HOME >

沖縄闘争(1960年代後半〜1970年代前半)


last update: 20120918

■目次

1 沖縄闘争とは
2 日本政府、アメリカ政府の政策・動き
3 沖縄問題
4 政党の政策・運動
5 沖縄での運動
6 「本土」での運動
6-1 保守系・政府系の団体
6−2 セクトの運動
6−3 市民運動
6−4 「本土」に住む沖縄出身者/沖縄人の運動
6−5 「本土」における沖縄認識/沖縄論
7.沖縄闘争にコミットした個人・著名人
8.文化的実践
9.言説、批評、発言

>TOP

■1 沖縄闘争とは


新崎盛暉編, 1969, 『ドキュメント沖縄闘争』亜紀書房,
新崎盛暉, 1996, 「沖縄闘争――その歴史と展望」『情況』1996年4月号.(再録:1999,『沖縄を読む』情況出版, 39-58.)
新崎盛暉, 2005, 『未完の沖縄闘争』凱風社.
新崎盛暉, 1976, 『戦後沖縄史』日本評論.
波照間洋, 1968, 『沖縄奪還'68〜'70』三一書房.
天野 恵一 19970825 『全共闘経験の現在(増補新版)』,インパクト出版会.
天野 恵一 19990130 『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』 ,インパクト出版会.

◇新崎盛暉編, 1969, 『ドキュメント沖縄闘争』亜紀書房,
「沖縄闘争という場合に、まず第一に考えられるのは、祖国復帰運動あるいは沖縄(人民)解放闘争として提起され、展開されてきた全沖縄的規模での闘争である。つぎに、第一の闘争に包摂される部分的改良要求闘争、たとえば、50年代後半の島ぐるみの軍用地接収反対闘争、60年代中期の主席公選闘争、67年にピークを迎えた教公二法阻止闘争などがある。第三に限られた分野において、特定の階層や集団によって担われた闘いでありながら、沖縄の現実に構造的にあるいは思想的に肉薄する方向性をもった個別的闘争、たとえば、宮古島の農民闘争、沖縄大学学園闘争、琉球新報労組の闘いなどがある。そして第四には、祖国復帰運動に呼応するかたちの本土における沖縄返還運動、さらには、日米安保体制の核心的部分に対する挑戦として位置づけられる沖縄奪還、解放闘争がある。沖縄闘争という言葉を広い意味で用いた場合には、少なくともこれだけの内容が含まれうるし、本書においてもそのような意味でこの言葉を使っている。
 だが、沖縄闘争という言葉が一般的に使われるようになったのは、そう古いことではない。せいぜいここ2、3年のことである。すなわち、日本政府の政策が、「沖縄返還」を利用しつつ日米安保体制の再編強化をはかるという方向を明確にしはじめたのと、軌を一にしている。」(新崎 1969: はしがき[ページ数なし])

「沖縄返還(復帰)運動が、日本本土からの沖縄の分離に問題を限定するかぎり、それは日米両政府の政策に吸収されざるをえない。」(新崎 1969: はしがき[ページ数なし])

「だが一方、いかなるかたちにせよ、施政権の返還(異民族支配という現象の解消)は、軍事支配の本質的矛盾を表面化させざるをえない。沖縄人民の軍事支配下からの解放を第一義的な課題とする沖縄闘争は、必然的に基地撤去の闘いを中心として展開していくことになるであろう。そして沖縄米軍基地が日本全土の軍事基地の中枢としての役割を果し続ける以上、当然、沖縄闘争は、反戦闘争という性格をもち、反安保闘争という方向を明確にした闘いとなるであろう。
 沖縄闘争という言葉は、返還(復帰)運動の終焉を予知しつつ、それをのりこえて支配の本質に迫りうる質をもった闘いをあらわす言葉として登場してきたといえよう。」(新崎 1969: はしがき[ページ数なし])


◇新崎盛暉, 1996, 「沖縄闘争――その歴史と展望」『情況』1996年4月号.(再録:1999,『沖縄を読む』情況出版, 39-58.)
「1995年9月からの沖縄における民衆運動の大きな盛りあがりを、とりあえずここでは、沖縄闘争の第三の波とよんでおこう。
 第一の波は、1956年6月にはじまる島ぐるみ闘争である。このときは、沖縄闘争ということばは存在せず、島ぐるみ闘争ということばが定着するのも後のことである。
 第二の波は、1960年代末から70年代初頭にかけての70年安保・沖縄闘争である。このときはじめて、沖縄闘争ということばが使われるが、そのことばは、沖縄闘争の実体が衰退すると共に消滅し、定着することはなかった。」(新崎 1999 [1996]: 39)

