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現代のヒルコ達――小林提樹先生へ

花田 春兆 1962/06 『しののめ』47→
19681020 『身障問題の出発』,pp.1-13

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 (再録は『身障問題の出発』より。頁(△)もこの本での頁。

 「水蛭子(ヒルヨ)を知っていますか」
 昨年の六月、意識的には始めて、(おぼえてはいないでも東大などでお世話になっていたかもしれませんから)お目にかかり、講演をお聞きしそあとの座談会で、先生はこうおつしやっました。知っているかい。知っているならそれでいいんだよ。そういう無言の秒のあたたかさに
 「ええ。古事記に出ているのでしょう」
 と答えはしたものの、何かその底に旨いしれぬ奥深いものがあるような徴笑のようにも感じられてなりませんでした。
 もし、あの場に他の人(殊に熱心に前進を心がけているお母さん達)がいなかったら、僕に言語障害が無かったら、それにも増して頭の回転がスムースでスピーデイであったなら、これから書くことを、あの空梅雨の夕映えに染まっていた診察室でお尋ねしていたかもしれません△001。
 ヒルコ。この『古事記』に出て来るイザナギ・イザナミ両神の第一子は、未熟児であるとともに脳性マヒ(それも重度の)症状を持っています。手足はグニャグニャで言語障害もあったようでず。脳性マヒ児が第一子に多いという点とも合致します。或いはダブルであったかもしれません。そして海へ捨てられてしまうのです。つまり、彼は文献に最初に現われた身体障害児であるとともに、安楽死(通常の意味とは異った極めて広義な意昧ででです。以下同様)第一号だったわけです。
 この後、二神は、日の神をはじめ多くの神々を生み万物創造をすることになるのですがともかく第一子は抹殺されているのです。未熟児とは云え名が残っている以上流産ではない筈です。そして、おそらく『古事記』を読んだ人でこの事実を問題にしし人はありますまい。大業をするための貴い犠牲だったとか、最も合理的な処量だったのだと思われたのではなくて、ごく当然なこととして見すごされて来たのではないでしょうか。何の抵抗も感じさせずに当然なことと見すごされて来たのは、それが最も普通の常臓的なこととして認められて来たからだと思うのです。いざ表立って問題にすれば否定的な批判しか出来ないでしょうが、それ以前に当然なこととして肯定し見すごすような心が誰にも有るのではないでしょうか。

 『婦人公論』の九月号(三十六年)の松山善三先生のルポ『小児マヒと闘う人々』の中に、私たちの間では安楽死についての討論が行なわれていると書かれています。△002
 松山先生は一切の無駄を省いて本賞的なものだけを、それも本当の核心を突いてズバリズバリと言及されていくような、まことに男性的な鋭さを感じさせる方でした。災昼という季語がぴったりするような暑い日盛りでしたが爽快な気分になるような気持のよさでした。でもいくら共感し共鳴しきってしまえる人柄だったとしても、はじめて訪ねて下さった(おそらく一度限りになるでしょうが)初対面の、そして専門外の言わば外部(?)の方に、安楽死などという危険な言葉をお聞かせするのは尋常ではありません。これにはチョットしたキッカケがあったのです。

 松山先生は、うちに来られる前に、東京の或る療育施設を見て来られたそうです。そしてそこの或る職員の方から
 「ここにいる間は、治療も受け、ものを教わり初歩的ながら社会生活を味わうことが出来る。だが、時が来ればおかまいなしに出さなければならない。ここの恵まれた壌境の中では発揮出来る能力も外の社会ではなかなか適応して行けないし、家庭内にとじこもってしまえば折角伸びかけた芽もすべてがもとに戻ってしまう。単にもとに戻るばかりでなく、いい環境というものをのぞき見もし、いろいろのことを知り考えることも出来るようになっただけに、その分だけ余計に絶望も深まるように思えてならないわけです。何かを教えるたびに、そんなことを考えると、この子たちには反って伺も知らさないでおく方がよいのではないか、という気さえして来る」△003
という嘆きを訴えられ受のだけれども、あなた(つまり僕)はどう思うか?と間われたのです。
 勿論、その職員の方が何を言おうとされかも、その人が抱いているであろう一定〇時がたてば保護が必要であるとわかっていようと後戻りが目に見えていようとおかまいなしにほうり出さなけれぱならないような日本の現状に対する焦たしい気持も、わからないわけではありません。しかし、その時の僕は妙に興奮してしまったのです。それならここ(養護施殻)での基準が外の世界ではいかに適用しにくいものであるかという点まで教えるのが教育なのではなかろうか、おこがましくそんな考えも湧きましたし、伺よりも、何も知らさない方がいい、という言葉がどうにも腹立たしく胸につかえたので、つい口走ってしまったのです。
 「絶望を味わせたくない。何も知らせたくない。そう言うのなら、何故何も知らないうちに死なせてやらないのです。何も知らないうちに死ぬ、これなら絶望も知らされることへの疑問もなくてすむ筈でしょう。堂々と安楽死をとなえたらいいじゃありませんか。飛躍しすぎるかもしれませんが、そう冒われるとそこに持って行きたいですよ」

