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重訪、なにそれ?

立岩 真也 2017/08/06
重度訪問介護従業者養成研修,於:立命館大学衣笠キャンパス
http://www.unikyoto.com/juho/

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 ※以下、20160625重度訪問研修の授業の記録
 →重度訪問介護派遣事業(重訪)

   ■まえおき・HPのこと
   ■まえおき・『生の技法』

   ■■制度のこと
   ■2つある:介護保険と重訪(含む総合支援法の制度)
   ■専門家も知らない
   ■介護保険の方が単価は高い
   ■時給の話〜いくら稼げるか
   ■起業家(の院生)たち
   ■ここまでのまとめと補足
   ■交渉して使えるようになる
   ■弁護士たちも支援している+自分たちも関わる

   ■■歴史のこと
   ■『生の技法』もう一度、安積遊歩
   ■1970年
   ■「母よ!殺すな」
   ■府中療育センターでのこと
   ■「ボランティア」はしんどい
   ■筋論としてボランティアてよいのか
   ■制度を獲得していった
   ■一本化するなら重訪的なものに一本化したほうがよい
   ■国際的にもけっこう行けているところもある


■まえおき・HPのこと
 おはようございます。立岩と申します。2時間もらっているのか、けっこう長いね。たぶんここの〔立命館〕大学のこの建物〔創思館〕でこの講習、これまで5回とかやっていますかね? そんなもんだと思います。2時間もありますけど、早く終わったら早く終えましょう。僕のコマをこれからやります。
 今、壁に映っているのは生存学研究センターっていうところのホームページ〔http://www.arsvi.com/〕です。なんでこれを映しているかっていうと、今回この講習に関係する人、関係する団体は3つのNPO法人で、僕はそのうちの1つであんまり活動していない「ある」っていう法人のいちおう理事長でもあるんですが、本業っていうか、収入を得ているのは大学の教員で、この立命館大学の大学院の教員であるとともに、生存学研究センターのセンター長っていうのをやっています。「生存学」っていうので検索すると、2番目か1番目にこのページが出てきます。ちょっとそれを覚えてください。
 今日は2時間という、あるようなないような時間なので、細かい話はしません。僕もあんまり細かいことは覚えていないっていうか、知識を仕入れていないっていうのもあって、わかっていないところもあります。細かい話はしません。ですから、それでも、より知りたいっていうときとかね、いろいろあると思うんで、このページで出して、ここで検索していってください。
 このホームページのなかにあるページ、ページ(ファイル)は3万個ぐらいあるんですけど、表紙のページから「arsvi.com 内を検索」でこのサイトの中を検索できます。ここに今日やる「重度訪問」、あるいは「重訪」でもいいんですけれども、それで検索すると、今皆さんに配った、これと同じものが出てきます。3ページものがありますよね。それが出てくる。今日の皆さんに配ったのはその3枚ですけれども、そこからリンクがはってあって、関係するページに飛んでいくはずです。ちょっとやってみましょうか。こうやって「重度訪問」っていうので検索します。これを世界中のホームページを検索するモードでやるとあんまり上手くいかないと思いますけど、こうやってみましょう。そうするとこれが出てきます。そうすると今、皆さんが紙で持っていると同じものが出てきます。これはときどき増補していこうと思うので、詳しいことを知りたかったりなんかしたら、見てくれればいいかなと思います。たとえば今日の朝、僕、起きて、ちょっとだけ更新して、それで印刷して持ってきたんですけど、きのうまではちょっと違っていたんです。今日はあまり詳しい話はしませんが、それでたとえば今日と明日の予定にこれ、つながっているわけです。
 それから、今日時間があったら少しお話しますけれど、どうかな。あとのほうでするかもしれませんけれども、今まで入院している人に対して介助者を派遣するというのは難しかったというかできなかったんです。医療と福祉の二重のサービスっていうのはけしからん、みたいな。そういう理屈で、理屈になっていないと私は思いますけれども、そういうので難しかったんですが、ただ、これが、数年前、5年は経ったんか?もっと経ったか?関西、兵庫とか京都とかそういうところから始まったんですけど、たとえば文字盤を使ってコミュニケーションをする人がいる。そうすると看護師はそれに慣れてなくて、そういうテクニックを持っていないので、皆さんそこの初歩的なところを今日教わるんだと思いますけれども、そうすると入院しても言いたいことが言えないってことになるんですね。それは困ると。ということで、そこらへんから、入院時にそういうことができる人を派遣するっていうのがオッケーになったんです。そういうところが扉になって、今、コミュニケーション支援だけではなくて入院時に介助者が必要だっていうときに、今日皆さんがこれから勉強して、それで重度訪問のヘルパーになったとすると、そういう仕事もできるようになります。
 ていうようなことはこの3枚の紙には書いていない。けれどもここ〔◇〕をクリックすると、ちょっと出てきます。ちなみに、「総合支援法」っていう、今日お話しする重度訪問っていう事業は「障害者総合支援法」っていう法律に規定されているんですけれども、それが今年改正というべきか、ちょっと変わって、そこにこの項目が新たに加わったんだそうです。というようなことがあって、ちょっとずつ変わっているんですよね。そういうことを知りたい人も含めてちょっとこれを覚えておいてください。
 それから、もう1つは、生存学で検索してもらってもいいんですけど、私、今ここでしゃべっている、立岩と申しますけれども、こういう名前です〔立岩真也〕。この名前は都合がいいことに日本に1人しかいないみたいで、立岩っていう名字がありそうであんまりないんですよね。ということでこの名前で検索すると一発でこのページ〔http://www.arsvi.com/ts/0.htm〕が出てきます。この〔左上の〕「HOME」っていうのがさっきのホーム=表紙です。だからここから検索してもらってもよいです。こうやって検索するとこれが出てきて、このホームページの製作責任者は私なので、こっちからこっちへ行くこともできる。そうすると、今このへんに写真がばあっと出ているのは、私がこれまで書いてきた20冊か30冊かありますけど、その本たちで、今日皆さんにお渡ししたのはこの本です。この話をこれからします。

■まえおき・『生の技法』
『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙  このちっちゃいかわいい文庫本、文庫版になっている本は、25年前、正確にいうと26年に近いんですが、普通の本のサイズで出ていました。3,000円ぐらいしたんですけど、2012年に第3版を出して、値段も安くなっています。皆さんに買ってもらえる値段になった、この講習の費用のなかに含めることができるようになったんです。もとはといえば1990年、増補改訂版が1995年、それも古くなったんでよろしくないっていうんで、2012年、新しくしたんです。だけどやっぱり2012年からだっていろいろ変わりもあるわけです。あるいは本に出てくるいろんな人がいる。もし興味があったら、興味が出てきたら、この〔人の表紙〕ページから行ってもらって、たとえばこの第1章っていうのは安積純子(あさかじゅんこ)。これは戸籍名で、今はほとんど安積遊歩(あさかゆうほ)っていう名前でやっているんですが、その人に関する情報が出てきます。
 こんな感じで、役に立つと思います。役に立つと思いたくて作っているページですので、見てください。ということをまず宣伝しました。ちなみに、もっと宣伝しとくと、このページはわりと使われているページです。大学の研究センターがやっているページとしては。年間で1,100万ヒットぐらいのヒット数があります〔→1,300万〕。大学のホームページになってから10年以上経ってるんですが、10年分ぐらいを取ると、1億ヒットみたいな感じで、怪しくないサイトとしてはそれなりに使われているっていうページです。
 以上まず、今日は大雑把な話しかしない、詳しいこと、もっと知りたくなったことがあったらこのページを見てください。そういう話を5分ぐらいしました。

