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七〇年体制へ・上――連載・147
立岩 真也
2018/07/01
『現代思想』46-11(2018-07)
:221-237
146
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148
『現代思想』連載(2005〜)
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■以下の本の一部になりました。
◆立岩 真也 2018
『病者障害者の戦後――生政治史点描』
,青土社
[表紙写真クリックで紹介頁へ]
◆立岩 真也 2018
『病者障害者の戦後――生政治史点描』
,青土社
■目次
■文献 ◆:31→51→75→90(20180516)→134(20180527)→161(20180601)/47→65
◎:本の文献表に転記
◎荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹 2016/12/20
「横田弘 その思想と障害を巡って」
,『ヒューマンサービス研究』6:22-53(神奈川県立保健福祉大学)→
立岩編[2015]
[+]
◎有吉 玲子 2013/11/14
『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』
,生活書院 [120][126][131]
◎朝日訴訟記念事業実行委員会編 20040119
『人間裁判――朝日茂の手記』
、大月書店、230p. ISBN-10:4272360469 ISBN-13:978-4272360468 1,500
[amazon]
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[kinokuniya]
※ i03j[+]
◎朝日訴訟運動史編纂委員会編 1971 『朝日訴訟運動史』、草土文化 [123][+]
◎淡路 剛久 19810615
『スモン事件と法』
,有斐閣,206p. ※ n02. d07smon. d07.
◎あゆみの箱 2011? 「募金活動の始まり」
http://www.ayuminohako.com/
/
https://archive.fo/RFz7Q
[147]
◎尾藤 廣喜 2009 「じゃ、社会っていうのはなんのためにあるのか」,
立岩・岡本・尾藤[2009]
◎遠藤 浩 2014 「国立コロニー開設に至る道のり」,『国立のぞみの園10周年記念紀要』
※
[127][131]
◎衛藤 幹子 19931120
『医療の政策過程と受益者――難病対策にみる患者組織の政策参加』
,信山社,245p. ※ n02h
◎藤本 義一 1974 『生きいそぎの記』,講談社→1978 講談社文庫
◎藤原 勝 201603 「患者運動の歴史――戦後70年の足跡をたどって」,『JPAの仲間』JPA結成10周年記念号:3-24,日本難病・疾病団体協議会
◎福井 恒美 19751105
『僕は太陽が待てなかった――スモンと闘い力尽きた青年の手記』
,日東館出版,114p. ※ n02. d07smon. [+]
◎福岡県スモンの会 編 19780415
『ひとりで歩きたい』
,西日本新聞社,305p. ※ n02. d07smon. [+]
◇古田 富久 1976 「重心病棟看護要員傾斜配置に関して」,
国立療養所史研究会編[1976a
:]
◎下司孝之 2013 『戦後医学生運動史・年表』
※
<104>
◇浜 義雄 1976 「国立療養所松籟荘」、
国立療養所史研究会編[1976a
:51-53]
★花田 春兆 1965/10 「うきしま」,『しののめ』57→1968
花田[1968
:33-44]→
立岩編[2015]
[124][127][131][+]
◎―――― 1968/10/20
『身障問題の出発』
,しののめ発行所,しののめ叢書7 [127][131]
◎本沢 二郎 20020910
『霞が関の犯罪――「お上社会」腐蝕の構造』
,リベルタ出版,302p. ISBN-10:4947637773 ISBN-13:978-4947637772 2000+
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[kinokuniya]
※ m. zkr.
◇保坂武雄・阿部幸泰 1976 「重症心身障害児(者)の医療」、
国立療養所史研究会編[1976a
:254-272]
◎星 三枝子 19770130
『春は残酷である――スモン患者の点字手記』
,毎日新聞社,254p. ※ d07. smon. n02. [+]
◎市田 良彦・石井 暎禧 20101025
『聞書き〈ブント〉一代』
,世界書院,388p. ISBN-10: 47927210◆83 ISBN-13: 978-4792721084 2940
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※
◎稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30
『流儀』
,生活書院
◎石田 圭二 19820925 「重度障害者は意志なき人間か――島田療育園その後」,
『福祉労働』16
:103-109 [+]
◎―――― 20170622 [インタビュー 2017/06/22 聞き手:立岩真也]、於:東京都多摩市 cf.立岩[●] [+]
◇石川 左門 1981 「難病患者運動の展開と理論――東京進行性筋萎縮症協会一七年の歩み」,『社会医学研究』2 *
◎磯 春樹 編 2010/09/01
『ここまで』
[+]
◎糸賀 一雄 20031220
『この子らを世の光に――近江学園二十年の願い』
,日本放送出版協会,315p. ISBN-10:4140808365 ISBN-13:978-4140808368 1900+
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[kinokuniya]
※ j01. i05 [+]
◎糸賀一雄生誕100年記念事業実行委員会研究事業部会 編 20140329
『糸賀一雄生誕100年記念論文集――生きることが光になる』
,糸賀一雄生誕100年記念事業実行委員会,350p. 1,500+ ※ j01. [+]
◇岩田 真朔 1976 「松籟荘の精神療養所への転換の経緯」、『国立療養所史(総括編)』
◆泉 博 19960318
『空前の薬害訴訟――「スモンの教訓」から何を学ぶか』
,丸ノ内出版,332p. ISBN-10: 4895141144 ISBN-13: 978-4895141147 3000
[amazon]
※ d07. smon. n02. [+]
◆実川 悠太 編/羽賀 しげ子・小林 茂 19900630
『グラフィック・ドキュメント スモン』
,日本評論社,245p. ISBN-10:4535577382 ISBN-13:978-4535577381 欠品
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[kinokuniya]
※ d07smon. n02.
◇金澤 一郎 2012 「わが国の難病政策について」,『脳と発達』44:185-189(第53回日本小児神経学会総会・基調講演)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/44/3/44_185/_pdf
◇葛城 2019 『●』,生活書院
◆川瀬 清 他 編 1980
『ノーモアスモン――スモンの恒久対策の確立と薬害根絶のために』
,新日本医学出版社 d07smon. smon. n02. [+]
◇北村 健太郎 2014
『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』
,生活書院,304p.
