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帰山玲子氏インタビュー

2021/02/06 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 於:喫茶翡翠

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■インタビュー情報

◇帰山 玲子 i2021 インタビュー 2021/02/06 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 於:喫茶翡翠
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

ALS(本サイト内)  ◇説明/辞典・医学書等での記述
介助(介護)  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
難病/神経難病 

■本文

107分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]

長谷川:…というか、甲谷さんところのはじめのあたりの関わりであったりとか、何をしてきたか、みたいなところとかを聞きながら、杉江さんところをと思ってるんですけど。録音はさせてもらって大丈夫ですか?

帰山:あ、全然、大丈夫ですよ。

長谷川:で、これを一応今の予定では、まあなんかもう研究会というよりかは、なんとなくもうフィールドワーク、自分の普通のライフワークになりつつあるんですけど、こういうことが。あるんですけど、今回せっかく研究会でお金が取れたので、謝金を支払えるうちに、

帰山:ああ、ねえ、ほんとにすいません。ありがとうございます。

長谷川:インタビューしたい人、優先順位高い人たちにやっぱりしていこうと思ってて。で、もし、まあ録音したものをテープ起こしして、で帰山さんにもちろん確認してもらって、可能だったら公開っていうかたちにしようかなと思ってるんです。もちろんだめならだめって言ってもらったら大丈夫なんで。

帰山:うんうん。なるほど、わかりました。

長谷川:山田さんとこにも入って、

帰山:うん、ね。そう、ちょうど2年前亡くなったからね、あっという間だけど。

長谷川:私、山田さんはまだ自分で吸引をしてたときから知ってる人だから、すごいびっくりして。で、ねえ、ご主人が先に亡くなるとはまったく思ってなくて、

帰山:そう、まったく思ってなかった。私もびっくりで、みんなもうびっくりして、「まさか」って感じでね。

長谷川:あのご主人、すごいおもしろい、おもしろいっていうか、ご主人だったんですよ、いろいろと。

帰山:おもしろかった、うん。そうそう、倒れて第二日赤に運ばれて、たまたまその夜私が介助だったんだけど、電話であの、ケアマネさんからこうこうこう、「映画館で倒れたから、今第二日赤に緊急で入ってる」って。で、3時か2時かもう一人ヘルパーさん来てくれて、いつも一緒に病院の介助ついてく男のヘルパー。で車出してもらって行きました、第二日赤に。でもう意識がなくて、でまあ「きみこさん来たよ」とか言うと、ちょっと脳波がやっぱり、えっとバイタルが変化するじゃないですか。だからなんとなくは反応あるけれども、まったくだめみたいな感じで、1週間後にそのまま亡くなったから。うぁーって感じでしたね、もう。びっくり。

長谷川:ねえ。私あの、きみこさん、本当まあご主人つながり、ご主人から、ご主人もすごくいろんなとこに相談されて、

帰山:そうそうそう。

長谷川:で、川口さんとかにも相談して、こっちにも来て、

帰山:そう。で、甲谷さんのとこにも来てね、クリスマス会のとき。私もそこでは会うてて覚えてたんやけど。

長谷川:そうそう。なんかその、まあおもしろいかただった。でも、私あの奥さん、ほんときみこさんが、ものすごい穏やかなイメージしかほんとなくって。

帰山:そうだったね。

長谷川:あれはケアでもそうでしたか?

帰山:そうね、基本的にはあのかた、とてもできたかたで、人格的に。基本的に穏やかなかたで、

長谷川:学校の先生だったんですよね?

帰山:そう。教育者なんだなあって感じで。

長谷川:いつ行ってもにこやかな顔で、ほんとに怒った顔を私は見たことがなくて。

帰山:うーん。そう、受け入れとしてはALSにしてはほんとに、まあ、がまんもそのぶん多かったので入院したりもあったんですけど、ストレスからくる。だけど、うーん、やっぱりすごいいろんなことをのみ込んでというか。まあ、なのでかなり進行早かったけど、それについていこうという介助者も多かったんじゃないですかねえ。うーん。

長谷川:うーん、すごいほんとに、まあ。お姉さんがおもしろいんだよね、

帰山:うん、お姉さんいっぱいおられて、3、4人おられてね。よく来てくださってたけど。

長谷川:いろいろとおもしろい、おもしろいっていうか、なんか、いう人がいて(笑)。

ユ:山田さんは初めて聞きました。

長谷川:まあ山田さんにはね、ほんと何年前かな、2、3年前ぐらいに、ご主人のほうにはたしかインタビューさしてもらってたような気がする。

帰山:ふーん。

長谷川:いや、ずっと前かな。もっとずっと前にインタビューさせてもらったことがあって、その記録が残ってると思うんだけど。きみこさんがね、いつも私たちが行くと、山田さんだけ別室、山田さんが別室、まあ入ったところすぐに和室があって、あそこでよくご主人の話聞いてて。

帰山:ああ、応接間のね。うんうん。

長谷川:まあそんなんで、そこに帰山さんが入ってるのも前聞いて、「ああ、それはもうすごいいいことだ」って、「いい人ですよ」って言って。[00:05:00]

帰山:スイッチの関係でよく来てもらったりしてた。堀田さんとか。

長谷川:***【おもしろかった】***(00:05:06)、すごいなんか、うん、今思ってもというか、今そういう、今回京丹後から来られた女性の患者さんとか他の患者さん見てても、きみこさんほどの穏やかな人って見たことないなって思ったりもした。ほんとに、ほんとにそう。あんまり、わーってならなかったイメージがある。

帰山:そうだね。うんうん。

長谷川:というのを、なんか帰山さん見て思い出してました。

帰山:ああ、きみこさんの思い出(笑)。

長谷川:(笑) すいません。今までけっこう甲谷さんに関しては、甲谷さんっていうか、今ALSの京都の10年みたいな歴史をちょっとまとめようと思ってて。京都で何が起こってきたのかっていうか。今けっこう重訪って、まあ京丹後市から引っ越してくるぐらいだし、やっぱりけっこう出るんですよね、今ねALSの人でも。で、24時間でやっぱりスタンダードになりつつあるというか、ある意味で。

帰山:うんうん、よかったですよね。

長谷川:あんまり、まあ甲谷さんときみたいな3か月の縛りの入院を転々としてとか、ああいうふうなのは少なくなったというか、あんまりまあ見なくなったけれども、じゃあ在宅はどうなのよっていうところも含めつつ、ちょっと10年で変わったところ、進んだところ、変わってないところみたいなものをちょっと明らかにできたらいいなと思っていて。で、ちょうどユさんが韓国でALSの家族の聞き取り調査とかをしてて。

ユ:はい。修士論文で韓国の4名様の配偶者のインタビュー調査をしました。その経験があって、時間の関係、時間のはどうなるかなと思って、そこからちょっと疑問があって、***(00:07:04)に来たんですけど。すごくよかったのは、私初めてヘルパーとして入っているのが増田さん、ALSの増田さんに入ったところと、まわりの関係者が全部ALSの関わっている人、たとえば長谷川さんとかまわりの人が関係があるから、すごくありがたいですね、今は、経験は。

帰山:うんうん、そうね。けっこう、そこから情報得られるし、

ユ:それで博士論文を、今あれをちょっと一緒にまとめてしようかなと思って。

長谷川:【ヒギョン】(00:07:41)さんって、帰山さん知ってる?

帰山:【ヒギョン】(00:07:43)さんって、名前覚えてる。

長谷川:昔たぶんJCでもバイトしてたと思うんですけど、

帰山:【コー、ヒ、コー】さん? 違うか。

ユ:チョン、

長谷川:チョン・ヒギョンさん。

帰山:名前と顔が…、何人かやっぱ韓国のかたおられて。

長谷川:何年か前にJCILでもたしかバイトをしてて、そのヒギョンさんのまあお弟子さんというか、なんです。それでまあ京都に来て、そのALSのことでするっていう。で京都に来て、立岩先生のとこ***(00:08:19)に入って。で、そんときにね増田さんがまあ、増田さんもなんかね長い付き合いなんですけど、なんか気がつけばというか。

帰山:そうね。増田さんももう長いですもんね、こう、発症されて。

長谷川:増田さんとそのとき、なんだろ、なんでかなあ、私もともとやっぱり甲谷さんとか杉江さんとかで、あんまり増田さんと関わりがそんなになかったんですけど、途中ぐらいからなんかALS協会だとか近畿ブロックのことだとかを一緒にやって、***(00:08:49)するようになって。ちょっと増田さんも先端研というか立岩先生とかのプロジェクトと深いところにあって。ボストン行ったり何たりしてきたから。

帰山:ああ、アクティブに。うんうん。

長谷川:あんなんで。で、ちょうどまあ、「だったら増田さんとこの介助者で」っていうので。で今まで私たち、どっちかというと一人暮らしのっていうところで、まあ甲谷さんにしても杉江さんにしても、そういうところで見てきた。で、逆にその独居の、独居からその家族役割っていうか、家族がやってないところは何だみたいなことが、今まではなんかやってきたところだったんですけど。実はなんか年表的に見ていくと、その甲谷さんでごたごたしたとき、まあ「地域移行する、しない」の、その「できる、できない」のところのをみんなでがんばったところから、その杉江さんの間に行くところの、その杉江さんと甲谷さんの間のところぐらいに増田さんが地域移行してて。で、なんか初めはもちろんね、ケア時間としては少なかったけど、でもパーソナルを使ってっていう取り組みをちょうど重なってやってるんですよね。で、それがけっこう私もおもしろいなと思っていて。[00:10:03]
 で、ちょうどその増田さんが重訪の時間数を取るのにもうJCILとかが、小泉さんとかが協力して交渉したりとかしてて。で、そういうの見たときに、まあユさんが増田さんのその歴史というかをまとめてもらうんですけど、まあ家族がいても24時間とかね、そういうのを取れてるのがちょうどあの時期にできてたんだと思ったら、

帰山:うーん、たぶんきみこさんもね、同じ時期ですよ。

長谷川:あ、きみこさん、そうですよね。

帰山:すごい同じ、かぶってると思う(笑)。そう2010年ぐらいのことだと思うから。

長谷川:ですね。ほんとだ。きみこさんもそうだわ。すっごいご主人がほんとに、

ユ:2012年? さっき、

帰山:10年…、9年か10年ぐらいの話だと思います、今の話は。うん。そうやねー。

長谷川:すっごいご主人ががんばって、途中減らされそうにもなってがんばって、出たの、

帰山:ああ、ねえ、そうそう。そういうのもあってこう、ぴりぴり(笑)。うーん。そうかあ。

長谷川:そこらへんももうちょっとちゃんと深く見ていきたいなと思ってて。
■増田


帰山:増田さんのほうがたぶんこうパーソナルな、

長谷川:あ、そうです、そうです、募集をしてね。

帰山:そうよね。もうちょっとインディペンデントな感じでやってて(笑)。もうきみこさんたちのほうは、どっちかっていうとそういう事業所のヘルパーと、っていうようなスタンスで、かなり違うけど。そうね、そういう違いはあるとしても。あまりこう対外的な運動であったりとか、そういったことにご主人あんまり向いてない…。まあそれ言いますけどね、言うけど。なんかやっぱ家の中のことや、自分の妻きみこさんのことでもうほんといっぱいいっぱいな感じもあって。それはたぶん進行の速さであったりとか、あの、なんだろな、やっぱりかなり、元気なときにきみこさんに依存してたと思うんですよ、家事とか生活のことをね。それが一気になくなったことで、けっこうご主人自身の生活ってものも、ほんまにもうてんやわんやだったと思う。

