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ご挨拶

立岩 真也 2021/11/14
「私とからだと困りごと座談会」 主催:立命館大学生存学研究所 於:オンライン開催
2021年11月14日(日)午後2時〜4時半

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痛み・苦痛
名づけ認め分かり語る…

「私とからだと困りごと座談会」
 主催:立命館大学生存学研究会 於:オンライン開催 2021年11月14日(日)午後2時〜4時半

 

◆録音記録→[voice]
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 30分前に思いついて、このページ〔このページの仕切り線より上の部分〕をちゃちゃっと作りました。背後のほうで猫が鳴いているのでうるさいかと思いますが、ちょっとそれはかんべんしてください。
 そこに、中身は何もないんですけれども「痛み・苦痛」というページがあるにはあって。その下には「名づけ認め分かり語る…」っていう、これは今日企画運営してくれている中井〔良平〕さんが今、増補してくれてますけど、そういうページがあったりします。何か役に立つかなっていうか、まず゛こういうものを時々見ていただいていいかなと思って紹介します。
 僕は社会学というのをやっていて、それは医療とか障害とか病気とかっていうことにかんするところに関わってもいるわけだけれども、たとえば「痛み」とか「疲労」とかそういうことについて、社会学、社会科学が何か役に立つようなことを言ってこれたかというと、そんなことはないです。だめなんですね。だけど、だめだって居直っていてもしかたなくて、やれることはやらなきゃっていうことは思っています。そういうことは思ってる人はいるんだろうけれども、「研究は始まったばかりか、始まってもいない」っていう感じだと思うんですよね。それには理由があります。まず、「痛いことをいくらしゃべったって書いたって、痛いものはなくならない」っていうことがあって。どうしようもない、しょうがないって。
 ではある、んだけれども、だけど一つ、たとえばその「痛み」に対応する医学的・技術的な処置はそこそこあるわけです。でもなかなかやってくれないと。これは理由があるわけです。現代の医療、近代の医療っていうのは「痛みを和らげる」っていうようなことにあんまり使命感を感じないっていうか、やりがいを感じてないっていうか、どうでもいいとまでは言いませんけどそんな感じで受け止めてしまっているから、そういう地味な、でも大切な仕事をなかなかしてくれないっていうことはあります。
 じゃあそこのところをどうしたらいいのかということは考えることができるわけだし。でもそもそもその体験っていうのはどういうものなのかということも知ることもできる。
 もう一つ、痛みそのものはどうにもならなくても、たとえば、僕は社会学をやってるんだけれども、「障害学」っていうよくわかんないものもあって、それは、主には、「できない」っていうことに焦点を当てて、できないってことを社会がどうしているか、どうすべきかっていうことをやってきた。痛いことを他人がじかに代わることはできないけども、できないことなら代わりに他人が補える、社会的に対応できる、ので社会科学の主題になりやすいということもあったと思います。この「できない」ってことと「痛い」ってことは違う。けれども、でも「痛いからできない」ということはありますよね。そしたら、痛いことそのものはちょっと難しいけど、「痛いからできない」っていうことにかんしては、本来は社会が対応できるはずです。してないけどね。
 ではなぜしてないのか、じゃあどうしたらいいのかっていうことを考えるっていう。「痛みの測定が難しいから」とか言われる。それは本当か。本当だとして、測定できないと対応できないか、そんなことないだろう、とか。等々。大切でおもしろいテーマだとも思っていて。もっとみんな考えようよっていうか、調べようよ。調べる前に、どういう経験・体験をしているのかっていうことを知りたいなということを思っています。


 それから、「わからない病気」「わからない障害」っていうのもまた確かにいっぱいあるわけですよね。そうした時にそれをどう考えるのかってことも、難しいけどとても大切なことです。わからないからわかるようにしようっていうことが、実際大切なことことはあります。その原因が何なのかということを突き止めるっていうことが決定的に大事なことっていうのは、一方で、確かにあります。
 今日、数日前に人に教えてもらって届いた本が、これ見えないかな?、『子宮頸がんワクチン問題』っていう本、翻訳書なんですけど。これは、みすず書房という高い本を出すので知られている出版社から、実際に高い値段、5000円+消費税10%で5500円ですけど。子宮頸がんワクチンと、身体の痛みとかいろんな症状というのが因果的にどうなのかっていうのは二手に分かれるわけですよね。で、未決着というか論争中の問題です。これはたとえば、はっきりさせたほうがいいことですよね。っていうこともある。それをちゃんとやらなきゃいけない。それをちょっとでもちゃんとやろうとすると500ページぐらいの本になる。で、500ページぐらいの本を書かなきゃ、そのために調べなきゃいけないってことは、一方にあります。
 だけど、どんなに頑張ってもっていうか、そんなに短いあいだにはそのメカニズム・原因っていうのがわからない場合もある。ではそれをわかるまで待てばいいのか。ということはたぶん…たぶんじゃなくて、ないと思うんですよ。わかろうがわかるまいが、さっきの話でいえば「できない」ってことも「痛い」ってこともある。それに対して、原因がわかろうがわかるまいが社会ができるってのもあるはずです。実際あります。そこのところをどういうふうに考えていくのかというようなことは、社会科学、人文、とにかく研究っていうことの大きな範囲を本来であればこの中に入るはずなんだけれども、わが国のかわが世界の、地球のかわかりませんけれども、研究者たちはみんなさぼって仕事してこなかった。それはよろしからぬことなので、これからっていうこと。恥ずかしいですけど、僕もその研究者の一人ですから、申し上げました。


