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Frank, Arthur W.

アーサー・フランク
[English]
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last update: 20150801


■現職

Professor, University of Calgary

■立命館大学での講演など

◆20110828 国際シンポジウム「病の経験と語り:分析手法としてのナラティブアプローチの可能性」
 於:立命館大学

◆200806 アーサー・W.フランク氏の集中講義・公開企画
 於:立命館大学

■著作

◆Frank, Arthur W 1991 At the Will of the Body: Reflections on Illness, Boston: Houghton Mifflin Company. ISBN-10: 0618219293 ISBN-13: 978-0618219292 [amazon] ※=19960520 井上 哲彰 訳,『からだの知恵に聴く――人間尊重の医療を求めて』,日本教文社,ISBN-10: 453108098X ISBN-13: 978-4531080984 1631 [amazon] ※ sm.,
◆Frank, Arthur W 1993 “The Rhetoric of Self-Change: Illness Experience as Narrative," The Sociological Quarterly, 34: 39-52. ISSN: 00380253
◆Frank, Arthur W 1995 The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, Chicago: The University of Chicago Press. ISBN-10: 0226259935 ISBN-13: 978-0226259932 [amazon] ※=20020215 鈴木 智之訳,『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』,ゆみる出版,ISBN-10: 4946509291 ISBN-13: 978-4946509292 2940 [amazon] ※ sm.
◆Frank, Arthur W 1997 "Enacting Illness Stories: When, What, and Why," H Nelson ed., Stories and Their Limits: Narrative Approaches to Bioethics, 31-49, New York: Routledge. ISBN-10: 041591910X ISBN-13: 978-0415919104 [amazon]
◆Frank, Arthur W 1997 "Illness as Moral Occasion: Restoring Agency to Ill People," Health, 1: 131-48.
◆Frank, Arthur W 1998 "Just Listening: Narrative and Deep Illness," Families, Systems & Health, 16: 197-212. ISSN: 07361718
◆Frank, Arthur W 1998 "Stories of Sickness as Care of the Self," Health, 2: 329-48.
◆Frank, Arthur W 1998 "Bodies, Sex, and Death,” Theory, Culture & Society, 15: 417-25. ISSN: 02632764
◆Frank, Arthur W 2000 "Illness and Autobiographical Work: Dialogue as Narrative Destabilization," Qualitative Sociology, 23(1). ISSN: 01620436
◆Frank, Arthur W 2004 "Emily Scars: Surgical Shapings, Technoluxe, and Bioethics," The Hastings Center Report, 34(2): 18-29. ISSN: 00930334
◆Frank, Arthur W 2004 "Asking the Right Question about Pain: Narrative and Phronesis," Literature and Medicine, 23(2): 209-25.ISSN: 02789671
◆Frank, Arthur W 2004 The Renewal of Generosity: Illness, Medicine, and How to Live, Chicago:The University of Chicago Press. ISBN-10: 0226260178 ISBN-13: 978-0226260174 [amazon] ※

■言及


◆土肥豊, 19920520, 「解説 社会学的創造力――N・K・デンジンの「解釈的相互作用論」について」Denzin, Norman K, 1989, Interpretive Interactionism, Newbury Park: Sage. (=19920520,関西現象学的社会学研究会編訳『エピファニーの社会学――解釈的相互作用論の核心』,マグロウヒル出版:235-250.
(p246)
 本書での最大の意義でもある、デンジンの独創性は、フランクも述べているように、J・ジョイスから引用した「エピファニー」〔劇的な感知〕という用語の使用にある。エピファニーには様々なタイプがあるが、各々は調査対象者の人生が変化したときに思い出す瞬間であり、人生においてきわめて重要な転換の契機をなすものである。「日常的実践」へのミクロ社会学的先入観に反対して、デンジンは人生におけるある瞬間が他の瞬間よりより重要であり、社会学研究で特権を与えられるべきことを主張している。そして本書は、エスノグラファーにエピファニーをどのように認識し、調査対象者の人生の中でそれをどのように文脈化するかを教え、それを生きられるより大きな社会構造に結び付けるのである(Frank,1991,p.97)。
(p247)
 フランクによれば、「形而上学としての存在とリアリティとしての存在との間の緊張が『解釈的個人誌』の核心」(Frank,1991,p.95)であり、デンジンは、社会学が虚構的書き物(Denzin,1989b,p.82 本書、第七章参照)であることと、「解釈の目標は研究している現象の真実で本物の理解を構築することである」(本書、第六章参照)こととを主張して、「真実と本物は、虚構が十分に認められるときにのみ、出現しうる」(Frank,1991,p.96;cf.Denzin,1989b,p.83)としている。しかし、「デンジンは科学的権威(authoriry)の含意を拒絶しているけれども、その文体(style)の多くを保持している」(Frank,1991,p.99)として、「著者−性」(author-ity)というポストモダニズムにおける文体を、フランクは問題にしている。
 それはともかくとして、デンジンにとって重要なことは、フランクもいうように、必ずしもポストモダニズムそのものではなく、人びとの人生の証拠過程としての社会学への関与にあるとも思われる。このことはなにも独創的なことではないが、デンジンはそれを純真なヒューマニズム以上なものにしている。デンジンは、ポストモダン期において、人生は自分自身で生きられるだけでなく、記号、テクスト、イデオロギー、シミュレーションそのものとしても生きられることを認識している。経験のテクストは、同時に相互テクスト的ブリコラージュであり、ユニークな具現化された情動である。エピファニーは、テクスト的装置であり、そのテクストの外にある存在の瞬間でもある。脱構築的ポストモダニズムを取り上げることによってのみ、私たちはその最終的な袋小路に到達できるのである。この袋小路は、私たちが「いかに」、「なぜ」ポストモダンの世界に生きているのかを社会学者が発見するとき、「社会学のエピファニー」なのである(Frank,1991,p.99)。
 このことは、ミルズのいう「社会学的想像力」の新たな復権を喚起してもいるのである。「社会学的想像力」が「社会学的創造力」になるかどうかは、読み手にも任されているのである。

