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開会挨拶

立岩 真也 20110828 国際シンポジウム「病の経験と語り:分析手法としてのナラティブアプローチの可能性」
於:立命館大学  [English]


 みなさんこんにちは。今日のシンポジウムは、2008年の6月、この大学に来ていただき、大学院の集中講義と特別公開企画 Narratives, Trauma and Ethics: Welcoming Dr. Arthur W. Frank で講演され討議に参加してくださった Arthur W. Frank 教授を再びお迎えして開催されるものです。
 そして、フランク教授は、私たちが進めている Global COE Program "Ars Vivendi : Forms of Human Life and Survival"の外部評価委員(……)を引き受けてくださってもおり、今回の来日はそのためのものでもあります。さらに、今回ようやく創刊された international Journal である"Ars Vivendi Journal"の Scientific Committee Members の一人でもあります。こうして私たちは、遠くカナダより来日してくださったFrank教授にとても多く感謝せねばなりません。Frank教授、ありがとうございます。そして私はその program と それを進めている center の代表を務めている立岩と申しますが、本日、やむをえぬ事情により参加することができません。そのことをおわび申し上げます。そして本日のシンポジウムが実りあるになることを祈念いたします。
 挨拶は短い方がよいのですし、ここで加えて述べることはありません。ただ一つ思い出すことがあります。2008年の公開企画で、この会場のこの壇上で教授と幾人かで話をさせていただきました。そこでは、語ること、語り直すことの意味、and/or 限界について、議論が始まりかけて、そしてもう時間が残っていませんでしたから、そのまま終わったように思います――その時の記録は報告書として刊行され、会場にも置いてありますので、ご関心のある方はどうぞ、無料です。日本でもこの十年ほどでしょうか narative approach はたいへん流行しており、多くの論文が書かれ、そこではしばしばフランク教授の著作が引かれもします。ただ同時に、私たち――もちろん、その「私たち」とは誰のことかが問われるわけですが――は、語ることや意味を求めることの意味をおおいに認めながらも、いくらかその熱意に欠けているといいますか、醒めたところがあるように感じます。その距離がどこから来るのか、そしてどう考えるのか。このことは、文化の差異といったおおまかな捉え方でなく、例えば個々の病や障害に即して、きちんと調べ考えるべきことだと私は思うのです。そして、sociology of medicine にも disability studies にも関わりながら、病と障害とが重複し交錯するような場を、さらに広い人々の生存の場を対象に研究する人たちが集まるこの center は、そうした課題に取り組むのに有利な位置にあるとも思います。このシンポジウムがそんなことについても話される場ともなればと期待します。ただそれは、この会場にいない私が思う一つのことでしかありません。多様な報告がなされ、多様な議論がなされるだろうと思います。もう一度、このシンポジウムが意義あるものとなりますようにと願い、きっとそうなるだろうと信じております。失礼いたします。

有馬 斉天田 城介 編 2009/01/30 『特別公開企画「物語・トラウマ・倫理――アーサー・フランク教授を迎えて」』,立命館大学生存学研究センター,生存学研究センター報告5,243p. ISSN 1882-6539 ※


UP:20110827 REV:
Arthur W. Frank  ◇立岩 真也 
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