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山口 研一郎 編 19980320 小学館,287p. 1900 ■山口 研一郎 編 19980320 『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで』,小学館,287p. ISBN:4-09-386018-1 1900 [amazon]/[kinokuniya]/[boople]/[bk1] ※ □内容説明[bk1] 医療技術の進歩で「生」と「死」の境界が消え、生命はモノとなる。先端医療は誰のためか、「自己決定」は人間の尊厳を守りうるのか? 脳死や肝臓移植など、医療・医学によって操られる生命の重さを問い直す。 □著者紹介[bk1] 1949年長崎市生まれ。長崎大学医学部卒業。脳外科医。現在、高槻市上島内科医院分院院長、現代医療を考える会代表。著書に「有紀ちゃんありがとう」「生命をもてあそぶ現代の医療」など。 山口 研一郎 19980320 「「治療」という名の生命操作」 山口研一郎編[1998:005-032] 寺尾 陽子 19980320 「心肺同時移植を拒否して」 山口研一郎編[1998:033-052] 阿部 知子 19980320 「脳死・臓器移植――虚像から実像へ」 山口研一郎編[1998:053-078] 清水 昭美 19980320 「「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの」 山口研一郎編[1998:079-108] cf.安楽死・尊厳死 cf.立岩 2001/06/25 「死の決定について・3」(医療と社会ブックガイド・6),『看護教育』42-6(2001-6):454-455 小松 美彦 19980320 「「死の自己決定権」を考える」 山口研一郎編[1998:109-152] 粟屋 剛 19980320 「臓器移植と現代文明」 山口研一郎編[1998:153-172] 利光 恵子 19980320 「生殖医療と遺伝子診断」 山口研一郎編[1998:173-204] 芝田 進午 19980320 「医学者の倫理と責任――「医学者」の戦争犯罪の未決済と戦後被害」 山口研一郎編[1998:205-242] 福本 英子 19980320 「生命操作医療の構図と生命の唯一性」 山口研一郎編[1998:243-272] 山口 研一郎 19980320 「私たちに与えられた課題」 山口研一郎編[1998:273-287] 「治療」という名の生命操作 山口 研一郎著 5-32 心肺同時移植を拒否して 寺尾 陽子著 33-52 脳死・臓器移植 阿部 知子著 53-78 「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの 清水 昭美著 79-108 「死の自己決定権」を考える 小松 美彦著 109-152 臓器移植と現代文明 粟屋 剛著 153-172 生殖医療と遺伝子診断 利光 恵子著 173-204 医学者の倫理と責任 芝田 進午著 205-242 生命操作医療の構図と生命の唯一性 福本 英子著 243-272 私たちに与えられた課題 山口 研一郎著 273-287 ■引用・言及 ◆立岩 真也 2001/06/25 「死の決定について・3」(医療と社会ブックガイド・6) 『看護教育』2000-6(医学書院) ◆立岩 真也 1998 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」(→『弱くある自由へ』第1章)注1 「生死に関わる「自己決定」の主張に対する危機感は山口編[1998]所収の文章によく表れている。いくつかの文章の断片を本文で引用した。」 ◇同上第2節「空虚II・条件について」より 「自分が生きていることがまわりに迷惑をかけると考えざるを得ない社会状況のもとでの「死の自己決定」は、本当に自分の本心から決めるというより周囲から追い込まれて、「仕方なくさせられる死の自己決定」ではないだろうか。」(清水[1998:102-103]) 「一貫して安楽死と呼ばれるものを巡る動き、言葉を追い、問題にしてきた人の文章の一部である。私は、こうした指摘が本質的なところをついたものだと考えている。「迷惑」という語が先に述べたのと違った位置にあることに気づいたりしながら、これで皆が納得してくれれば、つけ加えて言いたいことはあまりない。ただ、納得しないと言って、次のように食い下がる人がいるだろう。 ……」 cf.◆安楽死 ◆同上第8節「圧迫」より 「あらゆる新しい医療技術も本人が選び取る限りすべて導入可能、倫理的な問題も、本人の同意さえとれればすべてクリアということか。「自己決定権の尊重」という耳触りのいい言葉で、その実、個人に苦汁の選択を強いて、その責任まで押し付ける。だが、ひとつひとつは個人の選択のように見えても、同じ環境の中で同じ情報に基づいて、ひとつの方向への選択をすれば、全体としておぞましい優生的な社会ができあがる。自己決定の顔をした優生思想を注意深く見抜き、拒否したいと思う。」(利光[1998:202-203]) これは、個々別々の決定はよく、決定が多様であることはよいのだが、一律の決定はよくないという主張だろうか。一人一人の決定としてなされていても、一人一人が同じ決定をすれば、それは一律に決定がなされるのと同じである。結果として国家の政策として、強制としてなされるのと同じ効果をもたらす。だから問題だということか。だが決定が一様であること自体が問題なのではないだろう。大多数が一致し、それでかまわないこと、それが望ましいということはいくらでも存在するからである。だからもちろん、批判が言っていること、あるいは言わなければならないことは別のことである。 ……」 ◇身体×世界:関連書籍 ◇生命倫理 ◇BOOK |