の『朝日新聞』朝刊に掲載された。難病とその政策の歴史についての数少ない研究書――ほとんど唯一、衛藤幹子の著作(衛藤 1993)が貴重な書籍としてある――そして研究論文(たいへん少ない)では、これが難病という言葉を一般化させたきっかけだとされている。
 そして同年一〇月、厚生省から「難病対策要綱」が発表される。そこでは難病は、「@原因不明、治療方法未確立であり、かつ後遺症を残すおそれの少なくない疾病。A経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず、介護等に著しく人手を要するため、家族の負担が重く、又精神的にも負担の大きい疾病。」ということになった。また、「ねたきり老人、がんなど、すでに別個の対策の体系が存するものについては、この対策から、除外する」とされた。(まだ)なおせないというおもには医学的な規定と、生活の困難に対応しようという気持ちと、大きくは二つが列挙されており、普通には両方の要件を満たしたものが難病だということになるだろう(より詳しくは紹介したHPの頁を参照のこと)。
 他方、民間の動きとしては、翌七二年四月に「全国難病団体連絡協議会(全難連)」が結成されている。そこには「全国腎臓病患者連絡協議会(全腎協)」などが加盟している。腎臓病は、たしかになおらないというものではあるのだが、やはり、今の難病のイメージからは少し不思議だ。それは希少なものではない。しかし、今でも地方の難病連絡協議会といった組織には腎臓病の人たちの団体が加盟していることがある(葛城 2019)。腎臓病の人は何十万といて、今から考えるとこれも不思議に思えるが、その人たちとその組織は、困難を自覚し、それを社会に訴えていくことにした。困難な病を抱える人たちの組織として、他の困難を抱える人たちとともに訴えた。人工透析にたいへんお金がかかり、金がなくなって死んでしまう人もいたのである。それで公費負担を求める運動があった(有吉 2013)。ちなみに、実質的な公費負担は障害者福祉の制度を使ってわりあい早くに実現し、そのこともあって、腎臓病は難病という制度からは外れることになった。ちなみに、この時期、今は難病には括られないものを難病に含めて発言・運動したのは民間団体に限らない。例えば、当時の社会問題について発言し政策に関わった白木博次という医学者は「重症心身障害児(重心)」も難病の人に含めて発言している。
 こうして「制度としての難病」は、研究の対象としての難病であるとともに、というよりはその医療・研究という枠組みでのもとで、生活を(生活も)改善しようというものだ。研究は金を出させる名目のようなものでもありつつ、しかしその実質においても医療・研究という条件・制約がかかることになった。「特定疾患治療研究事業対象疾患」(のちにこの辺の名称は幾度か変更される)に指定されることによって、「研究事業」のもとで医療費の軽減などが行なわれてきた。また原因・治療法の解明を求めるとともに、生活上の困難の軽減、医療費負担軽減策を求めた人たちが「特定疾患」への認定を求めてきた。
 その後のことはやはりHPの「難病:歴史」の年表等を見てもらいたい。おおまかには七二年の枠組みのもとで、名称をときどき変えながら、制度の対象とするその数をだんだんと増やしていったということになる。細かいことでもあり、列挙すると煩雑でもある。いま紹介したHPの年表等を見ていただきたい。比較的に大きなこととしては、二〇一四年、「難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)」が成立している。その法律で言う「指定難病」の数はかなり増えて、翌年にかけて三〇六が指定された。この指定難病は、条文には明記されていないことも含めると、「発病の機構が明らかでない」、「治療方法が確立していない」、「長期の療養を必要とする」、「患者数が人口の〇・一%程度に達しない」、「客観的な診断基準等が確立している」の五要件を満たすことが必要だとされた。数はかなり増えたが、おおまかには一九七〇年代初頭に始まったものを引き継いでいるということだ。

それは困難をももたらした、そこで
 この体制をどう見て、どのように評価するのか。
 筋ジストロフィーでもALSでもよいのだが、それらは難「病」と言われるとともに、(最)重度の障害ともいわれる。これはどういうことになっているのだろう。まず、「病」と「障害」とはどのようにして使い分けられているのだろう。言葉の意味するものは、時によって人によって場合によってかなり異なるし、曖昧でもある。だから正解というものはない。そのことはわかったうえで、そう大きく外れていないだろうというところを幾度か書いて、『不如意の身体』(立岩 2018a)にまとめた。