長谷川:がらっと変わりますよね。

帰山:うん。増田さんの場合、たぶんそういった活動に邁進する余力みたいなのがたぶんあって(笑)、家族いる2(ふた)パターンとして全然違うのね、やっぱりそこのような気がしますけど。うんうん。全然違う。私増田さんに1回だけお会いしたことあるけど、おうちにうかがって。うん。まあ全然違う感じがしましたね。

長谷川:全然違いますね。

帰山:ヘルパーに対してのその関わり方とか、自分のスタンスみたいなもの、確固たるものがある、みたいな感じでやってはって。

長谷川:なんかね、全然違いますよね。

帰山:うん、違った。

長谷川:そういうのも一個一個、一個一個ってわけじゃないですけど、やっぱりちょっと家族が、まあALSなんか特にまあ「家族がいる、いない」っていうのって、今まで大きかったじゃないですか。すごい甲谷さんのときでも「家族がいなかったら、まあいわゆる地域生活ができない」的な、杉江さんときもそうでしたですけど。どうしてもそれが実はたぶん、けっこうALSの人のを見てると、なんか今見てても、家族がいても24時間は出るし。で、けっこう「家族がいる」ってスタンダードな感じなところもALSの人って実はあって、

帰山:うんうん、そうね。

長谷川:娘さんと一緒に暮らしてるだとか。まあ家族が別にね、自立って言っても一人暮らしじゃないっていうモデルがけっこうあって。で、そういう人たちとまあ甲谷さんたちってそんなに違わない。で、新しいやっぱりALSの自立のかたちというかがなんかもう出て、できそうっていうか、今までのなんか障害運動の中では語りきれないようなものが。

帰山:そうですね。なんか「家を出る」みたいな、それがこう、「ありき」みたいなね、JCILもたぶんそうで。JCの場合一人暮らしの人多いですけどね、実際。
 ねえ、こういうとき実名とかって言って、って、でみんな亡くなってるから、まあちょっとあれだけど、大丈夫? あとで加工するよね?

長谷川:もちろん、もちろん。

帰山:けっこう私思い出して、ぱって言ってもうてるけど。

ユ:あとで文字起こしして、

帰山:うん、わかった。もしなんかあったらね。うんうん。

長谷川:そうそう。だからなんかJCの動きを見てても、けっこう私変わってきてるなと思ってて。

帰山:うん、だいぶ。

長谷川:こないだもやっぱ小泉さんにインタビューしたんですよ。そんときの杉江さんとこに来たって話をして、まあ私が覚えてて。やっぱり「なんで」、その時に杉江さんに言った言葉が、「なんで患者なんだ?」って、「自分のこと患者って言うんだ?」っていう話をしてきて。まだあのときって、そういうその医療に対してのスタンスっていうのが、あれ言ったら、脳性麻痺とかって、とか障害って医療に対してはまあ反…、あんまりね、受け入れないっていうか関係ないというか、むしろ負の歴史のほうが大きくて、無理やりのリハビリだとか。だからあんまり医療者と一緒にやっていくっていう考えってほぼほぼなかったんだけど。どうしてもALSは自分のこと「患者だし」っていう、なんかアイデンティティーもしやすいし、やっぱ医療ってものが入り込んでくるので、そことの関係ってすごい難しいじゃないですか。[00:15:34]

帰山:全然違いますね、うん。

長谷川:そこらへんでもJCのスタンスってほんと変わってきてるなって思う。今見てても、そのメンバー見てても難病の筋ジスの人とか中心だし。で、特に知的障害が入ってきてぐらいから、すごい変わったなあって思って。

帰山:ああ、そうなのかも。うんうん。

長谷川:なんか意思決定の部分で。やっぱあのときは、「やっぱ杉江さんの生活だから、杉江さんが決めないと」みたいな、まあ自分で、自己決定とかじゃないと、自己決定・自立の話じゃないですけど。あれからやっぱり知的の人っていうのはそういうことがまあ難しいというか、そこに当てはまらない難しさがあって、それをどうサポートするかっていうところがあるじゃないですか。だけどたぶんALSの人、まあ杉江さんなんかもそうだけど、甲谷さんとかもそうだけど、さくらモデルって言われるのって、意外にその、CILのモデルから取ってて、「自分が社長なんだ」と、で「自分で生活組み立てて」って。で、いち早く志賀さんのインタビュー、まあ志賀さんのインタビューからわかったんですけど、でも甲谷さんはまったくそういうことが、支援するときにできないというか、「この人は無理だ」と思って志賀さんはやってたというか。

帰山:あ、何? 甲谷さんが無理っていうのは、

長谷川:甲谷さんがたとえば「全部決めて指示をして」っていうそういうことを、別に自分は想定はそんなにしてなかったというか、そういうふうなことができる人じゃないというか、いうふうなことわかりながらの自分と甲谷さんとの関係というか。だからある意味そこがうまくいったんじゃないかっていうような話も、なんとなくその志賀さんの話から見えてきたような気もしてて。それもまた今のJCのスタンスとはちょっと違うなと思うから、おもしろいところだなと思ってて。もうちょっとこう範囲、範囲っていうか、自立なら自立の意味合いとかをね、もうちょっと広げていったらALSの人たちも暮らしやすいんだろうな、とかって思いながら、今インタビューしてるんですけど。

帰山:なるほど。うんうん。

長谷川:で、やっぱりそこの始まりは、でもどちらにせよALSの人の始まりっていうのが、地域生活の始まりって京都では甲谷さんだから。でまあ甲谷さんがどうやってその、まあ甲谷さんの支援がというか甲谷さんの生活がというか始まってきたのかってのを、いろん…、まあ由良部さんとかに聞いてるんですけど。絶対そこには帰山さんが出てくるんで(笑)。

帰山:ああ(笑)、うーん。

長谷川:で、どういうふうなところで帰山さんが関わり始めて、その間(かん)何をして、で、帰山さんからしたら由良部さんとか志賀さんとかってどう見えたのかな?とか。甲谷さんとの関係がどうだったのかな?とか。なんか今、いわゆるその介助者っていうようなアイデンティティーじゃないと思うんですよね、みなさんの話聞いてても、まあ友人だったりとか、

帰山:そうそう、そうですね。私もそうです。

長谷川:で、あとからその、どうしてもその、たとえばお金とかの面だとかでは、資格使ったほうがいいってことで、で重訪、みんなあとづけで、まあね、資格を取っていくっていうような、そんなイメージだったんですよ。だけどあくまでもそれは、介助者になりたいとかじゃなくて、ってところがあるじゃない? なんかそこらへんの話を帰山さんに聞こうかなと。どんな感じで初め甲谷さんと出会ったっていうかとか?

帰山:たぶん唯ちゃんも知ってのとおり、私新体道のお弟子さんやったから、甲谷さんが私にとってのまあ師匠で。新体道っていうのはもう空手をベースにした武道なんだけど。あの人の教えてくれる新体道っていうものがまあ、そう、仁井由美子ちゃんとか何人かそう、甲谷さんから学んで稽古してるっていうメンバーが何人かいて。で、そのメンバーで病院にボランティアで行ってたっていうのがまず最初で。民医連とか西京都病院とか宇多野とか、まあ土日、まあALSだともうほんと人手が足りないから、その補う部分、食事の介助とか散歩とか、ちょっとした日常業務とかをまあ請け負うっていうか、友人としてボランティアに行き始めたってのがまあスタートがあって。唯ちゃん言ってたように、あとづけで重訪取って、まあプロのヘルパーにまあなっていったわけなんだけど、私もそのうちの一人で。うーん。[00:20:02]

長谷川:新体道を教えてもらってたのっていうのは、どのぐらいから教えてもらってたんですか? けっこう長いんですか?

帰山:もう、まだ、もう私が最初に稽古つけてもらったのって、もうね1998年とか、それぐらい昔なんです。でもそれワークショップってかたちで。定例で稽古し始めたのが2004年、忘れもしない。けっこう私にとって新体道やっぱかなり重要なんで。そのときにはもう口がきけない状態で、甲谷さんは。嚥下ももうできない。だけど体むっちゃ動いてるっていう状態で稽古つけてもらってたんですよ、筆談しながら。

長谷川:え、それはもう、甲谷さんはまだあっちの接骨院みたいなのはやりながらっていうか、治療院やりながらって、

帰山:そう。治療院やってた。しゃべれないのに。

長谷川:え、帰山さんが、え、もう1998年から新体道に興味があって、甲谷さんなんですか?

帰山:そうです、そうです。まったくそれ、そういう接点でしかない。

長谷川:新体道に興味を持ったっていうのもおもしろい、

帰山:これはもう私の活動のため、あの、舞台の、舞台を作って、その作品のためにやっぱ体を作らなきゃっていう、単純にそういう、

長谷川:調べてたら新体道なんですか?

帰山:いや、もう友だちが(笑)、うーん、から紹介。「やらへん?」っていうそんな感じで、舞台関係者。

長谷川:じゃあ全然まあ、その新体道のワークショップのときには由良部さんとかにも会ってたんですか?

帰山:あ、そんときはね、由良部さんはいなくって、ほんとに舞台関係者で甲谷さんを呼んできてワークショップしてたんです。再開したときは仁井ちゃんとかいたかな? 由良部さん、あ、由良部さんの門下生の、何人かいるんだけど、伴戸〔千雅子〕さんっていう人とか、***(00:22:01)さんとかね。そう、4、5人でやってた。

長谷川:え、そうなんですか。ああ、私全然そこ知らなかっ…、そうなんですね。仁井さんとかもその新体道のお弟子さんだったんですね。

帰山:そうそう。で、由良部さんはほんとに古い友人、甲谷さんと友人でその関係で新体道ってものをシェアしてたと思うんだけど、、私みたいに習うっていうよりはね。うんうんうん。そう。で今、ちなみに今年の初め、1月の頭に公演を1本やってるんだけど、そこに一緒に踊ってるきたまりっていうダンサーが由良部さんのお弟子さんやから、まあ世間が狭すぎるね(笑)。うん。で、きたまりってっっzうのは私は新体道を稽古してる。で、きたさんはもともと由良部さんから新体道を習ってて、だからもう本当にぐちゃぐちゃ(笑)。私にとってはだから、そのパーソナルな人間関係がもともとあって、今も続いてるけど。だから由良部さんのダンス観たり、由良部さんが私のダンス観たりってことも去年もあるし。うーん。そういう関係がまずあるっていうのはある。うんうんうん。

長谷川:ああ、そうだったん…、じゃもう甲谷さんがALSになったっていうのは、その新体道の本格的に稽古つけてもらってたときにもうしゃべれないぐらいだったんですよね。それまでは、でも治療院には通ってたんですか?

帰山:いやいや。まったく接点がなくて。98年、1998年から2004年までの間は接点なくて。私大阪に住ん…、引っ越してたんだよね、舞台の関係で。だから、京都にもう1回それで接点持ち始め…、持ち直したっていうか、京都に通う、大阪から京都に稽古つけてもらうために通い始めてって感じです(笑)。

長谷川:そこでまた「甲谷さんに」って。そしたら、行ったら「実はALSで」っていう、

帰山:そう。で、そんときまだALSって病名ついてなくて。何の病気かわからない。で、「もう病院に行かないといけない」みたいな。で、もうさすがにちょっと「これは立てなくなってきたぞ」ってなって京大病院に行って、診断結果。まあALSか、もしか何だかっていう難病の病気があがってて、最終的には「ALSになりました」みたいな感じだったから。再会した当初は何の病気かわかんなかった。

長谷川:再会してからは、でも稽古をつけてもらうなかで、甲谷さんもまあ病院に行かなきゃいけないぐらいの?

