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秋元 波留夫
あきもと・はるお
1906〜2007
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1906年1月29日 - 2007年4月25日。精神医学者。長野県長野市出身。
東京都立松沢病院院長、金沢大学名誉教授、日本精神衛生会会長、日本精神保健政策研究会会長、日本てんかん協会監事、社会福祉法人きょうされん理事長、きょうされん顧問など歴任
■略歴
1929年 東京帝国大学医学部卒業
北海道帝国大学医学部精神医学教室助手
1935年 東京府立松沢病院医員、東京帝国大学医学部副手
1937年 東京帝国大学医学部講師、外来医長
1941年 金沢医科大学(現在金沢大学医学部)教授
1958年 東京大学医学部教授
1966年 東京大学退官、国立武蔵療養所
(現在国立精神・神経センター)所長
1977年 国立武蔵療養所退職、名誉所長
1979年
東京都立松沢病院
院長
1983年 東京都立松沢病院退職
◆
http://iryojimu.blog46.fc2.com/blog-entry-178.html
「院長が2年くらいいなかった時期もあって、もうこの人しかまとめられないということで、引退していた70代の先生がきて、それでまた正常化したわけです。」
■著書(※は書庫にあるもの。◆は書籍◇は論文)
1960's
◇秋元波留夫 19641031
「精神障害者の人間性回復のために――精神衛生法の全面改正にあたって」
、『精神衛生』NO92-93:p3
1970's
◆秋元 波留夫 19700815
『職場の異常心理』
,日本工業新聞,243p. ASIN: B000J9ZJ30 504 ※
◆秋元 波留夫 19710715
『異常と正常――精神医学の周辺』
,東京大学出版会,299p. ISBN-10: 4130050648 ISBN-13: 978-4130050647 ※
◇秋元 波留夫 1974 「精神科看護を考える」,「精神科看護」1-1→秋元[19760330:104-139]
◆秋元 波留夫 編 19750915
『作業療法の源流』
,金剛出版,344p. ASIN: B000JA02S6 5800
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※
[広田氏蔵書]
◆秋元 波留夫 19760330
『心の病気と現代』
,東京大学出版会,305p. ASIN: B000J9WD5C 1260
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※ m.
[広田氏蔵書]
◆秋元 波留夫 19760531
『精神医学と反精神医学』
,金剛出版,371p. ASIN: B000J9WA3M
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13567〜 ※ m.
[広田氏蔵書]
1980's
◆秋元 波留夫 198003 『心の医療――生きる権利の原点をもとめて』,大月書店,213. ASIN: B000J89QTO
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◆秋元 波留夫 19850523
『迷彩の道標――評伝/日本の精神医療』
,NOVA出版,290p. ISBN-10: 4930914191 ISBN-13: 978-4930914194 \2940
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[kinokuniya]
※ m. ut1968.
