HOME > 全文掲載生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築

労基法改定反対の動き

村上 潔 20070331
栄井香代子・竹村正人・村上潔『「平成18年度京都市男女共同参画講座受講生参考資料(女性解放運動関係)収集調査」報告書』,NPO法人京都人権啓発センター・ネットからすま,pp.12-20(第2章)

Tweet
last update: 20201025


 1975年の国際婦人年に始まる「国連婦人の10年」において、世界的な要請から、日本でも女性労働をめぐる新たな労働法規の策定に向けての動きが具体化した。そこで争点となったのは、「就労する女性についての保護と平等、あるいは保護か平等の問題」(鹿野[2004:149])であった。
 目玉となったのは、労働基準法「改正」である。1947年に制定された労働基準法は、各種の女性保護規定を設けている。女性労働者に対するその基本的な理念は「平等」より「保護」にあった。女性のみを対象とする「保護」規定の根底には、女性は精神的・肉体的に弱い性であるという考え方と、女性は「妻」・「母」であり、家庭責任を負うという考え方がある。「女性保護と男女平等は必ずしも矛盾するものではないが、性差を根拠とする保護は労働条件における男女格差を合理化し、温存することにもつながった。しかし、そのことへの問題意識は労働者側にも薄く、労働運動も女性労働の課題を保護の普及要求に収斂させる傾向が強かった。労使の対立は女性保護の拡大か撤廃にあった」(横山[2002:144])という状況が指摘されている。その後、高度成長期に入り、女性の雇用者が増加するとともに、若年定年制・結婚退職制など雇用における男女差別が問題化するようになる。それによって、「女性保護のみにとどまらない、より包括的な雇用平等法の必要性が認識されるようになった。こうして女性労働問題の課題は「保護」から「平等」へ移行していく」(横山[2002:144])のである。
 労働省は、1969年に、労働基準法の全面的な見直しを目的として、労働大臣の諮問機関にあたる労働基準法研究会を設置していた。見直しの対象となったのは、労働基準法の第61条から68条にわたって設けられた女性に対する保護規定――女子の時間外・休日・深夜労働の制限/禁止〔61条・62条〕、危険有害業務の就労制限〔64・65条〕、生理休暇〔67条〕など、妊娠・出産にかかわる母性保護以外の保護規定――であった。同研究会は、1978年11月20日に報告書をまとめ、そこで「今後早い機会に男女平等を法制化することが望ましく、そのためには早急に男女の実質的平等についての国民の基本的合意を得ることが必要であり、同時に保護規定について合理的理由のないものは解消しなければならない」と主張したうえで、「男女雇用平等法の立法化と女子に対する保護措置見直し」という路線を打ち出した(横山[2002:144]参照)★01。これによって、上に挙げたような就労女性への保護規定は、産前産後休暇と育児時間を除いて、大幅に緩和される方向となった。
 この報告に対して、「保護を運動課題としてきた労働組合の側からは、かねてより女子保護の廃止を要求してきた東京商工会議所など使用者団体の意向を受けた「保護廃止論」★02で△12/13▽はないかとの批判が続出した。労基法研究会報告が出たことで、雇用の平等が保護とセットにして議論せざるをえない潮流が作り出された」(塩田[2000:63])。市川房枝らは、「保護か平等か」ではなく「平等と保護の両立をまず確認せよ」と意見し、この改定を「実体なき“平等”の名のもとに、女子の労働条件を大幅に引き下げ、男女含めて低い労働条件に固定」するものと批判したうえで、男性の働かせられかたこそが問題であると指摘した「労働基準法の女子保護条項廃止反対についてのアッピール」を発した(鹿野[2004:150]参照)。
 それでは以下、この問題に対するリブ運動側の反応を具体的に見ていこう。

■1 シャンバラ(京都)

 京都のスペース〈シャンバラ〉は、自らの機関誌でこの問題を大きく扱っている。

◇1979年8月1日『スペース通信』4 【し−60】
 《特集:女と仕事を考える――労基法の改悪をきっかけに》
「改悪の経過と内容」:〔生理休暇の廃止〕〔深夜業の解禁〕〔時間外・休日労働規制の緩和〕
「生理休暇――時代を超えた女の権利として」(江田村たつ江)
◇1979年9月1日『スペース通信』5 【し−61】
 《特集:女と仕事を考える その2》
「何よりも労働時間の短縮を」(小堀恵美子)

