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『死刑』

森 達也 20080120 朝日出版社, 328p


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森 達也 20080120 『死刑』,朝日出版社,328p. 1680 ISBN-10: 4255004129 ISBN-13: 978-4255004129 [amazon]

■内容紹介
知っているのに誰も知らない、僕らが支える「死刑」というシステム。
できる限りは直視したい。知ったうえで考えたい。
罪とは、罰とは、命とは、何だろう?
著者渾身の書き下ろし最新作。死刑をめぐる三年間のロードムービー。

内容(「MARC」データベースより)
生きていてはいけない人って、いるのだろうか。多くの人が死刑から目を逸らし続けるが、僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす…。死刑をめぐる3年間のロードムービー。

■目次
プロローグ
第一章 迷宮への入口
第二章 隠される理由
第三章 軋むシステム
第四章 元死刑囚が訴えること
第五章 最期に触れる
第六章 償えない罪
エピローグ
参考文献

■紹介・引用

「いずれにせよ「思う」だけだ。処刑される側の心情や痛みはわからない。なぜなら絞首台から生還した人はいない。そして処刑の手順についても、今の日本では「見る」や「聞く」はほと/
んどない。だから「知る」もない。死刑は隠されている。ひっそりと。この社会の濃密な闇の奥に。誰もが死刑は知っている。でもその内実を知る人はとても少ない。だから日本の死刑執行の方法が絞首刑であるということすら、知らない人はとても多い」(pp.6-7)

「一つひとつの要素を分類して整理整頓するだけでは足りない。死刑という制度の裏には何かが潜んでいる。その何かの、形や色、質感や温度など、具体的な要素を、今のところ僕は何ひとつ明示できない。つまり不可知な何かだ。でもしぶとい。そしてとても重い。
 この「何か」を考察するためには、死刑を制度的に捉えるだけでは不充分だ。歴史的に捉えるだけでもまだ足りない。人が人を殺すということを、今よりももっと強く、もっと真直ぐに見つめることが必要になる。言い換えれば、「死」そのものをもっと強く実感することを、この執筆は僕に強いることになるはずだ。同心円の周縁には、罪と罰、加虐や報復、贖罪や暴力、怨嗟や憎悪、哀切や悲嘆などの要素が並び、そしてこの中心に「死」がぽっかりと、虚無の深い口を/
開けている」(pp.10-11)

「何もよりによって死刑制度を題材に選ぶことはないんじゃないかと我ながら思う。でも仕方がない。僕は気づいている。ここにはきっと何かの本質がある。とてもしぶとくて重い本質だ。気づいてしまったからには、もう目を逸らすことはできない。いや目を逸らすことはできたとしても、視界の端にそれはある。たぶん二度と消えることはない。ならば方法はひとつ。直視することだ」(p11)

「安田(担当者注:安田好弘弁護士)には悪いけれど、もしも時間が空いたとしても、たぶん参加はしないと思う。いやたぶんじゃない。デモに参加はしたくない。/
──中略──
もっと直截に書けば、集まってきた彼らに対して、何となく引け目を感じてしまうのだ。
 なぜなら彼らは、死刑制度をこの国からなくすために、ずっと無償で働いている。つまり市民運動家であると同時にボランティアでもある。僕は何だろう。少なくともボランティアではない。本を書くために、つまり死刑がらみで何かネタはないかと思ってここにいる。思想や信条はない。淡いものはあるけれど、それは思想や信条ではなくて情緒だ。さらに好奇心。
 つまり彼らとは根本的に違う。でも彼らは旧知の仲間のように接してくれる。だから居心地が悪い。そんな意識でデモに参加はできない」(pp.15-16)

「四人の執行で九十四人となった確定死刑囚の数は、年が明けた二〇〇七年二月には、戦後初めて百人を超えていた。そして百二人となった四月に、今度は三人の死刑が執行された。これで/
九十九人。その後も死刑判決は続き、確定死刑囚は増え続ける。五月にはまた百人を超えた。そして八月にまた三人が処刑された。
廃止か存置かはともかくとして、百という数字を巡るこの確定と執行のシーソーゲームに対しては、やっぱり何かが停まっていると思いたくなる。これもまた年度末の予算調整。どっと増える道路工事。そのレベルで人の命が使われている。でも(もう一度書くけれど)「だって死刑囚じゃないか」と言われたら、僕はきっと唸りながら口ごもる。すっきりしない。断定できない。ずっとこの繰り返し。すっきりしたくなる。存置か廃止。その二つじゃないか。中間の領域はない。そう思いたくなるけれど、でもやっぱりここでも、何かが僕の袖を引く」(pp-21-22)