Frank, A.W., 1991. "Postmodern Sociology/Postmodern Review", 14(1): 93-100.


◆Barnes, Colin ; Mercer, Geoffrey ; Shakespeare, Tom 1999 Exploring Disability : A Sociological Introduction, Polity Press=20040331 杉野 昭博・松波 めぐみ・山下 幸子 訳,『ディスアビリティ・スタディーズ――イギリス障害学概論』,明石書店.
「第3章 慢性病と障害への社会学的アプローチ」
(pp.x-x)
 別の医療社会学の潮流としては、患者の経験の主観性をより現象学的に強調しようとする動きがある(G. Williams, 1996)。この動きは、自己の再構成や、語りを通したアイデンティティの折衝・再折衝に関心を向けている(Sacks, 1984; Charmaz, 1987; Mathieson & Stam, 1995)。これらの研究の特徴は、個人の経験に大きな関心を寄せていることだ。自己の身体とは通常は意識にのぼらず、自明のものだとすれば、発病したりインペアメントをもったりすることは、そうした意識を全面的に変えることになる。これらの研究は、人がどのようにして“何か具合が悪い”と気づくようになるのか、そして何が起こっているかを徐々に察するうちに、いかにして“自分の身体を意識する”ようになるのかについて、かなり詳細に調査している。特に、自分自身が癌や神経難病や心臓発作に見舞われたことがある人々が自らの経験を深く探索しようとした現象学的な分析には、見るべきものがある(Murphy, 1987; Frank, 1991)。
 しかしながら、現実世界から距離をとるようなこの種のアプローチこそが、ディスアビリティ理論家からの強い批判を引き起こしてきた。こうしたアプローチは自己耽溺的で、かつ“悲劇的”な障害者のステレオタイプを補強するものとして退けられた。このディスアビリティ理論家による批判は、数多くの社会学者に不安を抱かせてしまうものだった。あまりに自明のことであるが、医療社会学者とディスアビリティ理論家との間で建設的な対話をするためには、環境とインペアメントの関係をさらに深く探索することに焦点づける必要があるだろう。現在のところ両者の間には、アプローチの仕方において明快な相違点がある。

Frank, A. W. (1990) 'Bringing Bodies Back In: A Decade Review', Theory, Culture and Society, 7, 131-62.


◆江口重幸, 20000730, 「病いの語りと人生の変容――「慢性分裂病」への臨床民族誌的アプローチ」,やまだようこ編『人生を物語る――生成のライフストーリー』,ミネルヴァ書房:39-75.
(p51)
 精神病的な経験は、いくつかの重要な意味で物語化されにくい。それは発病とされる体験が強烈であり、それまでの連続した経験と断絶し、時にはそれまでの経験の意味を丸ごと変えてしまう力をもつからである。それはしばしば長期化し、当事者をそれまで導いた「目的地と地図」(Frank, 1995)自体を大幅に変化させてしまう。さらにそれに輸をかけるように、内海健(1999)が「易刻印性」という言葉で適切に指摘したように、治療者側の関与した痕跡がその症状に刻み込まれている場合もまれではない。病いの経験はその後も複雑に変化し、どこまでが疾患でどこまでが当人の生き方なのか分からない独特な「人生の軌跡(life trajectory)」(Stratss, 1989)のなかに織り込まれてしまう。しかもそうした経験はたえずありありと現前し、過去のものとして固定されにくい。したがって、こうした経験の多くがあとさきのあるリニアな語りに収まらず、特定の場面や環境、その時の情動、さらには聴き手にしたがって、まったく異なったものとして語られることになる。
(pp61-62)
 晩年の漱石のこうした人生への感慨は、暫壕戦に喩え、自らも抱えた慢性の病いへの見方とほとんど重なっているようにみえる。それは、完全には癒えることのない病いが反映して独特な陰影を帯びた人生への見解ともとれるし、あるいは逆に、そうした人生への見方が自らの病いへの姿勢にも投影されているようにも解釈される。漱石の作品の基底に流れるこうした視線は、じつは社会学者のアーサー・フランク(Frank, A.)が「寛解社会(remission society)」や「患うことの教育学(pedagogy of suffering)」という独特な用語で伝えようとしたポストモダンの疾病観を、はるか以前にたどったものと言える。
 フランクは、患う者自身が自らの声で物語り、それに立会い、証人になることが「患うことの教育学」の基礎になり、それが「物語的倫理(narrative ethics)」を形成すると述べている。私たちは誰しも早晩病いを抱えることになる。それがたえず生命に脅威となる場合も、そうでない場合もある。往々にして、そうした病いの多くは、一旦は改善しても、治癒や完治にはいたらず―つまりは慢性的で遷延化した過程をたどり―私たちの生活の一部として生きられる経験になる。通常は隠されているが、その地点から振り返って見える光景は、通常「健康者」の日常感覚を中心に提供されるものとはまったく異なる新たな疾病観や死生観であり経験なのである。
(pp63-64)
 慢性疾患を抱えた者の物語は、多様な個別性を示す一方で、いくつかのプロツトをたどり、ジャンルを形成することも報告されている。それは、ウィリアムズ(Winiams, 1984)の例示する関節リウマチ事例のように、@ 医療や社会制度の批判へ結びつけて語るものと、A ストレスによるものとして自己の社会心理学的解釈へ向かうもの、そして B 宗教的、超越論的立場から病いを一種の恩寵とする肯定的な語りの3つに代表される。
 フランクはこれとは別に、慢性の病いの語りが、「再建の語り」、「混沌の語り」、「探究の語り」の3つに結びつくことを示している(Frank 1995)。
 一方、先に紹介したマッティングリーは、今日、物語の形式を取ることがどうして病いの経験にアプローチするのに特別に相応しいのかと自問している。語りは、@ 出来事中心であること、A 経験を中心にすること、B 過去の経験を単に指し示すだけでなく、聴き手のために経験を作り出し、それらを実現化する行為であることの三点を挙げている(Mattingly, 1998)。この三番目のものはとりわけ重要な部分であろう。
 病いの語りは、唯一の真実のストーリーを追い求めることではない。デンジンが「pentimento」(Denzin, 1989)という、絵画用語で説明したように、ライフストーリーは日々新たに更新されていて、ある日そこから以前とはまったく違う新たな絵柄が浮き出して見えることを可能にさせる。人生を描くとはそういうことなのだとデンジンは述べる。