 また、〈シャンバラ〉を拠点として〈労基法改悪反対実行委員会〉が組織され、精力的な活動な取り組みがなされた。
ほか(【ろ−06】〜【ろ-10】)を参照されたい。
 1979年8月の合宿は、中島通子・駒野陽子・小西綾・藤枝澪子を講師に招いた、大がかりなものとなった。
 以下に、1979年3月4日「労基法改悪反対集会」(京都)におけるビラ(【ろ−07】)の文面を載せて、その主張を確認しておく。

●女はそれを許さない! 3月4日労基法改悪反対集会(集会託児あり)に参加を!!△13/14▽
 とき PM1じ〜
 ところ 京都会館会議場
主催:労基法改悪反対集会実行委
 労基法が改悪されようとしているのをご存じですか。労基法できめられた労働条件の最低基準である「女子の深夜労働の禁止」「生理休暇」の廃止「時間外労働制限」の緩和など、女の労働条件がさらにきびしくなろうとしています。政府は、これを「改正」とし、雇用の男女平等をおしすすめるものだと言っています。しかし構造不況の波がおしよせており、失業者の数は一二四万人にも達しています。男子失業者の雇用すら深刻な状況であるのに、政府の「改正」で、女性に対する雇用の不平等が是正されるとはとても考えられません。
〈とりたくてもとれない生休―廃止反対!〉
 今回の政府案では、妊娠・出産に限定した「産む」機能の保護(産休の延長→ただし無給)を強調し、生休とは全く無関係なものとして、生休は「医学的根拠がない」「形骸化している」「乱用されている」「甘えだ」という理由のもとに廃止しようとしています。しかし現実には約84%の女たちが生休は「無給だからとれない」「休めば首がとぶ」「他の女の人にしわよせが行く」など、とりたくてもとれない状況におかれているのです。だから政府のいう雇用の男女平等と引きかえに生休を返上することは、中小企業の低賃金、劣悪な労働環境で働く大多数の女・パート労働者を犠牲にすることになるのではないでしょうか。またこの廃止によって女を生理のない男なみに効率よく働かせようとの意図があるように思われます。
〈女を職場から追い出す時間外制限緩和・深夜労働解禁反対!〉
 企業が男より安い労賃で深夜業・長時間労働を女にふりあてようと「時間外・深夜業の制限」廃止が打ち出されています。しかし、強いられれば、不規則な生活や過重労働によって、女のからだはよりいっそう生理痛・生理不順・流産、職業病などに追い込まれることになるでしょう。深夜業は男にとっても非人間的なものであり、まして、女に家事育児まで押しつけられている現状では、子持ちの女は子供の生活まで破壊されることになり、とうてい働き続けることはできません。結局「家庭」に引きこもるか、パートに転職せざるをえなくなります。「平等の雇用機会を得る」どころか「国民生活に必要な深夜業は女もやれ」とは、女を正職員から追い出すことではないでしょうか。
〈パートにも労基法の適用こそを!〉
 現状でも女が正職として働ける機会は少なく、パート労働は年々ふえてきていますが、この「改正」案はパートの労働基準について、一言もふれていません。「家事の片手間に働ける」というパート労働は実は「男は仕事、女は家庭」という男女の役割分業の固定の上にたって、安価に使える女子労働を企業が利用しようとするものです。パート労働は、時間給のみで、有給休暇はもちろんボーナス・生休・社会保険などの保障もほとんどなく、しかもいつでも首を切れるという、企業にとってはまったく好都合の低賃金・△14/15▽無権利労働なのです。労基法の改悪は、パートの労働条件悪化につながり、正社員とパートの差別分断はさらに深まってゆき、また全体的な労働条件のしずめ石ともなるでしょう。私たちは企業の使いすてを許さないためにパートにも現行労基法の適用こそを要求していくことが必要なのではないでしょうか。

 いわゆる「保護」などまったくない職場でも男女差別だけは厳然とあるのが実情です。また「母性保護」という言い方についても、わたしたちはそれを「保護」ではなく女の当然の権利だと考えています。
 以上のような立場から、私達は労基法改悪に反対します。

■2 グループ飛女[ひめ](大阪)