「確定死刑囚は家族と弁護士以外とは面会を許されない。外部との手紙のやりとりも原則的には禁じられる。だからもしも家族がいなければ、死刑確定後は誰にも会えなくなる。友人にも恋人にも会えない。手紙のやりとりもできない。つまり存在が不可視となる。その理由を法務省は、死刑囚の心情の安定を保つためと説明する。
 バカじゃないかと思う。世の中には硬直した規制や取り決めはいくらでもあるけれど、これほどに硬直した規則は他にはちょっと思いつかない。人と会話をさせないこと、コミュニケーションをとらせないことが、心情の安定に結びつくと法務省は本気で思っているのだろうか。
 ……あきれながらもふと考える。なぜ死刑囚は安定した心情に到達せねばならないのか。つつがなく処刑を迎えるためだ。どう考えても奇妙だ。でも死刑の地平ではこれが当たり前となる。まるで次元が異なる世界のように、何かが捩れ、何かが反転する」(p36)

「「……死刑制度に問題があるとは思います。でもそれで死刑廃止とは言えないな、という思いがありますね。……やはり考えるべきは被害者感情なんです。でも被害者が百人いれば百通りの感情があるわけで、それを考えると、また堂々巡りになっちゃうのだけど……」
 ひとつひとつの言葉を区切りながら郷田(担当者注:郷田マモラ)は言った。僕は考える。多くの被害者遺族の感情を最大限に優先するのなら、存置論者の多くがよく口にする「死刑は国家による仇討ちの代行である」とのレトリックが成立する。ならば死刑が確定した段階で、国家は遺族に処刑の方法を聞くべき/
だ。自ら執行を望む遺族には自分でやらせるべきだし、死刑までは望まないという遺族がもしいれば、じゃあやめましょうかとの対応が理想のはずだ。つまり現行のシステムを変えねばならない。少なくとも執行への遺族の立会いくらいは認めるべきだ。でもそれはできない。立会いはともかくとして、遺族の意向で死刑が実施されるかされないかは決められない。なぜならこの国は法治国家であり、罪の内容とそれに対応した罰を、法令によって規定しているからだ。この罪刑法定主義は近代刑法の基本原理であり、この原則があるからこそ公権力による恣意的な処罰は制限され、国民の自由な活動が保障される。
 つまり死刑の意味を「国家が代行する報復」とだけ規定するならば、その瞬間に罪刑法定主義は崩壊し、この国は近代法治国家の看板を外さなくてはならなくなる」(pp.53-54)

「何よりも死刑は不可逆であり遡及性がない。執行した瞬間にすべてが終わる。日本の刑罰において死刑の次に重い無期懲役は、有期刑とは異なり期限が定められていない刑罰だ。刑法第二八条によって、十年の懲役が経過すれば仮釈放を許可することができると規定されている。いずれ社会復帰できる可能性はある。死刑に比べれば相当に軽い。つまり死刑は、形而上においても形而下においても、他の刑罰に比べればあまりにも突出して、さらに逸脱している」(p56)

「人を殺せば死刑。僕はずっとそんなふうに考えていた。でもこのリストを眺めながら、刑法上の現実はそうではないことに気づく。内乱と外患誘致、そして外患援助罪は、人を殺害したかどうかとは無関係に死刑が適用される。なぜなら国家への反逆だからだ。特に外患誘致は国家反逆罪的な要素の最たるもので、もしも認定されれば、人命の犠牲がなくとも死刑が必ず適用されるという絶対的な法定刑だ。しかし日本ではこの条文が適用された例は過去にはない(オウム事件の際には内乱罪を適用せよとの声はあったが、結局は見送られた)」(p72)

「「執行があるとき、刑務官の誰が処刑に立会ったとか、そんな情報は拘置所内で公開されるのですか」
 僕のこの質問に、二人(担当者注:名古屋拘置所職員)は顔を見交わしながら首をひねる。
「全然わからないですねえ」
「お二人は立会ったことはないし、この拘置所の誰が立会ったかもわからない。でも処刑はこの拘置所で、最近では二〇〇二年に行われていますから、誰かが立会っているわけですよね」/
「そういうことになりますね」
「つらくはないですか」
「それは毎日死刑囚に接しているわけですから、個人としてはそういう気持ちがあると思いますよ。人間ですから。でも、命令に従うことが職務ですから」
「職務ですか」
「はい。法令にのっとって」(p83)