■2つある:介護保険と重訪(含む総合支援法の制度)
 本題に入っていきます。日本のホームヘルパーの種類は大雑把にいうと2つあります。
 一つが、障害者総合支援法の制度で、そのなかに「重訪」「重訪」って言ってる制度もあります。今日はその講習です。もう一つ、ちまたでホームヘルプとか在宅介護とかいう言葉でみんながすぐに思い浮かべるのは、介護保険のヘルパーだと思います。実際数も多いし、利用者も多いし、お金もいっぱい使われているっていうのはこっちの制度です。で、これが始まったのが2000年です。
 もう一つ、こっちのヘルパーの制度もあって、これもいろいろ資格を取ればできるようになるわけですけど、今日のこっちの制度はそれから比べるとはじめやすい、取りやすいっていうことがあります。
 それだけじゃなくて、なんで2つあって、なんでわざわざこっちのほうで今日やっていうのかっていう話をだんだんこれからしていくんですけれども。1つは単純なんですよ。介護保険が使えないからです。介護保険のことは、そろそろ皆さんもというか、いろんな場面で自分の親とかね、配偶者とか、介護保険を使っている人っていうのは身近にもたくさんけっこういると思うんです。それなんで、こっち〔重度訪問〕のことを全然知らない人でも、こっちのことはけっこう知っている。なんとなく使い勝手っていうか、どんなもんかっていうのを知っている人もいるかもしれません。いると思います。
 あれ〔介護保険〕は、要介護認定っていうのがあって、5段階ですか、判定されて、それでたくさんサービスが使えるものからそうでもない、全然使えない、とランク付けされるわけです。それで、今日はこっち〔介護保険〕の話ではないんで、こっちの話は3分ぐらいにしておきたいんですが、それで一番重い判定が取れたとしましょう。月30何万円とかそういう額です、お金にすると。取れたとしましょう。ただそれで、デイサービスとか、ショートステイとか、あるいは施設入所とか、そういうのだとまただいぶ違ってきますけれども、仮に在宅の生活を続けたい、そのために訪問介護を受けたいということになると、一番重い等級になったとして、どのぐらい使えるかっていうと、せいぜい1日2時間ぐらいだと思います。もちろん1日2時間で足りれば別にそれはそれでいいわけで、文句はないわけですけれども、世の中そういういう人ばかりではなく、最大、1日は24時間、24時間365日いる人もいるわけですね。そんなにめちゃくちゃたくさんいるわけじゃないですけど、います。24時間じゃなくても8時間、10時間、そういう人もいます。
 ちなみに、24時間ってどういうことなの?ていう気もしますけれども。たとえば夜中も、夜寝ているときも、痰の吸引っていうのが必要になって、そのテクニックの、基本を、今日、あす習うと思うんですけども、そういう必要があるとなると、痰が詰まっちゃうと人間息ができなくなって死んじゃいますから、それは困るわけで、そうすると何十分に1回とか、痰の吸引っていうのをしなきゃいけないわけです。そういう人がたとえば24時間っていう時間が必要なわけです。
 こっち〔介護保険〕は基本的に時間がまず圧倒的に少ない、足りない、め一杯使っても足りないってことがあるんですが、やれることも、これも微妙なんですが、こっちでやれないことはないんだけれども、多くの事業所が、あるいはその決まりによって、こっちの事業で痰の吸引とかそういうところまでやってるとこってのは大変少ないってこともあります。どうも介護保険のほうでは、重くて、たくさんサービスが必要な人が使えないってことがあるんですね。それで、利用者の側からいえば、こっちでは足りないんで、使えないんで、こっちがいるよね、ていう単純な話です。で、そっち〔介護保険〕よりマイナーなんだけれども、利用者にとってみれば使い勝手がいいこっちの制度を使うっていうことになる。

■専門家も知らない
 実はきのう、おとつい、私もちょっとそういう関係者になりつつあって、病院でこういう話をMSW、医療ソーシャルワークと話をして、というか、話を聞いて。ちょっと僕のことを知っている人だなみたいに向こうは思ったらして、そういう話をしたんですけれども、やっぱりそういう人の説明のなかにも、そういう説明ができるっていうのはMSWとしてはまだましなほうだと思うんですが、2つ確かに制度があります、ただ基本的には介護保険優先ですので、こっちを使ってからこっちってことになりますよねと言われました。
 そのぐらい知っていれば上等です。病院のソーシャルワーカーとしては。たいがいのソーシャルワーカーは、ほぼこっち〔重訪〕のことを知らない、か、すごい大雑把にしか知らない。ケアマネージャーっていうのも基本的には介護保険のケアマネージャーですから、こっち〔介護保険〕のことはまあよく知っている。それが仕事だからね。それで給料もらっているんだから知っていて当たり前なんですけれども、こっちほのうは知らないか、知らないに近いです。それで知られていないんですけども、そういう専門家、知っているべき専門家というか、そういう職業の人が知らないっていうんだから、普通の人はあんまり知らないっていうのはもっともで、不思議なことじゃないんだけど。
 話を戻すと、こっちが優先で、こっちがこれを使ってからこれを使ってくださいと、基本そうではあります。そういう決まりに確かになっているっちゃなっている。ただ、杓子定規に常にそうじゃなきゃいけないとはなっていない。これは厚生労働省の通達とか、そういうのでも、基本そうだけれども、例外もあるよね、と。そういうところは柔軟にやってちょうだいっていうようなことを、その自治体の担当局とか、そういうところに通知したものがあったりするので、2つあってこっち使ってこっちだよねってのは、基本はそうなっているんだけれども、必ずしもそうじゃなきゃいけないってことはないっていうことをおさえといてください。
 まあこの2つがあるんです。で、こっち〔介護保険〕がメジャーでお金がいっぱいかかっているんだけれども、実はあんまり使えない制度で、こっち〔重訪〕はあまり知られていない制度なんだけれども、使える制度で、だからそのためのヘルパーになってくださいって人はいるんです。だからこの講習があるっていう単純な簡単な話です。その話はそれっきりぐらいにして、っていうことなんですが。ちょっと言っておくと、もうしばらくやんないとさすがにわけわかんないと思うんで。

■介護保険の方が単価は高い
 ちなみに、こっちのほうにお金はいっぱい出ているんですね。こっちは保険で、こっちは基本税金なんだけれども、そういうお金の種類の話は今日は面倒くさいのでちょっと置いておきます。基本的に保険っていうのは、どういうことをしたら何点っていう点数になる。1点いくらかは微妙に地方によって違うんですが,だいたい1点10円っていう計算で、保険のお金を皆から取ってきて渡すところが事業所にお金を渡して、その事業所がそこに働いている人に、事務経費やら管理経費やらそういうものを差っ引いて渡す、簡単にいったらそういう仕かけです。
 その時間当たりお金でいうと、介護保険のほうが単価はいいですよ。最近のことはよくわかっていないので大雑把にいいますけど、4,000円台とか出てるんじゃないかと思います。もっとかな。まあそんなもんだと思います。その一部がヘルパー、働き手に渡ります。こっち〔重訪〕も基本はそうです。政府、大雑把にいって政府、がお金を事業所に渡す。事業所がいろいろ差っ引いて働き手に渡す。これが、いろいろ種類があるんで、ここも大雑把にいいますけれども、こっちの場合、2,000円いっていないんじゃないかな、事業所に渡るお金は。いろいろ細かく加算があったりいろんなあるんで、今日はあんまり信じないでください。
 つまりこっち〔介護保険〕のほうが時間当たりのお金のはいっぱいくるんです。倍以上です。すると、事業所にとっては、ヘルパーに同じお金を払うんだったら、こっち〔介護保険〕のほうがこっち〔重訪〕よりもお金がいっぱい入るから、おいしいってことになる。それで介護保険の事業所っていうのが多くて、重度訪問の事業をやっている事業所が少ないっていうのは、いちおう説明はできるんですよ。
 ただ、そういうことを今、研究してる大学院生、僕のところにもいるんですけども、意外とそうでもないっていう話もあります。ていうのは、介護保険は、さっきも言ったように、ぱっと行って、ちょっとちゃちゃっとごはんの支度をし、なんか替えて、ほんでまた帰ってくるみたいな。30分単位ぐらいで回っていくわけです。1回30分、1時間、長くて2時間、そんな感じで行ったり来たりしなきゃいけないわけです、働き手も。それからその事業所の側は、いろんなとこを回る人を組み合わせて、派遣する。派遣しても当然あいだの時間は空く。移動する時間とか、待機する時間とか。そういう仕組みなんです。そうすると、1時間4,000円台のお金が出ても実際にいろんなそういうコストを全部さっぴいたときにそんなにヘルパーに払えない、ていうようなことが出てくる。
 他方重度訪問は、事業所に渡るお金は比べて少ない。けれど、短い時間使ってる人ももちろんいますけど、多くの人が長い時間使う。いっぺん8時間とかね。2人交代1日16時間とかね。そういう人もいる。そうすると、働き手にとってもいっぺん行って8時間ずうっと働くと、それなりの時間働いて、かける時給だからそれなりになるっていことはあるじゃないですか。事業所にとっても、1人の人に続けて8時間働いてもらうということになれば、事業所が1時間当たり受け取る額はそんなに多くなくても、かける8、かける週5日分みたいな。そういう計算ができるので、そうわるくないとも言えるわけです。うまく回転させればっていうか、事業を経営できればやってやれないことはないんだけれども、そういうことも含めてあんまりこの業界で知られてないってことがあったりします。

