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『日本死刑白書』

前坂 俊之 19820430 三一書房,239p.


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■前坂 俊之 19820430 『日本死刑白書』,三一書房,239p. ASIN:B000J7P6W6 \1528 [amazon][kinokuniya] c0132 c0134

■内容

■目次
序章 忘れられている死刑囚
第一章 死刑執行まで
第二章 誰が死刑囚になるのか
第三章 誤って殺される人たち
第四章 閉ざされる道
第五章 死刑廃止は是か非か
第六章 一人の生命は全地球よりも重し
第七章 世界の死刑白書
終章 今日的課題、死刑の廃止へ
参考文献
あとがき

■引用
刑務官
 さらにもう一人、死刑問題の適任者に会った。元大阪拘置所・玉井策郎所長である。
 玉井所長は一九四九年(昭和二四年)から一九五六年(昭和三一年)まで計七年間、同拘置所に勤めた。その間、四六人の死刑囚に執行命令を伝え、実際の執行に立ち会った。その克明な模様、刑務官の悩みを記録した『死と壁―死刑はかくして執行される』(創元社 一九五五年刊)を世に問うた。
 玉井氏のこの勇気ある内部告発的レポートは一九五六年(昭和三一年)の死刑廃止法案提出に一つのはずみを与えた。刑務官の立場から、玉井氏ははっきりと死刑廃止を唱えたのである。死刑の実態>79>を報告してもらうのに、これほどの適任者はいない。
 一九七九年(昭和五四年)の春、私は大阪府八尾市内に住んでいる玉井氏の自宅を訪れた。玉井氏は退職後も恩赦になった死刑囚の一人を知合いの会社に就職させ、世話をするなど今でも受刑者の更正にたずさわっていた。
 和服姿で、脳いっ血で少し不自由な腕をかばいながら、質問にはざっくばらんに答えてくれた。穏やかな顔つき、この世の地獄を見た目も柔和に笑っていた。
 玉井氏は少年院勤務が長く、非行少年の矯正に生涯をかけていた。成人相手のしかも死刑執行のある拘置所行きの命令はイヤで即座に断ったが、結局一年という約束でしぶしぶ承知した。敗戦直後であり社会は混乱し、凶悪事件が続発していた時期である。大阪拘置所は約一〇〇〇人ほどの未決拘留をかかえ、そのうち死刑囚は未確定も含め五〇人にも達していた。定員を越えて収容するのに困ったほどだ。
 所長になって約一週間、所長室に入るにはどうしても講堂の横を通らねばならない。そこで、いつも死刑囚相手の教誨をしている。中の様子が自然と目に入ってくる。毎日毎日そこを通りながら玉井氏は死刑囚の様子を観察していた。かつて少年院で見た少年達の笑顔や、はれやかな表情、笑い声と同じ物がそこにあった。死刑囚の態度や表情は普通の人以上にりっぱで落着いている。不思議に思った。どうしてこんな立派な人たちが死刑囚になったのか――玉井氏の胸の内でその疑問が大きくふくらんできた。それまでの死刑囚のイメージが一度にかわった。
 「あなたがたの毎日の行動をみていると、頭が下がった。私があなた方を導くんではない。これから>80>もともに手をたずさえて修業していきましょう」玉井氏は講堂で死刑囚に向って最初にこうあいさつしたという。
 私には玉井氏のこの言葉がどうしても理解できなかった。死刑囚がりっぱだという点がわからないと再度聞き直した。
 「世の中では、死刑囚といえば、ハシにも棒にもかからない悪い奴だと思っている人が大半でしょうね。あなたを含めてね。しかし前に人を殺したとはいえ、もう罪を悔いて、われわれ以上にりっぱになっている人間をなぜ殺さなければならないか。つまり、人間として、悪はすてて善人になった人たちですよ。ウソいつわりはない人たち、そんな人たちばかりですよ」
 玉井氏は語気を強め、そして言葉を途切った。私の理解をいぶかったのだろう。死刑囚と身近に生活し、共に苦しんだ刑務官、マスコミで残虐さの字面だけを観念的にしか知らぬ私。そこにどうしようもない認識のギャップを感じた。
 玉井氏は奥に引っ込んで、冊子を持ってきた。正方形の冊子には玉井氏が立会った四六人の死刑囚の戒名が全部書いてあった。その一つ一つをなつかしそうに見ながら、玉井氏は説明してくれた。
 「われわれも犯罪者なんですよ。子供の時、スイカやイモを畑から盗んだり、これはみんな経験していることですよ。ところが、ある年齢になり、教育がうまく行っておればこんなことをしてはイカンと、普通の人間にもどるんですよ。
 ある時に、まずいと気がついたか、そうでなく、気がつかずにズルズルといった人間は犯罪者になるんですよ。しかし、教育によって、悪いと気づかせば直りますよ」>81>
 「五十人が五十人ともですか」
――そうです。みんな時間がかかっても、直りますよ
――矯正不可能な人間がいるんではないですか。死刑存置論者はそう言ってますけど
 「何とか直す方法はありますよ。一年、一〇年、二〇年かかっても、生まれつきそうではないんですから……」
 玉井氏は一つのエピソードを話してくれた。ある死刑囚の執行の時の話である。
 「いよいよ、死刑執行になり、刑場に入った。"何か言い残すことはないか"と私(玉井氏)が聞いた。"ぜひ、一つ聞いてほしい"とその死刑囚は言った。"検事が私に死刑の求刑をした時、何とかここを脱走して、この検事の一家を皆殺しにして、死のうと思った。
 しかし、今、考えてみると、交通事故や急病で突然、誰れにも会わず死ぬ人は多い。私はそうでなく、家族にも会えて、言いたいことを十分言えて、こんな有難いことはない。
 これも検事さんのおかげだ。もし、検事が死刑以外の求刑をしていたら、私はまた出所して悪いことをしたかも知れない。こうやって、まともになって満足して死んでいけるのは検事さんのおかげだ。この検事さんにぜひ私からのお礼を伝えて下さい"と言い残して、執行されました。ほとんど、このような心境の人ばかりですよ」(pp79-82)