「(担当者注:保坂展人の死刑執行現場についての発言)「とにかく徹底した秘密主義です。なんて言うのかな。分業システムも含めて、人が死ぬというリアルさが希薄になるような装置です。その意味では、うまく出来ているなあという感想を持ちましたね。遺体は棺桶に入れられて、この部屋の脇にある専用のエレベーターで階上へと運ばれてゆく。流れ作業です」(p98)

「ただし彼らのこの「死刑になりたいから人を殺した」式の論理を、あまり額面どおり受け取らないほうがよいと僕は考える。人の意識は複雑だ。現行犯逮捕された直後の宅間は、警察の取調べで「精神安定剤を十回分飲んだ。池田小学校には行っていない」などと供述している。明らかに心神喪失を装おうとしていた。また裁判の過程で精神鑑定を受けた際には、事前に死刑のことを考えていたことを自らあっさりと否定して、できるだけ多くの人を殺そうと思っていただけで/
あるとも話している。自分の悪行を少しでも正当化したいとの意識下の衝動が、逮捕後にひっそりと駆動して、「死刑になりたいがゆえに自分は人を殺したんだ」と思い込んでしまう場合はきっとある。あるいは多少はその要素があったとしても、それがあたかも百パーセントの動機であったかのように、意識の中で肥大してしまう場合もあるだろう。だから全否定はできない。要素はある。少しだけ。いろんな要素が混じりあっている。それがたぶん現実だ。一かゼロかではない。
 でも同時に思う。殺された子供たちのことを。理由も必然も何もない。彼らはいつものように教室にいた。そして巻き込まれた。虚無だろうが偽装だろうが何でもいい。子供たちには関係ない。彼らが殺されねばならない理由などどこにもない」(pp.123-124)

「亀井(担当者注:亀井静香)が口にした終身刑導入は、死刑廃止を論じる際の要点のひとつだ。法律上は最短十年で仮釈放が可能な無期懲役と死刑とでは差があまりに大きすぎるとの観点から、死刑と無期とのあいだの刑罰として終身刑を導入することを死刑廃止議員連盟は主張している。つまり死刑廃止のための前段階だ。
 この前提にあるのは、多くのコメンテーターや識者などがテレビなどの各種メディアで発言する「日本の無期刑は十五年程度で仮釈放になってしまう」などの決まり文句だ。早ければ七、八年で社会に出てくるなどという作家もいた。
 刑法第二八条には、「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の情があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に出獄を許すことができる」とある。だから無期囚の場合は、確かに十年を模範囚で過ごしたのなら、法律上は仮出獄できる可能性がある。しかしこれはあくまでも制度上のことであり、無期の判決を受けながら十年で仮出獄する人などまずいない。/
 「矯正統計年報」によれば二〇〇六年度における無期刑受刑者の仮釈放者数は三人で、その平均在所期間は二十五年一カ月に及んでいる。さらには仮釈放されない囚人も多数いる。二〇〇〇年八月の時点で、在所二十年以上三十年未満の無期囚が百三十三人、三十年以上四十年未満の無期囚が二十五人、四十年以上五十年未満の無期囚が十五人、在所五十年以上の無期囚が二人存在していることが確認されている(第百四十九回国会答弁第十九号「死刑と無期懲役の格差に関する質問に対する答弁書」による)。
 諸外国には終身刑があるのに日本にはないともよく聞くが、多くの国の終身刑は、日本の無期懲役と同様に仮釈放のある終身刑だ。つまり運用上は大きな違いはない。仮釈放のない終身刑を採用している国は、アメリカ(一部の州を除く)やオーストラリア(一部の州を除く)、中国、オランダ、スイス、ハンガリーなど、むしろ少数派と言えるだろう。
 だから無期刑は、多くの人が思うほど軽くはない。特に近年は、仮釈放までの在所期間が急激に長くなっている。でも死刑に比べれば確かに軽い。ならば仮釈放のない終身刑を導入すべきかと言えば、これに対しても様々な議論がある。終身刑のほうが残酷だという考えかたもある。どちらがより残酷なのか。僕にはわからない。死ぬまで塀の中。春の風の匂いを感じることはもうできない。青い海に飛び込むことも草に触れることもできない。本屋で立ち読みすることも星空を眺めることも、誰かと出会うことも降りしきる雪を下から眺めることもできない。/
 そんな生涯を想像はできない。つらいだろうなとは思う。発狂するかもしれないとも思う。でも死刑とどっちを選ぶと言われたら、僕はきっと答えられない。塀の外にいるかぎり、僕らには絶対にわからない」(p.139-141)

