HOME > Tateiwa >

人工的な延命/自然な死?

立岩 真也 2011/11/20
『THE LUNG Perspectives』19-4(2011-11)79-81(523-525)(メディカルレビュー社)
http://m-review.co.jp/



Tweet

  いきさつを略すと、10年ほど前から、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の人たちのことにすこし関わるようになって、2004年に『ALS――不動の身体と息する機械』">(医学書院)という本を出してもらった。そんなこともあってか、私が勤めている大学院(立命館大学大学院先端総合学術研究科)には(自然化学系の大学院ではないのだが)そんな関係の家族・遺族・医療者を含め、そういう方面の研究をしている大学院生が10人ほどはいるという不思議なことになっていて、私も細々とながら、いくらかの関係が続いている。ALSの人たちだけでなく、筋ジストロフィーの人や生まれた時からやはり所謂医療的ケアを必要とするするウェルドニッヒホフマン病等の(元)子やその親たちの会の集まりに呼んでいただいたり、こないだはインタビューさせてもらったりしている。そんなこんなでどんなことをしているのか、それは、私たちのHP(「生存学」で検索すると最初に出てくる)に行っていだいて、さらにその中を検索していただくと――すかすかの部分もたくさんあるのだが――いろいろと出てくるのでご覧ください。
  近いところでは、今度の震災があり原発のことがあって――そして停電のことはどこでも起こりうる問題でもあるなのだから――停電が死活問題になった方を福島他から京都にお呼びしていて話をしていただく企画も、この原稿を書いて出そうしている前日(9月18日)にあって、司会のようなことをさせていただいた(各種報道含め、これもHPに情報があります)。
  さて、そのALS(他)は進行していくと肺を動かす筋肉も弱くなっていくから、呼吸を続け生きていくためには、人工呼吸器が必要になって、だから電気も必要になるのだ。必要なのだから得ればよい、緊急の時にも間違いなく得られるようにすればよい――そしてそれはそんなに難しいことではない。いま紹介した催はそのためのものなのだが、それ以前に、付ける/付けない、外す/外さないが議論されたり、実際、付けない人がたくさんいたり、外したくなったら外してくれといったことを言う人も出てくる。それらをどう考えるのか。「安楽死」だかと「尊厳死」だとかをどう考えるのかという話になってくる。それは理論的にも考えなければならないことだし、歴史的に議論や政策がどうなってきたのかを検証する必要もある。それで最初1冊でと思っていた本が、『良い死』(筑摩書房、2008)、『唯の生』筑摩書房、2009)という2冊の本になっている。長い話にはなってしまっているが、順番を踏んだ議論をしているので読んでいただければと思う。
  それをまんべんなく要約するのはここでは無理だ。他方、ずっと短く、要するに何が言えると思っているのか、とりあえずという方には、『希望について』(青土社、2006)という本にいくつか新聞に書いた短文を再録しているのでそちらをどうぞ。ということで、以下、『良い死』の方に書いたことの一部、「自然/人工」という対について。
  「人工的な延命」対「自然な死」というのが言葉がいつのころから「一般大衆」のレベルでも知られている言葉になり、そしてその言葉は前者はよくないものであり、後者はよいものであるという価値付与と込みになって、現われ流行り、そして定着しているように思う。しかしまず単純に私はそれがわからない、というか、違うと思った。そしてここでは「自然」の方より「人工」の方についてすこし考えておきたい。
  まず人工物一般物は否定されない。論理的に否定する理由もそう見つからない。原理主義的な人工物排斥主義者がいるかもしれず、そしてそれはそれでかまわないとして、他人を説得するのは難しいかろう。そして実際、私たちは山ほど人工物を作って(作ってもらって)使って生きている。もちろん天然資源や廃棄物の問題はあり、地球温暖化の問題もあるかもしれない。それらはとても大切な問題だろう。しかし、そこは様々に工夫してうまくやっていくしかないということにしかならないはずだ。
  そして、「延命」に用いられる人工物となると、人工呼吸器であったり、また――このごろよくとりあげられるような気がするのだが――胃瘻ということになる。また人工透析がある(その普及や費用の公費負担に関わる歴史を調べている大学院生がいる)。こちらは長い期間使っている人がたくさんいてもうすっかり定着しているから「延命」という言葉とつなげられることはあまりないが、一定年齢以上については使うなら全額自己負担でという国もあるから、関係がなくはない。
  本誌と関係するところでは人工呼吸器ということになる。かつては大仰な機械で、値段も高かった。ただ、微妙な調整は難しいところがあるのだろうが、原理は単純なものであり、そして言うまでもなく呼吸自体を実際に代行しているわけではなく、空気の出し入れを補助しているだけといえばそれだけの機械である。そしてだんだんと大きさも小さくなってきて、使う鋼材等にしても冷蔵庫とかそんな家電より少なくてすんでいる。そして、そう数がはけるというものでもないから割高ではあるが、本来作るのにそう手間も値段もかかるものではない。そして冷蔵庫はほとんどの人たちが、たしょう節電に気をつけたりしながら、毎日使っていて、それでよいことになっている。以上、まったく言うまでもないことだが、人工的(人工物)自体がよくないと言えず、だから人工呼吸器がいけないことも、当たり前だが、ない。そして格別な費用がかかったり、環境に対する負荷が大きいわけでもない。希少性の問題は少ない。少なくとも冷蔵庫や自動車とそう違わない。(ここのところは臓器移植の場合には決定的に異なる。臓器には、生きている人からどれだけとってもかまわないということにしない限り、絶対的な希少性がある。)
