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太田 典礼
おおた・てんれい
1900〜19851205



 ※立岩のデータベースにあったものだけ

◆196308 「安楽死の新しい解釈と合法化」 『思想の科学』63-8
◆1967 『堕胎禁止と優生保護法』 人間の科学社 4000 
◆1967 『堕胎禁止と優生保護法』 経営者科学協会  
◆1969 『日本産児調節史』 日本家族計画協会  
◆1972 『安楽死』 クリエイト社 1971?  
◆1972 「安楽死の概念」
    →1974 『現代のエスプリ』83  
◆太田 典礼・渡部 淳一 1972 「安楽死はどこまで許されるのか」,
 『暮らしと健康』27-9→1974 長谷川泉編[1974:168-176] <1997:168>*
*『現代のエスプリ』83 1974 「安楽死」,至文堂(長谷川泉編) b ※
◆19730615 『安楽死のすすめ』,三一書房,三一新書,223p. ISBN: 4380730077 683(400) [amazon][boople] ※ d01 et 19761130:第4刷
◇1976 日本安楽死協会設立
◆1976 『日本産児調節百年史』 人間の科学社 4800 
◆19770820 「尊厳死運動のパイオニア 太田典礼氏の宗教無用の仙人論」
 猪瀬[1987:151-168]
◆1980 『エロスの周辺』 人間の科学社 18000 
◆19800227 『反骨医師の人生』 現代評論社,270p. 1400 ※
◆1981 『安楽死』 三一書房  
◆1982 『死はタブーか――日本人の死生観を問い直す』 人間の科学社 1400 
◆1984 『王様のねむり』 人間の科学社 1400 
◆1984 『短編集・老人島』 人間の科学社 1200 
◆19840915 「随想三題」 太田・田村編[1984:73-90]  
◆1987 『堕胎禁止と優生保護法』 経営者科学協会(→人間の科学社?)

◆太田 典礼・田村 豊幸 編 19840915 『ガンと安楽死――共存・安楽生の時代を迎えて』(目次↓)
 人間の科学社, U+208p, 780 780 三鷹490

◆太田典礼を偲ぶ会 編 1986 『生き生きて八十余年』,太田リング研究所 2000 
◆稲子 俊男 19991025 『産む、死ぬは自分で決める――反骨の医師太田典礼』,同時代社,236p. ISBN: 4886834221 2310 [boople] ※

河野 誠 198702 「太田典礼の優生思想」
 『技術と人間』1987年2 月号

 cf. ◆日本安楽死協会
   ◆安楽死

■引用・安楽死関連

 「…私は前から医師として安楽死の実践をしていたのであるが、論文として発表したのは、有名な名古屋高裁判決の出た翌年の三十八年で、『思想の科学』八月号の「安楽死の新しい解釈とその立法化」である。日本における論争はすでに昭和の初期から始まっており、とくに刑法学者の間では肯定論が有力になりつつあったが、医学関係者は僅かな先覚を除いてはほとんど否定的であった。私はこれに対して積極論を述べたのであり、臨床医としては最初のものであった。むしろ、おそきに失した感があったほとである。でも手応えはまったくなく、非難も起こらず無視された格好だった。ただ一人旧友の松田道雄から激励のハガキを貰っただけであった。
 ところが十年ほどたつと、安楽死事件が相ついで起こり、それに対して世間の同情が集まり議論がまたさかんになって、私の論文の転載を求める雑誌や出版社があらわれてやっと注目され出した。…」(19800227 『反骨医師の人生』、p.249)

◆19730615 『安楽死のすすめ』,三一書房,三一新書,223p. ISBN: 4380730077 683(400) [boople] ※ *d01 19761130:第4刷

一 らくに死にたい/二 今とむかし/三 ヒューマニズム/四 法のさばき/五 医は仁術か/六 生かされる人間――植物人間/七 消されてたまるか/八 なんじ殺すなかれ 九 立法化悪用の危険/一〇 社会福祉の限界/一一 立法化への期待