 Frank, A.: The Wounded Storyteller: Body, illness, and ethics. The University of Chicago Press, Chicago (1995)

◆楠永敏惠・山崎喜比古, 2002, 「慢性の病いが個人誌に与える影響――病いの経験に関する文献的検討から」『保健医療社会学論集』13(1):1-11.
(p7)
 人生を解釈し、自己と社会との亀裂(rupture)を修復する語り(語りによる再構成《narrative reconstruction》)があることを説いたのはWilliamsである。特に、「病いの原因の語り」には、本人にとって重要な、自己と社会との接点が描かれるとされ、語りの場では新たな解釈が生まれ個人誌がまとめられていくのである。語りによる「個人誌の再構成」については他にも示されており、特にFrankは、病む人が病いを語るときには、自らの新たなあり方の追求について語る「探求の語り(quest narrative)」があるとしている。しかし、病いの語りのすべてが「個人誌の再構成」につながるのではない。苦しみが大きく語ることもままならない「混沌の語り(chaos narrative)」や、回復の見込める一過性のものとして病いを語る「回復の語り(restitution narrative)」も存在するのである。

Frank A W : Illness as moral occasion: restoring agency to ill people.Health,1,131-148,1997.
Frank A W : The wounded storyteller: body,illness,and ethics.University of Chicago Press,Chicago,1995.(鈴木智之(訳):傷ついた物語の認り手:身体・病い・倫理.ゆみる出版,東京,2002.)

◆田垣正晋, 2003, 「身体障害者の障害の意味に関するライフストーリー研究の現状と今後の方向性」《人間性心理学研究》21(2):198-208.
(pp.x-x)
ライフストーリー研究では、障害者が問題を劇的に克服するというより、日々の平凡な活動のなかで、新しく生じる問題を継続的に解決するプロセスを見ようとする(Williams,1993)。なぜなら、多くの人々は、改善はしたものの完治してはいない病気や障害を抱えており、そのような経験が重要だからである(Frank,1995)。つまり問題を、障害を持って生きる経験の一つとして捕らえることが必要ということである。
(pp.x-x)
 その一方で、先述したように、人は限られた社会文化的文脈の中で生きているので、ストーリーの構成能力を過度に強調することはできない。そもそも人間の経験には混沌とした部分が必ずあり、すべての経験を語りつくせるわけではない(Frank,1995)。あるストーリー、例えば、障害の肯定的側面を最大化して、否定的側面を最小化するストーリーを理想化することは、障害者の経験の一部に注目しているにすぎない。それ故その理想化は、当該のストーリーを語れない障害者が自己を否定的に評価することにつながりかねない。
(pp.x-x)
 そもそも、人は病いの経験を語ることによって、他者と関係性を作るものの、同時にその経験の個別性を受容する(Frank、1995)ので、当事者コミュニティといえども、メンバー間の全面的なわかちあいを想定できない。むしろ当事者コミュニティのストーリーを受け止めながら、同時に自らの経験を差異化していっている。例えば中途障害者が、受障当初は「障害者」を同質的に見なしていたものの、当事者コミュニティにおいて、さまざまな障害者と接することによって、受障時期や程度という指標に注目しながら、自分の「障害者」の中での位置を同定しているとの報告もある(田垣、2001)。このため、ライフストーリー研究はコミュニティの雛形のストーリーを強調することを慎まねばならないのである。


