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『日本獄制史の研究』

重松 一義 20051101 吉川弘文館 398p.


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■重松 一義  20051101 『日本獄制史の研究』,吉川弘文館,398p. ISBN-10:4642034064 ISBN-13:978-4642034067 /12600円 [amazon] c0134, c0135

■内容

(「BOOK」データベースより)
卜占神判の古代から即決成敗の中世、牢屋や寄場の実態を伝える近世、洋式獄制の近代など、獄制の起源と変遷を豊富な文献を駆使して追究。凶悪異常な現代の罪と罰に、適正な法の在り方を問う類書をみない日本裏面史。

(「MARC」データベースより)
卜占神判の古代から即決成敗の中世、牢屋や寄場の実態を伝える近世、洋式獄制の近代など、獄制の起源と変遷を豊富な文献を駆使して追究。凶悪異常な現代の罪と罰に、適正な法の在り方を問う日本裏面史。

■目次


第一編 古代・中世の獄屋
 第一章 律令以前の上代にみる罪と罰──わが国固有の祓と卜占の存在──
  一 延喜式「大祓詞」が伝える天津罪・国津罪
  二 記紀・風土記などが伝える卜占・神判
 第二章 古代の律令体制と獄屋の存在──京畿中心の五刑と左獄・右獄──
  一 律令体制の裁判と禁獄・徒刑
  二 律令体制の変質と検非違使の専断
 第三章 中世の律令継受と獄制の衰退──斬流を主とした即決式成敗──
  一 式目体制にみる成敗と獄事
  二 分国体制にみる家法・軍律の多様化・即決化
第二編 近世の獄制と人足寄場
 第一章 近世幕藩体制にみる律令の継受と獄制──武家法優位の身分差仕置──
  一 近世初期にみる江戸小伝馬町牢屋敷
  二 近世中期にみる藩牢と牢内法度の実態
  三 近世後期の牢制改革と寄場・徒場の設置
 第二章 江戸小伝馬町牢屋敷の牢法と弊風の実態──史料「牢内掟書」「囚獄留帳」「牢獄秘録」などから見る遇囚──
  一 牢の名称と牢屋敷由来
  二 牢屋奉行と配下の職制
  三 牢舎の構造・配置と囚人の拘禁区分
  四 入牢手続と牢舎の取締り
   1 大牢・二間牢などの入牢手続
   2 女牢への入牢手続
   3 揚屋・揚座敷への入牢手続
  五 巡視・張番・牢内改めなど牢舎の取締
   1 禁制品と牢内改め
   2 巡視・巡回・張番などの戒護
   3 牢屋付の囚禁具と縄懸けの定則
   4 当番所法度書・牢内法度書・牢帳などの整備
  六 牢囚人への給貸与と日用品の購求差入
   1 囚人への給与と貸与品
   2 差入の取扱いとその手続
   3 囚人の買い物とその手続
  七 囚人の牢内自治組織と弊風
   1 牢名主と牢役人制度
   2 不文律な自治法としての牢法
   3 牢内私刑による虐待の惨状
   4 持参金・届物による差別と不正
   5 破牢・火災の対処と病死・刑死者への出牢手続
  八 小伝馬町牢屋敷の功罪
 第三章 地方諸藩にみる所仕置の史的断片──中世的な獄門・肉刑が残存する見懲りの事例──
  一 幕藩体制下の小藩・支藩の所仕置
   1 残酷な所仕置の形態と仕法
   2 見懲りの典型である関所破りと刑場叱り
   3 所仕置が生む目的別の新牢舎
  二 伊予大州藩からみた所仕置の一考察
   1 他国者への警戒取締と旧体制温存の所仕置
   2 周辺諸藩一円に共通する所仕置
 第四章 人足寄場の創設と運用の史的実態──その構想と実践にみる伝統的牢制の修正──
  一 人足寄場の設立構想である評定所寄場起立
   1 寄場設立に向けた諸論と先行的対策