 病は、「苦しみ」そして「死に向かうもの」である。他方の障害は、基本的には「できない」ことであるが、加えて実際には、姿形が「異なる」ことがかなり大きな契機としてある。さらに、病・障害という言葉自体の意味ではないのだが、感染そしてさらに犯罪につながるとされる「加害」が社会的には問題にされてきた。
 ただ直接に身体をなおす仕事、とくに侵襲的な行為を行ってよいとされる人として医療者・医師がいる。つまり、病に応ずる医療者は、できない状態をできる状態にする(ことを期待される)人でもある。同じ人たちが病と障害の両方の人たちに関わることがある。これも両者の境界がはっきりしないことに関わるだろう。
 そのように整理してみると、多くの場合には、両方の契機がある。病人か障害者か、というふうに周囲の人たちのみならず本人たちも思ってしまうところがある。しかしこれはすこしでも考えれば間違っている。病人かつ障害者、ということがたくさんある。とくに「難病」の場合には両方にまたがっていることが多いことがわかる。あるいはむしろ、障害の要素の方が大きいことがある。そしてこれは難病が現れてきた事情からも不思議ではない。その生活の困難さが問題にされた。そしてなおらない。なおらずに死んでしまう病もあるが、その状態が続く。その状態の大きな部分は「できない」ことだ。
 例えば、私はその人たちについての本『ALS』(前出)を書いたことがあるのだが、「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」はそういう状態だ。ALS自体は、呼吸を人工呼吸器によって補うといったことが必要になるが、死をもたらすものではない。動かないことによる身体の苦痛を軽減するのも、身体の位置を微妙に変えるといったことで対応がなされる。身体が動かなくなり、自分の身体によっては様々なことができなくなる。そして、その人たちのために医療(者)ができることは多くはない。つまり、今のところ、できないことをなおすことはできない。それを補うのは、人による介護(介助)ということになる。
 こうして、なおせないという条件のもとでだが、「障害」という部分のほうがずっと大きい。他にもそうした「難病」はたくさんある。
 しかし、その「難病」は先に述べたように、医療、医学研究を理由に金を出すことが先行した。実質的には生活のためのお金なのだが、「建前」としては、研究のためにということになってきた。そこで、うまくはまらないこと、使い勝手がわるいということになる。実質的に生活のために使えるのであれば、お金はなんのためにも使えるからその限りでは困らないとは言える。しかし、それは生活するのに十分に支給される場合だ。そんなことにはまったくなっていない。
 次に人について。医療者たちは(できないことも含め)なおすことが仕事の人たちだから、なおらない人に関心をあまりもたないし、実際にできることも少ない。できることが少ないから関心をもたないということにもなる。とすると、本人たちに主に対応することのできる人は医療者ではないということになる。
 それでも、一九六〇年代から七〇年代に関わったのは、さきに述べたようにもう少し熱心な人たちだった。その人たちは、たんなる技術者・科学者というよりは困難を抱える人たちに同情的な「社会派」の人たちだった。今よりは人の生活に関心を向ける医療者・看護者たちがいたということであり、それはまずはよいことだと言えようが、ことはそう単純でない。一人ひとりの思想や行ない、行なったこと行なわなかったことを,『病者障害者の戦後』で述べた。その一人ひとりが同じでない。ただ、その後のより普通な医療者も含め、それらの人たちは、病気を(実現はしなくとも)「なおすこと」を仕事にしている人であり、それ以外のことが仕事としてできるわけではない。しかしその医療の場に人が囲われることになった。そして、そのままだいぶ長い時間が経ってしまった。
 すると、いちばんわかりやすくは、障害の部分への対応が欠落してしまう。もっとわかりやすくは介助を得ることができない。看護の人たちは在宅看護で対応するのだと主張したが、実際には一回三〇分とかせいぜい一時間程度の訪問によっては長い時間の対応はできない。それを拡大する現実的な展望もない。そうした状態が続くことによって、家族が長い時間介助(介護)するか、そうでなければ早めに死んでしまうかということになった。
