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「死刑執行人」――日本(明治以降)


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last update: 20160526


■誰が「死刑執行人」となるか?
 刑事施設で働く国家公務員=刑務官が、死刑のときだけ「死刑執行人」となる。「死刑執行人」という職業は、現在存在していない。
 監獄官制の変遷(明治以後):獄丁→押丁→看守/刑務官

◆関連言及・引用(年代順)

◇1891 「刑法附則問答」『大日本監獄協会雑誌』4(10):17-20

「第一條 死刑ハ其執行ヲ爲ス裁判所ノ檢察官書記及典獄刑場ニ立會ヒ典獄ヨリ囚人ニ死刑ヲ執行スベキコトヲ告示シタル後押丁ヲシテ之ヲ決行セシム但其時限ハ午前十時前トス
 問 本條に依れは死刑は押丁に決行せしむとあり然るに仄かに聞く宮崎縣の如きは全く押丁を廢したりと此事果して然らは死刑は如何なる官吏に於て之を決行すべきや茲に押丁と明記しあるにも拘はらす他の吏員を用ふるは本則に違背するの嫌ひなきを得さるか如し如何
 答 押丁なるものは明治十二三年頃の彼の所謂獄丁なるものにして十四年三月内務省達乙第十六號を以て此名に改められたるも其身分は依然小使給仕に均しきものなり然るに太政官の布告に此名稱を掲けたるは不倫の嫌ひなきにあらさるか如し其は兎も角十四年頃には既に監獄に押丁なるものありしより死刑の決行は斯の如き小使同様のものに爲さしめて可なりとのことより偶々此刑法附則中に此の文字を見るに至りたるものならん即ち死刑決行のあとは獄吏中一番下等なるものゝ役とし其獄吏の一番下等なるものは押丁なるを以て斯く掲けられたるに過きす決して此布告を以て押丁なる職員を設けたるにはあらさるなり就ては實際押丁無き場合若くに押丁あるも差支ある場合等に在ては夫れより上等官吏たる看守に之を爲さしむへし斯く爲すも毫も妨けなきことと思考す盖し押丁にて充分なる仕事を看守に爲さしむるは一層其仕事を鄭重に爲すものなり斯の如きことを以て本條に低觸すると爲は本條の精~を知らさる者と云ふへきか
 問 本條に押丁の文字を用ひたる精神果たして然らば押丁と限らす他に廣き意味の文字を用ふる方可なるか如し如何
 答 誠に然り押丁の文字は之を改められんことを希望す何となれは押丁とあるを前に述へたる如く解するときは實際差支へなしと雖も之を酷に論するときは或は之れか爲めに是非とも拘置監には二三人の押丁を置かさるを得さるか如き議論も生すへくして法規の精~にあらさる枝葉のことよりして押丁全廢を非難せしむるか如きことなしとせされはなり而して此刑法附則の如き法律の性質あるものを以て死刑の決行は押丁にあらされは相成らすと限定するの必要は萬々之なきこと明かなれは押丁の文字は廣く監獄官吏と改むるに若かすと信す且つや内務省乙號達に依て生まれたる小使同樣の押丁を刑法附則中に明記するは前問にも云ふ如く不倫も亦甚たし旁々改正を要することと思考す
→(補足:櫻井悟史)掲の旧字体はエディタでは表記できなかったので、現代語表記とした。

◇小河滋次郎 1902 『刑法改正案ノ二眼目──死刑及刑ノ執行猶豫』, 明法堂

「(第五) 死刑の執行は裁判官をして自身に之れに當らしむることを要す、裁判官にして若し不便の事情ありとならば檢察官をして之を執行せしむるも亦た不可とせず、昔者王者自ら刀を執て罪人の首を刎ね中頃僧正に委ね更らに法官に移り終に降て獄吏の掌る所となり一層堕落して一私人の請負賤業となるに至れり余は此歴史ある所に就て之を見るも死刑に對する民想の推移即ち倫理道徳の觀念に背戻する行爲たるを認識するに至りたる文明民想の一班を證明するに足るべしと信する者なりと雖も苟くも死刑は千古の理法に適する公明且つ神聖なる刑罰として之れが執行の局に當らしむること盖し合理的至當の措置なりと謂ふべきなり
(第六) 裁判官又は檢察官にして自ら執行の局に當ること能はすとならば宜しく一私人の受負事業たらしむること我が幕政時代の如く又歐米死刑維持國の現況の如くならしむることを要す、何れの國か今日また獄吏をして死刑執行の局に當らしむるが如き所之れあらんや裁判官にして自ら之れに任ずること能はずとならば獄吏(押丁)も亦た之を峻拒せざるを得ず、余は寧ろ今日に於て社會が最も賤み且つ○む所の業務をば甘んじて之を執行する所の獄吏あるを怪む、少しく事理を解する者の必らず之を峻拒すべきは勿論にして早晩、終に一人の之れに應する者なきに至るべきは明らかなり、假りに之れに應する者ありとするも此種の者を吏員の一人として(たとへ最下級の者なるにせよ)使用するは監獄行政の汚辱にして又大不利なりと謂はざるを得ず
(第七) 絞殺を廢し、斬殺とすべし、何となれば絞殺は獨り我が國風に適せざるのみならず(外國に於ても絞殺を用ふるは英國丁抹等に過ぎず)絞架場を監獄内に常設し置くか如きは経済上に於ても躰裁上に於ても將た監獄行政の目的を達する上に於ても少なからざる不利あるを免かれざればなり」(pp.180-181)

◇木名瀬禮助 1907 「刑法改正案についての所感」『監獄協会雑誌』20(2)第一部:127-135

「改正刑法案中死刑存置の不可なる點に就ては別項に於て余輩の所感を略述せり此際議會に於て飽まて死刑廢止せられんこと切望するは勿論なりと雖も若し不幸にして多數の容れさる所となり放置の運命を見るに至らさるやを慮り茲に第二の所感として
(一)死刑を監獄に於て執行せさる事
(二)死刑の言渡を受けたるもの監獄に拘置せさる事
の二點に就て卑見を開陳せんとす
 改正刑法案中第十一條曰く死刑は監獄内に於て絞首して之を執行す又仝條二項に曰く死刑の言渡を受けたるものは其執行に至るまで之を監獄ニ拘置スとの條文を讀て余輩は大に遺憾に堪へざものなり抑も監獄は自由刑の執行機關なり否自由刑を執行する機關と爲さゝるへからす一監獄内に肉刑自由刑若は金刑の換罰行政處分の懲治人又は刑餘の別居留置人違警罪拘留等を合禁したる時代は既に過去に屬す又此の萬屋的監獄時代の亂雜諸弊の困難は今更之を謂ふの要なし近來行刑當局の熱心に分類拘置の方針を採り着々之れか設備を爲しつゝあるのみならす刑法改正案に於ても罰金科料不完納者の爲め特に勞役場なるものを設け單に監獄に懲役禁錮の自由刑を執行する所と認めたる如きに拘はらす由來自由刑の執行目的を達するに最大妨害たりし死刑の執行及死刑確定者を監獄機關に管屬せしめたるは如何なる理由そや余輩は實に了解に苦むの餘り或は自由刑執行の目的を遺忘したるにあらさるやを疑ふものなり」(pp.131-132)

◇正木 亮 19551115 『死刑』,河出書房,255p.

「旧刑法附則はその第一条から第八条までに死刑の執行方法を規定しているが、これを要約して説明すると次の通りになる。
 死刑は監獄の刑場で行うのであるが、警戒を厳重にして執行に関係ある者以外は刑場に入ることは許さない。只立会官吏の許可のある者には参観させることが出来るが、原則としては許されない。
 この点は死刑の密行主義が初めて確立された点で特に注目に値いする点である。死刑は従来は民衆の目前において見せしめ>72>の為に行なわれるところに意味があった。しかるに、旧刑法においてこれを獄内で密行することに定めた。そこに刑罰の残虐性除去の大きな進歩のあったことを認めないわけにいかない」(pp.72-73)

「新刑法誕生した明治四十年六月二十日発行の監獄協会雑誌を見ると、花井卓蔵博士が五月五日に監獄協会で「刑罰法規と監獄」という題で講演をしておられる中に次のようなことを述べておられる。
 「是はどうか諸君(監獄官)に是非所謂実質上の立法者としてお叫びを上げて戴きたいために私の方から御依頼申すのでありますが、実は刑法が改正されまして多数は世論輿論で迎えられているのでありますが、最も遺憾に堪えぬ点がここに二つある。死刑廃止の断行されざりしこと、無機刑廃止の断行されざりしことであります。」
といって、監獄官吏に経験上の立場より、死刑廃止の叫びをなすべきことをすすめておられる。>77>
 監獄職員たちは勿論新刑法における死刑の問題について決して無関心ではなかった。否今日のように死刑問題に冷静すぎる矯正職員に比し、昔はかくもよく熱心にこの問題を研究を重ねたものであると認められるほど監獄職員たちは死刑廃止に懸命であった。それがみな経験者たちの意見であるだけに、死刑問題を扱う、今日の私にとっては捨て難き資料であるからここに書きとめて置こう。(中略)>78>〜>84>
 その余の廃止論も概ね大同小異であり、監獄官は死刑を監獄において執行せざることを強く主張している。
 明治維新後今日に至る間においてこの頃程死刑廃止論が強く叫ばれたことはない。たとい、それが監獄・保護事業家の間だけに限られたとしても、これほど意見の一致を見、且つこれが世に訴えられたことはなかった。しかし世の中の殆んどが死刑の存置論であった。大悪に対する応報としてこの刑が最適であるということ、他戎的効力がすばらしく多いということ、>85>従ってこれなくして次の大罪が続出するであろうということ以外に存置論の根拠がないに拘わらず、世の多くは存置論をささえているのである。
 以上の廃止論は存置論のその論拠を覆すべく経験を披瀝したわけであるが、この時を置てその後にこれほど死刑存置論のたたかわされたことはない。しかし、仮刑律から新律綱領へ、それから改定律例へ、旧刑法へ。旧刑法から更に新刑法に移り進むことによって死罪が後退し、死刑の種類が単一化され、死刑の絶対法定制が量定主義に移り進んで行く姿は必然的に死刑そのものの存在に疑問が持たれねばならぬ運命に置かれていた。
 その死刑の運命にかかり合いのある存廃論が新刑法を中心として興ったことは、日本刑事史上の一大出来事であったのである」(pp.77-86)

◇正木 亮 19680720 『現代の恥辱――わたくしの死刑廃止論』,矯正協会,385p.

