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「痛いのは困る」から問う障害と社会
立岩 真也
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熊谷 晋一郎
(対談) 2019/07/01
『『現代思想』
47-09(2019-07):221-229
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「熊谷 この度は『不如意の身体――病障害とある社会』と『病者障害者の戦後――生政治史点描』(ともに青土社、二〇一八年)のご出版をおめでとうございます。私自身、これまで面倒くさいことばかりが起きる人生を送ってきたのですが、その面倒くささがどういう歴史的な背景から生じてきたのかについて、特に『病者障害者の戦後』を読んで理解できるようになりました。
というのも、『病者障害者の戦後』のなかで描かれていることは、私の人生に直接的、間接的に関わってきたことばかりだったからです。私は一九七七年生まれで、脳性まひという障害をもっています。私の幼少期は「療育の時代」と言われていました。つまり、「脳性まひは治る」と言われ、生まれて間もないころからしっかりリハビリをして、健常な子どもに近づくと信じられ、ゆえに努力して近づかなければならないとされていた時代だったのです。私自身幼少期の頃から効果のないリハビリばかりさせられて、子ども心に「なんでこんなことをするのだろう」と思っていた。一体このような療育の方向性がどこから生じたのかをよくわからないまま長い間過ごしてきました。『病者障害者の戦後』は、戦後から解き起して、私が経験した七〇年代後半に至るまでの歴史が描かれています。当事者運動や親の会、医者たちなどのさまざまな関係者の関わりのなかで、幼少期に経験したあの世界がどういうところから発生したのかがあらためてよく理解できました。 今申し上げたのは私が幼少期に経験した最初の面倒くささですが、大人になってから別の面倒くささにも直面しました。[…]」(0706)
「今申し上げたのは私が幼少期に経験した最初の面倒くささですが、大人になってから別の面倒くささにも直面しました。私は一八歳のときに上京して東京で一人暮らしを始めます。そこで「障害者運動」に本格的に出会うことになりました。周りに先輩の障害者が何人かいて、彼らのアドバイスを受けることで、地域の資源をつかって一人暮らしができ、すごくありがたかった。その一方で、なんて面倒くさい先輩たちなんだろうとも思ったものです(笑)。この人たちは何にこだわっているのだろう、その一方で何に不満があるのだろうということがわかりきらないまま、当時はつきあっていました。先輩たちとの関係が深まるにつれて、さまざまな歴史について△221 伺うことがあり、耳学問としてだんだんわかるようになっていったのですが、『病者障害者の戦後』を読んで改めて、あの時の先輩の言葉の意味を理解することができました。
その後、私は東京大学の医学部に入学します。『病者障害者の戦後』にも書かれていますが、東大医学部がこの歴史のなかで果たした役割について、改めて考えさせられました。」(0707)
「『病者障害者の戦後』にも書かれていますが、東大医学部がこの歴史のなかで果たした役割について、改めて考えさせられました。就学していた当時は何の意識もなく通っていたあの建物が、自分の幼少期に間接的に与えてきた影響について、今知ることが結構多かったです。この本をあの当時読んでいたら、私は医学部を選んだだろうかとすら思います。「敵の思惑を知りたい」というのが、医学部に進んだモチベーションの半分くらいを占めています。その見立ては確かに間違っていなかったのかもしれませんが、立岩さんにここまで具体的に書いていただくことで、今一度自分の半生も振り返ることができました。残りの人生で何をするかということにも具体的に思い描けるようになり、これが歴史の力だというふうに改めて思っています。」(0710)
※登場人物何人か
◇
秋元 波留夫
(1906〜2007)
◇
白木 博次
(1917〜2004)
◇
椿 忠雄
(1921〜1987)
◇
井形 昭弘
(1928〜2016)
※東大医学部が出てくる別の本
◆立岩 真也 2013/12/10
『造反有理――精神医療現代史へ』
,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+
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※ m.
