『資料・監獄官練習所』
矯正図書館 編 19770216 財団法人矯正協会,785p.
■矯正図書館 編 19770216 『資料・監獄官練習所』,財団法人矯正協会,785p. ASIN:B000J8Y3ZQ 非売品 \35700(amazonにて出品中) [amazon]/[kinokuniya] c0134, c0135
■内容(凡例より)
「法務省矯正研修所の歴史は古く、遠く明治二十三年に、内務省によって開設された監獄官練習所(明治二十三年一月〜明治二十四年十二月)に遡り、明治三十二年に再び内務省によって開設された警察監獄学校(明治三十二年四月〜明治三十七年三月)、更に明治四十二年に監獄協会によって開設された監獄官練習所→刑務官練習所(明治四十二年四月〜昭和二十二年四月)に続いている。監獄官練習所は、明治維新からの、わが国の悲願であった不平等条約の改正を前にして、監獄官の教養を高めるために開設されたものであり、斯く練習所は世界でも最も古い歴史を誇っている。しかし、その資料は全く散逸してしまい、現在ではまとまったものは何一つ残されていない。矯正図書館では、この監獄官練習所から刑務官練習所にいたるまでの歴史的事業の概略を一本の稿本にでもまとめたいと計画し、かねてより落穂ひろいのように資料の探索をおこなってきた。しかし、もはや新資料を見い出す力の限界を感じ、昭和五十年四月中旬より編集に取り掛かり、同年十月中旬に未定稿ながら一応の脱稿をみた。今後更に調査を続けることを前提として、ここに『資料・監獄官練習所』と題して上梓することにした」(p7)
「本書の編集にあたっては、飽くまでも「資料集」を作成する意図から、編集者の意見は努めて避けた」(p7)
■目次
序文……中尾文策(作成者補足:財団法人矯正協会会長)
凡例
第一部 監獄官練習所(内務省)
監獄官練習所概説
監獄官練習所年表
監獄官練習所資料
第二部 警察監獄学校(内務省)
警察監獄学校概説
警察監獄学校年表
警察監獄学校資料
第三部 監獄官練習所→刑務官練習所(監獄協会→刑務協会)
監獄官練習所→刑務官練習所概説
監獄官練習所→刑務官練習所年表
監獄官練習所→刑務官練習所資料
■引用
監獄官練習所設立に関する清浦警保局長演説
「諸君 予ハ先ツ諸君カ此度内務大臣閣下ノ訓令ニ従ヒ監獄官練習所第一期ノ召集員トシテ此ニ無事着京セラレタルヲ祝シ十分衛生上ニ注意シ健康ヲ保チツゝ勉強セラレムコトヲ祈ル偖本日、諸君ノ参集ヲ請ヒタル次第ハ兼テ諸君モ知ラルゝ通リ練習所ハ来ル四月一日ヲ以テ簡素ナル開所式の典ヲ行フ筈ナルニ付キ其節小官モ出席シテ練習所設立ノ趣旨を開陳スル積リナリシカ昨日俄カニ愛知県出張ノ命ヲ受ケ終ニ其意ヲ果スヲ得ス依テ本日一同ノ諸君ニ対シ予メ一言ヲ陳述スルノ必要ヲ認メタレハナリ這般内務大臣閣下カ監獄官練習所ヲ設立セラレタルノ趣旨ハ監獄事務ノ改良進歩ヲ冀図セラレタルニアルコト勿論ナリシカ、其冀図ヲ達スルニハ先ツ泉源ヲ潔クシテ然ル後末流ニ及ホスノ手段ニ出テラレシ訳ナリ、凡ソ事物ノ改良ヲ期シ完成ヲ計ラント欲セハ先ツ事ニ従事スル者ヲシテ其事務ニ訓練セシムルヲ務メスンハアルヘカラス否ラサレハ獄則如何ニ完備ナリト称スルモ建築如何ニ善美ナリト謂フモ苟クモ局ニ当ルモノニシテ其人ヲ得サレハ美績好果ヲ挙ケンコトハ到底得テ望ムヘキニアラサルナリ所謂工其事ヲ善クセント欲スレハ先ツ其器ヲ撰フノ理ニテ人物ノ訓練養成ハ事業改良ノ最モ急務タラスンハアラサルナリ従来ノ経験ニ由テ之ヲ観レハ世人一般ノ感想ハ尚ホ監獄ヲ旧牢屋視シテ幾分カ之ヲ軽蔑スルノ傾ナキニアラス従テ之ニ従事スル官吏ノ如キモ等シク同一官吏ニシテ他ノ官吏ニ比スレハ往々其尊信ヲ欠クトコロナキ能ハサルモノゝ如シ是レ実ニ監獄事務ノ一大不面目ニアラスヤ監獄官吏ハ一ノ学科ナリ而カモ一ノ高尚ナル専門ノ科学ニ属ス監獄管理ハ一ノ政務ナリ而カモ地方政務ノ中ニアリテ緊要ノ政務ニ属ス此高尚ナル科学ヲ修メ此貴重ナル政務を掌ル者ニシテ豈漫然世人ノ軽蔑ヲ受ケ其尊信ヲ欠クノ理アランヤ然ルニ我国ニ於テ全く事相ノ之カ反対ニ出ル所以ノモノハ世人ノ未タ監獄ノ本体ヲ領知スルモノ少キニ由ルト雖モ一は亦タ斯ノ実務ノ実績顕著ナラス且ツ当局者其人ニシテ間々自ラ其地位ヲ捨蔑如スルか如キコトアルニ職由セスンハアラサルナリ若シ夫レ当局者其人ニシテ能ク治獄の本領ヲ解シ其実務ニ通暁練達スル所アラハ着々其成績ノ顕著ナルモノアルヲ見ルニ至ルハ必然ナリ内務大臣閣下ノ監獄連練習所を設立セラレタルノ趣旨実ニ此ニアリト信ス」(p28)