「「三井(担当者注:三井環)さんは執行を実際にご覧になっていますよね」
「はい」
「そのときの様子を教えてほしいんです」
「……平成十年くらいだと思います。この頃私は名古屋高検総務部長の職についていました。確か金曜日に、法務大臣から名古屋高検検事宛に死刑執行の指揮書が送られてきました。通常は高検の検事全員でくじ引きをして立会い人を決めるんです。でもこのときは、『いいですよ、私しますわ』言うたらそれで決まりました」
「くじ引きって文字どおりのくじですか。アミダクジとか」
「そう言ってましたよ。まあそれが、いちばん公平と思うからしておるんでしょうね」(p154)

「三井がこのとき立会った二人の死刑囚について、後日、資料を調べた。ひとりは西尾立昭。享年六十一。日建土木事件でひとり殺害。もうひとりは井田正道。享年五十六。合計で三人が殺害された名古屋保険金連続殺人事件、つまり死刑執行停止を求める遺族である原田正治の実弟を殺害した長谷川敏彦の共犯だ(五十一頁参照)。それぞれ執行の時間はほぼ一時間。終わったときに/
はちょうどお昼だった。三井の記憶では、二回の執行とも同じ顔ぶれの刑務官が担当した。用意されていた車で隣の検察庁まで帰る。徒歩でも数分だけど、車が送り迎えすることが慣例らしい。職員が玄関で塩をまく。その日は昼から休み。慰労金として三万円をもらう。
「塩は必ずまくんですか」
「慣例みたいやね」
「慰労金は二件で三万円?」
「そう」
「金額の根拠は?」
「慣例でしょうね」
 三井は淡々と答える。慣例ばかりだ。人が人を殺すことなど、本来は慣例になるはずがない」(pp.157-158)

「死刑制度のひとつの主体とでも言うべき検察庁。死刑を求め、執行には指揮者として立会うことを義務づけられる検事たち。ところがその彼らが、実のところは死刑を直視していない。視線は確かに向けられている。でもきっと焦点は合っていない。微妙にずれている。そのずれた隙間に慣例を詰める。詰めないことには自分が壊れてしまう」(p164)

「自らを死刑判決に追いやった警察や検察関係者の無罪確定後の反応を、免田(担当者注:免田栄)は以下のように記述している。
 ──中略──
「免田さんが会いに行ったとき、たとえば目を逸らすとかバツが悪そうにするとか、そんな雰囲気すらも彼らにはなかったんですか」/
「ありません。普通でしたね。仕事でやったんだから何が悪いという感じです」
「でも免田さんの無罪確定は大きなニュースになりましたよね。一般の人の反応はいかがでしたか」
 僕のこの質問に対して、免田はつらそうに一瞬だけ顔をしかめる。
「日本人の……日本人という言葉を私はあまり使いたくないのだけど、この島民はお上に逆らったらいけないという意識がとても強い。私に対しては、問題を起こしてお上に逮捕された男であることは間違いないとの感覚のようです。だから私、結局は郷里には帰りませんでした。みんな振り向いて見ますから」
死刑が確定してから拘置所で再審活動を始めた免田に対して、日本中から多くの郵便物が送られてきた。いくつもの段ボール箱に入れられたその手紙のほとんどは、「人殺し」や「再審するな」、「俺が殺してやる」などの記述で埋められていたという」(p172-173)

「戦後しばらくのあいだ、執行は数日前に言い渡すことが普通だった。でも今は日本全国の拘置/
所が、当日の朝に当人に通告する。自らが処刑されることを知った死刑囚が実際に執行されるまでに残された時間は、一時間から長くても一時間四十分ほど。だから死刑囚たちにとって、朝は恐怖の時間帯となる。この極度のプレッシャーの繰り返しで、精神を壊される死刑囚も数多い。
 これまでの慣例を曲げてでも告知を当日の朝にした理由は何だろう。二つの時代を知る免田が書いた『免田栄獄中ノート』には、言い渡しを受けた死刑囚が翌日の執行当日未明に、隠し持っていた安全カミソリで右手首を切って自殺したとの顛末が記述されている。日付は一九七五年十月三日。いくつかの資料も照合したが、どうやらこの自殺事件のあたりから、言い渡しを数日前ではなく当日の朝にするようになったようだ。
 と、ここまで書いてふと思う。死刑囚が執行当日の朝に自殺する。これの何が不都合なのだろう。手間が省けていいじゃんとか何とか、そこまで短絡するつもりはないけれど、でもやっぱり不都合な理由がよくわからない。
 言い渡し直後に処刑する理由を敢えて解釈すれば、死刑囚は死んではいけないからだ。殺されねばならないのだ。なぜなら懲罰だから。理路は一見は正しい。でもやっぱり何かが変だ」(pp.176-177)