◆秋元 波留夫 19851107
『未来のための回想』
,創造出版,114p ※
◇秋元波留夫 198608 「精神障害者の地域サービスはどうなっているか――「共同作業所」の実践から」、『臨床精神医学』第15巻第8号:p1327
◆秋元波留夫 19870610
『精神障害者の医療と人権』
,ぶどう社,246p. ISBN-10: 4892400688 ISBN-13: 978-4892400681 2400 ※
1990's
◆秋元 波留夫・上田 敏 19900815
『精神を病むということ』
,医学書院,326p. ISBN-10: 4260117505 ISBN-13: 978-4260117500 \4725 ※
◆秋元 波留夫・冨岡 詔子 199106 『新 作業療法の源流』, 三輪書店, 376p. ISBN-10: 4895900088 ISBN-13: 978-4895900089 \4587
◆秋元 波留夫 199109 『精神障害者リハビリテーション――その前進のために 』,金原出版, 287. ISBN-10: 430715035X ISBN-13: 978-4307150354
◆秋元 波留夫 199601 『空想的嘘言者に蹂躙された日本――社会病理学的一考察』,「新樹会」創造出版, 55p ISBN-10: 4881582410 ISBN-13: 978-4881582411
◆秋元 波留夫・調 一興・藤井 克徳 編 19990129
『精神障害者のリハビリテーションと福祉』
,中央法規出版,251p. ISBN-10: 4805817771 ISBN-13: 978-4805817773 2730
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※
2000's
◆秋元 波留夫 20020228
『実践 精神医学講義』
,日本文化科学社,1044p. ISBN-10: 4821073153 ISBN-13: 978-4821073153 14700
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[kinokuniya]
※
◆秋元 波留夫 20020620
『新・未来のための回想』
,創造出版,328p. ISBN-10: 4881582720 ISBN-13: 978-4881582725 \2940 ※
◆秋元 波留夫・天野 直二・仙波 恒雄 20030911
『二十一世紀 日本の精神医療――過去・現在・未来を見据えて』
,SEC出版,103p. ISBN-10: 4434035045 ISBN-13: 978-4434035043 \1680 ※
◆秋元 波留夫 200402 『精神医学遍歴の旅路――10の講演』,創造出版,231p. ISBN-10: 4881582917 ISBN-13: 978-4881582916 \2940
◆秋元 波留夫 200411 『明るく生きるてんかんの時代――てんかんを考える会5周年記念講演』,萌文社, 62p. ISBN-10: 4894910101 ISBN-13: 978-4894910102 \500
◆秋元 波留夫/上田 敏 構成 20050916
『99歳精神科医の挑戦――好奇心と正義感』
,岩波書店,246p. ISBN-10: 400022543X ISBN-13: 978-4000225434 1995
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[kinokuniya]
※ m.
◆秋元 波留夫・清水 寛 200609 『忘れられた歴史はくり返す――障害のある人が戦場に行った時代』,きょうされん,86p. SBN-10: 4894911132 ISBN-13: 978-4894911130 \700 cf.
共同作業所全国連絡会(共作連)
◆秋元波留夫教授還暦記念刊行会 編 19680625
『秋元波留夫教授還暦記念論文集・上巻』
,秋元波留夫教授還暦記念刊行会,365p. ASIN: B000J9VUYW
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※ m.
◆秋元波留夫教授還暦記念刊行会 編 19680625
『秋元波留夫教授還暦記念論文集・下巻』
,秋元波留夫教授還暦記念刊行会,341p. ASIN: B000J9VUYW
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※
■引用
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◆秋元 波留夫 19641031 「精神障害者の人間性回復のために――精神衛生法の全面改正にあたって」、『精神衛生』NO92-93:p3
「三、医療施設の問題
精神衛生における医療施設の問題はAction for Mental Health(1961)のなかで、Jack Ewaltが強調しているように、依然として精神衛生法の中心課題core problemである。どんなに精神医学的治療が進歩しても、精神病院の問題は常に新しい相貌を呈しつつ論ぜられ、改革されなければならないだろう。わが国における医療施設の主要な部分をしめる精神病院は、量と質との両面において多くの問題を蔵している。まず病床数の絶対数の不足ができるだけ速やかに解消されなければならないが、この最も大切な精神病床の増床が、これまあであまり計画的に行われなかったことは遺憾である。[…]
公私の比は九三対七となり、精神障害者に対する医療施設がもっぱら公共の責任において運営されていることがわかるのである。米国における私立精神病院は公立のそれとは性格を異にしており、経済的に比較的恵まれた階級の患者を扱うデラックスな病院が多い。このような様相はひとり米国に限らず、欧州各国の精神病院の在り方に共通する。[…]
私立精神病院は公共の病院とは異なった機能と性格をもち得るものであり、それはすでに欧米諸国において証明済みである。この点で日本のみが例外であるとは考えられない。」pp3-4(東京大学教授)
■
◆秋元 波留夫 19850523
『迷彩の道標――評伝/日本の精神医療』
,NOVA出版,290p. ISBN-10: 4930914191 ISBN-13: 978-4930914194 \2940
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※ m. ut1968.