「しかし、その場合と異なり、絞首刑執行人の立場は異なる。彼等は眼で見て残虐と感ずるのである。そういう残虐を避けるために、アメリカの電気殺では、執行人が直接手を下して殺すことを避け、瓦斯殺もまたそういうことを避けるために発明されたものである。それらの例によると、執行人の感ずる残虐感は非常に評価されている。
 ところが、わが国の絞首刑は執行吏が直接手をかけなければ目的を達し得ないようにできている。この場合、執行吏たちの感ずる残虐感は評価外のものであろうか。
 憲法第二五条は、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定している。絞首刑の執行ということは人類にとって最も不健康で非文化的な行為である。そういう不健康にして野蛮なことをする職業から救ってやってこそ、この条文の生命があるにもかかわらず、執行吏に公務としての月給を支払い、人間を殺すという職業につかせることが死刑以上の残虐であるといえないものであろうか。
 かような点を研究していくと、絞首刑が残虐であるか否か、それが憲法第三六条に該当するものであるか否か、がそう簡単明瞭に割り出せるものではない」(p268)

「明治四〇年の帝国議会で、刑法が成立したときに、当時の監獄協会は、全国の監獄官すなわち典獄、教誨師等から改正刑法についての所感を求めてこれを『監獄協会雑誌』に掲載したことがある。約四〇名からの筆者が筆をそろえて改正法が死刑を採用したことを難じている。彼等はその総てが、自己たちの理想は死刑にあたる犯罪人でもこれを改過改善することにその尊き使命があると確信して、声高らかに監獄官は人間を殺す職業ではないと叫んでいる。
 今日はそれから七〇年を経過し、文化も進み、日本の行政は世界に誇るほどの進歩を示している。にも拘らず、今日の矯正官からは誰一人の声としてもこの死刑問題に関する所見が出されていない。『刑政』誌としてはまことに恥しい次第であり、また、矯正官たちの人命への無関心さがまことに、まことに淋しく感じられてたまらない。今やこの問題は世界の問題となっている。日本の矯正官も今年からこの問題とも取り組んで貰いたい。
 『刑政』第七七巻第一号・昭和四一年一月」(p309)

「同年五月二八日 わたしたちは「刑罰と社会改良の会」の規約をつくり、会員を決定し、そして会費を年三〇〇円として雑誌代を五〇円に決定した。この会費、この雑誌代だけをもってこれからの運動がつづけられるものではない。この大きな社会運動のために、わたしは資金がほしかった。けれども死刑廃止のためにそんな資金を得ようとしても得られるものではないのが今日のわが国の刑罰観であった。(中略)>342>343>
 死刑の執行をその職務内の一つとする行刑局長が部下を派遣して、われわれのこの文化活動に援助されたことを忘れてはならない」(pp.342-344)
→(補足:櫻井悟史)同年とは、昭和30年のこと。

◇矯正図書館 編 19770216 『資料・監獄官練習所』,財団法人矯正協会,785p.

監獄官練習所設立に関する清浦警保局長演説
「諸君 予ハ先ツ諸君カ此度内務大臣閣下ノ訓令ニ従ヒ監獄官練習所第一期ノ召集員トシテ此ニ無事着京セラレタルヲ祝シ十分衛生上ニ注意シ健康ヲ保チツゝ勉強セラレムコトヲ祈ル偖本日、諸君ノ参集ヲ請ヒタル次第ハ兼テ諸君モ知ラルゝ通リ練習所ハ来ル四月一日ヲ以テ簡素ナル開所式の典ヲ行フ筈ナルニ付キ其節小官モ出席シテ練習所設立ノ趣旨を開陳スル積リナリシカ昨日俄カニ愛知県出張ノ命ヲ受ケ終ニ其意ヲ果スヲ得ス依テ本日一同ノ諸君ニ対シ予メ一言ヲ陳述スルノ必要ヲ認メタレハナリ這般内務大臣閣下カ監獄官練習所ヲ設立セラレタルノ趣旨ハ監獄事務ノ改良進歩ヲ冀図セラレタルニアルコト勿論ナリシカ、其冀図ヲ達スルニハ先ツ泉源ヲ潔クシテ然ル後末流ニ及ホスノ手段ニ出テラレシ訳ナリ、凡ソ事物ノ改良ヲ期シ完成ヲ計ラント欲セハ先ツ事ニ従事スル者ヲシテ其事務ニ訓練セシムルヲ務メスンハアルヘカラス否ラサレハ獄則如何ニ完備ナリト称スルモ建築如何ニ善美ナリト謂フモ苟クモ局ニ当ルモノニシテ其人ヲ得サレハ美績好果ヲ挙ケンコトハ到底得テ望ムヘキニアラサルナリ所謂工其事ヲ善クセント欲スレハ先ツ其器ヲ撰フノ理ニテ人物ノ訓練養成ハ事業改良ノ最モ急務タラスンハアラサルナリ従来ノ経験ニ由テ之ヲ観レハ世人一般ノ感想ハ尚ホ監獄ヲ旧牢屋視シテ幾分カ之ヲ軽蔑スルノ傾ナキニアラス従テ之ニ従事スル官吏ノ如キモ等シク同一官吏ニシテ他ノ官吏ニ比スレハ往々其尊信ヲ欠クトコロナキ能ハサルモノゝ如シ是レ実ニ監獄事務ノ一大不面目ニアラスヤ監獄官吏ハ一ノ学科ナリ而カモ一ノ高尚ナル専門ノ科学ニ属ス監獄管理ハ一ノ政務ナリ而カモ地方政務ノ中ニアリテ緊要ノ政務ニ属ス此高尚ナル科学ヲ修メ此貴重ナル政務を掌ル者ニシテ豈漫然世人ノ軽蔑ヲ受ケ其尊信ヲ欠クノ理アランヤ然ルニ我国ニ於テ全く事相ノ之カ反対ニ出ル所以ノモノハ世人ノ未タ監獄ノ本体ヲ領知スルモノ少キニ由ルト雖モ一は亦タ斯ノ実務ノ実績顕著ナラス且ツ当局者其人ニシテ間々自ラ其地位ヲ捨蔑如スルか如キコトアルニ職由セスンハアラサルナリ若シ夫レ当局者其人ニシテ能ク治獄の本領ヲ解シ其実務ニ通暁練達スル所アラハ着々其成績ノ顕著ナルモノアルヲ見ルニ至ルハ必然ナリ内務大臣閣下ノ監獄連練習所を設立セラレタルノ趣旨実ニ此ニアリト信ス」(p28)

実務演習 第三回 明治三十三年一月十六日(火曜日) 於警察監獄学校 小河滋次郎講述
「官吏たる者は総て職務上の秘密を確保するの義務を有す仮ひ刑事上の証人となる場合と雖も事苟も其職務に関する事項なるときは上官の許可あるに非れは之を陳述することを得す就中監獄官吏は最も職務の秘密を保たさるへからす官吏は最近親族の間と雖も此の秘密を漏泄することを得す誰か監獄に秘密なしと謂ふ行刑立法の主義は監獄官吏の各自に依て始て其旨趣を全ふすることを得へし秘密を以て警察の専有と為すか如きは誤解の甚たしきものなり監獄官吏は本人は勿論家族婢僕に至るまても秘密を保たしむるの義務を有す監獄の秘密とは何そや苟も職務に関する事項は其直接遇囚に関する事と監獄行政事務に関する事項は其直接遇囚に関する事と監獄行政事務に関する事とに論なく総て之を包括して秘密と称す監獄官吏は死刑執行の情況に関し死刑者の挙動、刑場の情況等に関する事項は勿論何人か如何なる監房に拘禁せらるゝ等総て其情況如何に付ては堅く他人に漏泄することを得す」(p176)

