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『元刑務官が明かす死刑のすべて』

坂本 敏夫 20060510 文藝春秋, 284p.


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■坂本 敏夫 20060510 『元刑務官が明かす死刑のすべて』,文藝春秋, 284p. ISBN-10: 4167679876 ISBN-13: 978-4167679873 571 [amazon]

■内容(「BOOK」データベースより)
起案書に30以上もの印鑑が押され、最後に法務大臣が執行命令をくだす日本の“死刑制度”。「人殺し!」の声の中で、死刑執行の任務を命じられた刑務官 が、共に過ごした人間の命を奪う悲しさ、惨めさは筆舌に尽くしがたい。死刑囚の素顔、知られざる日常生活、執行の瞬間など、元刑務官だからこそ明かすこと のできる衝撃の一冊。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
坂本 敏夫
昭和22(1947)年生まれ。法政大学法学部中退。昭和42年、大阪刑務所看守を拝命し、以後、神戸刑務所、大阪刑務所、東京矯正管区、長野刑務所、東 京拘置所、甲府刑務所、黒羽刑務所、広島拘置所等に勤務。平成6年3月まで法務事務官として奉職。映画「13階段」のアドバイザーも務める(本データはこ の書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
はじめに
第一章 二〇〇一年 死刑執行はかくなされた
 異例の年末執行をめぐるドキュメント
 実録・死刑囚が処刑されるまで
  1、よもやの死刑執行命令
  2、浮き沈みする遺体
  3、死刑の執行は法務大臣が命令する
  4、異例の年末執行はなぜ……
  5、拘置所看守は人殺し!
    ・死刑囚はどこにいるのか
    ・実在する死刑囚
  6、死刑囚舎房担当という憂鬱
  7、処刑担当者の人選
  8、死刑執行の立会い
  9、執行二日前・あと四十時間
 10、死刑執行官の選定基準
    ・死刑に関係する業務と担当部課、部門
 11、三ヶ月間のYの心情
    ・死刑囚の外部交通の相手
 12、死刑囚Yの日記
 13、二〇〇一年十二月二十七日、死刑執行
 14、無視された被害者遺族の声
 15、死刑囚が置かれている立場は八方塞がり

第二章 これが現在の処刑だ
 死んではじめて刑が完了する
 超極秘事項としての死刑執行
  1、死刑囚処遇の変わりよう
  2、死刑囚の自殺
  3、失敗は許されない
    ・日本の受刑者人口
    ・死刑囚と宗教
    ・刑務官と死刑
 衝撃の処刑場面
 劇画・死刑執行
  少年死刑囚・大地平和、処刑の瞬間

第三章 拘置所の日常と死刑囚の生活
 殺すために生かす不条理
 刑務官と死刑囚、その知られざる日常
  1、拘置所勤務の実態
  2、逃がすな、自殺させるな、証拠隠滅を阻止せよ!
  3、死刑を求刑された被告人の傍若無人
  4、思わず首を見てしまう刑務官
  5、研ぎ澄まされた死刑囚の五感
  6、朝を迎える恐怖
  7、気の毒な死刑囚
  8、死刑囚の特別な処遇とは
  9、東京拘置所・死刑確定者処遇内規
 居室と運動場と入浴場が世界のすべて
 図解・死刑囚の生活
  死刑囚の生活空間とは

第四章 初めて明かされる死刑囚監房の真実
 トラブルが頻発する現場では何が起きているのか
 死刑囚VS拘置所
  1、甘い処遇が拘置所をダメにする
  2、名古屋刑務所事件の影響とは
  3、拘置所の乱れはどこからはじまるのか
 ドキュメントノベル
 死刑囚監房物語

第五章 殺人犯、その裁きの現場
 被害者・遺族が聞いてあきれる
 極悪人たちの素顔
  1、罪悪感はきわめて稀薄
  2、強盗強姦殺人犯のふてぶてしさ
  3、死刑判決に不敵な笑みを浮かべる強盗放火殺人犯
  4、ウソと演技で減刑!?
  5、死刑判決は百人に一人!!
 凶悪化する女性犯罪、その耐えられない「命の軽さ」
 女の殺人事件は時代を映す鏡
  1、五、六年刑務所に行けば済むのなら……
  2、母性をなくした女たち
  3、男と遊ぶのにわが子がじゃまだった
 執行ゼロの三年間に何があったのか
 確かにあった死刑廃止の動き
  1、あの時期でなかったら間違いなく死刑
    ・死刑執行再開後の被処刑者一覧
  2、前例のない確定順番無視の執行
  3、死刑廃止運動が早期執行を招いた?
 無期刑の厳格な運用ができれば終身刑はいらない!
 死刑廃止と終身刑をめぐって
  1、かつて死刑廃止法案が提出された
    ・死刑廃止の可否(朝日新聞社説)
  2、終身刑導入は是か非か

