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「運動」と「学習」の幸福な連動は可能か――地域女性史の実践のなかで

Is It Possible to Link 'Learning' with 'Activism' in a Happy Way?: In the Practices of Local Women's History

村上 潔MURAKAMI Kiyoshi
2021/01/23(Saturday)13:30〜16:30
《[シリーズ:ミニコミに学ぶ IV]地域に生きた女性たちの「フェミニズム」――「全国女性史研究交流のつどい」報告集全12回を読む》第2部:“地域女性史”の再発見
"[Series: Learning from 'Minicomi' IV] 'Feminist' Action by Women Who Have Lived in Local Communities" Section 2: Rediscovering 'Local Women's History'

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last update: 20210129


■企画

■ブックトーク《[シリーズ:ミニコミに学ぶ IV]地域に生きた女性たちの「フェミニズム」――「全国女性史研究交流のつどい」報告集全12回を読む》
日時:2021年1月23日(土)13:30〜16:30
会場:オンライン(Zoom)
参加費:無料(要事前申し込み)
申込期間:12月1日(火)〜1月17日(日)
主催:認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク
協賛:立命館大学国際言語文化研究所ジェンダー研究会
★Info → https://wan.or.jp/article/show/9232

◆第2部:“地域女性史”の再発見
◇キアラ・コマストリ(オックスフォード大学大学院博士課程)
村上潔(立命館大学衣笠総合研究機構(生存学研究所)客員研究員)
 *報告予定時間=14:46〜14:51[15分]
◇柳原恵(立命館大学)
◆第3部:ディスカッション
 コーディネーター:上野千鶴子(認定NPO法人WAN理事長)

■報告内容

★より論旨を理解しやすくなるよう、報告終了後に補足・修正を加えています。
★簡潔に結論のみまとめたものが→[こちら]
★報告を終えてのコメントを掲載しました→[こちら]

◆地域女性史:活動経緯・理念の整理
【A】個人が抱える違和感・苛立ち・解放への欲求
 ↓
【B】「女性史」の発見・活用
 ↓
【C1】運動へとつながる意識
 ↓
【C2】運動における活用
 ↓
【B+】「女性史」の発展的刷新
◇意識化→学習→運動→運動+理論の発展

◆地域女性史:活動展開(理想モデル)の整理
【0】(人/書籍/史料との)出会い
 ↓
【1】知的発見
 ↓
【2】掘り起こし[実践]
 ↓
【3】学習[思考/整理]
 ↓
【4】発信[冊子作成→共有]
 ↓
【5a】各種運動への還元
【5b】問題設定の検証/深化
(↓
【5c】活動そのものの(運動としての)変革)
◎到達点とそこまでの意義を明確にする

◆【事例1】あくまで婦人運動として
◇〈兵庫県婦人運動史研究会〉世話人会:「構成員は、ほとんどが兵庫県における婦人運動の実践家であり、それは研究会としては強味でもあり、また弱点でもありました。[…]私たちはこの立場を充分自覚して、女性の生活史・運動史のいずれにとりくむべきか討議しました。そして、私たちのめざす女性史の課題は、私たちのたたかってきた事実にもとづいて、婦人解放と政治の変革をめざす婦人の民主主義運動史でなければならぬという確認の上にたって、兵庫県婦人運動史編纂を志し、その準備活動として発足したものです。」(小松 1977: 21)

◇方法論
‐ 「個人の記憶をよびおこし、記録する作業」+「資料収集」+「年表づくり」+「懇談会」
‐ 「個人の生活史」を「女性解放への道につなが」る「婦人運動」の一端とみなす
‐ 女性解放運動史と地方史の両面を補強していく

◇「私たちは、兵庫の婦人たちがそれぞれ女としての負い目を背負った生活のなかで要求にめざめ、人間として、女としての自覚から要求実現のためのエネルギーを育てあげ、大きく婦人運動の統一へまでつながっていくその発展の経路を、この婦人運動史のなかにひそめたいとのぞんでいるのですが、この研究会が発足してすでにニケ年、私たちの仕事は、まだ個人の運動の記録を資料的につみあげている段階で、それを地方史としてまとめあげ、高めていくところまではすすんでいません。」(小松 1977: 22)
……試行錯誤の過程