 大阪の〈グループ飛女[ひめ]〉は、上記の3月4日の京都における集会に参加したメンバーが、会報に「労基法改悪反対集会報告」を載せている――「〔1979年〕3月4日、京都会館で労基法改悪反対集会が開かれ、飛女のメンバーは10名参加した[…]」(1979年4月1日『ひめっこ』No.7 【ひ−44】)。
 1979年6月24日労基法改悪反対実行委による第3回討論集会の報告、「生理休暇は必要だ!――第3回労基法改悪反対討論集会に参加して」(1979年7月1日『ひめっこ』No.10 【ひ−47】)もある。
 自分たちの意見表明として、以下のものがある。

●'78年11月 労基法・「女性保護撤廃」提言(コラム)
 11月、労基法研究会から「女性保護撤廃」の提言。女も男と同じように、不眠不休で働けば男女平等になるんだって冗談デショ。それでなくとも日本は欧米に比べて格段に有休が少ないのに、これ以上働かされたんじゃあ母性破壊は進行する一方▼「深夜労働制限生休廃止」は、有給休暇が十分に確保され、保護規定の必要がなくなった時、初めて考えられるべきものと思う。現状のまま「母性保護撤廃」を行なうことは、ますます女性の生き難さを増大させるだけで、女男平等など実現できるはずがない▼企業殿も必死で不況乗り切り策を講じて、男女平等実現【傍点:男女平等実現】いう甘い言葉を使って、実は女をよりいっそう無駄なく効率よくこき使ってやろうというコンタンなのダ▼労基法研究会って、結局資本家の味方なのよネ。こき使い方を研究するよりも、女男とも、もっと余裕をもって働けるように労働時間の短縮のし方でも考えろ。
(1979年3月1日『飛女[ひめ]』2号 p.44 【ひ−42】 *傍点は原文による)

■3 愛知の動き

 愛知では、〈労基法改悪反対!! 男女雇用平等法を成立させる愛知の会〉の活動があった(【ろ−12】〜【ろ−18】)。△15/16▽
 同会によって、1980年11月22日に「労基法改悪阻止!愛知県集会〜'81年にむけて女性の労働権確立の展望を切り拓こう〜」が、1981年2月17日には「労基法改悪に反対し、男女雇用平等法をつくるシンポジウム(愛知)」(【ろ−16】)が開かれた。

■4 京大えぽか

 京大の学生による〈京大えぽか〉は、『えぽかつうしん』1979年11月22日労働基準法特集号(【き−12】)で、
をまとめている。

■5 私たちの男女雇用平等法をつくる会(東京)

 東京では、新宿の中島(通子)法律事務所を中心として、〈私たちの男女雇用平等法をつくる会〉が活動した(【わ−15】〜【わ−29】)。

●労基法改悪に反対し、私たちの男女雇用平等法をつくろう――女の労働権確立をめざして、女たちよ共に闘おう!〈入会のおさそい〉
 […]私たちは、あらゆる性差別をなくしていく運動の第一歩として、雇用における男女の差別を保障し、女性の労働権を確立する法律の制定にむけて活動しています。
 ところが、一九七八年十一月、労働基準法研究会は、女性の保護切りすてを条件として、平等法の制定を打ち出しました。労働基準法第三六条によって、日本の男性は深夜業も残業も無制限、のばなしの状態です。このような今の日本の男性の労働条件にあわせて働くことをしいられるのでは、女が働きつづけることはいっそう困難になり、差別はますます増大することになるでしょう。
 私たちは、女が男と同じに働ける労働条件、社会的条件の整備を要求し、本当の平等を確保できる、私たちのための男女雇用平等法案を自らの手でつくり、その実現をせまっていく運動をねばり強く進めていきます。
さあ、あなたも、私たちの仲間として、いっしょに運動しませんか。
私たちの男女雇用平等法をつくる会
(【わ−15】)

●「女の労働権の確立をめざして」(巻頭言)
 一九七〇年、東京商工会議所は、女をさらに安く使い、使い捨てようという資本の意図をむき出しにして、現行の母性保護規定を「過保護」であるとさえ言い出しました。△16/17▽そして昨年の労働基準法研究会の報告は、これを受けて、「保護ぬき平等論」を打ち出してきたのです。現在の情勢には目まぐるしいものがあります。労基法改悪反対の声が高まるとともに、国際的な潮流の中で、雇用における性差別撤廃の問題が、ようやく討議の対象にのぼりつつあるのです。すでに社会党は昨年の第八四国会において「男女雇用平等法」案を提案し、共産党はこの六月に、その機関紙に「雇用における平等の機会・権利の保障に関する法律」案を発表しました。
 今、この時に、当事者である私たち女が、沈黙を知恵とし、私たちの基本的人権である母性保障と労働権の問題を政府・政党間の力関係にゆだねるならば、お定まりのザル法制定と、母性保護規定の一方的緩和によって、性差別の現状は、むしろ拡大してゆくでしょう。
(『性差別にくさびを!』p.3 【わ−19】)

