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『死刑』

正木 亮 19551115 河出書房,255p.


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■正木 亮 19551115 『死刑』,河出書房,255p. \120 c0132, c0134

■内容(はしがきより)

「死刑は人類の共同生活が始まると同時に用いられ始めた刑罰である。これを日本に例をとれば日本歴史の最初からの刑罰である。この刑罰が幾千年の間人間を威嚇しつづけて来たのである。そしてその幾千年の間犯罪の絶えることもなかった。研究されたのはいかにして人間を戦慄させ得るかということで、その刑罰の利害得失ということまで掘り下げることはなかった。人々は延(旧字)髄作用のように、凶悪犯罪が起る毎に、あっ死刑と叫んでいる。そういう人々の多くが死刑とはどんな刑罰であるかということを見たこともなく、また知ることもなく、口にするように慣習づけられているのである。
 そういう慣習は他人の生命を軽視し、自己の生命はむしろ非常に重く評価する慣習である。こういう慣習が反って殺人犯罪の遠因となるということを否定し得られるものであろうか。
 今日日本の拘禁所には死刑確定囚が八十名もいる。そして、兇悪な強盗殺人が次々に起っている。八十名も死刑の宣告を受けている前例を目の前に見ながら、引き続いて強盗殺人が行われている。死刑果して効力があるものであろうか。ここにもまた死刑を研究せねばならぬ所以がある。
 幾千年の間人類の死刑の威力をむしろ過大に評価しつづけている。ベッカリーヤが言ったように、それは人類が死ということを異常に評価している結果である。若しも死刑が痛苦を期待>5>するものであれば、痛苦の点においては無期懲役に及ばないともいわれる。しかし、それほど人類から恐れられている死そのものを中心とする刑罰なるが故に、人々はこの刑罰に無批判にたよるのである。
 この刑罰さえあれば、殺人犯罪も強盗犯人も放火罪もみな抑圧出来ると妄信するのである。何ぞ図らん、この恐るべき刑罰こそ犯罪抑圧の効用がある反面において、また犯罪の由因をも作りつつあることを忘れてはならない。
 この刑罰には残虐性が含まれている。日本の最高裁判所自らが示している生命は全地球よりも重しというその哲理を蹂躙している。そのこと自体に刑罰革命の必要性を示しているのではあるまいか。さような諸々の点を研究する必要に迫られている死刑をここで取りあげて敢て世に訴えるものである」(pp.5-6)

■目次

はしがき
第一部 日本の死刑
 1 日本の死刑はいつから行われたか
 2 日本の死刑と支那の影響
 3 儒教及び仏教の影響と死刑廃止
 4 死刑の復活と死刑の苛烈化
 5 武家時代の死罪
 6 死罪の消長
 7 死刑方法の単一化経路
 8 新刑法と死刑存廃論
 9 新刑法改正運動と死刑
 10 新憲法と死刑
第二部 外国の死刑
 1 外国における死刑の種類
 2 刑罰革命の声起る
 3 二十世紀における死刑
 4 誤判と死刑問題
 5 現代の死刑に関する世界分布図
あとがき

■引用
「旧刑法附則はその第一条から第八条までに死刑の執行方法を規定しているが、これを要約して説明すると次の通りになる。
 死刑は監獄の刑場で行うのであるが、警戒を厳重にして執行に関係ある者以外は刑場に入ることは許さない。只立会官吏の許可のある者には参観させることが出来るが、原則としては許されない。
 この点は死刑の密行主義が初めて確立された点で特に注目に値いする点である。死刑は従来は民衆の目前において見せしめ>72>の為に行なわれるところに意味があった。しかるに、旧刑法においてこれを獄内で密行することに定めた。そこに刑罰の残虐性除去の大きな進歩のあったことを認めないわけにいかない」(pp.72-73)

「新刑法誕生した明治四十年六月二十日発行の監獄協会雑誌を見ると、花井卓蔵博士が五月五日に監獄協会で「刑罰法規と監獄」という題で講演をしておられる中に次のようなことを述べておられる。
 「是はどうか諸君(監獄官)に是非所謂実質上の立法者としてお叫びを上げて戴きたいために私の方から御依頼申すのでありますが、実は刑法が改正されまして多数は世論輿論で迎えられているのでありますが、最も遺憾に堪えぬ点がここに二つある。死刑廃止の断行されざりしこと、無機刑廃止の断行されざりしことであります。」
といって、監獄官吏に経験上の立場より、死刑廃止の叫びをなすべきことをすすめておられる。>77>
 監獄職員たちは勿論新刑法における死刑の問題について決して無関心ではなかった。否今日のように死刑問題に冷静すぎる矯正職員に比し、昔はかくもよく熱心にこの問題を研究を重ねたものであると認められるほど監獄職員たちは死刑廃止に懸命であった。それがみな経験者たちの意見であるだけに、死刑問題を扱う、今日の私にとっては捨て難き資料であるからここに書きとめて置こう。(中略)>78>〜>84>
 その余の廃止論も概ね大同小異であり、監獄官は死刑を監獄において執行せざることを強く主張している。
 明治維新後今日に至る間においてこの頃程死刑廃止論が強く叫ばれたことはない。たとい、それが監獄・保護事業家の間だけに限られたとしても、これほど意見の一致を見、且つこれが世に訴えられたことはなかった。しかし世の中の殆んどが死刑の存置論であった。大悪に対する応報としてこの刑が最適であるということ、他戎的効力がすばらしく多いということ、>85>従ってこれなくして次の大罪が続出するであろうということ以外に存置論の根拠がないに拘わらず、世の多くは存置論をささえているのである。
 以上の廃止論は存置論のその論拠を覆すべく経験を披瀝したわけであるが、この時を置てその後にこれほど死刑存置論のたたかわされたことはない。しかし、仮刑律から新律綱領へ、それから改定律例へ、旧刑法へ。旧刑法から更に新刑法に移り進むことによって死罪が後退し、死刑の種類が単一化され、死刑の絶対法定制が量定主義に移り進んで行く姿は必然的に死刑そのものの存在に疑問が持たれねばならぬ運命に置かれていた。
 その死刑の運命にかかり合いのある存廃論が新刑法を中心として興ったことは、日本刑事史上の一大出来事であったのである」(pp.77-86)

■書評・紹介

■言及



*作成:櫻井 悟史 
UP:20080910 REV:
死刑  ◇「死刑執行人」  ◇身体×世界:関連書籍 -1970'  ◇BOOK
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