実務演習 第四回 明治三十三年一月十九日(金曜日) 於警察監獄学校 小河滋次郎講述
「余は諸君の了知せらるゝ如く此の死刑は廃せさるを得すとの意見を有する者なり併し今現に死刑か存在すれは悪法も法律なり此の法律にして存在する以上は此の機会に於て此の死刑執行に対し爰に外国の例を講和するは無益に非すと思へは今其の実況を述へんと欲す是れ余か欧州諸国に於て見聞せし所の断片を述ふるに過きさるなり死刑を用ゆる国に於ても直接に執行する事務即死刑を執行する仕事を以て監獄官吏に任せると言ふか如きことはなきなり此の死刑執行に付ては一定の請負人の如き者ありて絞首若くは斬首する事は総て此の請負人の任務としてあるなり仏蘭西に於ては全国を通して只一人の請負人あるのみなり而して此の請負事業は世襲にして親か子に伝へ子か孫に伝ふると言ふ如く定めあるなり他の地方は重なる都府に之を請負ふ者あれとも是又殆んと世襲として引受居る慣例なり然して此の死刑の請負人なる者は非常に社会より擯斥せられ日本に於て穢多を卑むより一層甚たしく之を卑むの風あり仏蘭西の請負者は常に巴里に住居し死刑執行の時には余所に旅立すれとも此の死刑執>184>行人は到る処之を宿泊せしむる者なきを以て多く旅宿に苦しみ官署の一部を借受けて止宿するなり去れは無論之と縁組をするとか交際するとか言ふことは世人の忌避する所にして全く社会より擯斥せらるゝ一種の下等人なれとも財産は非常に有し居るなり是れ大に考慮すへき点にあらすや何故に此の如く世人か死刑執行者を忌むや若し此の請負者無きに於ては国法の目的を達すること能はさるを以て之を擯斥するの道理なかるへし然るに此の請負人を斯く迄擯斥するは乃ち人情の欺くへからさる所にして人の天性は之を殺すと言ふことは為し得さるなり是れ人情自然に発したるものと謂ふへし此辺より推考するも死刑は人間の自然に照らして良き事に非すとするは何人と雖も一様なるへし
我邦に於ては死刑執行は監獄官吏の任務と定められたれは世人か監獄官吏を卑むは全く茲に基ひすへしと思はる縦ひ下級官吏の仕事とするも官吏の一部に居る者の仕事なれは自然一般の監獄官吏か世人に卑しまるゝは無理ならさることなり何故に監獄官吏は此事を為さゝるを得さるやと言ふに刑法に死刑か存在し居るを以てなり余は此の死刑執行は独り不法不都合なるのみならす我か監獄の体面を傷つくる最も悪むへき醜き事と信するなり
此の死刑執行の方法は其国に依りて種々なれとも或は斬する所もあり或は我邦の如く絞する所もあり又電気器械を用いて刑する所もあれとも多くは斬首刑なり絞首は英吉利或は日本位なるへし他の諸国に於ては多くは斬首の方法を採用し居るなり
死刑執行の場所は各国の規程に依れは多くは人の見ること能はさる構内の或る場所に於て執行すれとも仏蘭西は例外にて監獄門外の公衆の見る所に於て執行するなり過日外人の講師より聞く所にては彼の亜米利加に於て死刑を公行することありと言へり然して多くは此の絞架台を用いさるか故に大概監獄内に於て執行すれとも何処か執行の場所と言ふことは殆んと大監獄を歩きては分らさるなり多くは監獄構内の監房翼と監房翼との間の空地に於て為せとも常に死刑を執行する場所と言ふ指定をするに過きさるなり故に外見より此所か死刑執行の場所と言ふことは分からさるなり又規則には特に囲いある場所に於て執行せよとあれとも執行の場所と言ふものは無く只監獄の囲いある場所に於て為せは可なり故に其の執行の場所は別段監獄内に定め置かさるを以て監房翼と監房翼との間に於て執行するを以て時としては囚人の居る監房の窓より見ることを得ることなきに非す斯る場合には其の監房を他に移して見せしめさることに為し居れり又或は此処か監獄の建物なれは其隣には三階の建物ありて其○より見ることを得ることあり是等は大抵防けとも余の見たる>185>澳地利に於ては容易に見ることを得るなり独遙にては民家より見へさる所に監獄署を設置しあるを以て隣家の○より見ゆるが如き事はなきなり
此の死刑執行を言渡されし者が自殺を為すこと最も多き故に其の自殺を防くか為め又は非常に沈鬱して其の結果精神病を起すの危険あるを以て監獄官吏か注意して之れを慰め或は説諭することあれとも通例此の言渡を受けたる者の監房内に一人若くは二人の看守を昼夜同居せしむることに定めあり仏蘭西抔は二人の看守か這入りて朝夕の食事其他総て監房内の囚人と起居を同ふせしめ一面之を検束し一面之を慰め居るなり又独逸は多くは此の宣告の確定したる者に対して手枷を施すの定めなり又教誨師の如きも殆んと看守と同しく始終監房内に起臥し居るなり之に就て日本にて言へは本山と言ふ所より特に訓令抔を○々為し居れり此死刑執行の命令は執行の前日に始て之を伝達するの例にして伝達を受けたる者は自分の好む所、欲する所の僧侶を招いて其の僧侶の説教を聴くことを得るを以て常に自分か社会に居りし時に尊崇し居る所の僧侶を招待して其の説教を聴くの請願を為すの例なり若し斯る僧侶無き場合には其の死刑の伝達を受くれは大概教誨師か其の囚人と倶に一夜を明かすの慣例なり
今を去る二十五年前即独逸刑法発布の前頃迄は愈々此の死刑場に連れ行きて死刑を執行する儀式の畢る迄鐘を打ちしものにて梵鐘の如き物をヂャンヂャン鳴らせしが其事は刑法の改正以来極めて謹厳静粛に執行することゝなれり立会人は裁判官典獄及民間の者か一二人立会するの例にて恰も倍審制度の如きものなり然して監獄官吏其外民間より出る立会人に至る迄此の儀式に臨む所の者は総て正しき服装を為し少なくも皆「フロックコート」を着用し居るなり是は日本の死刑執行に於ても必要なるへし死刑執行は極めて荘厳静粛なる式を要するを以て着流し又は縞の羽織を着用し若くは背広の如き略服を着けて参列するは甚た軽々しき事と思はる、以前は其の死刑者の嗜好する所の飲食物を与へたりしが今日は多少平生より良き物を与ふるに止まり多くは其働き居る工銭を以て自分の嗜む物を買はしめ茶或は「コーヒー」は勢ひを付くるものなれは是等を給するの例なり其の以前は「ブランデー」の如き強酒を与へしか今日は酒類は与へす只「コーヒー」茶の類を与ふるなり是等に付ては別段直接に諸君の参考となるへきものはなけれとも唯諸君が感せらるゝ所は日本人と其趣を異にする点、即死刑執行は一定の請負人ありて官吏か与からさる事若くは絞架台の如き不祥の物を備へ置かさる事又儀式は荘厳にして立会人は略服に非さる鄭重なる服を着用し居る事又死刑執行の囚人に対する検束上の行届き居る事は我邦と其趣を異にせり又教誨師か勤むる程度に至りても我邦と程度を異にし居る>186>なりミルラー抔に対しても鍛冶橋監獄署に於て充分教誨せしが猶ほ同署より市ヶ谷監獄署まで米国宣教師か馬車を同しくして非常に説諭せしとの事なり是等も多くの力を得たることなりと思はる」(pp.184-187)

◇前坂 俊之 19820430 『日本死刑白書』,三一書房,239p.

「玉井氏が死刑廃止を求めるもう一つの理由は、執行するのが刑務官であるということだ。刑務官の仕事は受刑者を教育し、社会へ更正させることである。刑務官は教育者であり、悪に迷い込んだ人た>82>ちを、矯正して社会へ送り出すのが役目だ。そこに誇りと社会的責任を感じている。その教育者が死刑を執行せねばならない。全く矛盾ではないか。
 悪人を善人にして死刑にする、それが法律的に認められているものであっても、死刑が殺人であることにかわりはない。教育者という看板も誇りも、汚れ、自らが殺人者となり、残虐な刑の執行者となり果てる。
 それも、前非を悔い、われわれ以上にりっぱな人間に成長した者をなぜ殺さねばならないか。執行に立会う拘置所の職員は誰もが良心の苛責を受けている。
 一九五六年(昭和三一年)五月一一日。参議院法務委員会の死刑廃止法案の公聴会で玉井氏はこう意見を述べた。
 「死刑囚は世の誰からも、彼等が持っている生まれながらの"善い心"を認められず人間性を発見されないで、唯、ありし日の極悪非道の凶悪犯罪者として闇に葬り去られてしまうのである。彼等だって、その生涯の中にはきっと、それは間接的であったかも知れないが、人間の生命を救うことに役立った行為をしたこともあったであろう。他の不幸な人々が彼等の善行によって人生への希望を見出したこともあったかも知れない。
 成程、彼等は天人ともに許せない大罪を犯した人々である。しかし、人間としての彼等を、本当に観察するならば、私達は彼等の育った家庭環境、又は社会的、時代的環境も十分考慮してやるべきである。同胞として愛に飢え、かつえていたのえはないだろうか。凡ゆる社会問題の究極の原因が、人の心の動きに支配されて生ずる過程や結果にほかならないとするならば、こうした極悪な犯罪者を生>83>み出した社会につながる私達にも一部の責任があるといって過言ではないと私は考える」
 法律学者、検事、弁護士らの中で、実際に死刑囚と生活し、その"生と死"のはざまを凝視してきた玉井氏の話は説得力があり聞く者の心を強く打った。
 玉井氏の死刑廃止への願いは今も一向に衰えることなく燃えている。
 「死刑はもとをただせば仇討の思想ですよ。死刑囚の子供はどうなるんですか。極悪人の子供や妻だから、どうなってもよいというのですか。国家は殺しておいて、残された者のことなんか考えないのですから」
 玉井氏の柔和な目に鋭さが宿り、強い口調になった」(pp.82-84)

◇重松 一義 19850420 『図鑑 日本の監獄史』,雄山閣,514+8p.