「諸先輩方との関わりは今日までずっと続いています。ここのところ遅ればせながらいろいろわかることが増えてきて、「自分が果たすべき役割もあるかもしれない」と思い始めました。これまで先輩方が頑張っていて、自分には役回りが回ってこないと思っていたのですが、今障害者運動のなかでも世代交代が起こっていて、私くらいの世代が本格的に引き継がなければならない時機に来ていると思います。先輩方としてもバトンを渡す準備ができてきた感じもあり、そのときに耳学問だけでは足りなくなってきました。そういう意味でも今回の立岩さんのお仕事はかなり参考になりました。今回立岩さんが「こんな研究も、あんな研究も足りない」と呼びかけてくださっているのも非常に心強いです。
直近で私がぜひやらなければならないと思っていたことの一つは、脳性まひの人達がどんな治療を受けてきたかについての歴史を調べておくことです。いま日本は国連から障害者権利条約をきちんと守っているかどうかチェックを受けますが、政府は問題ないという結論のレポートを出すでしょう。しかし、まったくそうではないということについてDPI日本会議副議長の尾上浩二さんを中心に、パラレルレポート(市民社会から問題点をまとめたレポート)が出るはずです。このレポートのなかで、脳性まひ者についても言及しようとしています。そこで、尾上さんに治療の歴史について調べてくれないかと頼まれたのですが、探せど探せど当事者の側からの情報がないのです。医学者が書いた文献はたくさんあり、今日では信じられないような正しくない効果が記載されていたりします。その一方で、どういう経験をしたのか、後遺症はどうだったのかなどの研究はなされていません。立岩さんも、こうした研究がもっとなされなければならないと書いていらっしゃいますが、本当にそうだと思います。別の障害において似たようなことが繰り返されかねませんし。
立岩 はい、『不如意の身体』の方で、」(0816)
「脳性まひ」→
http://www.arsvi.com/d/cp.htm
「立岩 はい、『不如意の身体』の方で、(0816)二〇年以上前から「脳性まひの治療についてみなさん調べてください」と言っているのに、このかん熊谷さん以外誰も書いていないと恨みがましいことを書いています。昨年も、九州で、かつて脳に電流を流すといった「療法」が行われたといった話を聞きました。自分で調べたりまとめたりできないけれど、そのインタビューの記録は公開したいと思ってたりしています。
他方、『病者障害者の戦後』を書いたきっかけの一つには、結核やハンセン病者たちの収容施設として戦後つくられ、その後筋ジストロフィーと重度心身障害の子どもたちを収容した国立療養所の所長たちがつくった『国立療養所史』という本を入手して読んだということがあります。この本のなかで所長たちは自分たちがやってきたことを自画自賛している。こうした彼らの自己肯定もまたある種の閉塞をつくってきたのだろうと思います。
熊谷さんにも注目していただきましたが、東大医学部にいた人達の歴史は、大概の方がすでにお亡くなりになっていることもあって、忘れ去られようとしています。しかしきちんと覚えておいたほうがよいことも少なからずある。例えば、白木博次という神経病理学者がいます。彼は東大闘争のときに医学部長の職を追われましたが、その後も水俣病訴訟で患者側の証言人として法廷で証言したりして、「社会派」の医者として尊敬もされていました。だけれども、それだけなのか。僕は、東大闘争がほぼ終わっていた、しかしすべて消え去ってはいないといったその大学にいた人間ですが、当時関わった人たちが白木のことをよくは言わなかったというかすかな記憶がありました。この記憶を辿って調べてみると、彼が果たした役割がわかってきたわけです。そしてそれは、『造反有理』で取り上げた秋元波留夫や臺(うてな)弘もそうですが、じつはあいつは悪いやつだというだけのことではない、もう少し微妙なのですがそこが大切なところだと思ったのです。」
◆2019/03/29
熊谷晋一郎さんとの対談
,於:東京堂書店
◆
立岩 真也 2018/11/30
『不如意の身体――病障害とある社会』
,青土社
文献表
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立岩 真也 2018/12/20
『病者障害者の戦後――生政治史点描』
,青土社
文献表
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UP:20190705 REV:20190706, 07, 10, 0818
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