「沖縄闘争の第二の波は、1967年2月の教公二法阻止闘争の勝利から、1972年5月の沖縄返還までの時期であり、この闘争の成否を分ける分水嶺をなしたのは1969年の2・4ゼネストであった。この闘争の背景には、ベトナム反戦運動があり、時期的には全共闘運動とも重なり合っていた。
 この闘争の大きな特徴の一つは、それが決して超党派的という意味での島ぐるみ闘争ではなかった、ということである。それは、米軍支配下の受益者層としての自覚を強めつつあった保守勢力と現状打破をめざす革新勢力のせめぎ合いの中で、革新派が保守派を圧倒するかたちでつくり出された闘いであった。」(新崎 1999 [1996]: 42)

「2・4ゼネストの挫折をのり越えようとする動きは、政治的には「72年返還政策粉砕」というスローガン的表現をとるが、思想的には、反復帰論の抬頭となる。」(新崎 1999 [1996]: 44)

「72年沖縄返還政策がその全貌をあらわしてくる過程で注目されるもう一つの闘いは、自衛隊移駐反対闘争である。沖縄返還は、沖縄が「本土並み」になることである、と宣伝されてきた。沖縄の民衆にとって、「本土並み」とは、米軍基地が本土並みに縮小されることであったが、日本政府にとっての「本土並み」とは、自衛隊を「本土並み」に配備することであった。だがそれは、沖縄からみれば、軍事的負担が加重されることにほかならなかった。
 民衆の反対を押し切って強行される自衛隊移駐に反対する闘いのなかから、あらためて日本軍とは何かが問い返され、沖縄戦における天皇の軍隊のありようが追求されることになった。」(新崎 1999 [1996]: 44)


◇新崎盛暉, 1976, 『戦後沖縄史』日本評論.
「60年代の中ごろまでの新左翼勢力の沖縄問題に対する取り組みは、一部の例外を除けばきわめて弱かった。これは、一般的に民族問題として位置づけられていた沖縄問題を、彼らが自らの立場でとらえかえし、反(日)帝闘争への傾斜を強くもった自らの闘争方針のなかに独自に位置づけえなかったということに起因する、といってよいだろう。しかし、沖縄がベトナム戦争の軍事的拠点としてクローズ・アップされ、さらに日米軍事同盟再編の中心環として浮かびあがってくるにつれて、沖縄問題は、おのずと、反(日)帝闘争の最も重要な課題になってきたのである。そして、現実の沖縄の闘いも、教公二法阻止闘争(2・24闘争)などに示されるように、単なる民族運動ではない、ということがあらためて認識されるようになった。」(315−316)
●新左翼勢力の沖縄問題への取り組み。〈民族問題としての沖縄問題〉と〈反(日)帝闘争〉とのズレと重なりの始まり(教公二法阻止闘争)。

「こうして67年段階になると新左翼勢力も沖縄問題に本格的にとりくむようになってくる。その一部が、従来の返還運動や復帰運動と異なる自らの闘争に対する呼称として、沖縄闘争という言葉を使うようになってくる。
 といっても彼らの大部分が、従来の返還運動、復帰運動と実質的には共通する、本土復帰、沖縄奪還、即時・無条件・全面返還などのスローガンをかかげていたことにもみられるように(アメリカ〈国家〉から日本〈国家〉への沖縄返還、あるいは、沖縄住民の日本〈国家〉への復帰、との差異を明確にしようと、「サンフランシスコ条約第三条の破棄を通じた沖縄人民の解放」といった厳密な表現をスローガン化しようとした部分をも含めて)、彼らもまた、少なくとも形式的には、米軍支配下の沖縄の解放を、日本への「返還」に求めていた。ただそれぞれに立場の異なる彼らの共通項を探るならば、それは、沖縄人民の解放に結びつくような「返還(復帰)」を実現するためには、眼前に提起されてきた日米両政府の軍事同盟再編強化政策の中心環としての返還政策をまず叩きつぶさなければならない――そのことによってはじめてよりより展望が生まれる――という点にあった。ここが、従来の復帰運動、返還運動批判の立脚点だったといってよいであろう。」(316)
●「沖縄闘争」という言葉の政治性: 先行する返還運動批判としての立ち位置。復帰思想・運動の破綻とともに登場してきた思想・運動空間。
 →「沖縄闘争」が分裂・妨害をつくる「トロツキスト集団」(318)という批判
 「沖縄闘争という言葉は、返還(復帰)運動の終えんを予知しつつ、それをのりこえて支配の本質に迫りうる質をもった闘いをあらわす言葉として登場した」(318)
●軍事同盟再編強化策としての返還政策の粉砕という立脚点