「このように、首斬役人や屍体取扱人を確保するということは、囚獄署として非常に困難なのが実情であった。このため、次のような指令が次々と出されているのである。
〔司法省布達〕 壬申十月十七日第二七号
 斬首の○子及び自盡ノ本介錯ハ獄舎付等外ノ中一人ヲ専務ト定メ其用ユル刀ハ獄署ニ設ケ置キ磨礪修補等ハ総テ官費タル可キ事。但シ獄舎狭少ニシテ事簡ナレバ専務者ヲ置ス等外ノ中輪番ヲ以テ○子ニ充ツベシ専務者ヲ置クト雖モ若シ疾病事故或ハ事湊合スル時ハ輪番方ニ従フ輪番○子ニ当ル者死因一人ヲ斬首スレバ手当金弐圓ヲ給与スベシ
〔司法省指令〕 明治六年一月十二日
 専務者ナケレバ輪番方ニ従ヒ死因一人斬首スル毎ニ手当金弐圓宛ヲ給与スベシ絞首ハ監獄則所載ノ獄丁下男ヲ使用シ別ニ給与セズ尤手当金ノ儀ハ同書図式ノ出勤表ニ従ヒ取リ計フベシ。但専務者ハ死因五人ヲ斬首スルヲ以テ一日ノ役トス
〔内務省指令〕明治九年三月二十五日
 書面伺ノ趣獄舎附等外吏差支ノ儀有之節ハ守卒等ヨリ当器ノ者撰傭候儀ハ不苦候事」(p45)

◇大塚 公子 19880619 『死刑執行人の苦悩』, 創出版,222p.

「刑務官の>62>服務規程に、死刑執行を命じられたら拒否してはならない、という一項があるわけではない。それどころか、死刑の執行をするというはっきりした項目はないのだ。しかし、いやだとは言えない。
 「どうして拒否できないか、理由はいろいろあります」
 まず第一に上司の命令には逆らえないということ。逆らえる雰囲気などないのである。
 第二に、もしいやだといえば、それはただちに刑務官を辞めるという意志表示につながるということ。刑務官は辞めないが、死刑執行はお断りというのは通らない。刑務官の服務規程に、理由なく上司の命令を拒否してはならないと解釈できる一項がある。理由があれば断れるが、人殺しはいやだから死刑の執行はやりたくないというのでは理由にはならない。妻が妊娠しているとか、身内の不幸で喪中であるとか、こういった場合のみである。」(pp.62-63)

◇菊田 幸一 19880915 『死刑――その虚構と不条理』,三一書房,260p.

「こんにちでは、死刑執行場のある拘置所や刑務所に勤務している刑務官であれば順番が回ってくる(刑場付設の拘置所、刑務所は全国に七か所ある。東京、名古屋、大阪、広島、福岡の拘置所と仙台、札幌の刑務所である)。伝聞ではあるが、刑務官にあらかじめ執行を命ずるのは、当人がいやがるので執行の間際まで指名しないのだといわれている。前日に知らせるとみんな休んでしまうかもしれない。しかし、実際には執行日が決まれば、所員らは処刑される者の身長を基礎に綱の長さをととのえたり、床の点検をしたりしなければならないから、少なくとも前日までに指名されていなければならないだろう。ここに勤める刑務官は死刑囚監房を担当し、いつかは死刑の執行にかかわらなくてはならない。
 司法記者として長年にわたり行刑の実状を記録してきた沢田東洋男はその著『囚獄の門』(五三ページ)で矯正職員の「私は昔から、死刑がいやで、その執行に立ち会ったことがありません。執行予>102>定を知ったり、その予感がしたら出張するか、自宅で寝ていますよ」という言葉を紹介しており、沢田はこれが矯正職員のホンネだといっている。
 しかし、こんにち、このような勝手が許されるとはおもえない。命令に従わなければ馘首にならないまでも勝手な行動を非難されることはいうまでもない。正義と称する陰湿な衝動のために執行人とならなくてはならない。ここに公務員としての死刑執行人の人権の問題がある」(pp.102-103)

「死刑の執行を担当した者には、いぜんは酒一升であったといわれるが、こんにちでは死刑執行手当という「特殊勤務手当」が支給される。曰く「死刑執行手当は、刑務所または拘置所に所属する副看守長、看守部長または看守である職員が死刑を執行する作業に従事したときに、作業一回につき五人以内に限って支給する」。手当の額は「作業一回につき千円とする」とある(昭和三五年・人事院規則特殊勤務手当第一〇条)。現在の手当は一回につき五千八百円。残業手当のようにその月の俸給に加算されるのではなく、即日払いである」(p103)

「たしかに執行人は裁判所の命令に従うだけのことであろうけれども、個人として家族の父親であり、一人の人間である。どういう感覚でこの仕事をすればよいのか。
 とくに戦後の行刑において“教育行刑の理念”を耳にタコができるほど、たたき込まれている刑務官たちである。その行刑の現場の第一線にいる刑務官たちが、ロープをにぎる殺し屋にならなければならない。職務とはいえ血の流れている人間である。「自分が執行するとき、ロボットになれたらと思った」と刑務官はいう。こんにちの行刑は被害者に代わってする復讐機関でないことについては異論はなかろう。ところが、死刑という野蛮な行為を刑務官に実行させている。「死刑ノ執行ハ監獄内ノ刑場ニ於テ之ヲ為ス」(監獄法七一条)は削除すべきである。もとより監獄外において刑務官以外の者が執行したところで死刑の問題が解決するわけではないが、刑務所が死刑を執行する任に当たる当然の根拠はすでに存しない。
 このような見解はすでに明治期に主張されている。京都監獄の木名瀬礼助はつぎのごとく主張している(中略)>106>
 裁判官は国民感情を理由に、あるいは量刑相場を根拠に法にもとづく名のもとに死刑を宣告するが、自らその執行をするわけではない。刑務官という月給で雇われているサラリーマンが執行させられる。単なる一公務員が法律にもとづいているとはいえ、人を殺すという大きな仕事をしなければならない。死刑執行人たる刑務職員の人権問題から死刑を問いつめねばならない」(pp.106-107)

「それでなくとも、死刑執行人が妻の懐妊を知ったとき喜びよりも不安とおそろしさが先に立つといわれる。生まれてくる子供が手や指も、それぞれ五本ずつ、目も鼻も口も、不自由なくついているかどうかを思い苦しむ。少しでも欠けた子供が生まれると死刑執行が因果として結びつけられることもある」(p108)

「死刑執行人がもし精神に異常をきたさないためには、自らの行為を合理化しなければならない。自ら死刑執行人であることを認めない気持ちをもつほかない。ただ法による執行を助けているだけであり、本当の死刑執行人は、極刑をつづけている限り、国民であり、個々の人間がこれを自分の良心の問題とする必要はないのだ、と考えることができる者のみが平常心でおられるのである。
 さもなければ自らを鬼とするほかない。免田栄は同僚だった二人の死刑囚が同時に処刑された当日のことをつぎのように語っている。
 「彼が刑場にたって三〇分もたたないうちに、特舎の入口から、『おい、次を出せ』と補佐官の呼ぶ声が聞えた。日頃から役人の権威をかさに着て、収容者を馬鹿にしている男だから、いいかねないことだと思った。これを聞いた本人が憤激し『いかに悪党でも最後の死にぎわぐらいは気持ちよく去らせてくれると思った』と親しい者に告げて去った」(免田栄『獄中記』一〇六ページ)。>110>
 このような鬼と化した刑務官に同情すべきなのか。問題はそれほど単純ではない。死刑が恥辱でなく誇りであるならば、それに関与した人たちは英雄である。しかし執行人の名は、きわめて用心深く、あらゆるものから守られている。執行人という名は全身をゾッとさせ、血を凍らすからである。死刑そのものが恥辱であることを知っているからである」(pp.110-111)

「死刑執行人の苦悩を問題とするとき、一つの議論は、それを望まなければその職業を選ばなければよいということである。しかし、だれしも自ら希望してその職業を選んだわけではない。一八世紀の>112>職業的死刑執行人も、当時のおそろしい条件下での工場労働に強制されたと同じく、この種の職業も経済的理由が強制させていたことは十分にうなずけることであるし、こんにちでは情状は若干異なっていようが、刑務官になることが死刑執行人となることに結びつくとはおそらく多くの者は考えていないであろう。死刑執行自体がこんにちではたびたびあるものではないのだから、この点は当然のことといえる。しかし、刑務官になった以上はだれかは必ずこの立場に立たざるを得なくなるのであるし、立会人ともなればその数は相当数にふくれあがる」(pp.112-113)

「検察官は求刑相場から死刑を求刑し、裁判官は量刑相場と自らの裁量で死刑を言渡し、執行官たる刑務官は法にもとづく命令に従ったまでだと、自らの殺人行為を合理化する。しかし、人間としてこの合理化には限界がある。だからといって、死刑を宣告した裁判官に執行させろという議論も現実的でない。最後のサインを送る法務大臣はどうか。法務大臣こそ、一人の人間が、どんな経路で殺人を犯し、現在どのような人間であるかを知ることもなく、過去の反省と、被害者の冥福と悔悟の生活を送っている人間を事務当局の指示により機械的に執行指揮書に書名することで人の生命に期限がつけられる。多くの場合において法務大臣は在任期日がなくなる日の最後の仕事として署名する。それは法務大臣としての職務に忠実であっただけであって、死刑そのものに直接のかかわりはない、として>116>自らを合理化しているのであろう。それでは死刑執行という権力による殺人の直接の担当者は、いったいだれなのか。
 カミュは「死刑は一つの殺人で、犯された殺人の算術的な埋め合わせであろう。だが死刑には単なる死のほかにつけ加わるものがある。法規によって、これから殺人を行なうぞという公的で周知の予牒がつけ加えられ、最後にそれ自体が、単なる死よりもはるかに恐ろしい精神的苦痛のもとになる組織がプラスされている」。だから死刑は殺人のなかでも、もっとも計画的な殺人であるといっている。
 その担い手とされているのが死刑執行人である。しかし、川村克己(カミュ『ギロチン』の翻訳者)の「もはやわれわれは『罪なき共犯者』ではなく、自ら手を下さずとも、死刑執行人であることに変りない」(『社会改良』一、三号)との言葉を厳粛に受け止めねばならない。われわれが死刑制度の存置を認めていることは、法務大臣の署名を支えていることであり、われわれ一人一人が死刑執行人なのだ」(pp.116-117)