◇1976 日本安楽死協会設立

 「法制化を阻止する会
 一九七八年十一月、この名の会が発足した。発起人は武谷三男、野間宏、水上勉、那須宗一、松田道雄らの文化人五氏とあり、協会はその生命に対して、誤解にもとづき、理論的根拠がない、という反駁声明を出したように、国際的な動きに目をつむる知性の不足がある。そしてアメリカと日本は風土がちがうという古さである。ヒステリックな生命尊重論やニヒリスト的な見解から、青医連的な発想まであってまとまっていない。(p.266)
 一番問題なのは文化人という肩書きにあぐらをかいていることである。文化人なら何でもできるという思い上りがある。五氏はそれぞれ優れた業績の持主ではあるが、国際的感覚のない連中を文化人といえるかどうか。
 困るのは松田道雄である。私とは古い友人で同じような経歴をもち、かつては安楽死支持者であった人なのにどうして正反対にまわったのか、私より数年若いはずなのに老化したのか。同じ道を歩いたものが敵意をもって人間的にも憎しみあうような関係になったのはまことに心外で、何度も話しあいたいと思ったが、ここまでふみ切った以上は面子もあり後へは引けないだろう。残念ながらあきらめざるを得ない。これも安楽死思想の運命なのか。
 安楽死を強者の論理として攻撃する向きがあるが、安楽死こそ病者という弱者のためであり、私個人も昔から弱者の見方として努力して生き、そのために多くの苦汁をなめた。私を石で打つことのできる文化人はいないはずである。日本の文化のおくれのせいか、風土か。日本人の大きな欠点は島国根性であり、視野もせまい。文化人は進歩的な人に多く、そうであってはならないはずなのに、かえって進歩をくいとめるような反対によく顔を出し、それを誇っているようなところがある。反対が変革への言動力になる場合が少なくないが、合理化反対のように、革新につながるとは限らない。」(19800227 『反骨医師の人生』、pp.266-267)

 「ナチスではないが、どうも「価値なき生命」というのはあるような気がする。[…]私としてははっきした意識があって人権を主張し得るか否か、という点が一応の境界線だ[…]自分が生きていることが社会の負担になるようになったら、もはや遠慮すべきではないだろうか。自分で食事もとれず、人工栄養に頼り「生きている」のではなく「生かされている」状態の患者に対しては、もう治療を中止すべきだと思う」(『毎日新聞』1974-3-15、清水 昭美[199803:89]*に引用)
清水 昭美  19980320 「「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの」
 山口研一郎編[1998:079-108]**
*山口 研一郎 編 19980320 『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで』,小学館,287p. ISBN:4-09-386018-1 1995 [boople] ※

以下立岩真也『私的所有論』注12(p.168)

 日本で安楽死(のちに尊厳死と呼ばれる)法制化の運動を積極的に推進したのはまず太田典礼だが、彼は一貫して優生断種を擁護している(太田[1967])。さらに例えば次のような発言。

 「基本的には本人の苦しみですよ。しかし、本人が無意識の場合がありますからね。その場合、第三者の見た苦しみを、苦しみとみるかどうかは、これは医者の判断…。」(対談での発言、太田・渡辺[1972→1974:170])

 「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」
(太田、当時日本安楽死協会理事長)
 「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいんじゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏明、当時協会理事)
(一九七八年一一月一一日、TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」での発言、清水昭美[1994:213-214]に採録)。

 日本安楽死協会、日本尊厳死協会の安楽死・尊厳死に関する発言の紹介、批判として清水[1994:213-221]。

太田「(法律規定の)必要があり、法制化できる可能性があると思うから、一歩も二歩もしりぞいてもいいということで、妥協している」「日本では、かつて、ドサクサであったかしらないけど、世界にさきがけて優生保護法をつくり、中絶を自由にした。堕胎の自由をかちとった以上、安楽死はこれと一連のものがありますからね」
渡辺「何歩も後退してもいいから法的に認めさせるといいますが、それによるメリットって何ですか。」
太田「それによって啓蒙の役も果たしますよ。」(太田・渡辺 1972→1974)

「患者の方も脳軟化でいつまでもたれ流しで生きていることは、生の尊厳を傷つけるものとして拒否しようとする傾向にある。ことに立派な業績を残した人々の間に高まりつつある」(太田[1975])

「よき死、グッド・デスの確保、苦しまない平和な死。植物人間化して、見苦しい生きざまをさらしたくない。つまり品位ある死を望むということ。」「消極的と積極的安楽死との見方、その境は微妙なもの」(太田[1977])

「これ(青少年の主観的な理由による自殺:筆者注)に対して不治末期の病人や、生きがいを失っての自殺希望は客観的にも無理ないと受け取れます。前者は生か死の選択によるものですが、後者とくに末期患者は生か死かではなく、死ぬにきまっているが、死の日を早くするかどうかの選択によるもので、合理的自殺と表現され、前者を非合理的自殺として区別されます。
 青年の自殺など自分だけの考えからの非合理的自殺はできるだけ防ぐように社会も力をかさねばならないが、合理的自殺は容認されてよいと思います。しかし、これを手助けするのは別です。自殺幇助罪の改正が必要であり、進んだ判例が一日も早く出ることを期待するわけです」(太田[1982:204])

「(協会名改称にあたって)消極的安楽死の思想を普及させるためには、『どちらの表現が正しいか誤りか』ではなく、その時その時の内外の情勢を考えて運動に有利な表現を採用すればよいわけであります。今回の改称はあくまで今日の情勢への対応に過ぎません」(太田[1984:10])