  では「延命」「救命」――そもそもこの二つの言葉に違う意味が予め込められているのだが――の方はどうか。冷えたものが食べられることと、息ができて生きられることと、どちらも大切であるとしても、普通は、後者の方が大切であると思う。となれば、なおなんの問題もない、むしろ「人工的な延命」の方が大切だということになるはずである。そして、機械を使うにしても手術をするにしてもiPS細胞でなにやらするにしても、高度な技術によって「救命」することは最もほめたたえられ、大々的に報道されたりもする。だから命を救うことが問題にされているのでもない。
  しかし、そうはなっていない。とするとどうなっているのか。答は誰でも知っている。救うとよい命と救うほどでもない命とを私たちは区別しているということである。
  何をしてもそうもたないという時に侵襲性の強い処置を行なうべきではないというのには一理あると私は考えている。しかし、実際にはそんな場合ではないことが、とてもたくさんある。ALSにしても(ある種の)筋ジストロフィーにしてもウェルドニッヒホフマン病にしても、かつては(今でも?)、予後極めて不良、もって二・三年といったことが本に書かれていたのだが(その辺の記述の変化(のなさ)については前掲『ALS』)、使うものを使えば何十年も生きられる。さっきインタビューしたと記した、生まれて一・二年もたないと言われた人たちにも二五歳といった人たちがいて、今までのことを語ってくれた。
  最近、私の知る(私のいる大学院の院生が関係する)ALSの人が、それまで呼吸器も使わずに長いこと暮らしてきたのだが――これはこの障害・病はかなり珍しい――突然の呼吸困難になって、救急車が来るまでに(そんなことになってしまっていることも皆が知っていることだが)ずいぶんかかってしまったこともあり、心肺停止がかなり長く続き、低酸素脳症の状態になって、入院して、転院して、もう二月ほどになる。入院した当日は、脳死状態・多臓器不全の状態だと言われて、あと24時間もたないだろうと言われた。その後、血圧が下がったり、いろいろあった。けれど、転院した先の病院の人たちはとてもよくしてくれていて、1日もたないと言われた人はそこにいる。ただ、ICUの大部屋しかなくて、そんなことも関係したのだろうか、感染症にかかり、肺の状態がわるくなったり、ずいぶんいろいろとあったにはあったが、いくらかもちなおしている。肺がもうすこしなんとかなったら、在宅の生活に戻れるだろうと思う。意識があるかどうか、たぶんないか、ないに近いと思う。けれど、その方と暮らしてきた人は、これからもいっしょに暮らせることを願っている。肺の状態がもう改善されれば、所謂「医療的ケア」のできるヘルパー(この辺の制度変更が、満足なものではないが、近頃なされた)に介助してもらって、在宅に戻れるだろう。
  「たんなる」とは何を指しているのかと言いたいところもある。「たんなる延命」のどこがわるい、と言いたいところもある。それがそんなによいものであると言いたいのではない。ただすくなくとも、意識もなく苦痛もないのであれば、それは、その人自身にとって、わるいものではない。よくないことがあるとすれば、それは周囲の人にとってやっかいであるということ、ただそのことだけである。そのことを否定する必要はない。ただ、たんにやっかいであること、そのはっきりした事実を隠して、それだけが理由であることを隠して、なにか本人のことのように偽るのはよくない。そして、すくなくとも人工物の提供という点ではその「処置」は、他と比べて、そうたいした負担でもない。では人的な負担はどうか。もちろん実際に、個々の病院や介助者派遣事業所その他で人は足りていない。しかし、全体としては、明らかに、人は足りてむしろたいへんたくさん余っている。いくらか仕組みを変えるだけですむことだ。以上にまちがいはないと思うのだが、上記した拙著に正面からの反論をいただいたことがない(しかし現実は「止める」ことの方に流されているように思う)。いただけるものなら、と思っている。

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※
◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,
◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360 [amazon][kinokuniya] ※ et. English
◆立岩 真也・有馬斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

『ALS――不動の身体と息する機械』表紙    『良い死』表紙    『唯の生』表紙    『生死の語り行い・1』表紙


UP:20111021 REV:20141015 

人工呼吸器  ◇立岩 真也 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)