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『増補新版 全共闘経験の現在』

天野 恵一 19970825 インパクト出版会,355p.

last update: 20110624


■天野 恵一 19970825 『増補新版 全共闘経験の現在』,インパクト出版会,355p. ISBN-10: 4755400678 ISBN-13: 978-4755400674 \2415 [amazon][kinokuniya] o01 sm02m04  ←198906 『全共闘経験の現在』,インパクト出版会,318p. ISBN-10: 4755400147 ISBN-13: 978-4755400148 \3150 [amazon]

■内容

回顧するにはたやすく、忘れるにはもっとたやすい全共闘という名の世代の経験は何だったのか。20年の時間を経て運動の意味と思想、全共闘以後の若者・学生を語る。初版への書評への解答を加えた増補版。(「MARC」データベースより)


■目次

T 運動経験について
 運動経験について

U 全共闘運動――その思想的検証
 「戦後」批判の運動と論理――安保全学連と全共闘運動
 大学闘争と自己否定――高橋和巳をめぐって
 「マルクス没後百年」をめぐる思想状況――思想を自己との格闘の場でとらえる作業を!
 「全共闘」と〈自滅のロマンチズム〉
 「全共闘」ブームを撃て!
 「『全共闘』対丸山真男」の思想的意味――「丸山政治学」をどう読むか

V 「全共闘」以降――若者・学生論
 〈悪夢〉の総括
 “戦時体制づくり”と学生運動――「新人会」型ラディカリズム以降と「全共闘」以降
 「挫折小説」はなぜいつも優しさなのか――『されどわれらが日々――』から『優しいサヨクのための嬉遊曲』までを斬る
 若者論の現在――見るまえにやれ

W 運動のなかから――闘いと〈経験〉
 全共闘世代の男の死に寄せて――山谷での虐殺
 資料●山谷のドヤ街冬の陣
 山谷の闘いと山岡強一――一人の支援者・共闘者として
 資料●山野(「寄せ場」)の労働者の闘いを見殺しにするな!――追悼・山岡強一
 政治闘争・共闘の〈質〉について――“「借金」の支払い方”をめぐって
 反天皇制運動のなかの〈全共闘経験〉――その思想的総括
 反天皇制運動の現在――新たな〈運動経験〉とあの時代

初版あとがき

X 〈経験〉――変容と持続
 「偏屈なる党派」の〈記憶〉をめぐって――私(たち)の運動と雑誌『インパクション』
 「日常性」への問い・その変容のなかの持続――増補版「あとがき」にかえて


■引用

「藤田省三は、「戦後の議論の前提――経験について」でこのように主張した(『思想の科学』1981年4月号、『精神史的考察――いくつかの断面に即して』平凡社所収)。(・・・)
「戦後経験の第一は国家(機構)の没落が不思議にも明るさを含んでいるという事の発見であった。その意味で丁度明治維新と逆の経験がそこにあった。維新では立国の明るさが輝いていたのに対して戦後には国家の崩壊が持つ明るさが発見されたのであった。そこに、明治国家と昭和国家との質的な違いを探る思考が生まれることになったし、その質的差異がもたらされる歴史的経過を探ろうとする知的関心が生まれたのでもあった。」(・・・)
「戦後の混沌が生むユートピアは、それでは、どのような基準に従って造形されたであろうか。いつの場合でも造形の基準は既に存在しているものの中からしか出てこないであろう。それを改作するにしても、神ならぬ身は無からの創造ではなくて、現に在るもの、隠されて在ったものの中から造形基準の基礎を発見して来なければならない。かくて戦後の経験の第三の確信は『もう一つの戦前』、『隠された戦前』の発見であり、同時に『もう一つの世界史的文脈』の発見でもあった。・・・・・・『もう一つの戦前』が次々と姿を現わし、一つ又一つと発見されて行く過程が戦後史なのであった。過去についての発見が現在を形造り未来のあり方を構想させるという、動的な時間感覚の存在と働きが其処にはあった。そこでは過去は既存の所与ではない。更めて発見されるものであり、その意味で現在の営みであり、明日にも又更めて発見されるものであるという点で未来なのであった。『もう一つ』という言葉の意味はそこにあり、複合的な時間意識と『未来を含む歴史意識』がそこに躍動していた。この時間の両義性と可逆関係が戦後経験の第四の核心をなしていた」。
(・・・)
「物と(或は事態と)人間の相互的な交渉のこと」としての経験。「理性を通した世界(或は経験、或は物事)との人間との応答」であるはずの思考。この「経験」が消滅し「思考」の固形化が決定的となった時代への強烈な反撥がテコになっており、経験の意味がストレートに読み手に伝わってくる力強い文章である。
「(・・・)『経験』は多くの次元と関連を含んで広い可能性を持ち、『体験』は制度的圧迫の中で密かに己れの存在を主張する。」(天野、1997:7−9)

「いつの時代にも、〈経験〉へ向う体験群はそれなりに存在しているのである。それを受けとめ思想化する主体の姿勢の有無こそが大切なのだ。だからハデな闘争の時代を生きても、単なる思い出話としての体験談をたれ流すことしかできない――日常生活の現実はひたすら体制的で、酔っぱらうとなにやらなつかしそうに武勇伝を語るような――ウンザリするような人間は、それこそ掃いて捨てるほどいるではないか。」(天野、1997:17)

「新崎盛暉が「沖縄・ヒロシマ・天皇」というテーマで講演し、多くの参加者の共感を呼ぶ問題提起をおこなった。(・・・)「この本で例えば日本軍と住民との間のいろいろなトラブル――トラブルというような簡単な言葉で表現していいかどうか分かりませんけれども――スパイ扱いで殺されたというような問題はちゃんとここに書かれています。しかし、日本軍の行為を糾弾すると言うような筆致と言いますか口調と言うのは全くここにはありません。あの極限状態で誤解に基づいて起こった悲劇として記されています。(・・・)」「『日の丸復帰』の急先鋒であった沖縄教職員会が、1970年になって『これが日本軍だ』というパンフレットを作ります。ここで初めて沖縄戦というものが、天皇の軍隊というものを捉え返すという視点から書かれるようになるわけです。つまり反自衛隊闘争という闘いの中から、もう一度沖縄戦という歴史的体験の持つ意味が問い返されてくるわけです。」(18−19)

「当時、私たちは、日本のナショナリズムに包摂されるにすぎない返還運動は、反戦とか反基地とか条件をつけてみせても、根本がある倒錯によって支えられた政治主張にすぎないことは自明と、考えるようになっていた。
 しかし、彼のかかえこんだ、「復帰」の闘いの基本が誤りであるとしたらいったい今までの努力やエネルギーはなんだったのだろうという、恐ろしい無力感や消耗感、彼の部屋に重くよどんだ声にならなかった「悲鳴」、それらを私は十分に感じ、聞きとることができたのであろうか。
 七〇年代の流れの中で、大きな政治焦点という位置から沖縄が後退していくとともに、私(たち)の関心も沖縄から離れていった。
 日本人というそれを強いる位置にいながら、やはりあの時、沖縄人(友人)のうめき声をよく聞きとる耳を私は持ちあわせていなかったのだ。」(p.25-26)

「私たちの闘いが発する「うめき声」も、沖縄の闘いにとどくような相互関係をどのように運動的につくりだすか。相互の異質な歴史的条件に規定された体験をふまえた〈経験〉の交流がどのように可能か。
 これがさらに運動的に追及されなければと思う。」(p.27)


■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20110634
沖縄 社会運動/社会運動史  ◇「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) 身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
 
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