◇前坂 俊之 文・橋本 勝 イラスト 19910510 『死刑――FOR BEGINNERS』,現代書館,174p.
「死刑を執行する人たちの苦しみ
 もう一つ、死刑存廃の議論で、忘れてはならないのは、誰が直接手を下すかということである。世論調査で死刑はやむを得ない、という人たちは、実際に死刑囚の首にロープをかけ、殺人作業に従事する人たちの気持ちを考えたことがあるだろうか。
 死刑制度を一番恥じているのは、この人たちであり、廃止を願っているのも、またこの人たちなのである。
 次の証言はある拘置所の看守部長の手記である。
 「拝命の日から一つの重苦しい気がかりが胸につかえてどうしようもありませんでしたが、とうとうそれが現実となって現われてきました。
 それは私が死刑執行に直接手を下したことです。もっとも恐れていたことをとうとうやらされてしまったことです。その日から私の心にナマリがくいこまれたように憂うつがとれません。私はあまり酒をたしなまない方ですが、時々その時の状況が目に浮かんできて、堪えられなくなり、酒量を過ごすことがあるようになりました。
 妻はクリスチャンであり、このことを話したら、妻がどんなに大きなショックをうけるか、と思うと、とてもその勇気はありません。
 おそらく、私に職場を変えるか、離婚を希望するだろうと思い、私の今の小さな幸福を守るために絶対に妻に秘密にしておきたいと思っています。>90>
 国家公務員法があって、私たちは命令を守らなければならない義務があるかも知れませんが、人の命を奪う残酷な仕事をやらなければならないものであろうか。憲法第36条の趣旨からいっても、こんな残虐な行為を公務員が行ってもいいものだろうか。
 恐怖におののく死刑囚に手錠をかけ、足をくくり、教誨師さんの慰めでやっと呼吸している人間の首に縄をかけ、絞首する、もっと端的にいえば、ニワトリの首をひねると同じ行為を人間に対してやるのですから、私にはどう考えても残虐行為としか思えない。
 教育刑を唱える矯正職員がこんなことをやらねばならぬ義務があるのでしょうか」(『刑政』1956年3月号)
 1990(平成2)年6月22日の衆議院決算委員会で、志賀節議員(自民)は「1回の死刑に対して死刑執行に従事する刑務官は何人必要とするのか」と質問した。これに対して、今岡一容法務省矯正局長は「5人以内の範囲で、死刑の執行手当ては1回につき7200円」と答えた。
 人殺し代がわずか7200円。こんなはした金をもらってもうれしい人がいようか。大部分の刑務官は、恐るべき体験を忘れ去りたいと酒を飲み、泥酔するという。
 大阪拘置所長で12人の死刑囚の最期を見送った高橋吉雄元所長はこう話す。
 「刑務官は教育者というプライドを持っています。死刑執行はその刑務官の誇りをズタズタにする。死刑囚と日常的に接している刑務官のほとんどが口でははっきり言わないが、死刑制度に反対しています。
 死刑囚と刑務官という立場の違いはあれ、>91>極限の日々を送り、心を開き合った仲なのに執行に当たってはこの親しい人間を前手錠でつるし『ピクピク』とけいれんする無惨な姿を見送らねばならない。このために、退職した人も多いのです。死刑廃止こそ刑務官の共通した悲願です」と訴える」(pp.90-92)

◇重松 一義 19951130 『死刑制度必要論 その哲学的・理論的・現実的論拠』,信山社出版, 104p.

「死刑廃止を主張する論拠(中略)>17>
(ホ)刑務官は矯正教育を任務とするものであって、死刑執行の任を命じることは、制度的にも使命的にも反するものである。(中略)>18>
(ホ)の刑務官による死刑執行は、現行職制上、合法的な職務命令の執行としてやむを得ず、刑執>19>行という職務遂行の間は、他の自由刑(懲役・禁固・拘留刑)に対する矯正の処遇権限は一時停止されたと見做す職務執行法を、けじめとして設けるか、死刑囚自らの手で服毒死する執行方法等を考える以外にないであろう」(pp.17-20)

◇菊田 幸一 19990226 『新版 死刑――その虚構と不条理』,明石書店,329p. ISBN-10:4750311162 ISBN-13: \2940 [amazon][kinokuniya] c0132, c0134

〔新版〕「死刑の執行を担当した者には、以前は酒一升であったといわれるが、こんにちでは死刑執行手当という「特殊勤務手当」が支給される。曰く「死刑執行手当は、刑務所または拘置所に所属する副看守長、看守部長または看守である職員が死刑を執行する作業に従事したときに、作業一回につき五人以内に限って支給する」。手当の額は「作業一回につき千円とする」とある(昭和三五年・人事院規則特殊勤務手当第一〇条)。現在の手当は従事職員一人一回につき二万円、一回につき一〇人以内に限り支給される(九八年一月一三日の衆議院法務委員会における保坂展人議員の質問に対する政府答弁)。残業手当のようにその月の俸給に加算されるのではなく、即日払いである」(p113)
→(補足:櫻井悟史)「一回につき一〇人以内に限り支給される」は、誤りである。また、「副看守長、看守部長または看守である職員」とあるが、現在の人事院規則に看守は含まれていない。
◆特殊勤務手当
 制定:昭和35年6月9日号外人事院規則9―30
 最終改正:平成19年10月1日人事院規則9―30―63
(死刑執行手当)
第十条 死刑執行手当は、刑務所又は拘置所に所属する副看守長以下の階級にある職員が死刑を執行する作業又は死刑の執行を直接補助する作業に従事したときは、それぞれの作業一回につき五人以内に限つて支給する。
2 前項の手当の額は、作業一回につき二万円とする。ただし、同一人の手当の額は、一日につき二万円を超えることができない。

〔新版:変更点太字〕「たしかに執行人は裁判所の命令に従うだけのことであろうけれども、個人として家族の父親であり、一人の人間である。どういう感覚でこの仕事をすればよいのか。
 とくに戦後の行刑において“教育行刑の理念”を耳にタコができるほど、たたき込まれている刑務官たちである。その行刑の現場の第一線にいる刑務官たちが、ロープをにぎる殺し屋にならなければならない。職務とはいえ血の流れている人間である。「自分が執行するとき、ロボットになれたらと思った」と刑務官はいう。こんにちの行刑は被害者に代わってする復讐機関でないことについては異論はなかろう。死刑という野蛮な行為を刑務官に実行させている。ところが「死刑ノ執行ハ監獄内ノ刑場ニ於テ之ヲ為ス」(監獄法七一条)とあるが刑務官に実行させるとは書いていない。日本の死刑執行は根拠法規なくして刑務官に執行させている。もとより監獄外において刑務官以外の者が執行したところで死刑の問題が解決するわけではないが、刑務が死刑を執行する任に当たる当然の根拠は存しない」(p116)

〔新版:6-(2)わが国の死刑執行人 『看守職務規程』に付された脚注1〕「従来の「看守職務規程」(明治四二年監甲一五三四ノ一)第四五条は、「看守上官ノ指揮ヲ承ケ死刑ノ執行ニ従事スヘシ」とあったが、現在の刑務官職務規程」(平成三年法務省矯保訓第六八九号)では第四条(3)(職務心得)「職務上の危険及び責任を回避しないこと」とある。同意義である」(p117)

◇アムネスティ・インターナショナル日本支部 19991210 『知っていますか? 死刑と人権 一問一答』,解放出版社

「問14 実際に死刑を執行する人たちは、どう思っているのでしょうか?
 私たちは、死刑が確定したというニュースを聞くと、それで問題はすべて解決したと思いがちです。しかし死刑が執行されるということは、実際に誰かが「死刑囚を殺さねばならない」ということを意味します。「人間を殺さねばならない」、そういう職業が現在の日本には存在しているのです。
 実際に死刑を執行するのは刑場付設の拘置所あるいは刑務所に勤務している刑務官です。
 執行には多くの人がかかわります。執行の言い渡しをする拘置所長、刑場へ導く刑務官、目隠しをしたり手錠をかけたりする刑務官、処刑に立ち会う検察官・>56>所長・部長・課長・医官・教誨師などです。さらに死刑囚の首に縄をかける、両足の膝を縛る、死刑台の踏み板をはずす、死体を清めたあと納棺する、といった役目にもすべて刑務官がかかわります。死刑制度が存在するかぎり、職業としてこれらの仕事を行う人が絶対に必要なのです。
 死刑囚への執行言い渡しは執行当日に行われます。刑務官にも執行当日の朝になってから立ち会いが命じられます。
 実際に「人を殺す」という行為にかかわることによって、刑務官は精神的に傷つき、ノイローゼになる人もいます。仕事とはいえ、「人を殺した」という事実に人間としての誇りを失ったと感じ、罪の意識に一生つきまとわれるのです。
 私たちはマスコミを通じた死刑囚の姿しか知りません。しかし刑務官は拘置所で毎日死刑囚と共に過ごしています。生身の人間としての死刑囚と日々交流をもち親しんでいるにもかかわらず、ある朝突然、殺す側に回らねばならないのです。
 ある元刑務官は、「いっそのこと死刑囚と一緒になって、執行は嫌だ、やめてくれとわめくことができたら、とさんざん思ったものです」と述べています。
 刑務官は公務員なので、業務内容についての守秘義務を負わされています。こ>57>れは仕事を辞めた後も守らねばなりません。したがって公に死刑執行について語ることは許されていません。さらに、「人を殺す」という内容の職業ゆえに、あえて語りたくない、思い出すだけでつらい、という気持ちの人が多いのです。
 ある元刑務官の家族は、「死刑があるために傷つく人は多いのです。死刑になる死刑囚の家族、執行するものの家族も、暗いみじめな人生になってしまうのです。執行官が同じ人の子であることを忘れないでもらいたい、そう思っています」(大塚公子『死刑執行人の苦悩』)と語っています。
 「死刑の執行に立ち会うのが嫌なら仕事を変わればいいではないか。職業選択の自由はあるのだから」という意見があります。確かに執行が嫌で仕事を変わるという人もいます。しかし、変わりたくても経済的な理由などから変われない状況の人もいるのです。
 死刑制度が存在するかぎり、私たちは必ず誰かに「殺人という仕事」をやらせているのだ、ということをきちんと認識しておく必要があるでしょう」(pp56-58)

◇坂本 敏夫 19970215 『元刑務官が語る刑務所』,三一書房,258p.→20030601 『刑務官』,新潮社,409p.