◆
北浦 雅子
1983 「この子たちは生きている」、
全国重症心身障害児(者)を守る会編[1983
:10-24] [126]
◇小泉 義之 2007/02/10
「<難病と倫理>研究会配布資料・補足資料」
,難病と倫理研究会第1回京都セミナー
◇―――― 2007/02/10
「<難病と倫理>研究会発表」
,難病と倫理研究会第1回京都セミナー
◇国立療養所史研究会 編 1976a
『国立療養所史(結核編)』
、厚生省医務局国立療養所課、679p. ※ h01 [122][123][124][125][126][127][132]
◆児島 美都子(聞き手:伊藤たてお・永森志織) 2009 「戦後の結核病院での患者支援から医療ソーシャルワーカーの草分け的存在に」,
http://pg-japan.jp/int_koji.html
[+]
◇国立コロニー福祉労働問題研究会 19800725
『コロニー闘争勝利に向けて――コロニー裁判闘争報告・資料集1』
、294p. ※r [131]
★
近藤 喜代太郎
1996 「阿賀野川流域における水俣病の発生動態――曝露の実態と患者の認定」,『日本衛生学雑誌』51:599-611
★―――― 20020320
『健康科学――医と社会の接点を求めて』
,放送大学教育振興会,290p. ISBN-10: 459513326X ISBN-13: 978-4595133268
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[kinokuniya]
1400
★―――― 20071205
『医療が悲鳴をあげている――あなたの命はどうなるか』
,西村書店,246p. ISBN-10: 4890136150 ISBN-13: 978-4890136155 952+
[amazon]
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[kinokuniya]
※
★近藤 喜代太郎 他 1988 「筋ジストロフィーの施設ケアの便益性(予報)」,
厚生省精神・神経疾患研究 筋ジストロフィー症の遺伝、疫学、臨床および治療開発に関する研究班(班長:西谷裕)[1988
:5-8] [125]
★厚生省精神・神経疾患研究筋ジストロフィー症の遺伝、疫学、臨床および治療開発に関する研究班 19890331
『厚生省精神・神経疾患研究 筋ジストロフィー症の迫伝、疫学、臨床および治療開発に関する研究 昭和62年度研究報告書』
、厚生省精神・神経疾患研究筋ジストロフィー症の遺伝、疫学、臨床および治療開発に関する研究班(班長 西谷裕)
※
◆前田 こう一 19820215
『難病の海に虹の橋を――立ちあがる人工腎透析者・難病者たち』
,労働経済社,349p. ASIN: B000J7NPW4 1575
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[kinokuniya]
※ a03. n02.
◇蒔田 備憲 20140306
『難病カルテ――患者たちのいま』
,生活書院,459p. ※ n02. pd. als. uc. mss. md.
◇湊 治郎 1976 「重症心身障害児収容施設今後のあり方」,
国立療養所史研究会編[1976a
:268-272] [132]
◎明神 もと子 20150120
『どんなに障害が重くとも――1960年代・島田療育園の挑戦』
,大月書店,261p. ISBN-10: 4272360833 ISBN-13: 978-4272360833 1,800+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ [+]
◎日本患者・家族団体協議会(JPC) 19860615
「結成宣言」
※http://www.arsvi.com/1900/19860615jpc.htm
◎
日本難病・疾病団体協議会(JPA)
2005/05/29
「日本難病・疾病団体協議会の結成にあたって」
※
◇新田 絹子(三井 絹子) 19721117
「わたしたちは人形じゃない――新田絹子さんの手記」
,『朝日ジャーナル』1972.11.17
http://www.arsvi.com/1900/7211nk.htm
◎野田 洋典 2002
『あゆみの箱』
、KTC中央出版
◇岡田 英己子 200203 「戦後東京の重度障害者政策と障害者権利運動に見る女性の役割(1)――身体障害者療護施設の設立経緯を通して」,『東京都立大学人文学報』329:1-46 [+]
◆岡崎 英彦 1978 『障害児と共に三十年――施設の医師として』,医療図書出版社,290p. [+]
◆長 宏 1978 『患者運動』,勁草書房 [121][123][147]
◆坂本 久直・高野 哲夫 編 19750830
『裁かれる製薬企業――第2・第3のスモンを許すな』
,汐文社,325p. ASIN:B000J9OGXE 980
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※ d07. n02. d07smon. [+]
★佐藤 エミ子 198511
『木馬の足音』
,桐原書店,222p. ASIN: B000J6O25O
[amazon]
※ n02.
