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人工呼吸器(ベンチレーター)


人工臓器
サイボーグ
身体
介助・介護/医療行為?
『ALS――不動の身体と息する機械』
立岩 真也 2004/11/15 医学書院,449p. ISBN:4-260-33377-1 2940


◆穏土 ちとせ 2005/03 「人工呼吸器をつけて生きること」
 『バクバク』44

◆2004/06/20・23・27
 ベンチレーター国際シンポジウム〜ベンチレーター使用者の自立生活にむけて〜

◆人工呼吸器チェックリスト(東京都健康局)
 http://www.kenkou.metro.tokyo.jp/yakuji/antai/yougu/checklist.html
◆『在宅人工呼吸療法(HMV)の支援マニュアル』
 http://www.bekkoame.ne.jp/~y.mineo/toneyama/hmv/index.html

◆20010325
 「マイ・ライフ、マイ・ブレス - My Life, My Breath -」
 頸髄損傷による人工呼吸器使用者からの発信

ベンチレーター使用者ネットワーク
 http://www.jvun.org
バクバクの会ホームページ
 http://www.nsknet.or.jp/~mmasato/index.html
 (「人工呼吸器をつけた子の親の会」通称バクバクの会のホームページ)
◆すてきなあした〜ビックリハウスへようこそ〜
 http://www.souyanet.ne.jp/~lovely
 (稚内で人工呼吸器をつけて在宅生活している平間愛さんのページ)
◆IMI アイ・エム・アイ株式会社
 http://www.mmjp.or.jp/IMI/index.html
 (人工呼吸器や麻酔器などの医療機器を輸入・製造・販売・レンタルしている会社。)
◆Ambu's home page(米国)
 http://www.ambu.com/
(Ambu社はアンビューバッグなどの機器メーカー)
◆Vent Users' Support Page(英語)
 http://www.eskimo.com/~jlubin/disabled/vent
 (人工呼吸器に関する情報のページ。機器等の紹介や関連サイトへのリンク)

 

■機械・機種

◆西尾等さんのホームページ「鳥のように風のように」の「人工呼吸器」の欄
 http://www.horae.dti.ne.jp/~hnals/ALSweb/source/mypf/respi/kokyu.html
http://www.horae.dti.ne.jp/~hnals/ALSweb/source/mypf/respi/kokyu.html  ニューポート/LP-6/PLV-100/ベネット2801/CV300
◆在宅用人工呼吸器LP10
 『JALSA』029号(1993/12/25):19
◆在宅用人工呼吸器PLV-100
 『JALSA』031号(1994/03/25):37
◆LP6(月レンタル6万4千円)  http://www.mmjp.or.jp/IMI/lp6.htm

 
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■これまで

◆「(2)体外式陰圧人工換気
 体外式陰圧人工呼吸器の開発の歴史は19世紀フランスまで遡りますが,実用的な陰圧人工呼吸器は1929年にアメリカのドリンカーらにより発明された「鉄の肺」が最初になります.彼らはポリオの呼吸不全を治療するためにこの器械を発明したのです.「鉄の肺」は盛んに使われましたが,器械の中に頭部を除いて全部入れてしまうために,ケアがしにくいなどの欠点が指摘されました.日本でもポリオが流行した頃に輸入され使われましたが,現在ほとんど無いようです.アメリカでは家が広いためだろうと思いますが,現在でも使われています.その後1930年代の終わりにポリオの大流行があり,呼吸不全患者が多数発生したため,「鉄の肺」の小型版である現在の胸腹部を覆う体外式陰圧人工呼吸器(以下,CRと略)が作られたのです.その後CRはポリオ呼吸不全の治療には継続して使われてきましたが,筋ジスなどの神経筋疾患の呼吸不全に使われるようになったのは1970年代後半でした.気管切開が必要でなく,外せば普通の患者と変わりなく行動でき,また旅行や外泊なども可能であることから日本でも1980年代中頃よりたくさん使われてきました.今では鼻マスクによる陽圧人工呼吸が主流となりCRは時代遅れの感があります.しかし,まだCRで治療中の患者さんもおられますし,鼻マスクでの人工呼吸が習得困難な患者さんもおられますので,将来もCRがなくなるということはないと思います.[略]」

◆1950年代  「陰圧式人工呼吸は1950年代の小児麻痺の患者を救った鉄の肺から始っています。タンクの空気を周期的に抜いたり入れたりすることによって人の周囲に陰圧を作り、肺が膨らむようにします。」(The ALS Association[1997=1997:122])
 「人工呼吸器を用いて換気を行なう方法は麻酔の分野以外に他の面にも広がって来た。/この大きなきっかけとなったのは1952年におけるコペンハーゲンにおけるポリオの流行である。この時呼吸麻痺に対する治療としては気管切開をした後、気管カニョーレを介して手でバッグをおして人工呼吸を行ったのであるが、バッグをおす人があまりにも多く必要だったので、デンマークの医科大学の殆んどの学生を必要とする程であった。/このためポリオによる死亡率は80%から25%までに低下したが、これが契機となってヨーロッパ各地では人に代る人工呼吸器の開発に迫られたのである。/かくしてこの目的のためにデンマークではBang(1953)、スウェーデンでは…」(山村[1991:7])

◆1960年代
 1951年以降の麻酔科学の文献の書誌事項を収録した松木編[2000]には、「人工呼吸」の項目があり、1955年以降50年代の文献が2点、60年代になると点数が増え、むろんこの領域におけるということになろうが、「長期人工呼吸」の語を含む論文も1967年以降見られるようになる。