   2 総論的な運用構想の定立
   3 建設上の具体策
   4 規律上の具体策
   5 使役上の具体策
   6 教化上の具体策
  二 寄場起立の実施とその変遷
   1 人足寄場創業期─設営に臨む厳正な起立と作業源の確保─
   2 加役方の試行寄場から町奉行監督下の寄場へ
 第五章 常州上郷・箱館・横須賀人足寄場──徒刑場・懲役場へと変容する一形態──
  一 常州上郷人足寄場
   1 上郷寄場草創期(寛政二年から四年の三年間)
   2 上郷寄場前期(寛政五年から文化元年まで一二年間)
   3 上郷寄場中期(文化二年から文化十一年まで一〇年間)
   4 上郷寄場末期(文化十一年から文政三年まで六年間)
   5 上郷寄場民間自営期(文政四年から文政九年まで六年間)
   6 組合村寄場囲補理場設置期(天保四年以降幕末まで三五年間)
  二 箱館人足寄場
   1 函館人足寄場設置の由来とその立地
   2 臼別・奥尻嶋人足寄場の内規と取締りの実態
   3 寄場廃止の経緯とその評価
  三 横須賀人足寄場
   1 旧幕政下の寄場時代
   2 明治新政府下の寄場時代
   3 横須賀徒刑貧院時代
   4 横須賀寄場の法制史的位置づけ
第三編 近代の獄制と監獄法
 第一章 幕末維新期の獄制改革思潮と監獄則の思想的原点──西欧式近代獄制を求め英国植民地監獄を視察──
  一 幕末維新の獄情
  二 明治新政府の復古獄政
  三 司法部内からの二つの獄制改革建白書
  四 小原重哉の獄政改革建白と山田方谷の思想的背景
  五 新政府による獄制改革の推移と思潮
  六 監獄則並図式の試行性と非試行性
 第二章 明治五年の監獄則並図式の頒布──人道的獄制を掲げた巻頭言と監獄原理──
  一 監獄則緒言の人道性と諸学者の論評
  二 監獄則条項の大要と構造的特色
  三 未定立刑法典と監獄則施行の困難性
 第三章 明治初期の石川島徒場・懲役場──わが国の近代的懲役監制度の胎動──
  一 幕末維新期にみる寄場の伝統と変容
   1 寄場変容の諸因
   2 寄場の内情一斑と国事犯
   3 居越帳に占める若年人足の実態
   4 東京市養育院・横須賀徒刑貧院などへの分岐とその系譜
  二 人足寄場の徒場化・監獄化
   1 東京府石川島徒場・懲役場の官制所轄と寄場の遺構
   2 東京府石川島徒場・懲役場の使役遇囚
   3 警視庁石川島監獄署時代の官制と職務分掌
   4 警視庁石川島監獄署の署中内規と遇囚
  三 石川島を母体とした巣鴨監獄の意義
   1 石川島監獄分署時代と巣鴨監獄への推移
   2 巣鴨監獄へと脱皮した歴史的意義
 第四章 警視監獄署の史的役割──西欧式十字型獄舎と近代的未決監制度の胎動──
  一 警視監獄署創設以前の獄制
  二 警視監獄署の創設と時代的課題
  三 警視監獄署の官制と組織
  四 警視監獄署の年代別業績と推移
  五 警視監獄署の分野別業績と推移
  六 警視監獄署の行刑史的評価
 第五章 近代監獄則の体系化──監獄法成立に到る三回の改正則──
  一 近代監獄整備への諸懸案と目標
  二 国事犯・重罪犯対策としての集治監行刑
   1 内務省直轄の集治監制導入とその性格
   2 集治監配置計画の曲折と東京・宮城・北海道各監の業績
   3 三池集治監の役割
  三 道府県監獄の充実
   1 全国的な外役主義から内役主義への移行
   2 治外法権撤廃と外国人拘禁処遇体制の実現
   3 監獄費全額国庫負担と赤煉瓦監獄の普及
  四 監獄法成立とその運用
   1 改正則の改正理由とその特色
   2 成立した監獄法全条文
   3 監獄法改正への動き
   4 刑事施設及び受刑者の処遇に関する法律の成立
あとがき
索引