帰山:うん、だんだんなっていった。うんうん。

長谷川:じゃあその、むしろ教えてもらう関係の中で、ALSになって入院したっていう。

帰山:そうそうそう。1年…、いや、うん、1年近く稽古つけてもらってたんじゃないかなあ。そのあとに病院行ったっていう、進行していって。[00:25:01]

長谷川:1年以上、じゃあ筆談でってことですか?

帰山:そう。1年弱かなあ。うーん。でもそれぐらい、

長谷川:それ、どんな稽古なんですか? その様子というか、だって、

帰山:いや、もう(笑)、

長谷川:帰山さんが新体道のかたちを見せてというか、ですか? 甲谷さんがそれに対してコメントするみたいなんですか?

帰山:いや、もっと(笑)、なので、新体道の稽古っていわゆる武術の稽古なんだけど、なんかまあ、なんだろ、稽古体系っていうのがあって。まあそんなに、まあできる人がいるから、だから仁井ちゃんとか先輩がいるから、号令かけて、まあその、甲谷さんのやるようなものを見取り稽古っていうか、見もってやる。それで、なんだろう、「ここはこうしたほうがいいよ」っていうのは、まあひとしきりやって筆談とかにはなるけど、もうけっこうスパルタ(笑)、もう延々やる。たとえばジャンプっていう、体をとにかく開発するための稽古っていうのがメインだったんだけど、もう甲谷さんが拍子木叩いて、それを聞きながら延々ジャンプし続けるとかね(笑)。まあ空手のベーシックな稽古、そういうようなことをしてた。で、あとまあ組手はやっぱり、あとでこう、そう、クオリティ・コントロールっていうか、まあそういうことを筆談でして、みたいな稽古をしてたけど。

長谷川:じゃあ本当に入院する直前までは体動いてたんですね。

帰山:そうそう。でやっと手術で、胃ろうしたり。 手術をしてしまうと、それを機に身体の機能がどうしても落ちるから。そこまでは何やかんや動いてはった気がする。うーん。

長谷川:なんか由良部さんの話だと、まあ甲谷さんがそうやってALSになったと思って、まあどういう病気かっていうのを調べて、まあネガティブなことしか出てこないし。で自分たちもよくわかんないから、とにかく彼を励ますというか、一人にしちゃいけないみたいなところで、まあ支援する会みたいなの立ち上げたんですって言ってたんですけど。帰山さんはそこに、そことの関係…、呼びかけられたんですか?

帰山:そうそう。メーリングリストみたいなのあって。まあダンサー、いろんなダンサーの名前が、ヤザキ〔タケシ〕さんとか、なんだろ、「ああ、この人も、この人も」みたいな、うんうんうんうん。で、病院に行ける人が行って、みたいな。

長谷川:で、そこ、支援の会をきっかけに由良部さんとも、

帰山:あ、そうです、そうです。うん。

長谷川:なんかもっと密接にって感じですか?

帰山:そうです。まあそれまではダンスを観る、知ってるけど、接点を持ったのはそこが初めて。志賀さんもそうです。

長谷川:ああ、志賀さんも。

帰山:そう。まあ岩下〔徹〕さんのワークショップとか出てたし、合宿も行ってて、顔は知ってたけど。

長谷川:それまではその、あれはどこで、京大病院で立ち上がったんだっけ? あの支援の会って。いやもっと、診断名がついて、どっかに入院をしたときに立ち上がってると思うんですけど、

帰山:うんうん。宇多野?

長谷川:宇多野かなんかですね。それまでの期間というかは、帰山さんは甲谷さんのところには通ってというか、お見舞いに行ったりとかしてたんですか?

帰山:そうそう。宇多野と西京都病院かな、3か月ごとになんかあっちこっち行ってた、そこで行ってたな。散歩したりしてた。

長谷川:稽古をつけてもらってたさなかにそうなって、そこで知らされて、でお見舞い行ったりなんかして、その間に支援の会が立ち上がって呼びかけられて、で、そこに入った。

帰山:そう。うーん。

長谷川:仁井さんとかも入ったんです? そんときに。

帰山:うん。

長谷川:ああ。そうだったんですね。

帰山:そうそう、そうだった。

長谷川:支援の会って具体的にどんなことをしてたんですか?

帰山:いやほんと病院に週…、私は週末行ってたかなあ。土日、夜。

長谷川:それはなんかメーリングリストみたいなのがあって、「私は週末行きます」みたいな感じですか?

帰山:あ、そう。なんか香盤表みたいのがあって、「あ、私この曜日、何時ぐらい行けます」みたいな、そんな感じでローテーション組んでざっくりと、行ってた。

長谷川:で、そんときの食事介助とか、

帰山:そうそう。散歩と。

長谷川:甲谷さんは、でもあれか、そんときはまだしゃべれて…、ない、もうしゃべれてないんですね?

帰山:うん。もう気管切開しちゃってる。

長谷川:どういうふうなはじめは、気管切開というか、まあこう筆談を含めて、帰山さんはどういうふうなコミュニケーション取れてたんですか? 甲谷さんがしゃべれなくなってから。[00:30:05]

帰山:もう病院に入ってからは、たぶん文字盤を使ってたんじゃないかなあ。と思うけどなあ。これも動かなくなったもんね、手も。うんうん。

長谷川:それは誰かが持ってきてたんですかね? その文字盤って。あ、病院の人かなあ、それとも。

帰山:ちょっとそこは覚えてない。もうあった、みたいな。それでやってた気がする、かなり。誰か作ったのかも、志賀さんか誰かが。

長谷川:志賀さんはなんかねおもしろくて、もともと治療院のその、通ってたんですよね。でもちょっと忙しくて行かない間に、次行ったら筆談になっててって言って。変わりはてた甲谷さんにびっくりして、ほんとに何にも、ね、びっくりして何も、動けないというかできないっていうか、しばらくは関われなかったんだけど、由良部さんからそのメール来て、「ああ、もうこれやろう、これやろう」って思ってやったって。でも、志賀さんはなんか、ああいう人だからっていうか性格だからっていうかわからないけど、やっぱり自分の中に決めたことっていうか。まあ支援の会は支援の会なんだけど、だんだんたぶん人が少なくなっていくというか支援の会も。その中でまあ志賀さんが「これ毎日行く」っていうの、なぜか自分の中に決めて通い続けて、って、そういうふうに言ってて。帰山さんたちは支援の会にっていうのに入って、まあやって、支援っていうかローテーション組んでやってて、それがああいうかたちというかになるのは、なんか人が減っていくのは減ってったんですか?

帰山:そうやねえ。たしかにそうだった。うーん。そう。

長谷川:でも帰山さん抜けなかったんですね。

帰山:抜けなかった。うん。

長谷川:それは何かあったんですか?

帰山:もう稽古やと思ってたから(笑)。

長谷川:(笑)

帰山:うん。これは私にとっての稽古やと思ってた。ほんとそれだけだったなあ。だからあの、在宅独居になるっていうのはまったく想定してなかった。どう、私まったく無計画すぎる、今思ったけど(笑)。

長谷川:じゃあちょっと、でも違うんですね。おもしろいな、なんか。

帰山:全然違うと思う。うんうん。

長谷川:そうですね。だって甲谷さんが師匠というか。でもそういうお見舞いに行ったときとかってそういう話はするんですか?

帰山:そう。そういう話ばっかり。うん。私にとっては聞きたいことがいっぱいあったから。

長谷川:じゃあ文字盤でそういう話をする、

帰山:そう。うーん。

長谷川:ああ、おもしろいですね。なんか由良部さんとか志賀さんとか、そんときはなんか死について、すごく甲谷さんが考えてたけど、そういう話もするんですか?

帰山:うん、そうやね。そういうのも含めてだけど。うーん。

長谷川:新体道自体はそういうものに関わってるの? その生死というかに、なんかこう、

帰山:ほんとになんか武道って、体が動かなくなるまで動かすっていうところがけっこうポイントで、あと自分のイメージの中でその動きが続いているってことによって、その限界の状態で体が動くっていうようなとこあるから。ほんと甲谷さんの稽古っての、基本そうだったからね。うーん、そういう意味ではそういう死というか、身体とその意識の関係っていうところで、が稽古のメインだと思う。

長谷川:へー。あ、でもほんっとに違うんですね。全然、なんか介助をしに行くとかそんなんじゃないんですね? なんか、今聞いてたら。

帰山:そうそう、最初は。だからこれがいきなりその、ほんとにヘルパーになったのは、私にとってはもうちょっと無理だったの。ちょっと別物。うん。

長谷川:え、その、でもその関係っていうか、甲谷さんとそのもともとのね関係のままのなかで、甲谷さんの体が変わっていって、支援の会立ち上がってメンバーになっていく一方で、こっちは着々とというかまあ、ほんとに甲谷さんが病院の中でもできることって限られ、まあ看護師さんとかのケアって限られてくなかで、必要なことが見えてきて、みんながまあ友人としてっていう思いはありながらも、なんか関わっていくじゃないですか。で志賀さんなんかもぐっと関わっていって。で地域生活っていう可能性が見えてきたときに、それの中の流れの中では、帰山さんはまったくそういう話とは関係なく、そのまあ、もう師匠のそういう、まあ自分も興味があって聞きたいことがあって関わっていて、でその延長線上にそういうのがあったっていうことですか? [00:34:54]

帰山:私ね、その、実は在宅独居決まる3、4か月前にヘルパー2級を取ってるんです。ていうのは病院に通ううちに、「あ、これ、私仕事にしてもいいかも?」って思って。だから「甲谷さんのことは稽古、仕事は仕事」っていうのがあった、実は(笑)。

長谷川:それは甲谷さんのそういうまあ、なんていうかこう、ある意味での介助の側面から「こういう仕事っておもしろいな」ってことを思ったってことですか?

帰山:そう。うん、病院っていう環境にいて、そういう働いてる人たちを見て、「あ、これいいかも、私やりたい」って思って、まず資格をとにかく取って、それで大阪の事業所で少し仕事をし始めた。それは老人の介護保険の制度の中の介護で。でも「ちょっとこれ違うぞ」ってなって、すぐ辞めることにはなったけど。京都に、甲谷さんの在宅独居になって、うーん、甲谷さんのヘルパーになったけど、ね、なんだろ、大阪ではそういう仕事としてちょっとスタートしたばっかりの頃だったのね。うーん。で、そこで私はなかなかこう、甲谷さんとの関係性と、仕事としての介助が折り合いがつかなくなった。「違うぞ」って思って。

長谷川:それがちょうど甲谷さんが独居する前の、2、3か月前の話ですね?

帰山:そうそう。

長谷川:そこからその、ちょっと仕事を辞めて、大阪は辞めて。辞めたのはあれですか? その、甲谷さんが退院する前ですか?