 安楽死。この言葉がその時いきなりとびだして来たのは、無意識のうちに前日の夕刊で読んだナマナマしい一句が強く連想され允からに違いないのです。表面的には全く思い出していなかったのですが、心のどこかに消えずに残っていたのでしょう。前日の夕刊、つ△004 まり、七月十三日付朝日新聞の『声』欄に載った「重身障児をもつ父として」という投書でした。父といっても僕と同年齢(考えれば当然なことですが)なのが余計に注意をひいて読んだのでした。
 −十二歳になる小児々ヒの息子を絞殺したあと、自殺に失敗した母親の記事がありました。その後、これに関した批判を読んで、その母子の哀れさに同情を禁じ得ませんでした。−
に始まるその文中には明らかに、
−「欧米ではこんな子供は生後すぐに処置して了うわけですがね」とか、いまでも痛烈に鮮明に残つている医者の言葉の数々− と書かれていました。

 処置して了う。含みのある言葉に感心します。だが、冷静に見ても、その言葉を受けた投書者の子供がその人の表現を借りれば、”脳怯マヒで、人間としてこれ以上、奪われる何物もないくらいあらゆる能力を失っている子供”だとしたら、現在の医学では欧米だとて、”了う”という完了形で断定出来る”処置”なるものが、積極的な生への処置ではなくてその正反対の、つまり安楽死以外には考えられないと思う方が当然なのでしょうか。
 肉親に向ってこうした言葉を正式に吐ける医者なり施設の職員なりがいるものかどうか。反ヒューマニズムとも、自主性のない後進性コンプレックスの現われとも、どんなにでも非難されることを予期しての上で敢えてなされた発言であったとしたら、その勇気と見識△005 の天時れな見事さに拍手を送りたいような気持ちが僕にはあるのです。それだけの意志的な発言で無さそうなのが残念ですが………
 うっかり後進性などと書いた後で気がひけるのですが、果して、欧米ではそうした事実が現に行われているのか、ということが矢張り気になります。あるのだという説をチョット他からも耳にしたことがあります。慣例事項として黙認されているのでしょうか。
 合理的な能率本位に徹した(?)という面から見るならともかく、受胎調整さえ容易に許されないような根強い宗教的基盤のある欧米で果して行なわれ得るかどうか疑問です。
 そして、実際に実施するとしてもどこにライン基準を求めているのでしようか。判定する人次第ということになりかねないのだとしたら、故意にする不正はともかく、誤診をどう防ぐのでしょうか。ボーダーラインをどう判別するのでしょうか。また”生後すぐ”という期限をどこまで認めるのか、奇形とか、小頭児のように一見して判明する先天的なものはともかく、先生の講演にもあったようにCPなどの場合はかなり重症でも半年とかそれ以上の年月が経過しなければ発見出来ないとしたら、どうなのか。それに記憶違いかもしれませんが、CPが反射運動に表われる為に知能の冒されていない者ほど早期に発見される、のだとし允らどうなるのか。おそらくこの投稿者のお子さんも誕生直後では症状水表われていたかどうか甚だ疑間に思えます。そして、自分を意識する心が目覚めない時期のうちなら、として認めるなら、意識の弱い子なら幾歳になっても出来ることになりましょうし、逆に生きたいという本能は、□々の声(どんなに小さかろうと)をあげた瞬間から△006 備わっている筈です。伝説じみますが、間引こうとした赤ん坊ににらまれたとか噛みつかれたという話は作り話や心理的な幻だとは思えません。
 それに今や普遍的な合い言葉にまで浸透しているような、問題は何が失われたかではなくて何が残っているかだ、というモットーはどうなるのでしょうか。
 どうもその”処置”を肯定するとしても実施手段の面での扱聞が拭いきれません。

 「可能性を無視しすぎる」
 処置することを認めようとする僕の合理性(?)に対して、もう一方の負けん気の僕の天邪鬼な感情は、半ば自己防衛的な意識の作用も働いて反発のためのこの言葉を用意しています。
 しかし、この言葉の持つ虚しさ空々しさを一番先に感じてのが言っている本人なのだという気もします。
 果してどれだけの可能性が残されているか、それは、重症の心身障害児を日夜手がけて居られる先生の方が、よくご存知だと思います。素直に言って今自動車で迎えに来られたとしても、僕には島田療育園や秩父学園をちゅうちょなく見に行く勇気は無さそうです。虎の子のように大切な最後の反発する言葉さえ消えそうな子惑がするのです。