■6 〈主婦戦線〉(東京・多摩)

 東京・多摩の主婦たちによるネットワーク〈主婦戦線〉は、この問題と、女性たちの運動も含めた状況に対し、とりわけ辛辣な意見を述べた。

 当事者たちはなぜ抱きあわせに出されたかと不審顔であるが、労基法改悪と男女雇用平等法が同時に出されたことは、「国際婦人年」が労働者の階級意識の解体を側面からねらうイデオロギー攻勢として実に有効に作動した証左である。[…]
 我々ただの女の側からいえば、女総体の解放の視野の欠落した「国際婦人年」キャンペーンは、リブの名を風化させたと同時に、労基法改悪に直結する体制側の分断支配の策でもあった。
(1978年12月「性と階級の二重の抑圧からの女解放(声明)」 → 1980年1月10日『女解放――80年代をひらく視座』p.76 【し−94】)

●「(アピール)わたしたちの人権・労働権【傍点:人権・労働権】の一層の抑圧・切り捨てである労基法改悪【傍線:労基法改悪】に反対します」
 昨年、一九七八年、十一月に労相の私的諮問機関である労働基準法研究会により出された、報告は、男女平等法制定の必要をあげ、平等法制定のためには、現行労基法が現状にそぐわず、労基法の女子保護条項が、男女平等の足かせになっているという理由で、妊娠・出産時の母性保護以外の女子保護条項の廃止の方向をうち出してきています。
 わたしたち女性の多くは、現在、現行労基法以下の低賃金、無権利の不安定雇用状態におかれ、人間として生きていくための基本的人権がおびやかされ、労働権の確立さえ、未だなされていません。労基法改悪が行なわれれば、わたしたちは無制限の犠牲を強いられさらなる収奪を余儀なくされます。また、“保護見直しキャンペーン”の裏側で、労基法全体の改悪が意図されていることを見のがすことはできません。△17/18▽
 男女平等のアメをちらつかせることによって、労働者間の分断を図り、さらには、女性間の利害対立による階層分化をおしすすめ、女総体の解放を阻み、“家庭責任”の強調、“妻の座・母の産”のおしつけにより女を母性神話に縛りつけるとともに、能力主義で、一定程度、おだてあげ、労働力の収奪をねらった、資本の攻撃とうけとめます。
 労基法改悪とセットの男女平等法【傍線:男女平等法】に反対します。
一九七九年六月主婦戦線
(1979夏『星火通信』別冊No.4 《労基法改悪阻止!男女雇用平等法反対!》 【し−93】 *強調は原文による)

■7 女の労働のありかたをめぐる模索――〈パート・未組織労働者連絡会〉

 〈主婦戦線〉は、1978年にその活動組織として〈主婦の立場から女解放を考える会〉を立ち上げた。1979年には、〈主婦戦線・主婦の立場から女解放を考える会〉名義で、改めて以下のような見解を表明している。

《労基法改悪は、労働戦線の分断を目論む80年代総合資本戦略の一環!》
 昨'78年11月労働大臣の諮問委より提出された労基法改正案の骨子は、現行労基法は制定後32年を経て現状にそぐわず、女子保護規定が労働の男女平等の足かせになっているので、その撤廃改正と共に、高学歴化した女子の能力を活用すべく男女平等法を制定するというものです。しかし、女の労働者の多くが現行労基法摘要以下の劣悪な条件にあり、とりわけ主婦パート時給労働者に象徴される我々、女大衆の低賃金・無権利・無保証の臨時不安定雇用状況からは、この改正案は、エリート女には有効でも、我々自身のさらなる人権・労働権の圧迫・切りすてを意味する労基法改悪といえます。従ってこの改悪策動は、構造不況に起因する低成長時代を労働力の合理化・強化・再編という労働者階級の一層の搾取でのりきらんとする国家独占資本の労働力対策と位置づけられます。
《男女雇用平等策動は、労基法改悪の為の陽動作戦!》
 労基法改悪と男女雇用平等法制定推進とがセットで出されたのは何故か。それは、70年代婦人労働力対策に一貫する女の上層と下層の二者分断支配策の為であり、即ち、労基法改悪は、女大衆をより一層圧迫する為のムチであり、一方の男女雇用平等法は、その目隠しに資本のよきパートナー・エリート女に与えられたアメといえ、それは「国際婦人年」目玉「育休」の実施にも顕著なように、エリート女に対するアメ的法措置の為に動員されるのが、女大衆の臨時パート労働力という構図をとります。従って、男女雇用平等法策動は、労基法改悪の真意を陰ペイする為の陽動作戦であり、同時に、女の階層分化=〈女の女差別〉構造の策動でもあるといえます。
(1979年6月15日『星火通信』 【し−92】)△18/19▽