進藤 雄三, 20040331, 「医療と「個人化」」『社会学評論』54(4):401-412.
(p408)
 80年代以降の「経済化」の時代は、こうした個人「責任」に「経済的コスト」という負荷を加えた。象徴的ないい方をすれば、「健康」であるということが、個人の欲求・願望という「私的」問題から「公的」「責務」の問題に転化したということもできる。「生活習慣」と「病気」が結び付けられる(「生活習慣病」)予防医学的視点において、予測しうるリスクを合理的に計測・回避しなかった「責任」が問われるという意味において、本人の「責任」を免除したかつての「病人役割」(sick role)に代えて、現代社会は「健康人役割」(health role)を制度化しつつあるというフランクの観察(Frank 1991=1995)は、こうした動向を的確に指摘したものであるといいうるだろう。

Frank,A,W.,1991"From Sick Role to Health Role:Deconstructing of Parsons,"R.Robertson and B.S.Turner eds.,Talcott Parsons:Theorist of Modernity,London:Sage,205-216.(=1995,中久郎・清野正義・進藤雄三訳「病人役割から健康人役割へ」『近代性の理論――パーソンズの射程』恒星社厚生閣,272-89.)


◆野口裕二, 20050125, 『ナラティヴの臨床社会学』,勁草書房.
(p216)
 フランク(Frank,1995)は次のように述べる。「問題は、病む人が回復の過程を見いだしえないとき、あるいは回復の物語しか語れない者が、もはや健康を取り戻しえない誰かに出会うときに発生するのである」。こうして、「回復」という結末を欠いた物語の新しい形式が生まれる。フランクは、「病いの語り」を三つに分類する。「回復の語り」(restitution narrative)、「混沌の語り」(chaosnarrative)、そして、「探求の語り」(quest narrative)である。このうち、「回復の語り」はプラマーの説明にも含まれていたもので、文字通り「モダニストの物語」に位置づけられる。これに対し、「混沌の語り」は「決して快癒することのない生命の像を描き出す」ものであり、「探求の語り」は「病いに真っ向から立ち向かい、病いを受け入れ、病いを利用しようとする」もので、いずれも「回復」という結末を欠いており、「モダニストの物語」に収まらない形式をもつものといえる。
 さらに、「モダニストの物語」の枠に収まらないだけでなく、「モダニストの物語」を批判し相対化するようなナラティヴも生まれている。ナラティヴ・セラピーの世界である。ガーゲンら(Gergen & Kaye,1992)は次のように述べる。「まず、病理と治療を客観的事実とみなすモダニストの物話が捨て去られ、ひとつの文化的神話として捉え直される。そして、治療者が病因と治療について卓越した知識をもった科学的権威であるという見方に疑問が投げかけられ、その安定した地位は足もとから掘り崩される」。
 専門家の物語(=モダニストの物語)の押し付けが、患者やクライエントの物語の自由な展開を制約しており、結果として患者の変化を阻害している。それゆえ、ナラティヴ・セラピーは、専門家の側がこれまで当然の前提としてきた「モダニストの物語」を捨て去り、専門家も患者も「ポストモダニストの物語」を語れるような関係に立つことを重視する。もちろん、そうした新しいナラティヴを模索する臨床家は全体から見ればまだわずかであり、大半の臨床家はいまも「モダニストの物語」を語り続けている。また、仮に一部の臨床家が「モダニストの物語」を捨てたとしても、その患者たちは相変わらず慣れ親しんだ「モダニストの物語」を語り続けているかもしれない。しかし、すくなくとも一部の臨床家たちが新しい物語を語り始めたことは確かなことといえる。
 こうして、いま噴出しつつあるナラティヴにはすくなくとも二つの異なる形式があることがわかる。ひとつは、プラマーが論じたような「モダニストの物語」、そしてもうひとつは、フランクが論じ、ナラティヴ・セラピーが論じるような「ポストモダニストの物語」である。フランクは次のように述べる。「病いの脱近代的な経験は、医学的物語によって語りうる以上のものが自らの経験に含まれていると、病むひとびとが認識するところから始まる」。医学という近代の物語では回収できず、さりとて、「回復」や「克服」という近代の物語にも回収できないような経験、そして、にもかかわらず、それをなんとか語ろうとする意志が新しいナラティヴを生み出している。