実務演習 第三回 明治三十三年一月十六日(火曜日) 於警察監獄学校 小河滋次郎講述
「官吏たる者は総て職務上の秘密を確保するの義務を有す仮ひ刑事上の証人となる場合と雖も事苟も其職務に関する事項なるときは上官の許可あるに非れは之を陳述することを得す就中監獄官吏は最も職務の秘密を保たさるへからす官吏は最近親族の間と雖も此の秘密を漏泄することを得す誰か監獄に秘密なしと謂ふ行刑立法の主義は監獄官吏の各自に依て始て其旨趣を全ふすることを得へし秘密を以て警察の専有と為すか如きは誤解の甚たしきものなり監獄官吏は本人は勿論家族婢僕に至るまても秘密を保たしむるの義務を有す監獄の秘密とは何そや苟も職務に関する事項は其直接遇囚に関する事と監獄行政事務に関する事項は其直接遇囚に関する事と監獄行政事務に関する事とに論なく総て之を包括して秘密と称す監獄官吏は死刑執行の情況に関し死刑者の挙動、刑場の情況等に関する事項は勿論何人か如何なる監房に拘禁せらるゝ等総て其情況如何に付ては堅く他人に漏泄することを得す」(p176)
実務演習 第四回 明治三十三年一月十九日(金曜日) 於警察監獄学校 小河滋次郎講述
「余は諸君の了知せらるゝ如く此の死刑は廃せさるを得すとの意見を有する者なり併し今現に死刑か存在すれは悪法も法律なり此の法律にして存在する以上は此の機会に於て此の死刑執行に対し爰に外国の例を講和するは無益に非すと思へは今其の実況を述へんと欲す是れ余か欧州諸国に於て見聞せし所の断片を述ふるに過きさるなり死刑を用ゆる国に於ても直接に執行する事務即死刑を執行する仕事を以て監獄官吏に任せると言ふか如きことはなきなり此の死刑執行に付ては一定の請負人の如き者ありて絞首若くは斬首する事は総て此の請負人の任務としてあるなり仏蘭西に於ては全国を通して只一人の請負人あるのみなり而して此の請負事業は世襲にして親か子に伝へ子か孫に伝ふると言ふ如く定めあるなり他の地方は重なる都府に之を請負ふ者あれとも是又殆んと世襲として引受居る慣例なり然して此の死刑の請負人なる者は非常に社会より擯斥せられ日本に於て穢多を卑むより一層甚たしく之を卑むの風あり仏蘭西の請負者は常に巴里に住居し死刑執行の時には余所に旅立すれとも此の死刑執>184>行人は到る処之を宿泊せしむる者なきを以て多く旅宿に苦しみ官署の一部を借受けて止宿するなり去れは無論之と縁組をするとか交際するとか言ふことは世人の忌避する所にして全く社会より擯斥せらるゝ一種の下等人なれとも財産は非常に有し居るなり是れ大に考慮すへき点にあらすや何故に此の如く世人か死刑執行者を忌むや若し此の請負者無きに於ては国法の目的を達すること能はさるを以て之を擯斥するの道理なかるへし然るに此の請負人を斯く迄擯斥するは乃ち人情の欺くへからさる所にして人の天性は之を殺すと言ふことは為し得さるなり是れ人情自然に発したるものと謂ふへし此辺より推考するも死刑は人間の自然に照らして良き事に非すとするは何人と雖も一様なるへし
我邦に於ては死刑執行は監獄官吏の任務と定められたれは世人か監獄官吏を卑むは全く茲に基ひすへしと思はる縦ひ下級官吏の仕事とするも官吏の一部に居る者の仕事なれは自然一般の監獄官吏か世人に卑しまるゝは無理ならさることなり何故に監獄官吏は此事を為さゝるを得さるやと言ふに刑法に死刑か存在し居るを以てなり余は此の死刑執行は独り不法不都合なるのみならす我か監獄の体面を傷つくる最も悪むへき醜き事と信するなり
此の死刑執行の方法は其国に依りて種々なれとも或は斬する所もあり或は我邦の如く絞する所もあり又電気器械を用いて刑する所もあれとも多くは斬首刑なり絞首は英吉利或は日本位なるへし他の諸国に於ては多くは斬首の方法を採用し居るなり