◇天野 恵一 19970825 『全共闘経験の現在(増補新版)』,インパクト出版会.
「当時、私たちは、日本のナショナリズムに包摂されるにすぎない返還運動は、反戦とか反基地とか条件をつけてみせても、根本がある倒錯によって支えられた政治主張にすぎないことは自明と、考えるようになっていた。
 しかし、彼のかかえこんだ、「復帰」の闘いの基本が誤りであるとしたらいったい今までの努力やエネルギーはなんだったのだろうという、恐ろしい無力感や消耗感、彼の部屋に重くよどんだ声にならなかった「悲鳴」、それらを私は十分に感じ、聞きとることができたのであろうか。
 七〇年代の流れの中で、大きな政治焦点という位置から沖縄が後退していくとともに、私(たち)の関心も沖縄から離れていった。
 日本人というそれを強いる位置にいながら、やはりあの時、沖縄人(友人)のうめき声をよく聞きとる耳を私は持ちあわせていなかったのだ。」(天野 1997: 25-26)

「私たちの闘いが発する「うめき声」も、沖縄の闘いにとどくような相互関係をどのように運動的につくりだすか。相互の異質な歴史的条件に規定された体験をふまえた〈経験〉の交流がどのように可能か。
 これがさらに運動的に追及されなければと思う。」(天野 1997: 27)

◇天野 恵一 19990130 『無党派運動の思想――[共産主義と暴力]再考』 ,インパクト出版会.
「「復帰・返還」運動を反戦闘争としてより急進化しようという路線であれ、「復帰・返還」という日本ナショナリズムの枠組み全体を批判し、沖縄の解放・自立あるいは独立を主張した路線であれ、「日帝打倒」の革命戦略が前提であった。いくつもにわかれ相互に激しく対立した政治党派の主張も、その点は共通していた。沖縄の人々の反基地・反安保のエネルギーは、そうした革命戦略の下に位置づけられており、その沖縄の闘争それ自体を具体的かつ内在的に知り、それと連帯する通路をつくりつづける努力はそこにはなかった。もちろん、現地の人々との交流は、それぞれにいくつもつくられたが、その政治革命主義的体質ゆえに、沖縄の闘いのエネルギーの外在的「利用」以上の結果は、やはりつくりだせなかった。沖縄の人々の闘いの歴史が本当はよくみえていなかったのだ。復帰運動にストレートに加担した方も、批判的に介入した方も、その点は同じだった。(・・・)表面的にはあれだけ大衆的な暴力的に突出したエネルギーに満ち満ちたこの時代の沖縄闘争の貧しさは、「本土の沖縄化」(ヤマトの核・基地強化)に反対するなどという主張はあったが、七〇年代に米軍基地が「本土」からさらに縮小され、反対に沖縄は米軍戦闘基地として徹底強化されていったプロセスに、まったく反撃できていない事実に端的に示されている。自衛隊が送られるだけでなく、沖縄の米軍基地が縮小されるどころか、さらに強化されていくことに大衆的な抗議の声は、運動的につくりだされることはなかったのだ。八〇年代のヤマトの反安保運動も、沖縄と、ほとんど切れたところで、少数派に追い込まれつつ政治的には空転した(もちろん、そこには多様な切り口からの様々な運動が蓄積されており、別のベクトルからすれば積極的に評価されるべきものも多いことは前提である)。」(天野 1999: 150-152)
「戦後革新(社会党・共産党中心)の「平和と民主主義」イデオロギーはズッポリとナショナリズムにはまりこんだ主張にすぎず、「返還―復帰」運動は、まるごとそうしたナショナリズム運動にすぎない。こうした主張である。
 それは、ヤマトでいえば、森秀人、吉本隆明的視点、沖縄でいえば新川明的視点といってよかった。もちろん、三者相互はかなり違った主張ではあるが、「復帰―返還」ナショナリズム批判という点では、共通していた。基本的な視点として、私は今でもそれが誤っていたとは考えていない。しかし、具体的な点についてはずいぶん見落としがあったとは思うのだ。
 この反「復帰―返還」思想には、沖縄の人々の土地・基地を軸にした運動、そこではぐくまれている思想についての、いきとどいた認識が欠落している。」(天野 1999: 176-177)