「昭和四十四年は東大安田講堂占拠事件が発火点となって大学紛争の火の手が全国に広がった年である。東大精神科ではこの年九月、精神科医師連合のなかの一部の者によって病棟及び研究室が占拠され、教授が教授室から追いだされてにげだすという醜態が演ぜられる始末であった。分裂病は神話である、などという馬鹿馬鹿しい幻想にとり憑かれた連中は精神疾患の生物学的研究を敵視して、攻撃を加えた。」
◆秋元 波留夫 20020620
『新・未来のための回想』
,創造出版,328p. ISBN-10: 4881582720 ISBN-13: 978-4881582725 \2940 ※
「歴史はくりかえすという言葉があるが、19世紀初頭ドイツ語圏精神医学で吹き荒れた精神論と身体論の激しい抗争・とくに精神論者の身体論者に対する攻撃の再現が1960年代の、精神障害は社会的抑圧の産物であると主張する「反精神医学 antipsychiatry」の生物精神医学に対する攻撃であった。イギリス、アメリカなど欧米の反精神医学が言論上の攻撃であったのに対して、わが国の大学紛争に触発された反精神医学は問答無用の暴力的攻撃であった。この暴力に屈して、わが国の大学の精神医学教室のなかに精神障害の治療や成因に関する神経科学的研究を一切放棄するところもあらわれるという始末であった。
わが国の精神医学が反精神医学の暴力に操帝(×)されて、研究能力を喪失した1970年代から1980年代にかけて、いち早く反精神医学を克服した欧米の精神医学は、分子生物学、形態的・機能的脳画像法、神経心理学などの脳研究の画期的な進歩をとりいれ、精神障害、とくに分裂病を脳の障害として見る根拠を提供する実証的研究にとりくむようになり、多くの成果が挙げられている。アメリカの女性精神科医ナンシイC.アンドレアセンNancy C.Andreasen(1984)の次の言葉はこのような状況を端的に物語っている。」(秋元[2002:179])
■言及
◆
岡田 靖雄
1984/05/10 「宇都宮病院と東京大学精神医学教室」,『ツブヤキ』第14号
「[…]
宇都宮病院の
石川院長
が東京大学の見学生となったのは
秋元
教授のとき。そのあと秋元教授は講義をさぼって、宇都宮へゴルフにいったりしていた。この人の名はあまりだされないが、宇都宮病院と東京大学の結び付きをつくったのはおそらくこの人だったろう。
碧水荘問題がすこしずつあらわになってきたころ(宇都宮病院は指定病院をとりけされなかったが、碧水荘はとりけされた)、その院長がやっている診療所で仕事をしていたのが、そのころ東京大学の非常勤講師として精神分析のゼミナールをしていた土居。[…]」
→
宇都宮病院事件
◆近藤 文雄 19961101
『先生、ぼくの病気いつ治るの――障害者と生きて四十年』
,中央公論社,237p. ISBN-10: 412002640X ISBN-13: 978-4120026409
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[kinokuniya]
※
「ところが、好事魔多し、ことはそう簡単には運ばなかった。最大の痛恨事は田中総理の失脚であった。私の考えた理想的な研究所は田中総理ほどの実力者でなければできないことであった。
その証拠に、斎藤厚生大臣にせっつかれてようやくできた研究所の予算は九億円という見る影もない哀れなものとなっていた。
研究所の予算が九億円ときいて、私は後継の三木武夫首相の所へ行って、「約束とはちがうではないか」と詰った。
三木首相は、「そのことは官房副長官に話しておくから、そちらへいって話してきなさい」といわれた。私は上京して榊枝氏とともに副長官を訪ねた。
官房副長官は首相からは何も聞いていない様子であった。
「総理がそういわれるのなら、重く受け止めねぱならない」といったきりだった。
待っているあいだに聞こえたのは、隣の部屋で、
「田中さんが約束したのなら田中さんから出してもらえばよいではないか」という笑い声だった。不注意か故意かは知らないが。