◆1975年頃  日本で在宅人工呼吸療法(Home Mechanical Ventilation)始まる
 「1990年の最初の社会保険適用までは約200人程度の患者を限られた施設でのみ実施していた。」(杉本保[1998])

◆1975年、東京都の伊井(引用中ではI氏、ALS、40歳で罹患、48歳で逝去)、自宅に戻る。「I氏はその時、ねたきりで経管栄養法により食事をとり、気管切開により呼吸の安楽をはかっていた。約一カ月後、I氏の呼吸力は著しく衰え、自発的な呼吸力では生命を維持しえなくなった。I氏は人工呼吸器を購入し、その後、一〇月間、自宅で生活した。」(川村[1979:92]、I氏の生活について川村・木下・別府・宇尾野[1978]、川村[1979:84-94,106-112,237-250]。伊井が入院したのは東京都立府中病院、在宅生活に関わったのは同病院の在宅診療班。同病院の医療相談室の歩みをまとめたものとして川村[1975][1979:151ff.])

◆「 昭和五十年五月二十一日
 この日、私ははじめて母の病名を知らされた。筋萎縮性側索硬化症――通称アミトロ。B大小林医師に一度挨拶をと、ご自宅を訪れたところ、家族にだけという前提で診断を明かされたのだ。まさに前夜の森医師の電話で「悲観的な予想」として伝えられた「不治の奇病」であり、小林医師によれば典型的な症状を呈しているとのことであった。口、手足から体全体が動かなくなるのを待つばかりだが、頭と眼の機能だけは残るから、壁に大きな文字を貼って視線で追えば意思伝達は可能である。人工的に食事、呼吸を施せば二、三年は命を長引かせ得る。」(鈴木[1978:57])

◆1976/06/  川合亮三が人工呼吸器をつける(長野県・佐久総合病院)

◆1977    1977年に川口武久が読んだ医学書におけるALSの記述。「まだ原因不明で、確たる治療法もなく、点滴や静脈注射・鼻腔注入による栄養補給、さらに人工呼吸などによって「延命」をはかることしかできない。」(川口[1983:46])

◆1980    「1978年(昭和53年)、佐藤は東京都板橋区に在住していたALSの症例をボランテアとして訪問診療していた。当時、42歳の男性で、1980年10月に呼吸停止、以後、人工呼吸器を装着していたが、1983年に装着したまま在宅療養に移行した。[略]本例は今年で、呼吸器を装着してから16年、在宅療養に移行してから13年になるが、ALS患者が呼吸器装着してまでも、在宅療養を家族の中で続けて、人間としての尊厳を保ち、父親としての役割を立派に果たしている。当院に開設したALS医療相談室に訪れる多くのALS患者が呼吸器を付けるべきか否かで悩んでいる時、本例の療養の歴史がこの上とない励ましとなっている。」(佐藤他[1996]*)
*佐藤猛・吉野英・星研一・中谷雪・浜明子・三枝政行 1996 「筋萎縮性側索硬化症(ALS)の医療相談――3年間の実績と今後の課題」,厚生労働省特定疾患「特定疾患に関するQOL研究班」平成8年度第2回班会議(研究発表会)
http://www.saigata-nh.go.jp/saigata/syukai/qol/1996/abstract/12.htm

◆1980/04/22 菅原和子人工呼吸器を装着

 「ふと意識が戻った時、のどに穴をあけられ、大きな器械につながれている自分の姿に、私は大変なショックを受けました。恐怖と絶望、虚しさ、何とも形容のしようのない哀れさが心に入り乱れ、ただただ驚くばかりでした。気管切開しているため、しゃべる言葉が声になりません。それも驚きでした。家族には手術前、医師から、声が出なくなると説明があったようですが、私は知らされていないため、どうして声が出ないのかわかりません。いくら叫んでも、声が出てこないのです。そのうえ、人工呼吸器(ベネットMAI型)についている蛇腹(一回換気量モニター)が上下する音が耳元でし、うるさくてたりませんでした。私はその時、「あと数日の命ではないか……」という思いにかられました。」(菅原[1987:84])