「(担当者注:坂本敏夫の発言)「執行官が処刑される直前のフセインに罵声を浴びせかけていた。とにかく野蛮です。ヨーロッパの人たちが日本の死刑をイメージするとき、あんなふうに行われていると思われたら困ります」
日本の死刑執行はもっと静謐で、厳粛に遂行されていると坂本は言いたいのだろうか。元刑務/
官ならではの視点だろう。そして坂本のこの発言は、彼がやはり死刑制度存置派であることも示している。
 存置と廃止。僕はその双方の主張を聞きたい。言い換えれば、坂本がどちらを主張するかは大きな問題ではない。存置であれ廃止であれ、その主張の骨格を確認したいし論理を聞きたいのだ。──中略──
 でも坂本の名刺をバッグの中に入れながら、わざわざ無理をして会うこともなかったかなとちらりと思ったことも事実。野蛮かどうかは見る側の判断だ。感覚の領域は大きいし、少なくとも本質からは距離がある。もしも日本の死刑執行は野蛮ではないとのレベルで坂本が存置を主張するのなら、このインタビューは早めに切り上げた方がいいかもしれない。
「だから今年は俺、この死刑の執行という野蛮な刑罰を日本からなくすために……やっぱり封印していたところも開かなくちゃいけないかな、と思いましてね」
 僕は顔をあげた。ちょっと混乱。だってたった今坂本は、「死刑の執行という野蛮な刑罰を日本からなくすため」と口にした。
──中略──/
「坂本さん、確認したいけれど、さっき『死刑の執行という野蛮な刑罰』って仰いましたよね」
「ええ。野蛮な刑罰を日本からなくしたいと」
「でも日本の死刑執行は野蛮ではないわけですよね」
「野蛮ですよ」
「だってさっき、フセインの処刑に比べれば野蛮ではないと……」
「野蛮ですよ、結果的には。人を殺すことですから」
 僕はますます混乱した。坂本が言おうとすることがわからない。その戸惑いが表情に現れたのだろう。坂本が少しだけ身を乗りだした。/
「私はね、野蛮な刑罰の執行と言ったけれど、野蛮な制度とは言ってないですよね」
「……つまり、現行の死刑制度は野蛮ではないけれど、死刑執行は野蛮だということですか」
「はい」
「だから野蛮な刑罰を日本からなくしたい、つまり執行には反対するということですか」
「はい」
「それは実際に執行する刑務官のためにということですか。それともそれだけじゃなくて」
「それだけじゃないです。相手の……死刑確定囚のことも含めて考えないと」(森2008:212-215)

「僕はもう一度確認した。大嫌いな二項対立の図式に自分が嵌まってしまっていることは確かだけど、でもやっぱりこのままではインタビュー(担当者注:坂本敏夫へのインタビュー)を終われない。死刑制度について、存置と廃止のどちらを主張しているのですか」(森2008:216)

「(担当者注:坂本敏夫の発言)「かつて刑務官は、看守や刑吏と呼ばれた時代がありました。被差別問題もからんでいます。江戸から明治になった頃は、制度もなくて奴みたいな格好をしていました。そんな意識は今も残っています。特に僕なんか、生まれたところから塀の際で、育ちもずっと官舎です。小学校時代は/
東京拘置所の官舎に住んでいることを、友人たちになかなか言えなかった。本当は学校の先生になりたかった。でも大学に行っているときに父親が死んじゃった。祖父と母親とまだ高一の弟がいますから、いわば家のために刑務官になった。一九六五(昭和四十)年です。刑務官のポリシーがなくなったのはこの頃からです。事故を起こさない。そればかりです。犯罪者の矯正や更生復帰への援助などの意識は消えました。たとえば構外作業。これは一般の工場で受刑者たちが働くシステムです。これも六五年頃になくなりました。事故があってはいけないということでしょうね」
「いけないというよりも、誰が責任を取るか、ということですね」
「そのとおりです。でもその結果として、囚人たちは技術を身につけることが以前のようにはできなくなった。だから社会復帰がなかなかできない」」(pp.217-218)