引き上げる途中、同行していた秋元波留夫神経センター(われわれのいう筋ジス△143 研究所)設立準備委員長は、「なんだ、何の役にも立たないではないか」と愚痴った。自分が行って話せばうまく行くとでも思っていたのであろうか。そんな簡単なことで片付くなら苦労はしない。全国の仲間の長年にわたる苦労をなんと心得ているのか。
私は初めからこの交渉にほとんど期待はしていなかった。ただ、万が一、少しでも前進があればと考えて行動したのであった。そのような行動の積み重ねが今日の成果をあげたのである。委員会では、そのような苦労も、筋ジス患者の悲しみも知らぬ委員たちが、自分たちの都合中心に審議を進めていたのであろう。
死児の年を数えるわけではないが、私が希望し、総理が認めてくれたとおりの研究所ができていたら、日本もこの分野で世界のリーダーとなり、医学の画期的進歩に貢献ができたであろうに。
だが、成功も失敗も運命、じたばたしても始まらない。しばしの夢でも見せてもらえたのはありがたいと思うほかはない。
神経センター△144
筋ジス研究所の設立が政府の方針として決定してから、国立精神衛生研究所の一人の医者が私を訪ねてきた。
「今度できる筋ジス研究所に精神科関係の研究も含ませてくれませんか」というのが主旨であった。私は、
「この研究所は物質面の研究だけで心理的な研究は考えていない」というと、
「精神科の方もそれでよい、心理的な研究は含ませない」と答えた。私は、
「筋プスの研究にも神経の研究は必然的に入ってくるから、その面では共通の広場がある。一緒にやりましょう」と同意した。
その後の経過から判断すると、厚生省は独自の構想の下に研究所を作りたかったよのであろう。しかし、われわれの実績を無視するわけにもいかない。といってわれわれの主張を鵜呑みにしたのでは厚生省の浩券にかかわる。はっきりいえば官僚の面子が潰れるということである。
苦肉の策として、一応私の了解を取って、この研究所に神経を潜りこませておけば、後はなんとでも料理ができると踏んでいたようである。
厚生省はまず研究所設置検討委員会をつくって、基本的な問題の審議を姶めた。△145
私もその一員に加えられてはいたが、第一回の委員会に呼ばれず、二回目から出席させてくれた。出席して驚いたのは、委員会の名称が、「神経センター(仮称)設置検討委員会」となっていたことであった。
あまりのことに私は、筋肉の研究が主体であるのに、神経センターとは何事かと訂正を求めた。さすがに気が引けたとみえ、まあこれは仮称だから正式な名称は後でどうにでもなる、といって誤魔化そうとしたが、最終的に「神経、筋センター(仮称)」ということに落ち着いた。
こころが、その後検討委員会は解散して次の段階の準備委員会に切り替えられたとき、その委員から私は外されていた。東大や慶大の名誉教授や現役の教授が名をつらねる委員会であったからであろう、とばかりはいえないようでもあった。
委員長には精神科で東大の秋元名誉教授が選ばれていた。そして研究所の名称についても、委員会の採決をまたずして委員長が独断で、筋抜きの、「神経センター」と決めてしまった。
さらに、ずっと後になって「神経センター」は「国立精神神経センター」と改編された。官庁の統廃合の線にそったものと説明するであろうが、最初私に除外を約△146 束した「精神」が主役の位置を占め、軒を貸した家主の「筋」の名はまったく姿を消しくてまったのである。
名はどうでもよい、実質があればよいではないかという意見もあろう。私もその意見には賛成するが、それはあくまでも実質があればという前提にたっての話である。
なるほど、筋ジスの研究には優秀な学者が研究にあたり、センターの現総長は終始筋ジス研究をリードしてこられた杉田秀夫博士であるが、センター全体から見れば筋ジスは一部にすぎない。私が最初に考えていたような研究所の全機能を集中して筋肉の研究ができるような体制にはなっていない。各自、研究の自由の名の下で独自の研究を進めるだけで、学際的、総合的研究が効率的にできるような体制ではない。百億でも二百億でも出してやろうといわれた宰相の親心は無にされてしまったのである。
