HOME > Tateiwa >

1980年代の調査・04


立岩 真也 2022/07/ 『eS』41
40 < / > 42

Tweet


 年内→2023年内に出版予定の
◆安積 遊歩・立岩 真也 2023/**/** 『(題未定)』,生活書院
のためにその一部の草稿を掲載していきます。たくさんわからないことがあります。みなさんからの情報をとても求めています。よろしくお願いいたします。

表紙写真から注文できます&このHP経由で購入すると寄付されます
『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙   立岩真也『介助の仕事――街で暮らす/を支える』表紙   青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙

◆2022/07/22 「1980年代の調査・01」
 『eS』038
◆2022/07/23 「1980年代の調査・02」
 『eS』039
◆2022/07/24 「1980年代の調査・03」
 『eS』040
◆2022/07/25 「1980年代の調査・04」
 『eS』041
◆2022/10/12 「1980年代の調査・05」
 『eS』042

 ※以下草稿

立岩:菅原さんのあとは高橋修さんの1回目(14)。これ安積さんも僕も出てる。僕がテープ起しした◆。

安積:修さんは感動的だったよね。

立岩:それで、2年前に第2版を出した本に高橋さんのことを書いた章を加えた(立岩[20200110]◎)★。あのへんで一番長い間付き合ったのが、高橋さん。それはいろいろ思い出せる。あとで話しましょう。

◆桑名 敦子 i2019 インタビュー 2018/11/12 聞き手:立岩真也 於:立命館大学衣笠キャンパス創思館4階・書庫
立岩:高嶺豊さん、今沖縄にいらっしゃる方が初期のハワイに関わってるんですよね。
桑名:そうそう、だから高嶺さんとマイケルが一緒になって、マイケルが高嶺さんを雇ったんですよね。高嶺さんはあの時ハワイ大学の院生かなんかだったのかな。
立岩:そうだと思います。
桑名:それでマイケルが雇って自立生活を一緒にやって、だからマイケルの片腕みたいな。だから高嶺さんのことはすっごく信頼してましたね。で、彼は沖縄じゃないですか。ハワイの日系っていうか、日系じゃない、オキナワン。絶対にあの人は「私は日系です」って言いませんからね。“I am Okinawan.”“I'm Japanese American”じゃなくて“I'm Okinawan”って絶対100%。
立岩:うちの院生もそういうこと言ってた。
桑名:オキナワンというのがものすごい力を持ってて、団結力もすごいし。だからたぶん高嶺さんは、ある意味だから、自立生活センターの中の、マイケルがなんであんなにしてできたかっていうのは、高嶺さんがいたからできたと私は思う。じゃなかったらあんな白人、とにかくハワイの中で白人なんか虐げられてますからね、ほんとに。白人なんか何もできないとこですからね。なぜにマイケルが、自立生活センターがうまく地域の人をまとめてできたかってのは高嶺さんがいて、しかも高嶺さんがただの日本人ではなくて、沖縄人、沖縄から来たということが非常に私は大きかったと思う。私は絶対それはあると思う。高嶺さんに聞きたいぐらいですけども、高嶺さんああいう方ですからね、「そうです」なんて絶対言わないと思いますよ。「いやそんなことないですよ」って絶対ね。でも私は彼が沖縄っていうのが、絶対大きかったと思う。今の知事だって沖縄系ですからね。イゲ(伊藝)さんっていうんですけども。とにかく沖縄県、オキナワンの力はものすごいです、ハワイは。今から百何年前に日系人が来た時に沖縄からも来ました、日系人からも虐げられてたからね、沖縄から来た人は。だから日系人の人と沖縄から来た人は結婚もできなかったんですって、差別されて。もちろん今はそんなことないですけどね。で、名前でわかるじゃないですか、だいたい、シマブクロさんとかさ。で、“Japanese American?”って聞くと、必ず“I'm Okinawan.”だから、自分のおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃんが沖縄から来たんだってことをすっごい誇りに思ってんじゃないかな。で、成功してる人もたっくさんいるし。

■丸山/◆

立岩:『自立生活への道』っていう本が84年に、88年にその続篇みたいなのが出ているんだけど、あれに関わってるでしょ? 「性と結婚」って文章(安積[1984])書いてるじゃないですか★。

安積:私? ▽うん。△ 忘れた。

立岩:書いてるんだよ(笑)。書いてるんですよ。84年に仲村優一・板山賢治編で『自立生活への道』(仲村・板山編[1984])、88年に三ツ木任一編で『続 自立生活への道』の2冊。福島の人では白石さんとか橋本さんとかも書いてる。でも、そうか覚えてないか。★

安積:私もさ、立岩くんが言ってくれないと、本当記憶ないわ。困ったもんだ。

立岩:まあそうだね。ちっちゃい文章っていうか、あんまり自分の根性入れて書いたものじゃなくて、頼まれて書いたものかとかって、書いたこと自体忘れてるっていうのもあるよね。僕の場合、書いたものはいちおうリストにしていって、できるだけHP上のページを作っていて、文章も載せてよければ載せて、検索すると出てくる。ほんとにまったく覚えてない文章とか講演とか出てきます。
 板山さん★とか丸山一郎さんとか浅野さんとか、あのへんの障害者福祉業界のちょっと大物、といった人たちってどういうつながりなんですか? やっぱ、福島青い芝にいた人たちが一時期そっちとやってたからっていう? そういうんじゃない?