◆志鳥 栄八郎 19760415
『冬の旅――音楽評論家のスモン闘病記』
,朝日新聞社,378p. ※ d07. smon. n02. [+]
★心身障害者の村(コロニー)懇談会 196512 「心身障害者のためのコロニー設置についての意見」(答申) [+]
◆スモンの会全国連絡協議会 編 19810630
『薬害スモン全史 第一巻――被害実態編』
,労働旬報社,534p. ※ d07. d07smon. n02. [+]
◆スモンの会全国連絡協議会 編 19810630
『薬害スモン全史 第二巻――裁判編』
,労働旬報社,586p. ※ d07. d07smon. n02. [+]
◆スモンの会全国連絡協議会 編 19810630
『薬害スモン全史 第三巻――運動編』
,労働旬報社,635p. ※ d07. d07smon. n02. [+]
◆
高野 哲夫
19790219 『日本の薬害』,大月書店,270p. ASIN: B000J8J30Q
[amazon]
※ d07. d07smon. [+]
◆―――― 197907
『スモン被害――薬害根絶のために』
,三一書房 ※ d07. d07smon. n02. [+]
◆―――― 19870125
『翼折れ爪はがれても――ある車いす薬学者の半生』
,青木書店,219p. ISBN-10:4250870049 ISBN-13:978-4250870040 欠品
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[kinokuniya]
※ t09. d07smon. [+]
◆松下 周一・高谷 清 20040620
『蒼い水脈――満蒙開拓青少年義勇軍から「中国残留孤児」支援へ』
,つむぎ出版,110p. ISBN-10: 4876681406 ISBN-13: 978-4876681402 欠品
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[kinokuniya]
※ ds
◎
高谷 清
19760801
『子どもの発達と障害』
,医療図書出版社,222p. ASIN: B000J86DL8 欠品
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※ ds
◎―――― 1983a 『重症児のいのちと心――びわこ学園療育リポート』,青木書店,障害者問題双書,216p. [+]
◎―――― 1983b 『重症心身障害児――びわこ学園からの報告』,青木書店,障害者問題双書,220p. [+]
◎―――― 19880920
『嘔吐』
,近代文芸社,200p. ISBN-10: 4896077881 ISBN-13: 978-4896077889 欠品
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※ ds
◎―――― 19961130
『支子――障害児と家族の生』
,労働旬報社,205p. ISBN-10: 4845104598 ISBN-13: 978-4845104598 欠品
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[kinokuniya]
※ ds
◎―――― 199704
『はだかのいのち――障害児のこころ、人間のこころ』,大月書店,206p. ISBN-10: 4272410954 ISBN-13: 978-4272410958
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[kinokuniya]
※
◎―――― 19990409
『透明な鎖――障害者虐待はなぜ起こったか』
,大月書店,236p. ISBN-10:4272360248 ISBN-13:978-4272360246 1600+
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[kinokuniya]
※ ds
◎―――― 20020731
『埋め立て地からの叫び――ある住民運動の記録』
,技術と人間,改訂新版,初版:20010731,241p. ISBN-10: 4764501392 ISBN-13: 978-4764501393 欠品
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[kinokuniya]
※ ds
◎―――― 2003a(20030220
『蜂が戦い椰子も働く――南ベトナム解放 ベンチェの戦線』
,文理閣,222p. ISBN-10: 4892594245 ISBN-13: 978-4892594243 1,800+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ ds
◎―――― 2003b(200308
『こころを生きる――人間の心・発達・障害』
,三学出版,222p. ISBN-10: 492113457X ISBN-13: 978-4921134570
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[kinokuniya]
※
◎―――― 20050420
『異質の光――糸賀一雄の魂と思想』
,大月書店,332p. ISBN-10: 4272360515 ISBN-13: 978-4272360512 2,200+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ ds
◎―――― 20080531
『こどもの心・おとなの眼――人間・障害・思想』
,クリエイツかもがわ,206p. ISBN-10: 4902244977 ISBN-13: 978-4902244977 1,700+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ ds
◎―――― 20111021
『重い障害を生きるということ』
,岩波新書,208p. ISBN-10:400431335X ISBN-13:978-4004313359 700+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ ds
◎
高谷 清
・加藤 直樹 19750120
『障害者医療の思想』
,医療図書出版社,241p. ASIN: B000J86E2Q 欠品
[amazon]
※ ds
◎
高谷 清
・武内 一・植田 章 編 1997 『障害者の健康と医療保障』,法律文化社,233p. [+]
◎
高谷 清
・田中 杉恵 1973 『日本の子どもたち――康・発達への要求』,鳩の森書房,265p. [+]
◎田中 徳吉 19731001 「今年も学校ダメやった!なんでや?」,
福祉解体編集委員会編[19731001
:5]*
◎―――― 2010/09/01 「ほんとは一番家をひっぱっていかなあかんのに、歩けないために家族の人にまかせきりやった、いう気もちが強いです。」,
磯編[2010]
◇立岩 真也 2001c 「高橋修――引けないな。引いたら,自分は何のために,一九八一年から」,
全国自立生活センター協議会編[2001:
249-262] <7#054>
◇―――― 2003
「現代史へ――勧誘のための試論」
,
『現代思想』
31-13(2003-11):44-75(特集:争点としての生命) <7#065>
◇―――― 20071110-20170905
「もらったものについて・1〜17」
、『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜91:60-67 [140]
◇―――― 2008d
「争いと争いの研究について」
,
山本・北村編[2008
:163-177] <○>
◇―――― 2009/03/25
『唯の生』
,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360
[amazon]
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[kinokuniya]
※ et.
English
◇―――― 2010
「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」
,『現代思想』38-9(2010-7):196-212 <5#09>
◇―――― 2014b
『自閉症連続体の時代』
,すず書房 <1#25,4#26,4#27,7#65>
◇―――― 2015/06/03
「再刊にあたって 解説」
,
横田[2015]
→
立岩編[2016]
[118][+]
◎―――― 2016/12/03
「一つのための幾つか」
,第36回びわこ学園実践研究発表会全体講演 於:立命館大学草津キャンパス,,
◎―――― 2017/01/01
「『相模原障害者殺傷事件』補遺」 連載・129」
,『現代思想』45-1(2017-1):22-33 [+]
◆―――― 2017/01/05 「障害者殺しと抵抗の系譜」,★
◆―――― 2018
『身体/社会・T(仮題)』
,青土社
◆立岩 真也・岡本 厚・尾藤 廣喜 2009/03/10
『生存権――いまを生きるあなたに』
,同成社,141p. ISBN-10: 4886214789 ISBN-13: 978-4886214782 1470
[amazon]
d/
[kinokuniya]
※,
◆立岩 真也・杉田 俊介 2017/01/05
『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』
青土社,260p. [131][132][134][146+][+]
◆―――― 2017/01/05 「生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く」(対談),
立岩・杉田[2017
:177-238] [131][+]
◆立岩 真也 編 2015/05/31
『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』
,
Kyoto Books
◇―――― 2016/04/29
『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』
,
Kyoto Books
327.4kb \700 →
Gumroad
[+]
◇立岩 真也・小林 勇人 編 2005
『<障害者自立支援法案>関連資料』
,Kyoto Books <3#22>
◆津田 敏秀 20040629
『医学者は公害事件で何をしてきたのか』
,岩波書店,256p. ISBN-10:4000221418 ISBN-13:9784000221412 2600+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ m34
◇―――― 20091106 「水俣病問題に関する解説的意見書」
https://www.okayama-u.ac.jp/user/envepi/dl/13_20120217.pdf
◇―――― 20140516
『医学者は公害問題で何をしてきたのか』
,岩波書店,344p. ISBN-10:4006003110 ISBN-13:9784006003111 1300+
[amazon]
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[kinokuniya]
※ m34
◇
宇井 純
19990725 「医学は水俣病で何をしたか」,『ごんずい』53(水俣病センター相思社)
http://soshisha.org/gonzui/53gou/gonzui_53.htm#anchor605632
◇宇尾野 公義 197303 「いわゆる難病の概念とその対策の問題点」,『公衆衛生』37-3:186-192(42-48)
◎渡辺 理恵子 19751225
『愛と闘いの序章――スモンと共に歩んだキャンパスの青春』
,立風書房,282p. ASIN:B000J9WDHA 欠品
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※ n02. d07smon. [+]
◇矢吹 文敏 20140325
『ねじれた輪ゴム――山形編』
,生活福祉社,307p. ※ d00sm. n02. oi. [+]
◇矢吹 紀人 200510
『水俣病の真実――被害の実態を明らかにした藤野糺医師の記録』
,大月書店,221p. ISBN-10: 4272330446 ISBN-13: 978-4272330447 欠品
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※ hsm, ms, m34
◇山本 崇記・北村 健太郎 編 2008
『不和に就て――医療裁判×性同一性障害/身体×社会』
,生存学研究センター報告3 <○>
◇
吉村 夕里
20080301 「精神障害をめぐる組織力学――全国精神障害者家族会連合会を事例として」,『現代思想』36-3(2008-3):138-155
◇―――― 20091220
『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるミクロとマクロのツール』
,生活書院
◇全家連30年史編集委員会編 199709
『みんなで歩けば道になる――全家連30年のあゆみ』
,全国精神障害者家族会連合会
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA33837061
◆全国重症心身障害児(者)を守る会 編 19830905
『この子たちは生きている――重い障害の子と共に』
,ぶどう社,230p. ASIN: B000J77FI4
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※ j01.