アメリカのNIH(National Institute of Health 国立衛生研究所)のような膨大なものともなれば、各部門の研究もかなりの規模でできようが、この程度の研究所で△147 総花的運営をしたのでは、結局あぶはちとらずに終わるほかはない。
さんざん苦労して手に入れた筋ジス研究所のパイは、筋ジス患者の悲しみをよそに、学者や官僚によって食いちぎられてしまった。
神経センター完成の式典に私と榊枝氏は末席に招待されたが、発言の機会はまったく与えられなかった。爆弾発言でもされたら大変だからであろう。といって招待しないわけにもいかず、考えた末の策だったのか。
その時の新任の小沢辰男厚生大臣がのべた祝辞がふるっていた。
「このように立派な、世界にも希な研究所ができて誠におめでたい」と。
せっかく総理大臣が百億やるといったのに、たった九億に縮め、画期的一大研究所ができるはすであったのを潰して、ありきたりの研究室の寄せ集めに終わらせたのを、おめでたいとは。
神経センターの業績報告(一国立武蔵療養所神経センター年報一、後改め「国立盾申.神経センター神経研究所年報一)が毎年出ているが、そのなかに記された歴史には、われわれの行動については一言も触れていない。
あれから二十年、国立武蔵療養所の一部として発足した神経センターは、組織を△148 改めて国立神経センターとなり、武蔵療養所は逆にセンターの付属病院となった。研究部門も増え、研究棟も増築されて規模を次第に拡大した。研究機器は大学以上の高度のものを揃え、動物部門は従来にない完備したものとなった。
その後、さらに「国立精神神経センター」と改編、規模は一層大きくなり、筋ジスの研究はその中の神経研究所で行なわれている。
筋ジスの研究に関しては、ようやく曙光が見えはじめたといえるところまできた。
従来、研究の方向も分からなかったのに、一九八六年ハーバード大学のルイス・クンケル博土らは、デュセンヌ型筋ジス患者の遣伝因子に欠陥のあることを発見、杉田博士らは、その欠陥遺伝子を基に五十個のアミノ酸で構成するペプチドを合成し、それに対する抗体がデュセンヌ型筋ジス患者の筋細胞膜にのみ反応し、健康な人のそれには反応しないことを確認した。
一方同じハーバード大学のエリック・ホフマン博士らは、デュセンヌ型筋ジス患者の筋肉中にジストロフィンと呼ばれる蛋白質が作られていないことを発見した。
これらの発見は筋ジスの本質に迫るもので、筋ジス治療法発見も間近かに近づいたことを思わせる。これからが問題ではあるが、一日も早く治療法が確立されるこ△149 とを祈りたい。△150」
◆立岩 真也 2010/11/01 「社会派の行き先・1――連載 60」,『現代思想』38-(2010-11):
資料
◆立岩 真也 2011/**/**
「もらったものについて・6」
r,
『そよ風のように街に出よう』
80:-
◆立岩 真也 2011/02/01 「社会派の行き先・4――連載 63」,『現代思想』39-2(2011-2):
資料
◆立岩 真也 2013/06/01 「精神医療についての本の準備・3――連載 90」,
『現代思想』41-(2013-5)
:- →
本
◆立岩 真也 2013/07/01 「精神医療についての本の準備・4――連載 91」,
『現代思想』41-(2013-7)
:-
本
◆立岩 真也 2013/11/
『造反有理――精神医療現代史へ』
,青土社 ※
*作成者:
三野 宏治
・
立岩 真也
UP:20090803 REV:20090923, 20101013, 1201, 20130510, 20160610, 20161127
◇
精神障害/精神医療
◇
病者障害者運動史研究
◇
精神障害/精神障害者・年表
◇
アメリカの脱入院
◇
精神医学医療批判/反精神医学
◇
WHO
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HOME (http://www.arsvi.com)
◇