 とすると、対処するべきその場所を間違っているかもしれないということだ。対処するべきことの大きな部分は、「できないこと」である。しかし、医療はそういうことに対応する仕事ではない。身体を「できる」ようにすることはあるが、いつもそうはうまくいかない。日本の制度では「障害」はその状態が固定された場合に認定されるものだから、その時点で、なおすためにできることはないか少ないというということになる。すると「できない」ことを前提にした対応が必要なのだが、「難病という仕組み」は、むしろその可能性から人を引き離すものとして作用したということだ。これは、ここまで見たように日本に起こった特殊なできごとではある。しかし、医療によって対応しよういう流れ、そして補うことについては手を抜こうという動き・考えは世界中にあってきたし、今もある。その意味では、医療の優位とそれに伴う生活の困難という構造の日本的なかたちであると捉えるのがよいだろう。
 その状態がずいぶん長く続いてきた。しかしそれでは生きたい人は困る。他方に、同じ一九七〇年代以降、介助(介護)の制度を作らせ広げ使ってきた人たちがいた。その人たちは、医療者とは仲良くはなれないという人たちだった。なかにはなおすためのことをいろいろされたのだが、痛いばかりでよいことはなかったという人たちもいた。医療から離れて、人・社会の力・お金を使って暮らそうということになる。その恨みがあり、敵意をもつこともあり、「自分たちは病人ではない、障害者だ」と主張した。これはいくらかは誇張している。もちろん医療も必要な時には使ってきた。ただ、例えば脳性まひであれば、その障害自体について医療がすることはたいへん少ない。にもかかわらずなされた手術やリハビリテーションは無効である以上に苦痛を与え、かえって身体によくないことがあった。
 こうして、二つの別の流れがあった。互いが単純に知らないということもあったし、知らないから警戒していたこともあるかもしれない。それで、壁のある状態は続いた。
 しかし、仕事をする人はそれですんでいるとしても、暮らしていこうという人はそれではすまない。そのままだと死んでしまう。その人たちは、「難病」の医療・看護・政策と別に活動してきた人たち、「障害者」のやり方を学び、その人たちが関わった制度を使って暮らすことになった。そうして壁がすこしずつ低くなってきた。私もまた、壁があるのはよくないと思って、必要なものは使えるようになった方がよいと思って、『ALS』を書き、そしてこんど手にとりやすい易しい本として『介助の仕事』(立岩 2020)を書いたのでもある。

あらためて医学・医療の位置
 枠組みとしては同じ枠組みのもとで、「指定難病」の数は増えてきた。しかし、一つずつ認めていくのではまにあわないということはずっと言われてきた。それはいろいろな種類の難病の組織、そうした組織の連合会においても言われてきたことだ。残ったものを拾っていっても、結局「谷間」は残る、だから、そのようなやり方と違うやり方にするべきだと、と言ってきた。ただその同じ組織が、この枠組みのもとで数を増やす流れに乗ってきたのでもある。どうしたものか。すぐに実現するかどうかはともかく、いや実現させるために力を尽くすためにも、どのような方角を向くのかをはっきりさせた方がよい。
 まず誤解はないと思うが、本人にとって益の方が大きいならなおすことは否定されなない。そのために原因究明が必要なことはあるだろう。原因を知ること自体が目的なのではなく、治療法・対処法を知ることが必要であり、そのために機序がわかるとよいということだ。
 ただ一つ、なおるようになる可能性があるとされるところにお金が集中してしまうことには注意しておいた方がよい。『ALS』にも書いたのだが、原因究明と治療法の開発が必要だとされ、それはすぐにも可能だといったことが言われ、言われ続け、その後ずいぶんな時間が経ったが、残念ながらさほど大きな進展はなかった。筋ジストロフィーについても、その前、一九六〇年代に研究が始まり、それは施策の始まりでもあったのだが、同様な状態が続いている。このことは『病者障害者の戦後』に記した。
 その可能性がないと言っているのではない。そのうちなんとかなってほしいし、その可能性はあると思う。しかし、ならば二つ以上を同時に進めるべきである。すくなくとも、当座暮らすためには、障害に対する対応が求められる、医療が通常は提供できないものが必要である。