●引用・優生保護法関連

「優生保護法
 革命の夢は遠のいたとはいえ、小さな部分的革命を積み重ねて行く手もある。それこそ現段階における可能な革命への道ではないか。幸いに国会議員は国政を審議する任務と権限を与えられている。これをできるだけ活用することだ。
 私は政治には全く素人で、官僚出身者のように役人に顔がきくわけではもない。せめて自分の分(p.35)野で地道に努力しようと思い、まず前々からねらっていたことであったが、堕胎罪を骨抜きにし、かつ避妊を促進するために優生保護法の立案にとりかかり、法律の名称もいろいろ考えて私がつけた。
 戦時中の「国民優生法」はナチスドイツにならったものであり、当然廃止されることになったが、厚生省はそれに代わる案をもちあわせていなかったので、先手を打ってやろうと思ってのことであった。
 古くから産児制限運動で親しい加藤シズエの協力を得て議員提案とし、GHQでOKをもらった。当時は法案提出は政府案も議員案もすべてGHQの承認を求めねばならない時代だった。
 もちろんOKをとるのはむずかしく、かなり時間がかかった。まず、これは二つの法律にすべきではないかといわれた。たしかに悪質遺伝の防止と母性の健康保持を目的としているが、結果的には優良な子供をということになり、矛盾ではないと説明し食糧難と不良児防止を強調してやっと了解を得たものである。そこへ同じ社会党の医系議員の福田昌子が参議院の秘書の松本治一郎の秘書を伴ってきて、共同提案に加わりたいとのことで、加藤、福田、太田の三人の名で厚生委員会へ議案を提出したものの、時間切れで審議未了となった。もちろん、つぎの国会に再提出の用意をしていたところ、福田の仲介で参議院の医系議員谷口弥三郎から、通り易い案に改めて参議院から出したいと交渉があった。法案を横取りするとは何事かと腹が立ったが、私は労農党の結成(p.36)でそれどころではなく、みなになだめられて折れ、結局両院同時提出、参院先議ということになり、両院の医系議員を中心に超党派で関係者が名を連ねて提出し、あっさりとおった。
 提出者は衆院議員が加藤シズエ、福田、太田、大原博夫、榊原亮、武田キヨ(自、看護協会)の六名、参院議員は谷口、竹中七郎、中山寿彦、藤森真治の四名で計十名。
 これは世界的にも実に画期的な新しいものであったのに、不思議なのは、法務委員から一言の文句も出なかったことだ。これで刑法が骨ぬきになるのを気付かなかった様子だった。とおってから刑法界から小言が出たが後の祭りだった。これについては拙著『堕胎禁止と優生保護法』にそのいきさつや内容、その後の改正を詳しく書いた。」(19800227 『反骨医師の人生』、pp.35-37)

 
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◆太田 典礼・田村 豊幸 編 19840915
 『ガンと安楽死――共存・安楽生の時代を迎えて』(目次↓)
 人間の科学社, II+208p, 780 780 三鷹490

村山 良介・田村 豊幸・太田 典礼 19840915 「ガン共存・安楽生の時代」(鼎談)
 太田・田村編[1984:3-28]
水口 公信 19840915 「ガンと鎮痛」
 太田・田村編[1984:29-40]
田村 豊幸 19840915 「患者と家族の立場から考えたガンのクスリと安楽死」
 太田・田村編[1984:41-57]
村山 良介 19840915 「鎮痛医療推進協会」
 太田・田村編[1984:59-72]
太田 典礼 19840915 「随想三題」
 太田・田村編[1984:73-90]
植村 肇 19840915 「ガン患者の看護体験」
 太田・田村編[1984:91-100]
橋本 弘 19840915 「患者の意志決定から誇り高き人間の意志決定へ」
 太田・田村編[1984:101-109]
田村 豊幸 19840915 「大学生は安楽死をどう考えるか」
 太田・田村編[1984:111-207]

◆日本尊厳死協会 編 19881031 『誰もが知っておきたいリビング・ウィル』,人間の科学社,安楽死論集11,233p. ISBN:4-8226-0107-2 1200 [boople] ※

日本尊厳死協会 発行 19881031 『リビング・ウィルQ&A』
 日本尊厳死協会編[1988:201-233]

 「V 太田典礼と安楽死運動の文献
Q28 日本と世界の尊厳死運動を理解するために、これだけは、ぜひ読んでおくべきだという本を推薦してください。<230>
A 日本の尊厳死運動の開拓者、太田典礼の著作を中心に、次の本をおすすめします。
 □太田典礼『安楽死』『安楽死のすすめ』(三一書房)
 □日本安楽死協会『安楽死とは何か 安楽死国際会議の記録』(三一書房)
 □日本安楽死協会『安楽死論集1〜10集』(以上、人間の科学社)vt Q29 日本の安楽死・尊厳死運動の創始者である太田典礼さんとは、どういう人でしょう。なぜ、この運動を始めたのでしょうか。
A 太田典礼は、合理的で偉大なヒューマニストでした。[…]」(230-231)


REV:.....20050104(リンクミス訂正),19,0329 0401,04
優生(学) (eugenics)  ◇安楽死/尊厳死  ◇日本安楽死協会  ◇WHO 

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