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大庭 健

おおば・たけし


last update:20101004

■経歴

1946年 浦和市に生まれる
1978年 東京大学大学院博士課程単位修得退学(倫理学)
現在(2008年) 専修大学文学部教授

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■著書

◆20040727 『所有という神話――市場経済の倫理学』,岩波書店,286+3p. ISBN:4-00-023396-3 3570 [amazon][kinokuniya] ※

◆19891015 『他者とは誰のことか――自己組織システムの倫理学』,勁草書房,367p. 2884 ※/三鷹151 *
◆19900829 『はじめての分析哲学』,産業図書,367p. ISBN-10:478280055X ISBN-13: 978-4782800553 \2940 [amazon][kinokuniya] ※
◆1991 『権力とはどんな力か――続・自己組織システムの倫理学』
 勁草書房
◆1997   『自分であるとはどんなことか――完・自己組織システムの倫理学』
 勁草書房,307p. ISBN-10: 4326153288 ISBN-13: 978-4326153282 [amazon][kinokuniya] ※

■編書

◆大庭 健・鐘ケ江 晴彦・長谷川 真理子・山崎 カヲル・山崎 勉 編 19970620 『性差』 専修大学出版局,シリーズ性を問う2,213p. 2800 ※
◆大庭 健・鐘ケ江 晴彦・長谷川 真理子・山崎 カヲル・山崎 勉 編 19971014 『共同態』 専修大学出版局,シリーズ性を問う3,305p. 2800 ※
 cf.
◆大庭 健・鷲田 清一 編 20001010 『所有のエチカ』
 ナカニシヤ出版,叢書思想のフロンティアIII,243p. 2200円+税
◇20001010 「所有という問い――私のものは私の勝手?」
 大庭・鷲田編[2000:042-080]→大庭[2004]
◇20001010 「所有というナウい神話――間柄の私有化の思想史」
 大庭・鷲田編[2000:196-223]→大庭[2004]

■論文

◆1982 「マルクス的近代批判の本質と今日的意義――廣松四肢構造論的物象化批判の再検討」,大庭他[1982:1-86]
◆19860310 「環境と人間――ホモ・ロクウェンスの<文化の暴力>への一試論」,新岩波講座哲学6『物質 生命 人間』:272-302
◆198705  「メタファー・リアリズム・コミュニケーション」
 『現代思想』1987-05
◆19900705 「平等の正当化」
 市川・加藤・坂部・坂本・村上編[1990::227-313](『差別』(現代哲学の冒険 3))→大庭[2004]* ※
*市川 浩・加藤 尚武・坂部 恵・坂本 賢三・村上 陽一郎 編 19900705 『差別』,岩波書店,現代哲学の冒険3,387p.
◆19940421 「普遍主義の文脈」
 『近代/反近代』(岩波講座・現代思想14):127-158 

 ※は生存学資料室にあり

■翻訳

Luhmann, Niklas 1973 Vertrauen : ein mechanismus der reduktion sozialer komplexita"t, F. Enke ,105p. =19901210 大庭 健・正村 俊之 『信頼――社会的な複雑性の縮減メカニズム』,勁草書房,271p. ISBN-10:4326651202 ISBN-13:978-4326651207 \3675 [amazon][kinokuniya]

■引用

 「これが、(信じられないであろうが)今なお近代経済学の根本を支えている<パレート最適>の公理である。最も簡単明瞭に言えば、こうなる。いま、複数の人が、それぞれに一定の分配を得ていたとき、その分配の仕方を少し(p.317)でも変えると、誰かが [・・・]”それなら前のほうがよかった”と文句を言う、としよう。このとき、前のままの分配の仕方が<パレート最適>である、と近代経済学は言うのである。(たとえ、前のままの分配が、如何に不平等であろうとも、である!)そして近代経済学者のいわく、近代の市場システムは、誰もが文句を言って「おりない」ような<パレート最適>を実現しつづけている云々。「文句を言って、おりる」ことが、果たして・誰にとって・如何に可能なのか、という最も本質的な問題は、彼ないし彼女らの頭からはすっかり去勢されている。というよりも、近代経済学とは、そもそも自ら進んでそのように去勢されて微分方程式の技法を取得し、「市場均衡イコール主体均衡」と唱和する[かん]官の世界なのであった。」(大庭[1989:317-318],p.150の注58)