>TOP

■2 日本政府、アメリカ政府の政策・動き


吉次公介, 2011,『日米同盟はいかに作られたか――「安保体制」の転換点1951-1964』講談社.
林博史, 2012, 『米軍基地の歴史――世界ネットワークの形成と展開』吉川弘文館.

>TOP

■3 沖縄問題


沖縄・小笠原返還同盟編, 1967, 『沖縄黒書』労働旬報社.
中野好夫・新崎盛暉, 1965, 『沖縄問題二十年』岩波書店.
中野好夫編, 1968, 『沖縄問題を考える』太平出版社.
南方同胞援護会, 1968, 『沖縄問題基本資料集』南方同胞援護会.
影山日出弥, 196811, 「沖縄と人権(一)――渡航制限の憲法問題」『法律のひろば』21(11): 42-45.
宮崎繁樹, 196806, 「憲法問題としての沖縄」『現代の眼』9(6): 164-173.
新崎盛暉, 1969, 「思想としての“沖縄”」『現代の眼』10(9?): 36-45.
岡倉古志郎ほか, 1969, 『資料 沖縄問題』労働旬報社.
中野好夫, 1969, 『戦後資料 沖縄』日本評論社.
高良倉吉・仲里効, 読売新聞西部本社文化部編, 2007, 『対論「沖縄問題」とは何か』弦書房.
藤原書店編集部編, 2011, 『「沖縄問題」とは何か――「琉球処分」から基地問題まで』藤原書店.


>TOP

■4 政党の政策・運動


安保・沖縄問題研究会編, 1970, 『安保体制1970――70年代日本の政治・経済基本資料』労働旬報社.


>TOP

■5 沖縄での運動


沖縄解放祖国復帰促進懇談会編, 1963, 『沖縄――その解放は日本の独立を完成する』刀江書院.
沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会編, 1982, 『沖縄県祖国復帰闘争史』沖縄時事出版.
高嶺朝一, 19840515, 『知られざる沖縄の米兵――米軍基地15年の取材メモから』 高文研.
福木詮, 1973, 『沖縄のあしおと――1968〜72年』岩波書店.

●反復帰論/反国家論/復帰運動批判
沖縄研究会編, 1971, 『沖縄解放への視角――(「物呉ゆすど……」改題)』田畑書店.
新川明, 1971, 『反国家の兇区』現代評論社.
金城朝夫, 1973, 『沖縄処分』三一書房.
川満信一, 1978, 『沖縄・根からの問い』泰流社.
新川明, 1981, 『琉球処分以降』
仲宗根勇, 1981, 『沖縄少数派――その思想的遺言』三一書房.


>TOP

■6 「本土」での運動


>TOP

■6−1 保守系・政府系の団体


>TOP

■6−2 セクトの運動


小山弘健・浅田光輝編, 1969, 『戦闘的左翼とはなにか』芳賀書店.
山村 克 19690615 『勝利にむかっての試練――安保問題革共同重要論文集』前進社.
蔵田計成, 1978, 『新左翼運動全史』流動出版.
高沢皓司・高木正幸・蔵田計成, 1981, 『新左翼二十年史――叛乱の軌跡』新泉社.
小熊英二, 2009, 『1968 下』新曜社.

●下層労働者
森秀人, 1963, 『甘蔗伐採期の思想』現代思潮社.
船本洲治, 1985, 『黙って野たれ死ぬな――船本洲治遺稿集』れんが書房新社.