 1979年には、〈主婦の立場から女解放を考える会〉が母体となって〈パート・未組織労働者連絡会〉が生まれる。同会の会報『時給労働者通信』の1980年8月7日臨時号(【は−06】)には、「〈労基法改悪反対〉の具体的提案――パート労働の現場から」が掲載されている。ここでは特に「モデル就業規則」の問題について扱っている。

■8 女の労働のありかたをめぐる模索――札幌の動き

 札幌では、スペース〈ひらひら〉を拠点として〈女解放労働組合〉が活動した(【ひ−74】【も−04】【お−51】)。

 以上が、資料群より抽出した部分から窺える(言うまでもなく不完全な)概観である。
 「保護」から「平等」へ、という政府・資本側のロジックに対して、総じてリブ運動側はその「平等」の欺瞞性を批判し、この策動の内実が政府・資本による労働力搾取強化の方針にほかならないことを指摘した。その論調においては、“男並み(に働く)”=“平等”という図式を否定し、女の労働条件を考えるには“男の働きかた”(=現代企業社会の論理とそれに連携する国家政策)を含めて「労働者」の権利状況そのものを根本的に見直し、剥奪された諸権利を奪還することが必要であると認識していた点で共通していた。
 しかし、そこから先の論理については二分化する。一つは、働く女たち自身で理想的な「男女雇用平等法」を策定しようという動き(〈私たちの男女雇用平等法をつくる会〉に代表される)、もう一方は、そうした発想・行動自体が「構造的《女の女差別・女の階層分化》を容認する女権拡張運動」であるとして強く批判する動き(〈主婦戦線〉が代表的)である。それは「国際婦人年」に対する認識の対立構図と一致しており、前者は「国際婦人年をきっかけとして」運動を展開しようとしたグループ(〈国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会〉)と直結しており、後者はそうした“国際婦人年キャンペーン”に「踊らされる」女たちの動きを厳しく批判していた★03
 そうした差異/対立を内包しつつも、総体的なリブの動きとしては、この労基法改定(ならびに政府が提唱する男女雇用平等法立法の意図)の「本質」★04を十分に批判的な視点から△19/20▽的確に見抜いたうえで、全国的にそれに反対する積極的な活動が展開されていたと評価できる。単なる改悪反対運動にとどまらず、それをきっかけとして新たに自律的な女の労働のありかたをめぐる模索が形となって現れていることも重要である。
 結局、労基法「改正」と「男女雇用平等法」立法化の策動は、「男女雇用機会均等法」(正式名称は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」)成立において現実化した(1985年第102国会で可決・成立、同年6月1日公布、翌86年施行)★05。この法律は、「勤労婦人福祉法」の改正部分と労基法の「改正」部分から成る。
 この帰結に関しては、リブ運動に関わっていた者のほぼすべてが批判的であるが、しかし、「均等法」成立に至る過程において、一部の(元)リブの指向性が部分的に加担し/吸収されてしまった側面は否めない。その意味でも、この労基法改定の時期とその後のリブ運動のどこを“評価”し、どこを“課題”として検討しなければならないのか、今後この問題に取り組む者たちは常に厳しくその判断を余儀なく要求されるのである★06。したがってこの問題は、現時点においてなお、きわめてアクチュアルに機能する問題なのである。

■注

★01 それ以前には、婦人問題企画推進本部が「国連婦人の10年」を受けて1977年1月に発表した「国内行動計画」において、雇用における男女平等の徹底には男女が同じ基盤で就労できることが前提条件となるので、女子の特別措置について合理的範囲を検討し、支障となるものの解消を図る旨が述べられていた(塩田[2000:63]参照)。