46-49
 「九月に入り、私の精神状態はますます落ち込んでしまった。ときどき器械の調子がおかしくて呼吸が苦しくなったことも重なって、焦燥感と不安感がつのり、あと何年苦しまなければならないのか∞呼吸まで苦しい状態で、生きる価値はあるのか∞気が狂いそう≠ニ口述筆記で日記に書き連ねる日が続いた。
 せめて自分で文字が書ければ、気もまぎれるのだろうが、それができないため、さらにイライラがつのり、病室が牢獄に見えた。ベッドに寝かされ、病室から一歩も外に出られない毎日。私にはもう耐えられない。
 九月下旬、菊池主任さんに泣いて訴えた。「どうなってもいい、ここから出してほしい」と。
 それから数日後、鈴木先生が回診に見えられた時、
「菅原さん、車イスで散歩してみましょう」
と言われた。菊地主任さんが話してくれたのだろうが、あまりに突然で、私はびっくりした。もちろん、ここから出たい。でも、どうやって?今の私は、レスピレーターを外したら五分ともたない。(p.46)
「アンビューを使えばいい。何とかなりますよ」
と鈴木先生。アンビューというのは風船の形をした手動式の蘇生器で、手で揉んで空気を送り込む。これを気管切開口のカニューレ(管)に取り付け、手で揉みながら移動しようというのだ。不安はあったが、先生がついていて下さるというので、やってみることにした。
一〇月二日、秋晴れ。いよいよ今日決行ということになった。
 ところが、いざとなると怖気てしまい、「行かない」と断る始末。そんな私におかまいなく、鈴木先生は、
「大丈夫、大丈夫。廊下に出るだけだから」
と気軽な口調で言い、呼吸器を外した。その途端、恐怖心と緊張で全身がこわばり、生きた心地がしない。先生と看護婦さんに抱えられて、車イスへ。すぐさまアンビューが取り付けられ、先生が押してくれた。ビューッ、ビューッと肺に空気が送り込まれる。意外と苦しくない。先生が何度か押して下さっているうちに、気分も落ち着いてきた。寒くないように足元を膝掛けでくるんでもらい、病室を出た。
 看護婦さんが車イスを押し、横から鈴木先生がアンビューを押し押し、廊下を進む。すれ違う人たちが呆気にとられたような表情で私を見た。
 四病棟を通り抜け、三病棟の廊下の端へ。そこで車イスを止め、窓の外を眺めた。久しぶり(p.47)に見る外の景色、明るく、まぶしく、とても新鮮だった。右前方に見える中津川には新しい橋がかかり、その向こう、愛宕山の中腹にグランドホテルが――。あそこで私たちは結婚式を挙げたのだ。涙がポロポロ出てきた。緑の山、中津川のせせらぎ、なんて素晴らしいんだろう。生きている。私は生きているんだと、心の中で叫んでいた。
 わずか一五分の散歩だったが、この時を境に、私の闘病姿勢がはっきりと変わっていった。これまでは次々と機能が失われてゆくことに、ともすれば絶望しがちだったが、どんな身体になっても生きていよう、生きていたいと思うようになった。いつか菊地主任さんが「生きていればこそよ」と言われたことがあるが、つくづくそうだと思う。
 鈴木先生は私の慶ぶ顔を見て、「また散歩に出よう」と言って下さった。その時が待ち遠しくてならない。まるで小学生がお父さんにどこかへ連れて行ってもらうのを楽しみにしているような、そんな気分だった。」

◆1982    折笠美秋人工呼吸器を装着

◆1982頃  「20年前、私は長野県の佐久総合病院で一人のALSの患者さんが呼吸不全で亡くなられるのをベッドサイドで看取りました。私自身、呼吸補助をしない方が患者さんのためだと信じて人工呼吸器装着をすすめませんでした。同じころ、内科の病棟に川合亮三さんが人工呼吸器を装着して長期療養されていました。数年後『筋肉はどこへ行った』(静山社刊)という手記のなかで、川合さんの妻が「[…]もし許されるなら、私は心からこの長い年月があって本当によかったと思っているのです。それは大変個人的で主観的なことになりますが、自分たちの運命を心ゆくまで生きることができたからであり[…]」と書かれていました。
 十二年間人工呼吸器を装着して療養し、「よかった」と思う人がいるということは、私にとって大きな衝撃でした。ALSで呼吸器をつけて「よかった」と思う人が一人でもいるということは私に大きな勇気を与えてくれました。このことは、以来、私がALS患者の在宅人工呼吸療法に長く取り組んできた支えになっているように思います。」
(◆◆)

◆1983?   長岡紘司人工呼吸器を装着

◆1988?   長岡紘司人工呼吸器をつけて外出
 長岡 明美(神奈川県・海老名市ALS患者家族) 20010601
 「キカイで生きるということ」
 『難病と在宅ケア』07-03(2001-06):29-30
 *夫=長岡紘司さん
「夫はALSを発症して24年になります。人工呼吸器を装着して18年になり、10カ月入院生活をしていて、在宅療養は17年目を迎えました。」(p.29)
「在宅療養4年目に、初めてストレッチャーに乗ってすぐ近くの小学校にお花見に外出しました。[…]
 人工呼吸器患者が外出したのは初めてで、新聞に報道され、その後テレビにも放映されました。
 それを観たドクター達が、呼吸器をつけて外に出られるのだと部屋から一歩も出たことのない入院患者を病院の庭へ散歩させてくださるようになりました。」(p.29)

◆1987     来田治郎人工呼吸器を装着
 来田(らいた) 治郎/来田 みや子(大阪府堺市・ALS患者/家族) 20010501 「在宅患者の一時入院について」
 『難病と在宅ケア』07-02(2001-05):54-57

 ・ALS患者の現状
「私は現在57歳です。1977年に右上肢の麻痺からALSを発症しました。33歳のときです。現在、発病から23年経過し、人工呼吸器を装着して14年目になります。
 ……
 発病から9年後、家内は私の様子を「肩で息をする」状態と見ていましたが、私自身はうつ病になったと思いました。上田先生から、血液検査の結果から呼吸不全状態であること、人工呼吸器を装着するについてのメリット、デメリットの説明を受けました。それを聞いて、私は3つの希望を出しました。
@人工呼吸器をつけても話ができること
A移動(外出)できること
B自宅で暮らせること
 それが不可能なら自然なままにさせてほしい、と言いました。1987年9月のことです。」(p.54)