■引用

監獄官制の推移 監獄官制の重み、ことに部内各署の序列というものは、在監総人員・収容能力の大小で決るといえよう。これは今日でもいえることであるが、東京府から警視庁に移管となり、しかも石川島の元人足寄場が東京警視監獄署として囚獄懲役の事務を総轄し、本署としての主導的役割を果すに至るのも、立地条件・警備力に立つ収容能力にあったといえる。他の小伝馬町囚獄役所・市谷囚獄役所といった小規模未決拘禁施設に比べ、確かに石川島の東京警視監獄署は当代唯一のマンモス監獄であったからである。石川島のこの監獄署は、囚獄・懲役場といった従来警察・裁判所の附属施設とみなされていたものが、近代官署として大きな纏まりをみせ、独立官庁としての名実を備>316>えたわが国最初のものであった。警視官員録につき「此書は内務省警視局及び東京警視本署の職員を記したのであるが、珍とすべきは権警視以上は各紋章の描かれてあることで、武鑑、雲上明覧の最後の面影を止めて居るので、恐らくは此以後にはなかろうと思われる」(雑誌『新旧時代』第一年・第九冊・大正十四年十一月尾佐竹猛稿「明治七年の官員録」一三頁)との評があり、こうした気風の中で監獄行政を主管、のちに県令・警保局長・警部長・集治監典獄等の地位に就いた石井邦献・小野田元○・安村治考らの名がみられる。しかも、明治十年の西南の役により警視監獄署に属するこれら士族幹部は、戦功で一一層昇任の機会を得、監獄署幹部の社会的地位向上に繋がるのである。いうなれば、このようにして警察監獄一体の時代が進められ、人事面からいって監獄官吏は警察内の一部門を担う監獄詰巡査の時代を成したといえよう。
 士族から警察監獄官吏へと数多く鞍替されていったこの風潮と気風は、明治初年の軍政警察から司法警察へと移行する明治十年代において特に著しいのである。したがって、この官員意識は旧士族としての体面を部内において本官と傭人(一等獄丁・二等獄丁・三等獄丁・等外・附属・押丁)に厳しく区別することにより保とうとする官制上の姑息な歪みともなったことを指摘しなければならない。すなわち、それは看守の附属傭人である押丁という官職である。看守は巡査と同様、廃剣に未練ある旧士族がほとんどであって、罪人の縄をとることを潔しとせず、明治初年から旧幕の遺制に倣い、獄丁・押丁という特殊な官職を設け、外役囚の警固、被告人の出廷護送、死刑執行を、本官である看守の指揮命令により行わせたのである。旧名である獄丁は明治五年監獄則の官員附守兵傭人の項の「獄丁は皆ナ傭夫ニシテ上中下ノ三等ニ分ツ役囚ヲ指揮スルニ鉄杖ヲ用フ」という規定に根拠をもつが「明治九年一月中番・下番ヲ小使ト改メ下人足ヲ抱人足ト称ス、同月小使ヲ獄丁と改ム、明治九年三月行刑人足を廃し九月元行刑人足富沢五郎兵衛外三名行刑○子雇入月給金参円埋葬地屍扱人山中一蔵ニ月給金参円ヲ給ス又在監ノ無籍人ヲ炊夫ニ使役シ或ハ小使ノ補>317>助ヲ為サシムルコトトナリ始メテ本務ニ服スコトトナレリ」(『市谷監獄沿革誌稿』)という記録もみられる。このように、警視監獄署でも獄丁が直接在監者に接することから、旧小伝馬町の獄風同様、不正も多かったようである。明治十一年六月四日獄丁懲戒内則が議定され「獄丁規則に違反シ及ヒ怠慢失誤アル者ハ看守ニ失シ罪囚ヲ逃亡セシムル等ト一般法規ニ触ル者ヲ除クノ外獄司其犯情ヲ審按シ半日以上三日以下ノ苦役ニ処シ若クハ俸給五銭以上三十銭以下を追奪ス但苦役追奪ヲ併科スルコトヲ得ス其三犯ニ及フ者ハ或ハ職務ヲ免黜ス而シテ徴収ノ贖金ハ之ヲ蓄積シテ獄丁ノ勤勉功労アル者ヲ賞スルノ費用ニ充ツ」(『警視庁史稿』五七八頁)と、罪人並みの罰則が設けられ賤視されている。これは明治九年一月警視庁市谷囚獄役所が断行した旧小伝馬町系の獄丁罷免人事以来の、警視監獄署の基本的な姿勢でもあった。
 明治十四年監獄則の改正があり同年三月傭人分課例で獄丁を押丁と改称した分掌が、「囚徒監房出入ノ際其身体衣服ヲ捜検シ服役者ヲ督使シ控縄戒護等ニ従事ス」と定められている。また押丁給与品として笠(饅頭笠・晴雨共用)・筒袖法被(色紺地質木綿)・股引(同上)・雨衣(桐油色黒)・縛縄・手帖・呼子笛があり、携杖についても明治十四年四月十二日各署押丁に認めてまもなく廃止、明治十六年十一月二日再携杖、明治十八年五月十八日廃止、明治二十年二月二十六日押丁警棒使用心得で以って警棒に替えるというごとく一定せず、この間、押丁の饅頭笠を帽子(真鍮に監の字付の徽章)に替え(「獄務指令録」丙二四二頁)、幾分面目を立たせているが、明治十四年三月十八日太政官第十八号達で監獄署看守長・看守に帯剣が認められた点からみれば、外見上の格差はなお開いていた。
 明治十八年三月三日本庁第十三号達で警視監獄署看守は正当な理由がない限り奉職五年以内に辞職しないとの誓約書をとられている。これは押丁減少策と、当時有史以来の在監者増で勤務が激しく辞職者が続出した歯止め策であった。前者の押丁減少策は「看守を増し押丁を減し」(『警視庁史稿』六二九頁)とあるように行政指導せられてはいるが>318>明治中期までは看守より多く、明治四十二年に官制上からようやく消えるのである」(pp.316-319)