■時給の話〜いくら稼げるか
 皆さん結局これを、本業にするのかあるいはアルバイト的にやるのか、別に金いらないよっていう人もなかにはそういう奇特な方もおられるかもしれません。だけどやっぱ基本お金は払われるシステムです。どういうぐらいのお金がいったい?ていうことになります。これについては決まりはないんです。基本的にはね。こういう制度で決まっているのは、今ほとんどほぼ100%ですね、事業所、民間の事業所がこういう仕事をしていて、そちらに保険者、政府がお金を渡すっていう仕組みになってる。そういう制度で、それの、事業所に渡るお金は決まってる。何点、何円ていうのは決まってるんだけれども、その1人1人の働き手にどれだけ出すかは、事業所が決めるわけです、あるいは労使交渉で決まっていくわけです。ざっくりいって、この2つの制度、僕が知ってる範囲では、ヘルパー、つまり皆さんが働くようになって得る時給っていうのはそんなに変わんないんじゃないかなと思います。
 じゃあどのくらいかっていったら、ざっと、1,000円かそれをちょっと上回るか、場合によったらちょっと下回るかっていう感じだと思います。
 それに対して、僕は、とりあえず1,500円くらい、さらに2,000円ぐらいなんとかなんないかなって思って、そういうことはときどき書いたりしゃべったりしてるんですけどね。
 やってやれないことはないんですよ。お金も、政府はないって言ってますけれどもあるんです。すぐには納得してくれないかもしれないけど、あるんです。ですから時給実質今1,000円ちょい超えぐらいを2,000円にするっていうのはできなくはないと思うし、そのぐらいできるとまあまあいけるんじゃないかなと。
 さて、日本の勤労大衆はどれだけ働いてるかっていうと、年間2,000時間て言われてます。日本は他のいわゆる先進国に比べると長い。たとえばドイツだと1,600時間、1,700時間とかそのぐらいだって言われてます。いいねっていう感じです。僕はたぶん年間5,000時間ぐらい働いてます。朝起きてから寝るまで働いてますから、土曜祝日ございませんから。今日土曜日ですけれども。だいたい5,000時間ぐらい何十年も働いてますけども、なんか働き終わってもいいかなって感じですけども、まあいいや、そういう愚痴は置いといて。2,000円で2,000時間働くと400万になるじゃないですか。400万あればまあ暮らしていけますよね。たとえば結婚しても配偶者がやっぱりそれぐらい働いてれば、2人分足して税引き前800万ぐらいになります、上等じゃないですか。一人で暮らすにしても子どもがいてもなんとかなる、ぐらいの話です。だからそのぐらい出せよ。
 とりあえず1,500ぐらい目指してっていう感じなんだけれども、実際には1,000円台前半かなと思うんです。ただ、重度訪問ていうんで、重度のそのまた重度の人の場合は、加算がついたりする場合もあるんですよね。そういうけっこう重度の人を専門にやってる事業所なんかだと、ちゃんとお金を労働者に還元するというか、分配するというかそういうところだと、1,500円超えてる事業所もあるにはありますね。1,500、1,600、1,700とか時給で働いてる人もそのぐらいの人がけっこう出てきてはいます。ですから場合によっては1,500円超えるっていうのはありです。
 そうなってくると一応なんかこう職業として、成立するかなっていう感じですか、今そこまでいかないわけです。もちろんそんなの希望しない、私は1週間に1回働きゃそれでいいっていう人はそれでいいですけど、私はそれがもう仕事の飯の種だと、それで暮らしていくんだっていったときに、1,000円で2,000時間ていうのはきついっちゃきついです。でも、1人分ぐらいだったら暮らしてはいける。そして、今多くの人たちは、事業所のなかで時間なんぼっていう形で働いてる人多いですけれども、そうやって何年か経験を積んでいくと、時間勤務というよりはフルタイムのスタッフとして月給で働くようになる。中間管理職っていうのかな、そんな感じになる人もいます。それからもう1つ言っておくと、これまたあとでお話しますが、そうやって働く人になるっていうのもあるんだけれども、自分で事業所作っちゃうっていうのもあるんだよね。

■起業家(の院生)たち
 今回、今ここにいるのは、「ある」っていうNPO、さっき一応、僕はそこの理事長だって言いました。いいことも悪いこともなんにもしてないんですが。それと「ゆに」っていうNPOと、それから「スリーピース」っていうNPOが、3つ共催でやってます。ちなみに「ある」人は今のところこの重度訪問はやっておりません。
今回の研修については、俺たち一番働いてるかなっていう気もしないでもない、ま、それはいいんですけど。
 「スリーピース」は、川端通かな、ここはわりと京都の西の北のほうですけど、市街のなかのちょっと南のちょっと東のほうに事務所構えてる。これは、白杉さんていう僕よりはだいぶ若い、脳性麻痺の電動車いすに乗っている、で、なおかつわたくしの勤め先の大学院生でもある人が、代表理事をやっています。何年前だっけかな。事業を始めて最初はどうかなって思ったんですけど、なんとかなってるみたいです。僕はそこの資金提供者だったんですが、ちゃんとお金も返ってきてめでたしめでたし。ここが大きく、大きくはないけども、ちょぼちょぼですけども、さっき言ったその常勤のスタッフ、それから時間給のスタッフも含めて仕事をしている。
 「ゆに」っていうのは、佐藤謙、謙さんていうね、立命館の産業社会学部っていうところの卒業した人で、もういくつになってんだろう、最初に会ったのだいぶ前だからたぶんけっこう年もくってるんじゃないかと思うんですけども、まだ30代前半、そんな感じで。彼は筋ジストロフィーの本人です。筋ジストロフィーっていろんな型があるんですけど、重いっちゃあ重い。やっぱり電動車いす。この「ゆに」は、彼がもともとはその産業社会学部の学生だったときに、自分が学生生活をやっていく際に、その大学でいろいろサポートしてほしいというので始めた、半ばそのボランティア団体みたいな感じで始まったんだろうと思います。障害がある学生の支援は大学もやってますけれども、大したことなくて、わたし怒って、まあいいや、その話やめます。
 で、彼卒業して、筋ジストロフィーで長時間の介助が必要なので、自分で、いってみればその自分のための事業所を立ち上げた。だけじゃなくてけっこう手広くっていうか、特にその大学で学生、たとえばノートテイクってありますよね、耳が聞こえない、だけど講義に出てる、先生しゃべってる、わかんない、どうしよう?ていうとき、一つの手段は、隣に座ってノートを取る、それを見る、みたいなやり方があります。その講習をやったりとか。
 佐藤さんも学生だったし、白杉さんも大学院生だし、っていうんで、もともとはそういう業界にいたわけじゃない、素人ってば素人。だけど利用者だから一番玄人とも言えるわけなんだけど、そういう人が自分でその事業所立ち上げて、自分のため、あるいは自分の仲間のために、そういう仕事をする。利用者でもありその事業主もあるっていうパターンもありますし、それからいろんな事情で、特に別に自分が利用者っていうんじゃなくても、そういう仕事を始めて運営してるっていう人がいっぱいいます。
 なぜか、私が勤めてるこの先端総合学術研究科っていう長い名前の大学院、研究科は、そういう事業をしてる人が多くて。さっき言った京都で「スリーピース」をやってる人。それから神戸で、「小鳩」っていう事業所をやってる人〔辻義宏〕がいます。
 それから千葉でやってる人〔伊藤佳世子〕。その人は筋ジストロフィーの人たちがいっぱい暮らしてる〔旧〕国立療養所っていうのがあるんですけども、そこでアルバイトで働いてるときに、筋ジストロフィーの人がそこで暮らしてるんだけれども、暮らしようがひどいよろしくないってんで怒ったんですね。それで一念発起して大学院に行こうと思って、来て、こちらに来て、勉強始めたんだけれども、もの書くより実際にそうやって病院で不自由な生活してるより地域で暮らせるようにするほうがいいっていうんで、千葉でやっぱり事業所始めたんですよ。そしたら千葉っていうところは、皆さんなんとなく都会って、人がいっぱいいて、制度がちゃんとあるような気がしてるかもしれませんが、実際そんなことなくてけっこう千葉ってだめなんですよね。じつは神奈川もあんまりよろしくない。それから大阪もあんまりよくないんですよ。京都も10年ぐらい前まではあんあまり大したことなかった。大したことなかったっていうか全然なかったに等しい。なんでその地域によって違うのかっていう話はあとでしなきゃいけないんです。実はこれは国の制度なんだけれども、法律に定められた制度なんだけど、誰にどれだけ出すかっていうのは、自治体によって、あるいはその個別の判断によってけっこう変わってくるんです。そういう制度なんですね。これはよろしくないところとよろしいところと、よろしくないところのほうが大きいと思いますけれども、あって、その交渉とかネゴシエーションですよね、そういうものによってたくさん取れるようになる場合もあれば、だめなときもある。だから、だめな地域もあれば、そうでもないところもあるっていう、地方にムラがある制度なんですよ。千葉ってのはだめなところで事業所もあんまりなかった。だから始めたらすごい当たっちゃって、千葉でかいですから、それでずっとそれで働いていて、忙しくなっちゃって学問どころじゃなくなって、退学しちゃいましてね、その人は。そんな人もいたり、あと東京で事業所やってる人もいる〔川口有美子〕。
 会社形式で有限会社みたいな感じでやってる人もいれば、NPO法人でやってる人もいます。法人格持たなくても任意団体でもやってやれなくはないんで。ただ、だいたい今は法人取るかな。非営利だから非営利でいいやっていうんで、NPO法人ていうのもありますし、それからただそのお金を回すとか、ちゃちゃっと作ってしまうっていう意味でいえば、べつに儲けたいわけじゃないけど、会社組織のほうが楽だよねっていうか、そういう側面もあるみたいで、僕は詳しいことは知りませんけども、会社でやってるっていう人たちもいます。