>TOP

■6−3 市民運動


●ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)
cf. ベ平連 
小中陽太郎, 196708, 「沖縄の青春・焦燥と倦怠の宴」『現代の眼』8(8): 24-35.
小中陽太郎, 196710, 「孤独な青春・沖縄の少数者たち」『現代の眼』8(10): 24-35.
井川一久, 19680901, 「ルポ 沖縄基地反対の実力行使 “ハプニング逮捕劇”と現地の声」『朝日ジャーナル』1968年9月1日号: 97-100.
金井佳子, 19680609, 「武装米兵と相対したこころ――嘉手納基地ゲート前にすわり込んで」『朝日ジャーナル』1968年6月9日号: 18-21.
小中陽太郎, 196812, 「反戦の理念――「手づくり」の提唱」『現代の眼』9(12): 24-37.
新崎盛暉, 196810, 「復帰運動とその周辺」『世界』275: 201-209.
鶴見俊輔, 196810, 「日本とアメリカの対話――「反戦と変革に関する国際会議」の感想」『世界』275: 242-253.
鶴見良行, 19690511, 「市民運動と沖縄」『朝日ジャーナル』1969年5月11日号: 21-23.

●大阪沖縄連帯の会
大阪沖縄連帯の会 
●反戦教師の会→沖縄を一時間教える運動

●沖縄返還のための市民の会


>TOP

■6−4 「本土」に住む沖縄出身者/沖縄人の運動


cf. 大阪と沖縄 http://www.arsvi.com/d/oo.htm
◇沖縄県祖国復帰協議会
◇沖縄県人会
 関東
 関西
 各県
◇沖縄研究会
沖縄青年同盟
◇沖縄青年委員会
◇一坪反戦地主会

東京沖縄県学生会, 1968, 『祖国なき沖縄』太平出版社.
渡久地政司, 196810, 「沖縄渡航手続きを拒否して」『思想の科学』8*: 56-59.
中島竜美, 196807, 「〈ルポルタージュ〉本土在住沖縄県人の沖縄」『現代の眼』9(7): 68-75.
菅沼清美, 196906, 「本土の沖縄人」『現代の眼』10(6): 巻頭.
富村順一, 1993, 『わんがうまりあ沖縄[新装版]』、柘植書房.
富村順一, 1977, 『十字架と天皇』たいまつ社.
富村順一, 1979, 『棄民・戦争・天皇』JCA出版.
富村順一, 1980, 『アジアの民衆と皇民化教育』JCA出版.
冨山一郎、1990、『近代日本社会と「沖縄人」――「日本人」になるということ』日本経済評論社.
仲間恵子、2003、「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」赤坂憲雄・中村生雄・原田信男・三浦佑之編『いくつもの日本X 排除の時空を超えて』岩波書店.
大阪人権博物館、2000、『ヤマトゥのなかの沖縄』
山口覚、2008、『出郷者たちの都市空間――パーソナル・ネットワークと同郷者集団』ミネルヴァ書房.
水内俊雄、2000、『大阪・沖縄・アジア』大阪市立大学教務部.
――――、2001、「大阪市大正区における沖縄出身者集住地区の「スラム」クリアランス」『空間・社会・地理思想』6:22−50.
桃原一彦、1995、「大都市地域社会における「沖縄コミュニティ」の構造分析――東京と川崎における同郷組織の歴史的展開を中心に」『日本都市社会学会年報』13:23−38.
――――、2000、「大都市における沖縄出身者の同郷者結合の展開」『都市問題』91:47−61.
――――、2003、「都市的身体の表象化と沖縄人ネットワーク」渡辺一郎・広田康生・田嶋淳子編『都市的世界/コミュニティ/エスニシティ――ポストメトロポリス期の都市エスノグラフィ集成』明石書店.

▼渡航制限撤廃闘争
三木勝, 196806, 「ぼくはこうして入域手続きを拒否した」『世界』271: 144-146.
柳九平, 196810, 「ひめゆり丸航海記――渡航制限撤廃闘争の中から」『思想の科学』8*: 60-63.


