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椿 忠雄

つばき・ただお


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◆椿 忠雄 1987 「序文」,日本ALS協会編[1987:1-4]*
*日本ALS協会 編 19870415 『いのち燃やさん』,静山社,278p. 1200 [5][7][13]

◆椿 忠雄・鈴木 希佐子・矢野 正子・高橋 昭三 編 19870630 『神経難病・膠原病看護マニュアル』,学習研究社,290p. ISBN: 4051505294 3150 ※ [amazon] ※

■言及

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※

 「これまでにもその文章をいくつか引用してきたが、今井尚志、近藤清彦、佐藤猛、林秀明、吉野英といった医師たちがいて、熱心に支援に関わってきた。また既に一九七〇年代から川村佐和子、木下安子といった保健・看護職の人たちがALSの人に深く関わり、ALS協会等にも協力してきた。そして、スモン病、新潟水俣病の原因を特定した人である椿忠雄(都立神経病院院長の後、新潟大学神経内科教授)がALS協会の創設などにも協力した恩人として記憶されている([…]椿の新潟水俣病への対応に批判的に言及しているものとして宇井[1999][…])。こうした人々の業績、言説を跡付ける必要もあるが、本書ではその作業はまったくできていない。一九七〇年代から一九八〇年代のALSの人たちやその関係者、ALS協会の足取りは、今後の研究によって明らかになるだろう。」(立岩[2004:321])

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30 『流儀』,生活書院

「★ 最首・丹波編[2007]。最首による序章から引用。
 「朝日新聞社が情報公開法に基づいて請求した環境庁(当時)召集の医学者たちの議事録があります。冒頭の環境庁の挨拶、先生方に医学基準じゃないんだけれども、医学基準としてお願いし、それを引き受けていただいたと言っている。医学者たちが真面目であることを前提にして、どうして引き受けるか、一つには国を憂える。一つには人々を信じられないことがあります。東大医学部から新潟大に行った椿忠雄は、新潟水俣病の発見者でクリスチャンですが、あるとき態度が変わる。水俣病診断基準を厳しくする当事者になり、以後水俣病認定が激減する。それを踏襲してその後権威になるのが、東大医学部から鹿児島大学に行った井形昭弘で、今は尊厳死法の立役者です。」(最首[2007:18])
 例えばこんなことについて調べて考えてみてもよい。椿忠雄はALSの人たちへの貢献によって讃えられる人でもあるが、いま最首は批判した(もう一人批判している井形――日本尊厳死協会の理事長でもある――は、立岩[2008][2008]に幾度か登場する)。また宇井も椿のことを批判していて、そのことは立岩[2004]『ALS』でもふれている。
 「これまでにもその文章をいくつか引用してきたが、今井尚志、近藤清彦、佐藤猛、林秀明、吉野英といった医師たちがいて、熱心に支援に関わってきた。また既に一九七〇年代から川村佐和子、木下安子といった保健・看護職の人たちがALSの人に深く関わり、ALS協会等にも協力してきた。そして、スモン病、新潟水俣病の原因を特定した人である椿忠雄(都立神経病院院長の後、新潟大学神経内科教授)がALS協会の創設などにも協力した恩人として記憶されている([…]椿の新潟水俣病への対応に批判的に言及しているものとして宇井[1999][…])。こうした人々の業績、言説を跡付ける必要もあるが、本書ではその作業はまったくできていない。一九七〇年代から一九八〇年代のALSの人たちやその関係者、ALS協会の足取りは、今後の研究によって明らかになるだろう。」(立岩[2004:321])
 この本では引用しなかったが、その宇井の文章には以下のように記されている。
 「病気に対する謙虚な姿勢は長くはつづかず、のちに椿は新潟水俣病の第二次訴訟で、昭和電工側から最重要証人と期待されるほど、水俣病に対して限定的な立場をとり、水俣病の認定制度を維持しようとする環境庁の理論的支柱となった。この変貌の理由について椿はほとんど語っていないが、私にはほぼ推察がつく。
 椿はこのあとスモン病の原因研究に参加しその原因がキノホルムであることを発見する。一般に医師が新しい病気を発見するのは、一万人のうちで一人に一生一度に起こるぐらい幸運なことだといわれる。椿は新潟水俣病とスモンの二つの病気の原因を発見した、いわば日本の医師として最高の名誉を得るに値する功績をあげたことになる。この功績が椿に専門性を強調する傲慢への道を開いたといえよう。二つの発見はいずれも問題がかなりの程度まで煮詰まって来て、誰が発見者になるかは時間の問題であり、しかも発見したことを発表するには決断が必要であって、決断のための勇気を迫られるのは事実だから、椿が自信満々になることも無理はないが、患者の運動を「このままでは国益にかかわる」などと、日本国を背負ったつもりで考えるのは、やはり椿が国家鎮護の大学である東大出身だからであろうか。」(宇井[1999])
 この解釈がどうだというのではない。きつく(あるいはきちんと)認定してしまおうとすることについて、どう考えたらよいのか。それは考えてもよいことだと思う。次のように考える。
 […]」


UP:20081031
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