帰山:えっと、あ、でもその頃ね、ちょっと「やっぱ残ってくれ」って言われて、少し京都から大阪に通ってやってたわ、ちょっとは。でももう辞めたけど。うーん。

長谷川:それ甲谷さんがあんな「地域移行する、しない」の、するように向けて話し合いだとか体制を整えてるときっていうのは、帰山さんは大阪でのそういう介護の仕事もしてたっていう。

帰山:そう、両方やってたんよ。もうめちゃめちゃやったわ。うーん。もうあれやめといたほうがよかったと(笑)。私もけっこうずるずるやってしまうんよね。こう両方をやってたから、もう恐ろしいことになってた。うん。200時間以上働いてたと思う。やばい、うん。あんなんやったらだめだ(笑)。

長谷川:え、甲谷さんのそのなんか交渉だとかはまあ、由良部さんが人集めをして、志賀さんがマネージメントするっていうか制度面をやるっていうような話し合いとかにも、帰山さんはいたんですか? その、やっぱり主要メンバーとして。

帰山:私もう、もういちヘルパーに徹してたかなあ。なんか窓口は志賀さん、その行政との。うん。私はもう一人のヘルパーとしてしか。

長谷川:それはなんとなくその、みんなが人はいるっていう、まあ支援の会のメンバーの残ってたメンバーたちが甲谷さんの地域移行を真剣に考えて、「じゃあどうするか」っていう話し合いみたいなのがあったときに、そこに帰山さんもいて。だけど帰山さんは別にその、すごく、えーと、先導を行くような、まあリーダーみたいな存在としてまとめるみたいなものじゃなくて、まああの、人がやっぱりヘルパーとしてというか、実際問題その生活を支えるのにヘルパー的な人が必要で、そこにまあ自分もいたっていうことですか?

帰山:そうそう。そうです。

長谷川:ふーん。でもそういうその思いとは半分に、やっぱり師匠との関係っていうのはあったわけですか?

帰山:うーん、そうですねえ。なんかそこがうまくいかなくなったってことの原因の一番なんだけど。うーん。

長谷川:え、教えてもらいたいっていう気持ちと、まだまだその新体道みたいなものを教えてもらいたいっていう気持ちと、現実的にはヘルパーの介助が必要だっていうことがあったっていうことですか?

帰山:うーん、なんだろ、関係性として、やっぱお金を取って仕事としてやるっていうこと自体が、もう変わらざるをえなくなったんかなあ。もう甲谷さんの当たり自体も変わりましたからね、独居になって。で、「あー」と思って、「これは」、

長谷川:独居になって?

帰山:うん、これが独居生活になって、甲谷さんが私に対しての当たりも完全に変わりました。まあぶっちゃけ、もうすべての介助を受け付けなくなった。うーん。

長谷川:えーと、病院ではそういうことなかったけれども、

帰山:なかった。

長谷川:その仮住まいのときぐらいからですか? 出てぐらいからですか?

帰山:そう。うん。だから、

長谷川:あ、そうでしたか。

帰山:そうそう。で、これはたぶん本当に近くにいる人しかわからないけど。理由は正直よくわからなかったけど。たぶん私が、、私が介助者としていきいき…、もうほんま必死だったからね、大阪の仕事もちょっと残しつつ、それが嫌だったんだと思う。うーん。「何いきいきしてんだ」っていうね。でも私はもう必死だったっていうだけでね。でもそうやって、とにかくすれ違っていくというか。[00:40:11]

長谷川:全然そういうふうに見えてなかったです、私には。ほんとに見えてなかった。

帰山:うん、そうと思う。うん。私もびっくりしました、ある日を境にだからね。

長谷川:つーかまあ、そのお弟子さんっていう関係ってのも知らなかったけど、あんとき私が見えてたのは、すごく一番信頼されてるヘルパーだってずっと思ってた。

帰山:うーん。

長谷川:ほんとに甲谷さんだから、その、まあ甲谷さんところのケアって、はじめっからやっぱり、なんかな、介助の質が高いのって、やっぱり甲谷さんのその、甲谷さんに合わしたケアの質が高いっていう感じかな?

帰山:うーん、そうねえ。

長谷川:その、マッサージとか、

帰山:ああ、そうそうそう、

長谷川:散歩のことだとか、コミュニケーションも含めて。すごい、私あのとき初めて、甲谷さんが初めてだったから、ALSの見たの。そこに帰山さんたちがいて、で志賀さんもすごい、あの、まとめてる人でいて、でもそこのその志賀さんがまとめている中のヘルパーっていうのは、まあ今、いわゆる今のヘルパーとは全然違って、すっごいこう、なんていうかな、本当に「できる人たち」って、まあそれぞれ個性があるんだけど。うん、ずっと一番信頼されてると思ってた、ほんとに。

帰山:うーん、なんかこう、

長谷川:そう見えてました、私には。

帰山:うーん、見えるかもしれないけど、甲谷さんとしては「わかってるだろ、お前」みたいな(笑)、それがそういうふうに見えてたんかもしれない。でも、ちょっとでもと、もうノー、ノーで硬直が起こってみたいな時期があって。で私は「もうこれあかん」と思って、1年後に辞めてるんだけど。独居始まって1年後にはもうどんどん仕事減らしていって、ってことになってるのね、実は。私あんまりそこにいない、そこでやってないのよ。特に引っ越してきてからはかなり減らして、私は杉江さんとこ行ったり、ほかのとこ、大阪に飛ばされたり、ココペリの意向で。

長谷川:ええ? そうでしたか。だって甲谷さん仮住まいに来て、仮住まいから本住まいに行ってから、

帰山:そうそうそう。だから本住まいから私、実はあんまり行ってないのよ。うーん。で、私の、もう、もう生活って言ったら、もうおかしくなってって。「なんで京都に引っ越したのに大阪通うの?」って、ココペリはもう長見さんの意向だけど。ちょっともうすべておかしくなって、で火事に遭ったので(笑)。だから甲谷さんのところのその記憶ってちょっとね、抜け落ちてる部分もあって。ほんまに過労で。

長谷川:実はそんなに長くはないってことですか?

帰山:ないの。うーん。それまでは長いんだけど、今の体制、あの家になってから私は、「ちょっともう、ここにいたらやばい」っていう感じだったからね。うん。

長谷川:え、帰山さんの中では、でも介助…、まあこっち側移ってきて、甲谷さんのそういう変化がありながら、見る目っていうかは変わったんですか? その、甲谷さんやっぱりその師匠としてっていう見る目からは違うくなったんですか?

帰山:いや、とにかくもう忙しすぎて。5人で回してたし、24時間をね。睡眠不足だし、もう体もめちゃくちゃやし。もうとにかく「でもこれ、自分の仕事にしたった」っていう意志があったから、在宅の独居になった時点で。だから「相手がどうであれ、私絶対やる」っていう感じになった。で、今まで来てる。今の、これ私の仕事として介助を引き受けてるのは、もうそこがスタート。

長谷川:あー、なるほどー。あ、なんとなく、その病院のときではそういう、なんていうかな、介助者っていうアイデンティティは別に、

帰山:なかったと思う。

長谷川:必要なかったけれども、出て、まあしかも給料も発生するわけですよね。

帰山:そうそう、そこ大きい。うんうん。

長谷川:そういう環境が、なんていうのかな、そっちのほうが強くなったってことですか? 仕事っていう感覚のほうが。

帰山:そうそう、変わった。うん。いや、これで甲谷さんはその、私に対しての当たりが変わったにしても、私も負けず嫌いっていうか、これは自分のこととしてやらないとできない仕事やからね、もう完全に私も切り替えた。うんうん。だからもう今も接点は持ってないんだけど、甲谷さんとは。

長谷川:うーん、なるほどね。

帰山:うん。でも師弟関係ってそういうもんやと思うから。そこで学ばしてもらったって思ってるし。うん。だから由良部さんと志賀さんとの関係性、甲谷さんとのはまったく違う。私は私の、にとっての関係性だったと思う。[00:44:49]

長谷川:なんか志賀さんとか由良部さんとかが、たとえば帰山さんとほかの人たちを見たときってやっぱり仲間であり、介助者っていうよりかは仲間っていうか、

帰山:そうだよね。

長谷川:「おんなじ甲谷さんを支援していく仲間」っていう意味じゃないですか。でも一方で、ま、たぶん話をしてても、由良部さん、なんか介助者よりやっぱ友人だっていう思いが強くて。志賀さんはなんか、途中からなんか、志賀さんもちょっと変わったと思いますけど、今はなんか、志賀さんの表現を借りるなら伴走者というか、一緒に走ってるというか、なんかそんな感じじゃないですか。やっぱみんな話を聞いてると、仕事っていうことよりかはちょっと離れてるというか。でも帰山さんは、

帰山:でも私は仕事にした。うん。で「よかった」って思う。やっぱ今でも、今JCILのヘルパーで、もうALSの介助じゃない、いわゆるけっこうJCILの昔からのメンバーの介助もしてるけど、よかったなあって思ってるから。これ、

長谷川:それは、

帰山:あの、介助者としてやっててよかったって今は思ってるから。うーん。あれは入り口でしかなかったと思う。うーん。

長谷川:その、「仕事だ」って思ったわけじゃないですか、それはまあ出て、まあ地域生活が実際にスタートした時に。でもそうすると志賀さんとか由良部さんに対しての見方って変わったんですか? 帰山さんからは。

帰山:いや、たとえば去年とかも由良部さんと一緒の企画で踊ったりもあるし、普通(笑)、普通に。なんだろ、ダンサーとしての同業者。

長谷川:そのときも、あのときもですか? その、一緒に甲谷さんところをやってたときも?

帰山:あ、そのときは仲間。うーん。

長谷川:志賀さん、なんか誰に話聞いてるんかな、「志賀さんがやっぱり大きな」、あ、伊藤敦子さんだ、「志賀さんがやっぱり大きな、なんていうか、柱というか」、

帰山:うんうん。そうですね。

長谷川:なんかこう、「志賀さんがいれば大丈夫」みたいなかたちで思ってたっていうふうな。それはなんか自分がまあ甲谷さんの介助を離れるときにそう思ってたっていう話をしてたんですけど。帰山さんは?

帰山:いや、私は甲谷さんと関係があってから出会ってるから。

長谷川:そういう志賀さんがあそこはまとめてたじゃないですか、そのシフトとかも。そういうのが、そういう役割があっても、やっぱり志賀さんは志賀さんっていうか、あんまり帰山さんとしては***(00:47:23)みたいに、リーダーみたいには思ってなかったってことですか?

帰山:いや、あの、ボスだなっていうの思ってたし、こう、うんうん、それには変わりがないけど。逆に今、そんな接点はないかな。うーん。

長谷川:由良部さんは、

帰山:は、会うからね。やっぱり知り合いが多いし、ダンスの界隈では。うん。

長谷川:一緒にやってるときは仲間なんですよね?

帰山:そうだね。うーん。

長谷川:あ、そうか、そうですね。伊藤敦子さんからしたら長さが違いますもんね、甲谷さん。

帰山:うーん、でも私にとってはすべて過去かもしれない。もうほんと入り口っていうか。うーん、入り口にすぎない。

長谷川:あのときのそのほんとに始まったというか、まあ支援の会から始まって地域生活して、みたいなところの中で、帰山さんが一番その、「ああ、これは課題だな」っていうか、「難しかったな」って思うところっていうのは?

帰山:移行するときねえ。やっぱ自分自身にも生活があって仕事があってっていうことをちょっとおざなりにしすぎたかもしれないっていう、自分自身に対しての反省はある。やっぱりここが、自分の生活がちゃんとしなかったら人のケアはできないし、そこがやっぱり崩れたから、関係性もよくなくなった、甲谷さんとの、っていうのがある。無理しすぎた。

長谷川:でもそれは師匠っていう側面もあったからってことですか? その無理しすぎるっていうのは。

帰山:でもマネジメントしなあかんね、自分のことを。うーん。

長谷川:なんか、なんていうんだろう、なんかね、すごい、師匠、師匠とか言われるってすごい特別じゃないですか、その存在としては。

帰山:うん、うん。それはたしかにそうだけど、いや、でも誰も助けてはくれないって思った。うん、厳しい。ほんと厳しい世界。うんうん。

長谷川:でもそのときは走り続けて、そのときはそういうことは思ってないんですよね?