松本 茂 1989 在宅療養にあたり
 「厄介なのは人工呼吸器のことだ。病院から借りられるとよいのだが、貸してもらえない。私が使っているのはベネット七二〇〇という器械で、コンピュータ付き、これに取り替えの回路三セットを併せると,八〇〇万近くするとか。安くないなあと考えこむ。  先生が、試してみてはと、携帯用の「コンパニオン」を持ってきてくれる。この器械はバッテリーが内蔵されていて、停電になると自動的に切り換わり、一時間作動するという。小型で音も小さく、家庭向きだ。付属品を入れて三〇〇万円、安くはないが、ベネットに比べるとはるかに安い。だが、肝心の呼吸が今一歩で、コンパニオンは器械をつけていることを意識するのに対して、ベネットは付けていることを忘れる。どうしたものか……。
 悩んだ末、小型のコンパニオンを買うことにした。「そうしましょう」と言って先生が病室を出るや妻が、「苦しんで、死んでも知らないよ」と脅かす。
 「呼吸器は”命綱”だよ。その大事な器械を買うのに、ケチってどうするの。お金はこんなときにこそ使うものだよ」(p.75)
 妻に言われて、五分もしないうちに変更。結局、ベネットとコンパニオンの二台を購入することにした。」(松本[1995:75-76])

◆1990   在宅人工呼吸療法に社会保険適用

◆1991   富山県「1979年から厚生省特定疾患研究班活動として県下全保健所で難病対策を開始(1991年には人工呼吸器装着中の在宅ALS患者を支援)」
 長尾竜郎・山本敏泰 199705 「地方における地域リハビリテーション――富山県の例」,『リハビリテーション研究』91:8-14
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r091/r091_008.htm

◆1991   熊谷寿美が人工呼吸器の使用を始める。200万円したポータブルの人工呼吸器を兵庫県から病院経由で貸し出しを受けることができた(豊浦[1996:145])

◆1992   「1992年 難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者Aさん(当時53歳)が、寝たきり状態、24時間人工呼吸にて入院になった。/当時、ALS患者が人工呼吸器をつけて、長期入院療養を受けることに拒否的な病院も少なからずあった。また、和歌山県下のALS患者で、在宅人工呼吸療法を受けている人はなかった。」Aさんは約1年後に在宅人工呼吸療法に移行し、9年経過。(畑[2002])
 畑伸弘(和歌山生協病院) 2002 「内科医の思い」http://www2.odn.ne.jp/~cba31630/isikaranomesse-ji.htm#<内科医の思い>

◆貸し出し事業 神奈川県・新潟県で始まる
◆1992年度〜東京都・千葉県 在宅療養患者を対象に人工呼吸器の貸し出し事業始まる。病院が在宅療養患者に人工呼吸器を購入するさい、その費用を補助するというもの。台数はそれぞれ年間2台。
◆1992/07〜兵庫県でも貸し出し事業始まる
 『JALSA』025号(1992/09/22):35

◆1992/04/  診療報酬改訂
 「私たちが要望していた「在宅人工呼吸」に関する保険点数は、これまでの二五〇〇点から四五〇〇点(人工呼吸器使用料含む)へと大幅にアップされました。人工呼吸器の貸し出し実現に一歩近づいたわけで、更に働きかけてまいります。」(p.30)
 「診療報酬が改定される」<情報トピックス>
 『JALSA』024号(1992/04/02):30-31

◆1994   保険点数改訂「在宅人工呼吸療法に使用される人工呼吸器に対する機器使用加算の保険点数が機器のレンタル料と同額程度に引き上げられ、これまで医療施設内で長期人工呼吸管理を受けていた患者さんが在宅療法へと転帰し急増傾向に拍車がかかった。」(杉本保[1998])

◆1998   保険点数改訂 (II)型呼吸不全患者に対する在宅での非侵襲間欠的陽圧人工呼吸療法(Non-invasive Intermittent Positive Pressure Ventilation:以下NIPPV)が適応となる。(杉本保[1998])

◆2000/04/  診療報酬改訂
 組織渉外部「平成12年4月診療報酬改訂の特筆点」
 『JALSA』050号(2000/04/27):52
 「今回の診療報酬改訂のうち、ALS療養に直接的にかかわる特筆すべきポイントは、次の2つに絞られます。
1.特殊疾患入院医療管理料(病室単位、2000点/日)が新設され、併せて、この病室に入院する患者については、平均在院日数の計算から除外されたこと。また、人工呼吸器を装着している場合は、人工呼吸器使用加算(600点/日)が認められたこと。
2.入院料の逓減制を見直し、廃止または緩和したこと。
 ……」

◆2000/04/29 「人工呼吸器トラブルでこの1年に死亡事故2件=国立療養所沖縄病院」
 時事通信2000-4-29
◆2000/04/30 「医療事故・信頼回復は真相究明から」(社説)
 『琉球新報』2000年4月30日(日)朝刊
 http://www.ryukyushimpo.co.jp/shasetu/sha11/s000430.html

◆2000 大阪羽曳野病院木村謙太郎部長が発表 1993年にわずか200人程度であった在宅人工呼吸患者(気管切開が主体)は、2000年には6000人にも達し、その7割が鼻マスクによる人工呼吸となっています。」(石川悠加[2001:25]*)
*石川 悠加(国療八雲病院小児科医長) 20010501 「フランス・リヨンに革新の熱気――カフマシーンがモデルチェンジし、EUで医療機器として認可された」,『難病と在宅ケア』07-02(2001-05):54-57