「一月中には所長から転勤先の施設とポストを告げられる。内命という。毎年、転勤を希望する施設名、職務の内容などを書いた身上書を提出するが、大半は希望通りに>26>にならない。この内命を断る者は、ほとんどいない。転勤命令を拒否することは、全体の秩序を乱すこととして嫌われる。理由が何であれ断った者は、相当期間冷遇される。以後の出世はあきらめなければならない場合もある。見せしめである」(pp.26-27)

「一九六七年(昭和四十二年)、私は刑務官の初任者研修で大阪拘置所に実習に行った。(中略)
 「君たちは、死刑の仕事をしなくてもいいが、大阪拘置所の職員は順番でこの仕事をする。新しい死刑台は押しボタン式になった。五つのボタンのどれが踏板を落す電動スイッチにつながっているかわからないようになっている。ハンドルを引いていた職員のことを思うと少しは負担が軽いかな……」
 刑務官になりたての十数名の研修生に向かって、研修担当の警備係長が説明してくれた」(p35)

「三年四ヵ月振りに死刑執行が再会されると、拘置所の職員の空気が微妙に変わった。
 死刑が行われた場合、直接執行の役を命じられ手を下すのは階級が下位の看守、看>39>守部長である。処遇部門の六十名余りの看守、看守部長はかなりの確率でその役を引き当てることになる。彼等は公には口にしないが、予想を立てる。まず次の者を除く。
 一 執行をしたことがある者
 ニ 定年前の者
 三 病院通いをしている者
 四 家族に病人がいる者
 五 妻が妊娠している者
 だいぶ絞られてくる。選ぶ側としては失敗は許されないので、なるべく気丈でしっかりした刑務官を選定するだろう。候補者は十数名になる。
 実際選ぶ場合は、各刑務官のプライバシーの領域にまで立ち入って一人一人について個別に検討することになる」(pp.39-40)

「死刑囚の処遇の基本は、
 「殺さず・狂わさず」
 である。死刑確定囚は、絞首刑以外には死ぬことが許されないのである。自殺防止>50>のためテレビカメラの付いた特別な独房に拘禁する。
 また、気が狂っても死刑の執行に着手出来ない。わがままいっぱいの死刑囚も多いが、彼等に手を焼きながらも、第一線の刑務官は気分を損ねないように堪え忍ぶ。下手に刺激して騒がれようものなら、上司からこっぴどく叱りつけられる。
 死刑囚監房の担当刑務官は、毎日大変なストレスの中で勤務している。人気の限界はせいぜい二年である」(pp.50-51)

「超秘密主義の下では、騙し討ちに近い処刑が実際に行われる可能性は非常に高い。そういう処刑は恐怖と憎悪に荒れ狂う死刑囚を力で捩じ伏せ、首に縄を掛けるものだと思う。刑務官の心を一層傷付けるものである。>53>
 殺人をしたような後味の悪い職務執行だろう。
 以前、ある著名な死刑廃止論者に死刑執行という刑務官の苛酷な職務について話しをしたことがあった。
 「あなたはそう言うが、死刑という仕事があるのを知っていて刑務官になったのでしょ」
 彼は言った。
 「刑務官採用試験の案内には、そういったことは書かれていません」
 私は『刑務官のしおり』を示して答えた。
 「採用面接の時には言うでしょう」
 彼の表情と物言いは、刑務官を見下しているものだった。
 「死刑廃止をおっしゃっている人は皆ヒューマンで他人の意見を聞ける人かと思っていました……」
 私は、何年か振りに激しい怒りを覚えた。頭から血が引いて顔面が蒼白になるのが分った。眩暈がした。「こういう輩にとって『死刑廃止という運動』は自己の存在を示すための道具でしかない。一見整然と死刑廃止という目的に向かって活動している市民運動にも問題はあるものだ」と思った。>54>
 刑務官のしおりや国家試験案内の書籍には次のとおり書かれている。

 刑務官の職務内容
 刑務官は、各地の刑務所、少年刑務所又は拘置所に勤務し、被収容者に対し、日常生活の指導、職業訓練指導、集会やクラブ活動、悩みごとに対する助言指導などを行うとともに、施設の保安警備の任に当たります。

 死刑場のある施設に勤める刑務官、全体の十パーセント弱の者だけが処刑の任に当たる可能性がある。彼らの多くは採用された後に死刑執行官という命令が下ることがあることを知る。
 もっとも中には人が嫌がる難しい仕事をビシッと決めて出世の足掛かりにしようと思っている刑務官がいることも否定できないが……。
 法務省という組織は、上位の意思決定機関は皆検察官が占めるようになっている。法務省には百人の検事がいる。人事も予算も全て担当課長は検察官である。
 刑務所長の人事も検察官である法務省矯正局の課長、局長が握っている。かつては刑務官の間でも比較的おおらかに死刑廃止の是非について語られた時代があった。し>55>かし、官僚体制が確立し固定化されてからは、検事総長を頂点とする検察の意向に背くような発言は事実上御法度になっている」(pp.54-56)

「死刑執行に携わった副看守長以下の一般の刑務官には、人事院規則によって特殊勤務手当(死刑執行手当)が支給される。現在の手当額は一回の死刑について五人以内に一人二万円を支給することが出来ることになっている。特殊勤務手当というのは国家公務員が従事しなければならない不快な職務、困難な職務に対して支給されるものである。解説書によると死刑執行は極めて特殊な業務で著しい心労等を伴うものとして、その支給対象業務になっていると説明されている。
 また、その日酒席を設けたり、二、三日の休暇や出張を与えて傷付いた刑務官の心を少しでも慰めようという努力も払われる。
 一方、幹部刑務官には手当も支給されない。それどころか処刑の残像に苦しめられ>56>ながら、いつもと変わらない素振りを見せて、その日も通常の勤務を続けなければならないのである。
 死刑制度の存続・廃止という問題は、刑事政策の領域のことである。刑罰を執行する刑務官が声を大にして論議することではないと言われるかもしれないが、多数の犯罪者を客観的に見られる立場にあるのも刑務官をおいて他にない」(pp.56-57)

「採用試験
 刑務官の大部分は刑務官採用試験によって採用される。国家公務員T種及びU種試験の合格者も採用しているが僅かである。また、警備隊要員という名目で武道有段者の選考採用も毎年行われている。
 刑務官採用試験は毎年一回全国五十七の都市で行われる。刑務所が試験会場になる。受験資格は年齢制限(四月一日現在、満十八歳から二十九歳までの者)だけで、試験内容>185>は高卒程度のものである。最近は就職難で志願者が多い。一九九四年(平成六年)度の競争率は男十五倍、女三十倍であった。
 第一次試験は一般教養の択一試験と作文。択一に合格した者については面接試験と体力検査等が実施される。面接試験は所長、部長等の幹部が行っている。試験は十月、合格発表は十二月である。
 本人に非行歴がなく、親兄弟近親者にも非行を犯した者はないというのが合格の条件になっている。警察照会は憲法の平等原則等から、表向きには取り止められたことになっているが、現住所を管轄する警察署にそれらの調査を依頼している。もっとも警察官の採用ほど根堀葉堀り親族のプライバシーまで立ち入るような調査を要求するものではない。追跡調査などはしないので、情報は現住所に限られる。住所が転じられていれば以前のことも親のことも分らないままの回答が来るが、「分らない」は「ない」と見なされている」(pp.185-186)

「複雑な階級社会
 刑務官には部長、課長といった役職名の他に階級がある。一九九三年(平成五年)>186>四月からは一般の刑務官にも専門官制によって役職名称が付けられ複雑な階級構造になっている。
 これらを整理すると次のようになる。
 役職名称 階級 俸給の等級
 所長 矯正監 矯正長 十一級・十級
 部長 矯正長 矯正副長 十級・九級・八級
 課長 矯正福長 看守長 八級・七級・六級
 課長補佐 看守長 六級・五級・四級
 係長 副看守長 五級・四級・三級
 首席矯正処遇官 矯正副長 看守長 八級・七級
 次席矯正処遇官 看守長 七級
 上席統括強制処遇官 看守長 七級
 統括矯正処遇官 看守長 六級・五級・四級
 主任矯正処遇官 副看守長 五級・四級・三級
 矯正処遇官 副看守長 看守部長 三級・二級
 なし(一般職員) 看守 一級
  注……ゴシック体は平成五年四月に新設されたもの
 一般の人にはよく分からない組織と階級になっているが、給料の等級とリンクされているのが階級である。階級は制服の銀線や金線あるいは階級章の星の数などで表されている。刑務官にも収容者も一目瞭然で階級を知ることになる。
 採用試験の種別によって最初に格付けされる階級も違っている。
 国家公務員T種は副看守長、いきなり金線を巻いた制服を着る。キャリアと称される刑務官たちで高等科研修を経て看守長に昇進する。
 国家公務員U種は看守部長で採用される。
 刑務官採用試験及び選考採用試験は看守である」(pp.186-188)

◇菊田 幸一 20040815 『Q&A 死刑問題の基礎知識』,明石書店,126p.