帰山:うん。でもそんなもんだって思うよ。私すっごい、なんか、なんか思い入れとか全然ないなあ。うーん。今の仕事のほうがずっと重要。私にとっては仕事やから。

長谷川:じゃああのときはほんとに入り口で、かつその、まあ地域生活になったときに仕事にしたというかなったときに、ちょっとその関係性が変わっ***(00:49:41)関係性が変わって。実際その仕事として見たときに、まあ関わったときに、ケアの難しさって感じましたか? 甲谷さんのケアっていうか、ALSのと言ってもいいのかもしれないけど。[00:49:57]

帰山:なんだろう。やっぱり自分のする介助を拒否される局面って、たぶんいろんなとこである、杉江さんときもあったけどね。もうそうなっちゃったら、もう、なんだろう、身を引くか、そこで自分の思ってることを言うか、やっぱなんかしなきゃいけない。これはなんかJCILの去年の研修のときに私も発表して、介助者の前で発表してちょっと文章があるから、もしよかったら。うん、なんかそこを書いてるんだけど、結局コミュニケーションの問題ってそこで。介助を拒否する局面ってときに、どういうふうにじゃあヘルパーはいてたらいいのかっていう、たぶん普遍的な問題やと思うねんけど。なんかそのうちの一つなのかもしれないね、私が経験したのが。うーん。

長谷川:他の人たちいるじゃないですか。たとえば一緒にその時期いてた敦子さんだとか、いろんな人のケアを見て、比べることとかってありました?

帰山:うん。「なんでみんなの介護はオッケーで、私はだめなんだ?」って思ってたよ。で、私辞めたらみんなの、そっちで拒否が起こったよね、結局。うん。スケープゴートじゃないけど、まあそういうもんなんだよ。

長谷川:でもそのときはもう、やっぱり「なんで?」って思いました?

帰山:うん、思った。

長谷川:その、やっぱ他の人とケアを比べて、

帰山:うん、そう。辞めることになるでしょ。うん。私はこれに関してはほんともう、言うか、辞めるか。そんな長いことそんな状態続かない。続くわけがない。

長谷川:言ったことはあるんですか?

帰山:ありますよ。罵声をとばして辞めましたよ。うん。「思い上がるな!」って言って、どなって帰った。それでもう最後ね。

長谷川:そうですか。

帰山:うん、そんな世界だよ。うん、うん。厳しいよ。

長谷川:甲谷さんは、それはでも仕事の、仕事としての、ヘルパーとしての気持ちで言ったんですか? その、甲谷さんに対して。

帰山:いや、人として。うん。

長谷川:人として、そしてその、なんか今まで師匠だったっていうところも含み込んだ「人として」っていうことですか?

帰山:うーん、でも、「ちょっと、それあなたあかんやろ」って思ったからね(笑)。「それを言うたらあかんやろ」って思ったから、うん、言った。だめですよ、あんなことは。

長谷川:でもそれでもケアを、ケアって、介助っていう仕事をやめなかったのは、

帰山:いや、仕事だからだよ。うん。

長谷川:仕事だからですか。そこになんか魅力じゃなくて、仕事だからってのがあったからですか?

帰山:うん。

長谷川:だから杉江さんところも、

帰山:も行くし、うん、全部おんなじようにやってきたと思うけど。

長谷川:杉江さんは全然その関係性がまた違うじゃないですか。全然ね。そことのやっぱり介助と、その甲谷さんとこの介助ってやっぱ違いましたか?

帰山:うん、違うね。全然違うし、やっぱり個別だよなと思うんだけど、同じALSでも。うん。そう、あときみこさんとこも違うしね。

長谷川:それはなんかこう、どうだったんだろう?って思うんですけど。何が違うと感じるんですか? 私は、関係性からすると全然違うから、その関係性が影響してるのかなって思ったりもするけど。

帰山:うん、うん。なんかこう、やっぱおも…、ヘルパーに対して求めるものが違うしね。杉江さんがヘルパーに求めるもの、きみこさんが求めるもの、そういうの全然違うから。うん。

長谷川:甲谷さんとこから移ったときには、楽でした? 杉江さんのケアって、

帰山:いやー、なんか、

長谷川:気持ちとしてというか。内容はそんなに楽じゃないと思いますけど、そんなに変わらないというか、個別性があるからそれほどね、比べるようなことができるものじゃないと思うけど、気持ちとしてというか。

帰山:杉江さんとこは、うんうんうん、なんかこう、まだやり取りという意味でのやり取りができてたから、それは介助として成立してたとは思うんだけど、甲谷さんの場合はもうそれすら成立しなくなってたから。ただ杉江さんがあの、仮住まいのあの家に来て、やっぱ難しい局面あったじゃない? うん。やっぱそこはちょっと難しかって辞めちゃったけどねえ。1年ぐらい行ってたけどね。やっぱり杉江さんにとっても厳しい時期だったのかもしれなくて。

長谷川:それってあの、私いつも、まあその杉江さんところでもそうだったんだって思ってたんですけど、どうしてもその難しい局面ってほんとあるじゃないですか。まあ離れてね、離れててその現場にいなくて、もっと違う視点から見たら、まあ杉江さんのことも擁護できるだろうし、いろんな見方ができるとは思うんだけど、その渦にいたときって実際問題は、ほんとにこう「帰れ」とか「無理」だとか拒否が来るじゃないですか。ああいうときっていうのは、それで人が辞めてったり、人が代わったりすることっていうのが、その、実際には、いや、そういうふうになっちゃうんだけども、それ自体はどう思います? そういうものなんだっていうふうに思いますか? [00:55:13]

帰山:そういう局面いっぱい接してきたけど(笑)、「そりゃ人いなくなるよ」ってことだよね。入れれるとこまではやるけどね。やるし、やったんだけど、結局しわ寄せが残った人に来たりとか、まあ新たにどんどん投入するしかないんだよね。ほんとそれの繰り返しで。たとえば私まだ30代だったからできたけど、今無理だもんね。とかそういう物理的な問題がやってくるんだよ(笑)。やりたくても、もうできない。私もちょっと実は先月手術をしててね、病気をして。うーん、やっぱり体に来るなあ、みたいな。だからやれる人がとにかく投入される世界なんだと思う。ほんと人の力の仕事だしね。うーん。

長谷川:人手不足っていうのは、ひしひしとJCILでも感じますか?

帰山:ああ、今もあると思う。でもちょっとその自分の体の事情で、だいぶ今はセーブしてるんだけど。ダンスもあるし。だから、まあ人ってそんな、もう消耗するやんか、やっぱり。リカバリーもできなくなってくるし。うーん。もうそういう問題、トータルとしてそういう問題みたいなあるよね。うーん。でそんなに長く続けられるわけがないんだよ、やっぱそういった介助を拒否されるって局面はね。うーん。

長谷川:拒否されたときって、なんかどういう気持ちだったかなあ、私も、「帰れ」とかすごい言われて、拒否されてたときってね、

帰山:困るよね。

長谷川:なんかすごいわかる気もするんですよ。なんとなく、たとえば経験がなかったりとかすると、すごくまあ意固地じゃないですけど、なんかそこはやっぱり負けず嫌いなとこが出てきて、「いや、やめるもんか」みたいなことを思ったりだとか、「帰るものか」って思ったりもするんだけど、実際それがずっと長引…、長くは続かないっていうかな。そしたら今度はそれをあしらうようなふうに一時期なるというか、経験がそうさせるっていうか、

帰山:うんうんうん、いなしていくみたいにね

長谷川:だけどそれもそれでずっと長く、相手があることだから長くは続かないというか、ってのもあったしっていう、難しいですよね。でもそんなものかって言われると、そんなもんだなって思うし(笑)。

帰山:(笑) 全体としてその、やっぱ人手増やしてこう、してくしか、もうわからない。個人個人はそれいろんな思いもするし、正直くたくたにもなったりするんだけど、もう全体として、全体として、なんじゃない? やっぱ。そこをもうコーディネートしてもらうしかない。最終的にいつもそこになってたな。もうだって個人でできることは、もう限られるもん。うん。向こうがノーって言うんだから。

長谷川:え、帰山さんはね、そのJCILに介助の所属になったときには、それは何か意図があってJCILなんですか? それともなんか、

帰山:あ、そうそう、あの、甲谷さんのボランティア行ってたときに小泉さんと渡邉琢さん来てくれて、そこで知り合って名刺もらって。「あ、ここだ」みたいな***(00:58:28)そこで(笑)。うーん、名刺に電話したみたいな。

長谷川:別にココペリでやろうとは思わなかった?

帰山:ないない、絶対ない。

長谷川:投入型ですもんね、ココペリね。

帰山:うーん、「京都に引っ越してきたのに、なんでもう一度大阪に派遣するんだ?」って、不信感のかたまりで。

長谷川:JCIL、でもJCILってまた、帰山さんどこでその、あ、ヘルパー2級ですもんね。重訪受けてないとしたらヘルパー2級ですよね。ヘルパー2級の資格のその考え方と、全然JCILの考え方と、またココペリの考え方全然違うじゃないですか。

帰山:違う、違う、うんうん。

長谷川:そこらへんはどうだったですか?

帰山:その大阪で高齢者の介護のを半年ぐらいやって、「もうあかん」って思った。「私はこの世界は無理」って。うん。それ以外やってない。で資格は持ってるから、その、JCの利用者さんの中でもその、要は重訪じゃない枠での介助には私入れるしさ、まあメリットはあると思うよ。だから別に資格を問わないじゃない? JCILって。私も別に問わないから。新しく資格を取るわけでもないし。すべてそういったところ、資格があって時間数があってみたいな、オーガナイズをする部分は私はまったく知らないし、ノータッチだからさ。[00:59:48]

長谷川:でもJCILの風土って言うんですかね、ああいう、「自己決定」とかがあるじゃないですか? 私一番覚えてるのが、あれは杉江さんの介助始めたぐらいかな、かりん燈? 琢さんの。琢さん、かりん燈の大会かなんかがあって、京都じゃない、大阪かなんかどっかであったときに、かりん燈のその大会行ったんですよね。でそのとき、ちょうどさっき言ってたみたいな拒否問題のところで、杉江さんのね。で、伊藤敦子さんも来てて。で敦子さんもたぶん、帰山さんが抜けたぐらいのときだと思うんですけど、

帰山:ああ、来てたね、うんうん。

長谷川:もうなんかすごくその、さっきターゲット変わるっていうかね、そういうかたちで、まあいろいろむらむらしてたところがあったと思うんですね。で、行ったときに、なんかちょっと発言を会場でして、「ほんとに本人に対して、死ねばいいのになって思うときもある」ぐらいの話をたぶんしたことあって。で、なんかJCの雰囲気ってすごくこう、私がし…、もう私はまあ本で読んだから、そういうね、自立生活運動とか読んでて、介助ってあまりわからなかったんですよね、資格を取って入ったわけじゃないから。で今思えばその資格も、川口さんが京都に来て、で甲谷さんのところでやった資格を取って。でそんときの資格の内容が、まあ今みたいに体系立ってなくて。小泉さん、それこそJCILの小泉さんとココペリの長見さんとでなんか対談みたいなのをやって、で「障害者運動とは何か」みたいなのを聞いてやった、みたいなことだったんですね。で、でもココペリはココペリでなんかやっぱ投入型だから、とにかくっていう、本人がどう出ようが入れるっていう。だけどあの時代のJCってやっぱ本人が重要だっていうのはすごい言われていて。だからすごく、なんとなく肌が違うなって思ってたんですよね。そこに身を置く介助者ってどうなんだろう?って思ってたんですよ。すごくでも、【表面的】(01:01:57)に見えるJCに付き合うような介助者って、やっぱりこう本人第一っていうかね、けっこうJCの理念みたいなもの持ってるから、あそこに入ったらどんなんなるんだろなって思ってたんですけど。帰山さんそこにこう入って、ALSの経験を持ちながら入って、どうでしたか?