◆田中みわ子, 2005, 「障害と身体の「語り」」,『障害学研究』1:111-135.
(p116)
 語りの研究を切り開いた医療人類学者でもあり、医者でもあるアーサー・クラインマンは、病む人の語りを記述するにあたって、咳き込み、胸から出るガラガラという音や、ぜいぜいと喘ぐ様子、かすかだがはっきりした声、途切れながら語る調子といった「絶えず聞こえていた死の肉体的象徴(physical emblems)を書き入れなかった」(Kleinman, 1988, p.147=1996, p.192)とみずからの限界を認めている。医療社会学者のアーサー・フランクがこのことに言及し、クラインマンの編集上の妥当性を認めつつも、省略された「肉体的象徴」の重要性を指摘している(Frank, 1991, p.89)。本稿は、フランクのいう、記述が困難とされる「身体の語り」に光を当てようと試みるものである。
(p124)
 障害のある身体とない身体とのあいだになされるこの実践は困難を伴うが、ここにおける関係は、新たな身体のあり方の可能性を提示するものでもある。共同の行為をいかに実現するかを模索することは、障害者と介助者双方による共同的な身体の模索なのである(注9)。ここでいう「共同的な身体」とは、互いに開かれ、呼応することによって、他者とのあいだに何らかの意味を生成させる身体である。すなわちそれは、障害の身体と介助の身体との「均衡の地点」(注10)を両者が模索する過程において生まれるものと捉えることができる。
(p132)
9)アーサー・フランクの言葉を借りれば、このような身体は「響応する身体(communicative body)」である(Frank, 1991; 1995)。フランクによればcommunicativeとは、言語を超えた認識の伝達を含んだ身体による分かち合いであり、伝えられる内容の問題というよりも、協調(alignment)に関わるものである(Frank, 1995, pp.49-50=2002, p.78)。

Frank, Arthur W., 1991, For a Sociology of the Body: An Analytical Review,” The Body: Social Process and Cultural Theory, eds. Mike Featherstone, Mike Hepworth, and Bryan S. Turner, London: Sage Publications, pp.36-102.
――――, 1995, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, Chicago: University of Chicago Press.(=2002,鈴木智之訳,『傷ついた物語の語り手』ゆみる出版.)


◆朝倉隆司,2006,「『がん患者』を生きる人々のサポートグループ運営の経験から考えたこと」『保健医療社会学論集』17(2).
(pp28-33)
 フランクは、 がん患者は病を体験した後の世界をそれまでとは違った考え方でとらえ、 その世界との新しい関係を作り上げることを学んでいくが、 現代医療ではその過程への支援が含まれていないと指摘し、 患者の体験に対する認識を導くための枠組み作りが、 一人一人の患者の物語を聴くことの助けとなると述べている(1)。
(略)
 近年の医療社会学のテキストにおいて病の体験の社会学の章を読むと、 おおよそフランクをひとつの基調にしているように思える(5,6)。 エスニックマイノリティを研究している研究者として興味深かった点は、 そのフランクが病をもつ者の固有の社会文化的存在を説明するアナロジーあるいは比喩として、 エスニックマイノリティや移民を用いていることである(1)。 隠喩や比喩は時にその本質を直観的に理解しやすくするが、 その反面、 安直な単純化を招くという危険性が指摘できよう。 その危険を承知したうえで、 がん患者の体験に関わる比喩をあげてみる。
 まず、 病を患うことにより、 「新しい社会」 の住民となる。 つまり 「医療が支配する王国」 への移民となる。 あるいは、 病を持つことで、 医療により身体を植民地化され、 ●それに伴う異文化適応が求められるというのである。 このような状況をソンタグは 「二つの王国の市民権」 をもつものと比喩している。 そこでは 「複数の社会のノルムに従って生きることが求められ」、 医療的世界に適応するように圧力がかかる。 したがって、 自らのエスニックアイデンティティを保持するためには、 容易に適応せず、 マイノリティを生きることに意義があると思われる。 そして、 がん患者はたとえ寛解したとしても、 一度がん患者を体験してしまったら、 二度とがん患者というアイデンティティを取り消すことはできない。 そして声を奪われていく。 このような状況から自らの声を取り戻すためには、 あたかも relocation camp を体験した日系アメリカ人が redress 運動を行ったように、 要求 (reclaiming) による脱植民地化をはからねばならない。 さらに、 この状況はサイードが指摘する亡命者としての 「知識人」 と呼応している(7)。 サイードは 「苦い不安感や寂寥感は最後まで癒されることはないにしても」、 その亡命生活と周辺性から何か肯定的なものを引き出しており、 「新しい魂の創出」 こそが目標となるべきだという。
 このような未知の世界を旅するには、 「新しい海図」 あるいは地図が必要となる。 その海図や地図となりうるのは、 おそらく、 病を患うことにより、 「新しい社会」 の住民となった先輩の 「体験」 なのではないだろうか。 ここにも、 「病の体験」 を明らかにしていく意義がありそうである。
(略)
 ここで、 がん患者の体験を、 フランクの理念の病の身体像と重ね合わせてまとめてみよう (図1) (1)。 サポートグループの核は体験を語ることであり、 その背後には、 感情的な体験がある。 それがどのように身体像と結び付いており、 「語り合う」 身体と結び付くのかを示すためである。 さらに、 この図は、 否定的な体験や患者像である 「規律化された身体」 「支配する身体」 「鏡像的身体」 の体験こそが、 実はポジティブな 「伝達する身体」 にとって欠かせないものであり、 サポートグループはこの類型間のやりとりを基に成り立っていることを示している。 言い換えれば、 サポートグループは、 伝達する身体、 あるいは語り合う身体を体験するための働きかけであると考えられる。 当然ここに示した像は時間軸に沿って単純に移行するのではなく、 同時に体験されているはずである。 しかも、 いずれからも完全に脱することはない。 それが、 がんという病気がもつ性質なのである。 よって、 どのような身体像の状態であれ、 「自分の感情にオープンである」 ことができるのが、 サポートグループの目指すポジティブな患者像だとも言える。
(略)
 たとえば、 AERAによると、 早期発見・早期治療で 「がんはもはや不治ではない」 と言われて久しい。 ところが、 少し進行したり再発・転移したりするとがらりと様相が変わる。 医師にサジを投げられてしまう、 とある(9)。 フランクは、 "Simply, recognizing suffering for what it is, regardless of whether it can be treated, is care." と述べている(10)。 苦悩を理解しようとすることこそケアであるのに、 「治療」 する手だてが尽きると医師はがん患者を放り出してしまう。 サポートグループで体験を聴き合い語り合うことだけで、 ケアであると言えるのではないだろうか。 もちろん、 聴くだけで十分であるかと問われれば、 十分ではないと答えざるを得ないだろう。 しかし、 その力は、 まんざら過小評価もできないと思う。 それでも、 効果を測定し評価すれば、 がんという疾患の特性による影響が強く、 体験を聴くことやサポートグループによって、 それに抗してまで改善や精神的効果が現れるかと問われると、 芳しい回答はできないだろう。 再度、 フランクによるならば、 それを根拠にして、 苦悩を聴くことが必要でないとは考えられない(10)。
(略)
 ここで引き合いに出すのは適切でないかもしれないが、 静岡県立がんセンターを中心に行われた全国調査の報告書では、 多岐にわたるがん体験が整理されている。 網羅されていると言っていい。 ここでフランクは、 サイコオンコロジー批判の一環で、 研究者が、 患者が体験する病からくる怒りの声を聴きたければ、 医者が滅多にならないような者、 存在であるべきだと述べている(10)。 医療者、 そして治療に対するがん患者の怒りは、 渦巻いていながら、 医療の場では、 あるいは医療提供者には聴くことが難しい声なのではないか。 ちなみに、 この報告書には、 わずかながら医療者への不満が述べられているが、 がん体験のポジティブな側面については、 触れられていない。 「医療者のレンズ」 なのかもしれない。