 冒頭の条りと明らかに矛盾するので公開するのは損な余談ですが、処置することに反対△007 し可能性を信じかったというより情に脆い租先たちが日本の一部にいて、福の神のエビス様があのヒルゴの成長した姿だという伝脱を造っています。海に捨てたのが、死体確認がなされていないのを幸いに、大阪(宮崎にも)に漂着して生をつないだことにしているのです。一%の可能性を百%に活かしているのです。だが、いつも笑つている半痴呆的とも見える顔と、常に坐った姿勢姿で立ったり走っている画像を見かけぬという二点以外に両者を結び付ける何物もないのです。そして勿論どのようにして成長し、その間どう保育されたかは(私たちとすればその闇の過程にこそ関心があるのですが)全く空白なのです。普通の神なら生れた時から神でもいいのですが、それだけの神通力を持たなかったからこそ親に拾てられたこの神であれぱ、この間を説得するものが無けれは不審でなりません。ましてや現代のヒルコ違がこの断絶をどうとび越えるかという底知れぬ空白をしか示していないのです。そして現代のヒルコ達は断絶をそのままにして飛躍するという神業は備えていないのです。

 「そうした論議に時を費すのも、つまりあなた達が実際の社会に触れていないということの証しにもなりますね」
 松山先生にこうズバリと図星を指されて話題は次ぎに移りました。反発することの出来ない厳然たるものがあるのを僕も感じないわけにはいかなかったからです。
 しかし、五年程前のイギリスで”不治永息児には正式に安楽死を与えることを認めるべきだ”と発言したデイングリー氏も、それを取上げて非難の嵐を□起した人々も、そして昨年(三十六年)、わが子が重度の脳性マヒと宜告された妻が自分達の老後や死後に当然干測されるその子の悲惨さを想っていっそ伺も知らぬ今のうちにと死を思いつめるのを夫に慰められるというラジオドラマの作者も、命はとりとめても一生呼吸をするだけの人形となって了うのが明白な難病だったわが子の死に医者である夫が安楽死を与えたのではないかと疑念を消せぬ妻の心の葛藤、という先のとは逆の場合のテーマでテレビドラマを構成した作者も、すべては健康な社会人だったのです。この事実は安楽死問題の提起が当の御本人たる身障者でない外部の人々からなされている点、身障者にとって名嘗なことでありませんがしかし、それはこの問題が社会と結ぴついているのを示す証明にもなりまししょう論議された声として提出されていないのはむしろ障害者の側の声ではないでしょうか。イギリスの安楽死論争でも非難する側の宗教界やジャーナリストたちの主張は報道されもし、容易に想像もつくのですが、当の御主人達(精しく言えばその先輩達?)がどう反応したかは知るべくもないのです。ライン内の人には理解力や発表能力で無理な人が多かったでしょうが、ボーダーライン層がどう反応したかもわかりません。全然報道されず、資料もキャッチ出来なかったのです。つまりこの論争は外側でこそ火花を散らしていたのです。

 「社会保障が不完全な現在の段階では……という点が言いたかったのだ」009△
 安楽死を提唱したデイングリー氏は、最初からの意同だったか、釈明かはともかく、沸騰した世論に対してこう言っています。そして、社会保障のよりよき充実へ、という結論に転生したのか、この論争の結論でも収獲でもあったらしいのです。社会保障という点では絶対的に先進国である筈のイギリスですらそうであるとすれば現在の日本での答えはあまりにも明らかな筈です。
 松山先生の前掲の文章の中には
 −日本の母親の方が米国の母親より、子供に対する愛惰が深い等と誤解してもらっては困る。病気そのものに対する認識が日本と米国では全く違うのである。
 日本では小児マヒと闘うのは子供を抱いた母親の姿だが、米国では医師その人である。子供を抱いた母親の姿は悲壮だが、戦争中の竹槍を持った兵士に似ている。日本の医師が、なぜ大きな組織となつて、今日の緊急課題、小児マヒと闘わないのか。私は不思議に思われる−
という文字が読まれます。
 不治永患児は医の対放ではない、と公言する医者(それはそうかもしれませんが)も多いそうでずからこのままに当てはまらないのも当然でしょうが、母親が家庭の”医師その人”が社会全般のシンボルであると見るのは極めて妥当であると思います。そして、確かに悲壮にならざるを得ないような現実しか日本にはないのだと感じられますし、頼るべきものが”竹槍”でしかないという気もします。△010
 竹槍しか頼れない脆さ。それは、最近の”火事で焼死”という程に頻繁ではないにしろ小児マヒ(勿論広義での)の子を苦に母子心中などという新聞の見出しが、もうさしてショックを与えない程に使いならされているのでもわかる気がします。竹槍でしか闘えない人々の負担はおそろしく過重なものであるに違いりません。普通の子供の場合なら”成人”する迄ですむでしょうが、IQにかかわりなく、”とこしえの子供”の状態であれぱ死が訪れる迄際限なく統くのです。家庭内での世括という日常身辺の負担だけでも年をとっていく規と、大なり小なり肉体だけは成長していく子供とのアンバランスは日に日に差を開いていくばかりなのです。ここで引用するのは甚だしく札を失するとは思うのですが、あの『メンコのうた』で信じられない程の詩オの閃きを示して四歳で逝った村田めぐみちゃんにしても、たとえ天与の詩才が順調に成長して行ったにしろ、余程マスコミにでも乗らぬ限りは任済的にも、まして日常生活面での負担という観点にたったら、一般の重症者とどほどの差があるのでしょうか。(本人ちにとっても現実生活の倖せをどれだけ味わうことが出来たでしょうか。信仰者だっためぐみちゃんには現実生活の不満など問題でないかもしれませんが、肉体があればそこに伴う苦悩と無縁ではいられなくなっただろうと思えるのです) 一部に残されている可能性が完全に発揮出来たとしても結局はどうにもならない不可能の部分がついて回るのでず。さっき書いたのとは別の意味でまたしても"可能性”の空しさという空虚感が心を占めて了うのです。