帰山:なんかこう2年前まで、そう山田さん、きみこさんの介助がメインで、私はもうそう、ほぼほぼ、やっぱりきみこさんの介助者としてやってたから、JCのコアの、うーん、介助っていうのはあんまり経験が実はない。小泉さんが私を雇ったのも、やっぱりALSの介助のためにっていう部分あったと思う。だから私はJCの介助者としてはあんまり本体の、今でこそこの1年ぐらい行ってるけど、足すら運ばない人であったし。JC自体の母体がさ、どんどん大きくなってってるから、そのうちの一部分でしか私は知らない。

長谷川:あんまりその、じゃあなんか風土的なものを受けてないってことですね。

帰山:そうやね。やっぱ接点があるとして、やっぱ小泉さんとの接点でここまで来てるし。合わない部分もちろんあるんだけど、理念の部分でね、でも私ほんとにきみこさんの介護で終わって。もう1件はあそこのアメリカ人の脊損の方の介助を、

長谷川:あー、フィアーナさん。

帰山:そう、フィアーナさんとこの。そこがほぼほぼ私のメインの。で、コロナの関係で1年前からあの、退いてるんだけど、まあ個人的には接点もあるしね。で、そうそう、この1年かな、JCの古いメンバーのとこに今2件行ってるけど、彼女たちはほんとにゆるくて(笑)。またJCILのそういった理念にどうのこうのって人じゃないんだよ、たまたまね。私が選んでるわけじゃないけど。だからそういう出会いにまかせてるけど。JCだからどうっていうのは、実は私は感じてなくて。


長谷川:で、それがあるから、まあ一定のことというかは乗り越えるというか、やらざるをえないというか、やるんだっていう、

帰山:うん、そこは引き受けるっていう、自分のこととして。


帰山:そうなんだよね。だからそれはそれでもう受け止めつつ、じゃあ自分としての仕事っての考えさせられた。うん。だって一生やるわけでも、できないかもしれない。私も実際こう40代になって病気をして、思うようにできないっていう経験をして、私は私の仕事としてこれ考えなあかんのちゃうか?ってきっかけの一つにはなってる。うんうん。なんかそれをネガティブに受け止める、じゃなくてね。[01:09:52]

長谷川:そういう感情っていうか考えというかっていうのは、表現するときとかにも影響するんですか? 私、なんか…、でそれがなんで知りたかったかっていうと、単純な興味関心なんですけど、由良部さんと話をした時に、由良部さん体についてやっぱり知りたいっていうか、そういう欲があるじゃないですか。で一つの、甲谷さんっていうものを見たときに、その、体としてどうなっていくのかっていうかな、それを甲谷さんの体でじゃあ自分が表現するというか、そこにつなげてたから。そういうのってあるのかなあ?と思って。

帰山:私、甲谷さんにそこは今ないけど。うーん。

長谷川:たとえばそういう労働観っていう話もまあ、

帰山:仕事、ね、その介助の部分がダンスに直結していくとか、

長谷川:そうそう。

帰山:うん、それは体は一個だからね、もうたぶん私が意識しないでも混じると思う。そこはもう私がやってることだから、この身体で。そこは私が意識せずにも、もう組み込まれてるとは思うよ。なんかあまりそこは、なんだろ、私の意識のうえでは、そこをピックアップして表出するっていうことはあんま考えてない、たぶん。一回そういうのモチーフにしてシーンを作ったことはあるけどね。でも、そういう、なんだろ、ピックアップしてそこを抽出してって感じのことはしてないし、由良部さんのように、目の前にいるその甲谷さんなりの身体を、自分の身体を通過させてっていう発想はあんまりないかな。うーん。

長谷川:介助者が仕事で、まあ誰であれ同じじゃないですか、その、仕事としてはね。中での難しさっていうのは、さほどないですか? じゃあその差っていうか。たとえばALSの介助はここで難しい、だけどこういう、脳性麻痺とはこういうとこが違うとかって。物理的なことはたぶんあるとは思うけれども。

帰山:ああ、でもやっぱ重なり合う部分はあるけどね。うん。程度の差はあれ。

長谷川:それはALSの介助の難しさっていうものなのか、それとも介助自体の難しさっていう?

帰山:うん、介助自体の難しさっていうのはあると思う。やっぱり程度の差はあれ、拒否っていう問題はあると言えばあるからね。すべてオーライなわけじゃないわけだからね。あくまでも相手のリクエストに応えるのは基本だと思ってるから。うーん。100パーセント一致するってことは絶対ないわけだから。

長谷川:今、関わってるケアをする人で、自分のやってほしいことというかリクエストみたいなものをきちっと言える人たちが多いですか?

帰山:あ、一人はかなり細かく言わはる。やっぱ時間をかけて、そこは。

長谷川:なんとなく今まで、ALSのケアを考えたときに、ALSって進行していくから、ケアのかたちはたとえば決まったとしても、それは変わっていくというか、じゃないですか。そうするとその本人も別に、してほしいことっていうのが具体的に言えない部分が出てくる人たちがあると思うんですけど。そういうその難しさみたいなのって、やっぱりちょっと特殊ですか?

帰山:そう、ALSはそこが特殊で、進行によって変えざるをえない、お互いが、部分が大きいでしょう。だから誰が入ってもいいっていう状況になくならないじゃない? 進行の途中で新しい人投入されるってすごくお互いにとって難しいから、ALSの難しさの一つだとは思う。今の、

長谷川:きみこさんのときは?

帰山:うん、やっぱあったよ。最後の方はね、難しかった。だから人数が減ってったわけなんだけど。その進行の度合いに合わせてヘルパーがついていくことによって、ALSの介助者のクオリティが保たれる。でも途中から投入されると、ついていけないわけだよね。難易度が高い。難易度Aから始めてるのに、いきなりCとか、Eとかなるわけだから。難しいね。相手の要求、リクエストの数も増えてってるし、質も求めるしね。脳性麻痺だったら、たぶん生まれた頃からこういうことになってて、身体のその、もうデフォルトの状態ってのがあって、それが70年間、基本的な身体の構造は変わってませんみたいなことなわけよね。そうすると別に、別にじゃないけど、ALSと比べれば、まあ途中から投入されてもなんとか対応できるし、介助を受ける人もまあプロなようなもんだから、介助を受ける歴70年とかなわけだから。でもALSだと、たかだか3年、5年、10年でしょ。まったくちょっと土台が違うっていう感じするけど。[01:15:10]

長谷川:なんかその今、たとえば甲谷さんとのケアのことを振り返って、そういう側面というか、甲谷さん自身がその体の変化だったり、なものについていけなかったからとか、そういうふうな、その態度が変わったことも含めて、そういうふうな、なんかこう見方ってします? できます?

帰山:うん? うん? 何、何? えーと、

長谷川:帰山さんとだからああなったっていう話だけではなくって、まあALSっていうその、進行していって、甲谷さんも40代後半というか50代ぐらいになって、まあそのとき初めてなるわけじゃないですか、障害というか病というか。その中で混乱していって、だけどもなんかわからないまま進んでいって、求められることはでも求められてきて、何をしてほしいのかもわからないっていう状態が実は自分にもあって。それがうまいこと表出できないままみたいなところが、そういうスケープゴートみたいななってるようなところが出てきて。まあ杉江さんに対しても、そういうことがあったのかなあと思ったりもしたんですけど。そういうふうな見方って、今できます? いろんな人たちと関わって。

帰山:うんうん、甲谷さんの場合はもちろんそういった要素は多分にあると思うけど、プラスアルファでやっぱり「お前ならわかるはずなのに、なぜだ」みたいな、いきなりこう、なっちゃったのはあるだろうねえ。うーん。

長谷川:でもそれは裏を返せば、それぐらいの信頼度があるってことですよね? たぶん。

帰山:ああ、でもやっぱその関係性がいびつだなとは思うけど、今から振り返ればね。いびつですよ、それは。そういった関係は私は望まないし、向こうも、うーん、それは違うということになるんじゃないかなあ。関係性として、そりゃあちょっといびつすぎるやろうっていう。ほんとよくわかんなかったけどね、その渦中にいる時は。「はてな」みたいな、「はてな」。今から思うと、やっぱそこじゃないかなあ。これは私の憶測かもしれないけど。うん。

長谷川:なんかある意味で、なんていうか、違った依存っていうか、そんな感じですね。

帰山:うんうん、そうそう。私も依存してたと思うし。うん。甲谷さんから得たいもの、教わりたいことってのあったわけだから。もう今はないけど、私は私でやるからいいんだけど。

長谷川:そういうふうにぱーんと今、なんかいろんなことを、「私は私で」とか、いろいろこう、帰山さんの話聞いてすごい思ったのは、ぶれないなあと思って。すぐ、すぐ私なんかは、あ、「私なんかは」ってあのときぐらい、まあ知らないのもあったけども、やっぱり障害者運動とか、そういうのを聞いてても、「あ、そうなんだ」と。どこ行っても「健常者」で批判されたし、私も。JCの人たち、当事者に言われるというよりかは、そこの、そこにいる健常者、どっちかと言えば当事者に近い人たち、支援者に、「え、あんた今の発言」とか、「上から目線だよ」とか、なんかよく言われたんです、ほんとに、「健常者だから」とか言われたことがあって。それってでも、私考えたら、まあ今、今の今までというかその時期までも含めて、健常でしかいなくって、

帰山:ねえ(笑)。

長谷川:そういう世界で来たわけで、だからそういうふうなところで、すっと、だから逆に、受け入れられない場面もあるんだけど、でもなんか自分に対して、そういうふうに、「あ、そういうことがあるんだ」っていうふうな、なんていうかな、自分を責めると言うか。私今まで普通にこうしてたんだけど、「あ、こうなんだ」みたいなふうに、すぐそっち側寄りに行きそうな、障害者の言ってることに行きそうな場面がめっちゃあって。もうすごく、むしろ受け入れちゃうっていうかね、そういう意味では。

帰山:具体的に、たとえばどういう指摘だったりしたのかな?

長谷川:たとえばですね、ああ、あの、差別をずっとしてないと思っ…、まあ「してる」だなんて思って生きてないじゃないですか。で、私の幼稚園って小さいときに、ほんといろんな人が来てたんですよ、教会だったから。クリスチャンではないんですけど、教会、キリスト教の幼稚園だったから。日曜日にお昼みんなでうどん食べるんですけど、そこには足が悪い人もいたし、知的の子もいたし、ダウンの人もいたし、いろんな人が来てたんですよ。で、その幼稚園で、そんないろんな人がいたもんだから、こう大人になってもそういう人たちに対してあんまり何も思わなかったんですよね。いるっていうのは普通だったし。だからまあそういうことを逆になんか知ってたというか、あんまり気にせずに生きてきたんだけど。それが実は、それを私は「同じだ」って思ってたんですよ。「あなたも私も同じだ」っていうか、「みんな同じだよね」って思うんだけど、それが実は「みんな同じだよね」ってのが逆に差別になってるっていうことに、すごく言われたことがあって。配慮の問題だとか。特に合理的配慮なんて言葉が出てきて、そのね、差別解消法のあのあたりの前後っていうかな、が、私は同じように扱う、扱うっていうか、「同じ人間でしょ」みたいなところが思って。差別なく、まあ差別って言葉あんまり、そこもなんか落ちてなかったけど、付き合ってるつもりが、一つ一つの言動っていうのが実は同じじゃないっていうところで、すごく言われたりとか。「上から目線だ」って言われたことがあって。[01:20:51]

帰山:ああ。それ、でも上からか? (笑) えー。

長谷川:すっごい言われた。だから杉江さんに対してだって、私が、何の話か忘れたけど、杉江さんに対する私の態度がすごく上から目線だっていうのを、JCのね人から言われたんですよ。

帰山:えー?

