『愛はすべてをおおう――小林提樹と島田療育園の誕生』
日本心身障害児協会島田療育センター 編 20030625 中央法規出版,246p.
last update:20110818
■日本心身障害児協会島田療育センター 編 20030625 『愛はすべてをおおう――小林提樹と島田療育園の誕生』,中央法規出版,246p. ISBN-10:4805823682 ISBN-13:978-4805823682 \2625 [amazon]/[kinokuniya] ※ j01.
■内容
内容(「MARC」データベースより)
小児科の医師としてほとんど誰も手をつけてこなかった障害児の医療・療育の領域に心血を注ぎ、島田療育園を開園した小林提樹。自伝や、親・医師らの回想でその足跡をたどる。NHKラジオに出演時の講演を収めたCD付き。
■目次
刊行にあたって
第一章 自伝
障害者に愛と医療を捧げて
※以下の再録
◇小林 提樹 1983 「障害者に愛と医療を捧げて」、八幡・小林・田中・市川[1983:53-120]
◇八幡 一郎・小林 提樹・田中 文雄・市川 浩之助 19830410 『来し方の記 6』,信濃毎日新聞社,228p. ASIN: B000J7CILS 1000 [amazon] ※
第二章 回想――島田療育園の誕生に向けて
第一節 親
みんなのちからで、島田療育園の創立を目指して
小林提樹先生に出会えた幸運
優しい笑顔が忘れられません
回想 小林提樹先生
感謝、感謝でいっぱいです
小林提樹先生を思う
生きる支えに
重症心身障害児の父「小林提樹先生」
第二節 医師
日本心身障害児協会の始まり
小林提樹先生の思い出
療育の心 小林提樹先生の教え
小林提樹先生の思い出
第三節 教員など
小林提樹先生と「両親の集い」
子供が何よりもかわいかった小林提樹先生
その勇気と誠実さに導かれて
小林提樹先生の思い出
小林提樹先生を回想して
小林提樹先生の日本大学での授業
恩師 小林提樹先生
人生の師 小林提樹先生
第三章 解説――小林提樹のあゆみをふり返って
小林提樹 その業績と思想の今日的意味
小林提樹先生と心身障害児(者)長期予後追跡研究
日本心身障害児協会の先達を語る 小林提樹先生を支えた人々
第四章 資料
小林提樹著作目録 著書・雑誌・学会誌など
小林提樹著作目録 両親の集い
小林提樹年譜
あとがき
執筆者一覧
付録CD
「私の歩んだ道」NHKラジオ第一放送(昭和五十一年四月十八日放送)
■言及
◆立岩 真也 2016/08/01 「国立療養所・5――生の現代のために・15 連載・126」,『現代思想』44-(2016-8):
「六四年の前から、重症心身障害児(重心)施設に関わる動きは始まっている。多くの患者会やその家族の会は医師のまわりにできたものだが、重症心身障害児の親の会もそうだった。五五年小林提樹が月例の相談会「日赤両親の集い」を始め、翌年『両親の集い』が発刊され小林の文章が掲載される★01。そこから施設を作る動きが始まる。資産家から土地の寄贈を受け、しかし当初期待したその人の金は得られず、資金を各所に求め断われもしたがいくらかは集まり、六一年に島田療育園ができる。国の支援を求めこの年に請願を行う。その際「社会の役に立たない重症児に国の予算を使うことはできない」と言われたという(北浦[1993:60])★02。」
「★01 『両親の集い』の「どうしましょう」という欄に質問と小林の回答が掲載された。それは整理されて小林[1960]となった。「ある時、末の娘が町で「お父さん何している?」と人に聞かれて、「書いているとの返答」。「お医者さんじゃなかったの?」「うん、原稿書いてるの」/この返事には恐れいってしまった。毎月「両親の集い」という薄い月刊誌であったが、ほとんど一人で発刊していたので、父の姿がこんな風にとられたのは心外でもあった。」(小林[1983:113])」
*作成:樋口 也寸志