 
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■文献(発行年順)

 cf.『ALS:不動の身体と息する機械』文献表

◆山村 秀夫 1991 「人工呼吸器の歴史」,天羽編[1991:3-10] [14]
◆天羽 敬祐 編 1991 『機械的人工呼吸』,真興交易医書出版部 ※ b
佐藤 きみよ 19911225 「ベンチレーター(人工呼吸器)を地域の中へ――ベンチレーター使用者の自立生活」,『季刊福祉労働』53:142-149
佐藤 きみよ 19920301 「カニューレはピアス――ベンチレーター使用者の自立生活」,『障害者の福祉』12-03(128):15-17
◆松本 茂 1994 「ALS患者と人工呼吸器の問題――患者の本音」,ベンさんの事例に学ぶ会編[1994]
佐藤 きみよ 19940625 「ベンチレーターと共に出歩く旅」,『季刊福祉労働』63:064-067(特集:もっと楽しく,自由に−ハンディをもつ人の旅)
◆杉本 保(社会福祉法人大阪暁明館病院臨床工学科・呼吸療法科) 19980625 「在宅人工呼吸の現状と将来――臨床工学技士が果たす役割について」,大阪府臨床工学技師会学術勉強会 配布資料
 http://www2.osk.3web.ne.jp/~osakace/bk1998/bk980625/980625.html
◆近藤 清彦(公立八鹿病院・神経内科部長) 20000117 「ALSと人工呼吸器――その誤解と伝説」,『医学界新聞』2371
 http://www.so-net.ne.jp/medipro/igak/04nws/news/n2000dir/n2371dir/n2371_03.htm
◆西澤 正豊* 200001 (国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授) 「ALS患者のノーマライゼーション」,『難病と在宅ケア』05-10(2000-01):46-49 *豊は旧字
◆林 秀明 2000 「ALSの呼吸筋麻痺と呼吸器装着−最近の考え方――『今までのALS観』から『新しいALS観』への進展」,『PTジャーナル』第34巻第1号:46-48
◆松木 明知 編 20000701 『日本麻酔科学史資料14――日本麻酔科学文献集(9)』,克誠堂出版,269p. 3000 ※
◆今井 尚志(国療千葉東病院) 200007 「【在宅における人工呼吸器管理について】 筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の自己決定を尊重した医療援助ALSを受容して強く生きる」,『訪問看護と介護』(1341-7045) 5巻 7号 Page 558-561
◆斉藤 豊和(北里大学東病院神経内科長代理 慢性疾患・難治疾患治療センター長 リハ・社会医療部長(総合相談室長)) 20010401 「在宅人工呼吸療法におけるQOL」,『難病と在宅ケア』07-01(2001-04):31-35
◆石原 傳幸(国立療養所箱根病院院長) 20030801 「わが国における在宅人工呼吸器治療の夜明け」,『難病と在宅ケア』09-05(2003-08):59-61
◆石川 悠加 編 20040331 『非侵襲的人工呼吸器療法ケアマニュアル――神経筋疾患のための』,日本プランニングセンター,286p. ISBN:4-931197-65-5 4725 [bk1][amazon] ※
ベンチレーター使用者ネットワーク 編 20040310 『カニューレはピアス――花田貴博さんの計画的気管切開』,ベンチレーター使用者ネットワーク(『アナザボイス』55・春号)
◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4-260-33377-1 2940 [amazon][boople] ※, b
cf.立岩 2005/02/25 「ALSの本・3」(医療と社会ブックガイド・46),『看護教育』46-02:(医学書院)
◆ベンチレーター使用者ネットワーク 編 2005 『ベンチレーターは自立の翼――ベンチレーター国際シンポジウム報告集』,現代書館,358p. ISBN: 4768434495 2625 [amazon][boople] ※ v03.

◆『在宅人工呼吸マニュアル』(1800円)日本在宅医療福祉協会在宅医療部会
 東京都文京区本郷3-39-9 山本ビル3F 03-3818-6047
 (売り切れ・再版予定なし)


 
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■(とくにつけること・はずすことについての)引用集

◆1994/11/  NHK海外ドキュメンタリー(?)でスウェーデン(?)の初老の男性ALS患者の安楽死を扱った場面が放映される(杉山[1998:139]中の石川勇の文章) ◆西澤 正豊* 200001 (国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授) 「ALS患者のノーマライゼーション」
 『難病と在宅ケア』05-10(2000-01):46-49
◆斉藤 豊和(北里大学東病院神経内科長代理 慢性疾患・難治疾患治療センター長 リハ・社会医療部長(総合相談室長)) 20010401
 「在宅人工呼吸療法におけるQOL」
 『難病と在宅ケア』07-01(2001-04):31-35
◆松下 祥子(東京都神経科学総合研究所難病ケア看護研究部門保健婦)・輪湖 史子(日本看護協会国際部看護婦) 20010901 「米国の神経筋疾患療養者の訪問看護――テキサス州の神経筋疾患専門訪問看護会社の研修を通して」
 『難病と在宅ケア』07-06(2001-09):49-51

 
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◆1994/11/  NHK海外ドキュメンタリー?でスウェーデン?の初老の男性ALS患者の安楽死を扱った場面が放映される(杉山[1998:139]中の石川勇の文章)

 「この映像を見、解説を聞いた人たちはどう感じたでしょうか。
 スウェーデンでは、日本の医療保険制度と違って、ALSの療養に全額国費の負担が認められていないのでしょうか。それにしても、自分の妻の将来を思いやる気持ちが美化され過ぎて、安楽死が美しい死のように受けとめた人もいるのではないでしょうか。……
 […]
 最近、アメリカ(USA)のある一州では、安楽死を認める法案が通ってしまいました。[…]
 私の場合、人工呼吸器で生かされており、神の摂理に逆らうものと非難される方もあると思いますが、私としては、よいように解釈して、「神様が現代医学の進歩を助け、私に恵みの賜物として人工呼吸器を授けてくださった」ものと信じています。」(杉山[1998:140]の石川勇の文章)