長谷川:JCの介助者からね。だからそういう、でそんときにやっぱりまあ、そんときの時代もあったんでしょうけど、まだまだなんか今みたいに開けてなくてとか、医療とかそういうの全然開けてなくて。だからJCの介助者たちも、何こう、もうちょっとこうたとえば、あのときなんか私杉江さんに対して不満すごい持ってたから、特に学生さん儲かったし、私も学生の立場だったし、別にアイデンティティーのある介助者じゃないんですよ。だからまあ「何あのおっさん」みたいな、それこそ関係性だけど、もうその病院からずっと通って、全然そういう介助っていうので入ってない時から杉江さんところの病院通って、作ってきた関係の中の延長線上だったから。だから杉江さんの悪口も学生と集まっては、「いや、こないだこういうこと言われて。ちょっとなあ」みたいな話をすると、なんかちょっとJCの介助者としてはそういう、本人がいないとこでそういう話をするっていう、私たちはどういうふうにたとえばそれを解決したらいいか、だとか、そういうような思いでしゃべってはいるんですよ。いるんだけど、でもそれがJCの介助者からしたら実は違うっていう、そうしたらだめだっていう、

帰山:そこは厳しいね、JCILは。うんうん。

長谷川:言われて、ああって思った。そんな時期が。

帰山:そこはでも唯ちゃんの立場としては、ちょっと違うんだよね、っていうのは私はわかるけど。ただ本人のいないところでこう本人のことを話すってことに関して言うと、それをきっかけに介助体制も崩れる可能性もあるからっていうのはあるんだと思うんだよね。お互いにそれがデメリットであるっていう経験がたぶんあって。そう、それもあるとは思うんだけど。それにプライベートのこと話されたくない人と、むしろ「しゃべってくれ」、山田さんとこなんかそうだけど、個人差もある。山田さんとこなんかもう、「どんどん言ってください」みたいな、うん。「そうすることによって問題共有できるから」みたいな人もいる。でも、うん、個人差もあるしね。だから「JCの見方」ってことでいいとは思うんだよね。そっから参考にできることはあるし。それがJC的には上から目線っていうのはわかるんだけどね。うーん。

長谷川:まあJCがそういう考えをしてたかどうかはさておき、まあそこの介助者はねっていう、

帰山:まあそこはね、けっこう厳しいと思う。うん、うん。

長谷川:なんかそう思ってました、そのときは。でもいろいろとなんか最近の、まあ小泉さん、小泉さんもだから私丸くなったなあとかってすごい思ったりもして、思ったりもするんだけど。なんかね、JCじたいがなんかすごく丸くなったなあっていう、

帰山:変化してる。だいぶ、だいぶ変わってるんじゃないでしょうか。

長谷川:それは中に、中にというか、そこに所属してからもそう思いましたか? 「変わってるなあ」って、あんとき、

帰山:それもさっき言ったように、関わるさ、分野がさ、ちょっとコアから外れてるからさ、実感としてはないんだけど。その、私、あ、そう、ちょっと文章で送(おく)…、

長谷川:送ってください。

帰山:ちょっと小泉さんにそれこそちょっと許可を取るけれども。その、私がまあ杉江さんに「帰れ、帰れ」って言われてこっちもぶちぎれるとかね、そういったことをJCILの介助者に対して「こういうことを私は思ってた」みたいな発表をできること自体がやっぱ変化だと思った。うん。介助者に向けて介助者が何かを言うってこと自体が、JCILの理念っていうか、これまでのあり方からするとなかったことだからね。それが、しようと思ったのはJCにもきっかけがあるんだけど、だいぶ変わったんじゃないかと。画期的なこと。うん。で、介助者がどう思ってるかっていうことを話す場所なんてなかったから。うん。[01:25:07]

長谷川:そうですよね、たしかに。

帰山:うん。それこそ個人の生活にまつわるプライベートなことを話さざるをえない局面っていうのが、ぎりぎりでも出てくるわけで、まあそこを注意しながらなんだけど。特にそこは厳しいところだから、今でもね、JCILはね。うんうん。

長谷川:たしかに。だってまだ増田さんとか全然雰囲気が違うもんね。ほんとに違うよね、きっと。

ユ:今聞きながら、感じて【ました】(01:25:38)。

長谷川:甲谷さんとことも違うでしょ、杉江さんとことも。何が違うんだろね。

ユ:なんか増田さんの場合は、やっぱり奥さんが少しサポートをしてくれるじゃないですか。パーソナルがあっても、その間にまた奥さんがなんか調整する役割があるから、やっぱりJCILのやり方はちょっと違う感じが私は思っていますね。私がヘルパーとして入っている立場だと。

帰山:そうそうそう、うんうんうん。

ユ:あと甲谷さんはもともと知り合いから始まった【縁で】(01:26:44)、だからみんな【個人なりに】(01:26:47)違うかたちでやってるのかな、と今、聞きながら感じています。

帰山:そうですね。うんうん。

長谷川:コーディネーターが違えば全然違うような気もしますしね。

帰山:それもあると思います。コーディネーターのね、あり方。

長谷川:志賀さんはだって、基本的には甲谷さんに興味を持つかどうかってところ、その介助者に応募してきた人たちがというか、そこが一番のという、

帰山:ああ、うんうん。

ユ:杉江さんは?

長谷川:杉江さんは、だから難しい時期があって、そこからは投入型になってったんですよね。

帰山:そうそう。じゃないと回んなかったね、きっとね。

長谷川:だから本人が嫌とか、合うとか、興味があるとかそんなんではなくて。もともとはもちろん、そのときはやっぱり甲谷さんしかいなかったから、私たちの目の前に具体的にね。で、甲谷さんところはもう、やっぱ私たちから見たら、すごくもう、すごいいいチームワークとして見えてるわけですよ、こう結束した、すごく。で本人も安心してるし、知ってる人たちがたくさんいて、その人たちが自分を支えてくれてるんだっていうのは、すごくいいこと、

ユ:家族がいなくても。

長谷川:そうそうそうそう。だってもう、しかもそのときはもう、そのときのパーソナルの意味が、みんな甲谷さんしか入らないって私は思ってたんですよ。だからみんなそこに入ってる介助者の人たちが、まあ帰山さんにしろ他の人にしろ、甲谷さん専属っていうようなことをすごい言ってたんですよね、前。

帰山:そうだった。最初はそうだったね。うんうん。

長谷川:だから、ALSのケアってすごく特殊なんだけれども、その本人のケアに合わせたものができるんですよね。だからそれには事業所型みたいな派遣じゃなくて、本人のことよく知ってる人たちがいるからできるっていうのが、一番はじめのその甲谷さんができてたときにすごく思ったし、そう言われてた。で、私たちもそれを杉江さんのときは目指そうとした。だけど実際蓋を開けると、濃い関係ができるのは濃い関係ができるんだけれども、その関係っていうのは一方で、ね、依存関係ももちろんそうだけど、すごくしんどくなる関係でもあって、

帰山:そう、そうなんだよね。

長谷川:そこにまたそのALSの難しさって言っていいのかわかんないんだけど、ALSの、進行していくとかいろんなことがあると、どうしても攻撃みたいなふうにとらえてしまう、介助者との関係とかそうなったりとかすると、そこで破綻する危険性があるんですよね。よく知ってて、中心だったから、中心になるようなぐらいのレベルの人たちだからこそ、1人欠けたり2人欠けたりすると、すごくもたなくなるし、だめになったときってのは本当にだめにしかならないっていうのかな。なんていうか帰山さんみたいな、たとえば今の帰山さんが思ってるような「これは仕事だから」、そう、「言われるまで」とか、「仕事だから」っていう感覚が、どんどん違うような感覚ですかね? ああいうのってね。もちろんあるんだよ、その「仕事だから」って、もちろんあったとしても、でもそれとはまた違う、なんかほんとに「その人のために」ってところがすごく強くなっていくって、それがなんかお互いに良くはたらく場面もあるけれども、それがほんとに良くなくなると、良くなくなる【ふうに】、[01:30:21]

帰山:そうやね。

長谷川:続けられへんっていうのは。

帰山:そう、実際の介助内容にまで影響が出てくるとやばいね。

長谷川:そう。またなんかそのね、なんていうかね、その「あの人のほうがいい」とか、なんかこう、やっぱりたぶん、今の前川さん見てても、前川さんも出てくると思うけど、介助者ってみんなが同じレベルじゃないから、やっぱり。そうするとやっぱりね、「ケアを受け入れる、受け入れない問題」とかって。で、本人がたとえばね、難しいその、言葉でのコミュニケーションが難しい人であればあるほど、「あの人に教わって」とか「あの人を見て」とかなるとすっごい難しいっていうか、介助の中でも差が出てくるというか。そういうところが一つ一つ響いてきたりとかするのかなあと思ったりもしました。そしたらその、「結束力だけでいこう」みたいなものがけっこう難しくなって、全然知らない事業所でも何でもぱっぱっぱっぱっ入って、とにかく投入して、やめても投入してっていうやり方にならざるをえないところが実はあったり出てきたりもするなって。何がいいかはわからないけど、なんかそういうのがあるな。

帰山:きちんとそれが、個人が、増田さんみたいにマネージメントできる人ならいいんだけどね。でも必ずしもそうじゃないから。周りの人がそこやらないといけないとなると、難しい。

長谷川:それ、そういう場面を、帰山さんもたくさんというか、経験してるでしょ?

帰山:そうやね。

長谷川:でもそれでも、そこはやっぱり嫌にならないっていう、介助は「仕事だから」っていうとこですか? 介助をやめようとかいうのはないとか。

帰山:なんかこう、ちょっとさっきの話とだぶるけど、もう40も半ばになるとできることとできないことが出てきて。うーん。それに私の場合はもう身体のレベルで。うーん。だからもう今は、たとえば夜勤は週一だけとか、しかもまあ仮眠が取れるとか、そういう制約が出てきて、そういうところかな。うーん。やりたくてももうできないという。

長谷川:今までにやめたいとは思ったことはないんですか?