◇全国精神障害者団体連合会準備会・全国精神障害者家族会連合会 編 19930415
『こころの病い――私たち100人の体験』
,中央法規出版
◇全厚生秩父学園支部有志 197609「障害者施設労働者のディレンマ――障害者・福祉労働者の解放をめざして」,『現代の眼』17(9): 266-275[+]
◇全厚生秩父学園支部 197610「ただ,あたりまえの労働者として――「精薄」施設・秩父学園における職業病闘争」,『月刊労働問題』(227): 54-59 [+]
◇『全厚生秩父学園組合ニュース』 http://www.arsvi.com/m/zkcg.htm
◆福祉解体編集委員会編 19731001
『季刊福祉解体』準備号
,福祉解体編集委員会,73p. ※r e19.
■■連載に載せられなかった部分 文献は[+]
★ 「もう一人、松山善三の一九六一年と八一年
八月二七日に亡くなった松山善三は、今度の本でもいくらか出てくるが、連載でも「生の現代のために・4」「6」等幾度か言及している([2014-(4),2015-7,113][2014-(6),2015-9,115]、挙げた文献略)。松山は、聴覚障害者の夫婦を描く映画『名もなく貧しく美しく』を一九六一年に撮った人だが、同じ六一年に「日本全国の子を持つ母親たちを恐怖のどん底におとし入れた」ポリオの流行のこと、そして脳性まひの人について、取材記事を書いてもいる。恐ろしい障害のこと、けれども懸命によくなろうとする人たちを描く。そして、その二〇年後、一九八一年には『典子は、今』というサリドマイド児として生まれた女性を主役にした映画を作る。前者は、清く美しく生きる人を描く。後者は、旅行してみたり水泳してみたり、より自然に生きる姿を撮る。この年は「国際障害年」で、明るく強い障害者の姿を多くの観客が観た。この八一年、六一年にはベルギーでサリドマイドの子を親が殺し有罪となるが世論は親を支持したという事件があったこと、それをきっかけに、『婦人公論』で障害者殺しが議論され、生殺を決める審議会を作るべきだといったことを水上勉や石川達三が言ったことは、たぶん忘れられている。見せ物小屋についての言及があり、奇形のおぞましさが言われ、殺すことがそれにつなげられたことももう語られない。ただし、八一年の映画の主人公は生後すぐに肩からすぐに出ている手――六〇年代には「あざらしっ子」と呼ばれた――を手術でとってしまっていて、奇形はあまり感じさせないのでもある。こうしておどろおどろしいことは軽減されている。
第1部第2章「障害者殺しと抵抗の系譜」の2・3・5にこれらが出てくる。さて、その間に何が変わったのか、また変わらなかったのか。なぜこのことを本に記したのか。やはりもっとくどく書いたほうがよかったかもしれない。たしかに変わったことはある。社会は障害・障害者により肯定的になった、と言ってもよい。ただそれは、忘れることによって、ないことにして、そして過剰と思われるものを実際になくすることによって、欠損だけがあるものとすることによって得られている。それは、この事件を引き起した人のその行ないに抑制的に作用するだろうか。そうはならないはずだ。その人は、「そういう「普通の障害者」は問題ない、問題だと言うのは…」と言うだろう。それを私たちは受け止めることができる。」
◇磯 春樹 編 2010/09/01
『ここまで』
[+]
◇糸賀 一雄 20031220
『この子らを世の光に――近江学園二十年の願い』
,日本放送出版協会,315p. ISBN-10:4140808365 ISBN-13:978-4140808368 1900+
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※ j01. i05 [+]
◇糸賀一雄生誕100年記念事業実行委員会研究事業部会 編 20140329
『糸賀一雄生誕100年記念論文集――生きることが光になる』
,糸賀一雄生誕100年記念事業実行委員会,350p. 1,500+ ※ j01. [+]
◇岡崎 英彦 19780415
『障害児と共に三十年――施設の医師として』
,医療図書出版社,290p. ASIN: B000J7WDGS 欠品
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※ ds
◇松下 周一・高谷 清 20040620
『蒼い水脈――満蒙開拓青少年義勇軍から「中国残留孤児」支援へ』
,つむぎ出版,110p. ISBN-10: 4876681406 ISBN-13: 978-4876681402 欠品
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◇
高谷 清
19760801
『子どもの発達と障害』
,医療図書出版社,222p. ASIN: B000J86DL8 欠品
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◇
高谷 清
1983 『重症児のいのちと心――びわこ学園療育リポート』,青木書店,障害者問題双書,216p. [+]
◇
高谷 清
1983 『重症心身障害児――びわこ学園からの報告』,青木書店,障害者問題双書,220p. [+]
◇
高谷 清
19880920
『嘔吐』
,近代文芸社,200p. ISBN-10: 4896077881 ISBN-13: 978-4896077889 欠品
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◇
高谷 清
19961130
『支子――障害児と家族の生』
,労働旬報社,205p. ISBN-10: 4845104598 ISBN-13: 978-4845104598 欠品
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※ ds
◇
高谷 清
199704
『はだかのいのち――障害児のこころ、人間のこころ』,大月書店,206p. ISBN-10: 4272410954 ISBN-13: 978-4272410958
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※
◇
高谷 清
19990409
『透明な鎖――障害者虐待はなぜ起こったか』
,大月書店,236p. ISBN-10:4272360248 ISBN-13:978-4272360246 1600+
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◇
