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島田療育園


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重症心身障害児施設

斉藤秀子(本頁下)

■新着新規掲載

◆立岩 真也 2017/03/01 「施設/脱施設/病院/脱病院 生の現代のために・19 連載・131」,『現代思想』45-(2017-3):-

◆立岩 真也・杉田俊介 2017/01/05 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』青土社,260p. ISBN-10: 4791769651 ISBN-13: 978-4791769650 1944 [amazon][kinokuniya] ※

 「[…]一つだけあげておく。八二年に島田療育園から出ようという人がいて、それが阻まれることがあった。一月一六日に斉藤秀子(当時三二歳、脳性まひ)が施設を出る。家族は捜索願いを出し連れ戻される。「家出」を支援した職員は懲戒解雇処分になる。それに抗議した職員は訴訟を起こすが、その公判で施設側は斉藤に「意思能力」「同意能力」がないことを主張した。支援者は連れ戻された斉藤に会おうとするが拒絶される。尾上浩二が私たちに寄贈してくれたものの中から出てきたのは八二年一二月一五日付けの「島田療育園を告発する障害者七人委員会」による社会福祉法人日本心身障害児協会太宰博邦(花田の著書等でも肯定的に紹介されている業界では有名な人だった)宛の抗議書であり、そしてこの抗議に加わることを要請するビラだ。そこには斉藤の文章も付されている。その全文はまたHP上に掲載するが、七人は井田博士(神奈川青い芝の会)、宇都宮辰範◇(中野区)、小林敏彦(障害者の地域生活を保障する会)、小山正義◇(神奈川青い芝の会)、千田好夫◇(千書房)、本間康二◇(『月刊障害者問題』)、三井絹子◇(府中療育センター闘争◇)★17。面会は、国会議員の八代英太◇が太宰に談判して、ようやく実現する。その経緯は『同行者たち』(荘田[1983])に詳しく書かれている(がやはり品切れ)。  私はその時の家出とそれを支援した側に理があったと考えるが、実際がどうであったかをよく知っているわけではない。施設の側にも言い分があるかもしれない。既に何度目かだが、繰り返す。あった場から事実が外されてしまう、結果、ないことになってしまう。
 小林自身の「思想」を問題にすることもできなくはない(そのビラには少しそうした部分もある)★18。ただそんなことをしていけば、自分自身はどうなのだ、小林は自分よりずっと偉く、がんばった人だということにもなる。それは認めよう。だが、起こった出来事はあり、それはその人の立派さ、立派なその人の話には出てこない。
 小林提樹や島田療育園について様々の書きものがある。『愛はすべてをおおう』(日本心身障害児協会島田療育センター編[2003])には九三年までの年譜があるが記述はない。『愛することからはじめよう』(小沢[2011])は七四年に園長を辞任している島田についての本であり当然のことだが出てこない。自伝「障害者に愛と医療を捧げて」(小林[1983])にも当然出てこないが、それでもそれは八三年に書かれたのではある。小林の辞任には労働者の待遇をめぐる労働争議への対応に小林が疲弊したこと、それが辞任に関わったことは複数の本に書いてある。それはその通りだったのだろうし、双方に言い分のあることだっただろう。ただ別の種類の、労働組合からも支持されなかったできごともある。そうした動きがなかったことにされてきた歴史がある。加えておけば、題名に愛が頻出する。その人たちの愛は本書があまり肯定的なものと捉えない(第3章1−3)愛とは異なる――小林も糸賀一雄もキリスト教徒だったという。それでも頻出はしている。」

○井田博士(神奈川青い芝の会) ○宇都宮辰範(中野区) 骨形成不全 故人
○小林敏彦(障害者の地域生活を保障する会)
 https://zensyokyo.jimdo.com/2014/04/26/%E5%85%A8-%E9%9A%9C-%E5%85%B1%E7%B5%90%E6%88%90%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E5%A0%B1%E5%91%8A/
小山正義(神奈川青い芝の会)
○千田好夫(千書房)
本間康二(『月刊障害者問題』)
三井絹子(府中療育センター闘争)