帰山:あー。一回あるけど。ないなあ、特には。一回あるけどね。

長谷川:一回あるのは、それ過酷な場面でってこと? それとも別にな感じな、

帰山:うーん、そう、それやっぱりちょっと難しい局面があって、あんまりもう意義を見出せないみたいな感じにもなったりもしたけど。まあでもなんとなくは続けてこれてるかな、やめようとも思わずに。うーん。なんとなくだけど(笑)。うんうん。

長谷川:でもすごいなんかかっこいいなと思っちゃった、いろいろと。

帰山:そんなことない、もう。

長谷川:帰山さんにとっての経験、経験っていうかは、そのときはすごくしんどい思いはあっただろうけど、でもすごいかっこいいなと思いました、一つ一つ。

帰山:そんなことはないよ、もう(笑)。「とりあえず生活しなきゃいけないんだよ!」っていう、みたいなのもあるよ(笑)。それで食べてるから。うーん。

長谷川:でも絶対あれですね、曲げないっていうか。そういうふうに芯持てるってすごいですね。私、

帰山:でもこれが、でも嫌な人もいるよ。

長谷川:いやいや。だって私甲谷さん、私ね、伊藤敦子さんが、私介助っていうか杉江さんに入ったときというか、まそれもあんまり介助っていう、介助者っていうものがすごく認識として全然低かったと思うんだけど、それでもなんかやっぱり杉江さんとの関係って、まあ病院にいたときから変わるじゃないですか。

帰山:うん、変わるよね、やっぱね。

長谷川:シフトがちゃんとできて、そこに入って、やることがちゃんとあって、他の人と協働してかなきゃいけないってなったときに、そしたらなんか途端に杉江さんに対してなんか距離ができたっていうか、なんとなくね。そしたらなんか、なぜかまあ、今までだったら冗談とかでも何でも、なんか怒ってもそうだし、「なんでこんなこと思うの」とかって素直に言えてたことが、なんか「怒っちゃだめ」みたいな。

帰山:そうそうそう。

長谷川:利用者にこんな…、確実に「おかしい」って私は思ってるんだけれども、まあそれを言うこと自体がはばかられるというか、そういう、

帰山:うんうん、になっちゃうんだよね。

長谷川:なっちゃった時期があって。そんときに、甲谷さんとこにたまたまスイッチ研で、甲谷さんのなんかこうね、支援に行ったことがあって。そしたら甲谷さんは行くたびに、私たちが行くと、その日約束してるんだけど、全然違うことを言うんですよ。[01:35:07]

帰山:ほー。

長谷川:なんか私たち来てるのって、スイッチのじゃあ今日は、じゃあたとえば何、どういうことができるかとか、そういうその甲谷さんがしたいことだとか、甲谷さんの動く部位を確認しに行ったりとかをしに行って、その日程とかを合わして行ってるのに。行ったら全然その話題じゃなくて違う、なんか私たちがたとえば、私たちが来てたときに、あんときは甲谷さんとは直接私たちは文字盤を取ることがなくて、やっぱり間に介助者が入ってたんだけども、あの「スイッチ研のみんなが来ましたよ、今からこれやりますよ」って、「甲谷さん今日はどうですか?」みたいなこと言うと、普通だったらさ、普通の会話だったら、「あ、じゃあ今日ここが動きそうかどうだか見て」とかスイッチに関わるというか、私たちに関わる事象の言葉が来ると思うじゃない? だけどそうじゃなくて、なんか「あずきがたべたい」とかなんかそういう、すごいもうほんとにまったくもって違うね。でもそれは、そういうことがあったんですよ、何回もそれが。まあ別にあずき以外にもあったんだけどもね。で、そしたら、伊藤敦子さんが甲谷さんに対して、「自分のことなのにちゃんと取り組まないってどうするんだ」って怒ったんですよ、そのときに。それを見て私、「ああ、介助者って怒っていいんだ」ってすごい思ったことがあって。なんか帰山さんが甲谷さんにキレて言うこととかって、すごくなんか新鮮っていうか、かっこいいなって思う。なんかその、今って介助って帰山さん「仕事だ」って言うけど、なんとなくやっぱり介助ってどうしても人間関係の部分って外せないって思ってて。特に学生さんとかを見たときに、いいなって思うのが、増田さんとかでもそうなんですけど、介助者とか仕事とかっていうその確固たるアイデンティティを持ってないから、すっごいフランクなとこがあったりとか、許されるところがあって。でもそれがすごくなんか日常のゆるさっていうのを生み出してるような気がして。張り詰めたその空間だけじゃなくて、なんかこう、介助って本人からしたら日常生活のやっぱり一部だから、その日常生活の部分を仕事として捉えるんじゃなくて、なんかこう「お互い興味あって一緒にいるんです」みたいな、そんなふわっとしたようなところがまだ出てるような気がして、それもなんかいいなって思うとこがあるんですよ。なんかそういうその人間関係的なところがその甲谷さんとの、わーって言ったっていうのがなんか、私にはなんかそう思えて、なんかすごいかっこいいなって思いました。

帰山:まあでもさ、もうできればさ、そういった局面はもうさ、避けたいというか、生きてるうえでもう「ほんまに要らんわ」って思うけどね(笑)。

長谷川:それはたぶん置き換えたら、介助なんて間は挟まなくても、きっと起こりえたのかもしれないけど、その関係ではね。

帰山:あー、あるかもしれないね。ただやっぱ介助者は歯車の一つっていう感じはあるかなあ。うーん。ほんとチームで、シフトワークだからさ。うんうん。そう、そこでの意識っていうのは今バリバリあるかもしれない。うーん。すべて私の、とその関係性の中で完結はできない。ほんの一部分しか担うことしかできないからね、介助ってことに関して言うと。うーん、なんか無理もやっぱできない、じゃないかなあ。うーん。しないほうがいいこともあるし。うーん。

長谷川:すごいそれはそれで合理的ですね、でも。

帰山:じゃないとお互いがやっぱもたないんじゃないかなあ、と思うけど。

長谷川:そういうのが今わかってきたってこと?

帰山:あ、その、やる中で、仕事する中で。うん。

長谷川:いや、でも、そう言われたらそうだな、と思います。歯車だって言われたら、そうだなと思います。なんかそれがね、なんていうの、主体が絶対本人にあるってみんな言うじゃないですか。

帰山:うん、うん。それはそうだと思うんだけどね。

長谷川:その裏側で***(01:39:16)、なんかそしたら今まで介助者って、すごいその、まあJCの中でもそうだろうけど、障害者の前には出ないっていうかね、っていうとこがあるじゃないですか。なんかそれが、

帰山:うんうん。それはそうね。

長谷川:それがなんか歯車の一つだって思うと、そうなんだなっていうか。

帰山:うんうんうんうん。そうそう。うーん。

長谷川:ふーん。そうですね。ありがとうございました。

帰山:ありがとうございました(笑)。

長谷川:すっごい楽しい話をうかがいました。

帰山:大丈夫かな、これで。[01:39:55]

長谷川:(笑)

ユ:私、同じ時期に同じところで、でもみんななんか考え方とかが違うんだなと思って。責任感とかも違うし、感じることも違うし、

帰山:そうね、きっと。

ユ:うん。と思いますね。インタビューをどんどんしてくると(笑)。

長谷川:で、私もあのときはほんとにそんなふうには全然見えてなかった。

帰山:あー、そっかあ。

長谷川:だって、あ、帰山さん覚えてるかわからないけど、私一番初めてバスの乗り方とか外出を教えてもらったのって帰山さんなんですよ。

帰山:ふーん、そうだったんだ(笑)。

長谷川:杉江さんと、杉江さんが、そうだ、杉江さん、あの、あそこの、えー、田中先生、梁山会のところのリハがもうあんまり好きじゃないっていうかで、なんかココペリもそのときすごく「杉江さんが動けるうちにいろんなとこ行こう」みたいなところがなんかあって、もう梁山会から、朝は梁山会だけど昼からはいろんなところに外出してたんですよね。そんときに私初めての外出で、ちょうど重訪取って次の日ぐらいだったと思うんですけど、そんときに帰山さん一緒で、

帰山:えー。

長谷川:で、バスの乗り方と車いすの押し方とかすごい教えてくれたんだけど、その時の帰山さんの杉江さんへの接し方ってのがすごく丁寧で。でもその丁寧さって、甲谷さんとこでもそういう丁寧さを見てたから、すごくもうできる人だとずっと思ってたんですよ。まあまさかそんな師弟関係とか知らなかったし、なんかそりゃ甲谷さんとこに入ってるから、ダンサーではあるんだろうなとか、そういうのはわかってたけど思ってたけども、すっごいケアが細やかだったから。確認もするし、「こうですか、ああですか」って、それがすごい穏やかだったし。なんかALSの人って難し…、やっぱ文字盤とか読めなかったらわーってなって、こっちも焦るじゃない。でも帰山さんは一緒のときになかったから、まあそういう場面を、だからずーっと一緒に入ってるわけじゃないから見てないし。とにかくいいとこしか見てないっていうか、できるとこしか見てなかったんですよ。しかも教えてもらってるから。そんなあんなときにいろんなことが起こったなんて、誰も想像してなかったです。

帰山:ああ、そうか。ねえ。いろんなことあったんだねえ(笑)。

ユ:一緒に働く期間はどれぐらいでしたか?

長谷川:働く、一緒に、帰山さんと働いたことはないと思います。ないというか、それぞれのところで、でも介助者ではたぶんあったと思うんだけど、でも全然そんな考え方がほんとにできてなかったから。だからあの、帰山さんが立命出身【だったおかげで】(01:43:06)、

帰山:そうそう、そうだった。

ユ:メールで、

帰山:うんうん。だいぶ前だけどね(笑)。

長谷川:うん。なんかこう、なんていうか、

ユ:立命でも、

長谷川:うん。で、私はその介助者っていうそのことで見たらすごい人だなと思ったけど、でもやっぱりその前にすごくダンサーだっていうイメージがめちゃくちゃあって。特に甲谷さんところなんか、なんていうかな、みんな介助者っていうよりかは、介助で入っているっていうより、介助者として入っているっていうよりかは、なんかダンサーでつながり、支援者でって、なんかそういう延長線上で入ってるってイメージだから、

帰山:もともとはね、うんうん。

長谷川:だから、みんなそれぞれの活動をしてるイメージのほうが強かったんですよ。帰山さんが新体道してるのも、何の、草本さんか何かのパーティーか何かで新体道を見たのかな。

帰山:ああ、なんかあったな。うんうん。あ、ちょっとトイレ行ってきますね。そうそう、あったな。それがやっぱり、新体道が一番のベースにあったんやね。うーん。って感じ。うん。

長谷川:だからかっこいいイメージしかないんですよ。でも素敵な人だよね。

ユ:うん、そうですね。同じ正社員***(01:44:43)なんかどっちか、同じ正社員、JCIL***【違い】***(01:44:49)メンバーだったら、また雰囲気、[01:44:58]

長谷川:ああ、だからさ、

ユ:***(01:44:58)なのこと思ったんだけど、違う***(01:45:02)

長谷川:かっこいいね、

ユ:***(01:45:10)してる、***(01:45:18)

長谷川:なんか振り返る旅してるみたいな気持ち。振り返る、「あのとき」って、まあずっと前からしてるじゃない。うん。

帰山:大丈夫? なんかこんなんでいいかなあ?

長谷川:大丈夫です。全然大丈夫です。

帰山:あの、西田さんにはくれぐれもよろしくお伝えください。

長谷川:いえいえ。ほんとに西田さんも来れたらよかったんですけど。

帰山:そうですね。今の時期、ほんと大変やねえ。ほんとに。

長谷川:よかったです、今日話聞けてとっても。また公演あるんですか?

帰山:えっとー、あ、今年はまだ、今年の秋ぐらいからもう一回大きなのをやるから準備して。ちょっと病気をしたからちょっとセーブして。夏ぐらいには1本ぐらいはやりたいけどね。ちょっと去年が忙しかったから(笑)、そう、ぼちぼち。

長谷川:ありがとうございます、

帰山:ありがとうございます。

長谷川:今日はほんとにお会いできて嬉しかったです。

帰山:ほんとに、こちらこそ。

[音声終了]

*作成:中井 良平
UP:20210816 REV:
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