高谷 清
20020731
『埋め立て地からの叫び――ある住民運動の記録』
,技術と人間,改訂新版,初版:20010731,241p. ISBN-10: 4764501392 ISBN-13: 978-4764501393 欠品
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◇
高谷 清
20030220
『蜂が戦い椰子も働く――南ベトナム解放 ベンチェの戦線』
,文理閣,222p. ISBN-10: 4892594245 ISBN-13: 978-4892594243 1,800+
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◇
高谷 清
200308
『こころを生きる――人間の心・発達・障害』
,三学出版,222p. ISBN-10: 492113457X ISBN-13: 978-4921134570
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◇
高谷 清
20050420
『異質の光――糸賀一雄の魂と思想』
,大月書店,332p. ISBN-10: 4272360515 ISBN-13: 978-4272360512 2,200+
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◇
高谷 清
20080531
『こどもの心・おとなの眼――人間・障害・思想』
,クリエイツかもがわ,206p. ISBN-10: 4902244977 ISBN-13: 978-4902244977 1,700+
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※ ds
◇
高谷 清
20111021
『重い障害を生きるということ』
,岩波新書,208p. ISBN-10:400431335X ISBN-13:978-4004313359 700+
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※ ds
◇
高谷 清
・加藤 直樹 19750120
『障害者医療の思想』
,医療図書出版社,241p. ASIN: B000J86E2Q 欠品
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※ ds
◇
高谷 清
・武内 一・植田 章 編 1997 『障害者の健康と医療保障』,法律文化社,233p. [+]
◇
高谷 清
・田中 杉恵 1973 『日本の子どもたち――康・発達への要求』,鳩の森書房,265p. [+]
■運動についての本
■近藤 喜代太郎
「患者らの「アドボカシー(advocacy)」とは、自らの病気を理解してもらい、当局、医療界、世論などに希望を伝え、実現をめざすことである。
患者が苦境を訴え、制度を求める時代になったようだ。近年、同じ考えをもつ人々が集団で意思表示し、制度の新設・廃止などを求めることが多くなった。このような運動体には行き過ぎ、身勝手もあるが、多くの場合、激動する社会のなかで行政が硬直し、きめ細かい役割を果たせないことへの人々の告発でもあり、幅広い市民が共感を覚えている。
患者数の少ない難病などは、患者も座していては医療福祉政策が自然に増進するものでは△244 なく、行政、学界に自らの問題を知らしめ、望む成果を自ら闘いとる時代なのである。
こうした運動体には目的を達すれば解散する「期成同盟」もあるが、多くの問題を抱える難治性の病気などでは恒常的な患者団体がつくられる。一般に病気ごとに国内の患者団体ができ、国際的にも同じ病気の団体が国際組織をつくる例がある。
患者団体の目的・意義は病気によって異なる点もあるが、@患者・家族の親睦、情報交換、慰め合い、A官公庁への制度要求、研究費の増額などの要求、B医療界への研究の振興、専門的医療の充実などの要求、C集会の主催、会誌の発行などの広報活動、などがあり、必要に応じてデモ行進、街頭募金、ビラ配りなども行われている。/外国だけでなく、日本にも成功例がある。「日本筋ジストロフィー協会」は、一九五〇(昭和二五)年代に「進行性筋萎縮症児親の会」として発足し、空床がめだつ結核病棟をどう転用するかを考えていた当時の厚生省に、筋ジス病棟を全国展開させた。また、その時点の総理大臣への直訴によって国立精神・神経センター創立の原動力となり、多くの筋ジス関係の研究班に巨額の国費が投じられる圧力となっている。
最近の顕著な例にがん患者の運動がある。自身、がんを患う医師、議員が主体となって日本のがん患者のおかれた苦境を訴え、マスコミのカも借りて「がん対策基本法」という立法をかちとった。△245」(近藤[2007]◎)
◇近藤 喜代太郎 20071205
『医療が悲鳴をあげている――あなたの命はどうなるか』
,西村書店,246p. ISBN-10: 4890136150 ISBN-13: 978-4890136155 952+
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※
■重心
「療育」「医療機関である国立療養所に重症心身障害児の委託ベッドがおかれて、今までにはなかったいわゆる療育という問題が起ってきた。つまり医療のみでなく生活指導、訓練などを行わなければならないことになったのである。人間の発達には、肉体的にも精神的にも年齢による限界があり、障害児であればことに早期に教育と訓練をしなければ効果をあげ得ないものである。しかるに現在入所しているものは決して低年齢のみではなく、かつ年々加齢して行くのである。ここに生活指導が効果をあげ得ない一つの理由がある。また比較的年長になって、拘縮が高度になってしまったものについては理学療法による治療は困難であり、脳性麻痺にたいする適確な薬物治療もないのであるが、現在入所しているものにはこうした例が多いのである。