◆【事例2】「婦人運動の統一」のために
◇〈京都婦人のあゆみ研究会〉
‐ 「『京都の婦人のあゆみ』の特徴としては、らいてう展を基盤にした婦人運動の広がりと統一のなかから生まれているということを、第一にあげなければなりません。」(久米 1977: 25)
‐ 「座談会をたくさんやって、聞き書きもしました。個人が個人にききに行くのではなく、らいてう展の運動を基盤にしていたので、自分たちの運動がまとめられるという意識で迎えられ、普通ではきけないようなことも話されて幸いでした。」(久米 1977: 24)
‐ 「本をまとめる時には、京都の路次裏の生活史を書くことも必要、という意見もありました。それはたいへんだいじなことですが、私たちの会の性格づけとして、婦人運動の統一を視点としてまとめよう、ということになったわけです。」(久米 1977: 25)
◇「統一」という命題――志向であり前提
‐ それ自体のアポリアは不問
◇方針の変化
‐ 「京都婦人のあゆみ研究会は、不十分ながら目的を果したということで解散しました」/「運動の中での組織としての性格があった私たちの会には、その会の性格にみあった活動が目的づけられたわけです。」→「京都女性史をもっと探りたい、将来もう一度まとめる必要は感じており、そのやり方を[…]模策しているところです。」(久米 1977: 25)→「今後、どういう形、どういう方法でという点でも、道をさぐりたいと考えています。」(久米 1977: 26)
‐ より「女性史そのものへのアプローチ」を重視する方向に
……「運動」から「学習」へ

◆【事例3】運動の主体形成→広範な「民主的運動」との連携
◇〈広島女性史研究会〉
‐ 「広島女性史研究会は、広島に生き、さまざまな問題と苦闘してきた婦人の歴史を堀り起し、研究することを目的として結成された会ですが、その基本的視点は[…]科学的な歴史観にもとづいて婦人解放の道すじを明らかにし、婦人運動の一翼を担うとともに、各種の民主的運動と提携することにあります。」(北西 1977: 26)
‐ 「過去の歴史を解き明すだけではなく、各自が歴史をおし進めているという自覚にたちながら、婦人の地位を高め、婦人解放への道を切りひらく担い手としての自負と責任をもちたいと念願している」(北西 1977: 26)
◇「一九二〇年代―三〇年代の広島の婦人にかんする資料を千枚のカードにまとめる作業」をきっかけにして→〈国際婦人年広島県婦人連絡会〉の発足→地域での具体的・政治的アドボカシー活動へ
……「学習」から「運動」へ

◆【事例4】学習・運動の意識的並行+会員交流の促進+地域社会への還元の視座
◇〈松山女性史サークル〉
‐ 「毎週の学習会」+「一九五九年(昭和三四年)機関誌『むぎ」を創刊し、学習会での意見、討論をのせ、出席しない人も会の様子を知ることができる体制にし、個人的な消息でなかよくなっていくよう配慮しました。」(エ水戸 1977: 29-30)
‐ 「サークルの言動が、地域の住民自身が歩んできた道をふまえ、運動の場においてつねに事実に基づいていることで信頼される基礎になっています。」(エ水戸 1977: 31)
‐ 「私たちは、事実にもとづいて、愛媛の婦人運動をまとめて構成劇にする、それがまた運動を一歩すすめるという形で、歴史のにない手にもなってきました。愛媛のことだけでなく、全国民が関心をもつベトナム戦争問題にも、やれることをやってきました。こういう観点を貫きたがら、当面、具体的な仕事としては、『戦後日本女性史』を読むこと、それに県内の著名な婦人たちの聞き書きをやっていきます。」(エ水戸 1977: 32)
‐ +参加自由度の高さ+確立した指導者の存在
◇多面的な意識的実践:長期活動持続の要因か

◆創出される意義:表面的には語られにくい側面
◇共同作業を通して培われるシスターフッド
◇(特定の・既存の政治運動よりも)コミュニティ・アクティヴィズムとしての潜在力
◇成果の共有を通した広範な出会い
……【2〜4】の過程=学習実践――それ自体にある意義
 ……活動の地下水脈として流れる力の根源となる
◎まさしくサークル運動的な性格 cf. 天野(2005)