「「坂本さんの主張を要約すると、実際の執行は野蛮だけれど、死刑という制度そのものは必要である。だから制度は残しつつも執行を停止する、ということになりますね。……とても矛盾に満ちたアクロバティックなレトリックだと思うけれど」
「実益なんです。世間には大黒柱を殺されて経済的に成り立たなくなってしまった遺族は大勢います。犯人は殺せばいいという問題じゃないでしょう。ならば死刑囚も一般の受刑者のように労/
働させるべきです。その金で遺族に賠償させる。遺族が加害者からの直接の賠償を嫌がるなら基金に入れて、そこから賠償させる。これなら改悛の情や謝罪の意思を形で示せる。ならば恩赦という制度をもっと活用できるようになるかもしれない。遠い将来かもしれないけれど、死刑の減刑や社会復帰の希望も出てくる。そういう意味で、僕は終身刑が嫌いなんですよ」」(森2008:218-219)

「アメリカでは十九世紀から二〇世紀にかけて、死刑囚が苦しんでいると推測されることを理由に処刑方法が絞首刑から電気椅子に変わり、一九八〇年あたりから、やはり死刑囚の苦痛を軽減するためにと薬物注射が広まった。
 しかし二〇〇六年十二月、死刑囚を安楽に死に導いていると長く思われてきた薬物注射が、実はその瞬間に大きな苦しみを与えている可能性がフロリダ州とカリフォルニア州で指摘され、両州はモラトリアム(死刑執行の一時停止)に踏み切った。
 でもここで僕は思う。苦痛を軽減するという発想は本当に正しいのだろうか。もしも死刑が個人の応報感情の国家による代行なら、なぶり殺しだってあってよいはずだ。イスラム社会では今も石打ちなどの残虐な刑罰が残されている地域がある。死刑の機能に犯罪抑止効果を認めるのなら、より残虐な刑罰のほうが、つまり死刑囚を苦しめたほうがその効果を増大させることになるとの考えも成り立つ。
 安楽に殺すこと、長引かせないことが人道的? 僕にはわからない。そこまで人権や苦痛に配慮しながら殺すことの意味が」(p221)

「いずれにせよ、死刑を容認しながら残虐であることだけを問題視するのなら、これは明らかに矛盾だ。また同時に、残虐であることだけを理由に死刑廃止を訴えるなら、これは本質には届かない。死刑は残虐だ。それは議論の余地はない。だって人が人を殺すのだから。でもその残虐なことを先にやったのは死刑囚のほうだ。だから重要なことは、社会が主体となるこの後発の残虐さに、正当性があるかどうかなのだ」(p222)

「(担当者注:現役教誨師の発言)「ダーンって床が落ちる音がします。……しばらく控え室で待っていたら、ひとりの刑務官が『あいつは天国に行きましたか』って聞いてきて、『悔い改めさえすればみんな天国に行けるんだよ』と答えたら、本当にホッとしたような顔をしたことを覚えています。年配の刑務官でした。精進落としみたいな会が執行のあとにありました。おでんが出ました。僕は普段はあまり飲まないのだけど、このときは飲んだ。刑務官たちも浴びるように飲んでいた。処刑したままでは家に帰れない。家族に会えない」
「精進落としのその場には検察官もいましたか」
「検察官はいません。立会って書類にハンコを押してから、彼らはすぐに帰ってしまった。酔っ/
たひとりの刑務官が私のそばに来て、『先生はあいつを抱きしめてくれた。我々にはそれはできない。でもここにいる全員が、できることならそうしたいと思っていました』って言ってくれました」」(pp.228-229)

「死刑囚の成長期における劣悪な家庭環境や愛情不足を、死刑廃止の論拠のひとつとしてあげる人は多い。つまり社会責任論だ。データとしては確かに否定できない。事実なのだろう。でもこれを突き詰めれば個が消える。人格形成において後天的な要素は大きい。様々な偶然の積み重ねでこの世界は形成されている。その帰結が世界であり一個の人だ。もしも後天的な要素や偶然性を理由に死刑を否定するのなら、それは死刑制度のみではなく、罪と罰の体系が崩壊することを意味することになる。つまり人は人を裁けなくなる」(p233)