 それでですね、今日はそういうややこしいことに「今日結論が出るか」って、そんなことはない。でることもあるが、でないこともある。と思うんですけど。だけど、どういう経験をひとりひとりがしてきたのかっていうこと自体がまず調べられてないし、書かれてないし、語りが記録されているってことはなかったと思うんですよ。それは多くの場合に良くないことであって。今日、それから今日に続くことがそういうことにつながればいいなっていうふうに、私は思っています。
 今見ていただいているのは、「生(せい)を辿り途(みち)を探す」って読むんですが、今僕らがやっている研究の企画の大きな部分です。この時代を、痛みや苦しみやできないことや、そういうことと共に生きてきた人たちが、どういう人生を、どういう暮らしを送ってきたのか、今送っているのかということを記録しておこうという、そういう試み、営みです。
 今、たとえばですね、ここ〔http://www.arsvi.com/の検索窓を「arsvi.com 内を検索」〕を「生を辿り途を探す」で検索してもらってもいいし、一番いいのは、簡単なのは、さっきの「生存学」っていうので1発目か2発目というか上から2番目か出てくるサイトから見てもらうと、ここから、この「蔵」っていう。「蔵」っていっても「みんな蔵に放り込んどく」じゃなくて、「蔵に入れてみんなが見れるようにしよう」ということなんだけれども、そこの中に、「声の記録」っていうのがあります。今日の企画自体がどういうかたちでこの世に残るかっていうのは、これを仕切ってくれる人、それからみなさんが考えてくれればいいと思いますけれども、その中でも「これは言いたくない」とか、「名前出したくない」とか、「ここの場ではしゃべるけど公のものっていうのは遠慮してくれ」っていう、そういう意志は、気持ちは、大いにじゅうぶんに尊重しながら、「いいよ」っていう、「別の名前だったら」、あるいは「名前隠すんだったらいいよ」っていう、そういう言葉、発言自体はできるだけ拾って記録していきたいっていうふうに、わりと真面目にというか、真剣に思っています。声の記録っていうのが、僕らが今までやってきていることで。
 今200いくつのインタビューの記録、全記録、2時間とか3時間とか、長いやつだと9時間とかいうのがあるんですけど、そういうものが無骨にというか、不細工にというか、今のところ50音順に並んでいますが、たとえば去年の11月・12月、今年の1月ぐらいかな。慢性疲労症候群の患者会というか本人の組織の人たちに、今日司会してくれる、それから話もしてくれる谷田〔朋美〕さんも含め、それからこのイベントを技術的にも支えてくれている中井さんも聞き手になったりして、かなりの数のインタビューをしています。その記録をここに載せています。この50音順のリストからはさすがに拾いにくいと思いますけれども、たとえば「慢性疲労症候群」というところを検索してもらって、するとそのインタビューのいくつかのかなり、そこそこの数のインタビューを読んでいただくことができる。
 そこの中から僕らも考える、僕も考えるけれども、別にそういうプロの研究者だけがものを考えたりっていう必要もないし、どうせ私も含めて大した仕事はこれまで少なくともできてこなかったわけだから。これからだってできるかどうかわからない。だから誰でも、その気持ちと持ってる人が参加して欲しいというふうに、けっこう真面目に思ってるんですよ。
 ということで、僕らもこれから記録をいろいろなかたちで残していきたいと思うし、それはひとりひとりにお話をうかがうっていうこともあるけれども、ざっくばらんにっていうのかな、いろんな人が集まって。今日はズームですけれども、場合によったら本当に物理的な場所を共有して話す。話はそれで終わりでもいいです、ぜんぜん。忘れてもいいです。だけどその中には、覚えといてもいいこともある。それを記録してとどめて、みんなが読めるようにしていいこともある。
 そういうことをいろいろ組み合わせてやっていかないと、まず僕らがどういう世界に生きてきたのかということもわからないし伝わらないし。で、そこにある理論的な社会的な主題、論点ですね。それをどういうふうに考えていいのかということもなかなか前に進まないと思うんですよね。それはわれわれ研究者の責任でもありますけれども、それの怠慢ということでもありますけれども。でもそれを嘆いてばかりいてもしかたがない。そこのところはいくらかでも、僕自身がどこまで関われるかというと甚だ大したことないんだろうなと思いますが。だけどここは研究所ということで、いろんな人がいる。すでに「痛い」とか、「なんかわかんないけど体が動かない」とか、そういう、これまでだとあんまり学問っていう中には入ってこなかった。そういう…また猫が通過いたしました。すみません。ええと…。そういう研究をぼちぼちこれから進めていけるかな、いこうかなっていうところでおりますので。私としては。
 僕はわりと挨拶とかでしゃべるのは短いんで、それが自慢なんですけど、今日はちょっと長くなってしまいましたが、これにて私、ご挨拶かなんかアジ演説かわかんなかったですけれども、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

■cf.

◆立岩 真也 2018/11/30 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p. ISBN-10: 4791771192 ISBN-13: 978-4791771196 [honto][amazon][kinokuni
□□第5章 三つについて・ほんの幾つか
□1 異なることについて
□2 苦と死
□3 表わすこと
□4 慰めること

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙
 

UP:20211111 REV:20211119
痛み・苦痛  ◇名づけ認め分かり語る…  ◇「私とからだと困りごと座談会」  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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