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小林 提樹

こばやし・ていじゅ

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■著書

◆小林 提樹 19600810 『どうしましょう――問題児の精神衛生のための問と答』,医学出版社,239p. ASIN: B000JAPER0 300 [amazon] ※ j01.



◆小林 提樹 1983 「障害者に愛と医療を捧げて」、八幡・小林・田中・市川[1983:53-120]
◆八幡 一郎・小林 提樹・田中 文雄・市川 浩之助 19830410 『来し方の記 6』,信濃毎日新聞社,228p. ASIN: B000J7CILS 1000 [amazon] ※



◆花田 春兆 1962/06 「現代のヒルコ達――小林提樹先生へ」,『しののめ』47→19681020 『身障問題の出発』,pp.1-13

◆石川 達三・戸川 エマ・小林 提樹水上 勉仁木 悦子 196302 「誌上裁判 奇形児は殺されるべきか」,『婦人公論』48-2:124-131

◆日本心身障害児協会島田療育センター 編 20030625 『愛はすべてをおおう――小林提樹と島田療育園の誕生』,中央法規出版,246p. ISBN-10:4805823682 ISBN-13:978-4805823682 2625 [amazon][kinokuniya] ※ j01.

◆小沢 浩 20110408 『愛することからはじめよう――小林提樹と島田療育園の歩み』,大月書店,283p. ISBN-10: 427236068X ISBN-13: 978-4272360680 1600+ [amazon][kinokuniya] ※

■言及

◆立岩 真也 2016/08/01 「国立療養所・5――生の現代のために・15 連載・126」,『現代思想』44-(2016-8):

 「六四年の前から、重症心身障害児(重心)施設に関わる動きは始まっている。多くの患者会やその家族の会は医師のまわりにできたものだが、重症心身障害児の親の会もそうだった。五五年小林提樹が月例の相談会「日赤両親の集い」を始め、翌年『両親の集い』が発刊され小林の文章が掲載される★01。そこから施設を作る動きが始まる。資産家から土地の寄贈を受け、しかし当初期待したその人の金は得られず、資金を各所に求め断われもしたがいくらかは集まり、六一年に島田療育園ができる。国の支援を求めこの年に請願を行う。その際「社会の役に立たない重症児に国の予算を使うことはできない」と言われたという(北浦[1993:60])★02。」

 「★01 『両親の集い』の「どうしましょう」という欄に質問と小林の回答が掲載された。それは整理されて小林[1960]となった。「ある時、末の娘が町で「お父さん何している?」と人に聞かれて、「書いているとの返答」。「お医者さんじゃなかったの?」「うん、原稿書いてるの」/この返事には恐れいってしまった。毎月「両親の集い」という薄い月刊誌であったが、ほとんど一人で発刊していたので、父の姿がこんな風にとられたのは心外でもあった。」(小林[1983:113])」


UP:20150218 REV:20150224, 20160711
重症心身障害児施設  ◇病者障害者運動史研究  ◇WHO 
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