□現在の入所基準は昭和四一年五月に出されたものであり、それ以前のものは廃止になった。そうして「障害の程度、家庭の状況等を勘案して児童相談所において入所を必要と判定した重症心身障害児(者)であること」となっているが、児童相談所においての判定の基準として、昭和三八年七月の通達がまだ残っている現状である。こうした理由から、現在の重障児施設にはいわば掃きだめの様にいろいろの種類と程度の障害児が△259 収容されている状態である。定義どうりの重症心身障害児の中には、教育訓練による発達効果を期待できないものもあるが、現在の様に障害の種類も障害程度もいろいろである、いわゆる重症心身障害児を収容している状況下においては、生活指導教育、訓練というものがかなり大きな役割を持つことになる。一方国立療養所重症心身障害児病棟における指導、訓練関係の職員構成は次のとおりである。[…] □この人数では、すべての入所している障害児にたいして充分な療育はでき難いといえよう。四三年の施設長会議における指示事頂には「障害児の生活指導は障害児に接触する全職員がこれに関係するのが当然であるが、特に児童指導員、保母、心理判定員、ケースワーカーがこの任にあたることになる」と述べられているが、現状では実効をあげるには甚だ困難である。重症心身障害児施設が、単なる救護的のものでなく、収容された障害児の心身を発達させて行くようなものでなければならず、改善すべき点が多いというべきである。」
■研究
★□▼1)西多賀病院の場合
▼2) 長良病院の場合
「重心病棟看護要員傾斜配置に関して」という題で長良病院長古田富久より原稿◎が寄せられた。以下原文のまま引用する。
「長良病院が重心児収容を開始したのは昭和四二年二月であり、昭和四八年一月に一二〇床がほぽ満床になった。その間、次の諸点が問題として浮び上って来た。/1)当初比較的重症児が入院したが、入院後の療育により軽症化した。△261/(2)最近の入院児は当初より一般に軽症化した。
(3)以上がいわゆる「動く重障児」問題として新たな対策の必要性を生じた。/(4)保護者より教育(学籍を含む)の要望が出されて来た。/(5)これらのことは児童福祉法が目的としている治療、日常生活の指導のうち、後者を大幅に必要とする患児の増加を意味する。/(6)今後、法が規定する目的を達するためには、動く重障児に適応し二病棟運営を行い、日常生活指導を重点として管理する必要が生じた。
□○研究病棟運営の構想
□看護単位を二箇病棟合せ一単位とする。内一箇病棟を研究挽●病棟として看護婦二〜三名を配置し、それ以外は指導員、保母、看護助手(保母有資格者)とし、指導、保育面を充実させる。研究病棟については保母、看護助手も夜勤を行い、看護婦は同一単位病棟より巡回を行う。[…]結論/病棟内にての以上のような実験的運営は、それなりの努力と成果が認められたが、病棟という医療法上の制約の下では、最初予想さえできなかった変化を示す重心児に対応不能になって来たのと、重心児対策は施設収容が唯一の方法ではなく、在宅下に地域社会全体が取り組んでゆくのでなければ、一病院の運営上の努力だけではどうにもならない時点に来ていることが痛感され、今後は在宅間題との関連で病棟連営がなされるべきと思う。」
(保坂・阿部[1976]◎)
■施設について
□「島田療育園」他
◎明神 もと子 20150120
『どんなに障害が重くとも――1960年代・島田療育園の挑戦』
,大月書店,261p. ISBN-10: 4272360833 ISBN-13: 978-4272360833 1,800+
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[kinokuniya]
※ [+]
◇石田 圭二 19820925 「重度障害者は意志なき人間か――島田療育園その後」,
『福祉労働』16
:103-109 [+]
◇―――― 2016/04/29
『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』
,
Kyoto Books
327.4kb \700 →
Gumroad
[+]
◇―――― 2015/06/03
「再刊にあたって 解説」
,
横田[2015]
→
立岩編[2016]
[118][+]
@
花田は施設を作ることには賛成だとしつつ、近くに小さいものをたくさん作った方がよいこと、医療設備・機器に金をかけることはないこと、芸能人など「素人」の意見が通ってしまうことへの疑義、国立への移管によって二重に退職金が発生することへの疑問、等。ただこの時期、それが目立つことはなかった。さらにそれ以前、水上勉の「拝啓」に対しても批判を行なっている。そしてその批判が向けられたのは、「拝啓」を書いたのと同じ水上勉他の座談会(……小林提樹も出席している)で障害児の生殺を政府が決めるのがよいといった主張をしていることに対してもなされる……。ことはまた後で紹介する。それはこの頃には既定の物語となっていた。この人たちは同時に……を言ったのでもあった。矛盾はしない。小林提樹は反対するが――後に問題にされる――については、…。(さらに加えれば、七〇年代の「阻止する会」の呼びかけ人ではあった。ここには松田・……が入っている。)微妙な問題であるからだとは言えよう。
横塚の七〇年の文章にも「ある福祉関係者は、「数年前ドイツでおきたサリドマイド児殺しにつき某女子大生にアンケートを求めたところ、殆んどが殺しても仕方がない。罪ではないというように答えた」と語っていた。また「犬や猫を殺しても罪にならない、だから今度の場合も果して罪と言えるのかどうか」と言った人もある。」【80】という箇所がある。そうして、変わらないものは変わらない中で、批判を始める。座談会の時からでも八年しかたっていない。 六〇年代前半にも、横田らも関わっていた脳性まひ者の文芸同人誌『しののめ』、その中心にいた花田春兆〈しゅんちょう〉らが安楽死の問題を取り上げたり、その座談会での発言を批判したり、問題にしてはいる。それがまず横塚らの下地にはある。ただ花田も基本的には憤っているのではあるが、韜晦〈とうかい〉というか、バランスのとれた言い方でものを言っている。それが変わった。」(立岩[])
□「全厚生秩父学園」について全厚生秩父学園支部有志[197609]◎、全厚生秩父学園支部[197610]◎、『全厚生秩父学園組合ニュース』◎
□「整肢療護園」
「横塚は整肢療護園――東京にあったそれも以後各地に設置されるようになる整肢療護園の最初のものであったはずだ――に入所していたその時に、小学校六年に編入され、児童福祉法の適用切れによって療護園退園と同時に中学校二年で退学している。この期間、横塚が自治会の長など務めたことを矢田龍二(→註▼)が記していることは立岩[2015c]◎でも紹介した。横塚の父は千葉県の教育行政の「上」の方にいた人だという。全国にいくつかしか施設がなかった頃の状況にはそんなところがあったのかもしれない。