■ここまでのまとめと補足
 ここまででいちおう説明しました。つまり、日本の介護介助に関わる制度は大きく2つある。介護保険のほうがメジャーで、こっちはちっちゃい、あんまり知られてない。けれども、介護保険があんまり長い時間使えない制度であるのに比べて、こっちは長い時間使える。それから、こうやって今日、明日みたいな講習を踏まえて、皆さんがこういう仕事をしてもいいと、事業所もそういう仕事に乗ると、やると、いうことであればいろんな仕事にそのいろんなニーズに応じるってこともできる。そういうことで使える制度である、ということを言いました。
 それから、お金は政府としては介護保険のほうにお金をがんとつけて、それが事業所に入る。こっちは単価的には高い、こっちは低い。けれどもこっちのほうは短くしか働けない、こっちはそのいっぺん入ったら長く働ける。そういう事情もあって、最終的に1人の働き手が受け取るお金ってのはあんまり変わらないってが今の現状であるって話を次にしました。
 それからその額は、ぶっちゃけ1,000円ってあたりの前後なんだけれども、今、地域とか事業所とか、その経営の方針というか、あるいは端的にいってどれだけ儲かってるか、そういうところで変わってきて、一部では1,500とかそれを超えてるぐらいのところもある。そして、そうやって時間で働くっていうほうが、数的には多いけれども、何年も働いて、そういうコーディネートとかね、そういう仕事も含めて常勤的に働くようになる人もいる。それからそういうステップを経てっていう人もいるし、最初からもうどかんと事業を立ち上げちゃうっていう人もいるんだけれども、その働き手兼の場合あるし、働き手は働き手としてっていう場合もあるけれども、そういう事業所を自分で立ち上げてっていう人もいる。というところまでお話しました。
 もう1人いた。天畠大輔っていうのがいてですね。だから東京に2人、千葉に1人、神戸に1人、京都に1人、そんなもんかな〔+滋賀県で葛城貞三〕。今日、僕がもしかすると何人かの名前を出すかもしれませんが、それはだいたい、〔生存学のサイトの〕「人」っていうところに出てきます。で、天畠は「て」なので、ここんところ〔「て」〕をクリックすると出てくる。彼も僕のところの大学院生です。東京の三鷹駅あたりに住んでるんですけれども、彼は身体中どっこも動かなくて、んなことはないんだけれども、細かくは全然動かない。目もほぼ見えない。口きけないっていう、世界で一番障害が重い大学院生だって私は言ってますけど、たぶん本当なんじゃないかと思います。じゃあどうやってコミュニケーション取ってるかっていう話をし出すとおもしろくて長いんですが。このページを読むとわかります。彼も今、自分で事業所立ち上げちゃた。自分用のヘルパーを使ってます。ちなみにその彼の親父は大手の広告代理店に勤めてたはずなのだが、今は息子と一緒にその事業所を経営してるんじゃないかな。介護保険のヘルパーの場合今日明日のよりずっと長い、課程を経なきゃいけないんで、その親父は50代、60、なんかそのぐらい、50代ぐらいのときに福祉の専門学校に通って、介護保険のヘルパーの資格取って、今、共同経営みたいな感じで息子と親父は事業所、たぶん両方やってるんだと思います。
 ちなみにこれは、これだけやる事業所もあるんですよ。あんまりないな。両方やる事業所なんですよ。ただ、多いのはもうこれ〔介護保険〕しかやってませんっていうほうが多いと思います。ていうことであります。さて、そういうお話をしました。
 じゃこの話の終わりに、これとこれは性格は違うって、さっき言った話をちょっと捕捉します。これは要介護認定っていう、マークシートみたいなやつで、ほんとコンピューターでピーッてっていうのでかちっと決められるわけですね。このごろけっこう判定が厳しくなって皆ブーブー言ってますけれども、ブーブー言うだけのことはあるとと思います。よろしくないと思いますけれども、そいうので、わりと全国一律に決まります。ですので、文句はいっぱいあるんだけど、文句言っても誰も聞いてくんないみたいなことになるんだけどね。で、こっちはこれからなんでこういう制度ができちゃったのかっていうのはこれから説明しますけれども、そういうことを、ま、国のほうは透明性がどうとか、公平性がどうとかいって、介護保険みたいな仕かけにしたいんですよ。なので、段々こう昔みたいな大雑把な制度より、なんかきちっきちっとしたかなみたいな感じに、変わってきつつはあるんですが、今でもそんなに介護保険における要介護認定のような、細かな判別っていうか、判定、それからそのサービス量の基準っていうのがきっちり決まってはいません。
 ということはどういうことかというと、自治体の裁量によってだいぶ事情が違ってくるっていうとこはあると思います。で、ちなみに自治体っても、だいたいこれは、こういう類のサービスっていうのはそういうもんなんですけれども、自治体が、私のところはお金がないんです、私の市にはお金がないんでっていうんですけれども、こういう事業っていうのはだいたい国が半分お金を出してるんですよね。で、京都市みたいな、ちょっと違いますけれども、大阪市とか横浜市とか違いますけれども、都道府県が4分の1、で、市町村によってはそのまた4分の1っていう、こんな感じでそのお金を出してるんで、○○さんがだいたい市の窓口に行くとうちはお金がないって言うんだけど、実際にはお金4分の1しか出してないんですよね。そういう制度なんですが、だから自治体がうちでこれだけ出しますって言ったら、いってみればその国のほうは、どうのこうの言わず、2分の1を出さざるを得ないっていう、そういう仕組みなんです。

■交渉して使えるようになる
 僕が京都に越してきたのは2002年です。京都は、その頃はしょぼかったんです。重度訪問の制度そのものがあまり使われてなかったし、それから時間。1日いらない人はいらないんで、別に長いほうがいいって私は言ってないです。ただ長い時間必要な人は必要なんですよね。必要なそういう人も長い時間使えてなかったんです。それが、あれいつだったけな。2006年とかかな、これもWho's whoに出てる、このへん、西陣のあたりに今住んでる、ちょっと変わった名前の、難しい字ですけど、甲谷匡賛さんていう、そのへんに今でも住んでます。この人は、ALS、筋萎縮性側索硬化症っていう、病気っていうか障害というかで、やっぱ体どっこも動かなくなってっていう障害を持っていて、なおかつその家族だなんだいう前に、独り身でずっと暮らしてきた人です。
立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』表紙  この甲谷さんて、今、画面に出てる人は、からだ系っていうか、舞踏、体を動かして、踊って、パフォーマンスっていうかアートっていうか、表現する人たちいるじゃないですか、そういう人たちの体を見てあげるっていう仕事をしていたんです。それで、そういう知り合いがいっぱいいて、まあ比較的時間が自由になる人もいて、そういう人たちが最初ボランティアみたいな形で入ったんだけども、でもやっぱ24時間365日いるから。これはたいへん、困ったって言ってたんです。彼をサポートするっていうか、してる、取材したことある京都新聞の記者とかね、それからさっき言った東京で事業やってる人とか、そういう人たちがたまたま私の周りにいて、そんなんで彼と付き合うようになって。
 これはどうかしねえとだめだってことになって、2007年、2006年よく覚えてないんですけれども、京都市の市役所に、彼が先頭で、それから彼の支援者。僕も後ろのほうについてって、京都市役所の障害福福祉課長さんに直談判しました。やっぱり現物がいるっていうのは強いもんで、あ、見たらこれどっこも動かねえよってのわかるります。わかるっていうか、現実そのものなわけです。で、しょうがないねって話になって、一気に、あのときの交渉で24時間つけるようになったんですね。ということがあって、で、お役所っていうのは基本的に先例主義なんで、つまりいっぺんそういうケースあると、同じような条件の人についていえば、同じだけ出すっていうことになるんです。ていうんで、この甲谷さんよく京都の街中のお寺巡りとかしてます。  その後、今日あとでレクチャーをする人も関係した人、杉江さんというおっちゃんなんだけども、この大学のすぐ近くに住んでた。彼もALSの人だったんだけど、ALSで人は死にません、ガンで亡くなられたんです、何年か前に。で、彼も同じような感じだった。やっぱり24時間必要で、なおかつ彼の場合は別れて単身だったんでね。で、やっぱりいるもきはいるっていうんで。2人目はわりと簡単に通った。ていうんで、京都はそういうふうにして、かつてはそうではなかったんだけれども、そういう、こういう人が出てきた。交渉したのきっかけに、時間が出るようになりました。まあ不思議っていえば不思議なんだよね。交渉しないと出ないのかよって、そうなんですけれども、それだけその交渉力が強いか、あるいはその役所が理解するとか、そういうことによって、左右される制度でもあるんですよね。