「存置論者は言う。一部の改悛した死刑囚のことを廃止論者は声高に例に挙げて死刑廃止を訴えると。ならば僕は言い返す。一部かもしれない。でもその人たちは確かにいた。罪を贖うのだと訴訟を打ち切り、処刑の前日に妻を励まし、教誨師と抱き合い、おまえもがんばれと残された死刑囚の尻を叩き、刑務官たちと握手を交わし、にこにこと笑いながら、殺した被害者の遺族に謝罪の言葉を残しながら、彼らは処刑台に向かい、そして吊るされた。確かに一部かもしれない。でも一部だからと見過ごすことは僕にはできない。絶対にできない。全体にとっては一部だけど、その人や残された家族にとってはすべてなのだ。
「……野口さん」
 僕は名前を呼ぶ。野口が顔を上げる。/
「確認しますけれど、その方は一審の判決で、自分はぜんぶ罪を引き受けるんだと言って控訴をしないで、そして死刑が確定した。そこまではわかりました。でも彼がその罪を償うためには、誰かが彼を殺さねばならないわけですよね」
 数秒の沈黙。だってその「誰か」のひとりは野口なのだ。ゆっくりと僕の顔から視線を逸らしてから、野口は小さくうなずいた。
「個人的な意見はあまり言いたくないけれど、……やっぱり殺しているという意識はありました。仕事だからという割り切りはできなかった。……残虐な刑罰かどうかという憲法の解釈論に言及するつもりはないけれど、少なくとも人を殺しているという意識はありました」」(pp.252-253)

「(担当者注:野口善國の発言)「僕が立会った執行は一件だけです。できることなら言いたくはないし、言うと圧力もかかるかもしれない。でも論議はしてほしい。だから話しました。でもこの話を聞いて、ならば死刑は廃止すべきだって短絡的な結論は出してほしくない。執行の現場を見たとしても、やはり死刑は必要だって言う人ももちろんいるだろうし、それは仕方のないことだと思っています。でも執行の実態も知らないのに、そんな悪い奴はみんな死刑だって簡単に言うのは、どうかなって思うんです」」(p254)

「第三者が想像で当事者の心中を語ってはいけない。ならば当事者の言葉を聞くべきなのだ。でもひとつだけ言えること。この社会の本質は当事者性ではなく、他者性によって成り立っている。大/
多数の人にとって当事者性はフィクションなのだ。ただしフィクションではあるけれどとても大切なこと。人はアンネ・フランクの日記に慟哭し、ハリー・ポッターの冒険に手に汗を握る。そうやって世界は有機的に繋がりながら歴史を重ねてきた。でも同時に思うこと。人は当事者にはなれない。大多数の人が他者であり第三者だからこそ、この世界は壊れない。当事者の感覚を想像することは大切だ。でも自分は他者であり第三者であることの自覚も重要だ。だって当事者ではないのだから」(p272-273)

「(担当者注:藤井誠二の発言)「死刑は反対だけど、もし自分の家族が殺されたら国の代わりに自分で殺すって言う人ってよくいますよね。でもね、絶対無理だと思う。被害者が加害者を殺した例を僕は知りません。アメリ/
カはありますよ。銃社会だから。普通は殺せない。被害者遺族で、こっそりナイフを法廷に持っていった人を僕は何人か知っています。柵を隔てた向こう側に加害者の背中があったらさ……。一応ガードしてる職員がいるけど、物理的にはあんなの全然関係なく実行できるはずです。ポケットにナイフを持ちながら、被告の背中を見つめていた遺族は何人もいます。でも殺せない。結局は、ナイフに触ることもできなかったって、みんな言います。人間的にもシステム的にも、個人で復讐なんて絶対できない。人を殺すって、復讐するって、それほど恐ろしいことなんです」
 殺したいけれど実践はできない。個人では復讐ができない。つまり抑制が働く。当たり前だ。人はそれほど強くない。でも死刑はそれを代行する。本人の煩悶や抑制や摩擦を払拭して円滑に進めてしまう。つまりシステム化する。藤井の話を聞きながら思う。それははたして「善きシステム」なのだろうか」(p273-274)

「人は人を憎む。それは仕方がない。愛したり笑ったり泣いたり憎む主体が人であり、それはとても初源的な感情だ。これを抑制することなどできない。でも誰かを「憎み続けたい」という人がもしいるのなら、何も憎悪を自ら掻き立てることはないのではないかと僕はアドバイスをした/
い。何もわかっていないくせにと言われるかもしれないが、でも特にそれが知人なら、ちょっと視点を変えてみないかと言いたくなる」(pp.274-275)