「★17 小山正義については註15。三井絹子は「殺すな」がおおっぴらに言われ出したのと同じ一九七〇年に始まった「府中療育センター闘争」に関わり、施設を出て国立市に住み活動してきた。著書に三井[2006]。
★18 文責本間康二――小さな媒体ではあったがカレン・クインラン事件を特集するなど重要な活動を展開した『月刊障害者問題』を主宰した――となっているビラには「他の園では発達保障を云々されているが、この子らには発達を与えることはできない」「運命的に死に移行しているので、この死にうまく移してやる」といった小林の文章が引かれている。その悲観を本間は強く批判しているだが、それに全面的に同調しきれるだろうかというのが、本文で述べたことだ。
 なおこの文章(小林[1972])は、もとを確かめていないが、「全障研滋賀支部サークル」での報告であるらしい。滋賀県には近江学園・びわこ学園があって、全障研(→註15)の活動の発祥地のようにも言われる。しばしば二つ並べられる「重心」の施設、その関係者の考えの間にも差があるということである(とともに、島田はその滋賀で報告しているらしい)。加えると、本間は、その短いビラで、小林の他の場での断種手術を支持する文章を引いて小林をさらに批判している。」



◇2017/03/06 「島田療育園での脱走事件――「身体の現代」計画補足・324」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1855421561391489

◇2017/03/18 「島田療育園からの脱走事件・2――「身体の現代」計画補足・330」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/1860751957525116

◇2017/03/20 「島田療育園からの脱走事件・3――「身体の現代」計画補足・331」
 ☆


◆窪田 好恵 2015 「全国重症心身障害児(者)を守る会の発足と活動の背景」,『Core Ethics』11:59-70 [PDF]

堀 智久 20140320 『障害学のアイデンティティ――日本における障害者運動の歴史から』,生活書院,224p. ISBN-10:4865000208 ISBN-13:978-4865000207 \3000+tax [amazon][kinokuniya]

第1部 戦前の教育保護構想と戦後の具現化――戦時期から高度経済成長期へ
第3章 重症児の親の運動と施設拡充の政策論理――精神薄弱福祉の高度経済成長期
1 はじめに
1.1 研究目的
1.2 研究方法
2 重症児の存在とその処遇の社会問題化
3 重症児の親の運動の展開
4 「親の心構え」の強調
5 収容施設拡充の政策論理
5.1 社会開発の論理
5.2 親の介護義務を織り込んだ重症児対策
6 おわりに

◆立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books 1000

◆窪田 好恵 201403 「重症心身障害児施設の黎明期――島田療育園の創設と法制化」,『Core Ethics』10:73-83 [PDF]



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E7%97%87%E5%BF%83%E8%BA%AB%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E5%85%90

◆日本重症心身障害児学会
 Japanese Society on Severe Motor and Intellectual Disabilities
 http://www.js-smid.org/

小林 提樹



◆小林 提樹 19600810 『どうしましょう――問題児の精神衛生のための問と答』,医学出版社,239p. ASIN: B000JAPER0 300 [amazon] ※ j01.

◆島田療護園 1963 『島田療護園の歩み No.1』,社会福祉法人日本心身障害児協会付属島田療護園

◆水上 勉 1963/06 「拝啓池田総理大臣殿」,『中央公論』1963年6月号,pp.124-134→立岩編[2015]

◆黒金 泰美 1963/07 「拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える」,『中央公論』1963年7月号,pp.84-89→立岩編[2015]

◆水上 勉 1963/08 「島田療育園」を尋ねて――重症心身障害の子らに灯を」(特別ルポ),『婦人倶楽部』1963-8:198-202→立岩編[2015]

◆花田 春兆 1963/10 「お任せしましょう水上さん」,『しののめ』51→19681020 『身障問題の出発』,pp.78-85→立岩編[2015]

◆花田 春兆 1965/10 「うきしま」,『しののめ』57→19681020 『身障問題の出発』,pp.33-44→立岩編[2015]

◆島田療護園 1969 『島田療護園の歩み No.2――1963〜1965』,社会福祉法人日本心身障害児協会付属島田療護園,143p.