◆「学習」の先にアプリオリに「運動」があるのか?
◇理念としては――だが:一般的にフェミニズムの「運動体」として存在するのであれば必要な組織的な問題化(会の実務的運営方針ではなく)が前面に浮上してこない

◆ここで設定しうる課題
◇実践の本質は「(社会/地域/生涯)学習」か「(女性/社会)運動」か?
- 矛盾の留保のうえで進行――ゆえに:広がりと限界いずれをも担保する

◆【当事者の意識(ねらい)-1】「運動的に」女性史を叩き上げる
◇伊藤康子:「第1回の私たちは、目の前の女性史の壁を解きほぐそうとしただけだったが、回を重ねるごとに現地見学やニュース発行など、母親運動や労働組合運動で培った能力を使って、私たちが望む女性史の内実をつくりあげようとした。」(伊藤 2020)

◆【当事者の意識(ねらい)-2】「フェミニズム」としての検証→フィードバック
◇米田佐代子:「今回わたしたちは「つどい」報告集を読み直すことによって、ここで語られた女性史をフェミニズムの視点から再発見したいと思っています。それはもしかするとフェミニズムについての再定義になるかもしれません。」(米田 2020)

◆そのねらいは――妥当なものなのか/達成しうるのか?
◇(同時代の日本における)女性による運動的な組織化・戦略=「フェミニズム」のそれといえるか
◇「女性史」・「女性運動」・「フェミニズム」いずれが主軸として置かれる(べき)なのか――「再定義」されるのは何なのか
‐ 不統一なまま打ち出される・錯綜する展望
◇「女性史」は「運動/フェミニズム」に従属するのか?その逆なのか?――いずれにせよ問題となる道具的関係設定

◆「地域女性史(Local Women's History)→フェミニスト・ヒストリー(Feminist History)へ」という自然なスライド/ソフトランディングはありえない
◇必要要件を引き受けるリスク
‐ 「女性」の自明性解体
‐ 自らの特権性・同質性批判
……「地域女性史」実践により培われた(サークル的)共同性に危機をもたらす

◆「多様性」という桎梏・ハードル
◇上野千鶴子:「近代が女性にとって解放的か抑圧的かは、階層によっても地域によっても民族によっても違う。ある歴史的な変化が当事者にとってどういう意味をもつかは、文脈によっても時期によっても違ってくる。女性史は、その多様性を明らかにする課題を果たそうとしている。」(上野 [2002] 2015: 101)
‐ 結果としては:しかしそれが目指されていたわけではない
‐ 日本の地域女性史「自体」が十分な多様性を担保していたとは言い切れない
――であれば

◆どのようなヒストリーか
◇ジェンダー・ヒストリー
‐ 不可視の諸問題を政治的に焦点化することは可能だが変革的な運動につなげることは困難
‐ ラディカリズム/ラディカルな要素の排除
 /
◇フェミニスト・ヒストリー
‐ フェミニスト・パースペクティヴに基づく歴史叙述実践
‐ それ自体が変革的な運動(既存の民主的諸運動とは異なる)に随伴して進展
‐ それ自体が教育であり運動
 /
◇日本の地域女性史
‐ 学習によりローカルなアイデンティティならびに生活者女性としてのアイデンティティを醸成
‐ 生活保守的な指向性も包み込む間口の広さ/緩やかさ(しかしラディカリズムとは交わらない)
‐ 「運動」と連動する限界を踏まえたうえで評価すべき実践としてある

☆日本の地域女性史はフェミニスト・ヒストリーとして評価することはできない/すべきでない(ジェンダー・ヒストリーにはなりうる)
☆「地域の女性運動」を担った成果はあるがそれを即「フェミニズムの運動」として評価することは難しい

◆【補足的に】日本の地域女性史の象徴的な側面の一端
◇「生活にせいいっぱいの主婦のたわごと、私たちのぐちも、歴史的な発展の方向へむけることで、たわごとやぐちに終らせないのが、地域の女性史ではないか。(愛媛・渡部)」(愛知女性史研究会 1977: 34)
‐ 一見限界性の露呈に見える側面のなかにある(ささやかだが)普遍的でポジティヴな(持続のための)ヒント

◆地域女性史の学習とフェミニズムの運動との間には「断絶」があるという認識に立てば――
◇「現在のフェミニズムからの」地域女性史に対する「ふさわしい評価」とはいかなるものなのか
‐ +その外側からの捉え直しの可能性
‐ 実践者はそれにどう応答しうるのか