 それはそれとして、母や家庭の負わねばならぬ負担の絶望的な重さ。△011
 それは、僕よりもも、産院に置去りにされて引取人もない現代のヒルコ達。保育し収容する施般の絶対的な救の少なさ。よし入所させたとしてもあらゆる保険や保顧法から除外されているため多額にわたる費用を全額支払わなければならない事実。施設は施設で予算不足と医者や看護婦等の人手不足に悩まされ続ける現実。
 これらのことは日夜接していられる先生の方がよく御存知の筈です。(この現実についてもう少し精しくお聞きしたいのです……)
 ですから、安楽死という問題は、単に私たちの観念や会話の中にあるのではなく、もっと切実で厳しい具体的な現実の中にあるのだと断定出来るのではないでしょうか。もっと現実問題として取取上げられなけれぱならないのだという新たなる切迫慮が湧くのです。

 どうも、核心にまで触れず、丸橋忠□ではありませんが、濠の外側の深さをのぞき見ただけで終ることになりそうです。
 この言わば序章のみの一文のあやふやなテーマとは別の不即不離に結びつく同じ問題の一面とも言える一つの言葉が心に響いて消えないのです。勿論これは、おのずから稿を改めて考えなければならないのでしょうが………。
 それは昨今、芸術祭参加番組として障害者を扱ったテレビドラマで、更生センターがモデルと想われる場所で、或る職員が仲間の医者に向って言う言葉なのです。△012
 「生かすのが医者の任務には進いないけれど疑聞だな。単に呼吸している時間を引伸ばすだけで、本当に生かすことになるのかな。呼吸させるだけで」

−注−
 昭和三十七年六月「しののめ」四七号 特□−安楽死をめぐつて−所載
 小林先生からは−ヒルコは普通の未熟児ではなく、母体の未熱が原因で生まれた子であろうこと。ヒルコの事件は幕末までの日本の社会状勢では常識だったようだが、決して茶飯事ではなく悲劇であったに違いないこと。ともかく生かす努力に忙しい毎日であること−−などを書いた返信を頂戴した。
 四十二年八月、東京・神田で、医師をしている老いた父親が、日々の世話や将来への不女に堪えきれず、息子である脳性マヒの青年に死を与えるという事件が起きた。安楽死とか、安楽殺人と呼ぺるものは、そう特異なものではなく、可能性はごく身近にあるといえよう。
 文中にある”ダブル”は、ダブル障害。ここでは、手や足の肢体障害の上に、知恵おくれ精神薄弱の加わったものを指す。

 ※→「第」
 ※「つ」等→「っ」等
 ※「」『』は原文のまま
 ※ここで原文は『身障問題の出発』を指す

 ◇松山善三:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%96%84%E4%B8%89
 *確認中

◆花田 春兆 19681020 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7,163p. 350 ※r copy:A4/東京都障害者福祉会館403


cf.
立岩 真也 2012/12/24 「『生死の語り行い・1』出てます――予告&補遺・6」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa06.html


再録:立岩 真也
UP:20150218 REV:
花田 春兆  ◇小林 提樹  ◇重症心身障害児施設  ◇障害者(運動)史のための年表  ◇障害者(運動)と安楽死尊厳死  ◇安楽死尊厳死  ◇全文掲載 
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