 そして根治の方法がわからないなら仕方がない。その場しのぎであっても、対処法は大切だ。この時代の医療者たちがそういう部分に関心を向けにくい人たちであることは述べたが、それはよいことではない。心身をよい状態にする、保つというのがその人たちの「本来」の仕事のはずだ。現実には不得意かもしれないが、それでも、その人たちの持てる技術・地域を使ってできることはあるはずだ。例えば苦痛を減らすことはとても大切だ。苦痛への対処の仕方がよくないから、もっと上手になった方がよいし、その方法を開発する必要もある。そしてそれは「難病」の枠に入らないとそれはできないか。本来はそんなことはないはずだ。
 「原因」を調べ、メカニズムを解明して、対処法を見出していく時には、ある程度、個別にみていった方がよく、この場合には難病政策における疾患別という対応も一定の意味があることもあるろう。そしてとくに、その病・障害の人の数が少ないものへの対応が大切だ。あえて英語に難病という言葉に対応する言葉を求めればというとき、「rare desease」という言葉――ある程度重なっているが日本語での「難病」は珍しい病というだけでないことをここまで述べてきた―― と「orphan desease」という言葉があるのだが、これはかかっている人が少ないために取り残されてしまっている病のことを言う。そしてその病の人に対して必要とされるが開発されにくい薬のことを「orphan drug(直訳すれば孤児薬)」と言う。お客が少ないので、開発がなされない。これはよくない。そこで、市場にまかせるのでなく、寄付に頼るのでもなく、政府が金を出すという体制はわるくない。そしてそれは研究開発に限らない。当該の人の少ない病・障害について対応できる医療者・医療機関がわずかで不便だということはたしかに多くある。それも用意するべきだ。だから疾患別に対応すること、そして患者の少ない病に個別に対応することの積極的な意味はある。
 日本での体制が他の(国の)やり方と比べてどの程度機能しているのか、成果を収めているのか。私にはそのようなことを評価する材料もなにもないからわからないが、誰か研究して評価するとよいと思う。
 加えれば、医療費については他の疾患ととくに別建てにすべき理由はない。ただ現行の医療における自己(家族)負担が高すぎるから、現行の減免制度を維持すべき合理的で差し迫った根拠はあると考えるべきである。

どのように認められないものを認めさせるか
 難病体制は、「その他」を取り込むものとして機能してきたことを述べた。では現在、「その他」として何が残っているのか。実際に多くの人たちが困っているのは、痛いとか疲れるといった状態にあることだ。いまある名称としては「慢性疲労症候群」とか「線維筋痛症」といったものだ。私が知る人で「複合性局所疼痛症候群(CRPS)」について論文を書いた大野真由子はその症候群の本人で、韓国や米国ではそれが障害に認定されていることを紹介する論文等を書いて、博士論文にまとめた(大野 2013)。
 これらの症状・状態をもたらす機制は少なくとも今のところはよくわからないようだ。この時代の医学・医療が得意とするのは、身体の特定の部位に病巣を見つけ、それをなんとかするというものだが、痛みや疲れはそうしたものではないように思える。だから、なかなか得意でないということが一つにある。わからないし、自分たちはたいしたことができないし、手術といった派手なことをしてさっぱりとなおせるというものでもない。関心をもちにくく、避けようとしたり、心のもちようだなどど言ってしまったりする。しかし、身体に起こっているその様子を見れば、どこかに理由はあるのだろう。解明はなされた方がよいし、基本的な機序がわからなくても、なぜかある対処法が有効であるといった場合は、他の疾患でも多々ある。そうした部分で医療はもっとできることはある。だから、現実にはさぼってしまいがちなのだが、さぼってはいけない、医学・医療はきちんと仕事をするべきだと前節で述べた。
 では難病指定を求めるという方角はどれほど有効か。疲労や痛みは、すくなくとも何十万という数の人たちのことだから、希少性という条件は満たさない。それはそのような条件を設定している側がわるいのだという主張はもっともだが、難病の定義を広げてその法律のもとでという要求の方向とともに、どの法律にいれてもらうかはどうでもよいからなんとかせよという主張ももっともだ。
 そしてより大きなことは、指定を得られたとしてどのぐらい得をするかということだ。不得意であっても、関心をもちにくくとも、あるいはだからこそ、対処法の開発はなされるべきだ。それは主張するべきだし、実現するべきだ。その状態を難病指定ということで得られるならそれもよいが、他のより多くの人たちがかかっている疾患と同様に研究がなされるべきことを主張してもよい。