■弁護士たちも支援している+自分たちも関わる
 で、そりゃしんどいと。ま、実際しんどい。っちゃしんどい。でもまあ、甲谷さんときはそんなたいしたこともなかったんですけどね、いっぺんとにかく10人ぐらいでぞろぞろ行って、会わせてくれつって捻じ込んでやったらなんとかなったんですよ。で、でもまあしんどい。今、どうなってるかっていうと、今日さっき皆さんにお配りした、重度訪問っていう3ページ物の後ろのほうに、ただ中身がないので、今日うち帰って、明日、あるいは明日うちに帰って、そこからリンクしてもらったらいいと思うんだけれども、昨今起こっていることとしては、法律家、ま、弁護士ですね、が、わりと協力的になりつつあります。つまり、本人と役所が交渉するっても、気が弱い人もいるし、なんか、気が小さい人もいるし、大変。いろいろな事情があるわけだ。そういったときに、ここんところ、弁護士たちがネットワークを作って、それでそういうことに時間を増やすとか、そういう活動をしてくれています。
介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット 編 201610 『支援を得てわたしらしく生きる!――24時間ヘルパー介護を実現させる障害者・難病者・弁護士たち』表紙  で、これはそのネットワーク、直接関係ないだけど、たとえば和歌山。京都の隣の和歌山で何年か前にやっぱり同じ障害の、ALSの人が裁判やって、なぜか24でなくて23時間、裁判所が出せっていうことを行政に命令するっていうか、そういう判決が下ったことがあります。裁判はちょっとしんどいですが、多くの場合、その弁護士が介在するっていっても裁判まで持ってかれること少なくて、弁護士が役所に交渉するっていうか、この人はこれだけいるんだから出してくださいよってことを言う。そうすると、東京とか大阪とか、そういうのに慣れてる役所は弁護士バッジぐらいじゃあんまりびびらないんだけれども、わりと地方に行くと、弁護士ってのはまだちょっとは偉いっていうか、そういう職業のようで、わりと言うことを聞くっていうようなことがあるらしくて、ここ数年は弁護士が入って交渉するっていうようなことになっています。この下のほうに、「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」っていうのがあります。これクリックしてもらうと、われわれのこのページに行って、で、そこはそこで自分のところの事務局のホームページがあるので、そこを見てもらうことができます。〔本として介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット編、201610、『支援を得てわたしらしく生きる!――24時間ヘルパー介護を実現させる障害者・難病者・弁護士たち』〕。
 ただ、皆さんはこの、これで働くってときに、事業所はこういうことをやってる、で、言われた通りに働くっていうこともひとつあるんだけれども、ただ、この制度そのものがそうやって交渉したりなんやかんやして、作られてきて、いわば勝ち取られてきたものであって、あるいはそういうことがないとできなかったっていうことは押さえといてもいいことだし、あるいはその、この人これだけいるよね、だけどなんか少ないよねっていったときに、やっぱ京都でも京都市と、たとえば舞鶴とかね、京都市じゃないところはいろいろ違うわけですよ。ったときに、そういうこと、支援するっていうか、支援しないとこう自分も働けないし、あるいはその利用者はそれを使えないしっていう制度でもあるっていうことは押さえておいてください。
 さて、これで前半終わりです。ちょうど1時間経ちました。だいたいなんとなくわかりましたか? これから自分がお金をもらう、あるいはやがて自分がそういう事業を立ち上げるかもしれないその制度っていうのはだいたいどんなもんかってのは、これでおわかりいただけたかなっていうことにします。

■■歴史のこと

■『生の技法』もう一度、安積遊歩
 で、後半残り1時間は、なんでこの2つがってのもあるんだけれども、こういう制度ができてきた、あるいは必要とされてきて、あるいは獲得されてきた、そういう歴史の話をちょっとしようかなと思います。
 それで、この本〔『生の技法』〕を皆さんに持っといてもらいたいのです。今日はこれ使いません。けれども、使わないから買ってもらったっていうところもあるのね。長い本ですし、けっこう厚い本ですし、難しく書いてるところもありますので、端からは端まで全部読めとは言いません。けれども、1,000円だったら買ってもいい本かなと僕は思っています。で、その本の後半、特に後半のほう、僕が書いてるんで、今日、雑把に話すことの細かい話は第7章、「早く、ゆっくり」っていう章以降に書いてあるんで、詳しくはそれを見てください。それから、そこに関係する人とか、項目とかそういうところにホームページからリンクされてますから、それを見てください。
 で、もう1つは、読みやすくてわかりやすくて、なんかいいなと私はいつも思ってるんですが、この本の第1章をね、家帰って読んでください。これは読んでください。せっかく今日強制的にというか、手渡されたものなんで。安積遊歩っていう、安積純子でもいいんですけれども、ていう人がしゃべってる。彼女は本も3冊ぐらい書いていて、文章書ける人なんですけれども、しゃべるともっとおもしろいんでね。福島弁で。福島の、郡山の人なんです。福島から出てきて、東京に暮らしてて、震災起こったときに原発嫌だからつってしばらくオーストラリアかなんか逃げてて、今また東京に帰ってきたらしいんだけどっていう人なんですけど、僕より4つ上の人で、安積(あさか)さんっていうんですよ。彼女はエコロジストで、僕はそうでもないので、そこらへんはちょっと趣味は違うんですが、食い物が違ったりするんですが、ま、それはちょっと置いといて。彼女は4つ上だって言いました。僕はちなみに1960年生まれで、彼女1956年生まれで、もう60になるのか、今年〔2016年〕。
 ていう感じの人なんですが、骨形成不全っていう障害があって、骨形成不全っていうのは、簡単に言うとカルシウムが骨にならないって言ったらいいかな。そういうわけで骨が弱い、脆い、育たないっていう障害です。だから身長も低くって、107cmとか109cmとかそんな感じの、だから可愛いっちゃ可愛いんだけれども、そういう感じの障害です。ちなみにこの障害は遺伝する障害で、彼女の娘さん。宇宙さんっていうんですけども、彼女も高校生になっちゃったかな。宇宙って書いて「うみ」って読むんですけども、滅茶苦茶ですよね。ただ、こんなことしゃべってると1時間経ってしまいますけど、日本人の名前ってどう読んでもかまわないんだそうですね。だから、これで「うみ」と読んでいいらしいんですけど、法律的には。で、彼女の娘さんも骨形成不全ですけども、その人がわが半生を語ってます。これは1990年に出た本で、彼女は56年生まれだから34年分。それからまだ26年とか生きてるわけですけど、ちょうどそのあたりのときに自分のそれまでの人生を語ってて、私は聞いたんです。それを整理してわかりやすいように並べて書いてます。めちゃ読みやすいです。で、これから私がお話したいことの気分ていうものが、けっこうストレートに伝わる章になってると思うんで、そこんとこだけでも読んでください。ていうんで、この本をお渡ししました。
 さて、これからの話は、これから皆さんが障害を持っている人たちの生活に貢献してくれるとしてね、そういう人たちに助けてもらってというか、介助・介護してもらって、てことはつまり、親兄弟、家族に介助をさせるんじゃなくて、負担をかけるんじゃなくて、あるいは少なくともほかの人たちよりも大きな負担をかけるんじゃなくて、そして施設にでもなくて、好きなところで、その好きなとこってのは新しく暮らしたいとこかもしんないし、今まで暮らしたとこかもしれないんだけれども、そういうところで暮らしたい、つきましては皆さんよろしくっていう、そういう動きっていうのが、どういう形で出てきたのかって、それに伴ってさっき1時間説明した制度っていうのをどういう形で出てきたかということを簡単にお話しします。詳しくはこの本、それから、この本のあとの、そういう社会運動というんかな、そういうものに関わった人たちとが対談したり、インタビューしたり、その人たちのことについて書いた本がいくつもありますんで、オタクになりたければ、詳しくなりたければ、そういうものを読んでいただきたいと思いますけれども、今日は、短くというか、やりたいなと思います。

■1970年
 話はだいたい1970年ぐらいに始まります。このへんの話はだいたいみんな大ざっぱで、半分嘘なんですね。ほんとかよっていったら、ほんとじゃないかもしれないんだけれど、でも話っていうのは、どっかを省略して、どっかを際立たせてしゃべるしかないというところもあるんで、今日は1970年から始まったんだということにします。だから、今から45年前ですか、ぐらいのことですけれども、この年は、世界中でいろいろあった年です。この年、1968年、69年、このへんです。というのは、ばっと見ると、そのとき生まれていた人、そんなたくさんいないかなという感じですけれども、僕はちゃんと生きてましたよ。10歳でした。よく覚えてないですね。だけどいろんなことがあった年です。世界的には、ベトナム戦争まだやってて、その数年後に戦争終わるわけですが、ベトナム戦争やめろって反戦運動が世界中で起こってた時期でもあります。
 ちなみに、こんなことしゃべっていると時間がなくなるんですが、まあいいや。『映像の世紀』というのをNHKでやってて、ユーチューブで、あれは違法だと思いますけれども、見れるんですよね。最近僕はけっこうあれを見ていて、気持ち悪い画像が山ほど出てくるんですが、ナチスに殺されるユダヤ人の。というか、あるいは殺される、あるいは殺された人たちが出てきたり。なんかこう、えぐい映像がいっぱい出てきて気持ち悪いっちゃ気持ち悪いんですけど、でも見てしまう。ので、けっこう、70年代のベトナム反戦運動とか、そういうベトナム戦争のやつとか、けっこうバックグラウンドで流しながら仕事している俺はなんなんだろうと思いながら、そういうのを流しています。
 そういう時代です。反戦運動があり、それから日本でもアメリカでもイギリスでもフランスでもドイツでも、学生運動、学生たちが、いろんなことに文句言って騒いでいる。そういう時期でもありました。それから、日本では公害の問題、水俣病とか。もともともっとあった、昔からあったんですよ。昔からあったものが表に出てきてという時代でもあります。世の中に文句を言おうぜみたいなね。文句あるんだったら言おうぜみたいな、そういう時代の到来っていうのと、これからお話しする話は、関係が僕はあると思っているんですけれども。