>TOP

■6−5 「本土」における沖縄認識/沖縄論


●1950年代

●1960年代
大田昌秀, 196808, 「本土にとって沖縄とは何か」『世界』273: 72-85.
川満信一, 19690511, 「本土の返還運動を告発する」『朝日ジャーナル』1969年5月11日号: 18-20.
編集部, 19691228, 「『安保・沖縄』とおっしゃいますが――告発さるべき本土で空転する民意」『朝日ジャーナル』11(52): 102-107.
木下順二編, 1968, 『シンポジウム――引き裂かれた民族の課題』三省堂.
大田昌秀, 1969, 『醜い日本人』サイマル出版会.

●1970年代
上原康助・仲良良新(きき手・村上寛治),19700222,「本土の心はゆがんでいる――沖縄基地労働者の闘いが訴えるもの」『朝日ジャーナル』1970年2月22日号: 96-100.
谷川健一編, 1970-1972, 『叢書わが沖縄 全六巻』木耳社.

●1980年代
新崎盛暉, 1980,「本土戦後史における沖縄認識」日本平和学会編『沖縄――平和と自立の展望』早稲田大学出版部,113-133.

●1990年代
村井紀, 1995, 『南島イデオロギーの発生――柳田国男と植民地主義』太田出版.

●2000年代
永六輔, 2002, 『沖縄からは日本が見える』光文社.(=2000, 祥伝社.)
多田治, 2008, 『沖縄イメージを旅する――柳田國男から移住ブームまで』中央公論新社.
高橋順子, 2011, 『沖縄〈復帰〉の構造――ナショナル・アイデンティティの編成過程』新宿書房.

●2010年代

>TOP

■7.沖縄闘争にコミットした個人・著名人


●大江健三郎

●中野好夫
 中野好夫・新崎盛暉, 1965, 『沖縄問題二十年』岩波書店.
 1968, 『沖縄問題を考える』太平出版社.
 1969, 『戦後資料 沖縄』日本評論社.
 1972, 『沖縄と私』時事通信社.
 中野好夫・新崎盛暉, 1976, 『戦後沖縄史』岩波書店.
→●沖縄資料センター    cf. http://ci.nii.ac.jp/els/110004641902.pdf?id=ART0007358120&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1327312121&cp=
●新崎盛暉
 川満信一共編, 1988, 『沖縄・天皇制への逆光』社会評論社.

●竹中労
 → 竹中労
●石田郁夫
 石田郁夫, 1968, 『沖縄 この現実』三一書房.
石田 郁夫 1969 『安保・反戦・沖縄―――70年前哨戦の総括』三一書房.
 石田郁夫、1972、『辺区からの逆攻 沖縄』田畑書店.
 石田郁夫, 1969, 『沖縄――土着と解放』合同出版.

●森口豁


>TOP

■8.文化的実践


▼7−1 映画/ドキュメンタリー
四方田犬彦・平沢剛編, 2010, 『1968年文化論』毎日新聞社.
東陽一, 1979, 『午後4時の映画の本』幻燈社.
四方田犬彦・大嶺沙和編、2009、『沖縄映画論』作品社.

●NDU
村瀬 春樹,19700815,『誰か沖縄を知らないか』 ,三一書房.

▼7-2 その他
北田暁大・野上元・水溜真由美編, 2005, 『カルチュラル・ポリティクス1960/70』せりか書房.
仲里効, 2007, 『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』未来社.
DeMusik Inter.編, 1998, 『音の力 沖縄――コザ沸騰編』インパクト出版会.
――――, 1998, 『音の力 沖縄――奄美/八重山/逆流編』インパクト出版会.
――――, 2006, 『音の力――沖縄アジア臨界編』インパクト出版会.
利根川裕, 1986=1988, 『喜屋武マリーの青春』筑摩書房.


>TOP

■9.言説、批評、発言


▼1950〜
猪俣浩三・木村禧八郎・清水幾太郎編著、1953、『基地日本――うしなわれていく祖国のすがた』和光社.

▼1965
藤島宇内ほか, 1965, 『日本を創る表情――ルポルタージュ ヒロシマから沖縄まで』弘文堂.