「(担当者注:松村恒夫の発言)「みんな被害者のことをわかったようなふりをしているけれど実際にはわかっていない。応報感情っていうより、自分の肉親を殺されたその悲しみを、何をもって代替できるのかということです。死刑はひとつの過程に過ぎない。それからまださらにこっちは生きなきゃいけない。犯罪に遭ったとき、ひとりが殺されるだけじゃなくて、みんなめちゃくちゃになる。それだけの犠牲を強いた相手がなぜ生きているのか。しかも加害者を生かすお金というのは、僕たちが払う税金ですよ。死刑囚だけじゃないけれど、だいたい年間(刑事施設収容者)ひとり二百五十万かかっているのかな。生かすだけでね。今、死刑囚は百人いるから二億五千万。それを我々が税金で払わなくちゃいけない。そんな馬鹿なことがあるのか。それなら死刑を廃止したいという人が払ってくれればいいじゃないかと思わなくもないけれども……」
 そう言ってから松村は微かに笑う。言葉は過激だ。でも激しているという雰囲気ではない。アイロニカルで飄々としてニュアンスが微かにある。僕はそう感じた。たぶん彼の人柄でもあるのだろう」(p287)

「(担当者注:松村恒夫の発言)「しかし死刑制度を廃止しようと言うならば、今の刑法そのものを否定することになるわけです。執行ボタンを押すのが嫌だという人は刑務官になるべきじゃないんだよね。そういうことだったら、うちの会員(担当者注:「あすの会」)でボタンを押しますっていう人はいっぱいいますから」
「松村さんが山田みつ子の死刑執行のボタンを押してくれって言われたら?」
「やりますよ。それぐらい孫は可愛かったです。孫の未来をぜんぶ奪ったことは絶対に許せません。彼女が本当に更生して、ものすごく良い人間になったとしても、やっぱり許せないですね。だって更生してくれなんて誰も願ってないわけですよ。更生させるのは国の仕事であって、被害者遺族としては更生しようがしまいが関係ない」(p291)

「いろいろ旅をしてきたつもりだけど、そしてそろそろ旅を終えねばならないのだけど、やはり僕には、死刑制度を維持しなくてはならない理由がわからない。
 死は個別的だ。徹底して。規範も倫理も政治もそこには介在できない。僕の死は誰にも共有できない。彼や彼女の死を僕は共有できない。/
 彼が殺されるとき、僕は彼から排除される。暴力的に。人を殺すことの本質は、殺される人に対してだけの暴力なのではない。彼や彼女を知る人たちすべてに対しての暴力なのだ。そこにはこれから彼や彼女に会う人も含まれる。つまりこの世界が傷つけられる。だから人は人を殺してはいけない。
 仕事柄おおぜいの悪人と言われる人たちと僕は会ってきた。短気な人はいる。思慮が浅い人もいる。他人の痛みを想像することが下手な人はいる。自己中心的な人もいる。粗野な人はいる。失敗を他者になすりつける人もいる。
 でも生きる価値がない人などいない。生きる価値がないと思えるような人はひとりもいない。
 死んで当然の命などない。どんなに汚れていようと、歪んでいようと、殺されて当然の命などない。僕は彼に会った。そして救いたいと思った。そこに理由はない」(pp.308-309)

「この国の主権者は、僕やあなたも含めてのすべての国民だ。そしてすべての行政手続きは、主権者である僕たちの合意の下にある。僕やあなたが同意しているからこそ、死刑制度は存続している。もっと直截に書けば今、僕やあなたは罪人を殺すことに加担している。死刑囚については第三者なのに、死刑制度については当事者なのだ。だからそのうえで思う。

 冤罪死刑囚はもちろん、絶対的な故殺犯であろうが、殺すことは嫌だ。
 多くを殺した人でも、やっぱり殺すことは嫌だ。
 反省した人でも反省していない人でも、殺すことは嫌だ。
 再犯を重ねる可能性がある人がいたとしても、それでも殺すことは嫌だ。

 結局それが結論かよと思う人はいるかもしれない。何とまあ幼稚で青臭いやつだとあきれる人もいるだろう。最初から死刑廃止を主張する結論にするつもりだったのさと笑う人もいるかもしれない。情緒に溺れながらそれに気づかないバカだという人もきっといるだろう。
 反論はしない。いやひとつだけしよう。最初から決めてなどいない。僕はこの取材を通して、自分が転向してもかまわないと本気で思っていた。多少は期待していた。なぜならそのほうが読みものとしては面白い。でも結局そうはならなかった」(p310)

「あなたがもしも存置派だとしても、僕はあなたを説得しようとは思わない。この本はそういうことのために書かれた本ではない。それにたぶん存置を主張する人の多くは、こんな本の内容では変わらないだろう」(p316)


*作成:櫻井 悟史
UP:20080207
森 達也 ◇BOOK
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