▼以下、結論だけきわめて簡潔に述べます。
【1】日本の地域女性史の実践はあくまで“Women's History”に属するものであって、“Feminist History”ではない/にはなりえない。
【2】“Feminist History”ではない以上、(実際に当事者たちが具体的な政治的運動に携わっていたとしても)それを「運動」として評価するには限界がある。
【3】したがってフェミニスト・パースペクティヴからすれば、日本の地域女性史に対する評価は限定的な(小さな)ものになってしまう。それであれば無理をして「フェミニズム」という枠にこだわらずに、(それこそ日本女性史/地域史の文脈に基づいた)別様の/独自の評価のありかたを設定したほうが――一見「後退」に見えるが――効果的ではないのか。

文献

◇愛知女性史研究会 1977 「[討論]地域の女性史を発展させるために――私たちはどういう女性史をめざすか」,愛知女性史研究会『女性史の明日をめざして――女性史のつどい報告集 なごや1977.8』,33-36
◇天野正子 20050401 『「つきあい」の戦後史――サークル・ネットワークの拓く地平』,吉川弘文館
◇伊藤康子 20200801 「[連続エッセイ]「全国女性史研究交流のつどい」報告集全12回収録に寄せて@――初の全国的女性史集会誕生」https://wan.or.jp/article/show/9065
◇上野千鶴子 [2002] 2015 「歴史学とフェミニズム――「女性史」を超えて」,『差異の政治学』,岩波書店(岩波現代文庫),68-111
◇北西英子 1977 「地域の婦人運動を発展させるなかで――婦人の十年「広島県行動計画」の請願」,愛知女性史研究会『女性史の明日をめざして――女性史のつどい報告集 なごや1977.8』,26-29
◇エ水戸富士子 1977 「女性史サークルのあゆみ――歴史を学び、つくり・記録して二二年」,愛知女性史研究会『女性史の明日をめざして――女性史のつどい報告集 なごや1977.8』,29-32
◇久米弘子 1977 「『京都の婦人のあゆみ』をまとめて」,愛知女性史研究会『女性史の明日をめざして――女性史のつどい報告集 なごや1977.8』,24-26
◇小松とき 1977 「兵庫県婦人運動史研究会のあゆみ――機関誌『跫音』の発行をめぐって」,愛知女性史研究会『女性史の明日をめざして――女性史のつどい報告集 なごや1977.8』,21-23
◇米田佐代子 20201205 「[連続エッセイ]「全国女性史研究交流のつどい」報告集全12回収録に寄せてB」https://wan.or.jp/article/show/9274

*「フェミニスト・ヒストリー」に関しては↓の参考文献を参照

■ディスカッションでの問題提起(案/構想)――大きな論点として

◆看過されがちな課題
◇活動体内部での対立・葛藤・権力関係
◇「生活者」という主体の厄介さ(ワーカーズ・コレクティブなどと同様の課題)
◇ラディカリズムの忌避

◆重層的な断絶
◇第2波×第3波
‐ 第2波:「女性史」を起ち上げる
‐ 第3波:相対化・脱構築――以降
→継承と断絶
◇第2波における断絶
‐ リブ×女性学:運動×アカデミズム
◇第3波以降における断絶
‐ 何を継承するのか/しないのか/批判・解体するのか

◆「女性史」そのものの行き詰まりの地点で何を考えるのか
◇ジレンマを突き破る力は
◇「女性史」は解体する/されるべきなのか

◆「女性史」から「フェミニスト・ヒストリー」へ?(From Women's History to Feminist History?)
◇直線的発展段階論/志向をいかにして相対化するか――むしろそこで見出せる(そこでふるい落とされる要素のもつ)可能性とは