▼1966

▼1967

▼1968
池山重朗, 196811, 「70年安保と沖縄奪還」『現代の理論』58: 44-51.
岩垂 寿喜男・小山 弘健・竹内 静子・日高 六郎 196810 「シンポジウム 70年闘争と統一戦線」『現代の理論』57: 118-142.
今福 愛志 196805 「沖縄・本土・私」『世界』270: 217-218.
大浜 信泉・宮崎 繁樹 196812 「沖縄奪還のナショナリズム」『現代の眼』9(12): 68-77.
小田 実・岩井 章 196812 「反安保行動の主体と思想」『現代の眼』9(12): 88-99.
菊地 昌典・いいだ もも・中島 誠・安東 仁兵衛 196808 「第3世界・後進国・世界革命――社会主義諸国と先進国革命」『現代の理論』55: 63-87.
工藤 邦彦 196808 「『核』のなかの沖縄――“原水禁沖縄大会”をまえにして」『月刊社会党』136: 65-72.
関 寛治・神谷 不二 196803 「非武装中立か集団防衛か」『現代の眼』9(3): 60-71.
下郡 達夫・田島 秀実 196804 「沖縄が語るもの――2・7沖縄核基地撤去・即時無条件全面返還国民大会」『現代の理論』51: 98-105.
ストーン、ドナルド・アンソニー、アール 19680901 「黒人活動家の見た沖縄」『朝日ジャーナル』1968年9月1日号: 101-104.
土屋 信・吉村 茂樹(撮影) 196810 「ビザを焼く――沖縄渡航制限の撤廃を」『月刊社会党』138: 巻頭.
桃原 用行・大島 修・小牧 禧一・伊礼 武・鈴木 正次・池山 重朗 196805 『沖縄の闘いとわれらの課題』52: 132-148.
日高 六郎・武者小路 公秀 196803 「70年問題をどう考えるか」『現代の眼』9(3): 48-59.
松田 政男 196808 「永久革命のなかの現代」『現代の眼』9(8): 96-105.

●『現代の眼』9(7) 1968年7月号 「特集 沖縄――奪還の思想的拠点」
大城 立裕 196807 「沖縄自立の思想」『現代の眼』9(7): 46-56.
中島 竜美 196807 「〈ルポルタージュ〉本土在住沖縄県人の沖縄」『現代の眼』9(7): 68-75.
村上 一郎 196807 「南海道の思想のために――“ひめゆり”先駆者の息子から」『現代の眼』9(7): 76-82.
「沖縄をめぐる憲法問題シンポジウム」記録

●『世界』275(1968年10月号)沖縄特集
福木 詮 196810 「ルポ・沖縄・1968年8月 T沖縄・8・15の周辺」『世界』275: 151-155.
屋部 義民 196810 「ルポ・沖縄・1968年8月 Uシルバーダガー作戦の展開」『世界』275: 156-158.
吉田 嗣弘 196810 「ルポ・沖縄・1968年8月 V那覇港のコバルト60」『世界』275: 158-162.
石原 和夫 196810 「ルポ・沖縄・1968年8月 W2つの怪談――“海水浴炎”と奇形蛙」『世界』275: 163-164.
宮城 正教 196810 「ルポ・沖縄・1968年8月 X沖縄教育界と分裂策動」『世界』275: 165-168.
渡名喜 正朝 196810 「キー・ストーンは石ころだった――全沖縄軍労組の闘争」『世界』275: 169-176.
新崎 盛暉 196810 「復帰運動とその周辺」『世界』275: 201-209.
下地 寛信 196810 「怨恨と恥辱との谷間で――沖縄問題の1つの側面」『世界』275: 210-212.
吉原 公一郎 196810 「1968年の沖縄――「世替」への歴史のなかで」『世界』275: 213−220.
岡部 伊都子 196810 「沖縄の道」『世界』275: 221-228.
宇都宮 徳馬 196810 「転換する米アジア政策と日本」『世界』275: 229-241.
鶴見 俊輔 196810 「日本とアメリカの対話――「反戦と変革に関する国際会議」の感想」『世界』275: 242-253.