 そしてもう一つ、この難病の枠のなかでは生活の部分は基本的には対応されないということだ。痛みや疲労が「その他」であってきた事情は、医療の対象になってこなかったという事情とともに、障害者関係の法で規定される障害の範囲が狭いままであることによる。今一部で起こっていることは、そのすきまの部分を病気〜難病という範疇をもってきていくらか埋めようという動きであるようにも見える。その事情自体はわからなくはない。しかし、それは本来は筋が違うだろう。医療以外の社会サービスの多くは障害に関わる法・制度によって対応されるべきである。なんらかの身体的な事情に関わって不都合が生ずるのであれば、それは障害であるとにするのが理屈としては一貫しているし、疲労や痛み自体をなくす技術がない、すくなくとも十分にはない間はそうするべきだし、そうするしかないということだ。
 だから、疼痛・疲労などによって活動・生活が妨げられることを勘案してこなかった障害認定のあり方を変える必要がある。障害は普通に可視的なものとして想定されているとすると、たしかに痛みや疲労は見えやすいものではない。足がないとか手がないとかいったわかりやすい欠損・障害ではない。しかしわかりやすかろうとわかりにくかろうと、不都合・不便はある。場所・機序・名称…がわからないことは多々ある。本来は所謂「インペアメント」の場所が特定されていることを障害を有することの条件にしてはならない、不便(ディスアビリティ)の方を見よ、というのがずっと言われてきたことであり、ようやくいちおうは認められるようになってきたことだ。
 すると一つ、疲労や痛みは誰もが経験することだと言われる。それ自体はその通りだ。しかし、程度の差というものは時にまったく重要・重大なことであり、「普通の人」もいくらかは経験するという事実は、それをたくさん経験している人にはなにもしなくてよいという理由にはまったくならない。
 一つ、その状態とその程度を測定することができない、あるいは困難であることが言われる。尺度自体がないわけではないらしいが、客観的な測定といったことが他のものよりは困難であることは認めよう。そして、その本人が言うことに依拠せざるをえない、というより依拠するべきである。それなのに、制度的な対応を望むと、「客観的な基準」が必要だといったことが言われる。なにかしらを測定する方法はすでにあるのかもしれないし、これからできたり改善されたりすることがあるだろう。しかしすくなくとも現在は、そしてたぶん今後も限界はあるだろう。痛みとか疲労といったもの、それがその人において感じられるものであることは誰もが認める。その人の言葉によってわかるしかない部分がある。ここ数十年「ナラティブ」とかそういうものが大切だとさんざん言われた。この間、人文社会的な言論はそんなことは言ってきたし、そのぐらいのことしか言ってこなかったともいえる。他にも言うことがあるだろう、芸が足りない、と私は思うが、言っていること自体は間違っていない。にもかかわらず、結局その一芸は生かされていない。これは困ったことである。
 まず、疲れるものは疲れるし、痛いものは痛い。そのこと自体について、嘘をつく要因はない。だからそれは、解明され軽減のための技術が開発され改善され適用されるべきだ。
 疑いをかけられる場合があるとすればそれは、サービスやお金の受給の場面、そして労働の軽減が求められるといった場合だ。「詐称」「詐病」の可能性が言われる。つまり、ほしいので、あるいは働きたくないので、嘘をついているのではないかということだ。
 たしかに人は嘘はつける。嘘をつく人はいないと言い切る必要はないと私は思う。しかし、それがどれほど大きな問題かと考えることだ。さほど大きな問題ではないというのが答になると考える。
 まず一つ、社会サービスは、人にやってもらうということであって、人にもよるし、場合にもよるが、たいがいの場合には、自分でできるなら自分でした方がさっさとすんで、気も楽で、それでよかろうということになる。一つ、ものとして支給されるものについて。疲労を補うための「自助具」などあまり考えつかないが、もしあったとしてそれは、不都合を補うためのものだから、不都合がなけれはいらないものである。すると残るのは、生活保護などの所得保障であり、労働の軽減措置等である。
 疲れていないのに疲れていると言って公的扶助を得ようとする、その可能性はないではない。しかし、実際には働いて収入を得ているのにそれを隠してというのではなく、現に働いていないのであれば、あれこれ理由は求めず、公的扶助がなされてよいという主張は可能であり、私は妥当であると考える。そして働けないと働かないとの間はときに曖昧であり、それをとやかく言わないほうがよいという理由も加えることができよう。そしてそれで社会が大きく困ることはない。そして、ことのよしあしはともかく、多くの人は働こうとする。その意を汲もうというのであれば、むしろその人の申告に応じた方がよい。つまり、まったく働けないとしてしまうのではなく、その人の状態に応じて、いくらかを軽減して働いてもらう。それでよいはずだ。