■「母よ!殺すな」
 これからお話しするのは、1つには、障害児の親が障害児を殺したという話です。1つは、施設に収容された人たちが施設から出たいといった話です。障害児、障害者は、昔から親にいっぱい殺されてきましたし、今も殺されてますし、別に70年に初めて殺されたわけじゃないわけです。それから施設も、日本の場合はわりと、施設の整備自体が遅れたので、たしかに70年ぐらいから花盛りになってくるんだけれども、それ以前からなくはありません。ですから、この70年という年は、文句を言うっていうことが始まった年という感じですね。
 1つ、この本〔『生の技法』〕の第7章に書いてあるんですが、横浜で2歳になる脳性麻痺の女の子が母親に殺された。そういうことはときどきあります。そして、その女の子を殺した母親にも事情があって殺したくて殺したわけじゃないわけだから、刑を軽くしてくれという運動があったんです。これも今でもあります。それに対して、文句を言おうと思った人がいた。つまり、殺した、殺した人の刑を軽くしてくれという運動があった、その殺してくれというのに文句を言った運動が始まった。たった数人の横浜の脳性麻痺の人たちが、ほかの人が殺されたときより俺たちが殺されたときに刑は軽くなるってのはどういうことだと、言い始めた。言われて見ればそうかなと思うんですけれども、そういう文句を言い始めた年がこの年です。
 それはやがて、親っていうものと子どもとの関係、あるいはその家族と障害者との関係っていうのをどういうふうに組み立てて、組み立て直していくのか、環境をどう考えていくのかという話につながっていきます。そういったなかで、別に俺は、殺されたくはないけど、殺されない、あるいは乱暴されない限り、別に親は嫌いじゃないと。親と仲良くもしたいと。だけど、それと、家族関係が保たれるということと一生親の家族の面倒をみて暮らすというのは、それは話は別だろうと。家族があるということと、家族に世話されるということは違うだろうと。家族と離れて、あるいは、家族と一緒に暮して、どっちでもいいんだけれども、どっちでもの生活を維持する、やっていくためには、家族に負担をかけないで俺たちは暮していくんだと。そうして、家族から出て、自分の生活を新たに始めるという場合もあるわね。それは、普通そうなわけじゃないですか。大学、学校に入る、就職をする、結婚をする。そういう節目、節目で、たまたま親と別れて暮していくということもあるだろうし、あるいは、そういったあとで、また親と暮し始めることもあるだろうし。いずれにしても、親と、介護という、介助という意味では、距離をとって暮していく。それって、普通に当たり前のことなんだし、その当たり前のことを実現していこうと。そのことによってかえって、家族なら家族という関係を別様に組み立てることもできる。そういう話になってくるんですね。
 それを脱家族というふうに、この本では僕らは言ってますけれども、それは別に家族と仲悪くなれとか、あらゆる人が家族と離れて暮すとか、別にそんなことを言いたいわけじゃなくて、いや、別れて暮しても全然いいんだけれども、別れて暮すにせよ、暮さないにせよ、生活を維持していく。それは介助だけではなくて、所得保障の部分も含めて家族とは別に暮していくというのが、これは当たり前じゃないかと。そういうふうにやっていこうよという、そういうことが1つ始まります。
 これは組織としては、「青い芝の会」っていう、ちっちゃい組織があって、その組織の人たちが、思いついて言い始めたことが、1つのきっかけになっているんですけれども、そういったことがある。脱家族ですね。それがある。

■府中療育センターでのこと
 それと同じ年のことです。東京に府中療育センターというのがありました、今でもあります。知的にも身体にも重い障害がある人もいるし、身体障害だけの人もいるっていう施設でした。新しくできたきれいな施設だっていうんで、よかったねという話だったんだけれども、そこにいる人たちが、ちっともよくないと。なんとかしてくれっていうことを主張し始めました。最初は施設の待遇とか、そういうのをよくしてくれと。どういうふうに待遇がよろしくなかったのかというのは、この本に書いてあります。いちいち説明するのは面倒なんで、やめときますけれども、やっぱり、言われると、やっぱりこれひどいなと思います。そういう待遇をもっとなんとかしてくれという話だったんだけれども、そういうふうにやっていくなかで、そもそもそういうとこにいなきゃいけないんだろうかっていう話になってくわけですね。ていうんで、施設の改良、改善ということと同時に、施設から出て暮らせるっていう、そういう生活を求めるという動きがやっぱり同じ年に始まります。つまり、脱家族という運動と、その脱施設っていう運動が同じ年に始まったというと、なんとなく話の格好がつくので、そういうストーリーにしているところもあるんですけれども、そういうことだと。
『母よ!殺すな』  ちなみにこれに関わったのは、神奈川を中心とする「青い芝の会」の人たちで、それに関わった人たちが何人かいます。僕はそこにいた横塚晃一というおじさんが、生前1回も会ったことないてすが、ちょっとフェイバリットです。昨日やっぱり『映像の世紀』を見てたら、チェ・ゲバラが出てきて、やっぱりゲバラかっこいいなとか思ったんですけど、ゲバラがかっこいいなというのは普通じゃないですか。ガンジーとかね。それは普通なので。僕はそういう普通の人は、それはお任せして、私のフェイバリットは横塚晃一だということにしてるんです。今日、せっかくなので言うだけ言っておきますね。
 この人は1978年に亡くなっちゃった、43歳とかで死んじゃった。胃がんで死んじゃったんだよ。胃がんではこのごろ人死なないんだけれども、生活保護の医療がよくなかったんだっていう話はたぶん、本当だと思います。で、『母よ!殺すな』って、さっき言った話です。この題の本出してて、その本の解説を僕が書いてるんですが、よろしかったら見てください。この本です。いい本です。
横田弘・立岩真也・>臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』表紙  というのと、それから、2013年に80で亡くなった、横田弘さんってじいさんがいて、僕は、彼とは話すことができて。3回しゃべったので、その人との対談集とかが出たりしています。マニアになりたい人はどうぞ。というかね、マニアになりたくなくてもけっこうおもしろいと思います。
 ちなみにこの施設にいた人っていうのも何人かいるんですが。そのうちの1人は三井絹子さんという女性です。それからもう1人、その兄貴で新田勲さんというにやけた顔にみえる脳性麻痺のおじさんがいて、この人も2013年に、2013年って年はいろんな人が死んだ年なんだけれども、亡くなりました。彼も本をこんな感じで出しています。僕は、インタビューを大学院生のときにしたり、こういう稼業を始めるようになってから、お呼びがかかって対談したりってことがあったりして、これ、『足文字は叫ぶ』って本にはいっています。「足文字は叫ぶ」ってわけわかんないじゃないですか。足指叫ばないだろうと僕は思うんですが。彼はしゃべれない。どういうふうにしゃべるか、叫ぶかというと、叫んでるようには思えないんですが、こうやって座ってね、足をこうやってこう動かすんです。僕はわかんないんだけれども、慣れている介助者は読めるんですね。五十音、ひらがなを書いてるのに近いものを書いてるんですけど、それをちゃちゃちゃと書く。だから彼は足指でしゃべっていたんですけど、叫んでなかったような気はするんですけどね。僕もその足指でしゃべっている彼と対談したことがあって、それがこの『足文字は叫ぶ』っていう本に載ってます。よろしかったらどうぞ。
 こういう人たちが、施設を出て暮らすことを始めます。その脱家族、家族から出て、施設から出てどうやって暮らすんだいっていう話になります。街に出ようという話になりますね。街に出ようということになるわけです。ちなみに、これが、この2つのことが起こったのは、神奈川と東京で、関東ですけれども、似たようなことはほぼ同時期でいろんなところで起こります。関西でも起こります。関西のほうでもいろんなことがあったんですが、おもしろいことがあったんですけれども、全部省略しますが、『そよ風のように街に出よう』って雑誌があります。
 まあ、そういうことですよ。つまり、家族に世話されるのをやめて、施設にいるのをやめて、どうしようかっていったときに、そよ風のように街に出るって。わかりやすいお話ですけれども、そういう話になった。ちなみに『そよ風のように街に出よう』は雑誌の名前で、大阪の人たちが作った雑誌なんですけれども、非常にいい雑誌です。が、あと2号かな、で終刊、終わるんだそうです。78年、70年代の後半出た本なので、約40年続いたのか、そういう雑誌があります。ちなみに僕はそこにも原稿書いているのですが、そういうものを読みたい人はHPで読めます。僕はお金、印税もらえる雑誌は、その先に配慮してというか、普通原稿の全文はホームページに載せないんだけれども、原稿料もらってないしさ、みたいなのもあって、この『その風のように街に出よう』という雑誌の「もらったものについて」という連載は、その全文読めるので、そこで私がしている昔話を読みたかったらそれを見てください。
 もらったものっていうのは何かというと、こういうこと〔家出〕を言って、こういうこと〔施設から出る〕を言って、こういうことをやった人から、僕が何をもらったのかということを書いてるつもりなんです。ですから、そうやって家族やめて、施設やめて、街に出ようとなったときに、街に出たって、雨が降ったり、風が吹いたりするわけで、やっぱり困るわけです。街に出るというと、なんかすがすがしくていいけれども、暮らす場所がいる。暮らさなきゃいけない家がいる。ものも食べなきゃいけないから、お金もいる。雨をしのぐためにもアパート借りなきゃいけないから、お金がいる。どうすんだというんで、多くの人たちは生活保護をとって暮らします。ちなみにさっき言った、第1章をしゃべっている安積遊歩も長いこと生活保護で暮らしていました。今は違うかな。僕が今、名前出した人、全部、全員、生活保護で食ってました。生活保護っていうのはとっても大切な制度なんだけれども、今日はその話はちょっとパスします。非常に大切ですけど。