▼1969
朝日新聞社, 1969, 『沖縄報告』朝日新聞社.
いいだ・もも 196912 「10・21から安保決戦へ――「70年の終り」としての69年秋」『現代の眼』10(12): 104-115.
下山 茂蔵 196907 「その日の復帰協」『現代の眼』10(7): 巻頭.
白石 孝二 196904 「沖縄労働者の激怒の焦点」『現代の眼』10(4): 46-55.
関 寛治・三好 修・山本 進・中江 利忠・村上 薫 196911 「〈シンポジウム〉 佐藤訪米と日本の今後」『現代の眼』10(11): 38-55.
竹内 静子 196902 「沖縄の口笛」『現代の眼』10(2): 192-201.
竹内 静子 19690513 「沖縄デーにみる主体と幻想――70年代への方向性」『エコノミスト』1969年5月13日: 46-50.
武渚明・北村 雪美・隈本 徹・新木 正人・野田 茂徳 196907 「無党派ラディカリズムとは何か」『現代の眼』10(7): 36-47.
谷川 健一 196912 「祭りとしての〈安保〉」『現代の眼』10(12): 136-145.
東若 実利 196906 「沖縄奪還が70年安保を決める!――4・28闘争から11月闘争へ」『現代の理論』65: 63-76.
仲良 良新 19690817 「原爆の日――広島から沖縄へ〈その1〉 「反戦復帰」のなかの原水禁運動」『朝日ジャーナル』**: 87-92.
野口 雄一郎 196901 「1970年と日米新体制」『現代の眼』10(1): 38-49.
比嘉春潮ほか, 1969, 『沖縄』岩波書店.
編集部 19690511 「4・28――本土と沖縄 〈その1〉ルポ 東京・大阪・長崎」『朝日ジャーナル』1969年5月11日: 10-17.
穂坂 久仁雄 196905 「沖縄の学生造反の現状」『現代の眼』10(1?): 164-173.
松田 政男 196907 「街頭闘争の限界と可能性――バリケードからの進撃のために」『現代の眼』10(7): 120-127.
松田 政男 196902 「『60年代思想』の光と闇」『現代の眼』10(2): 114-121.
森崎 和江 196912 「大衆蜂起の思想的基盤 民衆的連帯の思想」『現代の眼』10(12): 96-103.
196907 「日本の潮3 沖縄不在の沖縄デー」『世界』1969年7月号: 29-30.

●『現代の眼』10(5)(1969年5月号)「特集・反安保の焦点――沖縄」
伊礼孝・岩垂寿喜男・森茂,196905,「70年闘争へのゼネスト」『現代の眼』10(5): 102-114.
新崎盛暉,196905,「沖縄は反安保の砦」『現代の眼』10(5): 80-92.

▼1970
原田誠司,197012,「東大闘争総括の視点と入管・沖縄闘争――構造的ヘゲモニー戦のために」『現代の理論』83: 94-105.
平賀芳子,19700809,「日常性との格闘 『沖縄デー』での小さな冒険」『朝日ジャーナル』1970年8月9日〜16日号: 36-42.

▼1971
外間守善, 1971, 『沖縄文化論叢 全*巻』平凡社.

●『朝日ジャーナル』1971年12月3日号「特集・棄てられた沖縄」
新川明,19711203,「血の債務は償わねばならぬ」『朝日ジャーナル』1971年12月3日: 20-22.
一泉知永,19711203,「ルポ この渦の中のむなしさを越えて」『朝日ジャーナル』1971年12月3日: 4-10.
今津弘,19711203,「『驕慢と怠慢』の政治」『朝日ジャーナル』1971年12月3日: 15-18.
桃原用行・仲良良新,19711203,「座談会 本土を揺るがす“しっぽ”の闘い」『朝日ジャーナル』1971年12月3日: 10-15.

▼1972
大城立裕, 1972, 『同化と異化のはざまで』潮出版.
桑江朝幸, 1972, 『民族の血は燃えて』新星図書.
仲宗根衛,197211,「沖縄人であることへの執着――本誌9月号、沖縄報告を読んで」『現代の理論』106: 103-115.
仲良良新・福地曠昭・吉田勇(司会・村上寛治),19720218,「座談会 沖縄解放の戦士 中国をゆく」『朝日ジャーナル』1972年2月18日: 12-18.
山本健治,197209,「『復帰』後の沖縄――本土と沖縄の新の連帯を求めて」『現代の理論』104: 125-131.

▼1973〜
新里金福,19730816,『沖縄解放闘争の未来像』,新泉社.
基地対策全国連絡会議編、1983、『日本の軍事基地』新日本出版社.


*作成:大野光明
UP: 20120123 REV: 20120806, 0809, 0918
TOP HOME (http://www.arsvi.com)