監獄費全額国庫負担と赤煉瓦監獄の普及
 不平等条約解消につづき、明治三十三年一月「府県監獄費及監獄建築修繕費ノ国庫支弁に関する件」(法律第四号)が公布され、十月一日より施行と定められた。これは内務省直轄の集治監以外の道府県が支弁(負担)してきた地方監獄(道府県監獄)の監獄費が、宿願であった国の全額負担となったことである。これにより国家の責任による刑罰の執行体制、実効あらしめる体制がようやく整い、あとは新刑法と監獄法の起草制定を待つだけの段階にまで到達したわけである。曲折挫折もあった獄制の整備と改善は、とにもかくにも、その基礎的・前提的条件をみたす目的地一歩手前にまで遂に一応到達したといえよう。
 同年十月一日監獄費全額国庫支弁が実施に移され、五カ年ごとに五箇の監獄を改築する方針とし、第一期工事に千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島の五監獄を指定、東京監獄(市ヶ谷の前身)は暫定的仮建築として工事を進めることとなっている。この予算措置により、老朽化した黒板塀囲いの時代がかった地方監獄は赤煉瓦洋式監獄へと次々に改築されてゆくことになる。このうち千葉監獄は早くも竣工、獄舎は小窓の高い独居監を中心とした、いかめしいイタリ>370>ア式長期重罪監の様式が採られ、奈良監獄の門構えは千葉と同様にポール型であることを特徴とし、鹿児島監獄は中世ヨーロッパ・ロマネスク風の堅牢な石造城門の構えをもち、文化財として保存されている。控訴院所在地である長崎・金沢は、それにふさわしい品格の庁舎構造で築かれている。
 以降、網走(明治四十二年大火後、大正七年復旧)など次第にコンクリート材を用いる傾向にあり、昭和に入っての大阪刑務所(昭和三年竣工・地方刑務所四箇所を併せたほどの東洋一の大刑務所)、小菅刑務所(昭和四年竣工・大正十二年の関東大震災の復旧)、豊多摩刑務所(昭和六年竣工・大正十二年の関東大震災の復旧)、府中刑務所(昭和十年竣工・大阪刑務所に対比する大刑務所)などは、いずれもコンクリートによる庁舎・監房・外塀と建築様式の大きな変化・改善がみられている」(pp.370-371)

■書評・紹介


■言及



*作成:櫻井 悟史
UP: 20080715 REV:
「死刑執行人」  ◇監獄学  ◇身体×世界:関連書籍 2005-  ◇BOOK
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