 「彼のいうentitlementとは、”いちはやく西部に行ってインディアンの土地を侵略すれば、ひとかどの権利を持てる”という”開拓者”の自立と、彼ら・侵略地主たちのローカル・コミュニティを「理論」化した以上のものではない。もし、それ、倫理を問題にしている学徒が、ロールズに感銘を受けるならまだしも、かかるノジックの発想を紹介するに、もって「彼も六〇年代末期に運動していたのであって、その総括として……」などとという言辞をもってする、などということがあれば、これは棄ててはおけない重大事である。」(大庭[1989:318])

 cf.パレート最適

 「倫理学にとって、道徳判断が先鋭に対立する境界事例や、あるいは病院・施設だけが「問いの現場」なのではない。倫理学にとっては、むしろ、日々のわれわれ自身の生活、そこでの道徳判断のありようこそが、最大の現場なのである。」(大庭[2004:255])

■言及

◆立岩 真也 1991 「どのように障害者差別に抗するか」
 『仏教』15号特集:差別,法藏館,pp.121-130 (1991年4月) 30枚

「★02 この頃、こうした主題に本格的に取り組んだ文章はあまり多くないような気がするが、それでも大庭健「平等の正当化」(『現代哲学の冒険3 差別』、岩波書店、一九九〇年)がある。」

◆立岩 真也 1994 「能力主義とどうつきあうか」
 『解放社会学研究』8号,pp.77-108 (1994年6月) 90枚

「6) 社会科学的な考察の大きな部分が、私にとっては基本的と思われる問題領域から離れていったのに対して、倫理学や法哲学では、一つにはその学問領域が正義や平等という主題から逃れられないために、この主題は、例えば「自由主義」をどう評価するかといった問題として残っているのだが、それでもよく考えられたものはそうたくさんはない。たくさんはない中の一つとして大庭[1990]をあげる。関係、共働としてある関係の中で、個人の貢献分が取り出されることについて考察がなされている。」

◆立岩 真也 1997 『私的所有論』,勁草書房

 「他者から奪わないのは、他者によって私が存在している(大庭健[1989][1990]等)から、他者に対して恩があるからだろうか。第7章4節2で私的所有に抗して主張される言説の中にこの種のものがあることを確認し、その含意について検討する。」(第4章「他者」)

 →大庭 健 20040727 『所有という神話――市場経済の倫理学』,岩波書店,286+3p. ISBN:4-00-023396-3 3570 [amazon][bk1] ※
 「なお私の議論への批判としては、立岩真也『私的所有論』、第7、8章参照。」(p.267 ここでの「私の議論」は「平等の正当化」における議論)

 「社会科学的な考察の大きな部分が、私にとっては基本的と思われる問題領域から離れていったのに対して、倫理学や法哲学では、一つにはその学問領域が正義や平等という主題から逃れられないために、この主題は、例えば「自由主義」をどう評価するかといった問題として残っているのだが、それでもよく考えられたものはそうたくさんはない。たくさんはない中の一つとして大庭健[1990]をあげる。関係、共働としてある関係の中で、個人の貢献分が取り出されることについて考察がなされている。」(第8章注4)

◆立岩 真也 2004 『自由の平等』,岩波書店

 「例えば、貧困の絶対性と相対性を巡るタウンゼント(Townsend[1979][1985][1987])とセン(Sen[1981=2000:22-24][1983][1985])の論争に関する論文(山森[2000c]cf.[2000b])のある山森亮が、必要について論ずる論文で『ゴータ綱領批判』(Marx[1875])を引く(山森[2001:49])のだが、「必要に応じて」と書いた『批判』の筆者は、「必要」の基準を定め各人について測定するといったことを考えていたのか。規準の設定や測定の意味がないと言うのではない。問題はその位置づけである。この論点についてはSen[1973]に言及しつつ大庭[1983:82-83]でもふれられている。[…]」(序章・注2)

 「何がどれだけよいかは人により様々だから比較しないことにしよう、だが当事者が皆同意しているのならそれはけっこうなことだからよしとしようというのが基本的な発想である。それで問題ないのではないか。だがそうか。第4章以降でもう一度論ずる。パレート最適についての的確な指摘として大庭[1989:317-318]、Sen[1987b=2002:chap.2]等(cf.[1997:41-43][1998c→2000g:16-17])。」(第1章注12)

 「[1997:65](第2章注22)でも水の例を持ち出して――大庭健が同様の例で論じたことがあったからだったと思う――比較の可能性・妥当性について少し記した。」(第2注18)

 「ノージック「のいうentitlementとは、”いちはやく西部に行ってインディアンの土地を侵略すれば、ひとかどの権利を持てる”という”開拓者”の自立と、彼ら・侵略地主たちのローカル・コミュニティを「理論」化した以上のものではない。」(大庭[1989:318])」(第6章注17)

1982? 「マルクス的近代批判の本質と今日的意義――廣松四肢構造論的物象化批判の再検討」,大庭他[1982:1-86] <287>
1989 『他者とは誰のことか――自己組織システムの倫理学』,勁草書房 <300,344>


REV:...20041101,20101004
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