 そして疑われる側の人には次のように言える。病気をしてそれで身体がうまく動かないとか、長い時間仕事ができないとったことはある。そのことをすっと受け入れて、必要なものは必要だと言い、そして必要なものを受け取るという当たり前なことにためらいがあるなら、なによりそれは(不当に)損なことだから、やめた方がよい。とすれば、そのように思えるように、求めると疑われるからといった理由で、求めること阻害しないように制度の側はあった方がよいということである。つまり、本当は痛くないのではないか、疲れてはいないのではないか、気のせいではないか、と、そんなことがないではないとしても、言わない、言わないことを前提に制度を組み立てた方がよいということだ。

どんな民間の活動が何をできるか
 以上、社会・制度がどうあればよいかについて基本的なことを述べた。最後に、それを主張し実現するために動くことのできる一つでもある民間組織、その活動についての方向も示されるだろうと思う。
 疾患別・障害別という制度に規定される部分もあり、また各疾患別の専門医にかかる人たちやその家族のつながりがもとになって作られてきた疾患・障害別の組織がある。一九六〇年代から七〇年代にできた組織では五〇年以上の歴史を有するものがある。大きな全国組織もあるし、そうでないものもある。
 そうした組織のある部分は、いくらか停滞期でそして転換期にあるのかもしれない。まず、ちょっとした情報の入手ぐらいであれば、ネットで検索すればまずまずのことがわかる。そんなこともあって若い人が加入しない。他方、たいへんだたいへんだと言いながら役職を続けることに生きがいを感じている年上の人もいる。そんなことで世代交代もうまくいかない。かつて意義のあった活動のなかには今はそうないものもあるが、同じ活動が続いていく。そうして停滞や縮小といった道を辿っているところがある。
 しかしまず、停滞したり、さらになくなったりしても、それで用がすむのであれば、なにも問題はない。組織が常にあった方がよい、活発な方がよいなどとは言えないのだ。それを確認しておく。
 そのうえで、オンラインもオフラインも含め、愚痴を言いあったり、生活上の小技を伝え合うといった組織、組織というほどでなく人の集まり・つながりは、今後も必要とされるだろうし、現にたくさんある。多く個別の疾患・障害に対応したそうした組織が存在する価値は今でもこれからも失われはしないだろう。それは、小さなものであってもかまわない。かえってその地域の小さな集まりとしてあり、なかには消えていく、おおまかにいえばセルフヘルプグループとしてあってよいだろう。
 ただ、何かを要求するとか、手間のかかる支援を担おうとするときには、このような集まり・組織では難しい。そしてようやく指定難病に登録されたまた登録されていない多くの疾患・障害については本人や関係者の数が少ないく、少ないと力が弱いということになる。そしてさらに、心身がつらいから、起き上がるのもつらく、動きにくいということも当然ある。辛さは、ときに結びつく絆にもなるが、他方で、本人たちの間でぶつかる要因になることも多い。そして、原因がはっきりしていないことにも関係して、対処法としていろいろな説が唱えられると、どちらの説に付くか、どういう説を唱え実践している人たちに付くかといったことで、対立し分裂し消耗するといったこともある。
 さらに、個別の団体の連合体のような組織もある。各組織の規模も異なり、既に指定されている難病の団体とそうでないところもある。何を求めるかにも違いもある。そのわりには、既得権益を守るといった性格の団体にならず、今困っているところに手を貸そうという姿勢があって立派だと思えたりもするのだが、それでもその舵取りはなかなか難しいことがある。そうした事態を捉える冷静な研究があるべきだが、私は知らない――さきにあげた葛城の本(葛城 2019)に少しだけ記述がある。ただ、「指定難病」という枠を前提にせざるをえず、活動を維持・展開すること自体にいくらか無理があるだろうとは言えるだろうと思う。