1) アーサー・W・フランク (鈴木智之訳) :傷ついた物語の語り手、 ゆみる出版、 東京、 2002.
10) Frank A. W.: The pedagogy of suffering. Theory and Psychology, 2, 467-485, 1992.


◆椎野信雄, 20070328, 「エスノメソドロジー研究の方針と方法」,『エスノメソドロジーの可能性――社会学者の足跡をたどる』,春風社:222-250.
(pp.x-x)
したがって『社会的行為の構造』においては、プレナムには秩序性がなく、秩序現象を産出する細部が見いだされるのは、物事の具体性とは区別された、構築的分析の方法の提供するリアルな社会においてである。構築的分析の方法によってのみ、あらゆる秩序性が提供されうるのだ(9)。要するに、形式的分析的社会学による研究においては、どれでも秩序*トピックは、構築的分析の方法によって特定化された実践的行為の形式構造の秩序*現象として提示されているのである。
(pp.x-x)
(9) Frank(1988)は、G(1987)について、「ガーフィンケルの中心的な論点は、秩序が具体的なものにおいてすでに完結しているということだ」という要約を提供した。しかしながら、この「具体的なもの」を、パーソンズのプレナムのことだと解釈することはEM研究に対して誤解を生む。なぜならば、EM研究はプレナムvs分析の二分法に与していないからである。