★02 1970年10月、東京商工会議所が労働省に提出した「労働基準法に関する意見書」において、“労働基準法は婦人に対して過保護である”と提起されたことなど。詳しくは、広田[1978]参照。

★03 広田寿子は、「〔1970年の東京商工会議所「意見書」における――筆者注〕「過保護」論は、いまでは資本の手をはなれて独り歩きを始めている。この点について今回ふれるゆとりがなかったが、まったく異質なはずの国際婦人年の平等要求と、手を結ぶポーズをとったりもしている」(広田[1978:47])と指摘している。

★04 広田寿子によるまとめを参照しておこう。「少なくとも大企業では、従来どおり「若年未婚型」労働力を女子労働力の中軸にすえ、「若年未婚型」からハミ出た労働力を精力的に排除すると同時に、どうしても排除できないごくわずかの部分を、男子なみに「有効活用」する必要が生じていたのである。しかも不足する生産部門の労働力は、パートタイマーでおぎなうという方向も、すでに定着しはじめていた。/資本に都合のよい労基法「改正」をめざす「過保護」論は、「定着阻止」およびパートタイム制度と一体のものであり、「意見書」が述べている「女子の能力を充分に発揮させる必要の増大」は、資本にとっての必要の増大にすぎなかったのである」(広田[1978:49])。

★05 成立までの詳しい経緯と問題点の整理は、浅倉[1996]・堀江[2005]参照。

★06 加えて、いま現在大きく問題となっている「パート労働法」(1993年成立・施行)などの性格を検討する際にも、この時期の議論は常に振り返って参照されるべきものとしてある。

■文献

浅倉むつ子 1996 「男女雇用平等論」,籾井常喜編『戦後労働法学説史』,旬報社 → 2000 「戦後労働法学と男女雇用平等論」,『労働とジェンダーの法律学』,有斐閣,pp.51-112
◇広田寿子 1978 「労基法三規定にかかわる「過保護」論の検討」,『婦人労働の立法論的検討』,日本労働法学会誌52号,総合労働研究所 → 1979 「女子「過保護」論の経済的検討」,『現代女子労働の研究』,労働教育センター,pp.46-59(付記:pp.59-62)
◇堀江孝司 2005 「「保護」と「平等」をめぐる政治」,『現代女性と女性政策』,勁草書房,双書ジェンダー分析8,pp.223-305
◇鹿野政直 2004 『現代日本女性史――フェミニズムを軸として』,有斐閣
塩田咲子 1990 「男女雇用機会均等法と性役割分業の変革」,『日本の企業と外国人労働者』,社会政策学会年報第34集,御茶の水書房 → 2000 「男女雇用機会均等法と性別役割分業の変革」,『日本の社会政策とジェンダー――男女平等の経済基盤』,日本評論社,pp.61-90
◇横山文野 2002 『戦後日本の女性政策』,勁草書房

【注記】Web掲載にあたり、適宜、若干の表記上の修正ならびにリンク設定を行なった。[村上潔]

■関連/参考

◇栄井香代子 20070331 「資料の概略」,栄井香代子・竹村正人・村上潔『「平成18年度京都市男女共同参画講座受講生参考資料(女性解放運動関係)収集調査」報告書』,NPO法人京都人権啓発センター・ネットからすま,4-11(第1章)
◇滝川マリ・冬木花衣・ぶんた(聞き手:村上潔) 20070731 「[インタビュー]八〇年代京都におけるリブ運動の模索――〈とおからじ舎〉へ、そして、それから。」,『PACE』03:36-49 【Web掲載:20200927】
◇村上潔 20090331 「「男女平等」を拒否する「女解放」運動の歴史的意義――「男女雇用平等法」に反対した京都のリブ運動の実践と主張から」,『Core Ethics』05: 327-338
◇村上潔 20120331 「労働基準法改定の動静における女性運動内部の相克とその意味――「保護」と「平等」をめぐる陥穽点を軸として」,『現代社会学理論研究』06: 89-101
◇村上潔 20120331 『主婦と労働のもつれ――その争点と運動』,洛北出版


*作成:村上 潔(MURAKAMI Kiyoshi)
UP: 20201025 REV:
フェミニズム (feminism)/家族/性…  ◇女性の労働・家事労働・性別分業  ◇主婦/パート/労働(日本)  ◇「男女雇用機会均等法」  ◇社会運動/社会運動史  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)