第六章 死刑を執行するということ
 極刑の現場を支える憂鬱
 刑務官という職業
  1、「処遇官」と「執行官」の矛盾
    ・死刑執行の現場から(朝日新聞「私の視点」より)
  2、執行に関わる執行官の苦悩
  3、死刑囚舎房の担当は三年が限度
 命の尊さを獄舎で詠う哀しみ
 死刑囚・島秋人
  1、「赦せるものなら」の願いを抱かせた死刑囚
  2、『遺愛集』に込められた島の思い

あとがき
文庫版あとがき


■紹介・引用

「死刑の本はたくさんあるが、史料的なものは別として、どの本も多かれ少なかれ事実と異なることが記載されている。「死刑囚がかわいそう」「国家権力はけ しからん」という視点で書かれたものは、死刑囚が美化され全く別人になっていたりもする」(p2)

「Aが初めての処刑を経験した後に官舎を出たときのことである。処刑直後に死刑反対の市民団体を名乗る連中が官舎に向かってシュプレヒコールでがなりたて た。
 「拘置所看守は人殺し!」
 「お父さんたちに言ってくれ。ヒトを殺すのはもうやめて! 死刑は国家権力の殺人だ!」
 人権活動家を名乗る連中こそ人権なんかわかっていない。官舎には何も知らない子どもや妻たちがいる。Aは幼い息子たちの寝顔を見ていると、とても官舎に は住めないと思った。
 過去の処刑について三回とも妻には「俺は関係ないよ」と言ってある。今度もまた死/
刑執行の記事が新聞に載れば聞かれるだろう。やはり答えは同じだ。
 「まだ、俺の順番じゃない……」
 「そうですか」
 妻は複雑な笑顔で俺を見るはずだ。
 子どもたちのはしゃぐ声を聞きながらAは、この子らと妻には忌まわしい災いがふりかからないようにと願うのであった」(pp.25-26)

「法律(刑法)では死刑の執行場所を「監獄」と定めているだけで、だれにやらせるかは規定していない。監獄でやるのだから監獄の職員ということになるの だ。
 唯一法律(刑事訴訟法)で指名されているのは立会い者である。
・検察官
・検察事務官
・監獄の長又はその代理
 なぜ、監獄の長には代理が認められているのか? 自らでなくてもいい理由――それは、死刑という刑罰は「高官」がやらなくてもいいということである。
 立会い検事は検察庁のトップとは書かれていないのだから検察官なら誰でもいい。
 法律ができたのは明治四十年。当時の監獄の長は別格だった。判事に検事、政府の高官も監獄の長になっていた時代である。
 「犯罪者の中でも極悪人を殺す刑罰の執行は下に任せればよい」
 ということだったのである」(p37)

 「わが国の刑務所と拘置所は「秘密主義」という権力者には都合のいいベールで包まれている。しかも、閉鎖された厳しい階級社会である。上官の命令には不 条理であろうが、違法であろうが、背くわけにはいかないのである。
 まして、「死刑の執行」は職務行為である。辞職覚悟でなければ、「できません」とは言えないのだ」(pp.40-41)

「当たり前のことだが、死刑は死んではじめて刑の執行が完了する。どんな状況にあっても絞首して殺さなければ死刑にならないのだ。
 暴れようが、気を失おうが、なんとしてでも踏み板の上に立たせ、首にロープを掛けなければならない」(p68)