■「ボランティア」はしんどい
 一方で、そうやって暮らすために、食って、寝てのためのお金がいるんだけれども、重度の障害者の場合、それだけじゃ足りない。それは何かっていったら、介助なんです。だから家族が面倒見る、施設に収容するってことも起こっていたわけだ。じゃあ、その介助をどうするかということになります。70年代の初めです。70年代の初めっていうのは、ほんと、なんもなかったに近い。在宅の福祉制度というのはね。70年代の中盤でいうと、家庭奉仕員っていう制度はあったんですよ。ただ、あるところでも週に2回、1回2時間、だから1週間に4時間とかっていう感じでした。それで用が足せる人はそれでいいんだけれども、そんなことはない人たちが出てきたわけですから、さあどうしよう、ということになった。
 最初は、理念としてという部分と、もうやむを得ずという部分と両方あったんだけれども、ボランティアというか、に頼るというか、使うというか、そういうことになります。その当時の学生たちは暇だったので、大学生ですね、多くの場合は。大学生をだましたり、すかしたり、いろいろして、ボランティアにして、働いてもらう、手伝ってもらうってことがありました。大学生だけじゃなくて、勤労者というかな、あるいは主婦の人も、いろんな人もいましたけれども、数的にはけっこう学生多かったと思います。
 ちなみに、僕も1960年生まれで、79年に大学に入るんだけれども、そのあたり、80年代の前半ぐらいに、いろんな、きっかけというかありました。その一つで、僕がいた大学に、もぐりで来ていた脳性麻痺の男がいてね。彼は、ちゃんと立派な、家族に、立派な家族って変だな、ところにいたんだけれども、とにかく街に出るって、手伝えとか言われて。ほんで、アパート探すの手伝って、それで見つかって、ほんで、飯作ってくれって言うんで、わかったって言って、しばらくやったりしてました。だから、僕もいささかの経験がないわけではないんで、そのときの感じはちょっと覚えています。
 どういうことかというと、まあ、しんどいです。しんどいっていうのは、働くのは別にしんどいわけではあまりなくて、あまりたいしたことなかった。僕は貧乏だったので、自分のアパートに風呂もない。その彼のところは風呂ある。彼のところはいい部屋だったんですよね。だから行って、ただでシャワーを浴びて帰ってくると200円得した、とかね、そういう感じだったんですけれども、何が大変かというと、そのローテーションを埋めるのがかいへん。
 彼は1日24時間ではなかったけれども、やっぱり毎日介助がいるんですよ。夜はいらないけど、昼間はいる。そうすると、何十人という人たちのリストから、とにかく、365日、なんとかスケジュールを埋めなきゃいけないわけです。介護ローテーションを埋めなきゃいけないんですよね。そうすると、彼は、電話できなくはないんだけれども、言語障害かなり重いんで、電話すると、特に親元にいる学生とかだと、親が出るから、なんかいかがわしいというか、あやしい電話に間違われてしまったりするわけです。切られちゃったりする。そんなんで、お前、電話しろ、て言うんで、代わりに電話させられたんですけど、僕は、昔も今も電話するのきらいで、まあ、いいや。そういうこともあったんですけど、で、けっこう学生だから試験もあるし、就職するやつもいるし。結局人手が足りないっていうことがあり、足りないなかでそういうことをしなきゃいけないっていうしんどさみたいなものは多少経験があります。
 で、ボランティアじゃしんどいよねって。そうやって暮らす人か東京で何人とか、数が数えられるぐらい少ない間はなんなるかもしれないけど、そういう人が100人なり、1,000人なりってことになると、これはやってけないなっていう話が1つ出る。で、やってけないから有償でっていう理屈、理屈っていうか、やむを得ぬ事情っていうのもありました。

■筋論としてボランティアてよいのか
『差異と平等――障害とケア/有償と無償』表紙  だけど、それだけじゃなくて、ボランティアって、なんか言葉としてもいいけど、ボランティアでやるっていうのはいいのかなっていう話もあったのね。これは、ちなみに、理論的にはまだ決着がついてないテーマかもしれなくて。私、いろんな変な本、変じゃなくてちゃんとした本をいっぱい書いてるんですが、『差異と平等』っていう本を何年か前に書いてます。堀田さんっていう倫理学と哲学をやってる人と一緒に書いた本なんだけど、この本は、堀田さんが、介助っていうのは本来は無償であるべきだっていう主義主張を展開し、いや、僕は、お金払ってもいいんだよ、お金もらってもいいんだよっていう話をしてる。そういう本です。両方が理屈を述べ合っているっていう、そういう本なんです。もし興味があれば見てください。
 ごちゃごちゃした議論はそれに譲りますけれども、僕の1つのポイントは、ボランティアいいけど、結局ボランティアに働いてもらうってことは、ボランティアだけに働いてもらうってことだよねっていうことなんです。つまり、ボランティアでやってるって限りは、ボランティアじゃない人は何もしないですんでるってことだよね、これっていいことなんだろうか、ってときに、違うんじゃない?、つまり、人の生活、生命を、生存っていうものを支える義務っていうものは、すべての人にあって、そういう意味でいうと、ボランティアだけがやるっていうのはボランティアだけが義務果たしてるっていうことになるわけで、ほかの人たちは義務逃れてるってことじゃないのか、それって違うんじゃないかっていう話をしてます。僕はそういう立場なんです。
 そうすると、じゃあどうするか。1つは、全員がこの仕事することです。全員にさせるって時点で義務って話になるから、ボランティアじゃなく強制ってことになりますよね。それでいいのか。僕はいいっていう立場なんですけれども、それは異論があるかもしれませんが。とにかく、じゃあ全員がやるってことにしようかって話になるわけ。そうすると、いやいややるやつもやっぱり出てくる。それから、嫌いなやつとか不得意なやつとか、そういうやつも出てくる。それから、ほかの仕事したいってやつもいる。そうなると、全員がやるっていうのは、理念としてはあるかもしれないけど、現実的には無理だし、あるいは、やってもらう側からしても、こんなやつにやってもらいたくねえ、みたいなのもあるかもしれない。
 じゃあどうしようかっていうときの、1つの解決法が、こういうことだと思うんです〔図を示す〕。つまり、これ〔家族〕やめて、これ〔施設〕やめて、こっちに暮らそうってときに、家族じゃない、施設じゃない人から介助を得よう。最初、ボランティアやってみたんだけど、やってみたけどしんどかったって話が1つと、それから、そういうしんどい、しんどくない話をいったん置いといて、社会のあり方っていうかな、として、みんなが支えるっていうか、そういうやり方っていうのが正しかろう。ただこれ、全員がやるっていうのもあるけれども、こいつは下手かもしれない。こいつは嫌いかもしれない。嫌いなやつにやらせると、だいたいよくない。じゃあどうするかっていうときに、1つの方法としては、お前はやらなくていい。お前下手だからやんなくていい。お前なんかやりたくないの見え見えだからやらなくていい。でも、金を出せ。金は出せって言って、金は出させる。つまり、税金を出させる。あるいは保険料を出させる。そうやって全員から、全員からっつうか、お金があるやつからはお金いっぱい、お金がちょっとしかないやつからはちょっと、全然ないやつからは取れないからしょうがない。しょうがないっていうか、それでいいということにして、お金を集めて、政府が集めて、それを、じゃあ実際に働く人に払う。これでいいじゃないかっていうのが僕の考えです。異論はあるかもしれませんが、堀田さんは異論があるんですけれども、私はこれでいいだろうと。