◆島田療護園 1969 『島田療護園の歩み No.3――1967〜1968』,社会福祉法人日本心身障害児協会付属島田療護園,116p.

……

◆全国重症心身障害児(者)を守る会 編 19830905 『この子たちは生きている――重い障害の子と共に』,ぶどう社,230p. ASIN: B000J77FI4 [amazon] ※ j01.
◆全国重症心身障害児(者)を守る会編 19930312 『いのちを問う』,中央法規出版, 161p.,ISBN-10: 4805810645 ISBN-13: 978-4805810644 1993 [amazon] ※ d01 t02 j01.

◆本間 肇 20020325 「重症心身障害児(者)の歩み」,川上編[2002:466-516]*
*川上 武 編 20020325 『戦後日本病人史』,農村漁村文化協会,804+13p. ASIN: 4540001698 12000 [amazon] ※ h01.
 ※
堀田義太郎による紹介

秋元 波留夫 200206 『新・未来のための回想』,創造出版,328p. ISBN-10: 4881582720 ISBN-13: 978-4881582725 [amazon][kinokuniya] ※

 「わが国に独特な用語に「重症心身障害」というものがある。これは精神障害(おもに知恵おくれ)と身体障害(おもに運動麻痺=まひ)の二重の障害をかねた状態をいい、医学的には原因を異にするさまざまな疾患がそのうちに含まれている。このいわゆる“重心”については国の特別な配慮が払われ、全国に数千床に及ぶ医療費公費負担のベットが用意されている。
 このこと自体は結構なことに違いないが、この基準に合致しない、知恵おくれの人たち、つまり運動麻痺はないが、情緒障害があり、動きがはげしく行動の制御が乏しいなどの、障害をもっている人たちはこの“恩恵”に浴することができない。それらの人たちは重度精神薄弱ということで、福祉施設が療育をひきうける建前になっている。しかし福祉施設では医療スタッフを欠くところが多いし、その多くが人手不足で難渋している状況ではこの建前を実行することは、しょせん無理な話である。」(pp135-6)

大谷 藤郎 2009 『ひかりの軌跡――ハンセン病・精神障害とわが師わが友』、メジカルフレンド社 ※

◇立岩 真也 2014/11/01 「精神医療現代史へ・追記8――連載 105」『現代思想』41-(2014-11):8-19

 「☆03 自身の関わりも含むらい予防法廃止の経緯については大谷[1996]等。また大谷[2009]は小林提樹、武見太郎…他、多くの人たちとの関わりについて記されている。九二年までの厚生大臣以下の役職者(とくに初期は非常に少ない)・国家上級職試験採用者一覧は水巻[1993]にある。ただし技官については記されていない。」

◆立岩 真也 2013/12/01 「『造反有理』はでたが、病院化の謎は残る――連載 96」『現代思想』41-(2013-1 2):-

 「家族会が施設作りに熱心になるのはよくあってきたことであり、まったく不思議なことではない。例えば「重症心身障害児(重心)施設」については、親たちが熱心に運動し、それに理解を示した少数の医療者がおり、政治に訴え、メディアの介在もあって、一九六〇年代に制度化がなされるといった経緯を辿る。それは身体障害、知的障害全般について言える。それが身体の関係ではようやく七〇年代初頭に法的・全国的なかたちでは身体障害者療護施設といったかたちで実現し、実現するのと同時期に本人(たちのごく一部)から批判が始まるのだった(立岩[1990])。それが「精神」の領域でどうであってきたか。」