 

◆西澤 正豊* 200001 (国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授) 「ALS患者のノーマライゼーション」
 『難病と在宅ケア』05-10(2000-01):46-49

 「人工呼吸器は一度つけたら外せなくなるので大変ですよ」といわれます。しかし、人工呼吸器の使用を止めるという選択の自由もあっていいのではないでしょうか。以前オランダの安楽死(尊厳死)制度についてのテレビ番組に登場したALSの女性は、自分で涙を拭くことができなくなった安楽死(尊厳死)を選ぶと言っていました。
 こういう価値観も尊重されることが大切なのだと思います。悪性腫瘍の終末期に緩和ケアを受けたいという患者さんの選択を認めるのであれば、ALSという特別な疾患の療法においても、もしも患者さんから「人工呼吸器療法はもう十分です」という意思表示があったとしたら、一度つけてしまったのだから止められませんという対応だけでは、患者さんや家族に酷な場合もあるのではないかと感じます。人工呼吸器をつけての療養生活も長期になると、時には苦痛が上回る場合もあるでしょう。呼吸器をつけて必ずしもよかったとは思えなくなる場合もあるでしょう。そういう場面ができる限り少なくなるように呼吸器をつけた後の患者さん、家族に対するケアの質をもっともっと高めなければならないのだと思います。」(西澤[2000:48])

 

◆松木 明知 編 20000701 『日本麻酔科学史資料14――日本麻酔科学文献集(9)』,克誠堂出版,269p. 3000

 

◆斉藤 豊和(北里大学東病院神経内科長代理 慢性疾患・難治疾患治療センター長 リハ・社会医療部長(総合相談室長)) 20010401
 「在宅人工呼吸療法におけるQOL」
 『難病と在宅ケア』07-01(2001-04):31-35

◎「取り外し」との関連

 「…在宅人工呼吸療法が不可能で、病院内で使用している患者さん、在宅人工呼吸療法を施行している患者さんの間で、QOLに関しての検討は意外に行われておりません。在宅、病院内に限らず人工呼吸器を装着したら、現時点では取り外すことは我が国では法律上認められておりません。したがってまず永久的な人工呼吸機器を装着する以前に、多くの検討をする必要が出てきます。」(斉藤[2001:32])

◎QOL?

 「病院内でのALS患者(特に人工呼吸器装着例)にとって、療養上の最も問題となるのは患者のQOLでしょう。その理由としてQOLの向上を明確にとらえることができない点を上げることができます。私共の病院では院内の長期人工呼吸療法患者でQOLの向上を形として明らかにし得たのはきわめて少数で、パソコンを駆使しての自著、闘病記を出版した人、家族の成長をこの眼で見ていきたいとの希望が唯一であった女性などわずかでした。
 過去の院内での長期人工呼吸器装着例は、ただ単に家族からの装着を強く望む声に流されてきたきらいがあり、そこには患者のQOLを考慮する余地はほとんどなかったのが現状でした。必ずしも当初は明確に何のために人工呼吸器を装着するのか、などのインフォームド・コンセントが十分でなく、装着時までに了解・選択への過程が不十分であったケースが少なくありませんでした。
 この数年、私共は以上の問題点を取り入れたインフォームド・コンセントを患者、家族の方に徹底して行った結果、在宅、病院内での長期にわたると推測される人工呼吸療法を選択する患者は激減しました。この理由の一つに、患者の人工呼吸器を装着しての生活で自分のQOLを十分に考慮し、何のために装着するのかを自分自身で真剣に考慮した結果が反映しているのだと思っています。」(斉藤[2001:32])

◎性差についての言及
 *p.32の説明をまとめると当該の医療機関における事実は以下のようであるらしい。

 A病院内で装着し以後入院を継続している患者
 B在宅療養

 男性 A生存5例・死亡7例 計12 B生存3例・死亡1例 計4
 女性 A生存3例・死亡5例 計 8 B生存0例・死亡0例 計0

 「特に今まで治療してきた壮年期発症のALS患者では、在宅人工呼吸療法患者は全例が男性であり、女性は皆無でした。ALSについて徹底した、病因、症状の経過、治療の選択性としての在宅人工呼吸法などのインフォームド・コンセントを行いますと、なぜか女性では在宅人工呼吸療法は選択しなくなります。その理由として、同伴者が勤務をやめて、ケアに入ることによる経済的損失があげられますが、人工呼吸療法を積極的に行っていく動機付け、QOLの向上をもたらすノウハウがない点も指摘することができます。男性では仕事で使用するコンピューターを操作しての自著の作成、インターネットを使用して外界との情報交換などへの入りやすさがありますが、家庭の主婦の場合にはこのような準備も行われておらず、QOLの向上をどのように表現していくかがきわめて困難となります。個々の患者でQOLについて検討することはきわめて重要ですが、その分析はまた大変困難です。人工呼吸器装着時に明確な意志表示の確認があるものの、各々の患者のQOLを上げるのは何かを明確にとらえておくことが大切です。」(斉藤[2001:34])

 