■制度を獲得していった
 いろんなものをもらった人たちがいると、さっき言いました。出る、出て暮らす、どうしようかっていう人たちがなにしたか。本人金ないし、実際、金がないから払えない、から政府がってこともあるんだけど、今の話がもし正しいとすると、この本人、払う必要なくて、とにかく払えるやつが払う。で、それを働く人が受け取る。そういう仕組みでよかろうって話になってるわけです。というふうに、僕はその歴史を読むわけですね。
 そういう理屈があったからってわけじゃないんだけれども、70年代、こういうこと始まった1970年代、80年代、90年代、ゼロ年代に、ですからもう、始まって45年とか50年近くの歴史があるわけですけど、そういう歴史のなかで、今日の前半でお話しした今の重度訪問っていう制度につながるような制度がぼつぼつできてくるわけです。で、そのぼつぼつできてきた制度はどういうもんだったかっていうのは、本に書いてあるので今日はもう説明しません。が、いくつかありました。特に、僕がちょうどそのとき学生として住んでたのが東京だったってのもあるんですけれども、80年代、東京とかそういうところで、自治体と交渉したりして、少しずつ、今でいう重度訪問と違う名前のものだったんだけれども、「脳性麻痺者等介護人派遣制度」とかいう、そういう制度が東京にあったんだけれども、そういうものの増額とか、時間を増やすとか、そういうことをずっとやってきた人たちがいたんです。僕はただの学生だったので、そういうのを傍観、観察していたというか、そんな感じですけど、やっぱり、はたから見ててもようやるわって思ってましたね。そんなことがありました。
 で、僕が特に親しかったのは、東京の立川って町があるんですけど、そこに高橋修さんさんって人がいて、彼も早くに亡くなって〔1999年〕、もう亡くなってから10何年経ってしまいましたけど、そういう人たちが立川市の行政とやり合って、そんで、ちょっとずつちょっとずつ増やしてきたっていうことがあって、80年代ですね。こういう動きが始まってから、10何年たって、20年近くがたって、全国の一部のところで24時間、マックス24時間っていう制度ができます〔『生の技法第3版』、p.◇〕。そういう現実が一部にもたらされるんです。始まりはそういった運動が盛んだったというか、強力に行われた東京の西部でした。
 そしてその後、そういった一部の地域しかなかったものを全国に広げようっていう、そういう動きが展開していきます。で、そういう動きがずっとあったってことを、たぶん、おそらく、社会福祉とかに携わってる人たちも、ほとんどもあんまり知りません。学校ではたぶん教わってないと思います。それが悔しくて、僕らは90年にこの本を書いたんです。僕は社会福祉を専攻する人間ではありませんが、この本を書くに当たって、その当時出ていた社会福祉の本は、いちおう全部、全部に近く目を通したと思いますけど、この本に書いてあることっていうの、全然出てこないんですよね。それはなんでかっていうのは理由があって、要するにその当時の、家族がまずあって、家族がだめだったら施設へっていう、そういう社会福祉のメインストリームに反旗を翻した人たちだったので、業界的にはどうも扱いにくかったんでしょうね。そういうことがあって知られてない。だから、そういうのが、あとあとが長引いて、今でもあんまり知られてないわけです。
 だけれども、実際には70年代、80年代、90年代、この45年、50年近くのあいだにそういうことが、ひそかにというか、地味地味と、たまに派手に、広がってきたその延長上に、今日前半でお話しした重度訪問っていう制度があるんだと、大ざっぱに捉えてください。

■一本化するなら重訪的なものに一本化したほうがよい
 そのあいだにいろんなことがありました。政府のほうが、そんな、交渉次第でなんぼでも取れるみたいな制度は、そういうゆるゆるの制度は困るということで、介護保険的なものに包み込んでしまおうという動きずっと続きました。介護保険は、1990年代に高齢化が大変だみたいな話になって、作りましょって話になって、すったもんだあったんだけれども、2000年から始まった制度である。で、政府のサイドは、こっちのほうが、実際にはこっちのほうがお金を節約できるかっていうと、そうでもないように僕は思うんですけれども、でも、なんか行政的にコントロールできる、お金も人もコントロールできる、こういう仕組みのほうがいいんだってこと、ずっと思ってるらしくて、それでこうやってできてきた、なんかわけがわかるようなわかんないような、そういう制度をこっちの側に取り込もう、そういう動きが、介護保険の始まった2000年頃からもう始まります。
 でも一方のこっち側、こうやって70年代から制度を作ってきた人たちは、こんなもんに乗っかっちゃったら1日2時間しか使えねえじゃねえか、死ねっていうのか、みたいなことで、こういう、こっち側に引きつけられるのを跳ね返すっていうね。そういう綱引きを、もうかれこれ15年ぐらい、その人たちはやっているわけです。で、今のところ、なんだかんだいって、その2つの制度が併存するっていう状態は続いています。
 ですから、そのうちの1つの方を、今日と明日、講習受けて、いろいろ話聞いて、自分もできるようにしましょう。そういう話になります。ちなみに、こっちにみんな合流してよっていう人たちが言ってる話は、ある意味正しいんですよね。つまり、高齢者、基本的にこれは高齢者用の制度ですけれども、高齢者、障害者、別に制度2つあるっていうのが正しい理屈はないっていうわけです。言われてみれば、それはそうだよね。高齢者も、たんに年取ってるからサービスが必要なわけじゃなくて、加齢に伴って、なんかいろいろ体動かなくなったりなんかして、それで障害者になるからサービスが必要なわけで。障害があってサービスが必要だっていう意味じゃ同じなんですよ。
 だから一緒でいいじゃないかっていうのは、基本正しいと僕は思う。だけれども、そこからが違って、1本でいいからこっちがいいって話にはならないですよね、論理的にね。でしょ。1本でいい、むしろ、こっち〔重訪〕でいいって言うべきなんです。こっちでっていうの、だから、その自治体と一所懸命交渉して取れたり取れなかったりするっていうのがいいっていうわけじゃなくて、でも、曲がりなりにも、必要な場合については必要なだけ出る場合もある。場合もあるじゃ困るわけで、必ず出るっていうのは正しいわけですけども、そういう今の、こっち側の制度が、より正しくなった制度の側に、こっち側も来るべきなんですよね。ていう話が、ほんとは正しいんだと思ってます。

■国際的にもけっこう行けているところもある
 だいたい話し終わったかな。1時間45分、けっこうしゃべりましたね。それで、今日1時間45分しゃべった話の超ダイジェストみたいなものが、さっき紹介した、それから今日3枚配ったもののなかにちょっと書いてあるので、それをあとで見といてもらえばいいんですが。
『在宅人工呼吸器ケア実践ガイド――ALS生活支援のための技術・制度・倫理』表紙  1つ追加するとすると、その文章、これです。2016年、「人工呼吸器の決定?」っていう、これです。これは、『人工呼吸器ポケットマニュアル』って本があって、そこに書いてるんですけど、その改訂版が今度出る。今月出ると思いますけど、そこに載る文章の一部です。できるだけ易しく、わかりやすく書こうと思って書いた文章なので、ここに引用してあります。今日しゃべった話がもっと短く書いてあります。そこのなかでちょっと言ってるんですけど、その話だけして終わりにします。こうやって40年、50年かけてできてきたこの仕組みは、国際的に見てもわりと珍しいっていうか、けっこういけてるかもしれないっていう話をして終わりにします。
 だいたい、福祉の制度って、日本はだめで北欧とかヨーロッパがいいっていう話になってます。ある程度っていうか、かなりの部分、それはその通りなんだろうと思います。ただ、在宅で24時間っていうことが、なんとかできてるって意味では、日本も、あるいは日本は、そこそこいけてるかもしれないっていうふうに、ここ10年ぐらい思ってるんです。ていうのは、私は外国あんまり、あんまりっていうかほとんど行ったことないので、実際のところはよく知らないんだけれども、特にスウェーデンとかデンマークとか、まだましなのかな。だけれども、たとえば福祉国家、昨日も選挙があって大変でしたけれども、あれもなかなか深い話ですけれども、EU脱退の話もね。まあ、やめときますが。そのイギリスなんかだと、全然こんな感じじゃないですよ。特に医療とかに関していうと、年齢制限みたいなものがあってね。NIHっていうのがあそこの基本的な制度ですけれども、たとえば、もう年取って一定以上の年齢になると、サービス使えない、医療使えない。金があれば医療使えるけど、それは自分に金があればってことだから、そのお金がない人はここで終わり、みたいなことに、かなりの地域がなってるっていうことがあります。
 さっきこのへんにALSって書いてあったじゃないですか、別にその障害に限らないんだけども、この障害、あるいは筋ジストロフィーも、進行していくと呼吸器つけないと死んじゃう。使えばずっと生きてられるんです、70とか、80とかまで、このごろはね。だけど、つけなきゃ2〜3年ぐらいで死んじゃいます、だいたい。それから、筋ジストロフィーの人たちは、昔はだいたい、特にデュシェンヌ型っていう人たちは10代とか20歳頃に亡くなってました。それが今40代ぐらいまでなんとかなる、呼吸器で。ただ、ALSは心臓はずっと動いてるんだけども、筋ジストロフィーの特にデュシェンヌ型の人たちは、呼吸は人工呼吸器でなんとかなるんだけれども、心臓を動かす筋肉がだんだん動かなくなっていく。それでも、今は40代の人もけっこういらっしゃいます。それで何が言いたいかっていうと、そうやって生きてる人が、福祉が進んでいると言われている国よりも、多く生きられているということなんです。それはよいことです。そしてそれを可能にしてきたのが、皆さんがこれから研修受けてできるようになる重度訪問、重訪なんです。でも、それでもまだ生きるのを断念する人もいます。もっとこの制度が使いやすくなったらその人たちも生きることができる。その仕事をしてもいいという人も増えてほしいと思います。
 そして増えると、辞めることもできるんですよ。自分が辞めたらこの人死んでしまうというのはしんどいです。そんなにしんどくなる必要はないんです。疲れたら、しんどくなったら辞められる、代わりの人が来てくれる。そのぐらいがいいんです。そのために、多くの人が仕事できるようになってほしいと思います。ですのでよしろくね、です。はいこれで終わりです。ありがとうございました。ごくろうさんでした。


■cf.
◆2016/07/24 「重度訪問介護事業+事業者たち:ケア場・3――「身体の現代」計画補足・183」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1753867068213606
◆cf.2015/11/30 PA (Personal Assistance): Acquiring Public Expense and Seeking Self Management
 East Asia Disability Studies Forum 2015 at Beijing


UP:20170803 REV:20170804
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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