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小林 敏昭

こばやし・としあき

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last update:20211008


◇1951年5月25日生
◇1970年4月大阪大学法学部入学
 8年在籍して退学

小林 敏昭 i2019 インタビュー 2019/10/29 聞き手:末岡尚文 於:りぼん社

◆小林 敏昭 i2018 インタビュー 2018/02/27 聞き手:立岩真也・北村健太郎 於:東大阪、りぼん社

◆小林 敏昭 i2020 「小林敏昭さんに健全者手足論について聞く」 2020/10/22 聞き手:山口和之 Zoomを使用



◆小林 敏昭 19811210 「攻めに生きる――高野岳志と共同生活者たち」,『そよ風のように街に出よう』9:38-43

◆小林 敏昭 19850315 「サヨナラ、高野岳志」,『そよ風のように街に出よう』22:35

◆小林 敏昭 2007/11/10 書評:横塚晃一『母よ!殺すな』『そよ風のように街に出よう』75:68

 「著者が「差別以前の何かがある!」とショックを受けた内容に、若い私はショックを受けた。すずさわ書店発行の『母よ! 殺すな』(一九七七年)を読んだ時の鮮明な記憶である。
 一九七〇年、横浜で脳性まひの娘を殺した母の減刑を嘆願する署名運動が起こった。青い芝の会の脳性まひ者たちは、殺される側の立場から、その運動に異議を申し立てた。著者たちは自分たちでまとめた意見書を手に、横浜地方検察庁、神奈川県民生部、各政党の議員、警察署などを回った。反応は「施設が足りないのが問題だ」「国が悪い」「可哀想なのは母親だ」というものだった。
 そこで著者は慨嘆する。
 「普通、子供が殺された場合その子供に同情が集まるのが常である。それはその殺された子供の中に自分を見るから、つまり自分が殺されたら大変だからなのである。しかし今回私が会った多くの人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった。(略)これを説明するのに私は適当な言葉を知らないが、差別意識というようななまやさしいもので片付けられない何かを感じたのである。」
 「自分が殺されたら大変だからなのである」というのは少し違うんじゃないかと思ったが、「差別意識というようななまやさしいもの」ではないという著者の感覚の鋭さに、私は深い感銘を受けた。この重症児殺しへの世間の反応は、生き物としての生存本能が関わっているのではないか。それは差別という、歴史的に新しい社会的概念だけでは説明できないのではないか…。そのような問いは今も、まったく新鮮な問いなのである。
 今回復刊された本書には、前回収録されなかった著者の文章や追悼文、立岩真也さんの解説が加えられ、その全体像に近づこうという出版社の姿勢がひしひしと伝わってくる。ぜひご一読願いたい。」(全文)

◆小林 敏昭 2011/03 「可能性としての青い芝運動――「青い芝=健全者手足論」批判をてがかりに」,『人権教育研究』第19号,花園大学人権教育研究センター,pp21-33.

■言及

◆立岩 真也 2017/05/01 「高野岳志/以前――生の現代のために・21 連載・133」,『現代思想』45-(2017-5):-

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社


*増補:北村 健太郎立岩 真也
UP: REV:20170412,0823, 20180821, 20210815, 1008
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