参考文献

◇香川せつ子 2020 「フェミニスト・ヒストリーからジェンダー、トランスナショナル・ヒストリーへ――イギリス女性教育史研究半世紀のあゆみ」,『日英教育研究フォーラム』24: 17-26(https://doi.org/10.19021/juef.2020.24_017
◇船橋邦子 198502 「新しい歴史学の方法論をめぐって」『日本女性学会 学会ニュース』23: 2-5
◇Berger, Iris; Brier, Stephen; DuBois, Ellen Carol; Quataert, Jean H.; Serlin, David; Williams, Rhonda Y.; Wu, Judy Tzu-Chun, et al., 2013, "Reshaping History: The Intersection of Radical and Women's History", Journal of Women's History, 25(4): 13-45, (http://dx.doi.org/10.1353/jowh.2013.0042).
◇Gayle, Curtis Anderson, 2010, Women's History and Local Community in Postwar Japan, Routledge.
◇Hannam, June, n.d., "Women's History, Feminist History", Making History, (https://archives.history.ac.uk/makinghistory/resources/articles/womens_history.html).
◇Lovell, Kera, 2014, "Review of Making Women's Histories: Beyond National Perspectives ed. by Pamela S. Nadell, Kate Haulman", Register of the Kentucky Historical Society, 112(4): 713-715, (https://doi.org/10.1353/khs.2014.0129).
◇Morgan, Sue , 2009, "Theorising Feminist History: A Thirty‐Year Retrospective", Women's History Review, 18(3): 381-407, (https://doi.org/10.1080/09612020902944437).
◇Murphy, Cliona, 1992, "Women's History, Feminist History, or Gender History?", The Irish Review, 12: 21-26, (https://doi.org/10.2307/29735639).
◇Scott, Joan Wallach, 1998, Gender and the Politics of History, Columbia University Press.=20041006 荻野美穂訳,『ジェンダーと歴史学』,平凡社
◇Zinsser, Judith P., 2013, "Women's History/Feminist History", Nancy Partner & Sarah Foot eds., The SAGE Handbook of Historical Theory, SAGE Publications, 238-265, (https://www.doi.org/10.4135/9781446247563).

■報告を終えて:村上潔(2021/01/24)

私の報告は、当初は「主婦」に引き付けたかたちで展開しようと構想していたのですが、上野先生の2002年論文「歴史学とフェミニズム――「女性史」を超えて」を改めて読み――すばらしい論文だと思います――、なんとかそれに「直接的に」「応答」したほうがよいのではないか、と思い直し、直前に内容を変更したものでした。なので、非常に荒い構成・展開であり、また口頭でもそのエッセンスをしっかりとまとめて強調できなかったため、きわめて不十分なかたちになってしまいました。これはひとえに私の力量不足によるものであり、参加者・関係者のみなさまに対してはたいへん申し訳なく思っております。
ただ、なんとか、稚拙なものなりに、リブ、アナーカ・フェミニズム[Anarcha-Feminism]、(英語圏の)フェミニスト・ヒストリー、ラディカル・ヒストリー(をめぐる議論)、といった文脈と「接続する回路をつくることはできた」かと思っています。
あとから考えると、「運動との断絶」というもの言いはやはり過剰な表現であったかと思い、反省していますが、上記のような視角を――(特に第1部の主役である)あのような強力なメンバーのなかで、埋もれずに――明確に強調するには、それくらいの表現をもってしないと無理なのではないか、という危惧もあってのことではありました。
もちろんこれには厳しいご批判も多く寄せられるでしょうから、今後の私の仕事で――直接的には無理でも、間接的に――しっかりと応答していきたい所存です。

■反応


■関連情報

◆《[2020年度立命館大学国際言語文化研究所リレー講座]書いて配って世界を変える――Zine・ミニコミ・フェミニズム》
講演:野中モモ・村上潔・柳原恵
 ◇村上潔「[講演2]フェミニスト・コミュニティ・アクティヴィズムとしてのジンとその実践」
日時:2021年2月18日(木)13:30〜15:30
会場:オンライン(Zoom)
参加費:無料(要事前予約)
主催:立命館大学国際言語文化研究所
★Info → http://www.ritsumei.ac.jp/research/iilcs/event/symposium.html/

《[第76回西荻ブックマーク]女子と作文・主婦と労働》
2014/01/26 於:今野スタジオマーレ[西荻窪]
出演:近代ナリコ・村上潔
◇村上潔「対談にあたって」
◇村上潔「「女子と作文・主婦と労働」文献案内」


*作成:村上 潔MURAKAMI Kiyoshi
UP: 20210120 REV: 20210122, 23, 24, 27, 29
女性学(women's studies)  ◇フェミニズム (feminism)/家族/性…  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)