■米国について

◆「人工呼吸器は携帯用の器械で、肺の運動を補助し、呼吸するのを助けます。ALSの進行を止めるものではありませんが、あなたが移動するのを助け、呼吸する能力について思いわずらう必要がなくなります。このような器械は車椅子にバッテリーでつけることができ、ほとんどどこへでも行くことができるようになります。
 このようにした人たちは、とくに家庭で生活できる場合は、生活の質に満足しています。家庭で15年も呼吸器で生きている患者がおり、他に重大な病気が起きなければさらに長生きします。家族は通常この選択を支援しますが、介護の負担は相当なものになります。  アメリカでは、5〜20%のALS患者が人工呼吸器を計画的につけます。医師が人工呼吸器をつけさせた経験があると、この割合は高くなります。これまで(p.121)は多くの患者が事前の計画なしに、緊急入院の結果として人工呼吸器をつけています。たまたまそうなったというわけです。
 何が自分にとってもっともよい選択かをあらかじめ決めてください。緊急時に決心しないでください。生命を支える人工呼吸器は1日ほとんど24時間続けられ、自立呼吸はわずかの時間か、もしくは全くなく、人工呼吸器なしでは生きられません。
 もういらないと決心すれば、呼吸器は外され、安らかに過ごすための薬を使うことができます。多くの患者は気管切開を伴わない人工呼吸器だけを使います。そうでない人は永久に人工呼吸器を使い続けます。」(The ALS Association[1997=1997:121-122])

◆「1900年代初頭に鼻から栄養を補給するためのチューブが開発されたが、長期にわたる使用は1950年代まで行われず、特にALS患者には1970年代まで長期の使用が行われなかった。1930年代に初の人工呼吸器が開発されるが、1970年代まで外来患者にはその使用が認められなかった。ALS患者に至っては、1980年代後期まで人工呼吸器の使用はなされていなかった。」(Boynton[1999]*)
*Boynton De Sepulveda, L. I.  199911 「ケアモデル及びケアの包括的方針」http://www.als.gr.jp/public/pub07/sympo_9.html,第10回ALS/MND国際シンポジウムhttp://www.als.gr.jp/public/pub07/main.html

塚田 宏 20010401
「苦しくてやがて楽しき渡米の記――日本ALS協会東京支部長塚田宏さんに聞く」
『難病と在宅ケア』07-01(2001-04):57-60

 「小さな事件があった。塚田さんは、話の内容まではよく分からなかったが、近所の人が家から出てきて通訳の女性に対してかなり口汚い言葉を使ってクレームを述べていた。あとで聞くところによると、このあたりでのウェドマイヤー家の立場が背景にあるらしい。フットボールの名選手であったこと、そして呼吸器をつけて生命維持するたの支援財団を立てたこと、ウェドマイヤーさんの活動は、あらゆる意味で衆目を集めている。呼吸器装着を選択したことで自らが財団の広告搭になった彼の生き方は、必ずしも賛同や奨励の目ばかりではない。人種・宗教が交錯する地域に住み、著書まで出すようなウェドマイヤーさんの、これは有名税といってしまっていいのだろうか。」(2000/10/26)

「フォーブノリス病院のALS患者交流会に参加。ここでは、呼吸器をつけた患者は1人もいなかった。聞くところによると、カリフォルニア州にある協会の3支部では1人もいないらしい。
 帰国してから都立神経病院の先生に聞いたところ、人工呼吸器をつけないと神経内科、装着すると呼吸器内科の担当になるらしい。ウェドマイヤー氏と会談やフォーブノリスでぶれわかったことの一つは、アメリカにおける人工呼吸器選択の特異性だった。それでも塚田さんは、次回のALS国際会議ではこのテーマで発表を考えている。宗教観や文化の違いなど様々な壁はあろうが、「呼吸器をつけて生きる今、人生でベストな状態」を塚田さんなりの言葉で伝えたい、という思いを新たにした。」(2000/10/28)

◆松下 祥子(東京都神経科学総合研究所難病ケア看護研究部門保健婦)・輪湖 史子(日本看護協会国際部看護婦) 20010901 「米国の神経筋疾患療養者の訪問看護――テキサス州の神経筋疾患専門訪問看護会社の研修を通して」
 『難病と在宅ケア』07-06(2001-09):49-51

4.自分で人工呼吸療法の中止を選択すること

 「研修の最終日に、ホテルまで私たちを送り届けてくれたメアリーさんは、神妙な顔をしてロビーのソファーに腰掛けて話し始めました。なぜかメアリーさんの話は英語が苦手な私にも伝わってきました。メアリーさんが訪問看護をしていた療養者が、自分で人工呼吸療法を中止する選択をしたというものでした。以下に要約します。
 仲のよい高齢の夫婦がおり、妻がALSで夫が看護をしていました。妻が人工呼吸器を装着するか選択を迫られている頃、夫が末期癌とわかりました。夫の余命はあと数ケ月と告げられて夫婦は今後の生活について話し合いました。妻は夫が亡くなるまで共に生きること(人工呼吸療法を選択すること)を決め、夫が亡くなったら自分は人工呼吸療法を中止すると決めました。その後、夫婦は仲良く療養生活をしましたが、夫が亡くなったのを契機に妻は「私は十分満足した」と、人工呼吸療法を中止することを決断したそうです。
 話を聞いて、私たちは言葉を失いました。自分で「生きることと死ぬこと」を選択した妻、夫婦の愛情の深さ、こんな大切な場面を支援していたメアリーさんの凄さ、色々な気持ちが頭を駆け抜けていきました。この話は日本に帰ってからも、そして今(p.50)でもずっと考えさせられます。」(pp.50-51)

 cf.
1.受診の方法
2.QOLの高い生活のために
3.ナースの質の向上
3.自分で人工呼吸療法の中止を選択すること
5.2年が過ぎて

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4-260-33377-1 2940 [amazon][boople] ※ als.