玉井氏が死刑廃止を求めるもう一つの理由は、執行するのが刑務官であるということだ。刑務官の仕事は受刑者を教育し、社会へ更正させることである。刑務官は教育者であり、悪に迷い込んだ人た>82>ちを、矯正して社会へ送り出すのが役目だ。そこに誇りと社会的責任を感じている。その教育者が死刑を執行せねばならない。全く矛盾ではないか。
 悪人を善人にして死刑にする、それが法律的に認められているものであっても、死刑が殺人であることにかわりはない。教育者という看板も誇りも、汚れ、自らが殺人者となり、残虐な刑の執行者となり果てる。
 それも、前非を悔い、われわれ以上にりっぱな人間に成長した者をなぜ殺さねばならないか。執行に立会う拘置所の職員は誰もが良心の苛責を受けている。
 一九五六年(昭和三一年)五月一一日。参議院法務委員会の死刑廃止法案の公聴会で玉井氏はこう意見を述べた。
 「死刑囚は世の誰からも、彼等が持っている生まれながらの"善い心"を認められず人間性を発見されないで、唯、ありし日の極悪非道の凶悪犯罪者として闇に葬り去られてしまうのである。彼等だって、その生涯の中にはきっと、それは間接的であったかも知れないが、人間の生命を救うことに役立った行為をしたこともあったであろう。他の不幸な人々が彼等の善行によって人生への希望を見出したこともあったかも知れない。
 成程、彼等は天人ともに許せない大罪を犯した人々である。しかし、人間としての彼等を、本当に観察するならば、私達は彼等の育った家庭環境、又は社会的、時代的環境も十分考慮してやるべきである。同胞として愛に飢え、かつえていたのえはないだろうか。凡ゆる社会問題の究極の原因が、人の心の動きに支配されて生ずる過程や結果にほかならないとするならば、こうした極悪な犯罪者を生>83>み出した社会につながる私達にも一部の責任があるといって過言ではないと私は考える」
 法律学者、検事、弁護士らの中で、実際に死刑囚と生活し、その"生と死"のはざまを凝視してきた玉井氏の話は説得力があり聞く者の心を強く打った。
 玉井氏の死刑廃止への願いは今も一向に衰えることなく燃えている。
 「死刑はもとをただせば仇討の思想ですよ。死刑囚の子供はどうなるんですか。極悪人の子供や妻だから、どうなってもよいというのですか。国家は殺しておいて、残された者のことなんか考えないのですから」
 玉井氏の柔和な目に鋭さが宿り、強い口調になった」(pp.82-84)

■書評・紹介

■言及



*作成:櫻井 悟史 
UP:20080908 REV:
死刑  ◇「死刑執行人」  ◇身体×世界:関連書籍 1980'  ◇BOOK
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