◆島田療護園職員労働組合 19820325 「重症心身障害児施設・島田療育園でなにが起こったのか」,『福祉労働』14:111-117

◆石田 圭二 19820925 「重度障害者は意志なき人間か――島田療育園その後」,『福祉労働』16:103-109

◆荘田 智彦 19830420 『同行者たち――「重症児施設」島田療育園の二十年』,千書房,382p. 1600 ※ ** d

◆荘田 智彦 19830925 「いっそ,重症施設と名前をかえたら!?」,『福祉労働』20:24-34

◆廣野 俊輔 200902 「1960年代後半における『青い芝の会』の活動――実態と意義をめぐって」,社会福祉学』49-4:pp.104-116.

 「重度障害児(者)が充分な支援を受けられていないということは,専門家によっても訴えられた.その中心となったのは,医師の小林是樹である.小林は,1950年代後半から,児童福祉法によっては充分に援助できない障害児が存在することを訴えてきた.小埜寺(2000:154)によれば,これらの児童は小林によって1958年「重症心身障害児」と名付けられた.小林は,重症心身障害児を療育する施設として島田療育園を創設する. 」

◆日本心身障害児協会島田療育センター 編 20030625 『愛はすべてをおおう――小林提樹と島田療育園の誕生』,中央法規出版,246p. ISBN-10:4805823682 ISBN-13:978-4805823682 2625 [amazon][kinokuniya] ※ j01.

◆小沢 浩 20110408 『愛することからはじめよう―小林提樹と島田療育園の歩み』,大月書店,283p. ISBN-10: 427236068X ISBN-13: 978-4272360680 1600+ [amazon][kinokuniya] ※ j01.

◆窪田 好恵 201403 「重症心身障害児施設の黎明期――島田療育園の創設と法制化」,『Core Ethics』10:73-83 [PDF]


 
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■斉藤秀子

196205 日赤病院に入院(327)
19620514 島田療育園に入所(326)
19640801 脳手術(定位視床破壊術)を受ける(327-331)
1979 「あ・うら」園内で上映会始める 『奇形ザル』『養護学校はあかんねん!』『どっこい人間節』…(319)
19810716 中村裕美子簡易プールで死亡(89-104)
19810731 石島徳太郎園長辞任(5代目)(96-97) 1981夏
19811205 ハオバブ保育園で『名前よ立って歩け』(「あ・うら」製作)発表会(318)
19811225 鈴木一男園長就任(6代目)(315)
19820103 石田自宅で話し合い(320)
19820106 斉藤(当時32歳)自宅→奥多摩()
19820107 家族から家出人捜索願い()
19820108 川崎()
19820109 青い芝の委員会()
19820110 斉藤家に電話()
19820111 川崎→多摩:デニーズ会見 仲介人:小山正義()
19820112 ()
19820127 懲戒解雇()
19820212 「「地域で生きたい」――共同生活志した職員に懲戒免職」,『婦人民主新聞』1982-2-12(319)
島田療護園職員労働組合 19820325 「重症心身障害児施設・島田療育園でなにが起こったのか」,『福祉労働』14:111-117
19820215 『月刊障害者問題』(335-337)
19820623 第1回公判(350)
19820721 第2回公判(350)
19820908 第3回公判(350)
石田 圭二 19820925 「重度障害者は意志なき人間か――島田療育園その後」,『福祉労働』16:103-109
19821006 第4回公判(350)
19821117 第5回公判(350)
19830109-11 (355-362)
19830121 第6回公判(350)
荘田 智彦 19830420 『同行者たち――「重症児施設」島田療育園の二十年』,千書房,382p. 1600 ※

荘田 智彦 19830925 「いっそ,重症施設と名前をかえたら!?」,『福祉労働』20:24-34


UP:20141224 REV:20170212(ファイル分離), 20170319, 0619
重症心身障害児施設  ◇施設/脱施設  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体の現代:歴史 
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