ちなみに横塚はその後、五五年四月国立身体障害センター(現在は国立障害者リハビリテーションセンター)――ここも国立の身体障害者更生指導所として四九年、日本で最初に開設されたセンターだった――に入所(五六年三月退所)している。時期的にはこの後になるが、このセンターでは和田博夫・田中豊らがポリオや脳性麻痺の人たち他に行なっていた手術がセンターの方針で打ち切られそうになると入所者らが抗議行動を起こし、センターと長期に渡って対立することになった。この闘争・事件についてはそこに入所しこの闘争にいっとき関わった二日市安の記述がある。その著書に二日市[1979]◎[1982]◎[1995]◎。彼も「しののめ」の同人であり、またのちには「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」や「障害児を普通学校へ全国連絡会」の中心的な存在の一人だった。この闘争についての一次資料を用いた歴史研究として鈴木雅子[2012]◎がある。」
◇荒井 裕樹・立岩 真也・臼井 正樹 2016/12/20
「横田弘 その思想と障害を巡って」
,『ヒューマンサービス研究』6:22-53,,(神奈川県立保健福祉大学) [+]
「また、松山善三っていう映画監督がいます。高峰秀子が妻だったんですけれども、彼女も関わって1981年に『典子は、今』っていう映画を撮っています。皆さん知っていますか。サリドマイドで生まれた熊本の人が旅に出るみたいな内容です。ノンフィクションではないんだけれども、サリドマイドの本人が出ている映画で、当時、皇太子殿下も見に行ったという、何百万人を動員したっていう映画です。この松山善三が61年に「小児マヒと闘う人々」(松山[1961]、立岩編[2015]に再録)で書いている話っていうのは、やっぱり小児マヒがいかに悲惨であって、ポリオがいかに悲惨であって、それからCPはもっと悲惨であって、それをいかに医療者たちが、一生懸命治そうと努力しているか、その涙ぐましい姿を見よ、みたいな、そういう話なんです。そういう話がこの中であって、なおかつ、それから8年という短い時間の間に、1970年っていう時が訪れる。これは一体なんだろかっていうことです。
しかも、話はもっと複雑でもあるかもしれず、これもさっき荒井さんと雑談したんだけれども、たとえば横塚晃一は、整肢療護園っていう、日本でいえばリハビリテーションっていうか、医療的リハビリテーションっていったらいいんですか、そういったものの先駆みたいなところに入っていた人間でもあって、そこの自治会の会長なんかしたのかな、そういった人間でもある。脳性マヒを治すってことに一生懸命で、少なくともその時期一番先駆的であったところに、少なくとも彼は何年かいたりしたわけです。
そうすると、障害を治すというようなこと、あるいは、障害を否定するとか肯定するっていうのは一体どういうことなのかということを、我々は否応なく考えざるを得ないことにもなるわけです。しかし、否応なく考えるためには、そういった非常に素朴な否定といったものがあった時期、そしてそれが、そのまま通った時期、そしてそれが、7年、8年と経った時期に、一転してそれに対する強力なカウンターが出ている。そのとき、それから、その後ですね、72〜73年と、その後になります。たった10年でも15年でもいいわけですけど、その間に何が起こったのかっていうことを、やはり我々は拾い上げて、そしてそれをもとにして考えていくということが必要だろう。横田さんなら、横田さんっていう人もそういうところにいた。」
□「国立身体障害センター」(現在は国立障害者リハビリテーションセンター)
「ちなみに横塚はその後、五五年四月国立身体障害センター(現在は国立障害者リハビリテーションセンター)――ここも国立の身体障害者更生指導所として四九年、日本で最初に開設されたセンターだった――に入所(五六年三月退所)している。時期的にはこの後になるが、このセンターでは和田博夫・田中豊らがポリオや脳性麻痺の人たち他に行なっていた手術がセンターの方針で打ち切られそうになると入所者らが抗議行動を起こし、センターと長期に渡って対立することになった。この闘争・事件についてはそこに入所しこの闘争にいっとき関わった二日市安の記述がある。その著書に二日市[1979]◎[1982]◎[1995]◎。彼も「しののめ」の同人であり、またのちには「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」(cf.二日市[19790625])や「障害児を普通学校へ全国連絡会」の中心的な存在の一人だった。この闘争についての一次資料を用いた歴史研究として鈴木雅子[2012]◎(cf.鈴木[2003]◎)がある。」
◇
二日市 安
(1929〜2008)
◇
二日市 安
19790625 「戦後障害者運動史への試み――障害連を中心として」,
『季刊福祉労働』
03:021-033 ※COPY
◇―――― 19791110 『私的障害者運動史』,たつまつ社,たいまつ新書61,191p. 680 [絶版]※ b d **
◇―――― 19820620
『逆光の中の障害者たち――古代史から現代文学まで』
,千書房,270p. \1480 ※ ds
◇―――― 19951125 『障害者』,現代書館,FOR BIGINNERS,174p. 絵:貝原 浩 1200+円 ※ d **
◇鈴木 雅子 2003 「高度経済成長期における脳性マヒ者運動の展開」,『歴史学研究』2003-08 [+]
◇―――― 2012 「1960年代の重度身体障害者運動――国立身体障害センター・医療問題闘争を事例に」,『歴史学研究』899(2012-2):18-34,41 [+]
□「身体障害者療護施設」
◇岡田 英己子 200203 「戦後東京の重度障害者政策と障害者権利運動に見る女性の役割(1)――身体障害者療護施設の設立経緯を通して」,『東京都立大学人文学報』329:1-46 [+]
□国立精神療養所
★ 精神について『造反有理』。国の施設としては、武蔵療養所――武蔵病院における「生活療法」について立岩[]――が(都立の松沢病院とともに)大きな位置を占めるが、全体としては私的病院が多い状態には変化はなかった。国立の精神病院を増やす計画はあったが、それは実現しない。国立療養所としてはじめからあったのは武蔵、下総、肥前の三つ。琉球精神病院が「本土復帰」にともなって(移管)され、四つになる[183]。[183]に年次推移がある。