 ここしばらくを見ると、疾患別というより、機能、例えば人工呼吸器を使っている人たちのつながりといったもののほうが機能しているように思える。そして、前節までに述べたように、以前からも今も大きな問題・課題は、(残念ながら)なおらない、しかしそこそこに長い人生を生きるにあたって必要なものを得ることだ。それは、すくなくとも今のところ自動的に得られるようなものではない。それを得られるようにする活動、制度につなげるという仕事がある。これはたんに同じ病・障害を共有しているというだけでできる仕事ではない。
 今までもそして今でもある程度はそうなのだが、患者団体(たいがいは関係者も含むから患者・関係者団体)をやってこれたのは、家族がいて収入やら介助やらがなんとかまにあっていて余裕があるからというところがある。するとそうした組織は、余裕のない人が求めるものには対応できないということにもなる。ネットでとってくれる情報もあるが、それを使って実際に役立つところまでもっていくには、具体的でときに手間のかかる援助が必要な場合があるのだが、その必要をあまり感じずその技術・知識ももっていない組織だと役に立たない。これはこれで種別を超えて、そして資金をもち有償の仕事として活動を行なえる組織が適している。
 私は今、国立療養所に暮らしてきたおもに筋ジストロフィーの人たちの療養所の生活をよくしようという、そして出たい人は出られるようにしようという活動に関わっている――関連情報はさきに紹介したHP表紙から「こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす」にある。今施設にいる人は、普通は自らがそこを出ようとする時に使える資源をもっていない。そして筋ジストロフィーの全国組織は、一九六〇年代、自分たちの子どもが療養所で暮らせるようにと医療者とともに政治に訴え、施設収容を実現させてきた組織である。それと別の方向に行こうという話には乗りにくいところがある。また、在宅で家族の介助でなんとかやれている人たちが多いなら、病院を出たいという切実さや、家族はあてにしないまたできないという現実がなかなか伝わらない。また、組織もそのための技・知識をもっていない。別の種類の組織・運動が関わった方がうまくいく。実際いま進められているその動きには、自立生活センターと呼ばれる組織が関わり、その全国組織、そして「DPI日本協議会」といった(一部難病関係の団体も入っている)組織が支持して、全国に広がりつつある。
 それはいちど「難病」を巡って起こった分断の後、だいぶ経ってからのできごとだ。そこには障害者施設からの地域移行と多く共通するとともに、過分な権限を持っている(と思っている)医療者・病院との関係をどうとっていくかといった、いくらか違った(より困難な)要因もある。本章では、なぜそんなことになったのかを述べ、そしてその事情をわかったうえで、変えていくことができることを示した。

文献
有吉玲子,2013,『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』生活書院
衛藤幹子,1993,『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加』信山社
葛城貞三,2019,『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』生活書院
蒔田備憲,2014,
『難病カルテ――患者たちのいま』生活書院
大野真由子,2012,「複合性局所疼痛症候群患者の支援に関する一考察――「認められない」病いの現状と課題」立命館大学先端総合学術研究科博士論文
立岩真也,2004,『ALS――不動の身体と息する機械』医学書院
立岩真也,2018a,『不如意の身体――病障害とある社会』青土社
立岩真也,2018b,『病者障害者の戦後――生政治史点描』青土社
立岩真也,2020,『介助の仕事――街で暮らす/を支える』』筑摩書房,ちくま新書

『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』   ALS 不動の身体と息する機械   立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙   立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙


UP:20200909 REV:20200910, 20210520
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇介助・介護  ◇重度訪問介護派遣事業(重訪) 
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