◆後藤吉彦, 20070730, 『身体の社会学のブレークスルー――差異の政治から普遍性の政治へ』,生活書院.
(pp4-5)
 社会学に準ずる研究領域として、身体の社会学が登場したのは一九八〇年代である。それは、社会学および社会理論が伝統的に心身二元論(精神と身体のはたらきを二分したうえで、人間の活動として前者を重視し後者を軽視する発想)によっていたことを反省し、学問に「身体を取り戻そう(Bring the body back in)」(Frank 1990)とする動きであったといえる。
(p26)
 身体への関心を牽引した要因として次にあげられるのは、消費社会の出現と同時代にあたる一九六〇年代に台頭し、その後大きなうねりをもって展開することとなったフェミニズム運動の影響である(Frank 1990, 1991; Shilling 1993; Turner 1992)。
(pp32-33)
 ここまで、身体の社会学の成立をうながした現代社会の動向について考察してきた。だが、身体の社会学の成立を、社会学者が社会の動きに反応した結果としてだけでとらえることはできない。なぜなら、ターナーのいう「身体社会」ほどには、中心的な位置をしめていないにしろ、過去にも身体が社会的な関心の対象となることは幾度もあったのだが、それにもかかわらず、実際には社会学者たちは身体を研究対象としてこなかったという事実があるからである(Shilling 1993; Turner 1992, 1996; Williams and Bendelow 1998)。たとえば、一九世紀のアメリカ合衆国やイギリスでは、富裕層のあいだの過食や肥満、そして貧困層の栄養失調が社会問題となっていた。また別の例として、第一次世界大戦時の合衆国では、若者の健康状態に関するデータの悪さが、社会の大きな関心を集めていた(Shilling 1993: 29-30)。そしてよく知られているように、二〇世紀のナチズムやファシズム支配下の国家では、国民の身体の健康やかたちが重要な国家問題とされていたのである(Proctor 1999=2003)。しかし、E・ゴッフマンやP・バーガーの著作など少数の例を除けば、社会学者が自分の研究のなかで「身体」に重要な意味を与えることはほとんどなく、社会学理論は伝統的に身体への視座を欠いた、いいかえれば、「脱身体化された(disembodied)」理論であったのだ。A・フランクは、社会学理論の古典のなかに、その傾向が如実にあらわれていると指摘する。すなわち、G・H・ミードの著作は『身体・自我・社会』ではなくて『精神・自我・社会』であり、E・デュルケームの『自殺論』は、自殺を抽象的な数字としてあつかい、生きた身体が死体になるという観点をもちあわせていないのである(Frank 1991: 36)。
(pp35-36)
 そして最後に、社会学が身体へ関心をはらわなかった要因として、主要な社会学者たちがみな男性であり、社会学の理論もすべて男性からの視点に偏っていたことが指摘される(Frank 1991; Shilling 1993)【注6】。“男性的な”社会理論は、女性としての身体をもつことからくる経験を取り上げなかったり、あるいはそれを無頓着に無効化・中性化(neutralize)したりすることによって、社会にある男性支配の実態から目をそむけがちであった【注7】。
(p38)
(7)数少ない例外としては、G・ ジンメルがその著作のなかで、フェミニスト的視点でみた理論の可能性について書いたものが、また、ウェーバーが個人的な見解として、女性の社会的状況にふれたものがある(Frank 1991: 41)。
(p41)
 まとめれば、一九七〇年代以降、社会学の認識枠組みの見直し作業がすすみ、そのなかで、従来の社会理論が身体への視座を欠いていたことも反省され、社会学に「身体を取り戻そう」(Frank 1990)というスローガンも聞かれるようになった。そして、前節でみておいた社会一般における身体への高い関心に呼応するように、次第に社会学の内側から、身体への関心が押し出され、一九八〇年代以降、社会学研究のあらゆる場面で「身体」が言及されるといった状況が生まれ、社会学のサブジャンルとして身体の社会学が成立するにいたったのである。
(p49)
(10)注1で言及したオニール(1985=1992)、ウィリアムズとベンデロウ(1998)、ターナー(1992)による各研究のほか、A・W・フランク『傷ついた物語の語り手――身体・病・倫理』(Frank 1995=2002)などがこのアプローチによる研究の代表例である。
(pp49-50)
 現在のところ反‐社会決定論がよりどころにするのは、現象学的な観点を取り入れた研究アプローチか、人間が動作や振る舞いなど身体動作を身につける過程(身体化)に注目する研究アプローチである場合が多い。現象学、とくにM・メルロ=ポンティの現象学(Merleau-Ponty 1945=1982)からの影響を受けたアプローチは、人間の知覚や主観にとって本質的な役割を果たすものとして、身体を取り上げる【注10】。このアプローチは身体を、客観的な身体(モノとしての身体)と、主観的に経験された身体(「生きられた・経験された」身体)に分けて考え、後者についての考察を行う。その内容としては、病気や事故に直面した身体が、いかに自己アイデンティティを変容させるか、あるいは、その経験が語りをとおして他者と共有されることでどのような変化をもたらされるか、といったものがある。これらの研究は、身体的経験の個別性を強調することで、社会決定論とは対極的な位置に立つ。ただその反面、ややもすれば身体的経験を社会的文脈と切り離された“秘儀的な”ものとしてあつかってしまう危険性をはらんでいる。
(p58)
 身体の社会学のできることは、そのような身体と社会が複雑に絡み合う、だまし絵のような構図を省略によって損なうことなく分析することである。その分析は迂回や矛盾や両義性を孕んだものとなるだろうが、その歯切れの悪さも身体の社会学の特徴の一つといえる。それは「現実とは混乱したものであった(Truth was a mess)」(Frank 1990: 159)ということを反映している。
(p191)
 人間の「身体」が、社会学が考慮に入れなければならないものとして体系的に論じられるようになったのは一九八〇年代以降である。このことは、当時、哲学や文学など、あらゆる学問領域で身体論が一種のブームとなっていた流れとも呼応するものである。この身体論のブームの背景としては、消費社会のなかでの見せる/見られる身体への関心の高まりや、反‐?近代合理主義思想の盛り上がり、あるいは、女性の身体の抑圧を問題にしたフェミニズムの活躍、そして、医療化や高齢化といった問題への意識の高まりなど、学問内外で起こっていたいくつかの要因が指摘されている(Shilling 1993; Frank 1991; Turner 1992)。いずれにせよ、社会学においても「身体の社会学」という領域が立ち上げられ、以来、身体に言及する多くの研究論文が発表されている。

Frank, A., 1990, “Bringing Bodies Back In: A Decade Review,” Theory, Culture & Society, 7(1): 131-62.
――, 1991, “For a Sociology of the Body: An Analytical Review,” M. Hepworth, and B. S. Turner eds., The Body: Social Process and Cultural Theory, Sage, 36-102.

cf:
◆天田 城介 2008/07/01 「「病い・1」(世界の感受の只中で・15)」『看護学雑誌』72-07(2008-07).
 http://www.josukeamada.com/bk/bs07-15.htm

◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房 言及・関連部分 文献表

 第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」7節「肯定するものについて」2項「私に向かわなくてもよいこと」より

 「この近代という時代も始まってしばらくが経って、自らを保ち、育て、そして何かに打ち克つという物語がいくらか下品なものであることは感じられるようになった。そしてすくなくとも衰弱し死に向かう過程において、この物語を語ったり受け入れたとして、よいことはそうはない。そのことは自明である――自明であるにもかかわらず、とても多く語られているのだが。ただそのことをよくわかりながら、別の語り方によってではあろうし、その語り方は固定されていないのだろうし、その目標も定められることはないのだろうが、探求すること、そして語ることが推奨されることがある。そしてそのような語りが、近代の次の時代の語りであるとされることもある。
 しかし、語ってよいこと、事態を悪くしないために語るべきことがあることを、以上述べたように、おおいに認めるのだが、やはり、それを求める必要はないのだし、語りたくない人は語らなければよいのだし、語りようのない人は語りようがないと思えばよいのだし、既に語れない人は黙って生きていればよい。そして考えてみれば、この時代における自己とは、ずっと、なにか固定されたものでなく、探求される先に見出されるかもしれないもの、あるいは探求していくという行ないそのものが指し示すところのものではなかったか。だから私には、ここになにか格別に新しいことが起こっているとは思えないのだ☆33。
 知ること、探すこと、探し続けることはわるいことではない。それがよい人には、よいことであるかもしれない。しかししなければならないことではない。自らの病の意味を探すことが病を抱えて生きていることの意味であるとされても、探しても見つかないことはある。その場合には見つかることが最重要なのでなく見つけようとすることが大切だと慰めてもらえるのだが、しかしそれでも何かが見出されると思えないし、その営みに意味があると思えないことがある。そのように思うのはもっとである。そして探す気力もないことがあり、すでにその種の営みを終了してしまった人がいる。病人に推奨される探求と表出の営みは、既に非力であり自身の身体や世界に対する物理的制御能力を失いつつある病人に配慮した営みではある。それでも、その奨めはよい奨めではない。自分のもとにあるものを探し出すより、自分を囲むものの中にいた方がよい。」

 「☆33 この項をアーサー・フランク――二〇〇八年に立命館大学大学院先端総合学術研究科での集中講義・グローバルCOE「生存学創成拠点」主催シンポジウムのために来日――の『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』(Frank[1995=2002])を読んで書いている。その第6章「探求の語り」が私にはよくわからなかった。わからなかったというか、必ずしも受け入れる必要のない前提を共有して始めて理解できる章であるように思った。
 こうしたことを、たとえば「ポストモダン」の側にいると自らを規定する人たちについても、幾度も感じてきた。そんなこともあって『自由の平等』の第6章は書かれている。
 「第三に、もう一度自由が登場する。そこでは、行うことと在ることの両方から離れ、どこからも脱する自由という規定のされ方がなされる。その時点で、それはもう単純なリベラリズムではないのかもしれない。私が行うことは生産活動に限られず、もっと広いものを包接するものとして語られる。あるいは自己が生産に方向付けられることを批判する。それでも、信じることにしても、よいとするものにしても、それが自分の選択としてある限りにおいて認められるとするその論は、能産者でありすなわち所有者であるような私を私として残存させることになる。あるいは自己を表象する自由と言うとき、それがどこかを目指したものではないとしても、やはりそれは作り出そうとする。自己の実在を、またその獲得の可能性を素朴に信じないこと、支配し制御する方に行ってしまいがちな所有という言葉を使わないこと等、いくつか「進歩」はそこに見られる。そして与えられたものを脱ぎ捨てようとする。やがて、何にせよ作ってしまったらやはりそれは作られたものだとして、自らが何かであることから逃れることもまた言われることになるのだが、それもやはり破壊的であるとともに生産的なことなのであり、それによって私は駆動されることにもなる。」([20040114:273])
 「そこに見られる」に以下の註を付した。
 「「人格とは、決して一度も充たされることのありえない計画=投影であるがゆえに、一つの願望なのである。」(Cornell[1998=2001:34])けっしてその願望を否定しないが、そうでなければならないものなのか。このことばかりを、この章で、他に[20001127]等々で、私は述べてきた。」([20040114:346])
 ドゥルシラ・コーネルもまた同じ大学に講演にやってきた人であり、その時に同じことを質問した(質問してもらった)のではあるが、よくわかったというふうではなかったような記憶がある。「文化の違い」ですませたくはないのではあるが、いくらかの違いはあるのかもしれない。
 語りたくないのであれば、そして/あるいは語ってよいことがないのであれば、語らずにすませるためにも、私たちは、たとえば歓迎できない出来事が起こってしまった時に何を語ってしまうのか、それを分類し、並べ、それぞれの得失を計算したりする必要がある。山口真紀[2008]がその仕事を始めている。」

Arthur Kleinman  ◇Emmanuel Levinas  ◇Robert F. Murphy  ◇Gayatri C. Spivak  ◇Susan Sontag  ◇holocaust


UP:20080407 REV:20080425 0428,0517,22,25 0918, 20100602, 20140107, 20150801
医療社会学  ◇WHO 
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