そして一九六一年に始まる。六一年:榊原、六三年:小諸、六七年:松籟荘、七四年:南花巻、犀潟、東尾張、鳥取([184])…七。([184])そうして七五年一月現在十一とされる([184])。この時点で決定しているもの:十勝、久里浜、北陸、加茂の四つ残っている。一五ということになる。また別の箇所では、国立精神療養所は三施設だったが、…国立結核療養所の精神療養所への転換が始まる。この段階で決定したが実施されていない菊池病院を含め一六施設になった(国立療養所史研究会編[509])。菊池病院を引けば十五ということになる。
松籟荘は奈良県立結核療養所松籟荘として一九四〇年に開設、国民医療法により四三年に日本医療団に移管、四七年四月厚生省に移管、国立療養所松籟荘と改称。 松籟荘長 浜義雄
□「患者収容の状況は、昭和三四年四月より昭和三八年三月末までの結核患者延数は一七三〇五八名となり、一日平均患者数一一五名、定床に対する利用率は八七%の実績を挙げていたが、医学の進歩と、結核対策の推移により、入院治療を要する結核患者の減少が明かとなり、国立結核療養所の再編成の方策に沿って精神療養所として存続することになり、昭和三九年度に精神転換の方針を決定した。将来計画三〇〇床の近畿でただ一つの国立精神療養所として昭和四〇年度より整備に着工、完成した鉄筋二階建病棟一〇〇床に昭和四一年三月より精神患者の収容を開始した。」(◇)
◇浜義雄[1976]◎ 「国立療養所松籟荘」、岩田真朔[1976]◎ 「松籟荘の精神療養所への転換の経緯」、『国立療養所史(総括編)』。
◇本澤二郎[2002]◎『霞が関の犯罪――「お上社会」腐食の構造』,リベルタ出版
★01 『鉄格子の中から――精神医療はこれでいいのか』(友の会編[1974]○)。
■難病
難病対策においてもそんなところがある。「難病」対策はスモン――キノホルムの使用を認めてきたことについて政府が責任を認めるといったことは結局なかった――への対応として始まった部分がある。
国の難病対策は、治療法あるいはその手前の原因がまだわかっていないものについて研究費を出すというものだった。それは、いったん財務省が呑めばむのであれば、厚生省(当時)の方で決められる予算であるということもある。そうして始まった。すると、様々な病気の人たちがその中に入れてもらおうとして、陳情・要求をすることになる。引用したのはそうした要求に関わる答弁であり、その答弁は、全体としてしどろもどろなのだが、そう簡単に入れたくないということは伝わってくる。そしてそれは、制度の整合性を求める行政の側としては当然のことでもあった。医療費について特別扱いすることを認めるということなのだが、そもそもそれに理由。これはこれで重要な主題であり、検討されるべきことである。だだ今回は後に回す。
そして難病制度が始まる。それらの多くは希少なものであって、なかなか困難なことだった。それを始めさせるきっかけになったのがスモンだった、
■国立コロニー福祉労働問題研究会[1980])。「七六年一一月一九日に国立コロニー労働組合が、コロニー当局の一時金減額攻撃に対抗して行なったストライキが、刑法二三四条の威力業務妨害に該当するかが争われている裁判」(表紙裏)
「こうした劣悪な労働条件を「聖職」「奉仕の精神」という名のもとに強いられてきたコロニー労働者は、攻撃に端を発し、七四年七月二八日に国立コロニー労働組合を結成した。」(p.26)そして治療訓練ボイコット闘争(p.)
出たいが出れらないという具体的なできごと。さしあたりそれを現場あるいは中間的な…においた。どこまで「社会」という言い方が使えるである。このような言い方が、そして運動そのものも、扱いに困った要因にはなったのだろうと考える。
「『障害者』の圧倒的多数は、新左翼運動はおろか、政治からも、教育からもあらゆる情報からさえ遮断されて、家の片隅や施設に隔離されていることはすでに何度も確認されてきたはずです。にもかかわらず、このことの持つ重さについて、中核派をはじめとするほとんどの新左翼党派も、そして私たちすらも正しく把握しきれてはいませんでした。そして、それがゆえに『「障害者」のペース』という言葉の意味を理解しきれず、『障害者』解放運動の独自の発展を無視したり、妨げたりしてきたのです。」
「私たちは、いついかなる闘いにおいても、まず何よりも『障害者』大衆と共に闘い、互いの発展をかちとり得るような闘いをするべきだと考えています。したがってそこでは、当然『障害者』固有の闘い方や、ペースが要求されるでしょうし、言葉一つにしても常に点検されねばならないのは当然といえるでしょう。」
「彼らがこうした『障害者』との日常的な関係作りを軽視して、政治課題を最優先させるといった方針は断じて認めるわけにはいかなかったし、現在もなお認めるわけにはいかないのです。彼らは私たちに対し『政治闘争と大衆闘争を対立させる』と批判していますが、むしろその批判は彼らにこそピッタリと当てはまるといえるでしょう」
「レーニンは、その著『共産主義における左翼小児病』や『何をなすべきか』において党が大衆運動を抱え込んだり、教条主義を持ち込んだりすることを厳しくいましめています。自らレーニン主義者たることを自称する中核派は、自分たちに都合のよいところしか目に入らないようです。72年5月以後の中核派の私たちに対する対応は、まさにセクト主義そのものに他なりません。先にも述べたように、関西『障害者』解放委員会の大衆組織としての確認を無視してひたすら中核派に従属することを迫り、それが通らぬと知るや自分たちの地位を利用して何人かを抱え込んで、さっさとわが組織から逃亡して、私たちと同じ名前を名乗る。これがかりにも『前衛党』と自称する者のなすべき対応でしょうか。さらに、自ら情報を得ることを奪われてきた『障害者』に対し基礎的学習すら保障せずに自分たちの路線のみを一方的に教え込んだり、『施設で園生をいじめる職員は革マルのようなものだ、だから革マルセン滅だ」などと提起するに至っては利用主義そのものであり、差別的対応といわざるをえません」(52ページから53ページ)(◎)
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◇立岩 真也 2018
『病者障害者の戦後――生政治史点描』
,青土社
UP:2018 REV:.. 20180508, 09, 26, 0611
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病者障害者運動史研究
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立岩 真也
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