死刑執行の場所は各国の規程に依れは多くは人の見ること能はさる構内の或る場所に於て執行すれとも仏蘭西は例外にて監獄門外の公衆の見る所に於て執行するなり過日外人の講師より聞く所にては彼の亜米利加に於て死刑を公行することありと言へり然して多くは此の絞架台を用いさるか故に大概監獄内に於て執行すれとも何処か執行の場所と言ふことは殆んと大監獄を歩きては分らさるなり多くは監獄構内の監房翼と監房翼との間の空地に於て為せとも常に死刑を執行する場所と言ふ指定をするに過きさるなり故に外見より此所か死刑執行の場所と言ふことは分からさるなり又規則には特に囲いある場所に於て執行せよとあれとも執行の場所と言ふものは無く只監獄の囲いある場所に於て為せは可なり故に其の執行の場所は別段監獄内に定め置かさるを以て監房翼と監房翼との間に於て執行するを以て時としては囚人の居る監房の窓より見ることを得ることなきに非す斯る場合には其の監房を他に移して見せしめさることに為し居れり又或は此処か監獄の建物なれは其隣には三階の建物ありて其○より見ることを得ることあり是等は大抵防けとも余の見たる>185>澳地利に於ては容易に見ることを得るなり独遙にては民家より見へさる所に監獄署を設置しあるを以て隣家の○より見ゆるが如き事はなきなり
此の死刑執行を言渡されし者が自殺を為すこと最も多き故に其の自殺を防くか為め又は非常に沈鬱して其の結果精神病を起すの危険あるを以て監獄官吏か注意して之れを慰め或は説諭することあれとも通例此の言渡を受けたる者の監房内に一人若くは二人の看守を昼夜同居せしむることに定めあり仏蘭西抔は二人の看守か這入りて朝夕の食事其他総て監房内の囚人と起居を同ふせしめ一面之を検束し一面之を慰め居るなり又独逸は多くは此の宣告の確定したる者に対して手枷を施すの定めなり又教誨師の如きも殆んと看守と同しく始終監房内に起臥し居るなり之に就て日本にて言へは本山と言ふ所より特に訓令抔を○々為し居れり此死刑執行の命令は執行の前日に始て之を伝達するの例にして伝達を受けたる者は自分の好む所、欲する所の僧侶を招いて其の僧侶の説教を聴くことを得るを以て常に自分か社会に居りし時に尊崇し居る所の僧侶を招待して其の説教を聴くの請願を為すの例なり若し斯る僧侶無き場合には其の死刑の伝達を受くれは大概教誨師か其の囚人と倶に一夜を明かすの慣例なり
今を去る二十五年前即独逸刑法発布の前頃迄は愈々此の死刑場に連れ行きて死刑を執行する儀式の畢る迄鐘を打ちしものにて梵鐘の如き物をヂャンヂャン鳴らせしが其事は刑法の改正以来極めて謹厳静粛に執行することゝなれり立会人は裁判官典獄及民間の者か一二人立会するの例にて恰も倍審制度の如きものなり然して監獄官吏其外民間より出る立会人に至る迄此の儀式に臨む所の者は総て正しき服装を為し少なくも皆「フロックコート」を着用し居るなり是は日本の死刑執行に於ても必要なるへし死刑執行は極めて荘厳静粛なる式を要するを以て着流し又は縞の羽織を着用し若くは背広の如き略服を着けて参列するは甚た軽々しき事と思はる、以前は其の死刑者の嗜好する所の飲食物を与へたりしが今日は多少平生より良き物を与ふるに止まり多くは其働き居る工銭を以て自分の嗜む物を買はしめ茶或は「コーヒー」は勢ひを付くるものなれは是等を給するの例なり其の以前は「ブランデー」の如き強酒を与へしか今日は酒類は与へす只「コーヒー」茶の類を与ふるなり是等に付ては別段直接に諸君の参考となるへきものはなけれとも唯諸君が感せらるゝ所は日本人と其趣を異にする点、即死刑執行は一定の請負人ありて官吏か与からさる事若くは絞架台の如き不祥の物を備へ置かさる事又儀式は荘厳にして立会人は略服に非さる鄭重なる服を着用し居る事又死刑執行の囚人に対する検束上の行届き居る事は我邦と其趣を異にせり又教誨師か勤むる程度に至りても我邦と程度を異にし居る>186>なりミルラー抔に対しても鍛冶橋監獄署に於て充分教誨せしが猶ほ同署より市ヶ谷監獄署まで米国宣教師か馬車を同しくして非常に説諭せしとの事なり是等も多くの力を得たることなりと思はる」(pp.184-187)
■書評・紹介
■言及
*作成:櫻井 悟史