安積:丸山専門官の力ってすごい大きかった。修さんとCIL立川で一緒にやってた一橋のあの学生の何だっけ? 蔵本さん。今は結婚して子どもできたんだよね。丸山一郎さんに「専門官にならないか」って声かけられたのに、あの人すごい子育てとか家庭とか大事にしてるから断ったの。今は香川で仕事してる。

安積:丸山専門官なんてめっちゃ笑えるよ。私アメリカに行く前に福島に行ったときに、出てきた子に生活保護とって自立してたんだけど、ものすごい重い障害持ってたから。ヘルパーその頃1週間に2時間だったから、「1週間に2時間でもヘルパー取ろう」って二人でなって、「ヘルパーつけてください」って言ったらさ、「生活保護がヘルパーとともに取れるわけない」ってさ。「他人介護料あるんだ」とか何か言ってきたから、そのときに、なんか丸山専門官が何かの雑誌に書いてた記事を見たんだね、読んでたのね。だからもう頭にきすぎて。生活保護でヘルパーないのはほんとかどうか。あれほんとにだまされるとこで、「ほんとにちゃんと調べました。私も丸山専門官と知り合いなんです!」って郡山市の生活保護課の担当者に言ったの。私、名前しか見てないのに(笑)。
 「丸山専門官って誰ですか?」って言うから、「あなた知らないんですか? 丸山専門官を」って。私も知らないのに(笑)。もう大見栄切って「丸山専門官ですよ!」って言ったら、「分かりました」って言って、15分後に電話きて。

立岩:向こうも調べたんだ。

安積:そう。「1週間に2時間だけのヘルパーさんですぐ派遣します」って言ってきたから、私はその15分の間ほんと丸山さんに電話するかどうか悩んでたんだけど、あっちが先に妥協してきたから、終わり。でも本当にそのあとにシンポジウムか何かで会ったわけ。そんで丸山さんにこの話をしたわけ。「丸山さん、あの記事書いててくれて助かったわ」、「あの名前で友達がヘルパー取れたんだよ。ありがとね」って言ったら、何がなんだかわかんない。「でもよかったです、僕の名前で取れたのは」って言ったから、それから仲良しになったの。

立岩:丸山さんの話はちょっと本の中で出てきてた★。じゃあ最初は直接には知らなかったわけね。「なんか文章を書いてる」っていうことしか知らなかったわけだね。

安積:そうそう。名前しか知らない。自立生活センターを知ったのは、彼の本、文章だ。

立岩:『われら人間』か何かな? 違うか、それはその話書いてないかもしんない。その話そのものはアメリカの紹介みたいなものじゃなかったかな★。読んだのは自立生活センターの紹介、「アメリカには自立生活センターってあるよ」的な?

安積:そうそうそう、そういう紹介文を読んで、それで私は「自立生活センターっていうの行ってみたいなあ」って言ってたら、その介助者の一人が。介助者っていうかボランティアの一人が申込書類を取り寄せてくれた。

立岩:丸山さんへのインタビューは1987年1月にあったんだけど(30)、そこに僕は出られてない。いなかったんだけど、あの人の実家って長野県の松本市で、私が松本に住んでたときすぐ近くにそのお宅があって。なんかの用があって1回僕は訪ねた。その用がまったく思い出せないんだが。玄関先で短い立ち話をしたのはなんとなく覚えているんだけど。僕が松本にいたのは1995年から2002年、その後半のことではあったのかな。そのインタビューの記録は残っています。  いろんなこと話してくれていますが、「」。実態調査ができなかったと、それだと施策を進められられないというなかで、◆
 79年に横塚さん亡くなったりして、全国青い芝がごちゃごちゃになって、◆。それで一時期、東京青い芝の人たちが力を持って。で、そのときに「障害年金を実現しよう」という話の流れみたいのがあって、厚労省の人たちと一時期わりがあった。融和路線だったんだよ★。
 あのへんでとくに覚えてる的なことってあんまないのか。そんなんでもないか。板山、浅野、三ツ木…。

安積:東京の青い芝の路線、磯部さんと板山さんが机でこう仲良しめにやりあってるシーンだけ覚えてんの。やりあってはいない、仲良しに何かしゃべってるみたい。

立岩:それが、青い芝の路線が再度変わる、ちょうどその間の数年なんだよね。そのときに「自立生活」っていう言葉が最初に使われた本が出て。白石さん、橋本さんが書いてて、浅野さんも書いてる。読みましたよ。読みましたけど、こういうことだけじゃない、こういうことじゃないと思って、これは自分たちで本にしないと、と思ったところはあります。本の題にも「自立生活」ってあまり使いたくないなと思って「生の技法」にしたところはあるかな。題決めるのにはかなり時間かかった。

