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死/生の本・5――『性の歴史』

医療と社会ブックガイド・49)

立岩 真也 2005/05/25 『看護教育』46-05(2005-05):450-451
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


 註を加えて以下の文章になりました。

◆2015/03/21 「フーコー『性の歴史』:死生本の準備9――「身体の現代」計画補足・25」

※加筆の上、以下の本に収録しました。

立岩 真也 2017/08/16 『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』Kyoto Books \800 →Gumroad

立岩真也『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』表紙


 ここしばらく「尊厳死法案」が国会に上程されるとかされないといった「時事問題」が気になり、そのことにもすこし触れてきた。他に新聞に文章を書いたり、インタビューが載ったりしている。また過去の法案や私の書いたもの等を集めて製本したものを頒布することも始めた。これらの全文や案内をホームページに載せたからご覧ください。またこれもお知らせしてあるが、筑摩書房のホームページ内の『Webちくま』で「良い死」という連載も始まっている。こちらもどうぞ。
 そしてこちらの連載の本筋としては、ゴーラー、アリエスエリアスといった「古典」を紹介してきた。これらの本ではそれなりに事実が記されていた。その事実を巡って理解が対立もしていた。ただ、共通しているのは、この時代・社会は死を隠している、死を遠ざけているといった了解である。そしてここしばらく私たちが読む文章や聞く話といえば、なにを証拠にそう言うのか、上記した人たちがそんなことを既に書いてくれているからいちいち証拠はいらないということなのか、とにかく、そのように語ることになっている。例えば「死生学」の話を始める枕言葉のように使われている。
 それは本当のことだろうか。もちろん、それなりにもっともな部分はあり、だから流通してもいるのだろう。しかし、隠している、遠ざけているという言説がかくも増殖しているなら、その意味で、もはや死は隠されても遠ざけられてもいないのではないか。十分に饒舌に語られているではないか。このように混ぜ返したくもなる。そして基本的な問題は、そのようなおおざっぱな言い方で、実際のところは何のことを言っているのかである。そしてそれがどんな効果を与えているかである。
 語らない方がよい、隠しておいた方がよいと言いたいのではない。ただ、隠されていた(から)、それを表に出さなければならないという話は、もっともなのかもしれないのだが、すぐ真に受けることはない。あまり素直に、あらかじめよいことであるかのように言ってほしくはないとは思う。

◇◇◇

 こんなことを書くと、ミシェル・フーコーという人が書いたことを思い出す人がいるかもしれない。[…]

姦しく=かしましく[ルビお願いします]

[表紙写真を載せる本]
◇Foucault, Michel 1976 La volonte de savoir (Histoire de la sexualite I),Gallimard=1986 渡辺守章訳,『知への意志――性の歴史I』,新潮社

※吉本 隆明 19800610 『世界認識の方法』,中央公論社,193p. ASIN:B000J87T0M ISBN: 9784120009440 \924 [amazon][kinokuniya]※ p→198402  『世界認識の方法』,中央文庫


UP:20050331 REV:0404, 20120317, 20150321 
「死/生の本・6」  ◇医療と社会ブックガイド  ◇医学書院の本より  ◇書評・本の紹介 by 立岩
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