 「2 機械の肯定
 問題なのは、「管(カニューレ)が外れ呼吸ができなくなる呼吸器」といった出来のわるい機械であり、出来のわるい機械を作り、使いつづけさせている人たちであり、危険を減らそうとしない人たちである。はっきりしているのは、起こっていることが、「機械」に対する「自然」、「機械による延命」に対する「自然な死」といった抽象的な図式のもとにあるのではないということである。機械は機械だから問題にされているのではない。信じがたく出来のわるい機械があるから、それをもっとよい機械にしようというのである。  同時に、人間と機械の新しい関係、といったようなことを語ってしまう人たちのように、ただ抽象的に機械との接合を賞揚しようとする必要もまたない。機械、人工のものと身体との関係はまずまったく具体的な関係であり、その問題とは身体とさしあたり身体でないものとの接続の場、接合面に生ずる具体的な不都合や不快である。身体と身体に接続するものとの間のインターフェイスの問題があり、苦痛の問題があって、人間と機械との接合は実際にはしばしばうまくいかない。サイボーグもなかなか大変なのだ。治療や、治療と称せられるもののための身体の管理に伴う不快も同様の不快である。例えば「不妊治療」についてそれを問題にしたのがフェミニズムだ。
 そのようなことは「倫理」の主題にとっては次元の低いことだと思われたのだろうか、生命倫理学、医療倫理学ではあまり問題にされない。しかし単純な痛みやつらさを軽く考えること、軽く位置づけてしまうことこそが問題である。自分のために自分が大切にしているものを譲渡しなければならない。その支払いが低く見積もられることに敏感であるべきであり、得られるかもしれないものと支払うだろうものと、両者の天秤のかけられ方を問題にしてよく、問題にすべきである。そして自分のためならまだ仕方がないが、とくに他人にとって(も)有益なもの(例えば子どもを産むこと)のために、自らが時間を費やし、空間を狭められ、身体の不快や苦痛を得なければならない場合がある。体外受精(+胚移植)の是非についての議論はとうに終わったことにされてしまっている。しかしその苦痛、負担は終わっていないのだから、依然としてその技術はほめられたものではない(このことを立岩[1997b:156-158]で述べ、[2004e]で繰り返して述べた)。
 つまり、得られる代わりに引き換えになるものがあるということだ。もちろん、どんなものを得るにしてもその代わりに何がしかを払うということはあり、それは仕方がないことだとも言えるのだが、問題は何と何が引き換えになるかであり、その支払いはどうしても支払わなければならないものなのかである。いらなければ使わなければよいし、使うしかなければ、不具合が少なく苦痛が少ない方がよい
。  ALSの人たちはALSがなおるようになることを切実に求めている。それはまったく当然のことなのだが、別の障害の場合には、なおすこと、なおされることへの疑義もまた示されてきた。それはなおすために、(なおらないのに)支払うものが多すぎるからだった。多くの場合には、すんなりとなおるのであればなおすことの方がよいだろう。しかしそのために多くを支払わねばならないのであれば、それはやめて機械や人によって補ってもらった方がよいということになる。ここではなおすことと補うことのいずれがよいのか、あらかじめの順位はついていない。このことを第2章4節に記した。そして次に、補う方法しかない場合には、あるいはその方法の方がよい場合には、それはうまく補われた方がよい。ALSの場合もうまく機械が合わない時の苦痛は大きい。その苦痛はない方がよく、なくせないとしても少ない方がよい。
 以上の当たり前なこと、当たり前にすぎることを確認した上で、機械と身体との関係を「ただ機械につながれた状態」とか「スパゲッティ症候群」というようにたんに抽象的に否定的に語る必要はなく、語るべきでない。不要な管が不要であることはまったく当然のことだが、必要なものは必要だというだけのことである。私たちは、そのままに与えられたものとしての身体が保存されるべきことを主張する必要はない。さらに、自らの生存を断念するという不自然な自然に回帰することもない。技術を、痛いから拒否することはあるが、否定しない。触手を伸ばして栄養を摂取する動物がいるように、その自然の過程の延長に機械はあるだろう。それもまた自然の営みなのだと、自然が好きな人に対しては言ってよい。なんならそれを進化と、進化が何よりも好きな人に対しては、言ってもよい。  この意味で機械は肯定され、技術は肯定される。この本の冒頭に――「サイボーグ・フェミニズム」というものを提唱したということになっている――ダナ・ハラウェイの著書からの引用を置いた。次のような文章もある。
【405】 《なぜ、我々の身体は、皮膚で終わらねばならず、せいぜいのところ、皮膚で封じこめられた異物までしか包含しないのだろうか》(Haraway[1991=2000:341]) 《機械は、息を吹きこまれ、崇められ、そして支配される何物か(it)ではない。機械は、我々、我々の過程、我々が具体的なかたちをとる際の一つの側面である。》(Haraway[1991=2000:345])」
◇Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books & New York: Routledge=20000725 高橋さきの訳,『猿と女とサイボーグ:自然の再発明』,青土社,560p. ISBN-10: 4791758242 ISBN-13: 978-4791758241 3600 [amazon] ※ b c01 c02


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