安積:そのときに会ったんだよ。三ツ木さんと。板山さんにも3、4回は会ってた。 それで、国分寺の障害福祉課だか何か、障害者センターか何かに行ったの、一緒に。厚労省辞めてからかな◆。それで、そこで何回か会ったりして。

立岩:板山さん、丸山さんにはインタビューしてるんだよね◆。板山さん、まあ調子のいい人だったけどね。

安積:ほんとほんと。板山さん亡くなったよね★。
★板山 賢治 199710 『すべては出会いからはじまった――福祉半世紀の証言』,エンパワメント研究所 ◎

 思い出したことが一つある。浅野さんがどっかの新聞記事◆に小山内さんと私と…。ありのまま舎じゃなくて、仙台の筋ジスの人たち、何だっけ? ▽山田三兄弟?△ あ、そうそう! 3人を並べて私のことを書いてる記事を今一瞬思い出した。それは浅野さんが書いてる。

立岩:その84年の頃って、仙台の山田三兄弟じゃないんだけど、筋ジストロフィーだと埼玉の福嶋あき江さん★っていう人もその『自立生活への道』に書いてるんだよね。虹の会。あのへんと直接の出会いはあったんですか?

安積:あるよ。虹の会の福嶋〔あきえ〕さん★とも何度か出会ってるよ。何度か。訪ねたんだよ、あの人たち。すぐに知り合いになるとすぐに遊びに行ったりすっから。

立岩:じゃあ福嶋さんちに行ったことあったりするんだ。

安積:あるある。たぶんあるある、絶対に。

★ 板山賢治。1926〜2013/09/22
★ 三ツ木 任一。1937生。東京都心身障害者福祉センター→放送大学。『われら自身の声』という雑誌に『生の技法』の紹介(三ツ木[1991])を書いてくれた。「自立生活問題研究全国集会」を企画・運営した。
◆立岩真也 1994/12/25 「第六回自立生活問題研究全国集会・他――自立生活運動の現在・11」,『季刊福祉労働』65:146-151◎
 「十一月三日から四日にかけて「第六回自立生活問題研究全国集会」が開催された(はずである←開催前に原稿を書いている)。三ツ木任一氏(現放送大学教授)らの呼びかけで一九八九年に初めて東京で開催された集会(略称「自問研」)が、大阪→東京→名古屋→札幌と開催地を移し、その性格も回ごとに微妙に変化しながら、第六回を迎えたのである。主催は実行委員会だが、第四回集会から、第三回集会の前日に発足した全国自立生活センター協議会(JIL、連載C本誌五八号)が集会の企画・運営に関わり、第四・第五回は共催のかたちがとられた。今回の事務局は自立生活センター・立川(CIL立川→連載@・本誌五五号)内に置かれた。実行委員長には、CIL立川の菊地洋子さんとコミュニティ・チャレンジ・メイツの玉木伸吾さんの若い二人がついた。」
 ただその後、障害者組織の側はこの集会……。「自立生活」は「問題」ではないというのだが、それはいささか、……という感じはする。
★ 丸山一郎。1943〜2008/03/02。  板山:「昭和55年1月、私は、厚生省障害福祉専門官の辞令を丸山さんに渡した。思えばそれからの25年余、丸山さんの「共生の人生」は絶えず私との「二人三脚」ともいえる歩みであった。」1980年 ★ 浅野史郎。1948年2月8日生 1970年東京大学法学部卒業後、厚生省(当時)入省 1985年北海道庁福祉課課長、1987年厚生省児童家庭局障害福祉課課長、1991年6月 厚生年金基金連合会 年金運用部長、1993年11月 - 厚生省生活衛生局企画課課長を最終役職に、同省退官。宮城県知事選に当選し、同職に就任。 ★ ◆今のところみつかりません。
★ 丸山 一郎 1977 「障害者のホワイトハウス会議」,『われら人間』3:12-13 ◎
◆立岩真也 1994/12/25 「第六回自立生活問題研究全国集会・他――自立生活運動の現在・11」,『季刊福祉労働』65:146-151◎
安積 純子 1984 「性と結婚」,仲村・板山編[1984:208-218]◎
★ 阪 悌雄 20200831 『障害基礎年金と当事者運動――新たな障害者所得保障の確立と政治力学』,明石書店,320p.◎
 立岩真也 20200831 「仕事しよう――解説の代わりに」
★ 福嶋 あき江(1957〜1987)。
福嶋 あき江 19841215 「共同生活ハウスでの実践をとおして」,仲村・板山編[1984:268-278]◎(笑)


UP:20220725 REV:20230611
『eS』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)