「その執行に関与するのは、これまでに死刑囚と日常をともにしてきた刑務官である。当日の担当刑務官には1人1万5千円くらいの手当てが支給されるようである」(p77)
→(補足:櫻井悟史)菊田(1999:113)では、「現在の手当は従事職員一人一回につき二万円、一回につき一〇人以内に限り支給される(九八年一月一三日の衆議院法務委員会における保坂展人議員の質問に対する政府答弁)」と言及しているにも関わらず、ここでは「1人1万5千円くらい」と曖昧な情報が記されている。

◇郷田 マモラ 20050927 『モリのアサガオ──新人刑務官と或る死刑囚の物語』3巻, 双葉社

「刑の執行命令がきました。ここに呼ばれた諸君は明後日午前8時30分から特別配置に就いてもらいます。所長の命令により、諸君を執行官として選定しました。明日は、諸君は通常勤務をはずしています。終日、刑場の準備及び、予行演習などをおこないます。星山(死刑囚:補足引用者)はもちろんこと他の確定囚たちに事前にことが漏れないよう万全の注意を払ってほしいとお願いしておきます!!」(pp.98-99)

「「里中君は今お母はんが入院中やさかい、執行官からはずされましたんや」
 「えっ? どういうことですか!?」
 「輪廻転生」って言葉がありまっしゃろ!? 刑の執行にかかわった者たちの身内にあの世に送られた確定囚の怨念が降りかからないようにやね、今現在妻子に妊婦がいる者、病気で入院中の家族がいる者、本人やその子供に結婚予定がある者、さらに喪中の者などといった事情がある人間は、死刑執行からはずされるんですわ」
 「そ……そんな迷信じみたことにまで気を遣って人選しているんですか」
 「あたりまえですがな! 国の命令とはいえ人をこの世から葬り去るわけやからねえ……もし執行にかかわった直後に家族が死んでしもたり、生まれてきた子がおかしなことになったりしたら……誰かて嫌でっしゃろ!?」(pp.102-103)

◇重松 一義  20051101 『日本獄制史の研究』,吉川弘文館,398p.

「士族から警察監獄官吏へと数多く鞍替されていったこの風潮と気風は、明治初年の軍政警察から司法警察へと移行する明治十年代において特に著しいのである。したがって、この官員意識は旧士族としての体面を部内において本官と傭人(一等獄丁・二等獄丁・三等獄丁・等外・附属・押丁)に厳しく区別することにより保とうとする官制上の姑息な歪みともなったことを指摘しなければならない。すなわち、それは看守の附属傭人である押丁という官職である。看守は巡査と同様、廃剣に未練ある旧士族がほとんどであって、罪人の縄をとることを潔しとせず、明治初年から旧幕の遺制に倣い、獄丁・押丁という特殊な官職を設け、外役囚の警固、被告人の出廷護送、死刑執行を、本官である看守の指揮命令により行わせたのである」(p317)

◇坂本 敏夫 20060510 『元刑務官が明かす死刑のすべて』,文藝春秋, 284p.

「法律(刑法)では死刑の執行場所を「監獄」と定めているだけで、だれにやらせるかは規定していない。監獄でやるのだから監獄の職員ということになるのだ。
 唯一法律(刑事訴訟法)で指名されているのは立会い者である。
・検察官
・検察事務官
・監獄の長又はその代理
 なぜ、監獄の長には代理が認められているのか? 自らでなくてもいい理由――それは、死刑という刑罰は「高官」がやらなくてもいいということである。
 立会い検事は検察庁のトップとは書かれていないのだから検察官なら誰でもいい。
 法律ができたのは明治四十年。当時の監獄の長は別格だった。判事に検事、政府の高官も監獄の長になっていた時代である。
 「犯罪者の中でも極悪人を殺す刑罰の執行は下に任せればよい」
 ということだったのである」(p37)

「以下は『朝日新聞』オピニオン欄(二〇〇二年九月十四日朝刊)に掲載された同文である。>251>
死刑執行の現場から(朝日新聞「私の視点」より)
 私は死刑執行の現場にいたことがある。死刑は高松を除く高等裁判所所在地の拘置所や刑務所にある死刑場で執行される。
 日本の死刑論議からは、重要な視点が抜け落ちていると思う。それは執行現場の視点、つまり刑務官の視点である。私は一九九四年に退職するまでの二十七年間、刑務官として全国八ヵ所の刑務所などに勤務した。
 刑務官のうちでも、死刑囚の処遇や死刑の執行に直接携わった者は少数派である。そして現場では、死刑について意見表明することをタブー視する傾向が強かった。
 死刑囚には刑務作業はなかった。衣類や寝具は自弁(差し入れや購入)、食品も自弁できた。
 差し入れの菓子や缶詰などがうずたかく積まれ、季節に合った真新しい衣服が常に壁に掛けられている独房も見た。
 一日三食、主食と副食を合わせると三千カロリーを超える食事が確実に房に届けられ、午前七時の起床から午後九時の就寝まで、あり余る自由時間を読書などをして過ごしていた。
 死刑囚の多くは最終的には心安らかに死んでいくように思えた。宗教家の手を借りて長い期間死を迎える準備をするからである。彼らは赦され天国へ召されていく。至福の死ともいえる。無残に殺された被害者のことを思うと、不公平に思えたほど>252>だ。
 私は以前から絞首刑が残虐な刑罰だとは思っていない。死刑囚の首に縄を掛け、踏み板を開けば瞬時に仮死状態になる。だから痛いことも苦しいこともないものだと確信してきた(そう思わなければ刑務官の仕事はやっていられない)。
 もちろん執行前に激しく抵抗する死刑囚もいるが、刑務官たちは命令を遂行するため手を尽くしてきた。執行により刑務官に刻まれる精神的ダメージを、死刑を論ずる人たちの一体何割が想像しているだろう。
 私は死刑の執行には、当時も今も反対である。これほど無意味で非経済的な刑罰はないと思うからだ。
 一人あたり年間約六十万円の予算を使い、逮捕から処刑までの十数年、刑務官らは腫れ物に触る思いでご機嫌をうかがいながら付き合っていた。いつでも死刑台に上ってもらえるよう、心身共に健康でいてもらわなければならないからである。もちろん自殺などは許されない。死刑囚を処遇する際の基本は「殺さず・狂わさず」なのだ。
 ある現場幹部は会議の席で「こんなに手数をかけるのなら、早く処刑してしまったほうがいい」と語った。死刑囚を収容している監獄の特別な雰囲気を表した、偽らざる言葉である。
 刑務官は日々、犯罪者に罪の重さを自覚させ、償いの手伝いをする責務を負って>253>いる。最も分かりやすい償いは、他人の命を奪った罪悪感に苦しみながら刑務作業に励み、労働によって得た金銭をもって賠償することだと私には思えた。生きて働いてこそ償えるものだと今も思っている。
 死刑囚の生活を安定させ、償いに向け努力させる手伝いを刑務官はする。そして、その同じ死刑囚に縄をかけて落とす人間も、また同じ刑務官なのである。
 死刑制度の強いるこの矛盾が、刑務官たちの口を閉ざさせている。また、死刑を求刑する側である検察官が法務省幹部職の多くを占め、人事権を握っていることも、死刑を語りにくくさせる圧力として現場に作用していると思えた。
 結果として国民は、死刑を知らないまま死刑を語り続けているように、私には見える。しかし、死刑を容認し刑務官に執行を任せているのは、まぎれもなく日本国民なのである」(pp.251-254)

「嫌な仕事の最たるものだから何の不思議もないのだが、被差別にまつわる悲しい話――娘の縁談が破談になったなどといった類い――は今もある。
 劇画でも御覧いただいたあの仕事である。いかに立派な職責を全うしたとしても担当官の心には人の命を奪ったという事実が残る。
 そしてそれは、社会的な付き合いの中で大きな心の傷として残る。妻にも父母にも、子どもや孫あるいは姻族関係者などにも絶対にしゃべりたくない」 (p258)

◇石川 正興・小野 正博 山口 昭夫 編 20070320 『確認 刑事政策・犯罪学用語250』,成文堂,107p.

「刑務官
 刑事施設(刑務所,少年刑務所及び拘置所)に勤務する国家公務員であり、法務大臣が、一般職の職員の給与に関する法律に基づく公安職俸給表(一)の適用を受ける法律事務官から指定することとされている(刑事収容施設・被収容者等処遇法施行規則第7条)。刑務官の階級には、矯正監、矯正長、矯正副長、看守長、副看守長、看守部長及び看守の7つがある。刑務官には、被収容者の人権に関する深い理解と被収容者に対する適正かつ効果的な処遇のための知識及び技能が求められ、このた>38>めに必要な研修及び訓練が行われることとされている。(→刑務所)<樋口彰範>」(pp.38-39)

◇郷田 マモラ 20070803 『モリのアサガオ──新人刑務官と或る死刑囚の物語』7巻, 双葉社
「ぼくは今日……この指でかけがえのない友人を殺してしまいました。そやけど……そやけど刑務官をやっている以上、仕方がないんですよね……誰かがやらなければいけないことで……これぐらいのこと……堪えなければいけないんですよね……」(p206)

森 達也 20080120 『死刑』,朝日出版社,328p.