「以下は『朝日新聞』オピニオン欄(二〇〇二年九月十四日朝刊)に掲載された同文である。/
死刑執行の現場から(朝日新聞「私の視点」より)
 私は死刑執行の現場にいたことがある。死刑は高松を除く高等裁判所所在地の拘置所や刑務所にある死刑場で執行される。
 日本の死刑論議からは、重要な視点が抜け落ちていると思う。それは執行現場の視点、つまり刑務官の視点である。私は一九九四年に退職するまでの二十七年 間、刑務官として全国八ヵ所の刑務所などに勤務した。
 刑務官のうちでも、死刑囚の処遇や死刑の執行に直接携わった者は少数派である。そして現場では、死刑について意見表明することをタブー視する傾向が強 かった。
 死刑囚には刑務作業はなかった。衣類や寝具は自弁(差し入れや購入)、食品も自弁できた。
 差し入れの菓子や缶詰などがうずたかく積まれ、季節に合った真新しい衣服が常に壁に掛けられている独房も見た。
 一日三食、主食と副食を合わせると三千カロリーを超える食事が確実に房に届けられ、午前七時の起床から午後九時の就寝まで、あり余る自由時間を読書など をして過ごしていた。
 死刑囚の多くは最終的には心安らかに死んでいくように思えた。宗教家の手を借りて長い期間死を迎える準備をするからである。彼らは赦され天国へ召されて いく。至福の死ともいえる。無残に殺された被害者のことを思うと、不公平に思えたほど/
だ。
 私は以前から絞首刑が残虐な刑罰だとは思っていない。死刑囚の首に縄を掛け、踏み板を開けば瞬時に仮死状態になる。だから痛いことも苦しいこともないも のだと確信してきた(そう思わなければ刑務官の仕事はやっていられない)。
 もちろん執行前に激しく抵抗する死刑囚もいるが、刑務官たちは命令を遂行するため手を尽くしてきた。執行により刑務官に刻まれる精神的ダメージを、死刑 を論ずる人たちの一体何割が想像しているだろう。
 私は死刑の執行には、当時も今も反対である。これほど無意味で非経済的な刑罰はないと思うからだ。
 一人あたり年間約六十万円の予算を使い、逮捕から処刑までの十数年、刑務官らは腫れ物に触る思いでご機嫌をうかがいながら付き合っていた。いつでも死刑 台に上ってもらえるよう、心身共に健康でいてもらわなければならないからである。もちろん自殺などは許されない。死刑囚を処遇する際の基本は「殺さず・狂 わさず」なのだ。
 ある現場幹部は会議の席で「こんなに手数をかけるのなら、早く処刑してしまったほうがいい」と語った。死刑囚を収容している監獄の特別な雰囲気を表し た、偽らざる言葉である。
 刑務官は日々、犯罪者に罪の重さを自覚させ、償いの手伝いをする責務を負って/
いる。最も分かりやすい償いは、他人の命を奪った罪悪感に苦しみながら刑務作業に励み、労働によって得た金銭をもって賠償することだと私には思えた。生き て働いてこそ償えるものだと今も思っている。
 死刑囚の生活を安定させ、償いに向け努力させる手伝いを刑務官はする。そして、その同じ死刑囚に縄をかけて落とす人間も、また同じ刑務官なのである。
 死刑制度の強いるこの矛盾が、刑務官たちの口を閉ざさせている。また、死刑を求刑する側である検察官が法務省幹部職の多くを占め、人事権を握っているこ とも、死刑を語りにくくさせる圧力として現場に作用していると思えた。
 結果として国民は、死刑を知らないまま死刑を語り続けているように、私には見える。しかし、死刑を容認し刑務官に執行を任せているのは、まぎれもなく日 本国民なのである」(pp.251-254)

「嫌な仕事の最たるものだから何の不思議もないのだが、被差別にまつわる悲しい話――娘の縁談が破談になったなどといった類い――は今もある。
 劇画でも御覧いただいたあの仕事である。いかに立派な職責を全うしたとしても担当官の心には人の命を奪ったという事実が残る。
 そしてそれは、社会的な付き合いの中で大きな心の傷として残る。妻にも父母にも、子どもや孫あるいは姻族関係者などにも絶対にしゃべりたくない」 (p258)

「私が死刑を語り、つまるところ「死刑制度は存続させ、処刑の反対」を訴えるのは、朝日新聞の社説にあったように、国家が殺人を犯す戦争には、いかなる事 情があろうとも絶対反対の立場をとるからである」(p275)


*作成:櫻井 悟史
UP:20071120
BOOK
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