「(注:坂本敏夫の発言)「執行官が処刑される直前のフセインに罵声を浴びせかけていた。とにかく野蛮です。ヨーロッパの人たちが日本の死刑をイメージするとき、あんなふうに行われていると思われたら困ります」
日本の死刑執行はもっと静謐で、厳粛に遂行されていると坂本は言いたいのだろうか。元刑務>212>官ならではの視点だろう。そして坂本のこの発言は、彼がやはり死刑制度存置派であることも示している。
 存置と廃止。僕はその双方の主張を聞きたい。言い換えれば、坂本がどちらを主張するかは大きな問題ではない。存置であれ廃止であれ、その主張の骨格を確認したいし論理を聞きたいのだ。──中略──
 でも坂本の名刺をバッグの中に入れながら、わざわざ無理をして会うこともなかったかなとちらりと思ったことも事実。野蛮かどうかは見る側の判断だ。感覚の領域は大きいし、少なくとも本質からは距離がある。もしも日本の死刑執行は野蛮ではないとのレベルで坂本が存置を主張するのなら、このインタビューは早めに切り上げた方がいいかもしれない。
「だから今年は俺、この死刑の執行という野蛮な刑罰を日本からなくすために……やっぱり封印していたところも開かなくちゃいけないかな、と思いましてね」
 僕は顔をあげた。ちょっと混乱。だってたった今坂本は、「死刑の執行という野蛮な刑罰を日本からなくすため」と口にした。
──中略──>213>
「坂本さん、確認したいけれど、さっき『死刑の執行という野蛮な刑罰』って仰いましたよね」
「ええ。野蛮な刑罰を日本からなくしたいと」
「でも日本の死刑執行は野蛮ではないわけですよね」
「野蛮ですよ」
「だってさっき、フセインの処刑に比べれば野蛮ではないと……」
「野蛮ですよ、結果的には。人を殺すことですから」
 僕はますます混乱した。坂本が言おうとすることがわからない。その戸惑いが表情に現れたのだろう。坂本が少しだけ身を乗りだした。>214>
「私はね、野蛮な刑罰の執行と言ったけれど、野蛮な制度とは言ってないですよね」
「……つまり、現行の死刑制度は野蛮ではないけれど、死刑執行は野蛮だということですか」
「はい」
「だから野蛮な刑罰を日本からなくしたい、つまり執行には反対するということですか」
「はい」
「それは実際に執行する刑務官のためにということですか。それともそれだけじゃなくて」
「それだけじゃないです。相手の……死刑確定囚のことも含めて考えないと」」(pp.212-215)

「僕はもう一度確認した。大嫌いな二項対立の図式に自分が嵌まってしまっていることは確かだけど、でもやっぱりこのままではインタビュー(注:坂本敏夫へのインタビュー)を終われない。死刑制度について、存置と廃止のどちらを主張しているのですか」(p216)

「(注:坂本敏夫の発言)「かつて刑務官は、看守や刑吏と呼ばれた時代がありました。被差別問題もからんでいます。江戸から明治になった頃は、制度もなくて奴みたいな格好をしていました。そんな意識は今も残っています。特に僕なんか、生まれたところから塀の際で、育ちもずっと官舎です。小学校時代は>217>東京拘置所の官舎に住んでいることを、友人たちになかなか言えなかった。本当は学校の先生になりたかった。でも大学に行っているときに父親が死んじゃった。祖父と母親とまだ高一の弟がいますから、いわば家のために刑務官になった。一九六五(昭和四十)年です。刑務官のポリシーがなくなったのはこの頃からです。事故を起こさない。そればかりです。犯罪者の矯正や更生復帰への援助などの意識は消えました。たとえば構外作業。これは一般の工場で受刑者たちが働くシステムです。これも六五年頃になくなりました。事故があってはいけないということでしょうね」
「いけないというよりも、誰が責任を取るか、ということですね」
「そのとおりです。でもその結果として、囚人たちは技術を身につけることが以前のようにはできなくなった。だから社会復帰がなかなかできない」」(pp.217-218)

「「坂本さんの主張を要約すると、実際の執行は野蛮だけれど、死刑という制度そのものは必要である。だから制度は残しつつも執行を停止する、ということになりますね。……とても矛盾に満ちたアクロバティックなレトリックだと思うけれど」
「実益なんです。世間には大黒柱を殺されて経済的に成り立たなくなってしまった遺族は大勢います。犯人は殺せばいいという問題じゃないでしょう。ならば死刑囚も一般の受刑者のように労>218>働させるべきです。その金で遺族に賠償させる。遺族が加害者からの直接の賠償を嫌がるなら基金に入れて、そこから賠償させる。これなら改悛の情や謝罪の意思を形で示せる。ならば恩赦という制度をもっと活用できるようになるかもしれない。遠い将来かもしれないけれど、死刑の減刑や社会復帰の希望も出てくる。そういう意味で、僕は終身刑が嫌いなんですよ」」(pp.218-219)

◇雨宮 処凛 20080220 『全身当事者主義――死んでたまるか戦略会議』,春秋社,234p.

(補足:櫻井悟史)森達也との対談
「雨宮 私は「労働問題」としての死刑ということを考えます。たとえば法務大臣は判子を押せばいいですが、死刑執行のボタンは押さない。では誰が押すかというと、刑務官ですね。彼らの苦悩は相当のものだと思います。何しろ別に殺意も何もない。だけど「業務」として人を殺さなくてはいけない。「人を殺す仕事」というのを、死刑制度があることによって、誰かに押し付けているわけですね。死刑制度に賛成の人だって、死刑執行のボタンを押す役がやりたいかというと、絶対にやりたくないと思いますよ。
 森 医務官もそうですね。人を殺すことに加担するわけです。教誨師もそう。みんな矛盾のなかにいる」(p212)
→(補足:櫻井悟史)森は、雨宮の問題について特に言及していない。

◇内田 博文 20080331 『日本刑法学のあゆみと課題』,日本評論社,303p.

「昭和23(1948)年7月、マッカーサーは芦田均内閣総理大臣宛に「公務員は全体の奉仕者であって、政府を麻痺させんとするような争議行為は許されない」とする旨の書簡を送った。この書簡を受けて政府から発せられたのが「内閣総理大臣宛連合国軍最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(政令201号、7月22日)であった。公務員は国又は地方公共団体に対して団体交渉権を有しないこと。同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段をとつて(ママ)はならないこと。これらに違反した公務員は1年以下の懲役または5千以下の罰金を科せられ、その保有する任命または雇用上の権利をもって国又は地方公共団体に対して対抗することができないこと。これらが規定された。同政令を受けて、国家公務員法も改正された。昭和22(1947)年の制定当初は、国家公務員も原則として民間労働者と同一の労働法制の下に置かれ、労働3法が適用されていたが、昭和23年改正により労働3法の適用は除外され、国家公務員の争議権は否認された。全体の奉仕者としての服務規律の強化も図られた。政令201号の趣旨は、昭和23(1948)年の公共企業体労働関係法の制定、昭和25(1950)年の地方公務員法、昭和27(1952)年の地方公営企業労働関係法の制定においても具体化された。こうして、すべての労働者に労働基本権を保障した日本国憲法28条の下で、官公労働者の争議行為を全面的に禁止する法制が確立された」(p31)

◇櫻井 悟史 20080331 「死刑存廃論における「死刑執行人」の位置についての一考察――日本の公文書に見る死刑執行現場の生成と消滅」『Core Ethics』,立命館大学大学院先端総合学術研究科,4: 93-104

「ところで、日本に「死刑執行人」という職業は、存在していない。死刑を担当するのは、刑事施設で働く国家公務員、すなわち刑務官である。
 刑務官の仕事をホームページ上の刑務官採用試験情報で見ると、「刑務官とは……やさしさと厳しさをもって、罪を犯して収容された人に、考え方・ものの見方のアドバイスや悩みごとに対する指導などを通して、再び過ちを繰り返さないよう指導することを使命とし、併せて刑務所・拘置所等の保安警備の任に当たります」とあるだけで、ここでは、死刑の執行については、一言も述べられていない」(p93)

「大塚公子は、『死刑執行人の苦悩』という本の中で、1988(昭和63)年に「刑務官の服務規程に、『死刑の執行をする』という項目はない」(大塚〔1988〕2006:12)と書いたが、それは、当時の時点では間違いであった。
また、元刑務官の清水反三は、1990(平成2)年の論文で、矯正研修所の研修時代に、教官に死刑執行命令の根拠を尋ねたさい、「看守及ヒ女監取締職務規程」を持ち出されたことに疑問を呈したが(清水1990:125-127)、この疑問も1991(平成3)年以降では意味をなさなくなった。より明確な命令根拠が示されたからというのではなく、より明確に命令根拠がなくなったからだ。疑問は解決されるどころか、一層不可解なものとなった。
1991(平成3)年より前であれば、死刑は刑務官の職務として法律で定められていた。そこでは、職業選択の自由という論理も、法律上は通用したかもしれない。しかし、1991(平成3)年以降は、確実に、死刑は刑務官の職務ではない。1989(平成元)年から1993(平成5)年まで、正確にいうなら3年4ヶ月の間、死刑の執行は停止されていた。刑務官が「死刑執行人」になることもなかった。しかし、1993(平成5)年3月16日、死刑は再開された。そのときにはすでに誰が「死刑執行人」になるかを示した法律文書はなくなっていたのである」(p94)

*作成・担当者:櫻井 悟史 追加者:
UP:20080911 REV: 20160526
犯罪/刑罰  ◇「死刑執行人」
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